04/30/2018 もうすぐ立夏 - わたしの菜園日記(4月28日)

週末の土曜日は
こどもの日の祝日ですし、
お待ちかねの夏、
立夏です。
とはいえ、昨日の日曜日も暑いくらいで
埼玉の戸田公園では
毎年恒例の学生対校ボート大会が
開かれていました。

ボートは夏の季語。
ボート裏返す最後の一滴まで 山口 誓子
暑くても
川面を渡る風は心地よく
そんな中
学生たちの応援団の姿も
若々しく

初夏の頃のなんと清々しさでしょう。
新緑の香に新緑の風を待つ 稲畑 汀子
新緑も夏の季語です。


かわいいこいのぼりが泳いでいます。

力ある風出てきたり鯉幟 矢島 渚男
こいのぼりも夏の季語。
なんだか今日はすっかり夏ですね。
そんな菜園で
いよいよ夏野菜の苗の植えつけが
始まりました。
4月28日に植えつけたのは
これぞ夏野菜という主力野菜たち。
根鉢を見ると
写真のように
しっかり根がまわっています。

できるだけ
元気のいい苗を選んで
植えました。
といってもこればかりはわかりません。
優しく成長を見守りたい。

上の写真の左から
中玉トマト、長ナス、ピーマン。
この日は他にも
キュウリとミニカボチャの苗も
植えました。

この日収穫したイチゴです。

スナップエンドウはもうおしまいで
伐採をしました。
一方、ニンジンはやっと芽を出してくれました。

終わる野菜もあれば
これから育つ野菜もあって
季節が変わっていくのが
畑にいると
よく実感できます。

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04/29/2018 サンドイッチサンドイッチ(小西 英子):書評「サンドイッチをつくってみよう」

さあ、いよいよ
大型連休ですね。
今年は昨日からの3連休の前半と
5月3日からの4連休の後半と
ふたつもあるし、
続けてしまえば
1週間以上のお休みも。
いいな、
いいな。
行楽にどこかに行く予定の皆さん、
お昼は何を持っていきます?
おにぎり?
サンドイッチ?
今日紹介する
小西英子さんの絵本、
『サンドイッチサンドイッチ』を読めば
きっとサンドイッチが
食べたくなりますよ。
じゃあ、読もう。

おにぎりが好きか、サンドイッチが好きかと聞かれたら、私は断然サンドイッチだ。
野原で開く弁当箱にはいっているおにぎりも素敵だし、中の具材がわからないのも興味がそそられるし、おにぎりが好きだという気持ちはないわけではない。しかも、きちんと整列した俵型のおにぎり(私の子供の頃は三角おにぎりではなくずっと俵型だった)のきれいなこと。
しかし、そんなおにぎりの利点を凌駕するものがサンドイッチにはある。
何よりも見た目がいい。
おにぎりのように具材を秘匿する喜びではなく、具材をしっかり見せる楽しさ。私は特にタマゴサンドが好きで、白い食パンにたまごの黄色が実に合う。あるいは、トマトの赤、レタスやキュウリの緑。
その点、おにぎりは昆布やおかかといったように、色が地味だ。
サンドイッチは色こそ命、みたいなところがある。
だとしたら、サンドイッチは絵本によく合う食べ物といえる。
子どもたちがクレヨンのふたをとって、いろんな色を前にして、どんなサンドイッチを描こうかと迷っている姿は、どのサンドイッチから食べようかと迷っているところと重なる。
小西英子さんのこの絵本、表紙はサンドイッチに使われる具材がふんだんに描かれている。
どれを見てもおいしそうではないか。
食べ物を描いた絵本でも物語でもそうだが、おいしそうなことが一番大切。
表紙を見て、中をパラパラ開いて、生唾が出てくれば、まず間違いない。
そして、絵本を開いて、サンドイッチを作っていく。
もうたまらない。
(2018/04/29 投稿)

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04/28/2018 昭和少年図鑑(峰岸 達/ねじめ 正一):書評「こういう本は話し出すととまらない」

明日、4月29日は
昭和の日。
昭和の時代には
「天皇誕生日」だった祝日。
そこで
今日は峰岸達さんの
『昭和少年図鑑』という本を
紹介しますが、
もうここに描かれているものすべてが
懐かしく
この本だけで
ずっと話したい気分です。
ぜひ、昭和生まれの皆さん、
明日の昭和の日には
昭和の思い出を
話してあげて下さい。
じゃあ、読もう。

4月29日の祝日を「昭和の日」という人はたぶん平成生まれの人だろう。
昭和に生まれ育った人にとっては、やはりこの日は「天皇誕生日」の方がしっくりくる。
しかし、平成の時代もすでに30年。そして、それもまもなく終わる。
西暦のほかに元号があるのは面倒だという意見もあるようだが、元号があるおかげで、なんとなく自分の領域や立ち位置がはっ きりするような感じがする。
ただ昭和といっても64年もあったので、戦争をはさんで戦前とか戦後とかで微妙に生活感も違ってくる。
私は昭和30年生まれだが、戦後は終わったかもしれないが、まだまだ戦前の生活をひっぱっていた印象がある。
だから、昭和19年生まれのイラストレーター峰岸達さんが自身のイラストから昭和の少年少女の風俗(タイトルには「少年」の単語しかないが、「少女」の風俗もあることはある)を抜き出して図鑑風に編集したこの本に紹介されているいくつかは私もしっかり体験している。
例えば、紙芝居。一番のピークは戦前だろうが、私も見た記憶があるし、紙芝居のおじさんからお菓子を買ったことも覚えている。
あるいは、メンコ。これにはこの本で数篇のエッセイを載せているねじめ正一さんがメンコが強かった思い出を綴っているし、峰岸さんもその成果を自慢しているあたりは昭和の少年にとって譲れないプライドなのだろうか。
私は「メンコ」でなく「ベッタン」と呼んでいた大阪の出身だが、私もよく遊んだ。結構強かったとうっすらと覚えているような。
これも昭和の少年のプライドだろうか。
(2018/04/28 投稿)

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04/27/2018 阿蘭陀西鶴(朝井 まかて):書評「朝井まかてはこれからも楽しみな作家サン」

毎月第一土曜に
読書会に参加しています。
埼玉に住む本好きが集まって読書会で
メンバーの多くは読書アドバイザーの講座受講者ですが
それとは関係ない人たちもいます。
本好きであれば大丈夫。
今月の読書会で
ある人が朝井まかてさんの本を紹介していて
その人にどの作品が好きですかと聞いて
薦められたのが
今日紹介する
『阿蘭陀西鶴』。
さすがに本好きの人が薦める本だけあって
これはいい。
これからきちんと
朝井まかてさんを追いかけます。
じゃあ、読もう。

朝井まかてさんが『恋歌(れんか)』で第150回直木賞を受賞したのは2014年で、同じ年にこの作品で第31回織田作之助賞を受賞している。
タイトルでわかるようにこの作品は江戸期に『好色一代男』や『日本永代蔵』などで人気を博した浮世草子の作家井原西鶴とその娘おあいの物語である。
日本文学史的にいえば西鶴は浮世草子の作家としての名が高いが、元は俳諧師で、けれどなかなか名前が売れずならば一層「阿蘭陀(オランダ)」流という奇抜な触れ込みで人気になったという。
その後、今に名を残す浮世草子の数々の作品を手がけることになるが、その実態はあまり世に知られていないともいう。
それは、一人娘のおあいもそうで、彼女は盲目で、母が若い頃に亡くなったあと、西鶴に仕えたといわれているが、そういう不明な点が書き手の想像の翼を大きく広げることになる。
この作品でいえば、直木賞を受賞したとはいえ朝井はまだ円熟な作家ではないが、それでも西鶴という先代を描くことで、自身の書くことへの疑問と答え、またその覚悟がそこいらじゅうに散りばめられている。
「読み手が書き手の思惑を遥かに越える」ことがあるが、そういうことを考えるのも朝井がまだ初々しいからで、「読み手の力」か「物語の力」かわからないというあたり、いかにも読者に近いところに作者はいるといっていい。
数々の作品をものにしながら突然書けなくなった西鶴に、朝井はこう呟かせる。「書くって何や、物語って何や」。
この作品を書いたことで、朝井まかては大きく前に進めたような気がする。
(2018/04/27 投稿)

