06/30/2018 水丸さんのゴーシチゴ(安西 水丸):書評「五七五ではなくゴーシチゴが水丸さんらしい」

昨日の葉室麟さんもそうですが
今日紹介する
『水丸さんのゴーシチゴ』の
安西水丸さんも
亡くなっても人気は高い。
だから、こうして
新しい本が出る。
安西水丸さんのイラストは
何故か見ているだけで
ほんわかする。
あれはどうしてだろう。
水丸マジックとでもいえばいいのかな。
じゃあ、読もう。

イラストレーターの安西水丸さんが亡くなってもう4年になる。(2014年3月19日に亡くなった)
いなくなったのは頭で理解しているが、こうして新しい本が出たり、水丸さんのイラストを目にすると現役感が半端ない(と、ここで流行語が出てくるのも水丸さんっぽい)。
しかも、この本が水丸さんの句集というのもいかにもしゃれている。
句集、つまり俳句の本なのだ。
水丸さんは「ぴあ句会」の常連だったそうだ。(このあたりは巻末の監修と編集を担当した平山雄一さんの文章の引用なのだが)
この「ぴあ句会」はぴあの社長の矢内廣さんが中心となって運営していた句会で、句会とはいいつつ、あまりうまいへたは関係なかったようで、句会のあとの酒席が楽しかったみたいだ。
そうはいっても、この本に収められた水丸さんの俳句は悪くない。
いくつか書き留めておくと、「待つよりも待たせる辛さ春の月」「新蕎麦や鬼平気どる昼の酒」など。
ただ俳句もいいけど、やっぱりイラストがいい。
この句集、原則一句に一枚のイラストがつけられている。(もちろん、水丸さんのイラストだ)
だから、俳句を楽しむのもいいけれど、水丸さんのイラストを見ているだけで俳味の世界を味わえるなんて、贅沢だ。
そう思って見ると、水丸さんのイラストは長編小説ではなくショートショート、あるいはいっそ俳句の世界観に近いような気さえする。
好きだな、やっぱり。水丸さんのイラスト。
(2018/06/30 投稿)

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06/29/2018 青嵐の坂(葉室 麟):書評「「扇野藩」シリーズ、最後の作品」

本屋さんに行くたびに
葉室麟さんの新刊が出ていないか
探す癖が抜けきらない。
いずれ
新しい本が出ることはなくなるだろうが
もしかしたら
まだ落穂ひろいのように
新しい本が店頭に並ぶこともある。
今日紹介する
『青嵐の坂』が今出ている
葉室麟さんの小説としては
もっとも新しい。
このあとでエッセイが出ているが。
まだ出るかな。
期待をこめて
本屋さんに行くことになる。
じゃあ、読もう。

2017年12月、66歳で急逝した直木賞作家葉室麟さんは生前「月刊葉室」と呼ばれるほど毎月のように新刊が出る人気作家でした。
ただ葉室さんの場合、単に人気作家というよりもデビューが遅かった(50歳からの本格デビュー)せいで自身書くべきことがたくさんあると生き急いでいた感すらあります。
葉室さん自身、こんなにも早く終焉が来るとは思っていなかったでしょうが。
没後も単行本化されていない作品がいくつもあって、この作品もそのひとつ。
2016年4月から2017年1月まで「小説野生時代」に連載されていた、「扇野藩」シリーズの最後の作品となったものです。
「扇野藩」が舞台となった作品は『さわらびの譜』『散り椿』『はだれ雪』、そしてこの作品となります。
主人公の矢吹主馬は、かつて扇野藩で財政改革を推し進めていた中老檜弥八郎の縁戚の下級武士。弥八郎がいわれのない罪により切腹を強いられたあと、その娘那美と結ばれることになる。
主馬は若い頃弥八郎の薫陶を受けており、その意思を継ごうとしている。
一方で弥八郎の息子慶之助は生前父と不仲で、それゆえに父の為したことを凌ごうと懸命であった。
そんな慶之助は弥八郎の実の子ではないとの疑惑が浮上し、若い慶之助は打ちのめされていく。
財政破綻寸前の扇野藩に生き延びる道はあるのか。
自身の命までをかけて彼らが守ろうとしたもの、葉室さんの筆はこの作品でも抑制が効いた重厚さを感じる。
やはり葉室麟さんがいないのは、さびしい。
(2018/06/29 投稿)

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06/28/2018 樹影譚(丸谷 才一):書評「この短編小説には長編小説を読んでいるような面白さがある」

丸谷才一さんが亡くなったのが
2012年ですから
ずいぶん年が経ったものです。
丸谷才一さんの作品を
読んでいきたいと思ったこともありましたが
なかなかかないません。
すみません、丸谷才一さん。
今日は丸谷才一さんの作品の中でも
評価の高い短編、
『樹影譚』を紹介します。
この作品にしても
読まないといけないと思いつつ
今になってしまいました。
すみません、丸谷才一さん。
じゃあ、読もう。

初出は昭和62年(1987年)の文芸誌「群像」4月号で、丸谷才一氏はこの作品で第15回川端康成文学賞を受賞している。
丸谷氏の作品の中だけでなく、現代文学の中でも評価の高い作品で、短編というより短めの中編ぐらい。
どうして、この作品の評価が高いのか。
おそらく極めて文学的な、つまり人工的に創られて、何ごとかを伝えようとしている意識が強い作品ではないでしょうか。
この作品は村上春樹氏の『若い読者のための短編小説案内』でも取り上げられていて、その中で村上氏は丸谷氏の文学について、「登場人物を設定し、そこに自らをはめ込んでいくことによって、小説を作り、自己のアイデンティティーを検証していこうとしているように見える」と書いています。
それはこの短編でも踏襲されていて、ここでは古屋逸平という明治生まれの作家、しかもこの作家は全20巻にもおよぶ全集まで出しているから大家である、を村上氏のいうところの「そこに自らをはめ込んで」いき、さらには古屋氏が書いたという作品をさらに重ね、その重層感は最近の作品ではなかなか味わえないのではないか。
そして、その重層感は長編小説の面白さでもあって、この作品が短編小説ながら評価が高いのは長編小説の面白さを内包しているせいではないだろうか。
そのいう点では村上春樹氏の文学に似ている、年代的には逆で、村上春樹文学は丸谷才一氏のそれに似ているといえる。
それにしても、この小説はうまい。
こういうのがやはり文学といえるのだろう。
(2018/06/28 投稿)

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06/27/2018 運は創るもの - 私の履歴書(似鳥 昭雄):再読書評「短所あるを喜び、長所なきを悲しめ」

ニトリに関係した人と会うことになって
だったら
ニトリホールディングスの社長である
似鳥昭雄さんの「私の履歴書」は
読んでおいた方がいいかと
『運は創るもの』を開いてみたのはいいが
その冒頭の「はじめに」で
似鳥昭雄さんが小学生の頃
自身の名前を漢字で書けないエピソードが出てきて
あれ? もしかしてと
この本が既読であることに
気が付いた。
ブログにも
単行本が出た2015年夏には書評も
書いていました。
やれやれ。
でも、この本がとっても面白いので
再読をしました。
書評は
2015年のものとは別のもの。
ちなみに
こちらが2015年のブログ記事。
じゃあ、読もう。

ホームファニシングのニトリの勢いがとまらない。
創業者でニトリホールディングスの社長である似鳥昭雄氏の人気におうところも大いにある。
最新のビジネス誌で投資家目線の社長のランキングでも似鳥氏は上位に評価されている。テレビのビジネス番組に出演したりして、その破天荒ぶりで顔が見え、声が聞こえる経営者と映っているのかもしれない。
日本経済新聞朝刊の人気コラム「私の履歴書」に似鳥氏が連載したのが2015年4月であったが、そしてこの本はその連載の単行本化であるが、その時以上に似鳥氏の経営者としての人気が高まっているような気がする。
そもそも「私の履歴書」は人生のあがりのような印象があって、功を為した人であればなおさらあの欄に自分の軌跡を刻みたいと思うものだ。
しかし、似鳥氏の場合、そんな感じは全くない。
しかも、その青年期における悪業? の数々は、「私の履歴書」の中でも一、二を争うのではないだろうか。
しかし、「履歴書」後半、経営者の目線になってからは、若い頃とは違った意味で、俄然眼光が鋭くなる。
特に会社が成長するなか、従業員の待遇もよくなっていくが、似鳥氏は「良好な職場環境とハングリー精神をどう両立するのか」、それが課題だという。
どの企業でも成長することでどうしても驕りが生まれる。
最近の似鳥氏を見ていると、明るい笑顔のうちに驕りではなく自信のようなものを感じる。
案外、「私の履歴書」を書くことで、常に戻れる原点を手にいれたのかもしれない。
(2018/06/27 投稿)

