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プレゼント 書評こぼれ話

  本を捨てるのは
  なかなかやっかいだ。
  それでも場所の問題とかあって
  場面場面で古本屋に持っていったりして
  処分してきたつもりです。
  それでも
  書棚を見て
  並んだ本を再読する機会はなかなか
  ないなと嘆息しています。
  思い出の品はなおさらです。
  大学時代に友人と交わした手紙など
  今更読むこともないのに捨てられない。
  探せば
  小学生の頃の通知書だって出てきそう。
  今日紹介するのは
  かこさとしさんの小学校卒業の時の絵日記を本にした
  『過去六年間を顧みて』。
  さすがにかこさとしさんなら
  思い出の品も価値がある。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  思い出はこうしてつながっていく                   

 断捨離で一番難しいのが、思い出の品ではないだろうか。
 写真や本でさえ処分するのがやっかいなのに、思い出の品はそれ以上だ。
 小学校の卒業アルバム、その頃の通知書、あるいは夏休みに描いた絵画、・・・。
 整理しようとまるで開けてはいけないパンドラの箱を開いて、へえこんなものが残っていたよと見るぐらいが関の山なはずなのに、捨てることができないのは、それらが思い出の品だからだろう。
 もし、あなたのところに小学校の卒業文集があったら、どうしますか。

 絵本作家のかこさとしさんが92歳で亡くなったのが今年(2018年)5月2日。
 かこさんが小学校卒業のときに書いた絵日記(というより六年間の歩み)がこうして本になったのが今年の3月で、なのでこの本に付けられた著書略歴には没年がない。
 まさにかこさんが私たちに残してくれた、最後の贈り物といえる。
 絵日記だからもちろん文は自筆で綴られているが、本としては活字で組まれるしかない。ただし、絵は小学6年生のかこさんが描いたものが使われている。
 その絵のうまさに、さすが将来絵本作家として大成する素養を感じる。
 しかも、表紙に描かれた自画像ともいえる少年の顔は、晩年のかこさんに、当然なのだが、そっくりなのだ。

 活字となった絵日記の合間あいまに、晩年のかこさんの「思い出聞き書き」がはさまって、その時々の情景を補足している。
 最後の「あとがき」には自身の父親のことを綴っているきっかけは、かこさんの父親がかこさんの小学生の頃の賞状などを写真で残してくれているのを知ったからだ。
 思い出はこうして大切にされていく。
  
(2018/10/31 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  毎週月曜には
  「わたしの菜園日記」ということで
  家庭菜園の記事を書いています。
  家庭菜園を始めて
  もう4年めになります。
  栽培する野菜は同じでも
  その季節季節の天候や気温で
  作物の成長にはちがいがあります。
  今年はハクサイが不作。
  菜園の人たちと
  こんなことは今までになかったね、なんて
  嘆いています。
  今日紹介するのは
  私と同じ家庭菜園を始めた人のお話。
  金田妙さんの
  『シロウト夫婦のきょうも畑日和』です。
  作物が不作でも
  面白いのが菜園です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  野菜づくりは楽しい                   

 野菜づくりを始めてもう4年めになる。
 農業を始めたわけではない。いわゆる「家庭菜園」というものだ。
 私が借りているのはわずか3坪ほどのものだから、収穫といってもたかが知れている。
 でも、当初考えていたよりも数倍楽しい。
 だから、どうしても家庭菜園の雑誌とかテレビとか目に入ってくる。
 この本もそうして手にした一冊。
 ところが、驚いたことにここに登場する「シロウト夫婦」のお二人はまだまだお仕事現役の都会派。(家庭菜園は、私もそうだがシニア層が多い。仕事をしながら畑作業は大変なのだろう)
 しかも、二人が借りたのは100平米もある、私からすれば広大な! 畑だ。

