05/31/2018 張込み(松本 清張):書評「短編ながら読書の醍醐味を満喫」

昨日紹介した
阿刀田高さんの『短編小説を読もう』にも
あるいは
湯川豊さんの『一度は読んでおきたい現代の名短篇』にも
紹介されていた
松本清張さんの短編小説『張込み』を
紹介します。
松本清張さんの短編小説は
いろんな文庫本で
さまざまな編者によって
アンソロジーが編まれています。
当然名作の誉れの高いこの作品は
どのアンソロジーにも
入っているはず。
こういう作品を読むと
松本清張文学に
はまってしまうのも
わかりますね。
じゃあ、読もう。

松本清張のあまりに有名な、ある意味では芥川賞を受賞した『或る『小倉日記』伝』以上に、短編小説。
初出は1955年の「小説新潮」12月号。
芥川賞を受賞したのが1953年で、しかしそれでもあまり仕事は増えなかったという。そんな鬱屈した生活の中で書いた推理小説がこの作品で、その後社会派推理小説を打ち立てた松本清張の嚆矢となった。
文庫本にしてわずか30ページほどの作品で、しかも昭和30年という時代背景ながら決して古びていないのはさすがだ。
一人の殺人犯を追って刑事が東京から九州S市に向かう。今ならせいぜい数時間の旅だろうが、新幹線も走っていない時代、煤煙と車輪の轟音にまみれながら、事件のあらましが綴られる。
犯人はかつて愛し合った、そして今は九州に嫁いだという女性に会いにいくのではないかと推理した刑事は、女性を張り込む。
そうして刑事は女性の単調な日常を知ることになる。
ところが、犯人が現われ、密会を果たした際の女性の変わりように刑事が驚く。
刑事は女性に「火がついたことを知った。あの疲れたような、情熱を感じさせなかった女が燃えているのだった」。
犯人は逮捕され、刑事が女に日常に戻ることを説く場面でこの小説は終わる。
松本清張はこの女性の家庭に「一つの人生の断片的ものをすくいあげることを狙った」といい、推理小説ではないとも語っているが、物語の展開の面白さは推理小説並みであろう。
大人が満足しうる短編小説、ここにあり、といえる作品だ。
(2018/05/31 投稿)

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05/30/2018 短編小説を読もう(阿刀田 高):書評「見本帖として短編小説の世界を広げる」

読書というのは
本を読むことなのか
作品を読むことなのか。
もちろん長編小説ともなれば
本一冊、あるいは複数巻読むことが
読書ということになるのだろうが
短編集の場合はどうだろう。
ある意図で
数編の短編がまとめられることもあるが
そうではなく
短編小説一つひとつが
その世界を生み出しているとすれば
本の中から
作品ひとつを読むことだって
いいのだろうと思います。
最近そんな風に読むと
少し読書の風通しがよくなったような
気がします。
今日は
阿刀田高さんの
『短編小説を読もう』をいう
中高生向けの新書を
紹介します。
じゃあ、読もう。

この本のタイトルはあたかも「短編小説」について書かれているように思えるが、どちらかといえば直木賞作家で短編小説が大好きな阿刀田高さんの「若い日の気楽な読書」が綴られている。もっとも、「短編小説」が主だから、その点ではタイトルが誇大広告でもないが。
岩波ジュニア新書だから、基本的に中高生向きに書かれている訳だから、活字離れといわれる時代に、まずはお手軽な「短編小説」で読書に興味をもってくれたらうれしい。
阿刀田さんは「短編小説」の特徴を「短いこと」としています。
なんだか拍子抜けしそうな説明ですが、そんなことはありません。
よく読むと、「短いからこそ全体として多様であり、多彩」だとしています。
阿刀田さんが紹介している「短編小説」も、芥川龍之介もあればホームズもあり、ポーもいれば中島敦もいる。さらには松本清張にいたっては、わざわざ1章割いているというはまりよう。
これだけ見ても「短編小説」の多彩さがわかります。
具体的な短さでいえば、阿刀田さんは「短編小説」は原稿用紙20枚から100枚あたりの分量で、それより短くなれば星新一さんに代表される「ショート・ショート」と説明しています。
これぐらいの短さだと1時間もあれば読める長さといえます。
また、阿刀田さんは「短編小説は見本帖」としての役割もあるといいます。
たしかに面白ければ、その作者の長編小説や他の作品にはいっていけばいいのですから、その役割は大きい。
時代小説でもミステリーでも純文学でもまずは自分に何があっているか、「短編小説」で試してみるのもいいと思います。
(2018/05/30 投稿)

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05/29/2018 朝ドラには働く女子の本音が詰まってる(矢部 万紀子):書評「わたし、女子のお友だちです」

まずは愚痴、文句から。
この春から
NHKが実験的に始めた
過去の「朝ドラ」を夕方に放送するという試み。
その先鞭として選ばれたのが
「カーネーション」だが
しっかり見ようと
録画もばっちりしたのだが
国会中継とかで何度も延期になって
とうとう挫折。
やっぱり放映するなら
放送時間の変更のない時間帯で
やってほしい。
せっかく「カーネーション」楽しみにしてたのに。
なので
矢部万紀子さんの
『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』で
溜飲を下げました。
「カーネーション」大好きな人に
ベストな一冊です。
じゃあ、読もう。

通称「朝ドラ」と呼ばれるNHK「連続テレビ小説」の放送が始まったのが1961年。その第1作が「娘と私」で、現在放送されている「半分、青い。」(北川悦吏子脚本)は98作めになる。
タイトルに「朝ドラ」とついているので今までの「朝ドラ」の全作品が紹介されているように思うが、本書の中には1966年の「おはなはん」には少し触れられているが「おしん」も「ちゅらさん」も省かれている。
では、どんな作品が紹介されているかといえば、「ちりとてちん」(2007年下期)「ゲゲゲの女房」(2010年上期)「カーネーション」(2011年下期)「あまちゃん」(2013年上期)「ごちそうさん」(2013年下期)「花子とアン」(2014年上期)「まれ」(2015年上期)「あさが来た」(2015年下期)「とと姉ちゃん」(2016年上期)「べっぴんさん」(2016年下期)「ひよっこ」(2017年上期)といった作品である。
「朝ドラ」を評する場合、「おしん」を頂点とする高視聴率作品群と低視聴率の作品群、そして「ゲゲゲの女房」以降の復活作品群で区分けされるが、本書はその復活作品群でも全作品ではないのが少し物足りない。
「べっぴんさん」を「うっすいドラマだった。学芸会を見せられているよう」とまで書く著者だから「純と愛」(2012年下期)の評価を聞きたかったが。
私とすれば「カーネーション」が特別枠のような章で二度紹介されているので大満足。
しかも二度目の紹介では「カーネーション」での戦争の扱いがきちんと取り上げられているのもいい。
しかもあの作品では性格的に強い人の、自分で気づかない怖さも描かれていて、著者はその点も見逃さない。
著者は「あとがき」で「「朝ドラ」の話にのれる男子は、女子のお友だちなんだ。リトマス試験紙なんだ」と書いているが、「朝ドラ」の話ならまだまだ出来る私は「女子のお友だち」になれるだろうか。
(2018/05/29 投稿)

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05/28/2018 現在育てているのは17種類の野菜 - わたしの菜園日記(5月26日)

俳句の世界では
秋の季語。
運動会午後へ白線引き直す 西村 和子
でも、最近は暑くなる前にする学校も多いようです。
私の家のそばの小学校は
先日の5月26日の土曜日が運動会。
暑さ対策で
開催時期が変更されても
今年は暑い日が多いですから
なかなか難しい。
それでもこの日は猛暑ではなかったので
よかったですね。

遠くから運動会の放送が聞こえてきて
なんだか楽しそう。
こちらも負けずに
畑に鍬をいれて
この日はエダマメの種を蒔きました。
これでほぼ夏野菜の準備は終わりました。

最初の畝 中玉トマト・長ナス・キュウリ
二番目の畝 エダマメ・モロヘイヤ・オカヒジキ
三番目の畝 ニンニク・タマネギ(この二つはもうすぐ収穫。そのあとにオクラ)
トウモロコシ
四番目の畝 ミニカボチャ・キュウリ・ミニミュウリ
写真は四番目の畝。