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06/26/2018 明るい公務員講座(岡本 全勝):書評「これから社会に出ていく皆さんに読んでもらいたい」

今日は
岡本全勝(まさかつ、と読むそうです)さんの
『明るい公務員講座』という本を
紹介します。
書評のタイトルは
「これから社会に出ていく皆さんに読んでもらいたい」としましたが
本当は新人の人だけでなく
すでに部下を持っている人も
私のように
会社を退職した人も
きっと色々思い当たることがある
本だと思います。
つまりは、
私、大絶賛の一冊です。
この本の中に
米国の哲学者ウィリアム・ジェームズの言葉が
紹介されていて
これがとってもいいので
書き留めておきます。
心が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。
じゃあ、読もう。

ちょっとふざけたようなタイトルの本を読むきっかけとなったのは、日本経済新聞の夕刊一面のリレーエッセイ「あすへの話題」で、この本の著者岡本全勝(まさかつ)さんが木曜を担当していて、その中でこの本を自薦していたからだ。
どのような記事の文面であったか忘れたが、これから仕事に取り組んでいく若い人向けに仕事の進め方をわかりやすく書いたというような主旨であったと思う。
そもそも岡本全勝さんという人はどんな人であるか。
東大法学部を卒業して、自治省へ入省。富山県の総務部長とか色々経験して、内閣総理大臣秘書官までなった超エリート官僚。
復興庁事務次官まで務めて、日本経済新聞の連載での肩書は「元復興次官」。
そんなエリートが仕事の進め方を書いたって、どうせとっても高級なビジネススキルの話かとおそるおそる読み始めてみたが、これが実にすばらしい。
なんといっても「抽象的な心構えの本でもなく、ビジネススキルのノウハウ本でも」ない。
「仕事のイロハ」。
こんな素敵な本があれば、きっと仕事の取り組み方とか会社での自分のありかたとか随分違っただろう。
この本は決して「公務員」志望の人だけでなく、もちろん「公務員」志望の人は絶対読んだ方がいい、これから社会に出て働こうとしている人すべてに有効だと思う。
よい評価をもらうためには「明るさ」が一番大事なんて、あまり教えてくれません。あるいは、挨拶だとか身だしなみとか、なかなか社会人になってそんなことを諭してくれる人は少ない。
そんな「イロハ」がきちんと、しかも丁寧に書かれている。
だから、信用していい。この本は。
(2018/06/26 投稿)

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06/25/2018 水ナスのおいしい食べ方 - わたしの菜園日記(6月24日)

昔の呼び方でいえば
泉州ということになります。
そこの名産といえば
最近すっかり有名になった
泉州の水ナス。
子供の頃は毎日のように食べていて
なんだ、また水ナスみたいな感じでしたが
今やすっかり高級感をまして
関東ではスーパーではあまり見かけなくて
百貨店の野菜売り場で
自慢げに並んでいます。
つまりはめったに食べられない野菜になってしまいました。
そこで今年は
畑で水ナスを育てることにしました。
うまく育つか、
不安でしたが
苗がよかったのか
先週の「わたしの菜園日記」で書いたように
りっぱな水ナスが収穫できました。
水ナスは一晩糠漬けにして
翌日頂きました。

ざっくりと手で割きます。
これがもう絶品。
百貨店の高級野菜を今年は食べ放題かも。

これはカボチャの葉に発生したうどん粉病。

葉一面が白くなります。
こうなると
全面に染る前に病気の葉をとっていきます。
キュウリなども
この病気にかかりやすい。

ニンジンの森。

なんともきれいなものです。
収穫はまだ少し先。


ジャガイモもこれで全部収穫しました。
すみっこにかわいく中玉トマトがありますが
少し早めに採ってみました。
トウモロコシもどんどん
甘くおいしくなってきました。

これだからたまりません

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06/24/2018 あいさつ団長(よしなが こうたく):書評「なんだか、ガッツだね! と歌いたくなる絵本」

私は全然知らなかったのですが
今日紹介する『あいさつ団長』は
よしながこうたくさんの『給食番長』のシリーズの一冊で
『給食番長』は
人気絵本だということです。
これだけ個性が強い絵本だから
人気になるのも
わかります。
表紙図版で
よしながこうたくさんの世界観を
少しだけ
味わって下さい。
なお、この絵本、
なんと博多弁の翻訳? まで
ついています。
じゃあ、読もう。

絵本というのは本当に世界が広い。
よしながこうたくさんのこの絵本を見つけた時は、思わず「なんじゃこりゃ」とつぶやいて、それで手にとってしまうという、惹きつけの魔力にかかったような気分です。
なんともいえないシュールな絵の魔力(あるいは魅力)。
きっと子どもたちが夢中になってしまうにちがいない、そんな力を感じました。
物語はというと、ある日1年2組の教室に金髪のサムスン君が転校してきます。
サムスン君、少し照れながらも「オハヨ、ゴザマース」と日本語であいさつをすると、たちまちクラスの人気者に。
そんなサムスン君に嫉妬するのが、せいじ君。どうしてかって? だって、せいじ君の大好きなまどかちゃんまでサムスン君に夢中なんですもの。
でも、どうしてサムスン君は人気者になったのだろう。
せいじ君たち、やんちゃな仲間はうんうん考えて、たどりついた答えがサムスン君のあいさつ。
あいつみたいにしっかりあいさつしようぜ。
よし、今日からせいじ君は「あいさつ団長」だ!!
でも、本当にこれで解決するのかな。
とにかくよしながこうたくさんの絵がとんでもないから、出て来る子どもたちも先生も、キャラが立ちまくっています。
こんなクラスに転校したら、サムスン君でなくても、生き残るのが大変でしょうね。
それでいて、ひとたび仲良くなれば、結束が固い、そんなクラスのような気がします。
(2018/06/24 投稿)

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『スタイルズ荘の怪事件』を
紹介しましたが
私のアガサ・クリスティーデビューは
60歳を過ぎて3年めとなる
今年ですから
なんとも恥ずかしい限り。
周りの人に聞くと
「昔読んだわ」とか
「若い時に全部読んだけど」と
思い出話になってしまうのは
私の周りにいるのがそういう年齢の人だからでしょうか。
大好きな人にとっては
忘れられない作家だといえます。

思い出話だけではありません。
今年にはいって
アガサ・クリスティーの代表作のひとつ
『オリエント急行の殺人』が再映画化されたり
日本でも
アガサ・クリスティー原作のドラマが
立て続けに放映されたり、
今日紹介する
「ハヤカワミステリマガジン」5月号(早川書房・1296円)によると
いままさに<クリスティー・シーズン>真っ盛り
ということです。
そこで
「ハヤカワミステリマガジン」5月号で組まれた特集が
アガサ・クリスティーをより楽しむための7つの法則
うーむ。
結構謎っぽい特集です。

ちょっと「ハヤカワミステリマガジン」さんに悪いので
私が興味を持った法則をひとつ。
それが
評論・座談会でクリスティーを楽しむ
というもの。
これは
『アガサ・クリスティー完全攻略〔決定版〕』が刊行されたのを記念して
行われた座談会が収録されています。
座談しているのは
霜月蒼さん、杉江松恋さん、小野家由佳さん。
ミステリーの世界をほとんど知らない私にとって
この三人もまったく未知の人。
ほんとに申し訳ない。