 土づくりに要した堆肥の量も半端ない。
 それをオシャレ志向の奥さん(彼女がこの本の著者の金田妙さん)とゴルフ好きのサラリーマンの旦那さんの二人で始めていくのだから、驚きだ。
 若いってすごい。
 そんな二人だが、季節を重ねることで「家庭菜園」の極意を取得していく。
 例えば「野菜は、きちんと世話をしても、思うように育たないことがある」、そうその通り、「でも、落ちこむことはない」、え本当、「次回またがんばればいいのだ」、そりゃそうだけど、「仕事じゃなくて、趣味なのだから」。本当、こんな言葉、なかなか言えません。
さらに著者は「季節の流れに沿った繰り返しの生活を、楽しく心地よいと感じる」ようにまでなったと書いているが、本当にその通りで、それはいつもの栽培だけど、やはりその年ごとで育ち方が違う、そのことが単純な繰り返しでないということだろう。

 まさに今日も畑日和だ。
  
(2018/10/30 投稿)

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 野菜と俳句はとても相性がいい。
 ともに旬があるからでしょう。
 だから、歳時記を開くと野菜の扱った季語が
 いっぱい出てきます。
 しかも、種を蒔く時期や収穫の時期によって
 それを扱う季節が変わってくるのですから
 歳時記はまるで農作業の手順書のようでもあります。
 年がら年中八百屋さんで売っているような野菜でも
 旬があって
 その旬に合わせて歳時記にのっている。
 ショウガがそうです。
 ショウガもちゃんと歳時記に載っています。
 しかも、今が旬。
 つまり、ショウガ秋の季語
 歳時記に「秋の新生姜は繊維が柔らかく、特に好まれる」とあります。

    てんぷらの揚げの終りの新生姜      草間 時彦

 そうなんです。
 今がショウガの収穫期。
 私も畑のショウガを掘り起こしてみました。
 掘り起こしている時から
 ショウガの匂いがぷーんとしてきます。
 これが土から出したばかりの新ショウガ

  20181027_153109_convert_20181027175041.jpg

 そして、こちらが水洗いをしたあと。

  20181027_162528_convert_20181027182539.jpg

 少し小ぶりでしたが
 齧るとショウガの味が口中に広がります。

 季節の野菜といえば
 ダイコン
 ダイコンが冬の季語なのは
 収穫時期に合わせているからですね。
 菜園のダイコンは少しばかり
 白い肌をのぞかせています。

  20181027_142447_convert_20181027174101.jpg

 初めて栽培する野菜で
 こちらはブロッコリー

  20181027_150225_convert_20181027174334.jpg

 おなじみの花蕾が大きくなってきました。

 キャベツは少しばかり結球しかかっています。

  20181027_150303_convert_20181027174520.jpg

 ミニハクサイはやはりなかなか結球してくれません。

  20181027_150317_convert_20181027174738.jpg

 ちなみに
 キャベツは夏の季語、
 ハクサイは冬の季語です。
 キャベツが夏の季語なのは
 少し違和感がありますが。

 これはニラの種。

  20181027_141924_convert_20181027173907.jpg

 これがこぼれて
 新しい芽が出てくるのかな。

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  今日紹介する
  くさばよしみさん編、中川学さん絵の
  『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』という絵本は
  昨日紹介した
  久住邦晴さんの『奇跡の本屋をつくりたい』の中で
  中学生向けに
  読んでもらいたい一冊として
  久住邦晴さんがあげていたものです。
  中学生に絵本ですかと
  思われる人もいますが
  この絵本は深く考えさせられるものです。
  ここで語られる幸福を
  みんなで考えることで
  何かいい方向に向かえるのではないでしょうか。
  そんな、いい絵本です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  幸福とは何だろう、絵本を読んで考える                   