あとエクストラエリアで
ショウガ・ジャガイモ・ニンジン・水ナス・万願寺風トウガラシ
となると、17種類の野菜を育てていることになります。

早くもキュウリに一番果がつきました。

これは大きくなる前に収穫して
さらに成長を促します。


この葉もおいしいですから
間引きも楽しみ。
そして
トウモロコシ。
雌花にヒゲがでてきました。

ちなみに
トウモロコシは夏野菜ですが
俳句では秋の季語。
「トウモロコシの花」で夏の季語。
なかなか
ややこしい。

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05/27/2018 いのちのたべもの(中川 ひろたか/加藤 休ミ):書評「いのちをじっとみつめる」

今日紹介する
中川ひろたかさん文、加藤休ミさん絵の
『いのちのたべもの』という絵本の出版社は
おむすび舎といいます。
この絵本のおしまいに
このおむすび舎のメッセージがあります。
少し引用します。
たべることと同じように、人のこころを
あたたかく いやしてくれる絵本。
絵本は、たいせつな こころのごはん。
(中略)
こころをこめて、手塩にかけて
つくり、手渡すことで
人と人のこころ やさしく「結び」ます。
こんなことがいえるなんて
とっても素敵な出版社だと
思いませんか。
じゃあ、読もう。

この絵本につけられた出版社の小さなメッセージカードに、作者の中川ひろたかさんがこんな言葉を綴っている。
「この地球は、様々ないのちを生んだ、いのちの星だ。ぼくたち人間はじめすべての生き物たちは、そのいのちをいただいて生きている。(後略)」と。
そして、この作品が「食育」の絵本だとしている。
ある日おかあさんとスーパーに買い物に行った「ぼく」はお母さんに頼まれた野菜や魚、お肉といった買い物をしながら、それらが海や陸に関係した食材であることを学んでいく。
そういえば黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』でも、黒柳さんが学んだ「トモエ学園」ではお弁当に「海のものと山のもの」をいれることを薦められたとあったが、あれは戦前の随分昔の話だが、考えてみると「食育」の実践であったことがわかる。
この絵本ではお母さんはその日の晩ごはんの「寄せ鍋」を使って子どもに食べ物の大切さを教えている。
最近流行りの市民農園にしても小さな子供のいる若い家族が借り手として多い。
それは野菜作りを通じて「食育」を教えようとする、親の思いだ。
おかあさんはぼくに言う。
「いのちをいただくことで、ひとはいきているのね」と。
その一方で、ぼくの大好きなスナック菓子はあまり食べない方がいいとも話す。
このあたりは、絵本を読むのにきちんと説明が必要だろう。
あいかわらず加藤休ミさんのクレヨン画はとってもおいしそうだ。
野菜やお肉が「いのちのたべもの」だから、よけいにおいしく見えるのだろう。
(2018/05/27 投稿)

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05/26/2018 蛍(村上 春樹):書評「この卵からあの名作が誕生する」

村上春樹さんは長編小説の作家と
されることが多いかもしれないが
数多くの短編小説も書いている。
私はどちらかといえば
短編小説の村上春樹さんが好きなんだが。
その短編小説の中で
やはり一番好きなのが
『中国行きのスロウ・ボート』だが
今回はせっかくなので
『蛍』という短編を
読んでみました。
あの『ノルウェイの森』のもとになった短編。
今回久しぶりに読んでみて
やっぱりいい。
思わず『ノルウェイの森』が
読みたくなりました。
じゃあ、読もう。

この作品の初出は1983年の総合誌「中央公論」の1月号。同じような系統の「文藝春秋」でもその当時は新しい年の初めの号には短編小説を数編載せていたから、この作品もそうであったのかもしれない。
それにしても当時の村上春樹さんは1979年に『風の歌を聴け』でデビューしたばかりのほとんど新人レベルの作家だったはずで、それがいきなりの「中央公論」の新年号だから期待大の、大型新人だったのだろう。
編集者の期待に村上春樹さんはよく応えた。
何しろこの短編はのちの大ベストセラー『ノルウェイの森』(1987年)となって再生されたことは有名な話。
わずか数十枚の短編が上下巻の長編に姿を変えたのだから驚くが、それ以上に『ノルウェイの森』が持っている気分が、あるいは文学的な匂いが、この短編にもあって、さすがにあの作品の卵であるのもわかる。
それは心を病んで主人公の前から姿を消してしまうヒロインの姿が重なるというより(もちろんそれもあるが)、村上春樹さんがいう「シンプルで、少しセンチメンタルな青春小説的な話」として二つの作品が大きさは違っても同じだということだろう。
この短編の最後、タイトルにもなった「蛍」を夜の世界に放った主人公「僕」の、けっして指に触れない、ほんの少し先を行く「小さな光」こそ、青春期にある若者たちに共通する夢のような存在ではないだろうか。
もし、この短編と『ノルウェイの森』をどちらを先に読めばいいかと尋ねられたら、やはりこの『蛍』だろう。
(2018/05/26 投稿)

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05/25/2018 定年後の知的生産術(谷岡 一郎):書評「定年後こそアウトプットが重要」

最近日本大学アメフト部のことが
大きく取り上げられている。
日大といえば
昭和43年(1968年)に起こった
日大闘争を思い出す。
その大学紛争を皮切りにして
全国の多くの大学に
学生運動が広がったと
記憶している。
その発端は大学側の経営の不透明感に
当時の学生たちが反発したものであった。
あの闘争を経験した人たちこそ
団塊の世代の人たちであろうが
今の日大のありよう、
学生たちの姿を
あの日大闘争を経験した人たちは
どう見ているのだろうか。
今日紹介する谷岡一郎さんの
『定年後の知的生産術』は
団塊の世代に
多くの期待を寄せてはいるが。
じゃあ、読もう。

「定年後」と「知的生産術」という興味のある(好きな)ワードが二つも並べば、やはり読むしかないと手にした新書です。
ただ全部で6章あるうちで二つのワードが関係していると思われるのは、最初の章と最後の章ぐらいで、あとは「定年後」でなくともどの世代であっても知っておくといい「知的生産術」の内容になっています。
どれくらい著者の意図があったのかわかりませんが、「定年後」をつければ他の新書のようにバカ売れするかもしれないと考えた編集者がいたのではないでしょうか。
この本の中で著者は「比較的高年齢の人々のうち、知的生産に生きがいを感じる人々」を「クリエイティブ・シニア」と名付けている。そして、団塊の世代にそのような人たちがたくさんいて(分母が大きいのだからどうしても多くなる)、彼らがこれからの日本を先導するのではというしている。
団塊の世代はこの国の高度成長期を支えた人たちであることは間違いない。
中でも、その先頭を走ってきたエリートたちは仕事を終えたあとも「知的エリート」であり続け、この国全体の知の環境を補完していると著者は見る。
実際、団塊の世代の人たちの知への探求心は衰えるところはない。
ある地方都市の経済に関する市民講座の出席者は、そんな団塊の世代の人たちで満席になっている。
この新書は「定年後」に関係なく「知的生産術」の指南書になっているが、それは同時にインプットに傾くシニアの人たちにアウトプットを促す、応援歌とも読めないだろうか。
(2018/05/25 投稿)

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05/24/2018 闘う商人 中内功(小榑 雅章):書評「よい品をどんどん安く」

今の若い人に
ダイエーといっても知らない人が
多いかもしれない。
イオンやセブンイレブンは知っていても。
あるいはローソンが
かつてダイエーの傘下にあったなど
知る由もない。
私がその会社に就職をした
昭和54年頃もまたそうで
ダイエーといえば
映画会社の大映と間違えられたくらいだ。
私の顔を見れば
俳優になどなれるはずもないのに。
ダイエーを知らない世代にも読んでもらいたい、
ダイエーの創業者中内功氏のこと。
今日は小榑雅章さんの
『闘う商人 中内功』を
紹介します。
いい本です。
じゃあ、読もう。

