
今日で3月もおしまい。
この季節になると
懐かしく思い出すのが
庄司薫さんの
『赤頭巾ちゃん気をつけて』。
大学受験に失敗して
なんとも気だるい春の昼下がり、
この本にどっぷりとつかっていたっけ。
そして、薫くんの友人小林がひたすら食べる
桜餅のおいしそうなことといったら。
三つ食へば葉三片や桜餅 高浜 虚子
薫くんはこの俳句を
知っていただろうか。
三月最後にこの本を、
再録書評で。
じゃあ、読もう。

第61回芥川賞受賞作(1969年)。
年を重ねていくと思い出は増えていくと同時に引っ越しの数も、数えればもう何度しただろう。そのたびに本の置き場に困ることといったら。惜しみながら手元を去っていった本たちよ。それでも、どうしても手離すことができなかった本もある。
その一冊が、庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』。
今手元にある中央公論社の単行本の奥付をみると、「昭和45年10月12日 28版」とある。初版が一年前の8月だから、発売後忽ち重版を重ねたことがわかる。価格はなんと360円。このたび、新潮文庫の一冊になったものは460円だから、40年という月日の長さをこんなところにも感じる。
初めて読んだのは多分、中学から高校にはいる、春休みだったように思う。
春の暖かな日差しのなかで、読んだ記憶がある。偶然の事故で足に怪我をおった主人公の薫君に、同級生の小林が訪れて長々と話をする場面。あのなかの小林が食べる桜餅に薫君以上に食欲をそそられたものだ。
今回久しぶりに読んだが、やはりあの場面の桜餅のおいしそうなことといったらない。
この物語にはきちんとした日付が刻まれている。1969年2月9日。東大入試が中止となった年。
そして、物語とまったく関係ないが、偶然にもこの日は私の14歳の誕生日だった。
自分の誕生日がどうだったかはちっとも覚えていないが、東京の山手線の駅から少し行ったところに住む受験生庄司薫君にとっては「ふんだりけったり」の一日だったことはまちがいない。
でも、彼のこの一日が1970年代の若者に与えたインパクトははかりしれないものがあった。
今ではすっかり大人、しかもシニア世代となった人々にとって、「女の子にもマケズ、ゲバルトにもマケズ」いかにいくべきかと、うろうろする薫君にどれほど共感したことか。
時代が変わろうとしたまさにその時、ぴたっと寄り添うように文学がそこにあった。これは奇跡のような一冊だろう。
この文庫に収録されている作者の庄司薫の「あわや半世紀のあとがき」に記された「不思議なものおもいで一杯なこと」という作者の思いに、涙がこぼれそうになった。
薫君、君もあれから色々大変だったんだろ。よく頑張ったよな。
なんだか、そんなことを思っている。
(2012/04/06 投稿)

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03/30/2018 高熱隧道(吉村 昭):書評「人は自然に対してどこまで謙虚でいられるか」

昨日のアガサ・クリスティーではないが
たくさん本を読んできたが
なんだかとってもおいしい読書を
食べずにきたかもしれない。
今日紹介する吉村昭もそうで
その作品の何作かは読んできたが
吉村昭の記録文学のジャンルの作品を
どうも読みこぼしてきたようだ。
今頃になって
あわてて読んでいる次第。
今日紹介するのは
『高熱隧道』。
これも読みごたえ十分な作品。
じゃあ、読もう。

吉村昭が亡くなったのは2006年7月だから、もう10年以上経ったことになる。
それでもその作品は決して古びていかないのは、吉村が描いたのが単に歴史の真実というだけでなく、人間が持っている根幹であったからだろう。
戦争が拡大しつつある昭和11年、黒部渓谷に発電所を作るべく、大自然の驚異に挑んだ男たちを描いたこの作品は、記録文学というジャンルではあるが、登場する人物は吉村の創作である。
そのことを作品の「あとがき」に「私の主題を生かすために高熱の充満する隧道工事をかりて、それと接触した人間を描きたかった」と記している。
そうまでして吉村が描きたかった「主題」とは何だろう。
それは「なぜ人間は、多くの犠牲をはらいながらも自然への戦いをつづける」のかといったことだともいえる。
この物語の主人公たる本工事の課長という立場にある藤平の心の内を借りながら、吉村は理屈ではない「隧道貫通の単純な欲望」と見ている。
えらそうはことをいうのではなく、掘りさぐれば、そこに人間のどろどろとした欲望が誰の中にもある。
吉村昭が多くの作品で描こうとしたのが、それではなかっただろうか。
ちなみにこの物語の舞台となる黒部発電所は「第三」で、のちに「黒部の太陽」として描かれる黒部は「第四」である。
「隧道」は「ずいどう」と読む。簡単にいえばトンネルのことで、この工事で掘り進めた隧道内はダイナマイトが自然発火までするほどの高温度だったという。
この工事による犠牲者数は300名を超えていた。
(2018/03/30 投稿)

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今年にはいって
遅まきながらのアガサ・クリスティーのデビューを
果たして
先の『オリエント急行の殺人』に続いて
今回は
読んだことがなくても
そのタイトルはほとんどの人が知っている
『そして誰もいなくなった』。
もし、中高生の皆さんが
このブログを読んでいたら
この本は絶対オススメ。
私なんか
中高生から随分年がたちましたが
こんな素晴らしい読書体験も
久しぶり。
あなたの読書体験が変わりますよ。
じゃあ、読もう。

あまりに有名な、アガサ・クリスティーの代表作。
有名だからといって、安易に結末を語るのは野暮というものだろう。
長い物語のプロローグともいえる出だしから読者をひきつける手腕はさすがというしかない。
それぞれが何の関係性もない老若男女10人がオーエンと名乗る人物からの求めに応じてインディアン島に集まってくる。
彼らは彼らだけの物語を持っていて、その片鱗がこの招集場面だけで見えてくる。
読者の気分はすでに名探偵だ。
この中に怪しい人間はいないか。
あるいは、この10人には『オリエント急行の殺人』のように関係があるのではないか。
もちろん、そんなに簡単にとけるはずはない。
何しろアガサの最高傑作なのだから。
インディアン島到着早々、彼ら10人がかつて犯した殺人や罪が何者かの手によって告発される。ここにきて、彼らの物語性がさらに深まる。
そして、彼らの部屋にかけられたマザー・グースの歌。その最初の歌詞は「十人のインディアンの少年が食事に出かけた/一人が咽喉をつまらせて、九人になった」、その通りに最初の殺人が起こる。
やがて、その童謡の通り、次々と人が死んでいく。
読むのをやめられなくなるというのはそうあるものではない。
それでも、あまりにいいと自分で読書のペースを抑えたりすることもあるが、この作品に限っていえば、やめられなかった。
どうなる、どうなると、アガサの魔力にすっかりやられた。
その結末もまた同じ。
でも、これってちょっと。
(2018/03/29 投稿)

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03/28/2018 ウィニー・ザ・プー(A.A. ミルン/阿川佐和子):再録書評「こちらのくまさんもどうぞ」

昨日、マイケル・ボンドさんの
『くまのパディントン』を紹介したので
せっかくですから
もっと有名なくまのお話を
こちらは再録書評で
紹介します。
A・A・ミルンの「くまのプーさん」ですが
紹介するのは
2014年に出た
阿川佐和子さん訳の
『ウィニー・ザ・プー』。
『くまのプーさん』としては
石井桃子さんが訳した作品があまりに有名だったので
こういうタイトルになったのでしょうね。
今回再録するにあたって
書評タイトルは変更しています。
じゃあ、読もう。