アガサ・クリスティーといっても
まだ読んだ作品が数冊で
語れといわれても語れないのですが
「より楽しむため」に
もうちょっと
読んでいきたいと
固く思っている次第であります。

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06/22/2018 スタイルズ荘の怪事件(アガサ・クリスティー):書評「デビュー作とは思えない完成度」

最近テレビのワイドショーや週刊誌を
賑わせているのが
和歌山の資産家の男性の
怪死事件。
資産家の愛犬も数週間前に亡くなっていたので
その死骸も掘り起こされたというから
素人探偵が騒ぐのもわからないではない。
こんな時、
ポアロ探偵がいたらなと
誰もが思う。
今日紹介する
アガサ・クリスティーの『スタイルズ荘の怪事件』も
死因は毒殺。
なんだか和歌山の資産家の怪死と
似ていなくもない。
はたして
謎はとけるだろうか。
じゃあ、読もう。

ミステリーの女王と呼ばれたアガサ・クリスティーの、この作品はデビュー作(1920年)。
デビュー作であるが、のちにアガサ・クリスティーの代表シリーズともなるエルキュール・ポアロを登場させるなど、処女作という印象ではなく完成度の高さを感じる。
何しろこの作品の中のポアロはすでに難事件をいくつも解決した名の知れたベルギー人探偵として構築されているところからすると、アガサは入念に人物設定をしていたのだろう。
あるいは、これから先何度もポアロとコンビを組むことになる、語り部となるヘイスティングズの立ち位置もいい。彼のなんともいえない呆けっぷりも楽しめる。
さて、今回の事件であるが、閑静なところにある別荘スタイルズ荘でその所有者である富豪の老婦人が毒殺される。
その別荘には彼女と関係する数組の男女と若き夫がいた。
遺産を狙ったとまず疑われたのは若き夫であるが、その村にたまたま居合わせたポアロは彼の無実を証明する。
では、老婦人を毒殺したのは誰か。
事件解決まで一転二転するから、読者はきっと最後までその犯人にはたどりつけないのではないだろうか。
アガサ自身はこの作品を書くまでに薬剤師の助手として働いていた経験があり、毒薬の知識は持っていたようだ。
まさにこの事件のトリックにはその知識がないと解けないかもしれない。
そして、アガサはこの小説でトリックだけを描こうとしたのではなく、「一人の男と一人の女の間の幸福は、この世の中での最大のこと」を示そうとしたはずだ。
(2018/06/22 投稿)

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06/21/2018 桜桃(太宰 治):書評「桜桃を食べながら読むと格別の味がする」

今日は夏至。
一年中で一番昼が長い日。
言い方を変えれば
この日を境にして日が短くなっていく。
地下鉄にかすかな峠ありて夏至 正木 ゆう子
今年は太宰治没後70年ということで
今月の読書会で
私が紹介したのが
太宰治の『桜桃』。
久しぶりに読み返したが
やっぱり、いい。
この作品は一体これまで何度くらい読んでかしら。
短いから
10回?
20回?
そこまでいくか。
桜桃でも食べるか。
じゃあ、読もう。

初出が太宰治の亡くなる昭和23年(1948年)5月に出た雑誌「世界」で、有名な忌日「桜桃忌」はこの作品からとられた。
文庫本にしてわずか10ページ足らずの短い作品ながら、最晩年の太宰の、なんともいえない悲しさが伝わってくる小説である。
なんといっても書き出しがいい。
「子供より親が大事、と思いたい。」
なんとも身勝手な父の感想ながら、「長女は七歳、長男は四歳、次女は一歳」、そんな子供たちが父も母も圧倒している。
それでいて、父は放蕩な生活をやめられず、戯れに母にどこに汗をかくかと問えば、母の言う、「この、お乳とお乳のあいだに、…涙の谷、…」。
そんな家を逃げるように出ていく。
「生きるという事は、たいへんな事だ。あちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと、血が噴き出す。」。
出かけた先の飲み屋で桜桃が出る。
それを見ながら、子供たちが桜桃を食べたこともないことに思いをはせ、それでも「心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。」。
ここで小説は終わるが、こういう自堕落でいながら、実は「涙の谷」にいるのは太宰自身であったのではないか。
こんな夫、父は認められないというのは大人の思いで、本人はそれ以上に苦しいのだとどうしてわかってやれないのかというのが、若い読者の思いかもしれない。
それにしても、うまい。
声に出して読むと、その巧さが引き立つ。
まさに太宰治の、珠玉の短編小説だ。
(2018/06/21 投稿)

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06/20/2018 回想の太宰治(津島 美知子):書評「妻の眼から見た太宰治」

昨日の『回想 太宰治』は
野原一夫さんという編集者から見た
太宰治でしたが
今日紹介する
『回想の太宰治』は
妻である津島美知子さんの眼から見た
太宰治です。
野原一夫さんの作品はうんと昔に読んだことがありましたが
津島美知子さんのこの本は
初めて読みます。
といっても、
初版が1978年で
この増補改訂版も1997年のものです。
この時には
津島美知子さんは亡くなっていて
「あとがき」を記しているのは
園子さんと里子さんの
二人の遺児です。
津島里子さんは
いうまでもなく
作家津島佑子さんです。
じゃあ、読もう。

太宰治の短い、わずか39年の生涯において、なんとも色濃い女性との関係があるが、唯一彼の本名である「津島」姓を自分のものとした女性が、本作の著者津島美知子さんである。
情死した相手山崎富栄さんは「愛人」であるが、美知子さんはれっきとした「妻」である。
だから、この回想記は「妻」の眼を通してみた太宰治であり、ある意味で山崎富栄さんが知ることのなかった津島修治としての回想である。
美知子さんが太宰と井伏鱒二を通じて知り合ったのが昭和13年(1938年)。太宰29歳、結婚を機に生活を一新しようと決意した。 この時、美知子さんは26歳。
確かにこのあと、太宰にとって平安な暮らしと作家としての充実の日々が始まる。
しかし、時代は戦争へと突入していく。
三鷹を焼き出され、甲府もまた戦火にあい、太宰たちは生まれ故郷の青森・金木での生活を余儀なくされる。
しかし、もしかしたら終戦をはさんだ金木での生活が太宰の亡きあと、美知子さんを支える糧になっていたかもしれない。
この回想記に収められた太宰の生家の様子、父や母、兄や姉のことは、山崎富栄さんには絶対書けなかった事柄で、「妻」美知子さんだからこそ書けた真実だろう。
時に美知子さんの視点は冷たくも感じることもあって、もしかしたら太宰にとって山崎富栄さんやほかの女性は癒しのようなものがあったかもしれない。
美知子さんはいう。
「太宰がその作品に書いている自分自身のこと、それが彼の「自画像」なのだ」と。
そして、そんな太宰を見ている美知子さんもまた「自画像」を書いたかもしれない。
(2018/06/20 投稿)

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06/19/2018 回想太宰治(野原 一夫):書評「若き編集者が見た晩年の太宰治」

今日は桜桃忌。
林道を深くも来たり桜桃忌 波多野 爽波
そこで今日は
野原一夫さんの『回想 太宰治』を
紹介します。
この回想記に登場する人物の
多くはすでに鬼籍にはいっていますが
太宰治が当時純粋にかわいがった少女
林聖子さんは
今でもお元気いらっしゃいます。
先にこのブログでも紹介した
「東京人」7月号でも
作家の堀江敏幸さんと対談して
「太宰さんの指、その関節が長くてすごくきれいでした」と
実際にその眼にとどめた
太宰治のことを
回想しています。
あわせて読むと面白い。
じゃあ、読もう。