「広辞苑」は辞書であるから改訂版が出るたびに当然新しい言葉や事件、あるいは人名が追加される。2018年1月に10年ぶりに改訂となった「広辞苑」第七版に、「中内功」の名前が追加されることを知り、大いに驚くとともに岩波書店の知見の懐深さに頭が下がった。
「中内功」というのはかつてダイエーという一大流通王国と作った創業者で、ダイエーの落日とともに2005年9月83歳で逝去した人物である。
戦後この国にスーパーという流通業を広めた功績は、もちろん中内氏とともに創業者として名を連ねるあまたの経営者はいるとしても、中内氏がいなければそれはまた違った世界になっていただろう。
中内氏の功績は大きいけれど、ダイエーが巨額の借金まみれになっていく中、中内氏への風当たりは強く、晩節は決して讃えられることの少ない経営者であった。
その中内氏を「広辞苑」は評価したことは大きい。
かつてダイエーの調査室長、秘書室長として中内氏のそばで仕えた小榑雅章(こぐれまさあき)氏が赤裸々に語った「中内功」像が、本書である。
副題に「ダイエーは何を目指したのか」とあるが、おそらく正しくは「中内功は何を目指したのか」だろう。
こういう著名な(色々な意味で)人の人物評伝となれば、いい面は濃く、悪い面は薄められるものだが、この作品はそういうことはない。
何しろ著者はあの花森安治氏のいた「暮しの手帖」編集部からダイエーに転職した経歴を持ち、この作品の冒頭は中内氏へ諫言を行って逆鱗にふれる場面だから、決して中内氏のすべてを良しとはしていない。
読み進むうちに、中内氏は終生「よい品をどんどん安く」というダイエーの社是でもあった思いを持ち続けた経営者であったことが見えてくる。
そのことを誰が時代遅れだと非難できるだろう。
中内氏が戦後、そしてその成長期に蒔いた種は、今も名前や業態を変えて別々の花を咲かせているような気がする。
やはり「広辞苑」は正しい評価をしたといえる。
(2018/05/24 投稿)

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05/23/2018 春情蛸の足(田辺 聖子):書評「あの時代の気分を思い出しながら読むと、さらにいい」

最近読む本読む本、
みんな長い。
昨日紹介した朝井まかてさんの
『雲上雲下』も400ページを超える作品だったし
どうも全般的に
長編小説が多くなったような気がします。
それは文学だけでなく
映画もそうで
昔ならせいぜい90分だった映画が
最近では2時間は当たり前。
作品が長くなるのは
表現者が示したいことが多いということもあるでしょうが
なんでも描けばいいというものではないはず。
その一方で
短編小説のアンソロジーも
特に文庫の世界では
数多く出版されています。
文学は一体
どっちに行くのかな。
そんな中、
最近湯川豊さんの『一度は読んでおきたい現代の名短篇』を読んで
短編小説いいじゃないのと
再確認したところ。
だったら、
短編小説をしっかり読もうと
新しいカテゴリも立ち上げました。
その最初の作品が
田辺聖子さんの『春情蛸の足』。
この作品は
湯川豊さんの本を読んで
読みたいと思ったもので
その選択はまちがっていなかった。
とっても
おもろいでっせ。
じゃあ、読もう。

昭和が終わる少し前(1987年)に編まれた、食べ物と恋をテーマにした短編集の表題作となったのが、この作品。
あるいは「24時間戦えますか」という栄養剤のCMが流れたのが1988年だから、そんな時代の気分が、この作品の主人公杉野にはある。
かといって、あのCMのようにバリバリの企業戦士でもなく、39歳、4歳と2歳半の男の子を持ついたってどこにでもいる男だ。
ただこの小説の場合、この時代の雰囲気がとっても生きている。
さて、この杉野であるが、奥さんとは最近とんとご無沙汰なのである。
田辺サンはそのあたりのことを「淡泊」と書いたり、「寝てるほうがエエ…」なんていう奥さんの台詞で表現しているが、この作品全体がこういう際どい表現で書かれていながら、ちっとも不快も欲情もわかない。
田辺サン、さすが。
その杉野がある日ばったり幼馴染のえみ子と出会う。
久しぶりに会った二人が向かったのがこじんまりしたおでん屋。
「大根が薄いべっこう色に煮えて行儀よく重なっている。じゃが芋は、だしに煮含められて琥珀色である」と、おでんを表現する田辺サンの名人芸にしばし舌なめずりしよう。
きっとこの短編は、このおでんを味わうだけで、半分以上満足できる。
何十年ぶりかで再会した杉野とえみ子だが、やけぼっくりに火がつきかけて、杉野はするりと身をかわす。
なぜか。
杉野はおでん鍋の具材を眺めつつ、じっくり味わいたい男だったのだ。
きっと彼は「24時間戦う」気など毛頭ない。
(2018/05/23 投稿)

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05/22/2018 雲上雲下(朝井 まかて):書評「物語だからこそ伝わる世界」

朝井まかてさんの
この『雲上雲下(うんじょううんげ)』は
先月の読書会で
紹介された一冊で
この本をきっかけにして
朝井まかてさんの作品で
どれが一番か喧々諤々となった
期待の一冊。
期待にもれず
面白かったし
とても深いお話になっていました。
これが
「日本農業新聞」という新聞に連載だったなんて
いいですよね。
でも、
どんな新聞なのでしょう。
じゃあ、読もう。

直木賞作家の朝井まかてさんが「日本農業新聞」に2016年4月から1年をかけて連載した意欲作。
原題が「福耳草」。単行本化にあたりこの題名に改題されたが、とてもうまいタイトルをつけたものだ。
「雲上」すなわち神々の住む尊いところ、「雲下」すなわち人々が暮らすこの場所、この二つの世界を結ぶものこそ、「物語」であったとするなら、この作品は朝井まかてさんの「物語論」とも呼べる作品、だから意欲作。
名もない草にある時「草どん」と呼びかける声がする。それは尾っぽのとれた子狐。
子狐にせがまれるまま「草どん」は昔話を語るが、自身どうしてそんな話を覚えているのかわからない。
それでも声になって紡がれる、竜宮や龍の子の物語。
語ることで「草どん」は自分というものを取り戻していく。
そんな「草どん」の自分探しと幾編かの昔話が交差して、物語を深みへと誘う。
まさに誘うという言葉の通り、読者は朝井まかてさんの話術によって、物語の面白さ残酷さ悲哀と感情の奥を暴かれていく。
そして、次第に「物語論」の核心にはいっていく。
怖い物語や残酷な物語をそれが残酷ゆえに隅に追いやって隠すことで「痛みを想像できなくなる」、そして手にしたのがゲームにあるような「いびつな残酷さ」ではないかと、朝井まかてさんは物語に語らせる。
かつて「物語」ゆえに有効であったものを私たちはいつの間にか失いかけているのではないか、朝井まかてさんこそ「草どん」の本当の姿、お伽衆かもしれない。
(2018/05/22 投稿)

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05/21/2018 南瓜ニ南瓜ノ花サク。 - わたしの菜園日記(5月19日)

昨日あたり各地でバラまつりが開かれたのでは。
私の家の近くにある
さいたま市与野公園でも
土曜日曜とバラまつりが開催されていました。

一口にバラといっても
その品種は多くて
赤や黄色、白、ピンク、ラベンダー色なんていうバラも
ありました。

薔薇園の薔薇整然と雑然と 須佐 薫子
薔薇といえば
薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花サク。 ナニゴトノ不思議ナケレド。
という名言を思い出しますが
これは北原白秋の詩の一節だとか。
当たり前すぎるけれど
そんな当たり前のことで私たちは
心を動かされたりする、
そんな心持ちを詠った詩ともいえます。

薔薇に負けずに
花を咲かせ始めました。
これはカボチャの花。

こちらがキュウリの花。

同じウリ科の野菜ですから
花もなんとなく似ています。
南瓜ニ南瓜ノ花サク。 ナニゴトノ不思議ナケレド。
ですね。

ジャガイモの花。

小さくて
可憐ですよね。
じやがいもの花の三角四角かな 波多野 爽波

万願寺風トウガラシに
小さな実がつきました。

なんともかわいらしいもの。

イチゴを伐採して次の栽培の準備を
行いました。
今年のイチゴの収穫は75個。
一時に採れれば結構な数ですが
徐々に収穫したので
たくさん採れた感じはしません。
イチゴの畝に植えていたニンニクも収穫。