海外の古典が新しい人の新訳で翻訳される潮流が続いている。
新潮社が刊行を始めた「新潮モダン・クラシックス」も、そのひとつ。
最初の2冊は児童書というのもうれしいし、訳者も馴染みのある人をあてている。
2冊のうちの一冊が、タレントでエッセイストの阿川佐和子さんが訳したこの本である。
もちろん、石井桃子さんの訳の『くまのプーさん』で、広く読まれてきた作品だ。
今も岩波少年文庫の代表作として、人気が高い。
しかし、『くまのプーさん』は新潮社としてもゆかりのある作品だ。
新潮社の看板でもある新潮文庫の一冊として昭和17年(1942年)に刊行されているのだ。新潮文庫版の訳者は、石井桃 子さんではなく、松本恵子さん。タイトルは『小熊のプー公』だったそうだ。
「○○公」という言い方に時代を感じる。
そんな新潮社から出た阿川新訳の題名は、カタカナ表記になっている。
あまりにも『くまのプーさん』というタイトルが浸透しているから、カタカナ表記にするとそれが石井桃子さんが訳した同じ原作のものとは思わないかもしれない。
新訳ということで新しさを強調したかったのだろうが、ここは『くまのプーさん』でよかったのではないだろうか。
こういう新訳がでた場合、特に旧訳があまりに有名な時は、この言い方が違うとかあのニュアンスが合わないとかつい言いたくなるものだ。
けれど、そういう読み方は普通の読者はあまりしない。
阿川佐和子さんが訳した『くまのプーさん』を純粋に楽しめば、それでいいのではないだろうか。
ずっと以前に、それは昔といってもいいくらいの歳月だが、石井桃子さん訳の『くまのプーさん』を読んだが、そのなかの一文一句を覚えていることはない。
まったく新しい物語として、阿川佐和子さん訳の『くまのプーさん』を楽しむべきだ。
先に書いてしまえば、とても面白かった。
これも変な既視感だが、挿話ひとつひとつにディズニーのアニメの一場面が目に浮かんだのも、読書として幸福であったかどうかはわからない。
ただ、この物語がいつ読んでも誰の訳であれ、ユニークで晴朗なものだというのは、やはり原作の力だと思う。
『くまのプーさん』、ここでは『ウィニー・ザ・プー』はそれほど面白い物語なのだ。
(2014/05/28 投稿)

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先日、CSで
2014年に公開された映画「パディントン」を
見ました。
この原作が確か児童文学にあることは
知っていましたが
その内容は知りませんでした。
映画があまりに面白かったので
原作を読んでみようと
図書館で借りて読んだのが
今日紹介する
マイケル・ポンドさんの『くまのパディントン』。
映画とは随分違いましたが
こういう愉快な本を
子供の頃に読んだ人って
仕合せだろうなって
思いました。
春休みにはいって子供たち。
この本、面白いよ。
じゃあ、読もう。

世界で一番有名なクマといえば、フィギアスケートの羽生結弦選手も大好きな、あの黄色いクマ、「クマのプーさん」だろうか。
原作はイギリスのA・A・ミルンが1926年に発表した児童文学。
実はもう一頭、世界中から愛されているクマがいる。
それが、マイケル・ボンドが1958年に発表した、これもイギリスの児童文学である。
日本で松岡享子さんによって翻訳されたのが1967年。
以来、パディントンはプーさんにまけないくらいの人気者なのだ。
このパディントンという名前はイギリスの駅名からつけられている。
最初このくまをブラウン夫妻が見つけたのが「パディントン駅」のプラットホームだったから。日本でいえば、「シブヤ」とか「シンジュク」なのでしょうか。
偶然出会ったこのくまはなんと英語が話せるのです。しかも、「暗黒の地ペルー」から密航してきたというのです。
そこでブラウン夫妻は自宅にこのクマを連れて帰ることになります。
いくら英語が話せるといっても、しょせんくま。
やることなすこと、大騒ぎのたねをまいているようなもの。
それでもブラウン一家は決してこのくまを家から追い出そうとはしません。
なんとも幸福なくまであることはまちがいありません。
それにしてもイギリスは児童文学の宝庫です。
子どもの頃から、こんなにかわいいくまが何頭もそばにいるのですから。
きっと「プーさん派」とか「パディントン派」とかあったりするのでしょうか。
そうやって教室にたちまち騒動がおこるのも楽しそうです。
(2018/03/27 投稿)

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03/26/2018 満開の桜を見ながらニンジンの種を蒔く - わたしの菜園日記(3月25日)

天気もよかったですし
花見をされた人も多かったのでは
ないでしょうか。
東京の花見の人気スポット
目黒川の桜も
上野公園の桜も
まさに見頃。
花もよかったですが、人も多かった。
それで疲れてしまうことを
花疲れといいます。
美しい季語です。
川を見て坐れる母や花疲れ 北澤 瑞史
桜は毎年見ていますが
それぞれの年に思い出がのこります。
だから、この句はとてもいい。
さまざまの事おもひ出す桜かな 松尾 芭蕉

ほぼ満開。
せっかくなので桜の景を。

こちらの奥には
さいたま新都心の高層ビルが。

そして、畑と桜。

もう一枚は
畑でトウダチした菜の花と桜。

春ならではの光景も
畑ならでは。

桜以外にも
いろいろ花をつけはじめました。
こちらはスナップエンドウの花。

そして、
こちらはイチゴの花。


ニンジンの種を蒔きました。

横に見えているのは
ニンジンの種まき用スケール。
2cm間隔で種が播けるようにしてあります。

トウモロコシはかわいい芽を
出してくれました。


花見をしながらのカレー大会。
きっと散りはじめの桜を楽しめるでしょう。

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03/25/2018 これは本(レイン・スミス/訳 青山南):書評「子供たちの不読率を改善するために」

さいたま市の図書館協議会では
図書館の活動内容について
さまざまな意見を交換していますが
その中で
今日書評にも書きました
子供たちの「不読率」の話が出ました。
図書館でも
子供たち向けのさまざまなサービスを提供していますが
本当の本好きの子供の育成とは
なっていかないのが
残念です。
いつでも
子供たちの、若者たちの元気な姿であふれている
そんな図書館であればいいですね。
そこで、
今日はレイン・スミスさんの『これは本』という
絵本を紹介します。
この絵本は
3月の読書会で教えてもらった絵本です。
じゃあ、読もう。

「不読率」という言葉があります。
これは一ヶ月に本を一冊も読まない児童・生徒の割合で、平成28年度では高校生57.1%、中学生15.4%、小学生4.0%という数字が出ています。
これに対して、この率を改善しようと目標値も掲げられていて、平成34年度に高校生26%以下、中学生8%以下、小学生2%以下という、かなり高い目標となっています。
小学生の不読率の割合が低いのは、「朝の読書運動」効果だといえます。
それでも、その運動が徹底されていない小学校があったりすると、しかもそれが大きな学校であればあるほど不読率は高くなってしまいます。
さらに問題は学年があがるにしたがって、その率があがっていることです。
もしかしたら、子供たちは本の魅力にはまって「朝の読書運動」をしているのではなく、仕方なくしているだけかもしれません。
小さい頃に本にはまった人はいつまでもその癖が抜けないものですから、子供たちには出来るだけ良書を読んでもらいたいものです。
この本はタイトルのとおり、本の絵本です。
パソコンの得意なロバくんと本が大好きなサルくんの、奇天烈な本についてのやりとりが描かれています。
本なんか知らないロバくんはマウスがなかったりスクロールができない本が不思議でたまりません。
しかも、本にはたくさんの字があるではないですか。
でも、読み始めると、時間を忘れるくらい夢中になってしまう、それが本。
きっとこの世界には多くのロバくんがいます。
ただちょっと本の面白さを知らないだけ。
この絵本のロバくんのように。本に夢中になってくれればいいのですが。
(2018/03/25 投稿)

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03/24/2018 東京最後の異界 鶯谷(本橋 信宏):書評「鶯谷駅で降りて下界を見れば」

今週は俳句とか正岡子規の本とか
紹介してきたので、
その最後は正岡子規つながりで
子規庵のある鶯谷の本を
過激に紹介しましょう。
本橋信宏さんの
『東京最後の異界 鶯谷』。
正岡子規の子規庵といえば
俳句愛好者にとって
聖地ともいえるところ。
私も何度も行きました。
そして、そこにいけば
目に入るのが
ラブホテルの数々。
そこで繰り広げられる男と女の…。
この本はその「…」が描かれた
ルポタージュ。
じゃあ、読もう。