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04/26/2018 私の名は、ゴア - 今日は全部「こぼれ話」

何年になるだろうか。
第98作めとなる今回の朝ドラ「半分、青い。」
私的には
直球ど真ん中のストライクドラマだ。
脚本はあの北川悦吏子さん。
どうしてこうも
心の中をくすぐってくれるのでしょう。

楡野鈴愛(にれのすずめ)。
ムンプス難聴で
左の耳が聞こえないという設定。
鈴愛と同じ日に生まれたのが
萩尾律くん。
この二人、同じ日に生まれただけあって
互いに気になる存在ですが
今はまだそんな展開にはなっていません。
この二人がどうなるのか
恋愛ドラマの神様、北川悦吏子さんが
どう描くのか楽しみ。

そこではなくて
「マグマ大使」のこと。
鈴愛が困った時に律に笛を吹くという設定は
「マグマ大使」からとられているのですが
「マグマ大使」って
知っていますよね?
漫画の神様・手塚治虫が
1965年(昭和40年)から「少年画報」に連載した漫画で
翌年の7月にはTVで実写版で放映されました。
たしかフジテレビだったと思います。
その映像は「半分、青い。」の中でも
流れましたが
ちなみにどんな漫画かというと
こんな感じ。

手塚治虫先生の絵を模写しました。
つまり、私が描きました。
なんという「マグマ大使」愛!
この漫画は
『手塚治虫クロニクル 1946~1967』にも
収められています。

ゴア。
「私の名は、ゴア」って感じで
出てきます。
朝ドラの中では
律君のお母さん役の原田知世さんが
そのモノマネをしていましたが
実は
私もゴアのモノマネやってました。
しかも、会社員になってからも
「私の名は、ゴア」なんてやっていたぐらい。
つまりですよ、
世の中に
「私の名は、ゴア」というモノマネをした
少年少女がたくさんいたということなんでしょうね。

大満足の朝ドラ「半分、青い。」は
これからもしっかり追跡していきます。

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04/25/2018 謎のビッグ・フォア(アガサ・クリスティー):書評「名探偵ポワロ死す⁉」

本の読み方に正解はないと思う。
いえることは
自分が面白いという本を読むこと、
それが一番なのだろう。
なんといっても
どんなに読んでも
すべての本を読むことなんか
できないのだから。
ちょうど
私が今頃になって
アガサ・クリスティーを
読み始めたように。
今日は
そのアガサ・クリスティーの本から
『謎のビッグ・フォア』を
紹介します。
じゃあ、読もう。

映画の惹句風に書くと、「名探偵ポワロ死す⁉」となるのだろうが、大抵このような惹句で本当に死んだ試しがない。
だからといって死なないかといえばと、この程度でとめておくのがミステリー小説のマナーだろう。
それにしても、私が知っているポワロは名作『オリエント急行の殺人』のように本格的な謎を解く探偵というイメージが強かったのだが、この作品を読んでポワロのまるで違う一面を見た気分である。
どんな一面かというと、まるで007のジェームズボンドばりなのだ。
映画でいえばアクション物に分類されてもおかしくないほど、ポアロはヨーロッパの街を飛び跳ね、怪しげな女性も出現し、クライマックスには大きな爆発まで起こってしまうのだから。
何しろ今回ポアロが相手にするのは世界の凶悪な事件のほとんどに関わっているのではないかという「ビッグ・フォア」。
彼らの正体が徐々に起こる事件によって次第に明らかになっていく手法はお見事というしかない。
しかも、よく考えてみたら小さな事件が起こるたびの謎解きがあたかも短編を読んでいるようでもあり、この作品はそれだけでもお得感満載だ。
この作品はポアロの親友であるヘイスティングズ大尉の人称で書かれているが、ポアロがしばしば名言「小さな灰色の脳細胞を使え」と言うのに対して、ポアロには「謙譲の美徳だけは持ち合わせていない」と、しばしば辛辣であるのもまた面白い。
色々な点でこの作品は映画的であるといえる。
(2018/04/25 投稿)

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04/24/2018 答えはすべて本に書いてある。(川上 徹也):書評「さあ、本屋さんに出かけてみよう」

昨日から
子ども読書週間が始まりましたが
せっかくなので
大人の皆さんも
子どもたちと一緒に
たくさん本を読みましょうよ。
そこで
今日は
川上徹也さんの
『答えはすべて本に書いてある。』を
紹介します。
2015年に刊行された本です。
答えがあるなら
本を読んでみるかではなく
答えを探しに
本を開いてみて下さい。
じゃあ、読もう。

もともと大手広告代理店で働いていたという著者は書店好きとしても有名で、そのあたりの講演や著作も多い。
書店が好きなのは本が好きということで、だからこそこの本が出来上がったともいえる。
そんな著者だから言える言葉が、「書店は、世界最高峰の「悩み相談室」」であったり、「書店は、人の知的好奇心を鍛えるジムのようなもの」だったりする。
書店という「悩み相談室」で処方されるのは、さまざまな本。
おそらくこの本を手にするのは若いビジネスマンが多いのだろうが、自己啓発本だけではない。小説もあり漫画もあったりする。
そのあたりが著者の本の領域の広さを感じる。
この本で紹介されているのは108冊の本。
どんな悩みに対してどのような本が紹介されているか、一例をあげてみよう。
「自分に自信がない-大勢の人の前でしゃべるのが苦手」という悩みには原田マハさんの『本日は、お日柄もよく』が薦められている。確かに原田さんのこの本は「スピーチ」をテーマにした小説だ。
同じ悩みで中谷彰宏さんの『なぜあの人は人前で話すおがうまいのか』とミロ・フランクお『結果を出す人の30秒で話を伝える技術』の2冊が紹介されている。
このように悩みに対して、メインの本が1冊と「合せて読みたい本」として2冊が並べられている。この形は、どの悩みも同じ。
著者の文章も、ブログでみられるような文章になっていて、若い人には読みやすいかもいれない。
悩みそのものは人によって違うだろうから、答えの本も違って当たり前。
まずは本屋さんに出かけて、自分の一冊を見つけるのが大事だろう。
(2018/04/24 投稿)

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04/23/2018 耕運機 初体験! -わたしの菜園日記(4月20日)

初夏というより
もう夏本番のような暑さでした。
あわてて夏服をひっぱりだした人も
多かったのでは。
街のあちらこちらでは
躑躅(つつじ)が咲き誇っています。

躑躅は春の季語。
花びらのうすしと思ふ白つつじ 高野 素十

夏野菜の苗が入ってきますので
まだ耕していない畝に
鍬をいれました。
「耕す」という言葉は春の季語にもあります。
春耕のときどき土を戻しをり 井上 弘美
ちょうど
菜園のアドバイザーさんが耕運機を使っていたので
おねだりして
貸してもらいました。
人生初の耕運機体験!
ダ、ダ、ダッダッ、
思った以上にしんどい作業ですが
土がしっかりほぐれていくのが
実感できます。