ニンニクは
薄皮をむくと
本当に真っ白な肌をしています。

次の栽培の講習会。
次はオクラに、エダマメです。

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05/20/2018 だるまちゃんとかまどんちゃん(加古 里子):書評「加古さんが遺してくれたメッセージ」

加古里子さんが亡くなって
まだ一ヶ月も経っていないのだな。
いつも行く図書館にも
加古里子さんの追悼コーナーがあって
こんな作品、あんな絵本、
あまりにたくさんの作品に
あらためて頭がさがる思いです。
今日紹介する
『だるまちゃんとかまどんちゃん』は
今年1月に刊行されたという
まさに加古里子さんの
最後のメッセージともいえる
絵本三作品の1冊です。
じゃあ、読もう。

5月2日に92歳で亡くなった加古里子(かこさとしというひらがな表記での著作も多い)さんは絵本作家として生涯現役であり続けました。
その証拠に2018年1月、「だるまちゃん」シリーズの新作3作を同時出版しました。この絵本は、そのうちの1冊で、残りは『だるまちゃんとはやたちゃん』、『だるまちゃんとキジムナちゃん』になります。
加古さんが「だるまちゃん」シリーズの最初の作品となる『だるまちゃんとてんぐちゃん』を刊行したのが1967年ですから半世紀にわたって描き続けた作品群といえます。
この作品でだるまちゃんの相手になるのは「かまどんちゃん」。
「かまどん」といってもあまり知られていない存在だと思います。
この子は東北地方の岩手や宮城で言い伝えられている、旧家のカマドに黙々と座ってその家の危険から守ってくれる火の守り神のことです。
そのカマド神を加古さんは子どもの姿に変えて、描きました。
しかも、この作品のだるまちゃんは三人の女の子とままごとの真っ最中。でも、ままごとのお料理がおいしくないので文句をいうと、かまどんちゃんを紹介されます。
かまどんちゃんは料理も得意で、だるまちゃんは大喜び。
そこに、何やら焦げくさい臭いがして、だるまちゃんたちは火事を発見して、見事に消し止めるお話です。
かまどんちゃんはさすがに火の守り神だけのことはあります。
この作品のおしまいで加古さんは「東日本大震災で被災された方々への鎮魂と慰霊、そして原発事故への警鐘の念をこめて作品とした」としたと記されました。
まさに加古さんの最後のメッセージといえます。
(2018/05/20 投稿)

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05/19/2018 彼方の友へ(伊吹 有喜):書評「ぜひ朝ドラにしませんか」

今日は
第158回直木賞候補作になった
伊吹有喜さんの
『彼方の友へ』を紹介しますが
私はこの物語を読み終わって
とっても気持ちいい感じを受けたのですが
そのあと
直木賞の「選評」を読んで
結構辛辣な評が多かったのが
意外な感じがしました。
読むことと
賞をとることとは
やはり違うのでしょうね。
でも、やっぱり私は好きだな、
この物語。
じゃあ、読もう。

第158回直木賞候補作。
老人施設に暮らすハツのもとに届いた昭和13年の「乙女の友」の新年号の付録。花の絵と思わせぶりな言葉が綴られたカードの束。
それをきっかけにして主人公佐藤ハツの昭和12年、同じく15年、18年、20年の姿が描かれる長編小説である。
ハツは見習いのようにして就職した雑誌「乙女の友」でこれらの年代をたくましく生きていく。戦前戦中の「お仕事小説」ではあるが、ハツがほのかに心を寄せる雑誌の主筆である有賀や乙女チックな絵で多くの少女を虜にする長谷川画伯などハツをめぐる人間関係も巧みに仕組まれている。
私はとても面白く読んだ。
ところが、直木賞の選評ではほとんど評が集まらなかった。
直木賞の候補になるということは、厳しい批評も受けることがあるということだろうが、それでもこうして選評が聞けるというのは著者にとってはきっとありがたいことだろう。
選評で面白かったのが、東野圭吾委員のもので「完全に朝の連続テレビ小説の世界」とある。同じような評価が宮部みゆき委員で「このまま即NHKの朝ドラになりそうな仕上がり」とある。
それを「お行儀が良すぎた」と宮部みゆきは優しく書いているが、つまりは東野圭吾がいう「既視感」だろう。
しかし、直木賞には至らなかったにしても、朝ドラ仕立てになっていようが、この物語は面白かった。
できれば本気で朝ドラになればいいのに。
(2018/05/19 投稿)

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05/18/2018 追悼:西城秀樹さん - 青春にヒデキの歌と出合えてよかった

西城秀樹さんの訃報に
驚き、そして涙した人は多かったのではないでしょうか。
何しろ63歳での逝去は
あまりにも早い。
私と同い年じゃないか。
人気CMのフレーズをもじって
「ヒデキ、カンレキ(還暦)!」と
笑わせてくれたのは
少し前のことだ。

西城秀樹さんの思い出が
あるのではないだろうか。
私が東京の大学に進んで
生活を始めた学生寮の同期に
西城秀樹さんの「傷だらけのローラ」を
いつも唄う奴がいた。
多分女性だけでなく
男性にも
彼の唄う歌は愛された。
それほどに彼は歌がうまかった。

向田邦子さん脚本の『寺内貫太郎一家』での
小林亜星さん扮する親父さんとの
大げんかなど印象に残っている。
梶原一騎さん原作の映画「愛と誠」(1974年)では
主人公の大賀誠を演じた。
まさにこの頃
歌でもドラマ映画でも
絶頂期にあったのだろう。

西城秀樹さんは2003年と2011年に脳梗塞を発症するが
麻痺が残った体で
それでも懸命に
歌い生きようとする姿に
勇気をもらった人は
多かったのではないだろうか。

歌に合わせて
「ヒデキ!!」と叫んでいた女性たちは
今どんなに悲嘆にくれているだろうか。
それでも
私たちの青春期に
あんなに素晴らしい歌を届けてくれた
西城秀樹さんに
出合えてよかったのだと思う。
ご冥福をお祈りします。
ありがとう、
西城秀樹さん。

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05/17/2018 百貨店の展覧会(志賀 健二郎):書評「新しい時代でも百貨店に展覧会は必要か」

10年をひと昔というなら
昔百貨店で働いていたことがある。
その時に経験した文化催事が
「星野道夫展」だった。
そのことがきっかけで
星野道夫さんの文章や写真に魅かれたのだから
百貨店の展覧会は
一人の人間の魂に影響を与えることすらあると
いうことだろう。
そんな百貨店の文化催事を
「昭和のみせもの」としてまとめたのが
今日紹介する
志賀健二郎さんの
『百貨店の展覧会』。
戦後史としても面白く読める一冊です。
じゃあ、読もう。

多くの百貨店の催事場は文化催事と物販催事の併用で組まれている。
物販催事といえば有名なところでいえば「北海道物産展」や「全国駅弁大会」だ。多くの集客だけでなく商品の購入が伴うから百貨店側のうまみも大きい。
一方、文化催事は「写真展」や「人間国宝展」、あるいは「いけばな展」などが知られているが、そのほとんどは赤字覚悟の催しとなる。
入場料を取ったり図版や関係商品の販売はあるにしてもそれで開催の諸費用が回収できることはまずない。
それでも百貨店が文化催事を開催しようとするのは、百貨店としての品格が旧態依然としてあるし、シャワー効果で全館の販売数が増えることを期待するからだろう。
本書はそんな百貨店の文化催事に焦点をあて、戦後の1945年からバブル崩壊直前の88年までの東京都心の百貨店の「展覧会」を読み解くという画期的な社会史になっている。
戦後まもない時期の百貨店の「展覧会」の内容を見ていると、現代でいえばさまざまな美術館で開催されているような重厚で日本でなかなか見ることができない内容のものが多い。
そういうラインナップを見ると、確かに百貨店が文化的インフラの一翼を担っていたことがよくわかる。
昭和30年代で百貨店に行くというとよそ行きの服で着飾って年に数回あるかないかという家族の一大イベントだったし、そこに「展覧会」や大食堂がセットされると、極上の休日になったものだ。
しかし、果たしてそれが現代にもつながるかというと多分ちがうだろう。
百貨店のビジネスモデルにもう「展覧会」は成立しないかもしれない。
本書はそういう観点からも興味深く読める一冊だ。
(2018/05/17 投稿)