太宰治の生前、彼を慕うように多くの若い編集者が彼のまわりに集まった。
中でも高校の時から太宰に講演を依頼したり習作を見せたりして私淑していたこの作品の著者野原一夫氏は学校を卒業後、新潮社に入社し、同期入社の野平健一氏とともに晩年の太宰の様子をもっともよく知る編集人の一人だ。
晩年の太宰とは、もちろん代表作ともいえる『斜陽』や『人間失格』を書いた作家であり、同時に『斜陽』のモデルとなった太田静子さんと子ども(作家の太田治子さん)誕生のことで悩み、そして毎夜のように酒を飲み、やがて山崎富栄さんと情死にいたる、そんな日々を過ごしていた頃である。
そんな晩年の太宰を回想したこの作品は1980年に初版刊行され、没後50年にあたる1998年に「新装版」として出版された。
その時、野原氏は「太宰治歿後五十年に際し」という巻末の文章で、昭和28年の第4回の桜桃忌の写真が残っているが、歿後50年も経つと、その多くの方が亡くなっていると、時の経過を偲んでいる。
太宰が亡くなった時、自分(野原氏)はまだ25歳の若者だったが、亡くなる前の1年8ヶ月、三日にあげず太宰に会っていたという。
この時から、さらに20年。今年(2018年)は太宰治の没後70年にあたる。
そして、そんな野原一夫氏ももう生存していない。(1999年に亡くなっている)
回想の中でなんといっても印象的なのが、太宰の死の様子である。
6月13日にその消息がわからなくなり、雨の玉川上水で19日の早朝、太宰と富栄さんは遺体で見つかる。
人にその姿を見せまいと若い野原氏たちはまわりを取り囲んだとある。
まさにそこから太宰治は「伝説」となっていったような気がする。
(2018/06/19 投稿)

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06/18/2018 今年の虫対策は黄色いバケツ - わたしの菜園日記(6月17日)

ここ何日間か
梅雨寒の日が続いています。
梅雨の頃の季節外れの寒さを
梅雨寒あるいは梅雨冷といいますが
この言葉も歳時記にちゃんと載っています。
梅雨寒や背中合はせの駅の椅子 村上 喜代子

天候は気になるところですが
もう一つ、虫対策も重要な項目。
なんといっても天敵はアブラムシ。
今私の畑ではしている虫対策を
今日は紹介しておきます。
まずはこちら。

キュウリの畝のネットにからませているのは
銀色のテープ。
アブラムシは銀の反射を嫌うといわれています。
その一方で
黄色い色が好きだとか。
そこでナスの畝のそばに
黄色いバケツを置いています。

バケツの中は水をはっているだけですが
虫が飛びこんで
あはれ、水死。

全滅することはありません。
今年の夏も
虫たちと一進一退の攻防が
繰り広げられます。

中玉トマトもよく見ると
色づきかけています。

こちらはエダマメ。

そして、こちらは
モロヘイヤと
左にあるごちゃごちゃしているのが
オカヒジキ。

梅雨が明けて
太陽が照り付つけるのが待ち遠しい。


りっぱに育ったので
この日収穫しました。

収穫はトウモロコシもしましたが
やっぱり
水ナス。
なんといっても、私の菜園の
この夏の期待の野菜ですから。

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06/17/2018 ぼくとパパ(セルジュ・ブロック):書評「おしゃれな家族を描いたおしゃれな絵本」

今日は父の日。
父の日の隠さうべしや古日記 秋元 不死男
先日新聞にはさまっていた
大型スーパーのチラシを見ていて
自分は父には違いないが
きっと父の日のお父さんはうんと若く、
私はきっと敬老の日の方が
合っているのだろうということに
気がついて
愕然としました。
だって、そのチラシで父の日で売ろうとしていたものは
みんな若いお父さんのものばかり。
仕方がない・・・か。
今日はセルジュ・ブロックさんという
フランスの絵本作家の
『ぼくとパパ』という絵本を
紹介します。
じゃあ、読もう。

おしゃれ。漢字で書くと、お洒落。
あの服おしゃれね、とか、あそこのレストランお洒落だって、なんて使う。
ラーメン屋さんであまりおしゃれって使わない。
意味を調べると、「洗練されている」と出てくる。ラーメン屋さんだって洗練されているお店はあるだろうが、やはりどちらかといえば、もっと脂っこい。
フランスの絵本作家セルジュ・ブロックさんが描いたこの絵本は、おしゃれだ。
絵の感じが日本のものとはやはりどこか違う。
その差が、おしゃれという言葉になりそうだ。
サムという男の子の家も、なんとなくおしゃれ。
絵を描く仕事をしている、ちょっとおなかがでて、頭も少しうすくなっているパパも、ショートな髪型で細身のママも、わがままな、それはきっとサムより年下だから仕方がないんだけど、弟のレオンも、みんなおしゃれだ。
どうしてそう見えるのだろうって考えて、それはセルジュさんの絵の彩色がとってもおしゃれなことに、洗練されていることに、気がついた。
サムはパパが大好きだから、だって「大きくなったらパパになる」っていうくらい好きなので、パパの癖とか行動パターンとかみんな覚えている。
だから、この絵本はサムが大好きなパパがいっぱい描かれている。
でも、それはフランスの、サムのパパだけのお話ではない。
きっと日本の、君たちのそばのお父さんも、きっとサムのパパのように、おしゃれなはずだ。よく見ると。
(2018/06/17 投稿)

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06/16/2018 1冊のノートが「あなたの言葉」を育てる(川上 徹也):書評「読み返すことがいかに大事か」

今日は
コピーライターの川上徹也さんの
『1冊のノートが「あなたの言葉」を育てる』という
長いタイトルの本を紹介します。
ノートとかメモとか
それに関するハウツウ本を
一体どれくらい読んできたでしょう。
それに
仕事をしている時に
使っていたノートは山ほどあって
皆さん仕事をやめたあと
そういうノートって
どうしているのでしょう。
なんだか捨てるに捨てきれない。
まだまだ自分の「言葉の木」が大きくなるかも
しれませんし。
じゃあ、読もう。

この本のタイトルにある「あなたの言葉」とは何でしょう。
それは誰かの口真似でもないし、うわべだけのものでもない。
自分自身の内面で作り上げられた「言葉」ということです。
著者の川上徹也さんの肩書に「コピーライター」とありますから、それなら「言葉」は重要だろうが、自分は関係ないと思った人はいませんか。
そんなことはありません。
どんな職業にしろ、自分の考えを伝えるのは「言葉」ですし、仕事の出来具合であったり進行状況だって報告するのは「言葉」です。
ましてや、仕事上の大事なプレゼンとなれば、「言葉」は欠かせません。
この本ではそんな大切な「言葉」を「言葉の木」として育てるためのノウハウを教えていますが、「仕事や日常のコミュニケーションで使うためのものを基本」としています。
ここで教えてくれることは、まず「日々の気づきを書き記す」ノート、「日気ノート」です。
川上さんがコピーライターということもあって、こういったネーミングにすごく長けています。
実はこの本では「1冊のノート」ではなく、「仕事の軸」を作る「内幹ノート」とアウトプットを積み上げる「出言ノート」を作ることを薦めていますが、根っこは「日気ノート」だと思います。
そして、何より大事なことは「書きっぱなし」にしないこと。
これはこのノートだけでなく、メモとかあるいは日記なんかでもそうかもしれません。
書いていることで安心してしまうのではなく、「見返す」ことが大事だと教えてくれています。
(2018/06/16 投稿)

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06/15/2018 三つの短い話(村上 春樹):書評「中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円」


いわゆる純文学系の作品を扱っている雑誌のことで
有名どころでいえば
「文学界」(文藝春秋)、
「新潮」(新潮社)
「群像」(講談社)
あたりでしょうか。
最近の文芸誌を見ていると
それなりにさまざまな仕掛けをしていて
もちろん文学の多様性ということもあるのでしょうが
読者そのものが変わってきていて
それに適応させるための工夫に
試行錯誤しているように
見受けられます。
まあ、それでも
なかなか読んでもらえていないのでは。

先日都内の書店をぶらりとすると
文芸誌「文学界」7月号(文藝春秋・970円)が
平積みでどーんと
置かれているではないですか。
その理由はすぐにわかりました。
村上春樹「三つの短い話」 最新短編3作同時連載
さすが村上春樹さんの力はすごい。

さっそくその「最新短編3作」を読んでみました。
3作は次のとおりで、
横にページ数を入れておきました。
「石のまくらに」 P.10 ~ P.23
「クリーム」 P.24 ~ P.39
「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」 P.40 ~ P.53
ページ数を入れたのは
どれくらい短編なのかをわかってもらいたくて。