この畝にはトマト、ナス、ピーマンの
夏野菜の御三家を植えるので
溝施肥をします。

溝を掘って、そこに元肥をいれて
それから畝をつくります。



この日一個収穫しました。

かわいい!
スナップエンドウは今が収穫の盛り。

イチゴもエンドウも
それぞれ花は春の季語で
実となると
夏の季語になります。
青春のすぎにしこゝろ苺喰ふ 水原秋櫻子

別の畝に
水ナスと万願寺風の長唐辛子の苗を
植え付けました。

来週には
長ナスやピーマン、中玉トマトの苗の植え付けが
始まります。

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04/22/2018 おせんとおこま(飯野 和好):書評「自然とともに生きるということ」

明日、4月23日は
子ども読書の日で
そこから5月12日までの
約3週間、
子どもの読書週間です。
![2018kodomo4cimage[1]_convert_20180420200624](https://blog-imgs-77-origin.fc2.com/h/o/n/hontasu/2018042020071458a.jpg)
今年の標語は
はじまるよ!! 本のカーニバル!!!
ポスターを見てわかるように
荒井良二さんがイラストを
担当しています。
この機会に
多くの子供たちが
本に接してくれたら
どんなにいいでしょう。
今日は
飯野和好さんの
『おせんとおこま』という絵本を
紹介します。
じゃあ、読もう。

飯野和好さんといえば、代表作である『ねぎぼうずのあさたろう』のような独特な画法で人気の高い絵本作家ですが、その出発点はセツ・モードセミナーと聞いて驚きました。
しかも、デビューが1969年の雑誌「anan」なのですから、さらに驚きです。
今の絵風から「anan」とはどうも結びつかない。
けれど、飯野さんの絵に対するこだわりが今に続く飯野さんの世界観になったのだと思います。
この絵本はタイトルにあるように、山の峠の茶屋の娘おせんと「山渡り」の娘おこまの物語です。
表紙絵でいえば、左がおせん、右がおこま。
おせんは明るく元気な女の子ですが、まだここのつ。
だから、茶屋の仕事を手伝っていますが、世間のことはたくさんは知りません。
ある朝茶屋にやってきた一人の少女がかごやざると味噌や塩と交換するのもどうしてだろうと思います。
少女の名はおこま。おせんのおじいちゃんはおこまが「山渡り」の子供だと教えてくれますが、おせんには「山渡り」がわかりません。
「山渡り」というのは。山から山へと移りながら、猟や竹細工をしたりで生計を立てている人たちで、飯野さんは彼らの「野生動物のようなたくましさと、かれらの生きる力」に驚いたと、この絵本のあとがきのようなコメントに記しています。
飯野さんはおこまに単にたくましさだけでなく自然と共存する、生きるものたちへのやさしさも描いていて、それがおせんにも理解されていく姿が、この絵本で描かれています。
子どもたちにもそれが伝わることを願っています。
(2018/04/22 投稿)

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04/21/2018 翔ぶが如く 五(司馬 遼太郎):書評「まだ明治七年です」

NHK大河ドラマ「西郷どん」の視聴率が
伸びてきません。
ドラマの良し悪しは
もちろん視聴率だけではないでしょうが
せっかく面白いドラマなのですから
たくさんの人に見てもらいたいものです。
ドラマではまだ西郷隆盛は
次の将軍選びに奔走しているところ。
明治維新までは
まだまだ長い。
ましてや西南戦争はまだまだ先。
司馬遼太郎さんの
『翔ぶが如く』も
ようやく半分の五巻めまで来ました。
こちらも
長い。
じゃあ、読もう。

どうも私の日本史の知識というのはおぼつかないようだ。
この長い(文庫本にして全10巻)物語の発端は「明治六年の政変」で、この時征韓論で激突した西郷と大久保であるが西郷はこれをきっかけにして薩摩に戻ってしまう。
その4年後の明治十年「西南戦争」が勃発するのであるが、私にはそういう二つの「」付きの事件しか知らなかった。
その間に台湾を舞台にした武力戦争が起こりかけていたとは。
明治七年のことである。
この五巻では、その戦争回避のために大久保利通が中国側と無理難題ともいえる外交を行う様が描かれている。
征韓論に反対した大久保にとって台湾への出兵とそれの後始末は下野した西郷と彼を仰ぐ不平分子の怒りを拡散する目的があったが、外交というのは常に自分の国が勝つものと、これは明治の時代だけでなく、いつの世であっても思い込んでしまうもののようだ。
だから、大久保にとって自分たちの大義と幾ばくかのお金を獲得するまでは日本に帰国できなかったのも事実だ。
結果として、300ページ余もあるこの五巻のほとんどが大久保の対中国外交始末にあてられるほどの内容になっている。
ようやくにして明治八年が始まったところでこの巻は終わるが、司馬さんの筆はしばしば「余談」に迷い込む。
司馬さんのファンの読者にとってはこの「余談」がたまらない魅力で、だから作品が長くなるのだが、それ以上に重厚さが増すような気分になる。
それが司馬作品の一番の魅力といえるかもしれない。
(2018/04/21 投稿)

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04/20/2018 お金は寝かせて増やしなさい(水瀬 ケンイチ):書評「私は小心者ですが、どうしましょう」

今日は
二十四節気のひとつ、穀雨。
この時期降る雨は穀物を育てる雨だとか。
まつすぐに草立ち上がる穀雨かな 岬 雪夫
それなのに
この週末、真夏のような天候かも。
やはり温暖化の影響なのでしょうか。
今日は
水瀬ケンイチさんの
『お金は寝かせて増やしなさい』を
紹介します。
こういうお金の本は
日本経済新聞の広告から
読みたくなるものが結構あります。
そういう点では
新聞の広告も効果があるのでしょうね。
じゃあ、読もう。

「お金にも働いてもらわないといけない」ということをよく言います。
それと、この本のタイトル『お金は寝かせて増やしなさい』は相反するようですが、実は同じことを言っているのだと思います。
お金は寝てても一生懸命働いて(というより成長しているという方が実感に近い)いるので、あわてて起こしたり、あちらこちらに走らせない方が、長い目で見た場合、得ですよというのがこの本の主旨だ。
その方法として著者はインデックス投資を勧めているが、投資そのものが苦手という人もいるだろうから、その人に合った読み方をすればいいだろう。
特に読者の年齢によって、投資に対する考え方が違ってくる。
投資というより「リスク許容度」の問題で、この本のいいところは、この問題もきちんと記されている点だ。
著者いわく、「人は加齢とともリスク許容度が下がっていくものだと考えるのが自然」で、だからこそ加齢とともに保守的に資産配分を変更していく方がいいとなります。
その目安もこの本には載っていて、それによると「100から年齢を引いた割合で株式を持て」という米国の教えがあるそうです。
ただこれもあくまでも「教え」であって正解ではありません。
そもそもお金の話に正解などないのではないでしょうか。
正解がないから、いつの時代であってもお金の本が書かれ、そして読まれているのだと思います。
ましてや自分の「リスク許容度」もわからないのが実状で、お金よりも自分が寝ているしかないような気もしますが。
(2018/04/20 投稿)

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04/19/2018 河のほとりで(葉室 麟):書評「小説にはない、作者の本音がこぼれています」

今でも
本屋さんに行くと
葉室麟さんの新刊が出ていないか
さがす癖が抜けきれません。
今日紹介する
『河のほとりで』は
2月に出た文春文庫の新刊ですが
これから先にも
まだ出るのでしょうか。
歴史とは
思い出という名の記憶を積み重ねること
葉室麟さんの随筆の一節です。
これからも
葉室麟さんの「思い出という名の記憶」を
追いかけていきたい。
じゃあ、読もう。