「鶯の鳴きさうな家ばかりなり」。明治の俳人正岡子規の句である。
正岡子規の終の棲家となった東京・根岸のあたりは江戸時代鶯の名所として知られたところで、ほかにも「鶯や垣をへだてて君と我」といった句も詠んでいる。
子規の家は「子規庵」と呼ばれ、子規や俳句を愛する人たちが今でもひっきりなしに訪れる根岸の名所である。
「子規庵」を訪ねる人はどのようなルートをたどるのだろうか。山手線の日暮里から老舗羽二重団子屋の前を通っていくか、それとも鶯の名を残した山手線の鶯谷を降車して、ラブホテル街をぬけてたどりつくか。
いずれにしても「子規庵」の周辺にもラブホテルは乱立しているのだから、子規が生きていたら驚くにちがいない。まさか「鶯や垣をへだててラブホテル」とは詠まないだろうが。
山手線の「鶯谷」駅周辺にはそれほどにラブホテルが多い。
山手線に乗っていてもそれはわかる。
ちょうど北口と南口に挟まれる形であるし、さらに膨張して「子規庵」周辺にまでそれは広がっている。
このルポタージュはそんな街「鶯谷」の風俗を描いた作品である。
もちろん「子規庵」があるように、何故かこの街には老舗の甘味処や豆富料理で有名な「笹乃雪」などもあって文化度も高い。
なのでこの街を語る時には当然それらは外せないが、そういう趣向でこの本を開くと驚くはめになる。何しろここは「東京最後の異界」なのだから、その風俗は流行の先端をいっている。
せっかく子規の俳句から始めたので、詳しくは書かないことにする。
「鶯谷」を行くのは面白いかも、色んな意味で。
(2018/03/24 投稿)

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03/23/2018 百年泥(石井 遊佳):書評「これが「芥川賞」です」

今日は
第158回芥川賞受賞作2作のうちの
石井遊佳(ゆうか)さんの
『百年泥』を
紹介します。
もう一つの
若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』は
すでに読み終えていて
さてもう一作はどうかなと
読んだのですが
読み難さというか
本の売れ行きでいえば
若竹千佐子さんの方に完敗するでしょうね。
きっと読みたいという気持ちが
わかないのでは。
でも、だからといって
良くないわけではない。
文学性ではこの作品の方が
高いのではないかしら。
そんなことを
考えてしまった一作でした。
じゃあ、読もう。

第158回芥川賞受賞作(2018年)。
ご存じの通り、今回の芥川賞は石井遊佳(ゆうか)さんのこの作品と若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』の2作受賞であった。
選考の経緯は「文藝春秋」3月号に掲載された「選評」である程度わかるが、奥泉光委員によれば若竹さんの作品は「選考委員のほぼ全員がこれに票を投じて、開始早々に受賞」が決定したようだ。
ならば、若竹さん一本の受賞でいいものを、石井さんのこの作品も受賞作にするというところが芥川賞の不思議なところで、石井さんの作品は出来とすればいうところはないが「芥川賞」(とあえて「」付きで書くが)としては物足りなかったのではないか。
そして、2作が決まって宮本輝委員は「納まるべきところに納まったという安堵感があった」と選評に書いた。
この安堵感こそ、石井さんの作品が持っている「芥川賞」独特の文学性が生み出した賜物であろう。
芥川賞には時に(というかかなりの割合で)意味が不明な作品がある。
この作品もそうでインドで日本語教師として暮らす女性が百年に一度という大洪水にあうことで、その泥の中から人間の業のようなものが噴出してくる。
若竹さんの作品が言葉の洪水であるとしたら、この作品は事象の洪水とでもいえばいいのだろうか。
何人かの選評に「マジックリアリズム」という言葉が出てくる。「神話や幻想などの非日常・非現実的なできごとを緻密なリアリズムで表現する技法」らしいが、こんな言葉が選考会の席で飛び交っているところが「芥川賞」だろう。
なんとなく青臭い文学青年っぽいでしょ。
(2018/03/23 投稿)

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03/22/2018 正岡子規 言葉と生きる(坪内 稔典):再録書評「横丁で遊ぶ子供のように」

俳句の本が続いたので
今日も正岡子規について。
このブログはさまざまなジャンルの本を
紹介していますが
正岡子規の本についても
すでにたくさん紹介してきました。
実は昨日紹介した『子規に学ぶ俳句365日』も
単行本で読んでいたのを
忘れていたくらいで
読み終わってから気がつきました。
やれやれ。
そうして調べると
たくさん正岡子規の本を
読んでいました。
今回はその中から
坪内稔典さんの『正岡子規 言葉と生きる』を
再録書評で紹介します。
じゃあ、読もう。

司馬遼太郎さんは正岡子規の文章について「呼吸の温かみのあるふだんの声で、しかもただの世事や、ほのかな心境が語られている」と、「言語についての感想」というエッセイのなかに書いています。
その文章にはつづきがあって、「子規は、横丁で遊ぶ子供のように、仲間をあつめてその共有化のためにささやかな文章改革運動をさえおこした」と記しています。
こうして私たちが日常何気なくなく使っている文章の端は正岡子規という、わずか34年の短い人生であった、明治人によって生み出されたともいえるのです。
坪内稔典さんのこの本は「言葉と共に生きた」正岡子規の生涯を言葉という点に焦点をあてたものです。
子規の短い人生ながら、「少年時代」「学生時代」「記者時代」「病床時代」「仰臥時代」と分け、それぞれの子規の思いを時々の文章とともに写し取っていく方法がとられています。
少年時代の子規は弱虫で、凧をあげたことさえなかったといいます。それほどの弱虫は大抵苛められるものですが、子規は「言葉による表現活動」で多くの仲間を集めます。そのことは、子規の生涯続きました。
このエピソードは、漫画の神様といわれた手塚治虫を想起させます。手塚もまた少年時代弱虫でした。しかし、子規と同じように手塚も「漫画による表現活動」で人気者となります。
言葉であれ漫画であれ、表現することで少年たちの空想の世界を大きく開いたにちがいありません。
坪内さんは子規の最後の場面に注目しています。それは子規の弟分であった碧梧桐と虚子が書きとめた、子規の母親の言葉です。
死んでいった子規の骸に「サア、も一遍痛いというてお見」という「母の言葉が最後の最後に子規の言葉と響き合った」と書いています。坪内さんの感傷に近い文章ながら、子規がめざした文章改革がここに極まったと思わせるいい文章です。
正岡子規は「言葉と関わることで」育ち、そして病床にあって「書くことでその状況を離れて」いきます。そういう生き方そのものが、正岡子規という明治の人をいつまでも愛してやまない人にしているのではないかと思います。
(2011/02/07 投稿)

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03/21/2018 子規に学ぶ俳句365日(『週刊俳句』編):再読書評「正岡子規の俳句を堪能する」

今日は春分の日。
昨日正岡子規の
毎年よ彼岸の入に寒いのは
という俳句を紹介しましたが
確かにこの句には前書があって
「母の詞(ことば)自ら句になりて」と
あるそうです。
そのことは
今日紹介する
『週刊俳句』編の『子規に学ぶ俳句365日』に
載っています。
永六輔さんも
たくさんの俳句を詠んでいましたが
正岡子規はそれ以上。
詠んで
詠んで
だからこそ名句が残せたんでしょうね。
この本は単行本で
2012年2月に読んでいます。
だから、これは再読です、文庫本ですが。
じゃあ、読もう。

プロの写真家の撮影風景を見ていると、何度もシャッターを押していることに気づかされる。同じ被写体でありながら、シャッターを押すことをためらわない。
その点、素人の私たちはたった一度シャッターを押して、それでいい写真を撮ろうというのだから、どちらがプロなのかわかりはしない。
フィルムの時代であればシャターを押すことでフィルムを無駄にすることもあったが、今はデジカメ、スマホカメラの時代である。
プロ並みにシャッターを押すことはできる。
そこからこれはという一枚が生まれるのではないか。
俳句もよく似ているかもしれない。
近代俳句の先駆者である正岡子規はその生涯がわずか34年ということもあって、俳句に携わった期間はわずか15年あまりだという。
それでいて子規が詠んだ俳句は二万句にのぼるという。
まさに子規はシャッター押しの名人だったことがわかる。
その中から、タイトルのとおり365の俳句を関係するであろう日付で並べたのが本作品である。
子規の句に若手俳人9人が短評をつけているので、単に俳句鑑賞だけでなく、子規の人生や子規の人間関係までもうっすらとわかる構成になっている。
例えば子規が亡くなった9月19日にはもちろん子規絶筆のひとつ、「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」が挙げられているが、残りの二つの句もこの短評のなかにしっかり載っている。だから、実際には365句以上の子規の俳句がこの作品には収められていることになる。
それでも、子規が詠んだ俳句は膨大である。
だから、子規は俳人になれたのではないか。
(2018/03/21 投稿)