3作読んでも
1時間ほどで読めちゃう。
しかも、この3作どれもテイストが違う。
だから、好みが分かれるのではないかしらん。

「クリーム」は「パン屋襲撃」のような感じで、抽象を具体で描いたような作品です。
18歳の時に経験した奇妙な出来事が描かれています。
どう奇妙かというと、昔一緒にピアノを習っていた女の子からリサイタルのハガキが届いたので行ってみると、会場は閉まったままでリサイタルなどしていない。
誰もいないような街の片すみの公園で出会った老人に謎のような言葉までかけられてしまう。
中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円
村上春樹さんの作品は時にこういう不思議な空間が提示されることがあります。
この3作に共通しているのは「死の影」のような気がします。

早く読みたい人は
「文学界」7月号を買うべし。

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06/14/2018 常世の花 石牟礼道子(若松 英輔):書評「たいまつの火をつなぐようにして」

4月の読書会の時であったが
メンバーのひとりが
石牟礼道子さんの全集から
『苦海浄土』の巻を2巻持ってこられたことがある。
あまりにりっぱな装幀に
参加者たちは呆然ともなったのだが
その人が
そのあと天草まで旅をしてきたという話を
今月の読書会にされていて
参加者一同再び呆然となった。
その人のアクティブさもそうだが
その人をそこまで突き動かした
石牟礼道子さんも
すごい。
今日は若松英輔さんが
石牟礼道子さんへの追悼文を編纂した
『常世の花 石牟礼道子』を
紹介します。
じゃあ、読もう。

今年(2018年)2月10日、文学者石牟礼道子さんが亡くなりました。90歳でした。
石牟礼さんといえば、公害病水俣病の被害者の皆さんの視点に立った『苦海浄土』で知られる文学者ですが、本書はその晩年彼女の良き伴走者であり理解者となった批評家であり詩人でもある若松英輔さんが彼女の死後新聞等に記した追悼文八編を核にして出来上がっている。
若松さんは2016年9月にNHKEテレ「100分 de 名著」という番組で『苦海浄土』が取り上げられた際に解説を担当したことでも知られている。
若松さんは「この本は、石牟礼道子論とよばれるようなものではないが、随想という様式だからこそ書き得る問題は、いくつか提示できたように感じている」と、「あとがきに代えて」という一文の中で記している。
確かに堅苦しい論ではない、平易な文章ならでは伝わるものがある。
特に著作名はとても知られた『苦海浄土』ではあるが、その実三部作となった作品は大部のものでなかなか読み切るのは容易ではない。
それでも石牟礼さんが伝えたいことを理解しようとすれば、若松さんのこの方法はとても有効だろう。
ある追悼文のおわりに若松さんはこう記した。
「「いのち」とは何かを考えるためには私たちは、まず「虫」の眼をよみがえらせなくてはならない。それが石牟礼道子の遺言だったように思われる」と。
若松さんがこの文集で私たち読者に伝えたかったことは、そういった石牟礼さんが私たちあとに残された者たちへ伝えようとした思いだったにちがいない。
(2018/06/14 投稿)

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06/13/2018 雑誌を歩く - 「東京人」7月号 : 今また読みたい 太宰治

忌日、すなわち亡くなった日につけられた名称もはいっていて
もしかすると
もっとも有名なのが
太宰治の忌日、桜桃忌かもしれない。
黒々とひとは雨具を桜桃忌 石川 桂郎

私が持っている『俳句歳時記 第四版増補 夏』では
6月13日となっていますが、
6月19日を桜桃忌ということもあります。
何故かというと
太宰治が愛人の山崎富栄さんと玉川上水に入水したのが
昭和23年(1948年)6月13日で
その遺体が発見されたのが
6月19日だったからです。

先日本屋さんでぶらりとしていて
目にとびこんできたのが
没後70年、やっぱり太宰が好き!
という惹句。
それは「東京人」7月号(都市出版・930円)の
キャッチコピーでした。

そうか、太宰治が亡くなって
70年なのか。
つまり、私が生まれた昭和30年あたりは
まだ生前の太宰治のことを覚えている人が
たくさんいたんだ。
そんな妙な感慨でした。

太宰治文学にかぶれ、
太宰治の生涯を知ろうとし、
東京に初めて出てきた18歳の年の「桜桃忌」に参り、
生家の青森の「斜陽館」にも
泊まりました。
その頃は宿泊ができたんですね。
なので、
「東京人」の特集
今こそ読みたい 太宰治
というより
今また読みたい太宰治、
になるのでしょうが
大人になって
読み返しをしていないのは
印象が変わるのが怖いからです。
でも、
あんまりさけていると
本当に読み返す機会をなくしそうです。
せっかくなので
この機会に太宰治を
再読してみようか
なんて考えています。

太宰治の学生時代のノートに書かれた
「青春の落書き」や
岡崎武志さんの
「「東京八景」を訪ねて」など
読み応えある記事が満載で
永久保存版の一冊になりました。

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06/12/2018 極小農園日記(荻原 浩):書評「農園の話なら極小どころか大きく大きく」

このブログでも
毎週月曜は「わたしの菜園日記」を
書いていますが
今日は直木賞作家の荻原浩さんの
『極小農園日記』というエッセイ集を
紹介します。
その中に名言があって
考えすぎたり、よけいなことをしたりするのが、
素人菜園の楽しさ
よおーくわかります。
まさに、同士よと
肩抱きたくなりました。
荻原浩さんはイラストも巧くて
表紙のそれが
荻原浩さんの手によるもの。
ぜひ、続編をお願いします。
じゃあ、読もう。

会社を定年して、さてこれからとっても長い時間をじっくり楽しもうと思っていた矢先、近くで菜園の貸出の募集が始まった。
それ以前から野菜作りに興味があって、いいな、うらやましいなと見ていたので、少し高かったが借りることに決めた。
借りるといっても、わずか10㎡。3.3坪の「極小農園」だ。
それから4年。小さいながらも楽しく菜園生活をおくっている。
だから、そういう方面の本とか雑誌にもアンテナが立ってしまって、直木賞作家の荻原浩さんのこの本にも敏感に反応してしまった。
まるで黄色い花に吸い寄せられる虫のように。
荻原さんの「極小農園」の広さは4㎡というから、私の畑より小さい。
それでいて色んな品種の野菜に挑戦しているのだから、さすが「素人菜園」。
その菜園でどんな農作業をしているかを綴ったのが「極小農園日記」というエッセイだが、初出は毎日新聞に2008年10月から翌年3月に連載されたもの。
この時期の「農園日記」なんて本当は考えられません。
菜園は、なんといっても夏が本番。
空へ空へと延びる夏野菜ほど楽しめるというもので、秋から冬にかけての菜園くらい寂しいものはありません。
そんな悪条件であっても、より楽しくよりおかしく書くのがプロ。
さすが荻原浩さん。
でも、さすがにそれではいけないと思ったのでしょう、今回初エッセイ集となるこの本を刊行するにあたって、夏編を書き下ろしで追加しています。
荻原さんのエッセイ集が今までなかったというのが不思議なくらいですが、同じ「極小農園」仲間とすれば、それだけで一冊にして欲しかったと思います。(旅のエッセイも面白かったですが)
(2018/06/12 投稿)

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06/11/2018 仲よき事は美しき哉 - わたしの菜園日記(6月9日)

暦の上では今日が入梅。
梅雨に入るいく日も雨降りし後 山口 波津女
この季節の花といえば
紫陽花。

街のいたるところで
楽しめる花です。
あぢさゐや軽くすませる昼の蕎麦 石川 桂郎

気とにらめっこしないといけないし
足が遠のけば
収穫や苗の管理がおろそかにもなるし
難しい。
台風も近づいているというので
少し暑かったですが
6月9日の土曜に行ってきました。
この日は
オクラの種播き。
これで夏野菜はすべて準備完了です。