平成29年12月、人気の絶頂にありながら早逝した葉室麟の随筆集である。
文庫オリジナルということで今年2月に刊行された。その死で急遽刊行の運びとなったのか、以前から計画されていたものかどうかは知らないが、いずれにしても作者にとっては関係ない。
自身の死はいつだって覚悟していただろうが、そのことで筆が感傷的になるはずもない。
ただ読者としては、つい葉室の死に対する心構えを知りたくなるのも事実だ。
例えば、葉室が初めて直木賞の候補になった回で『利休にたずねよ』で直木賞を受賞した山本兼一の『おれは清磨』の文庫解説の中で(この随筆集には新聞連載の随筆のほかにこのような本の解説や日々の雑感などが収められている)、同じ回の候補者に同じ年頃の歴史小説家が3人いたが、山本ももう一人も亡くなって、葉室だけが残ったと記されている。
「残されたひとりとしての寂寥感」と葉室は綴っているが、何もそんなに急いで彼らのあとを追うこともなかったのにと、つくづく残念である。
あるいはこんな一文。
「ひとは常に「去る」覚悟をして生きねばならないのだろう」。
これは新聞の連載随筆の一文で、2016年3月の記事だ。もちろん葉室に自身の死がわかっていたはずはないが、葉室には常に死への覚悟があり、だから書かずにはいられなかったにちがいない。
死のことだけではなく、葉室の文学の本質として「恋する相手に献身の思いがありながら、決して口にすることがない」シラノ・ド・ベルジュラックを好きだと書いた随筆など、読み応え十分な作品に仕上がっている。
(2018/04/19 投稿)

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今日は
今人気の俳人夏井いつきさんと
その妹のローゼン千津さんの
『寝る前に読む一句、二句。』を
紹介します。
この本にも書かれていますが
夏井いつきさんの
いつきは本名。
漢字で書くと、伊月。
夏井いつきさんは愛媛県つまりは伊予生まれなので
この名がついたとか。
名前について
夏井いつきさんはこんなことを
書いています。
名は体を表す。
己の名を己で考える事によって、
己を客観的に見るきっかけになったりもするぞ。
俳号を考えるのもいいかも。
じゃあ、読もう。

最近の夏井いつきさんの人気はすごい。
本屋さんの俳句本のコーナーには夏井さんの名前がはいって本が並ぶ。
もしかしたら、今日本で一番有名な俳人かもしれない。
夏井さんの名前を一躍有名にしたのがTBS系で放映している「プレバト!!」という番組内での俳句コーナーの辛口添削。
辛口なのだが、さすがにマトを得ていて、誰もが納得、誰もが俳句やってみるかと思ってしまう。
そんな夏井さんが実の妹であるローゼン千津さんと言いたい放題の俳句ばなし。と言いたいところだが、やはり夏井さんだけあって、言いたい放題の家族の話、姉妹の話、あれやこれや。
それに負けていないのがローゼン千津さん。アメリカ人のチェリストと結婚したつわもの。
この姉にしてこの妹あり。
あげられている俳句は作者は有名ながらあまり耳にはしないものが多い。その分、二人の話に自由度が出ているともいえる。
例えば松根東洋城の「いつくしめば叱るときける寒さかな」では、夏井さん教師時代(夏井さんは8年間中学校で国語を教えていて、一大決心して俳人になることを決意したそうです)の苦悩? な日々が語られたりしている。
言いたい放題に見えるが、「もろもろを俳句にして吐き出す事で、心のバランスを取ってる」というぐらいだから、結構繊細なのである、夏井さんは。
そんな姉妹言いたい放題の本ながら、夏井さんはしばしば「季語が動いていない」という表現をしている。どんな季語でもはまるようであれば、いい句とは言い難い。
さすが夏井先生の指摘はここでも的確でした。
(2018/04/18 投稿)

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04/17/2018 本とカレーと珈琲と流行歌と - 本の街神保町を歩きました

先週の4月11日、
新しいスタイルの本屋さんが誕生したのを
ニュースで見かけて
さっそく行ってきました。


もともとここは
岩波書店の本を扱う本屋さんがあったところで
新しいお店も
扱っているのは
岩波書店の本ばかり。
新しいのは
ここにはカフェがあって
本を読みながら
珈琲を飲んだり
おしゃべりが楽しめること。

カフェのメニューも
岩波書店の雰囲気がほどこされていたり。


岩波書店の本は
神保町の街によく似合うし
珈琲とも相性ばっちり。

老舗カレーショップ「ボンディ」で。

さすがに人気のお店だけあって
長い行列ができていましたが
待つだけの味が楽しめます。
一番人気はビーフカレーだそうですが
チキンカレーもなかなかなもの。

喫茶「さぼうる」へ。

神保町の喫茶店といえば
このお店といわれるほどの
有名店。
何度も神保町に来ていますが
いつも入りそびれていましたが
この日ついに
「さぼうる」初体験。
もう大満足。

明治大学のキャンパス内にある
阿久悠記念館に立ち寄りました。

ここも一度は行きたかったところ。
けっして大きくはありませんが
それでも昭和の大作詞家
阿久悠さんの世界を
楽しめます。

いい街です、神保町は。

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04/16/2018 夏野菜のための畝づくり始めました - わたしの菜園日記(4月13日)

俳句の世界よりも進んでいる。
例えば、新緑。
街のあちこちはすっかり新緑だけど
俳句の世界ではこれは夏の季語。

立夏はまだ少し先なので
少し早い。
新緑の香に新緑の風を待つ 稲畑 汀子
そうはいっても
これから街にはいろんな草花が咲くので
散歩も楽しい季節です。


4月13日の金曜日に
畑に行って
夏野菜の畝づくりを始めました。
元肥の効果がでる期間があるので
苗を植える時期を考えて
逆算しながらの畝づくりです。

この畝には
キュウリにインゲン、
そしてカボチャを植えます。
カボチャは昨年うまくいかなかったから
今年はリベンジです。

トウモロコシはうまく芽がでました。

同じ頃蒔いた
ニンジンはどうも芽がでなくて
この日蒔き直しをしました。
こまめに水をあげなかったせいかしら。
何回やっても
うまくいったり
うまくいかなかったり。
だから、野菜づくりは面白いともいえますが。

ニンニクとタマネギ。

収穫までまだ一ヶ月はかかりそう。
これからは
収穫と栽培で
楽しい時期になっていきます。

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04/15/2018 14ひきのぴくにっく(いわむら かずお):再録書評「いのちの春」

絵本は図書館で探すことが多く
この季節で
つい手がのびてしまうが
いわむらかずおさんの
「14ひき」シリーズの
『14ひきのぴくにっく』。
俳句の季語でいえば
「野遊」でしょうか。
野遊びのひとりひとりに母のこゑ 橋本 榮治
この句のような光景が
この絵本にはあります。
この絵本、そういえば
もう読んでいたことを思い出して
今日は再録書評での紹介です。
じゃあ、読もう。

私が子供の頃、それはもうかれこれ半世紀も前にもなりますが、苗代の始まる前の田んぼには蓮華の花がたくさん咲いていました。
蓮華の花の蜜が甘いと吸って試したものです。蓮華の花の首飾りも作ったりしました。あれは、誰と遊んだのでしょう。
土筆(つくし)もたくさんありました。土筆をとっては甘く煮て、食べてものです。
たんぽぽの黄色も印象に残っています。その当時のたんぽぽはうんと地面に這うように咲いていたように思います。あれは種が違うのでしょうか。
そんな草花がどこにでも咲いていました。春とは植物の息吹を感じる季節だったのです。
残念ながら、今はそんなことを感じることがなくなりました。でも、本当は今でも春は生き生きとした命を育んでいるのではないかしら。もしかすると、大人になった私が春の近づきを見つけられなくなっているのかもしれません。
いわむらかずおさんのお馴染みの「14ひき」のシリーズで、春を見つけに行きました。
今回の14ひきのねずみたちは、「みんなで、はるの のはらへ でかけよう」と、楽しくピクニックです。
もちろんそこはいわむらさんの絵本ですから、ピクニック前の準備の時間の楽しそうなこと、森に咲くすみれに、やまぶき、ちごゆり、ふでりんどう、きっとどこかで見たはずなのに、いわむらさんの筆に初めてお目にかかるような草花たち。森を抜ければ、そこには広い野原がひろがっています。
ひかり、風、いのち、空、雲、空気。
ちょうちょのりぼんにびっくりしているのは誰でしょう。
14ひきが池のなかに見つけた蛙のたまご。そういえば、子供の頃には生き物だってたくさんそこに命を育んでいました。
蛙のぬるっとしたたまごから、おたまじゃくしがわぁーと生まれてくるのを、現代の子供たちは知っているのかな。水すましが温んだ水の上をスイスイと滑っているのを見たことがあるのかなあ。
14ひきのねずみたちの絵本の世界で初めて知るのかもしれません。
全体に淡いみどりの色で描かれたこの絵本のテーマは、春。命の歓声。わきあがる力。
この絵本を読み終わったら、14ひきのねずみたちと本当の野原に出かけたくなります。
(2012/04/01 投稿)