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03/20/2018 六輔五・七・五(永 六輔):書評「これは永六輔さんの俳句集です」

俳句の世界では
単に「彼岸」といえば、
まさに今この時期の春の彼岸のことをいいます。
なので、秋の時は
わざわざ「秋彼岸」と詠まないといけません。
毎年よ彼岸の入に寒いのは 正岡 子規
彼岸といえば
この句が浮かびますが
正岡子規の母の言葉でしょうか、
なにげない言葉を見事に俳句として詠み込んだところに
この句のすごさがあります。
彼岸に入ったので
永六輔さんの句集
『六輔五・七・五』を
紹介しましょう。
じゃあ、読もう。

永六輔さんが亡くなったのが、平成28年七月七日。
さすが六輔さんだけあって、亡くなる日にも数字にこだわったか。
そんな六輔さんが「五・七・五」といえば、俳句のこと。
「俳句を詠まなければどんなに楽しい会だろうか」と同じ句友であった柳家小三治がいったという「東京やなぎ句会」が始まったのが、昭和44年(1969年)。
当時の主なメンバーは江國滋、小沢昭一、桂米朝、加藤武と多士済々。
このあと、「話の特集句会」にも参加するようになったというので、六輔さんののめり込み度がわかるというもの。
何しろ六輔さんにいわせると、俳句のせいで作詞家までやめてしまったのだから、でもこれは本当かしら、俳人にもなろうとしたわけではないだろうに。
なにしろ、最初に詠んだ句が「煮凝をいれてみようと姫初め」と「元旦に別ればなしの老夫婦」というのだから、どこまで本気であったのか。
特に最初の句はいけない。
それは六輔さんもそう反省していたようで、この本に収まっているエッセイでもこの句を消してしまいたいと嘆いている。
ところが、六輔さんの生涯に詠んだ俳句の中から二千句あまりが選ばれて岩波書店というりっぱな出版社から出たこの俳句集でも、その冒頭がこの二句なのだから、もう消しようがない。
しかし、これはこれで、こんなところからスタートして、六輔さんの俳句が年を経るごとにうまくなっていくのは、読めばよくわかる。
俳句とは詠んでいるうちにその口あたりが俳諧仕様にもなるようだ。
だとしたら、先の二句もあっぱれな句といえるかもしれない。
(2018/03/20 投稿)

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03/19/2018 桜の開花宣言 - わたしの菜園日記(3月17日)

桜の開花も遅いと考えがちですが
逆なんですね。
深い睡眠ですっきりお目覚めというところでしょうか。
3月17日の土曜日に
東京で桜の開花宣言がありました。
私の畑のそばの桜の方はどうかとさがしてみたら
ありました、ありました
桜が一輪咲いています。

これからソメイヨシノが咲きほこりますが
すでに早咲きの桜は満開になっていて
これも近くで見つけました。

そして、
もっと目を見張ったのが
木蓮の花。

はくれんの一弁とんで昼の月 片山 由美子

辛夷(こぶし)。
実は辛夷にある野菜の格言があります。
わかります?
それがジャガイモ。
どんな格言かというと
辛夷が咲いたらジャガイモを植える合図。
つまり、まさに今。

先日の土曜にジャガイモを植えました。

タネイモを四つ植えて
その間に置き肥をします。
この置き肥の分量を間違って
あわてて夕方掘り起こしに行きましたが。
どのあたりに植えたか
その目印にヒモをひきました。

芽が出てくるか
楽しみです。

野菜も暖かくなって
トウダチが目立つようになりました。
これは畑で見つけたトウダチした野菜。

これは芽キャベツのトウダチ。
こちらはナバナ。

菜の花になっています。

こういうトウダチになってしまいます。
それはそれで
面白いというか
なかなか見られない光景ではありますが。

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03/18/2018 りきしのほし(加藤 休ミ):書評「おすもう大好き女子のことを「スージョ」っていいます」

大学受験に失敗して
予備校の試験を受けにいく途中に
大阪府立体育館があって
そこで大相撲の三月場所をやっていました。
色とりどりののぼりの横を歩きながら
なんともいえない
みじめな気持ちになってのを
覚えています。
もううんと昔の話です。
ちょうどいまその三月場所が行われていて
今日は中日です。
そこで今日は
加藤休ミさんの『りきしのほし』という
相撲絵本を紹介します。
のこった、
のこった。
じゃあ、読もう。

加藤休ミさんといえば、リアルなクレヨン画で有名ですが、人の表現というとリアルなものではなく、どちらかといえばヘタウマの範疇に入るのではないでしょうか。
食べ物と人物、そのギャップが面白いともいえます。
そんな加藤休ミさんがお相撲さんの世界を描いたのが、本作です。
昨年来より大相撲はごたごたが続いていますが、それでも相撲が大好きという、いわゆる「スージョ」も台頭しているほど人気が高い。
加藤休ミさんも「スージョ」なのかわかりませんが、好きでないとなかなかここまで描けないのではないでしょうか。
主人公は「かちかちやま」という力士。
絵の感じからすれば、若手というよりもうだいぶ年をくっているけれど、強くなれない、そんな力士です。
ただ食べることだけは人一倍で、おやつにこっそり肉まん三個も食べるほど。(ちゃんこ鍋とか肉まんともなれば、加藤さんのリアルな筆の見せどころ)
でも、いくらけいこをしても強くなれない。
時には「やめようかな」なんて悩んだりしてますが、そのあとにこっそりアイスをなめたりしてるので大丈夫そうです。
毎日けいこをかかさず、本場所を迎えます。
さあ、かちかち山は勝てるでしょうか。
おすもうさんというのは、まさに肉体勝負。
加藤休ミさんの絵も、土俵上の勝負となれば、目線を変えたりしておすもうさんの動きをよくとらえています。
料理でいえばシズル感でしょうが、おすもうさんなら汗感ですかね、やっぱり。
(2018/03/18 投稿)

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03/17/2018 翔ぶが如く 四(司馬 遼太郎):書評「大久保は西郷の大きさを恐れたのだろうか」

またNHK大河ドラマ「西郷どん」の話です。
視聴率は厳しそうですが
私は毎回楽しく見ています。
西郷隆盛役の鈴木亮平さんがいい。
篤姫役の北川景子さんもいい。
ところで
大久保利通ですが
まだドラマでは正助どんですね、
演じているのが瑛太さん。
これもいい。
配役もドラマも
申し分ないのに
視聴率が厳しいのはどうしてかな。
そんなことを考えつつ、
今日は司馬遼太郎さんの
『翔ぶが如く 四』です。
じゃあ、読もう。

明治維新はこと薩摩藩に限っていえば、西郷隆盛ひとりで成し遂げられたのではない。幼い頃より西郷の友であった大久保利通がいればこそであり、大久保にしても西郷がいなければこの歴史上の大事業は成し得なかったのはわかっていたはずだ。
だからといって、この二人がまったく同じ思いでいたかといえばそれは違うし、それは二人の性格の差といってもいい。
征韓論に敗れ、鹿児島に戻った西郷を追うように佐賀藩の雄江藤新平も明治七年佐賀の地で不平士族の反乱を起こす。いわゆる「佐賀ノ乱」である。
文庫本にして十巻に及ぶ長編の四巻めにあたる本書はその「佐賀ノ乱」から描かれている。
この時大久保は電光石火の対応で乱を鎮めるとともに、もと司法卿であった江藤をさらし首にしてしまうという暴挙に出る。
しかも、それを写真にして播いたというのだから尋常ではない。
大久保のそういうところが不人気の一端でもあるし、彼の暗殺への遠因にもなった。
この巻に西郷と大久保のことについて、こんな記述がある。
「西郷・大久保という、あれほど強い志を同じくし、双方互いの欠点も長所も知りぬいた仲の両人が仲を違えてしまうということは、両者をひき離してしまった歴史の物理力というものがなければならない」。
それを司馬は薩摩の高橋新吉の思いとして「廃藩置県」と書いた。
まさにそこから士族の不満が起こったし、西郷はそれを実行したにも関わらず、士族の感情を切り捨てることがなかった。
そんな西郷だということを大久保は知っていたから、江藤新平の斬首になったのだろうし、この巻の後半に描かれる台湾出兵という愚行に走ったのではないか。
(2018/03/17 投稿)