ミニカボチャですが
地面に近いところの実は
早く採らないと
おいしい実がならないと教えられて
泣く泣く収穫。
せっかくなので
こんなことをして遊んでみました。

こんな絵、見たことありません?
武者小路実篤をマネしてみました。

食べられないことはありません。
この日、豚肉の薄切りをまいて
てんぷらで食べました。
ほくほくの食感はカボチャです。
こういうのが食べられるのが
自分で育てている特権です。

有名なのがトウモロコシ。
世にいうヤングコーン。

これもてんぷらにして。
夏野菜とてんぷらは
とっても相性がいいですね。

まずは万願寺風トウガラシ。

これもてんぷらでいただきました。
こちらは
トウモロコシ。

少し早かった気味ですが
これは茹でて食べました。
そして、
ジャガイモ。

茎に少しアリがたかっていたので
収穫しました。
これで二株分。


夏野菜の本番はこれからですから
まだまだ楽しめます。

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06/10/2018 人間(加古 里子):書評「ただ、こどもたちのために」

先週の6月4日、
NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組で、
今年5月2日に
92歳で亡くなられた絵本作家かこさとしさんの記録映像
「ただ、こどもたちのために かこさとし 最後の記録」が放映されました。
かこさとしさんを映像で見るのは初めてで
取材スタッフにもていねいにお話される姿に
胸があつくなりました。
そして、本当にどんどん体調が悪くなっていかれる中でも
最後まで絵本づくりに真摯に向き合い姿の
なんと尊いことでしょう。
番組の最後に
今日紹介する絵本『人間』の
こんな一節が読まれました。
むやみに死をおそれることもないし、
死の悲しみものりこえられることでしょう。
あらためて
かこさとしさんの
ご冥福をお祈りします。
じゃあ、読もう。

絵本作家かこさとし(加古里子)さんは亡くなる直前の今年(2018年)3月から4月にかけておよそ一ヶ月間、NHKの取材を受けていました。
その姿が「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組で、先日放映されました。
タイトルが「ただ、こどもたちのために かこさとし 最後の記録」。
まさに「こどもたちのために」終生、絵本を描き続けた人かこさんの姿がカメラにおさめられた貴重な記録映像でした。
番組の最後に使われたのが、1995年に刊行されたかこさんの科学絵本シリーズの一冊であるこの本でした。(この絵本の執筆では加古里子という漢字表記を使っています)
この絵本はかこさんの人気シリーズである「だるまちゃん」や「からすのパンやさん」とは一味も二味も違います。
どちらかといえば、デビュー作である『だむのおじさんたち』(1959年)に近いものです。
タイトル『人間』とあるとおり、宇宙の誕生から地球の成り立ち、その小さな星に生き物が生まれ、やがて私たち「人間」が誕生する、壮大な世界観がまず描かれます。
その次には子供がどのように誕生して成長するのか、ここでは性教育のような描かれ方をしています。
この単元でかこさんはかつて子どもが自分が母親のどこから生まれたかわからないという疑問に答える形で、ていねいに綴られています。
こういうあたりが、「こどもたちのために」描いたかこさんらしい一面です。
そして、人間の身体の成り立ち、人間の歴史とつながっていきます。
かこさんはこの絵本を制作するにあたって10年以上の歳月を有しました。
それだけ強い思いが結実した絵本だといえます。
(2018/06/10 投稿)

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06/09/2018 〔実践〕小説教室(根本 昌夫):書評「まるで人気講座を受講しているかのよう」

今日は
根本昌夫さんの『〔実践〕小説教室』という本を
紹介します。
根本昌夫さんがどのような人かは
書評を読んでもらうとして
書評に書けなかった
小説を書く極意を
この本から抜粋しておきます。
小説を書くことや読むことは、
その「ふだんいる世界の外に立つ」という経験です。
この「ふだんいる世界」は
「約束事の世界」とも記されています。
それは小説を読んだ時感じることがあるかと思いますが
書く時も
それは重要だということですね。
書き出しについて、
読者を日常から脱出させる書き出しになっているかどうか
これも先の引用部分と
同じ意味かと思います。
この本には
これ以外にも色々な教えが
はいっています。
じゃあ、読もう。

第158回芥川賞は石井遊佳さん、若竹千佐子さんという二人の女性による同時受賞で話題となったが、もしかすると彼女たち以上にその名を知られることになる人物がいた。
それがこの本の著者根本昌夫さんで、何故根本さんが有名になったかというと、芥川賞を受賞した二人ともがかつて根本さんが教える「小説教室」の受講生だったからだ。
当然そうなれば、もしかしたら自分も芥川賞作家になれるかもしれないと根本さんが持っている「小説教室」は満員で、さらにはこうして2013年に書かれた本が新しい版となって再び出版されることになるのだから、さすが芥川賞の影響力はおそろしい。
そもそも根本さんは学生時代から文芸誌の編集に携わって、社会に出てからも雑誌「海燕」や「野生時代」の編集長まで務めた人だから、小説を読む力はすごいものがある。
しかも根本さんと近い関係にある作家となれば、吉本ばななさんとか小川洋子さんなどがいて、根本さんの文学における新しい芽の発掘は今に始まったことでないことがわかる。
根本さんは「いい小説を書く」ためには、「たくさん書くこと」「たくさん読むこと」「よく考えること」が重要と説く。
その考えに沿って、この本でもまず「小説とは何か」があって、その次の「書いてみよう」では書き出しの描き方など具体的な説明がされ、最後は「読んで深く味わおう」では綿矢りささんや村上春樹さんの作品を「構造」と「重層性」の視点から読む解いていく。
活字になってはいるが、まるで授業をその場で聴いているような臨場感があって、これはやはり満員になるだけはある、人気講座にちがいない。
(2018/06/09 投稿)

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06/08/2018 読書の価値(森 博嗣):書評「私、この本はオススメしますが」

今日は
森博嗣さんの『読書の価値』という新書を
紹介しますが
どうも私はこういう類の本が
大好きで
書店で見かけると
どうしても
読んでみたくなります。
この本の中で
森博嗣さんが
文章が上手くなるコツみたいなことを書いていて
それは
自分以外の誰かになったつもりでそれが読める
というみたい。
そういうことが
タメになりましたね。
じゃあ、読もう。

こんなことを言っては申し訳ないが、この本の著者森博嗣さんのことをまったく知らない。この本に載っている略歴によれば、1957年生まれというからほぼ同世代。大学の工学部で助教授をしていたというバリバリの理系人間で、その一方で小説、推理小説とかSF小説といった作品を発表する作家でもある。
多くのディープなファンがいるようだ。
そんな森さんを知らずにこの本、新書です、を手にしたのは、そのタイトルにある。
読書の価値。
本好き、読書好きにはたまらないタイトルではないか。
読書の価値とは何か、が多分書かれているのでしょ、ということで手にしたこの本は、読書というよりもっと広い意味の知的生産術と呼んでもいいような気がした。
森さんが本から得た価値とは、自身が面白かったということ。
つまり、本を読んで面白くなかったところには価値がないし、自身が面白かったからといって誰もがそうではないということなので、私が森さんのこの本を面白かったと書いても、あなたはそうではないかもしれないことを覚悟して欲しい。
あるいは、この本は読書論というより知的生産術ではないかと私が言っても、あなたはそうではないかもしれない。
読書とはそういうもの。
森さんは「本はすすめられて読むものではない」と書いていて、「本との出会いは、つまり人との出会いと同じ」としている。
つまり、友達と同じように「本は自分で選べ」というのが森さんの本選びの原則。
そう考えれば、著者のことも知らずにこの本を手にしたのは、森さんがいう原則に則していたようだ。
(2018/06/08 投稿)

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06/07/2018 朝が来る(辻村 深月):書評「第1章のおわりはゾクッとします」

今日は長編小説の紹介です。
辻村深月さんの
『朝が来る』。
単行本で346ページ。
最近の小説は
これぐらいのボリュームは
あたりまえのようになってきました。
実はこの作品、
内容をまったく知らずに読み始めたのですが
社会派ミステリーの
社会派は「特別養子縁組」制度のあたり。
まさにそのことが
この物語の核になっています。
タイトルにある「朝」に惑わされた感じです。
結構重い内容でした。
じゃあ、読もう。