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04/14/2018 霖雨(葉室 麟):再録書評「止まぬ雨はない」

今日は昨日のつづき。
昨日、葉室麟さんの
『雨と詩人と落花と』という小説を
紹介しましたが、
その主人公広瀬旭荘が塾長を務めた
大分・日田の咸宜園の創設者広瀬淡窓を描いた作品があることを
思い出しました。
それが『霖雨』。
そこで今日は
2012年6月に読んだ本の
再録書評です。
正直、6年前の作品となると
覚えていませんが
ちょっとしたきっかけで
その本のことを
思い出しました。
それもまた
うれしい限りです。
じゃあ、読もう。

司馬遼太郎は『街道をゆく 豊後・日田街道』で、この物語の舞台となった日田を訪ねている。そして、「かつて漢学書生が町中を闊歩していた町」の理髪店で顔をあたるなど木漏れ日のような日田小景を描きとめた。
この物語はそんな日田を全国的に有名にした咸宜園の創設者広瀬淡窓を主人公にした歴史小説である。
また司馬遼太郎に戻ると、淡窓のことを司馬はこう書いている。「日田の富商の家にうまれ、年少のころ福岡で学んだだけで、そのあとは多病のために江戸などに留学せず、日田に帰って私塾をひらいた。(中略)その間、入門簿によれば三千八十一人という多数の青年がこの塾で学んだ」(『街道をゆく 豊後・日田街道』より)
司馬のこの文章にはこの物語を構成するいくつかの鍵がおさめられている。
ひとつは、淡窓が「富商の家」に生まれたということ。よって、この物語では淡窓の学問に対する思いを軸にしながら、その富商の後を淡窓に代わって継いだ弟久兵衛の現実的な活動もまた映える構造になっている。
次に、咸宜園に全国から多数の青年が学びのために日田を訪ねたということ。物語の発端はこのことを背景にして、一組の男女が淡窓のもとを訪れ、入塾を乞うところから始まっていく。
淡窓の時代、それは江戸後期だが、全国の私塾が活気を帯びていた。
その中でもこれだけの入塾者を受け入れたのだから、淡窓の名が全国に広まっていたと思われる。同じ頃、大阪で洗心洞という私塾を開いていたのが大塩中斎。のちに大塩平八郎の乱で時の政府を震撼とさせた人物である。
静と動。剛と柔。淡窓は強面の郡代の圧政に堪え、静かに雨のやむのを待つ。その一方で、大塩は雨の中をはねあげながら走り出す。
どちらか正しいということではないかもしれないが、日本人の好みとしては淡窓に軍配があがるような気がする。
ちなみに題名の「霖雨」とは、何日も降り続く雨のことだが、淡窓は父からこんなことを聴かされる。
「ひとが生きていくには、長く降り続く雨の中を歩き続けるのに似ている。しかしな、案じることはない。止まぬ雨はない」と。
これは、東日本大震災を経験した日本人への、葉室麟からの強いメッセージであろう。
(2012/06/19 投稿)

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04/13/2018 雨と詩人と落花と(葉室 麟):書評「なんと胸打つタイトルだろう」

本屋さんに行って
葉室麟さんの名前を見つけると
やはり今でも心がじんとなります。
今の時点で
今日紹介する
『雨と詩人と落花と』が
葉室麟さんの一番新しい文芸新刊に
なっています。
それにしても
なんと美しいタイトルでしょうか。
これは
この物語の主人公広瀬旭荘の
「春雨到筆庵」という漢詩の一節。
葉室麟さんもまた
詩人であったのだ。
じゃあ、読もう。

江戸時代後期、おそらく都市の有り様は現代とは大きく違っていただろうし、それらの街々を結ぶ情報網も現代の感覚で見ることはできないはずであろうに、各地に私塾が出来、その塾長ともなればその知見、人格が広く世間に広まったのであるから、当時の人々の知識欲とうのは生半可なものではない。
そんな時代、豊後の国(今でいう大分県)日田に咸宜園という私塾があった。創設したのは広瀬淡窓。しかし、淡窓が病弱であったため、そのあとを託されるのが弟の旭荘である。
2017年12月、その早すぎる死が惜しまれてならない葉室麟が2016年秋から2017年春にわたって雑誌連載したこの物語の主人公が、この広瀬旭荘だ。
旭荘には激情があったとされる。
些細な事でかっとなり、時には人をうつこともあったという。それで先の妻に去られ、二度目の妻を迎えるところから物語が始まる。
時は天保三年(1832年)、黒船が来航するのが1853年だから、時代は大きな波をうけようとしている。
そんな中、旭荘に嫁いだ松子はしばしば夫の暴力を受けながらも、夫の詩人としての資質を信じ、けなげにも夫とともに日田を離れ、大阪あるいは江戸へと付き従っていく。
なかなか世に認められない夫としかしその才能を信じた妻との切ない夫婦の物語といってしまえばそれまでだが、葉室はその生涯ずっと描き続けてきたように耐え忍ぶ生き様を、旭荘もその妻松子も共に歩んできたということだろう。
「ひとは才において尊いのではない、ひとを慈しむ心において尊いのだ」、葉室の声は静かだが貴い。
(2018/04/13 投稿)

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04/12/2018 江戸川乱歩傑作選 獣(桜庭 一樹 編):書評「江戸川乱歩を読むなら、この文庫から」

先日、本橋信宏さんの
『東京最後の異界 鶯谷』を読んでいて
その中で
江戸川乱歩の『陰獣』の
おどろおどろしい世界が紹介されていました。
その作品に登場する男女が密会するのが
鶯谷あたり。
そこから気になって
そしてとうとう読むことが出来たのが
今日紹介する
桜庭一樹さん選の
『江戸川乱歩傑作選 獣』です。
この文庫に収められている作品は
今日の書評に書きましたが
おそらく江戸川乱歩を読みたい人には
まずもって
この文庫がおすすめです。
じゃあ、読もう。

子供の頃にもしかしたら「少年探偵団」シリーズを読んだかもしれないが、江戸川乱歩の主だった作品が未読なことにずっと引っかかっていた。
今ではどの文庫でも読めるし、「青空文庫」でも読めるようになっている。
それでもなかなか読むきっかけがつかめなかったのだが、文春文庫から出ている「傑作選」の、特に直木賞作家桜庭一樹さん選の、この「獣」のラインナップを見て、これだけ読めば江戸川乱歩の初級読書体験はできるはず。
こうして、江戸川乱歩の世界に入り込んだのだ。
この文庫に収められた作品は、乱歩のデビュー作「二銭銅貨」、「一枚の切符」、あの明智小五郎探偵が初登場する「D坂の殺人事件」、これはずっと読みたかった「屋根裏の散歩者」(なんといってもこのタイトルがいい)、「一人二役」、「パノラマ島綺譚」、「陰獣」(これもタイトルがいい)、そして随筆が2編という豪華さである。
初めて読んで一番驚いたのは「パノラマ島綺譚」。この文庫では一番長い作品でもある。
何が驚いたかというと、亡くなったうり二つの知り合いになりすますために墓場を掘り起こす場面のおどろおどろしさをいったら、ない。
現代でいえばそういうホラー映画もたくさんあるが、この作品が発表されたのが大正15年というから乱歩の先見性に脱帽するしかない。
そして、その狂気の男が作り出したパノラマ島もちっとも古臭くない。むしろ、時代を先取りしていた感さえある。
そして、「陰獣」。いうまでもなくエンターテイメントの傑作だろう。
(2018/04/12 投稿)