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03/16/2018 映画館物語 - 映画館に行こう!(高瀬 進):再録書評「思い出箱」

昨日大屋尚浩さんの
『日本懐かし映画館大全』を
紹介したので
今日は映画館つながりで
高瀬進さんの
『映画館物語 - 映画館に行こう!』を
再録書評で紹介します。
書評の中で
銀座並木座のことを書いていますが
今でもとっても懐かしい
名画座です。
時代が違うので
閉館も仕方がないでしょうが
できれば
ずっと残って欲しかった
映画館でした。
じゃあ、読もう。

「映画館を私は時々、思い出箱と呼ぶことがある」
私は大阪の地方都市に生まれ、育った。
その街の中心地にも邦画五社の専門館がすべて揃っていたが、どこか暗く汚い感じは否めなかった(六〇年代後半の頃の地方の映画館はみんなそういういかがわしさがあったのではないだろうか。今は懐かしいが)。
だから、洋画を観る時は大阪ミナミの繁華街に出ることが多かった。すべてに肩肘を張っていたような、高校生の頃である。
その当時観た映画で今でも忘れられないのが「愛とはけっして後悔しないこと」で大ヒットした「ある愛の詩」だ。
この映画を松竹座で観た。松竹座はこの本の中でも紹介されているが、大阪ミナミの映画館の中でも大きくておしゃれな映画館だった。そんな松竹座で観たのがいけなかったのかもしれない。周りがほとんどカップルばかりで、私は一人この悲しい恋愛映画を観た。
死んでいったヒロインよりも、つらい気分だった。
映画に夢中になった高校生の私は「キネマ旬報」という映画雑誌を購読し、いっぱしの映画青年きどりだった。その雑誌に載っていた東京の映画館の上映番組を観てはため息をついていた。
銀座並木座、池袋文芸座、渋谷全線座、飯田橋佳作座…。それらの映画館は当時の私にとって、綺羅星のような存在だった。大学を東京にしたのも、そんな映画館に行きたかったからかもしれない。
上京して初めて行った、銀座並木座。
観た映画は黒澤明の作品だったように思うが、それ以上に並木座という映画館そのものが記憶に残った。想像した以上に狭い館内、小さな銀幕、観客の熱気。そして、上映番組の情報を載せた並木座の小さな冊子は、今でもどこかに仕舞われたままだ。
肩まで髪を伸ばした、学生時代の私の写真とともに。
そんな並木座も、黒澤明の死と同じ年の九八年秋に閉館した。
青春の映画館。
この本に紹介された多くの映画館の写真を見ながら、私はしばし青春の日々を彷徨した。
あの頃、どうして私は映画館が好きだったのだろう。
あの暗闇と光の中に映し出された夢の数々。夢を見る時間はいくらでもあった。
多くの夢をなくしたように、今はそんな時間さえ失ってしまっている。
次の休日には、久しぶりに映画館に行ってみようかな。
(2003/03/30 投稿)

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03/15/2018 日本懐かし映画館大全(大屋 尚浩):書評「映画館には人を魅惑するものがきっとある」

有楽町の駅前にあった
TOHOシネマズ日劇が閉館になって
寂しくなったが
日比谷はなんといっても映画の街。
そこに3月29日にオープンするのが
TOHOシネマズ日比谷。
なんとここは11スクリーンで
全部で2300席というから
すごい。
一度は行きたいもの。
そこで
今日は新しくはないけれど
懐かしい映画館を紹介する
大屋尚浩さんの『日本懐かし映画館大全』を
読んでみました。
じゃあ、読もう。

私が生まれ育った大阪の地方都市にも昭和30年代には映画各社の専属映画館があって、だから5つばかり小屋があったように記憶している。
高校生になって行動範囲が広くなると、大阪ミナミの繁華の映画館まで足を向け始めた。
その頃が洋画と呼ばれる作品との出会いであった。
そうしてすっかり映画の魅力にはまって、「キネマ旬報」に掲載されていた東京の名画座のラインナップに誘われるようにして、上京することになる。
あの頃、映画館の暗闇はどうしてあんなに魅力的だったのだろう。
あの暗闇があって、どんなにたすけられたことか。
映画館には人を魅惑するものがきっとあるのだろう。
この本の作者大屋尚浩さんもその一人だ。1964年生まれというから私より10歳ほど若いが、観た映画はよく似ているのは同時代感覚なんだろう。
というのも、この本には大屋さんが収集している前売り券とかパンフレットなんかも載っていて、それだけであの頃、60年代から70年代が彷彿とされるのだ。
しかも、大屋さんの映画館にかける情熱は都会だけにとどまらず、全国、どうしてこんなところに映画館があるのっていう小屋まで取材を敢行しているから、映画館愛は半端じゃない。
読んでいて気がついたが、結構多くの映画館がすでに閉館においやられている。
町から本屋さんが消えているように映画館もまちがいなく消えている。
その一方で新しい映画館が誕生しているのも、本屋さんによく似ている。
そういえば、映画館も本屋さんも夢にあふれているのも同じだ。
(2018/03/15 投稿)

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03/14/2018 キャラクター大全 特撮全史1950-60年代:書評「男はいつでも少年のまま」

こんなご機嫌な本はない。
今日紹介するのは
『キャラクター大全 特撮全史1950-60年代』。
私の子供時代に見た
映画とかテレビとかが満載で
特にテレビ編では
いいたいこと山ほどあります。
実写版の「鉄腕アトム」は見たことがありますが
実写版の「鉄人28号」は
知らないんだな。
「マグマ大使」は大好きで
よくマネして遊んだものです。
もうっ、うれしくなっちゃう。
じゃあ、読もう。

表紙のキャラクターたちを見ているだけで胸躍るのは、まだ私の中に少年の時間が残っているからだろうか。
ウルトラマンにゴジラ、マグマ大使、モスラ、ガメラもいればウルトラセブンも。月光仮面も懐かしいし、怪獣ブースカはどうしてあんなにユニークだったのだろう、なんてとめどもなく湧き出してくる。
この本は1954年(昭和29年)に封切りされた「ゴジラ」を皮切りに、50年代と60年代、つまりは昭和30年代から昭和40年代なかばまで、子供だけでなく大人まで夢中にさせた特撮を使ったキャラクターを一挙公開した、その頃少年だった読者(つまり私)を夢中にさせる、ご機嫌な一冊なのだ。
まず映画があって、もちろんメインとなるのは「ゴジラ」シリーズだが、記憶に残っているのは1967年封切りの「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」で、ミニラが登場する映画で、きっとそのあたりからゴジラ映画は当初の怖いイメージが薄れていったと思う。
それでも見ている観客が幼児化していっていたのだから、仕方がないかもしれない。
映画編が終わったあとはテレビ編で、これはもう涙がでるくらい懐かしい。
実写版の「鉄腕アトム」が放映された1959年あたりは「まぼろし探偵」(今見るとパンダも驚く凄い仮面)「少年ジェット」「豹(ジャガー)の眼」と、名作ぞろいだ。
特に好きだったのは「豹の眼」。正義のジャガーと悪のジャガーの対決なんかどきどきハラハラしたものだ。途中で日本編になってしまうのも、ユニークというしかない。
つまりこの本さえあれば、タイムマシンもいらない。
いつだって、男は少年に戻れるのだ。
(2018/03/14 投稿)

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03/13/2018 ペコロスの母の忘れもの(岡野 雄一):書評「人に歴史あり」