直木賞作家辻村深月さんが2014年1月から翌15年3月まで「別冊文藝春秋」に連載した社会派ミステリー。
四つの章に分かれた、その最初の章がなんといっても不気味な感触だ。
住みたい街にランキングされる武蔵小杉のタワーマンションに住む佐都子のもとにかかってくる無言電話。夫と幼稚園児の息子朝斗との平穏な暮らしに、それは小さな棘のようにんって佐都子を悩ましている。
そんな時朝斗が幼稚園で友達を突き落としたとされる事故が起こる。
朝斗は否定し、佐都子も夫もそんな息子を信じようとする。やがて、事故は朝斗のいうとおり友達の嘘が判明する。
そんな中、ついに無言電話の主が正体をあらわす。それは朝斗の実の母親ひかりを名乗る女性で、朝斗が佐都子たちの実の子でないことをバラすと脅迫してきた。
そして、佐都子と夫は実の母親だという女性と会うことになる。
朝斗は特別養子縁組で佐都子たちの子供になったのは間違いなく、一度だけ佐都子たちは実の母親に会ったこともある。しかし、今佐都子たちの目の前に現れた女性はひかりとは別人のようであった。
―あなたは一体、誰ですか。
しかも、彼女は佐都子たちの前から姿を消したあと、行方が知れなくなっていた。
佐都子たちの前に現れた女性は誰なのか。
二章以降、佐都子たちがどのようにして朝斗とめぐりあい、実の母親であるひかりがどのようにして朝斗を生み、手離し、そして流浪していく様が描かれていく。
主人公は佐都子のようでもあるが、やはりひかりという女性があまりにも切ない。幼さはあまりに残酷だ。
(2018/06/07 投稿)

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06/06/2018 玉、砕ける(開高 健):書評「開高健の短編小説を読むなら、この作品がオススメ」

湯川豊さんの
『一度は読んでおきたい現代の名短篇』は
おそらくそこで取り上げられている作家たちを
おさえれば
現代の日本文学のありようが
見えてきそうなくらいで
とっても貴重な1冊です。
開高健という作家の作品では
「貝塚をつくる」という短編が
紹介されていますが、
私なら今日紹介する
「玉、砕ける」かな、やっぱり。
どちらの作品も
『ロマネ・コンティ・1935年 - 開高健・六つの短編小説―』に
収められています。
じゃあ、読もう。

この短編小説の初出は1978年3月の総合誌「文藝春秋」だから、1989年に58歳で亡くなった開高健にとって晩年というには早すぎて、後期の作品とした方がいいだろう。
ただ、開高はこの後あまり多くの作品を発表していないので、印象的には晩年期の好短編といいたいところだ。
この時期の開高は「闇」三部作の最後の作品がなかなか出来ず、困窮を極めていた時期であったが、短編小説は燦然と輝く逸品ぞろいである。
なかでも、この「玉、砕ける」は内容的にはかつての中国の政治事情とか文学事情がわからないといささか困難だが、作品としての構成がとてもいい。
ある朝どこかの首都で目を覚ました「私」は日本に帰ることを決断する。「私」はベトナム戦争従軍とか世界の紛争地帯を飢えたように渡り歩いていた開高健自身と思われる。
開高はベトナム戦争を実体験することで、『輝ける闇』と『夏の闇』という記憶にとどめたい長編小説をものにしたが、あとが続かない。
そんな倦怠が作品全体にある。
香港の銭湯で垢すり体験をする「私」はまるで皮一枚はがれるくらいの垢をそぎおとされるのだが、それこそ「私」が抱える倦怠の日々そのものだ。
それが、この都市を去る直前に北京で中国の文学者老舎が殺害されたというニュースを耳にする。
そのことを「私」に告げた中国人の不安そうな男の前で、けれど「私」の文章はここにきてまるで生き返るかのように精気にあふれる。
その時、倦怠の象徴のようであった垢の玉が砕け散る。
開高健はこの作品で1979年に川端康成文学賞を受賞した。
名短篇である。
(2018/06/06 投稿)

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06/05/2018 短編小説より愛をこめて(阿刀田 高):書評「「礼儀正しい」エッセイ集です」

湯川豊さんの
『一度は読んでおきたい現代の名短篇』を読んでから
短編小説が気になって、
今日の書評に書いたように
図書館のネットで調べて
阿刀田高さんの本にたどりつきました。
『短編小説より愛をこめて』。
阿刀田高さんという作者は
直木賞作家ですから
そのお名前はもちろん知っていましたが
読んだことのない作家さんでした。
それがここに来て
立て続けに2冊読むことになっていたら
日本経済新聞の人気コラム「私の履歴書」の6月から
阿刀田高さんが登場したではありません。
これにはびっくり。
もちろん偶然ですが
なんか縁みたいなものを感じます。
なんだか楽しめる6月になりそうです。
じゃあ、読もう。

最近は図書館の検索機能もすぐれていて、家にいながら、インターネットで「検索ワード」を入れれば、それにつながる所蔵物が一覧できる。簡単な内容表示ぐらいも見ることができたりもする。
短編小説が気になって、図書館での所蔵を調べてみて、この本に行き当たった。
作者は短編小説と「心中してもいい」とまでいう、直木賞作家の阿刀田高さん。
しかもタイトルが『短編小説より愛をこめて』なんて、しゃれている。
平成18年1月に単行本で出版され、二年後の平成20年7月に新潮文庫の一冊におさめられた、エッセイ集である。
阿刀田さんは短編小説を「礼儀正しい文学」という。
何故「礼儀正しい」かというと、読者を長く拘束しないからだ。
私たちの好みは多種多様で、同じ本好きでも好みの作者、好みのジャンルそれぞれある。ただ嫌いだからといって手にしないのは、世界を狭めてしまう。それはわかっていても、長編小説だと長時間読者を拘束するし、途中で嫌気がさしてくることだってある。 もしかしたら、最後の最後で、自分の感性と共鳴しあうものがあるかもしれないのに。
その点、短編小説は読み手を拘束しない。
数時間、長くて半日もあれば読んでしまう。
やっぱり好みが合わないことがわかっても数時間無駄にしただけだ。
逆に新しい世界が発見できたら、こんな仕合せなことはない。
阿刀田さんは、だから短編小説は「礼儀正しい文学」だとほめるのだ。
このエッセイ集は三つの単元に分かれている。
最初が短編小説のことを綴ったエッセイ、次がギリシャ神話にかかるエッセイ、そしてその他のエッセイとなっている。
エッセイもまた一つひとつが短いから「礼儀正しい」といっていい。
(2018/06/05 投稿)

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06/04/2018 田ンぼでは田植えが終わって - わたしの菜園日記(6月2日)

畑や田ンぼを見つけるのは少なくなりましたから
私の畑のように
家から歩いていけるのは
とっても有難い。
さらに少し周辺を歩くと
田植えが終わったばかりの
田ンぼまで見つけました。

忽ちに一枚の田を植ゑにけり 高浜 虚子
初夏の美しい景色です。

いよいよ忙しくなってきました。
今週は収穫のことから。
まずはタマネギ。

少し小ぶりですが
なんとかタマネギらしく育ちました。
こちらはニンニク。

こちらは豊作といっていいのじゃないかな。
そして、
キュウリも初めての収穫です。

写真の上にあるのが
普通の品種で
下がミニキュウリ。
さあ、今年は何本とれるでしょうか。

今年ベランダで
マイクロキュウリという品種も育てています。
なかなか流通していなく、
タネを通販で購入しました。
なかなか芽が出ないので
失敗したかと心配していたのですが
ようやくツルが伸びるところまできました。

このキュウリ、マイクロというだけあって
葉も茎もみんなマイクロ。
小さい。
どれぐらい小さいかといえば
写真の1円玉と比べてもらうと
わかるとおり。
さてさて、どんな実ができるでしょうか。