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04/11/2018 絶望を生きる哲学 池田晶子の言葉:書評「哲学に励まされることもある」

講談社の文芸誌を読んでいて
池田晶子さんの新しい本が
2017年5月に出ていたことを
知りました。
それが今日の本、
『絶望を生きる哲学 池田晶子の言葉』です。
久しぶりに池田晶子さんの言葉にふれて
頭がすっきりしました。
でも、池田晶子さんが亡くなって
もう10年になるなんて
もし、生きていても
まだ私よりも若い池田晶子さんなら
どれだけの言葉を
のこしていたでしょう。
本の最後に掲載されていた
池田晶子さんの写真を見ながら
残念で仕方がありません。
じゃあ、読もう。

時々難しい本が読みたくなる。
人はどのように生きるべきかだとか、社会の正義とは何だろうかとか、きっと読んでもあまりよくわからないだろうが、そういう種類の本である。
ジャンルでいえば、「哲学」あたりだろうか。
それでもソクラテスとかプラトンや西田幾多郎といった哲学者の本は手強すぎて、やはり池田晶子さんあたりがちょうどいい。
それは池田晶子さんの「哲学」が軽すぎるというのではなく、わかりにくいことをできるだけ平易に(それでも難しいだが)表現しようとしたのが池田晶子さんだということだ。
それにしても、池田晶子さんはあまりにも早く逝ってしまった。
池田さんが亡くなったのが2007年2月、まだ40代の若さだ。
それでいて、池田晶子さんはたくさんの言葉を「哲学エッセイ」の形で遺された。そして、没後10年経っても、まだこうして新しい本が出版されて(この本の刊行は2017年5月)いるのだから、池田さんの言葉を生きる指針にしている人が多いという証だろう。
この本は池田さんの著作の中から今を生きる人のためにえりすぐった言葉をまとめたものだが、どこから読みだしても構わない。
難しければ読みとばしてもいいだろうし、気になった言葉は何度も読んでもいい。
読み方は自由だ。ただし、自分の頭で考えながら読めたら、きっといい。
私は、「先が見えないのは当たり前」というタイトルの文章が気に入った。人生は先が見えないのが当たり前で、それでも萎えずに生き抜くことに「人生の価値」があると、池田さんは教える。
そういう励ましが、時に欲しくなる。
(2018/04/11 投稿)

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04/10/2018 ぼくらが愛した「カーネーション」(宮沢 章夫、ほっしゃん。 他):再録書評「余熱」

4月から始まった
NHKの朝ドラ98作目、
「半分、青い。」、見てますか。
「恋愛ドラマの神様」みたいにいわれる
北川悦吏子さんのオリジナル脚本。
第1週が終わったところですが
「マグマ大使」や「あしたのジョー」が出てきたり
私はすっかりはまっています。
これからが楽しみです。
そして、
全国「カーネーション」ファンの皆さん、
お待たせしました。
いよいよ今日夕方4時20分から
毎日2話ずつ再放送が始まります。
NHK朝ドラ初の
夕方の時間帯の再放送です。
もう朝ドラとはいえない。
夕ドラ。
でも、朝見ても
夕方見ても
「カーネーション」はいい。
今からわくわく。
そこで、今日は
『ぼくらが愛した「カーネーション」』という本を
再録書評で。
じゃあ、読もう。

放送が終わって随分経ちますが、まだ余熱の中にいます。
佐藤直紀さんのテーマ曲を毎晩聴きながら眠りについたりしています。
2011年の下半期に放送された、NHKの朝の連続テレビ小説「カーネーション」は、そんな私だけでなく、放映後にこうして書籍化されるほど、余熱の中にいる人がたくさんいる、人気番組でした。
もし、このドラマが私の出身地大阪・岸和田と同じでなければ、きっと観ていなかったと思います。
それほど朝ドラは私には遠い存在でした。
たまたま舞台が岸和田であったおかげで、朝ドラ最高傑作とまでいわれたドラマを全話見逃さなかったことは、とても幸運だったといえます。
とにかく、このドラマは渡辺あやさんの脚本もいいし、佐藤直紀さんの音楽もいい。
糸子役を演じた主演の尾野真千子さんも、また糸子の晩年を演じた夏木マリさんもよかった。
あるいは糸子の父を演じた小林薫さん、母親役の麻生裕未さんといった脇役陣の好演もひかった。
女性の活躍、戦争の姿、子供たちの成長など、そのどれひとつとっても新鮮だった。
「カーネーション」が放送されていた毎日が、私にとってはドラマでした。
そんな「カーネーション」をこよなく愛する人たちが集まって生まれたのが、この本です。
まず、「心を震わせた名台詞30」がドラマの進行にあわせて紹介されています。
私が好きな台詞は、糸子が幼馴染の勘助の母親からなじられる、「あんたの図太さは毒や!」です。この台詞に打たれた人はたくさんいます。
本書で対談をしている評論家の宇野常寛さんも「あのひと言があるおかげで、どれだけ「カーネーション」っていう作品の世界が広がったか」と、評価しています。
正しいと思って行動する主人公を一刺しする台詞ですが、朝ドラの善を良しとしていた視聴者の胸にも突き刺さる台詞だったと思います。
その他、なぜこのドラマが「それまで朝ドラなんてほとんど見たことがなかった」中年文系男子に受けたのかを分析したコラムニストの石原壮一郎さんの評論や、脚本家渡辺あやさんの手法をみる大学の先生による評論など、いたって真面目に「カーネーション」を読み解いています。
また中年期の糸子を愛した北村を演じたほっしゃん。さんのインタビューもあったり、余熱を感じさせてくれます。
できれば、キャスト・スタッフ一覧といった資料編があれば、もっとよかったのですが。
(2013/02/07 投稿)

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04/09/2018 「葉桜」は夏の季語ですよ - わたしの菜園日記(4月8日)

日の日曜あたりが
桜まつりで
各地の桜の名所が賑わう頃ですが
今年の桜は早かったので
もうすっかり葉桜になっていたりします。

実はこの葉桜、
夏の季語なんです。
だから、随分早いですね。
葉桜の中の無数の空さわぐ 篠原 梵
それでも
探せばまだ春の草木も見頃で
こちらは春のたんぽぽ。

たんぽぽや日はいつまでも大空に 中村 汀女

畑で夏野菜の準備と今育てている野菜の管理の
講習会がありました。
私の菜園生活も4年めですが
やはり講習を受けると
やる気が全然ちがいます。
約1時間の講習を受けて
いざ自分たちの区画に。

鳥対策のネットをかけました。
ようく見ると
小さな実がつきはじめています。

赤くなると
鳥にねらわれるので
それをネットでふせぎます。

畝に貼った銀のテープは
アブラムシ対策。

ジャガイモの芽。

やっと出てきました。
新しい芽が出る時は
期待と不安で
わくわくします。

ほんの少し収穫しました。

少なくても
厳しい冬を越して
こうして実をつけてくれた
野菜に感謝です。

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04/08/2018 えほん遠野物語 かっぱ(京極 夏彦/北原 明日香):書評「遠野の河童は赤いそうだ」