 私たちの国は何百年も続く鎖国の時代を経て、今から150年ほど前にようやく開国をしました。そんな国ですが、たちまち列強の仲間入りを果たし、領土拡大の野望で世界を相手に戦争へと突き進んでいきます。そして、国土を焼かれ、その後敗戦。わずか70数年前です。
 その国が今度は経済的大国へと成長していきます。
 しかし、国が豊かになることと幸福とはどうも違うようです。もちろん、幸福だという人もいますが、この国では自殺者もまだあとを絶ちません。
 例えば、いじめの件数でも、最近は増加しています。もう何年も前からいじめはよくないと言われ続けているにも関わらずです。
 もしかしたら、私たちは幸福ということをまちがって学んできたのでしょうか。
 この絵本を読んで、そんなことを考えさせられました。

 この絵本のもとになっている話は実話です。
 2012年にブラジルのリオデジャネイロで行われた国際会議で、南米のウルグアイという国のムヒカ大統領が行ったスピーチがもとになっています。
 そのスピーチの中で、ムヒカ大統領は古代の人たちから伝わるこんなことを話しました。
 「貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、かぎりなく多くを必要とし、もっともっとほしがること」だと。
 ここでいう「貧乏」とは物の量の多寡ではありません。まさに心の問題です。
 また、大統領はこうも語っています。
 「わたしたちは発展するためにこの世に生まれてきたのではありません。この惑星に、幸せになろうと思って生まれてきたのです」。

 この絵本は絵本の形態をしていますが、たくさんの人が読んでもらいたい。
 そして、本当の幸福とは何だろうかを考えるきっかけになればいいと思います。
  
(2018/10/28 投稿)

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  今日から
  読書週間が始まります。(~11月9日)
  今年の標語は

    ホッと一息 本と一息

  そして、図書館とかで見かけることもあると思いますが
  こちらがポスター。

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  本がある暮らしといっても
  なかなかそういう習慣になれない人も多いと
  思いますが
  さっかくの機会ですから
  本屋さんや図書館に足を運んでみるのも
  いいですよ。
  今日は久住邦晴さんの
  『奇跡の本屋をつくりたい』という本を
  紹介します。
  あなたにとって
  奇跡の本屋とはどんな本屋でしょうか。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  夢と希望に本はあふれている                   

 札幌の人なら「くすみ書房」という本屋を覚えているかもしれない。
 いや、街の本屋さんが好きな人ならどこに住んでいても、「くすみ書房」の名前は聞いたことがあるのではないだろう。
 くすみ書房。1946年札幌・琴似で創業した街の本屋さん。しかし残念ながら、今はもうない。2015年に惜しまれつつ、閉店。
 そして、くすみ書房の名前を世に高めた店主・久住邦晴さんも2017年8月、66歳という若さで癌で亡くなる。
 この本は最後まで「奇跡の本屋をつくりたい」と願った久住さんが生前に書き溜めた、くすみ書房がどのようにしてその名が知られるようになり、どのように厳しい経営状態に堕ちていったかを記した、久住さんのいわば戦闘記である。

 くすみ書房は全国チェーンの本屋ではない。かつてはどこの街にもあった街の本屋さんだ。その本屋さんが有名になったのは色々な仕掛けのおかげだ。
 例えば、売れない文庫ばかりを集めたフェア、店内での朗読会、中学生や小学生向けに発信した彼らに読ませたい本のフェアなど。
 そのつど、お店にはたくさんの人が集まり、売上が増えて経営が安定しかかる。
 しかし、そのたびに大手の全国チェーンの書店が進出し、経営は息詰まる。
 店舗の移転もしたし、寄付も募った。
 けれど、久住さんの矢は尽き、閉店に追いやられる。

 最後に久住さんが願ったこと、「奇跡の本屋」をつくるということはどういうことだったのか。
 「中学生の本棚」と「高校生の本棚」がある本屋、夢と希望を与えてくれる本であふれた本屋。
 本当はそれは決して「奇跡」ではないはず。
 本が持っている力を、久住さんはもう一度よみがえらせようとしたのだ。
 久住さんは亡くなったけれど、その思いがこの本でよみがえった。
 だから、この本こそが「奇跡」の一冊なのだ。
  
(2018/10/27 投稿)