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05/16/2018 雑誌を歩く - 「俳句」5月号 : 追悼・金子兜太さん

かこさとしさんが絵本作家の巨星なら
今年2月20日、98歳で亡くなった
金子兜太さんは俳句界の巨星でした。
新聞の俳句投稿欄も
金子兜太さんへの追悼句で
いっぱいになっていました。

朝日俳壇で
私の俳句を採用してくれたのが
金子兜太さんでした。
その時の俳句。
遺伝子をのぞきみるかなところてん
この句には金子兜太さんの評もついていて
ところてん(食用)で成立。寒天では駄目。
なんだか褒められているのかわからない短評ですが
評を頂くのも大変な新聞の投稿欄ですから
私の宝物ではあります。

大特集を組んだのが
俳句雑誌「俳句」5月号(KADOKAWA・1180円)です。
追悼座談会や
俳人だけでなくさまざまなジャンルの著名人による追悼エッセイ、
さらには2017年12月に語られた秘蔵インタビュー
「今、伝えたいこと」、
そして46人の俳人による追悼句など
まさにまるごと金子兜太。
ちなみにあの夏井いつきさんの追悼句がこれ。
兜太先生春を吐き尽くして笑う
もちろん、
金子兜太さんの俳句もたくさん収録されています。
印象的なのが「最後の九句」として掲載されたもの。
そのうちの一句。
雪晴れに一切が沈黙す

東京帝国大学経済学部を出て、
日本銀行に入行した秀才。
55歳の時に
定年退職をされましたから
ビジネスマンとしても充実していました。

完全保存版と銘打った
「金子兜太読本」も付録としてついていて
これさえあれば
金子兜太さんの俳句を
後追いして楽しめそうです。

夏用の「俳句手帖」も付いていて
充実の一冊です。
犬も猫も雪に沈めりわれらもまた 金子 兜太
ご冥福をお祈りします。

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05/15/2018 雑誌を歩く - 「別冊太陽 かこさとし」: かこさとしさんの全体をわかりやすく

図書館の児童書のコーナーには
かこさとしさんの作品が
一カ所に集められて
追悼コーナーにしつられていました。
その作品の多さに
今更ながらに圧倒されます。

2017年3月に刊行された
「別冊太陽 かこさとし」です。
一冊全部かこさとしさんで出来上がっていて
かこさとしさんの全体像を
わかりやすく知ることができます。
その巻頭にこうあります。
森羅万象に問いを立て、その謎を解き明かす。
わかりやすく、ていねいに、面白く。
生きるとは、知ること。学ぶこと。遊ぶこと。楽しむこと。
数百にのぼる作品を通じて、かこさとしさんはそう伝え続けている。

知ることに対して
とてもまじめに描いていることです。
それは
子どもたちだけで読むのではなく
きちんとおとなたちが寄り添うことの重要性を
伝えているような気がします。

赤ちゃんの時のかこさとしさんの写真や
学生の頃に描いた自画像なんかも
収められています。
またその青年期に力をそそいだセツルメント活動も
当時の写真とともに
紹介されています。
その中にセツルメント活動は今でいえばボランティアのようなものとあって
なるほどと納得しました。
かこさとしさんにとって
このセツルメント活動はその後の絵本作家への道につながる
大事な活動だったのです。

多くの絵本作品もカラー図版でたくさん紹介されています。
かこさとしさんの絵本の特長といえば
多くの人や動物やものが
ページいっぱいにたくさん描かれている点でしょう。
それらの絵を見て思うことは
それぞれが違っていていいという
かこさとしさんのメッセージです。

かこさとしさんが残してくれたことは
たくさんの絵本に込められています。
私はとっても遅くかこさとしさんの絵本に感銘を受けた一人ですが
遅かったけれど
かこさとしさんの絵本に出合えて
本当によかったと思います。

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05/14/2018 モロヘイヤの種も蒔きました - わたしの菜園日記(5月12日)

歩いて10分たらずの畑への行きかえりが主で
散歩マニア? の人には
馬鹿にされるような散歩ですが
それでもちょっとした発見があったりします。
昨日見つけたのが
芍薬の花。

今が見頃の芍薬は
花の姿が綺麗なので
顔佳草(かおよぐさ)とも呼ばれるそうです。
芍薬のうつらうつらと増えてゆく 阿部 完市

野菜の苗がたくさん売っています。
トマト、ナス、キュウリ、まだまだたくさん。
私が利用しているシェア畑では
季節季節にモデルとなる栽培計画があって
それに合わせて苗も用意してくれます。
その点ではとっても便利ですが
何年も経験してくると
どうしてもちょっと違うものを
育ててみたくなるもので
そういう時は自分で苗や種を調達してくることになります。
この夏私が別に用意したのが
水ナスと万願寺風のトウガラシ。

順調に育っています。
ナスの苗も歳時記に載っています。
もちろん、夏の季語。
青空の静まりかへり茄子の苗 千葉 晧史

ミニカボチャ。

そろそろ雌花が咲き始めてきました。
これは中玉トマト。

夏野菜はこれから陽光を浴びて
ぐんぐん大きく
なってくれると思います。


畑に行くたびに
土寄せしています。

モロヘイヤとオカヒジキの種を
蒔きました。
去年どちらもおいしかったので
今年もうまく育ってくれたら
いいのですが。

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05/13/2018 かわ(かこ さとし):書評「かこさとしさんが願った、ひろい世界」

今日は母の日。
母の日や大きな星がやや下位に 中村 草田男
先日亡くなった絵本作家かこさとしさんの名前は
漢字で書くと
加古里子。
最初この名前を見た時、
この人は女性だとばかりに思いました。
かこさとしさんは本名が中島哲(さとし)。
だから、里子はそこからついた俳号がもとになっています。
実は
かこさとしさんは学生時代に
冒頭の俳句を詠んだ
中村草田男に国語や俳句を教わったことが
あるのです。
人の縁の不思議です。
今日は
かこさとしさんの『かわ』という絵本を
紹介します。
じゃあ、読もう。

5月2日に92歳で亡くなった絵本作家かこさとし(加古里子)さんが『だむのおじさんたち』でデビューしたのは1959年でした。
かこさんが33歳の時です。
子どもの絵本としてはダムというのは結構地味な題材だと思うが、月刊絵本「こどものとも」の編集長松居直さんは「泥くさいが暖かみがある」と採用を決定したといいます。
かこさんの素晴らしさを松居さんが見抜いたということでしょう。
そして、それから数年して描いたのが、この『かわ』という絵本です。
1962年に「こどものとも」に掲載され、1966年に単行本として刊行されました。
この作品はそのあと2016年に絵巻じたてで刊行されるほど、長い期間にわたって子どもたちに愛される作品になりました。
「しぜんのできごとは、じゃまでいらないようなことでも、かならずどこかでかかわりあい、たすけあっているのがすばらしい」とかこさんはある文章に書いています。
この『かわ』という作品こそそんなかこさんの言葉そのもののような気がします。
「たかいやまにつもったゆきがとけてながれます。」、この言葉からこの絵本は始まります。
描かれているのは雪が残る山の峰々。
そこが川の始まりです。
滝になって落ち、谷川になってくだり、ダムにせき止められ、木々を運び、岩を削り、土砂を動かし、田畑を潤し、人々の営みを豊かにしていく。
そして、次第に町に流れ込んでいきます。
川のおわりに「かわはすっかりよごれてしまいました」と書かなければならないことに、かこさんはつらかったと思います。
だから、最後のページに真っ青な海を描いて、私たちにエールをおくってくれました。
「ひろいせかいへー」と。
(2018/05/13 投稿)

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05/12/2018 桜田門外ノ変・下(吉村 昭):書評「その時歴史は動いた!」