まず先週播いたエダマメは
芽がでました。

こちらは
手前がオカヒジキで奥がモロヘイヤ。

そして、これはミニカボチャ。

この日(6月2日)は天気もよかったので
人工授粉にも
挑戦しました。
そして、ついにショウガの芽も出ました。
お待ちしてましたよ。


中玉トマト。

葉が茂りすぎています。
この春に土づくりとして
土の入れ替えをしたせいかもしれません。
トマトは肥料が少なくても大丈夫な野菜で
肥料の成分が多かったかも。
うまく実ればいいのですが。

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絵本の読み聞かせをしている知人が
長谷川義史さんの絵本の読み聞かせが
苦手だと悩んでました。
あの大阪弁が
うまく読めないとか。
なんとなくわかります。
大阪弁の独特なイントネーションは
なじみのない人には
とっつきにくいんでしょうね。
なんなら、
私、読みまひょか。
と言いたくなりましたが
まあ、遠慮しときま。
子どもたちに
おっさん、何しゃべってんや、
わからへんと
言われるのがオチ。
今日は
長谷川義史さんが翻訳した
『サンカクさん』。
文はマック・バーネットさん、
絵はジョン・クラッセンさん。
じゃあ、読もう。

大阪は藤井寺市生まれの絵本作家長谷川義史さんが慣れ親しんだ大阪弁を駆使し、海外絵本の翻訳に新鮮な風を送ったジョン・クラッセンの『ちがうねん』や『みつけてん』。
そのクラッセンが絵を描いて、マック・バーネットが文を書いたのが、もちろん翻訳は長谷川義史さんで、この絵本です。
タイトルのとおり、主人公は「サンカクさん」。
名前のとおり、体型だけでなく、家も家の出入り口も三角で、性格もどちらかといえば三角。丸い性格でないのは、間違いない。
何故なら遠く離れたシカクさんのところまで、わざわざ「わるさ しにいく」ほどだから。
三角の景色をすぎ、なんだかややこしいところも越え、しだいに景色は四角になっていきます。
シカクさんの家に着いたサンカクさんは、ヘビがきらいなシカクさんに「シャーッ!」とヘビのマネして驚かせて喜んでいます。
やっぱりサンカクさんの性格は、丸くありません。
それでもシカクさんには「おこらんといてえな」なんてシラッと言うのですから、ちょっと友達にはしたくありません。
そこでシカクさんはその仕返しに、わざわざ遠くのサンカクさんのお家まででかけることになります。
この二人、仲がわるいのか。本当はとっても仲がよかったりして。
ジョン・クラッセンの絵がとってもいい。
この絵を見ているだけで、心がほっと丸くなります。
そして、何より長谷川義史さんの大阪弁がごっつうはまってます。
(2018/06/03 投稿)

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06/02/2018 銀の猫(朝井 まかて):書評「介護小説もさまざまあるが、これは読んでおきたい」

今日は月に一度の読書会の日。
先月はゴールデンウイークでお休みだったので
一ヶ月ぶり。
前々月の読書会で
朝井まかてさんのことが話に出て
そこから
何作か朝井まかてさんの作品を
読んできました。
そして、今日も
『銀の猫』という
作品の紹介です。
この作品でもそうですが
うまいですよね。
でも朝井まかてさんには
江戸ではなく
大坂を書いてもらいたい。
と、あくまでも
関西びいきの感想。
じゃあ、読もう。

江戸は天保年間、「長寿の町」だったようで、「七十、八十の年寄りはざら、百歳を過ぎた者も」いた。そうなれば、現代と同様介護も必要になり、もっともお金もかかるからそれなりの身分や資産があるものしか他人の介抱を受けることもままならないのも今と似ている。
朝井まかてさんのこの連作短編は、そんな時代に「身内に代わって、年寄りの介抱を助ける」介抱人を生業にしているお咲という女性を主人公にして、介護の難しさを時代小説に溶け込ませた意欲作だ。
お咲は実の母親の佐和がお咲の婚家から借金をしたおかげで離縁され、その返済まで負わされている。そのために「鳩屋」という口入屋から介抱を求める家を紹介してもらって奉公にはいるという段取りで生活をしている。
佐和とは喧嘩が絶えず、貧しい長屋暮らしから抜け出すこともままならない。
いつの時代も介護の苦労は変わらずで、それでもお咲が得意先から評判がいいのは、つらい婚家での生活ではあったが舅の仁左衛門の介護で心を通わせる充実した日々を経験したせいだ。
そんな舅からもらったのが小さな、銀の猫の根付。
これがこの連作短編集のタイトルにもなっている、第1作目の題名の由来。
朝井まかてさんが『恋歌』で直木賞を受賞した2013年から2016年にかけて「オール讀物」に三か月おきに連載した8つの作品は、季節の風物、植物、食べ物をふんだんに織り込み、江戸の人たちの生活ぶりを通して、年老いたものたちとの理想とする生き方を描いて、考えさせる。
正面きって「介護」の問題を論じるのではなく、こういう小説で考えてみる方がいいような気もする。
(2018/06/02 投稿)

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06/01/2018 清張映画にかけた男たち(西村 雄一郎):再録書評「映画みたいに面白い」

今日から6月。
もうすぐ梅雨入りにはいりそうな
天気が続きます。
六月を奇麗な風の吹くことよ 正岡 子規
昨日、松本清張の『張込み』という
短編小説を紹介しましたが
あの作品の中で「S市」と書かれていたのが
佐賀のこと。
野村芳太郎監督作品「張込み」は
橋本忍脚本で
日本映画屈指の名作ですが
そのロケ地は
もちろん佐賀。
松本清張の映画化に心血を注いだ
男たちを描いた
西村雄一郎さんの
『清張映画にかけた男たち』を
今日は再録書評で紹介します。
この書評を書いたのが
2015年9月、
その「こぼれ話」のおしまいに
「それにしても松本清張。
もっと読まないといけないんでしょうね。」
なんて書いたのに
読んでません。
反省してます。
じゃあ、読もう。

この本は映画評論ではありません。
あえていうなら、昭和33年に封切られた、松本清張原作、橋本忍脚本、野村芳太郎監督、大木実、高峰秀子主演の、映画「張込み」制作の、ノンフィクション作品です。
何しろ著者の、映画評論家西村雄一郎氏の実家は佐賀の老舗旅館松川屋で、この宿屋こそ主演の大木たちが撮影のために宿泊した宿屋だったのです。
西村氏にとって、映画「張込み」の制作日記をたどることは、自身の子ども時代の日々をたどることでもあり、そういった人と人との交差が、この作品の魅力になっています。
タイトルに「清張映画」とあるように、前半部分は映画「張込み」のドキュメント、後半は数多く作られた松本清張原作の映画をみていきます。
その中には「清張映画」の代表作ともいえる「砂の器」(これも野村芳太郎監督)も当然はいっています。
しかし、なんといっても前半の「張込み」制作のドキュメントの、なんという面白さ。なんというスリリングさ。それだけで、1篇の映画を観ているような気分になります。
そもそも「張込み」は松本清張の短編小説で、それを2時間の映画に仕上げた橋本忍、野村芳太郎の才能はすごいものがあります。
そのすごさは佐賀でのロケにも現れていて、野村芳太郎は松竹の本社からしばしばロケ中止の勧告を受けたといいます。それでも、野村は撮影をやめなかった。
そのあたりがとてもミステリアスに描かれています。
そして、透かし絵のように現れるのが日本映画の巨匠黒澤明です。
野村は黒澤のような粘る演出を一度はしてみたいと念願していました。それが「張込み」の撮影につながっていきます。
脚本を書いた橋本忍は黒澤明の作品を何本も書いています。
橋本と野村をかつて引き合わせたのも、黒澤明でした。
つまり、映画の観客人口はもっとも大きい時代に今でも残る名作となった「張込み」には、黒澤明の影がちらちらしているのです。
このドキュメントが生き生きとし、しかも刺激的なのは、初めてのロケ隊に興奮した佐賀の普通の市民がいたからでしょう。
人の渦が、この作品を熱くし、面白くさせています。
実に熱い一冊です。
(2015/09/18 投稿)

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