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  今日は木内昇さんの
  『火影に咲く』という
  短編集を紹介するのですが
  幕末を舞台にした小説は
  すでに多くの作品で描かれていても
  まだこうして新しい作品が
  生まれるんですから
  なんともすごい時代ですよね。
  日本の歴史の中でも
  とても稀有な時代では
  ないでしょうか。
  この短編集でも
  坂本龍馬とか中村半次郎とか出てきますが
  決して古びていないのですから
  木内昇さんの筆力に
  感心しました。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  いのちをかけた男がいて、いのちを願う女がいる                   

 タイトルに使われている「火影(ほかげ)」とは、「ともし火に照らされて映し出された姿や影」ということらしい。
 『漂砂のうたう』で第144回直木賞を受賞した木内昇(女性作家で、昇はのぼりと読む)さんのこの短編集は雑誌「小説すばる」に不定期に掲載された6つの短編を収録している。
 初の「紅蘭」が2009年の掲載で最後の「光華」が2017年の掲載だから、作者の木内さんにこのような「火影」に揺れる人たちの有様をまとめる意図が最初からあったかどうかわからないが、こうしてまとまると、まさに「火影」という言葉が当てはまる作品集になったといえる。

 攘夷派にしろ佐幕派にしろ誰も彼もが熱くたぎっていた幕末の京都を駆け抜けた6組の男女。
 例えば、新選組の沖田総司と労咳を病んだ老女布来。あるいは、長州藩の若者吉田稔麿と料亭のてい。
 さらには坂本龍馬の生き様に嫉妬する岡本健三郎と亀田屋の娘タカ、また「人斬り半次郎」と怖れられた中村半次郎と煙管店の娘おさと、といったように、志士たちが火であるならば、それに寄り添うように女たちはひっそりとそこにいる。

 特に最後に収められた「光華」は中村半次郎の純な恋心を描いて秀逸だ。
 半次郎が想いを寄せる煙管屋の娘おさと。おさともまた半次郎に恋心を寄せ、おさとの父親は娘の気持ちを察して半次郎に嫁にもらって欲しいと願う。
 自分の気持ちをわかりながらも倒幕という大きな歴史の流れに生きようと決心した半次郎はすげない態度でおさとに別れをつげる。おさともまたつらい仕打ちを忍んで受けとめる。
 この短編だけでも(もちろん全編がいいだろうが)ドラマ化してもらいたいくらいだ。
  
(2018/10/26 投稿)

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  武良布枝さんの『ゲゲゲの女房』を
  読んだ人は多いと思います。
  ドラマにもなったし
  映画にもなった。
  本もベストセラーになりました。
  その後日談ともいえるのが
  今日紹介する
  『「その後」のゲゲゲの女房』です。
  9月に出たばかりの新刊ですから
  後日談の本が出たことに
  気がつかない読者も多いかもしれません。
  私も本屋さんで
  偶然見つけました。
  やっぱり読みたくなりますよね。
  武良布枝さんの生き方は
  とっても参考になりますよ、
  シニアの人には。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  あるがままの女房                   

 漫画家水木しげるさんが93歳で亡くなったのが2015年11月だから、もう3年になる。
 水木しげるさんの代表作である「ゲゲゲの鬼太郎」が今年(2018年)アニメ化50周年ということで、6度めとなるテレビアニメが放映されている。「♪夜は墓場で運動会」と歌っていたのがもう半世紀前ともなれば、こちらも年をとるはずだ。
 そして、ベストセラーとなった『ゲゲゲの女房』が刊行されたのが2008年で、それから10年が過ぎたことになる。
 その時、著者の武良布枝さんは76歳で、ご主人の水木しげるさん(本名武良茂)は86歳。100歳まで生きるぞとまだお元気だった。