今日は
岡野雄一さんの『ペコロスの母の忘れもの』を
紹介します。
この本は基本、漫画ですが、
中に5編のエッセイも収められています。
その中のひとつが「母ちやんは兄ちゃんばひいきする」は
兄と弟の
それぞれの鬱屈が描かれていて
読ませます。
兄は兄で
母の横で楽し気に話する弟をうらやみ、
弟は弟で
エッセイのタイトルのような思いで
ずっと過ごしてきた。
兄と弟も
悩ましい関係です。
じゃあ、読もう。

岡野雄一さんの「ペコロス」シリーズと呼びたくなるほど、話題となった『ペコロスの母に会いにいく』からもう何冊も「ペコロス」と名のつく本が刊行されている。
最初は母の介護の様子をコミカルに、時に切なく描いた作品であったが、作品刊行のあと、平成26年にその母が91歳で亡くなってからは、母の思い出だけでなく、若い時には酒乱で母に包丁まで向けた父が年老いて穏やかになっていく様や弟との関係など、岡野さんの生活そのものを描いてきた。
この作品集に収められているエッセイ「扉を叩くオバアサン」の最後に、岡野さんは「くり返し書きたいのです、いまだに母の、いや両親の、掌の上に居る、と」と書いていますが、「掌の上」というのは岡野さんの謙遜で、岡野さんがしっかりとつないだ両親の手であり、家族の手であり、親戚や友人たちの手、つまりは大きなつながりだと思います。
さらにいえば、つながるということは歴史でもあります。
本作の中で長崎に投下された原爆で幼い妹を亡くした父の悲しみも描かれていたり、子供の頃に病気で命をおとした母の幼なじみのことも描かれていたり、私たちは今だけであるのではなく、生まれた時からつながる時間もまた、多くの作品で描かれています。
すでに、母の介護漫画ではなく、人としてのありよう、過去現在未来とつながる時間軸までもを描く、壮大な作品に仕上がっています。
それにしても、母みつえさんのなんと優しい笑顔はどの作品でも変わることはありません。
(2018/03/13 投稿)

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03/12/2018 今年のトウモロコシはどうだろう - わたしの菜園日記(3月11日)

駅までの道とかに
いつもと違う路地を入るのは
嫌いではない。
先日そんなところで見つけた
木瓜の花。

口ごたへすまじと思ふ木瓜の花 星野 立子

どんよりとして天気で
そういえば7年前の3月11日も
そんな天気だったことを
思い出していました。
あの日はまだ寒かった。
予定していた畑作業は
そんな天気でもあるし
その前に結構大きな雨が降ったので
とりあえず
先日黒マルチを張った畝に
トウモロコシの種だけは蒔きました。

写真の奥に見えているのが
タマネギとニンニク。
収穫までまだまだ。

キャベツのわき芽。

だいぶ大きくなりましたが
さて、食べられるほどに大きくなるのかな。

ジャガイモの植え付け。
そろそろしないといけないのですが。
そういえば、
NHKテキスト「やさいの時間」3月号(NHK出版・669円)には
ジャガイモの植え付け方法が
載っています。
それに
この号には
100種類の野菜の栽培カレンダーもついていて
いつの時期に何を育てたらいいかが
わかりやすくまとめられています。
それに100種類も紹介されているので
まだ育てていない野菜を知るには
いいですよ。

ジャガイモ植えられたら
いいのですが。

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03/11/2018 春を恨んだりはしない 中公文庫版(池澤 夏樹):書評「生き残った者として」

あれから7年。
2011年3月11日に起こった
東日本大震災から7年という月日が
流れました。
あの日から
多くの東日本大震災関連本を読んできましたが
この池澤夏樹さんの
『春を恨んだりはしない』は
再読しようとずっと思ってきた一冊です。
今回は中公文庫となった作品で
再読をしました。
その中で
池澤夏樹さんはこんなことを書いています。
亡くなった人たちを中心に据えて考えれば、
我々がたまたま生き残った者でしかないことは明らかだ。
生き残った者として
誇れる7年であったか
もう一度考える必要があるかもしれません。
政治のこと
原子力のこと
地方のありかた、
この国の未来のこと。
じゃあ、読もう。

あの日、2011年3月11日、あの時、午後2時46分、のちに東日本大震災と名付けられることになる大地震が東北地方を襲った。その地震に続いて大津波が関東から東北にかけての沿岸地域に到達し、2万人近い死者と行方不明を出した。
そのあと、作家の池澤夏樹は何度か被災地を訪ねたり、ボランティア活動に参加した。それらを通じて、あるいは池澤がそれまで経験してきたことから、考えたいくつかのことをヴィスワヴァ・シンボルスカという詩人の詩の一行からとったタイトルのエッセイにまとめ、2011年9月に刊行した。
その二ヶ月後、青森の三沢から福島のいわきまでの三陸地方を縦断した記録を「東北の土地の精霊」と題して、雑誌「考える人」の2012年春号に掲載する。
そして、2016年1月、単行本のエッセイと雑誌に掲載した文をまとめて、中公文庫の一冊とした。この時、「東北の土地の精霊」は「東北再訪」と変更された。
だから、この文庫本には2011年8月に単行本のために書いた「書き終えて」と、文庫化にあたって2015年12月に綴った「文庫版のためのあとがき」という2つの文章が掲載されている。
特に後者の「あとがき」は震災から四年と三カ月を経て書かれたものであるから、「この五年の間に事態は想像もしないほど悪い方に動いた」と書かざるをえなかった作家の苦悩がにじみでて、その時からさらに2年を過ぎた2018年にそれ以上の「悪い方」に私たちは向かっていったかもしれないと、暗い気持ちにならないわけではない。
しかし、それでもこの「あとがき」の最後に、「我々はやはりあの日に何かを学んだのだろう」とある池澤夏樹の言葉を信じて、これから先も、春を恨むこともなく、前に進むしかないのではないだろうか。
(2018/03/11 投稿)

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03/10/2018 死の淵を見た男(門田 隆将):書評「あの日あの場所で戦い続けた人たちの物語」

またあの日がやってきます。
3月11日。
7年前の2011年のこの日、
私たちは経験もしたことのない
大きな悲しみと
原発事故という
いわれのない恐怖を知ることになります。
あれから7年経って
すべてが解決したわけではありません。
特に原発事故は
これからも何年も何十年も
未来にこうべを下げ続けるしかありません。
ただ、あの時
それでも懸命に戦った人たちがいることも
忘れてはいけません。
今日紹介するのは
門井隆将さんが
2012年12月に刊行した
『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』。
じゃあ、読もう。

泣いてはいけない、そう思っていた。
この作品、2011年3月11日に起こった東日本大震災をきっかけにして起こった福島第一原子力発電所の事故とその危機迫る現場で何が起こっていたかを描いたノンフィクション作品は、原子力エネルギー政策に走ったこの国の政治と多くのことを利益優先で怠った東京電力という大企業が為した結果を冷静に読まないといけないと思いつつも、全22章の最後の3つの章、「家族」「七千羽の折鶴」「運命を背負った男」に至ると、もう涙が止まらなかった。
人災とまでいわれる原発事故。あれから7年の歳月が過ぎても故郷に帰れない多くの避難者がいる現実。あれだけの事故があってもまだ原子力はこの国の重要なエネルギー源であり、経済の資源であり続けている。
そういう批判の描き方はさまざまあるだろうが、この作品で描かれているのは原発事故の「悲劇の実態」だけではない。
その「悲劇」に命をかけて挑んだ人たちの物語がここにある。
あの日刻々で変化していく福島第一原発はまるで悪魔の生き物であった。
それに挑んだ吉田昌郎氏(彼はこの時所長という立場で現場を指導。しかし、この本が刊行されたあと、2013年7月、58歳で死去)をはじめとした東電の社員、協力会社の人たち、自衛隊の隊員たち、彼らは死の恐怖に直面しながらも、必死になって最大規模の事故だけは防ごうとした。
その思いを著者の門田氏は「何か」と書いた。
「それが使命感なのか、責任感なのか、それとも、家族と故郷を守ろうとする強い思いなのか」、それでも表現できない「何か」。
その「何か」は福島第一原発だけではない。
東日本大震災に直面した多くの日本人の心に宿った、「何か」だったと思う。
(2018/03/10 投稿)