これは私の推測に過ぎないが
吉村昭さんは
少し昔風の男性気質を持っていたのではないか。
言ってみれば
少し頑固で
はにかみで
言葉数も少なく。
それらが作品の底流に流れているような
気がしている。
だから、
男性の読者は吉村昭作品が好きなのではないか。
かくいう私も
その一人だが。
今日は昨日のつづきで
『桜田門外ノ変・下』です。
面白いですよ。
じゃあ、読もう。

吉村昭氏はあるインタビューで、この作品を新聞に連載するにあたって二度大きく書き直しをしたと告白している。
そのうちの一回は252枚も描いた原稿を燃やしたという。
書き直しの理由は事実に反したことが判明した場合や自身が納得しない場合だそうで、例えばこの作品に登場する西郷隆盛は当時吉兵衛と呼ばれたいた時代でよくいわれる吉之助ではなかったとか、そういう細かい事実の積み重ねで、吉村氏の歴史小説が出来上がっているといえる。
歴史上有名な大老井伊直弼の暗殺を描いたこの作品でも、その首謀者である関鉄之介を主人公に据えたのは、彼の日記が多く残されていたからと「あとがき」に書いているように、日記という事実があればこそ吉村氏の筆が動いたのであろう。
いよいよこの下巻で、タイトルの「桜田門外ノ変」が描かれているが、400ページほどのこの巻でそれは前半100ページほどで描かれてしまう。
あとは関鉄之介の逃亡生活がほとんどである。
つまり上下二巻の全体を見ると、最初の300ページほどが変に至るまでの背景、そして真ん中100ページは変そのもの、あとの300ページは逃亡と事件に関わった藩士たちのその後を描いていると、大きくいえばそうなる。
それにしても変そのものの描写のすさまじいことといったらない。
桜田門に向かう井伊直弼の一行とそれを襲う藩士たち。ましては、その朝は大雪。
まるで吉村氏自身が現場にいたかのような、そしてそれは読者である私たちにもある現場感覚こそ、この作品の醍醐味ともいえる。
(2018/05/12 投稿)

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05/11/2018 桜田門外ノ変・上(吉村 昭):書評「何故水戸藩士は井伊直弼を殺害したか」

NHK大河ドラマ「西郷どん」は
今まさに西郷隆盛が
幕府転覆に挫折し、
改革派の僧月照と入水したところです。
この時、時代は安政の大獄で揺れて
時の大老井伊直弼の権力が
絶大になっていました。
もちろん、この後
井伊直弼は桜田門外で暗殺されるのですが
せっかくなので
それがどのような事件だったか
吉村昭さんが
その名もズバリ
『桜田門外ノ変』を書いているので
読んでみることにしました。
今日はその上巻。
じゃあ、読もう。

時の大老井伊直弼を水戸藩士たち(薩摩藩士もいたが)が暗殺した、いわゆる「桜田門外ノ変」は歴史の授業でも習うし、時代が大きな舵をとったエポック的な事件として名称だけは聞いたことがあるかと思う。
事件があったのは安政7年3月3日。江戸には季節はずれの大雪が降っていた。
安政という年号で思い出されるのは「安政の大獄」。
井伊直弼が当時の改革者を弾圧した、これも有名な事件である。
安政の大獄で命を散らしたのは水戸の人間だけではない。長州の吉田松陰が有名だが、被害者は全国にわたる。
では、何故水戸藩士が井伊直弼の殺害を狙ったのか。
吉村昭がこの変を殺害の首謀者の一人関鉄之介を主人公にして、1988年10月から翌年8月にわたって新聞に連載したのがこの作品で、新潮文庫版で上下二巻として刊行されている。
新潮文庫版の上巻では攘夷派の水戸藩藩主斉昭が幕府側とことあるごとに衝突し、開国を迫る異国に対して朝廷の許可なく開国の条約を結ぶ大老井伊直弼と決定的に敵対することになる。
関係のこじれは開国問題だけではない。
薩摩藩などと共闘して次期将軍を一橋慶喜に推挙せんとしたことや朝廷側とのやりとりなど、幕府側にとっては排除したい人物であったことは間違いない。
吉村の筆は変に至るまでのさまざまな事象をまるでサスペンス劇を見ているように息もつかせない勢いで綴っていく。
吉村昭が記録小説という分野で勝ち取った文体が歴史小説でも生きているといえる。
圧倒的な面白さのまま、まもなく桜田門外ノ変へと続く。
(2018/05/11 投稿)

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05/10/2018 サクラ咲く(辻村 深月):書評「こんな作品を中学生で読めるなんて幸せだ」

ずっと辻村深月さんのことが
気になっていました。
今年の本屋大賞も
辻村深月さんが受賞して
私の辻村深月さん気になる度も
Maxになっていました。
そこでふと本屋さんで目に入ったのが
今日紹介する
『サクラ咲く』。
中学生向きらしいですが
大人でも
全然問題ありません。
おかげで
私の辻村深月さん気になる度は
さらに高まりましたが。
じゃあ、読もう。

『鍵のない夢を見る』で第147回直木賞を受賞(2012年)し、2018年には『かがみの孤城』で待望の本屋大賞を受賞した辻村深月さんが、2009年から2011年にかけて中学生向けに書いた短編2篇と2011年に「小説宝石」に発表した1編を合わせて刊行(2012年)されたのがこの本である。
「小説宝石」に発表された「世界で一番美しい宝石」がその発表誌から少し違和感があるように感じるが、決してそんなことはない。
この作品の主人公は高校生2年生の男子生徒3人だが、そのうちの一人はこの本の最初に収録されている「約束の場所、約束の時間」に登場する主人公の、どう考えても息子のようであるし、学校の図書室にいる女性司書先生もこの本の2つめの作品、表題作でもある「サクラ咲く」に登場する女子中学生が成長した姿で、これらの3つの作品は登場人物もその時代も違うのだが、うまくからみあっている。
だから、この3つの作品はそれぞれ別の作品ではあるが、収録されている順番に読むことをお勧めする。
表題作の「サクラ咲く」は中学生になって引っ込み思案の性格を変えたいと思っていたマチという女の子がやっぱりなかなか変えられずに悩みながらも、新しい友達やほのかに心を寄せる男子生徒とのまじわりを通して、次第に変わっていく物語である。
そこに図書室の本にはさまれた謎のメッセージがからんで、マチがどう変わっていくか読み応え十分である。
おそらくこの作品のマチのように自分と向き合った時に悩む子どもたちも多いだろうが、おそらく辻村深月さんの作品はそんな若い人たちにエールをおくる作品でありつづけるだろう。
(2018/05/10 投稿)

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かこさとしさんの絵本が
すごいと思ったのは
この『からすのパンやさん』が
最初でした。
この絵本には
何十羽というからすが登場するのですが
かこさとしさんは
それを一羽一羽描き分けたというのです。
ドラマでいう端役まで
それぞれの個性があることを
かこさとしさんは
教えてくれました。
かこさとしさんはいなくなりましたが
かこさとしさんが残してくれたたくさんの絵本は
これからも
子どもたちに愛されつづけることだと
信じています。
ありがとうございました、かこさとしさん。

『どんな絵本を読んできた?』とか『昭和こども図書館』といった絵本とか児童書の読書ガイドを最近読んできて、気になった作家がいた。
加古里子(かこさとし)さんである。
絵本「だるまちゃん」シリーズで人気の高い絵本作家だが、これら児童書のブックガイドで紹介されていたのは「だるまちゃん」では なく、この『からすのパンやさん』だ。
読んだことのない読者にはどんな絵本だろうか気になるところだし、「だるまちゃん」シリースのテイストの作品かと思ってしまうが、まったく違う作品に、驚きだし、かこさとしという絵本作家は、こういう作品も描くのだと、心が改まる感じさえした。
この絵本には「あとがき」があって、その中でかこさんは「個々の生きた人物描写と全体への総合化の大事なこと」と、絵本の「あとがき」にしては難しい文章を書いている。
簡単にいえば、この絵本ではたくさんのからすを描いているが、それぞれに特性があって自分としてはそれを描きわけているということをいいたいのだと思う。
この「あとがき」のあと、再度絵本に戻ると、確かに一羽一羽のからすが見事に描きわかれていて、もしかしたらこの絵本を楽しみには何時間あっても足りないのではないだろうかと思ってしまう。
同じようにからすたちが焼くパンの面白さといったらない。
この絵本が最初に刊行されたのが1973年だが、その時にパンダパンを焼いていたパン屋さんなどほとんどなかっただろう。
かこさとしという絵本作家の想像力にただただ脱帽する。
(2017/10/22 投稿)