入学式の季節です。
私の住んでいるあたりでは
明日あたりが小学校の入学式でしょうか。
今日は
柳田国男の『遠野物語』を絵本にした
『えほん遠野物語 かっぱ』を
紹介するのですが、
そういえば
子供の頃「カッパ」という
あだ名を頂戴していたような。
「ウマ」とも呼ばれたような。
いずれもあまり有り難くないあだ名ですね。
そんなあだ名で呼ばないように
しましょうね。
良い子のみなさんは。
京極夏彦さん文、
北原明日香さん絵の
面白い絵本です。
じゃあ、読もう。

私の世代、昭和30年代生まれであるが、で「かっぱ」といえば、水木しげるさんの『河童の三平』がすぐ頭に浮かぶ。
あるいは、鳳啓介と京唄子の漫才コンビでよく京が相方の鳳に対して「カッパ」と罵倒していたことも思い出す。
その当時かっぱには市民権があって、かっぱというだけでどういう形態の生き物(妖怪?)かということが想像できたものだ。
現代の子どもはどうだろう。
柳田国男の『遠野物語』を絵本にアレンジしてシリーズ化されていて、その中の一冊が「かっぱ」を描いた作品になっている。
「遠野の川には、河童が多く棲んでい」て、この川に棲む河童は「他の土地と違って」顔が赤いという。
こういう時の「赤」はなんとなく怖い。
最初、川のふちに付いた河童の足跡を見つけた子どもの後ろにそおっと佇む赤い影などは本当に怖い。
また別の言い伝えとして、馬にいたずらをしようとして捕まった(その容姿の割にはあまり強くないようだ)河童のそおっと差し出された赤い手は怖いけれど、村の人に二度といたずらをしないと約束して逃がしてもらった話など、なんだかかわいそうになる。
あるいは、村の娘に生まれた河童の赤ん坊の話。最初は怖い話の気配がするが、その子を棄てにいった村の男が見世物にしてしまおうかと悪知恵を働かせるなど、もしかした人間の方が河童よりよほど悪い。
この男に売られることなく、この赤ん坊はいなくなってしまったそうだが、河童であったのかもしれないが、その方がずっと仕合せだったにちがいない。
(2018/04/08 投稿)

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昨日小谷野敦さんの
『忘れられたベストセラー作家』という本を
紹介したので
今日はベストセラーつながりで
2009年に読んだ
植田康夫さんの
『本は世ににつれ ベストセラーはこうして生まれた』を
再録書評で紹介します。
この時の書評にも書いていますが
私には
「ベストセラーだから読む、という嗜好はない」。
だけど、行列ができていたら
ちょっと気になるタイプ。
この列、なんですか、
みたいなことは聞きたくなる。
あなたはいかが。
じゃあ、読もう。

ベストセラーだから読む、という嗜好はない。また、逆にベストセラーだから読まない、という天邪鬼でもない。「行列ができるラーメン屋」に並んでまで食べるかといえばそこまでしない。そんな気分だろうか。
ただ今どのような本が読まれているのかは気にかかる。へええと驚くこともあるし、同感と納得することもある。時にはあわてて「行列」に並ぶこともあるし、まったく無視することもある。
私にとって、ベストセラーはそういうものでしかない。
本書は副題の「ベストセラーはこうして生まれた」とあるように、戦後のベストセラーの「内容や売れ方を考察」した「ベストセラー史」である。
今までにもこのようなベストセラー史は戦後の歴史をひもとく際に多数考察されてきている。本書でも当然戦後最初のベストセラーとなった『日米会話手帳』の誕生秘史(広く膾炙されて今では秘史ではなくなっているが)から書き起こされ、最近のベストセラー事情まで網羅されているのだが、筆者が「あとがき」で書いているように「前半を詳しく書き過ぎて、後半が走り書きとなった」印象はいなめない。
戦後といっても一体いつの「戦争」のあとなのかわからない世代も増えてきている中では、むしろ平成以後のベストセラー史に焦点をあてた描き方もあったのではないだろうか。
ただ、平成以後の出版界を見た場合に、時代と添い寝するようなベストセラーがあったかどうか。また昭和三十年代の神吉晴夫(カッパブックス創設者)のような志たくましい出版人がいるかどうか。そう見れば読み物としての平成の「ベストセラー史」が成立するかどうかはよくわからないのではあるが。
そもそも本がその時代の「バロメーターの役割」に今もなりえているかどうかもわからない。
むしろ、現代のように他の媒体によってベストセラーが作られている事情(本書ではテレビによる影響や最近のブログ等の新しいメディアによる影響にも言及されている)では、本は単に流行りすたりのある「商品」でしかないのかもしれない。
風見鶏はもはや飾りでしかないのだろうか。
(2009/04/09 投稿)

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ベストセラー本を読むことは
時代の流れにのるようなところがあって
例えば
今売れている
若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』は
シニア生活をおくっている人にとって
身につまされるようなところがあって
やはり
今読んでおくと
共通の会話にもなる面もあったりする。
だから、ベストセラー本は
欠かさないという人も
多いのではないだろうか。
しかし、いつまでもベストセラーが続くことはない。
いずれ売れなくなり
書き手たちは忘れられていく。
今日は
そんな作品、作家たちを描いた
小谷野敦さんの『忘れられたベストセラー作家』を
紹介します。
じゃあ、読もう。

ベストセラーというのは、「売れた本」のことをいうが、ではその「売れた」はどのくらいの部数のことをいうのだろうか。
最近では『漫画 君たちはどう生きるか』が200万部という驚異的な数字を出したそうだが、その原作といえる吉野源三郎の小説の初版は1937年というからロングセラーでもある。
この本の場合は特異的で、多くのベストセラーは一時的な盛り上がりはあるが決して長く続くわけではない。
だとしたら、その書き手もまた忘れ去られていくのは必然で、どんな作家たちがいたか興味がわいた。
章立てのタイトルがよくなくて、まず第一章では「「新聞」が生み出した人気作家」となっていて。続いて「発表媒体による「値打ち」とある。
一体どんな切り口でベストセラーを論じているのかこれではわかりにくい。
第四章の「終戦後のベストセラー史」で、この構成が時代区分だということに気づく。
それならもっとわかりやすい見出しをつければいいのに。
わかりにくい見出し同様、戦後だけ見てもすべてのベストセラー本を追いかけたわけでもなさそう。
「売れた」定義が曖昧だからそうなるので、だったら年間ベストセラーを追いかける方がうんとわかりやすい。
そうであっても、作家たちの「あの人は今」を提供するのではないし、そういえばこういう本があったな、こういう作家がいたなという程度になってしまう。
「売れる」本よりも「読まれる」本を目指すというのは、負け犬の遠吠えなのか。
(2018/04/06 投稿)

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04/05/2018 雪子さんの足音(木村 紅美):書評「この作品が受賞作でもよかったのに」

今日は二十四節気のひとつ、清明。
ちょうどこの頃、
万物が溌剌としてくるという意味。
清明や壺に満ちゆく水の音 片山 由美子
そんな日に紹介する一冊は
第158回芥川賞の候補作だった
木村紅美さんの『雪子さんの足音』。
この中編の主人公は
大学生の頃高円寺の下宿に住んでいたという設定ですが
私は
新井薬師の下宿にいたことがあります。
その街を再度訪れたのは
40年近く経ってからですが
残念なことに下宿のアパートは
なくなっていました。
そんなことを
思い出しました。
じゃあ、読もう。