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03/09/2018 さぶ(山本 周五郎):書評「二人が渡った雨の両国橋は誰もが渡る青春の橋」

やっと読むことができました。
山本周五郎の、この『さぶ』は
中学か高校の時から
気になっていた作品で
読了まで
半世紀もかかってしまいました。
もしこの作品を
15歳の時に読んでいたら
もう少し感想も違うでしょうが
そして
それはとても残念ですが
でもこうして
この作品を読めたことを
純粋にうれしく思います。
いい作品でした。
じゃあ、読もう。

まず書誌的なことから。
山本周五郎の代表作のひとつ(代表作といっても数多く、どれが一番とは言い難いだろうが)であるこの作品は、昭和38年1月4日号から7月5日号に連載された。周五郎、60歳の時である。
山本周五郎は昭和42年に63歳で亡くなっているから、晩年の名篇といってもいい。
この作品が新潮文庫に収められたのが昭和40年12月、単行本からわずか2年で文庫化されたことになる。
「小雨が靄のようにけぶる夕方、両国橋を西から東へ、さぶが泣きながら渡っていた。」という有名な書き出しで始まるこの作品は以前は「新潮文庫の100冊」にもはいっていたが、残念ながら最近ははいっていない。
もちろん、だからといって、この作品の価値を下げるものではない。
この泣きながら渡っていたさぶの後を追って栄二という少年がやってくる。二人は同い年の仲良しで、ともに同じ表具屋で奉公している若者。
さぶが不器用ならば栄二は腕が立つ。さぶがぼんやりしていれば、栄二は目先がきく。
対照的ながら二人は仲がいい。
年を経て、栄二は仕事先の大店から盗みの嫌疑をかけられてしまうことになる。
自身の潔白を証明しようと大店にかけあうが、ゆすりたかりの類とさらに油を注ぎ、犯罪者の扱いを受けることになる。
そんな栄二をさぶはおいかけまわすようについていく。
栄二に起こるさまざまなことが栄二という人間をこしらえていくのであるが、だからこそこの作品は永遠の青春小説として評価されているのかもしれない。
(2018/03/09 投稿)

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03/08/2018 ぶらぶらミュージアム(大田垣 晴子):書評「あこがれの街東京」

先日「至上の印象派展」で
東京・六本木の国立新美術館に行ってきたばかり。
なので
今日紹介する大田垣晴子さんの
『ぶらぶらミュージアム』は
まだその余韻の冷めやらない
ご機嫌な一冊でした。
この本には45のミュージアムが紹介されていますが
その中に
さいたま市北浦和にある
埼玉県立近代美術館も載っていて
(ここも黒川紀章氏設計)
地元住民として
うれしい限りであります。
全部のミュージアム制覇したいな。
じゃあ、読もう。

東京六本木にある「国立新美術館」は日本で5つめの国立美術館として2007年にオープンした。
建物のデザインは黒川紀章氏で、ガラス張りの壁が大きな波をイメージして、建物を見ているだけでうっとりしてしまう。
ここは交通アクセスもよく乃木坂駅から直結、あるいは六本木駅からも歩いて数分。そんな美術館で世界の一流の美術が堪能できるのだから、贅沢というしかない。
なにもここだけではない。
上野公園にいけば、世界遺産にも登録された国立西洋美術館はじめ何館ものミュージアムが点在している。
東京のよさは経済政治の中心だけでなく、文化の拠点を数多く持っている点にもある。
地方の主だった都市にも大きなミュージアムや個性あるミュージアムはあるが、東京と比較するとその差は歴然としている。
文化的格差は否定しようもない。
イラストとエッセイを合体させて「画文」という独自のスタイルで人気のある大田垣晴子さんがそんな東京(とその近郊)のミュージアムを歩いて、その魅力を「画文」にしたこの本を読んだ地方の読者にとって、東京は垂涎の的だろう。
生活はできなくても、少なくとも観光の一環として東京のミュージアムを歩くのも悪くない。
そもそもこの本は雑誌「散歩の達人」に2013年から2017年にかけて連載されたもので、東京に住む人にとっては「散歩」でも、地方の人にとっては「旅行」になるだろうが、それでも行ってみる価値のあるミュージアム45館が紹介されている。
この本片手に街に出るのも悪くない。
どこかで大田垣晴子さんに会ったりして。
(2018/03/08 投稿)

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03/07/2018 ジヴェルニーの食卓(原田 マハ):再録書評「好きこそものの上手なれ」

昨日国立新美術館で開催されている
「至上の印象派展」の記事を
書きましたが、
その展覧会には
クロード・モネの「ジヴェルニーのモネの庭」という作品も
展示されていて
だったら
やはり原田マハさんの
『ジヴェルニーの食卓』を
紹介しないと。
なので、今日は
2014年に書いた書評の再録です。
絵を見たら
またこの短編集読みたくなりました。
じゃあ、読もう。

原田マハの経歴を調べると、作家という職業以外に「キュレーター」とある。
「キュレーター」というのは、では、博物館や美術館などの施設が収集する資料に関する鑑定や研究を行う学術的専門知識をもった人のことをいう。少し前は「学芸員」と呼ばれていた職種だ。
原田は大学で美術史学を専攻している。大学を卒業後、いくつかの美術館の勤務し、最後は「MoMA(モマ)」の愛称で 美術愛好家に親しまれているニューヨーク近代美術館でも働いた経験をもっている。
原田の代表作の『楽園のカンヴァス』はアンリ・ルソーが描いた「夢」という作品モチーフにして書かれているが、それなども「キュレーター」という経歴がうまく生きた作品といっていい。
『楽園のカンヴァス』のあと書かれた同系列の作品が、この『ジヴェルニーの食卓』である。
この作品集には4つの短編が収められている。
書名にもなっている「ジヴェルニーの食卓」はマネを、「うつくしい墓」ではマティスを、「エトワール」ではドガを、そして「タンギー爺さん」ではセザンヌを、というように、錚々たる画家たちの姿を、ある時は女中の視線からある時は画材屋の娘の視線からというふうに、巧みに書き分けている。
「好きこそものの上手なれ」とはよくいうが、原田にとって画家を描いた作品は読み応えがあるし、筆が冴えわたっている。
4つの作品の中で「タンギー爺さん」がいい。
この名前を聞いて思い出す人も多いだろうが、この実在した画材屋の姿を描いたゴッホの作品がある。
幾枚かの浮世絵の作品を前にして腰かける「タンギー爺さん」。
ゴッホの絵筆は、貧しい画家たちに売れない作品と交換して高価だった絵の具を提供しつづけた「タンギー爺さん」の姿を見事にとらえている。
多分写真では味わえない、絵画ならではの肖像画といえる。
この短編ではその娘がセザンヌに借金の返済を求める手紙から始まり、幾通かの手紙にのちに印象派の著名な画家に名前を連ねる者たちがエッセンス的に描かれていく。
先ほどのゴッホの絵も紹介されている。
美術愛好家だけでなく、読書家も満足させる、良質の作品集といっていい。
(2014/12/13 投稿)

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03/06/2018 絵画至上、最強の美少女に会ってきた - 「至上の印象派展」に行ってきました

最近はすっかり様変わりして
思わず惹きつけられる
キャッチコピーが多い。
絵画史上、最強の美少女。
なんて、どうだ。
しかも「美少女」には「センター」なんて振り仮名表示まであったりして。
これに対になっているのが、
セザンヌ、奇跡の少年。
これも「少年」に「ギャルソン」とある。

これが
今東京・六本木の
国立新美術館で開催されている
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」の
ポスターなのですから
粋なもの。


スイスのコレクター、ビュールレの所蔵品を展示していて
その作品の数々に
圧倒されます。
しかも、彼のコレクションは27年ぶりの公開というのですから
これは逃せられません。

美少女ですが
絵画史上もっとも有名な少女像とも称される
ルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(かわいいイレーヌ)」です。
一方の少年は
セザンヌの「赤いチョッキの少年」。
ルノワールの透明感のある少女も素敵ですが
どうも私は
セザンヌの方が好きかも。

なんといっても
日本初公開の
クロード・モネの「睡蓮の池、緑の反映」。
展示会場の最後に
ドーンと登場します。
なにしろ、この絵は
高さ2メートル、横4メートルもあるのですから。
そして、なんと
この絵は写真撮影がOKなんですぞ。