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昨日、絵本作家のかこさとし(加古里子)さんが
5月2日に亡くなったという訃報が
届きました。
92歳でした。
かこさとしさんといえば
『だるまちゃんとてんぐちゃん』や『からすのパンやさん』で
子どもたちから長年にわたって愛されてきた
絵本作家です。
私は昨年ようやくかこさとしさんに
感銘を受けた
とっても晩生(おくて)のかこさとしファンですが
それでも
なんとか間に合ったんだと
今では感謝しかありません。
今日と明日、
かこさとしさんの本を
再録書評で
ふりかえります。
今日は、『未来のだるまちゃんへ』。
その中のこの一節が印象に残ります。
この世界は多様であり、自分はそのどこか端っこにいる。
(中略)
真ん中だけがエライんじゃない、端っこで一生懸命に生きている者もいるんだよ。
ご冥福をお祈りします。
ありがとうございました、かこさとしさん。

正直にいうと、わたしはかこさとしさんの絵本が苦手でした。
代表作である「だるまちゃん」シリーズを読んでも、絵もあまりうまくみえないし、だるまとかてんぐとかふるそうだし、第一お名前を漢字で書けば加古里子ってまるで女性みたいだし。だから、たくさんの人がかこさんの絵本を褒めるのもわからなかった。
ところがもう一つの代表作である「からすのパンやさん」を読んで、たくさんのパンやからす一羽一羽描き分けていて、これはすごい、と感心した訳です。
その絵本に載っていた著者略歴で、かこさんが東大工学部という理系の出身というのにも驚き、さらには高校時代の恩師に俳人の中村草田男がいて、里子というペンネームは俳号によくある形だとわかりました。
もっとかこさんのことが知りたいと、見つけたのが2014年に刊行されたこの本だったのです。
この本にはかこさんの子供時代の姿や父親との確執、軍人にあこがれた少年期、そこに挫折し大学生の時に学んだこと、その延長としてセツルメント活動で子どもたちと接して感じたこと、そして絵本という果実が生まれた経緯がすべて書かれています。
かこさとしという絵本作家がわかるだけではありません。
かこさんを通して、子どもを理解することができるのではないでしょうか。その点では、先生を目指す若い人だけでなく、現役の先生にも読んでもらいたいと思います。
たくさんの名言がこの本にはありますが、もっとも素晴らしいのをひとつ書き留めておきましょう。
「生きるということは、本当は、喜びです。生きていくというのは、本当はとても、うんと面白いこと、楽しいことです」。
(2017/11/01 投稿)

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05/07/2018 ショウガに初挑戦します! - わたしの菜園日記(5月6日)

今がまさに薔薇の見頃。
薔薇っていうのは
カタカナ表記するより
漢字表記で
薔薇とする方が似合います。
書けないですが。
薔薇よりも淋しき色にマツチの焔 金子 兜太
私の住んでいるところも
薔薇で盛んなところで
駅周辺には
たくさんの薔薇が咲いています。

バラまつりは5月19日からだとか、
この気候ですから
早めに鑑賞した方がいいですね。

どんどん進んでいて
連休最後の日曜日(5月6日)
初めての試みで
ショウガを植えました。

これが種ショウガで、
これを土の中に埋めて
育てます。

ミニキュウリの苗を
植えつけました。
菜園で薦めているのがインゲンでしたが
今年はそれをやめて
ミニキュウリに初挑戦です。
この苗はカボチャと普通のキュウリを植えていますので
ツルをはわすための
ネットも張りました。


タマネギも
ぷくんとふくれてきました。

ちょっと期待大です。
こちらは
トウモロコシ。

大きくなってきたので
ひと穴に一本になるように
間引きをしました。
トウモロコシの若い苗を見ていると
夏が来たっていう感じがします。

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05/06/2018 そらまめくんのあたらしいベッド(なかや みわ):書評「豆ごはん、大好き!」

今日で大型連休も
おしまい。
今日ぐらいは家でのんびりしたいと
考えているお父さんも
多いのではないでしょうか。
こんな日に限って
絵本読んで、
なんて頼まれたりしたり。
そんな時は
なかやみわさんの
『そらまめくんのあたらしいベッド』など
いかがでしょうか。
そして、夜は
おいしい豆ごはん。
晩ごはんのメニューまで
思いつきました。
じゃあ、読もう。

星野高士さんの俳句に「そら豆のやうな顔してゐる子かな」と詠んだものがあります。
季語は「そら豆」、夏の季語です。
この俳句のような実際そら豆に似た顔の子供がいるようで、よく見たら人の顔に近い表情をした野菜だと思います。
なので、絵本の主人公になってもおかしくはありませんし、読み手である子どもたちも「そらまめくん」には親近感がわくのも当然です。
なかやみわさんの「そらまめくん」シリーズの人気が高いのもよくわかります。
この絵本では「そらまめくん」のほかに豆科の仲間たちがたくさん登場します。
えだまめにピーナッツ、さやえんどうにグリーンピース。ここまでは最初「そらまめくん」のお家のそばにいたお友だち。
ある日、「そらまめくん」自慢のふわふわのベッドが傷んできて、新しいわたを探して出会ったのが、うずらまめにひよこまめ。それにスナップえんどう。
こうみてくると、「そらまめくん」の仲間がたくさんいます。
でも、厳密にいえば、さやごとたべるさやえんどうとさやの中の丸い実をたべる実えんどうとがあります。
あるいは、つるをどんどん伸ばすものもいればそれほど大きくならないものもいます。
花の形はよく似ていますが、少し色がちがったり、さやのふくらみ方がちがったりもします。
でも、豆科の食べ物は美味しいし、栄養もたくさんあります。
この絵本を読みながら豆の種類を勉強するのもいいけれど、八百屋さんで実物を見て(それから食べて)おいしさを実感するのもいいと思います。
(2018/05/06 投稿)

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05/05/2018 イチからの俳句入門(辻 桃子・安部 元気):書評「俳句がうまくなりたいなぁ」

今日はこどもの日。
同時に、立夏。
お待たせしました、
いよいよ夏来たる。です。
立夏といえば、
この俳句。
おそるべき君等の乳房夏来る 西東 三鬼
この俳句こそ
何万文字の長編小説に匹敵するように
思えてなりません。
あーあ、俳句うまくなりたいなぁ。
今日は
辻桃子さん、安部元気さんの
『イチからの俳句入門』。
この本読んで
また俳句つくりたくなりました。
じゃあ、読もう。

俳句を作りだしてからもう何十年も経つ。
新聞や雑誌に投稿もし、市民講座の俳句の句会にも参加したりもした。
その間、俳句の本も数多く読んできた。
そして、また「イチからの」の入門書を開いた。
気分的には初心忘るべからずだが、どうも句が上達したいのは本気度が足りないからではないか。
さすがにこの本に書かれている「俳句の基本ルール」の3つぐらいは知っている。
つまり、「五・七・五」「季語」「切れ字」の3つである。
問題はそこから先なのだ。
テレビの番組ではないが、「才能アリ」俳句にするためのコツとか推敲のことがことがこのあと続くのだが、どうもこのあたりで何十年もうろうろしているようだ。
では、どうすればいいのか。
そのヒントがこの本に書かれている。
それが「句会」。
この本では「ひとりでコツコツ」というスタイルをすすめていない。
「句会」には「本一冊分、いえ、それ以上の効果がある」と記されている。
市民講座の句会に参加した経験でいえば、確かにこの本に書かれている通りで、自分の句を詠むだけでなく人の句を真剣に読む場としての「句会」は、自己鍛錬の場となりうるような気がした。
それとこれもこの本に教えられたのだが、「歳時記」を持つことは当然といえ、「句帖」を持つことが大事らしい。
自分にとっての大事な一句を粗末にしないためにも「句帖」を持って、人生の名場面を瞬時に書き留めること。
そういう心構えがないと、いつまで経っても「イチから」になってしまうのだろう。
(2018/05/05 投稿)