第158回芥川賞候補作。
すでに受賞作が決定しているから、候補作どまりとなった作ともいえるが、選評を読むと総じて評価は高い。
第158回芥川賞の候補作が全部で5作で、受賞したのがその内の2つだから、受賞できなかった作に順位をつけても仕方がないかもしれないが、読む人によって次点あたりだろうか。
舞台は20年前の東京・高円寺にあった下宿屋・月光荘。
選考委員の吉田修一氏は「二十年前の東京の様子が、とてもうまく描かれている」と評しているが、自分が東京で学生生活をしていた四十年前の気分もどこかにあって、若い人にとっての(作者の木村紅美(くみ)さんは1976年生まれだから、私とは実際に20年の開きがある)学生生活はあまり変わらないのかもしれない。
主人公の薫はその下宿の大家である雪子さんに可愛がられ、何かと面倒をみてもらうようになる。二十年後、その雪子さんが90歳で亡くなったという新聞記事を目にして、主人公は一気にあの雪子さんがまとわりついた時代へと回帰することになる。
ここにもう一人、小野田さんという女性の下宿人を配置することで、薫はのっぴきならない生活に取り込まれたことを実感する。
なんともいえない怖さと雪子さんの好意を振り切る残酷さは青春期の一面だし、その意味ではこの物語は懐かしい匂いのする青春小説だといえる。
「「草食男子」の誕生秘話のようにも読める」と書いた島田雅彦氏の選評には笑ってしまったが。
(2018/04/05 投稿)

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04/04/2018 遠い朝の本たち(須賀 敦子):書評「またお会いしましたね、そう言いたくなる本」

これはずっと残しておきたいと
思った本は
割とマメにビニールのカバーをつけていた頃があります。
今日紹介する
須賀敦子さんの『遠い朝の本たち』も
そんな一冊です。
私が持っている本は
1998年6月の第五刷のものですから
20年前に読んだ本ということに
なります。
久しぶりに読んでみて
いいなと思いました。
美しい文章は美しい心から生まれるのでしょうか。
じゃあ、読もう。

文筆家須賀敦子さんが亡くなって、今年20年になる。
1998年3月20日、69歳という、今では早逝といえる年齢であった。
それから一ヶ月足らずで出版されたのがこの本で、その当時の帯には「著者が最後まで手を入れ続けた」とある。
16篇の随筆はそれぞれ本にまつわる物語だが、どれもどちらかといえば翻訳調の文体で、思考が重なるように組み立てられている。
自身の人生の終りを迎え、自分をこしらえてくれたであろう本の物語を、須賀さんはどのような思いで「手を入れ続けた」のであろうか。
それを思うと、この作品の重さや質の高さがわかるというものだ。
どれほど生前に読まれていようと、亡くなれば消え去っていく作家が多い中、須賀さんはそういう浮き沈みと関係なく、いつまでも愛され、読まれ続けている作家であるのは、須賀さんの文章の硬質性にあるのではないかと思っている。
いつまでも腐らない文章は変わらずに人の心に染みていく。
本にまつわる随筆の、その冒頭に置かれた「しげちゃんの昇天」は須賀さんの幼馴染の早すぎる死を描いて胸を打つが、それであってもけっして情意的に書かれた文章ではない。
だから、最後にしげちゃんの「小さいころからの彼女の愛称」であるところの「しいべ」と綴られる時、不意を突かれたように感情が波をうつ。
そして、これは編集者の力だろうか、この本の最後の「赤い表紙の小さな本」で再び「しいべ」が登場し、この本全体が巧みに閉じられている。
これからも須賀敦子さんの本は「遠い朝の本」のように、読まれ続けるのであろう。
(2018/04/04 投稿)

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04/03/2018 春は駆け足で - 春の花めぐり紀行

菜の花畑で眠つてゐるのは……
菜の花畑で吹かれてゐるのは……
赤ン坊ではないでせうか?
いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です
ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です
菜の花畑に眠つてゐるのは、赤ン坊ですけど
これは「春と赤ン坊」という詩の一節。
中也らしいといえばそうですが
なんとも不思議な感じがします。

友人たちと
千葉を走る小湊鉄道の花めぐりをしてきました。


こんな光景を見ると
確かにどこかに赤ン坊が眠っていても
不思議ではない、
そんな気分になります。
山村暮鳥という詩人に
この光景にぴったりの詩を見つけました。
「風景」という詩の一節。
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな
こんな詩句が続きます。

小湊鉄道の列車がやってきて
あわてて、パチリ。

一輌の電車浮き来る花菜中 松本 旭
「花菜」は菜の花の別名。

写真愛好家に人気の
絶景スポットもあって
これは「飯給(いたぶ)」駅の桜。

実はこの写真のまわりには
ずらりと何十人もの写真愛好家の人たちが
列車の到着を待っていました。

駆け足で過ぎていきそうですが
友人たちのおかげで
いい春を楽しめました。

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04/02/2018 カレーに桜もまた散る - わたしの菜園日記(4月1日)

満開になってから好天気が続いたので
じっくり楽しめたのではないですか。
さすがに昨日の日曜日は
耐えきれずに
散り始めていました。
川には見事は花筏ができて
それはそれで風情があって
好きです。

一片のまた加はりし花筏 上野 章子
桜並木沿いに
畑がありますから
畑にも桜が舞い落ちていました。


畑でカレー大会がありました。
もう少し早ければ
満開の桜を愛でながら
カレーも頂けたのですが
こればかりは仕方がありません。
舞い散る桜を見ながらの
カレー大会となりました。

参加した人は100人足らずで
この春にやめる人とは
旧交を温め、
新しく菜園を借りた人とは
畑の楽しみを語り、
楽しい一日を過ごしました。

珍しい花も楽しめたりするので
そのあたりは
菜園生活の醍醐味です。
これはダイコンの花。

大学の庭の大根花咲けり 沢木 欣一
「大根の花」は春の季語です。
歳時記には
「菜の花のような明るさも感じられないが、
ひっそりとした味わいがある」と
書かれています。

スナップエンドウの実。

私は朝から行って見て
見落としてしまいました。
写真で
どこまでわかるでしょうか。

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今日から4月。
新たな気分で窓を開けたくなる、
そんな月です。
教室に世界地図ある四月かな 明隅 礼子
春、一年生になる子どもにとって
とってもわくわくする頃。
そんな君に
今日は素敵な絵本を紹介しましょう。
角野栄子さん文、
大島妙子さん絵の
『一年生になるんだもん』。
この絵本を開きながら
「もう字読めるもん」と
えらそうにしている子どもの姿が
見えるようです。
入学児手つなぎはなしまたつなぐ 右城 暮石
じゃあ、読もう。

この絵本の作者は、先日国際アンデルセン賞の作家賞に選ばれた角野栄子さんです。
作家賞は日本人として、まど・みちおさん、上橋菜穂子さんに続いて、3人めになります。
角野さんの代表作といえば、『魔女の宅急便』になるのでしょうが、たくさんの作品を書かれていますから、手にとってみるのもいいと思います。
角野さんは受賞後のインタビューで「自分の言葉を持つことは世界を広くしてくれる」といい、「読書が子どもに与えるのは言葉」で、言葉は自分を表現するための力になると語っています。(3月31日付日本経済新聞朝刊)
それは長い物語だけでなく、この作品のような絵本でも同じだと思います。
この絵本では春に一年生になるさっちゃんという女の子の、入学前と入学式当日の様子を描いていますが、絵本ですがたくさん文字がある作品になっています。
明日入学式という前の夜、たくさん星が出ている空を見上げながら、さっちゃんとお母さんが会話をする場面があります。
何気ない三つの会話の中に、さっちゃんの一年生になる不安と期待と喜びが込められています。そんなさっちゃんにお母さんの答えも短いけれど、暖かいものです。
きっとこのようにして幼い読者は言葉の力を自然と身につけていくのでしょう。
一年生になったさっちゃんがこれから出会うだろうたくさんのことがらに祝福をおくりたくなるような絵本です。
そして、そんな角野さんの文章に負けないくらい、大島妙子さんの絵も素敵です。
(2018/04/01 投稿)

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