原田マハさんの「ジヴェルニーの食卓」でおなじみの
「ジヴェルニーのモネの庭」も展示されています。

平日の金曜日。
おかげですごく混みあっていたということもなく
ゆっくり名画を
堪能できました。
この展覧会、5月7日まで開催されています。
できるだけ
空いている日の鑑賞を
おすすめします。

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03/05/2018 虫たちもびっくりの陽気になりました - わたしの菜園日記(3月4日)

二十四節気のひとつ、啓蟄。
冬眠していた虫たちが土の中から
はいだしてくる頃という意味。
啓蟄の蚯蚓の紅のすきとほる 山口 青邨
ところが昨日の日曜日
土の中の虫たちも驚くばかりの陽気で
きっと一足早く土の中から
顔を出したのではないでしょうか。

もうすぐ終わりですね。
そんな予感の日曜日、
近所の紅梅がこんなに綺麗に咲いていました。

紅梅や枝々は空奪ひあひ 鷹羽 狩行
近所でこんなに綺麗な花木を見つけると
うれしくなります。

先週元肥を入れた畝をきちんとこしらえること。
こんな風に
菜園に用意されたスケールを使います。

この畝はトウモロコシを育てるので
黒マルチを張りました。

種蒔きは来週です。

スナップエンドウのつるをからませるように
紐掛けをしました。

これからグングン
伸びてくれることを期待しましょう。

ついに茎ブロッコリーすずなりの収穫です。
よく見ると
あちらにもこちらにもなっていて
たくさん収穫できました。

これはまだまだ収穫できそうです。

菜園もいそがしくなってきます。
来週はあれもしようこれもしようなんて
今から計画したりして。

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03/04/2018 きょうのごはん(加藤 休ミ):書評「加藤休ミさんのクレヨン画だけではない魅力」

今週も加藤休ミさんの絵本です。
もう少しお付き合い下さい。
今回は『きょうのごはん』。
この表紙を見て
今晩の晩ごはんに
サンマを焼こうかと思った人も
(多分)日本全国たくさんいたのではないでしょうか。
それくらい
このサンマ、おいしそうでしょ。
食事処なんかで
「おいしそう」って言ったら
「おいしいですよ」と言い返されることがありますが
加藤休ミさんのクレヨン画もそう。
おいしいですよ。
じゃあ、読もう。

絵のジャンルに「細密画」というのがあります。
細かく緻密に描かれた絵のことで、本物と見間違うこともあります。
写真が登場する以前は絵画にそのような技術を求めることもあったのでしょうが、写真が登場して以降は絵画の世界も印象派のように多様化していきます。
それでも「細密画」はジャンルとして残りました。
加藤休ミさんのクレヨン画は「細密画」に近い、本物あるいは写真ではないかと思わせてくれるものがあります。しかも加藤さんの場合、私たちが慣れ親しんだクレヨンを使ってそこまで描くのですから、驚きです。
町の人たちのさまざまな「きょうのごはん」を描いたこの絵本の表紙で描かれたサンマの塩焼きの見事な絵はどうでしょう。
サンマの頭部の青さかげん、体の焼け具合、焦げた感じなど、匂いとか音さえ感じる絵です。
サンマだけではありません。
カレーもオムライス(特にケチャップは本物とそっくり)もコロッケも、もちろん加藤さんお得意のお寿司も、食卓に並んで、読む人の食欲を誘います。
この絵本を読んで、加藤さんの魅力はそのクレヨン画だけではないことに気づきます。
それは昭和感です。
この絵本に描かれた町のありようがとっても昭和なのです。
まず初めに出てくる夕方の商店街。今ではあまり見かけない風景です。(この最初のページをよく覚えておくといいですよ。このあと登場する人たちがみんな描かれています)
そこに描かれている建物とか人は「細密画」ではなく、加藤さん独自の絵の雰囲気をもっています。
それが昭和感です。
(2018/03/04 投稿)

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03/03/2018 いい失敗悪い失敗(鈴木 博毅):書評「後悔しないためにこの本を読んでみては」

本から色々教えられることがあります。
だから、本を読むともいえるのですが
今日紹介する
鈴木博毅さんの『いい失敗悪い失敗』を
読んでも
教えられることが多くありました。
ちなみにこの本も
鈴木博毅さんから献本頂いた一冊で
いつもながら
恐縮しています。
この本でもそうですが
鈴木博毅さん自身が読書家で
多くの本から参照となることがらが
示されています。
そのことにも
頭がさがります。
じゃあ、読もう。

誰でも失敗はしたくない。
経営の神様と呼ばれた松下幸之助にこんな名言がある。
「失敗したところでやめてしまうから失敗になる。 成功するところまで続ければ、それは成功になる」、さすがに神様はいうことが違う。
失敗しないために、もう一つ方法がある。
それは挑戦しないこと。しかし、これこそ「悪い失敗」の典型だ。
ビジネス戦略コンサルタントとして多くのビジネス書を執筆している鈴木博毅氏は、このことに関して本書でこう戒めている。
「行動しなければ、失敗は永遠に先延ばしできます。(中略)しかし失敗を先延ばししたツケは、成功も永遠に手に入らないことで回ってきます」。
これに関係するが、「いい失敗」は「まず行動して学ぶ」そうだ。
「行動することが世界の可能性を簡単に引き出してくれる道具」と鈴木氏はいう。
このことのように、本書は単に失敗を切り取ってそれを大きな損害につなげないための方策を論じたものではないということだ。
もっと広く、行動学やコミュニケーションのありかたまで記されている。
そういう点ではビジネスマンだけでなく若い学生にも読まれていい内容になっている。
失敗を恐れることで人生まで無駄にしてしまわないように「人生の後悔を8割減らすために必要な3つのこと」が示されている。
「今できること、将来やりたいことに焦点を合わせる」「定期的に、自分の人生に欠けていることを振り返る」「手を伸ばしやすいように、目標の形を工夫し続ける」。
どんな年代であってもまだまだできそうな気がしてくる。
(2018/03/03 投稿)

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03/02/2018 オッパイ入門(東海林 さだお):書評「東海林さだお氏、がんばってます」

私には東海林さだおさんの本が出ると
うれしくなる傾向があって
これってパブロフの犬みたいな
肉を見たら涎がでますの
条件反射かもしれません。
今日は
東海林さだおさんの新刊
『オッパイ入門』を紹介します。
この「オッパイ」という言葉もまた
パブロフの犬で
まさに涎が出てしまう言葉の
筆頭かもしれません。
東海林さだおさん、
よくぞ書いてくれました。
じゃあ、読もう。

東海林さだお氏は辞書が好きである。
どのくらい好きかといえば、雑誌「オール讀物」の好評連載「男の分別学」(つまりはこの本の初出誌)で「辞書をいじめる」というタイトルのエッセイを書いているぐらい。
まだ、ある。
例の一躍有名になった「忖度」についても、「広辞苑」の漫画まで登場させたエッセイ「忖度がいっぱい」を書いたぐらいだから、好きといっても並みの好きではない。
もしかしたら、東海林氏は食べ物よりも辞書の方が好きなのではないか。
そこで「オッパイ」である。
こういう恥ずかしい! 名詞をエッセイのタイトルに使うとは何事かと、きっと「オール讀物」の読者はいうはずはない。
しかし、それを単行本のタイトルにしていいのか。
この本には「欠伸のすすめ」とか「遠ざかる青春」とか「挨拶は必要か」といった、まともな? タイトルのエッセイも収められているのに、「オッパイ入門」である。
本当にこれでいいのか!?。
きっと文藝春秋には抗議の電話なんかが殺到しているのではないか。
いや、もしかしたら、タイトルにひかれて、あるいは和田誠画伯の装幀に魅了されて本を手にしたものの、ちっともアレではないではないかというお叱りの電話ばかりかもしれない。
しかしですよ、書き手が東海林さだお氏でどんなエロチックなものができあがると思います?
期待する方が無理。
いやいやこの入門書こそ東海林さだお的ワールドのような気がしますが。
(2018/03/02 投稿)

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