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05/04/2018 じっと手を見る(窪 美澄):書評「風呂屋の壁の中にある富士山のように」

今日はみどりの日。
新聞にみどりの頁みどりの日 森松 まさる
この祝日がここに納まったのは
平成19年ですから
最近の祝日です。
おかげで憲法記念日から3日続けての
連休ができあがったわけで
喜んでいる人も多い。
それに
みどりの日というのは
まさにこの時期ならでは。
いのちの息吹を感じる
季節です。
今日は
窪美澄さんの
『じっと手を見る』という作品を
紹介します。
じゃあ、読もう。

就職には困らないかもしれないが、離職率も高い。介護の仕事はそれだけ重労働だということだろう。
窪美澄のこの長編小説の主人公である日奈と海斗は同じ介護の専門学校を卒業し、富士山がごく普通に日常の中にあるそんな町で介護士として働いている。
介護士という職業がこの物語に重要な位置づけを持っているかといえば、重労働という点ではあるかもしれないが、もしそこに意味を持たせてしまうと介護の仕事があまりにもつらくなってしまう。
日奈と海斗の関係は仕事がきつくておかしくなるわけではない。
日奈は専門学校のパンフレット作製のために出合った宮澤に心と体を寄せることになる。
この長編は主語が異なる7つの章で出来上がっているが、その最初の章「そのなかにある、みずうみ」で日奈と宮澤の不思議な関係が描かれていて、日奈が宮澤に心を寄せるその理由が今ひとつ理解できないながら、身体が海斗の時とはまるで違う反応をすることで、日奈の心の淋しさがすんなり入ってくる。
その一方で海斗は日奈を忘れられない。
しかし、日奈が宮澤を追いかけるようにして町を出たあとは、やはり同じ介護の同僚である畑中と関係を深めていく。
物語の核にいるのは日奈であることは間違いないが、宮澤という男も海斗という男もあるいは畑中という女も、まるでそれぞれの町に縛られるようにしてしか生きていけない。
窪美澄の文章は口当たりがよすぎるが、結局は富士山が当然のように見える町での出来事にすぎないような気がする。
(2018/05/04 投稿)

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05/03/2018 一度は読んでおきたい現代の名短篇(湯川 豊):書評「この本で現代の日本文学を読む」

今日は憲法記念日。
憲法記念日天気あやしくなりにけり 大庭 雄三
今日の天気のような
俳句です。
今日からゴールデンウイークの後半ですが
お出かけもいいですが
じっくり本を読むのも
いいのではないでしょうか。
そういう時、
何を読んだらわからないという人は多い。
そんな人のために
今日は素晴らしいブックガイドを紹介します。
湯川豊さんの
『一度は読んでおきたい現代の名短篇』。
この本があれば
読む本に困ることはありません。
じゃあ、読もう。

この新書の宣伝文の中に、著者の湯川豊氏のことが「小説の読み巧者」と書かれているが、そう呼ばれるのも不思議ではない。
何しろ湯川氏は文芸誌「文学界」の編集長を務め、文藝春秋社の役員までなった人であるから、多くの小説を読んできただろうし、例えば丸谷才一氏から文学のレッスンを直接受けるなど作家との親交も多岐にわたったはずだ。
そんな湯川氏が「読む愉しみ」をただ一つの基準にして選んだ名短篇は、純文学とか大衆小説といった区分けを超えたところにあるといっていい。
わかりやすい言い方でいえば、芥川賞も直木賞も関係がない。
いいものはいい、というわけだ。
ところで、気になるのは、この新書でいう「現代」とはどのあたりを指すのだろうか。
短篇といえば芥川龍之介や志賀直哉といった作家の名前が浮かぶが、この本では取り上げられていない。
太宰もいないし、川端康成の作品もない。
長編作家でもあった三島由紀夫はいい短編もたくさん書いているが、三島もいない。
これは私の感想だが、三島由紀夫あたりが分水嶺として、彼以降の作家の作品を湯川氏は「現代」としたのではないだろうか。
最初に取り上げられているのが、松本清張というのも、この本の性格をよく表している。
ここでは44篇の短編が紹介されているが、同時に「現代」文学を読み解くにあたって、これらの短編を書いた44人の作家こそはずせないという思いが、湯川氏にあったのだろう。
そういう意味では作品紹介というより、現代文学を読むための、貴重な一冊といえる。
(2018/05/03 投稿)

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05/02/2018 こうちゃん(須賀 敦子/酒井 駒子):再録書評「涙さしぐみ(なきそうになって)」

昨日、
『主よ一羽の鳩のために』という
須賀敦子さんの詩集を紹介したので
今日は須賀敦子さんの
児童書のような一冊、
『こうちゃん』を
再録書評で紹介します。
この書評を書いたのは
2004年ですから
もう14年も前のことです。
須賀敦子さんが亡くなって
20年ですから
結構以前から須賀敦子さんのことを
気にしていたのですね。
じゃあ、読もう。

日本語の文章は誰が書いても同じようなものと思いがちだが、須賀さんの文章を読むと書き手によって大きな違いがあることがわかる。同じ言葉を使いながら下品な文章になってしまう人もいれば、須賀さんのように品のいい文章を書く人もいる。
須賀さんの文章は例えていうなら、文字の一つひとつをピンセットで拾いだしながら言葉にし、ゆっくりと文章に仕上げていく活字拾いの職人さんのようだ。
須賀さんが好きだった宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の一節に、主人公ジョバンニがこの活字拾いの仕事をしている場面が描かれている。
「ジョバンニはその人の卓子の足もとから一つの小さな平たい函をとりだして向うの電燈のたくさんついた、たてかけてある壁の隅の所へしゃがみ込むと小さなピンセットでまるで粟粒ぐらいの活字を次から次と拾いはじめました」(宮沢賢治『銀河鉄道の夜』)
印刷業界ではこの活字を拾う工程のことを「文選」というが、須賀さんの文章はこの「文選」という美しい言葉にふさわしい。試みに、須賀さんの「ただ一つ のこされた ちいさな物語」である、この『こうちゃん』のどの頁でも構わないから読んでみるといい。童話仕立ての掌編ではあるが、言葉の一つひとつが柔らかな調べを奏でていることに気がつくはずだ。
そんな須賀さんがこの作品で描こうとした「こうちゃん」って何だろう。
この本の挿絵を描いている酒井駒子さんの画があまりにも素敵すぎて、つい表紙画の幼児をイメージしてしまうだろうが、この本を読んだ全ての人にそれぞれの「こうちゃん」がいるように思えてならない。
この作品が須賀さんのミラノ在住と同じ年に書かれたことを思うと、須賀さんがこの作品で描きたかった「こうちゃん」が日本という国のことであり、日本語という豊かな言葉であり、先へ進もうという自身の背を押しやってくれた「そのまんまの」須賀さんだったように思える。
作品集『遠い朝の本たち』に収録されている『赤い表紙の小さな本』という作品の中で須賀さんは級友の言葉に触れ、その言葉にどれほど勇気づけられたことかと書いている。
十五歳の須賀さんにあてて書かれた級友の言葉、それは「個性を失ふという事は、何を失ふのにも増して淋しいもの。今のままのあなたで!」というものだった。そのまんまでいい。そのことが「どちらを向いても、変ってる、といわれつづけて頭の上がらなかった」須賀さんにとってはありがたい言葉であった。
「そのまんまの」須賀さんは、だからミラノに住むことを決意し、言葉を一つずつ集める丁寧な文章を書き続けことができた。
須賀さんの傍らにいつづけた「こうちゃん」こそ、「そのまんまの」須賀さん自身だったのではないだろうか。そして、この本を読んだ全ての人にとっても、「こうちゃん」とは「そのまんまの」自分自身ではないだろうか。
(2004/04/11 投稿)

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