 10年をひと昔といったのは「二十四の瞳」の書き出しだったが、この10年の間に布枝さんを取り巻く環境が激変する。
 何より布枝さんにとって唯一無二の人だった水木しげるさんが亡くなったこと。
 きっと『ゲゲゲの女房』を読んだ多くの読者は布枝さんの「その後」が気になっていたと思う。
 だから、この本は水木さんが亡くなる時の様子であったりニュースにもなった「お別れ会」のことなども綴られているが、何よりも今布枝さんがどういう心境で日々を暮しているかの「報告」になっている。
 デイサービスでの過ごし方とか大腿骨骨折後の訪問リハビリとか食事のこととか英会話教室のこととか、読者に向けた「報告」ももしかしたらあちらの世界にいる水木さんへの「報告」だったのではないだろうか。

 布枝さんは最後にこう記している。
 「あるがまま(無為自然)に、すべてに感謝して生きる」と。
 水木しげるさんが亡くなっても、布枝さんは「女房」であることは変わらない。
  
(2018/10/25 投稿)

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  昨日、NHKの朝ドラ「まんぷく」のことを
  書きましたが、
  視聴率も好調なようで
  さすが朝ドラの貫禄です。
  でも、朝ドラも視聴率が低迷した時期があって
  それを救済したのは
  第82作の「ゲゲゲの女房」と言われています。
  漫画家水木しげるとその奥さん武良布枝さんの夫婦の物語で
  主演は松下奈緒さんでした。
  その松下奈緒さんは
  今放映している「まんぷく」で
  主人公福子の上の姉克子を演じていますが
  松下奈緒さんを見て
  「ゲゲゲの女房」を思い出す人も多いのでは。
  そこで今日は
  2009年8月に書いた『ゲゲゲの女房』の再録書評です。
  そして、
  明日は最近出たばかりの
  『「その後」のゲゲゲの女房』を
  紹介します。
  お楽しみに。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  彼女はビビビ??                   

 著者の武良布枝さんは、人気漫画家水木しげる氏の「女房」です。
 氏の代表作といえば『ゲゲゲの鬼太郎』、だから本書は『ゲゲゲの女房』。おかしなタイトルですが、わかりやすい、いい書名です。
 水木しげる氏の著作のなかに『妖しい楽園』(2000年刊)という、氏の身辺雑記をつづった本がありますが、そのなかで氏は「父」や「母」あるいは「子供」については書いていますが、布枝夫人のことには触れられていません。
 唯一、自身の結婚の事情を描いた「結婚」という短文のなかに「長い顔の女がホホ笑んでいる」という文章があるばかりです。水木氏が丸顔だから余計にそう見えたのか、漫画に登場する「女房」も「長い顔」をしています。
 もっとも、本書口絵の「女房」の写真を拝見すると「長い顔」どころか、美人顔で、文章にも書かず、漫画でも揶揄するのは、おそらく水木氏の照れであろうと思われます。
 「ゲゲゲ」どころか、ねずみ男の「ビビビ(美美美)」の女房とお呼びしたいくらいです。
 本書は、そんな「女房」の、青春から今にいたる、一代記です。

 今でこそ水木しげる氏といえば故郷の島根県境港市に「記念館」があるほどの人気漫画家ですが、布枝夫人と結婚した頃は四十前のまだ貧しい貸本マンガ家で、しかも戦争で左手をなくしていました。その男性がこれほどの成功をおさめると、布枝さんは考えたわけではありません。
 見合いからわずか五日後に二人は結婚式をあげるのですが、これなどは現代では考えられないことかもしれない。
 「恋愛に価値があると思っておられる方々には、これ以上の不運はないと思われるかもしれません」と、「女房」は書いていますが、すぐさま「最初に燃え上がった恋愛感情だけで、その後の人生すべてが幸福になるとは、とても思えません」と記しています。このあたりは、現代の「婚活」にいそしむ女性たちはどう受けとめるのでしょうか。

 結婚はしたものの水木しげる氏の経済状況は好転するはずもなく、まして貸本マンガ界も不況にあえいでいました。
 「伴侶とともに歩んでいく過程で、お互いが「信頼関係」を築いていけるかどうかにこそ、すべてかかっていると思うのです」と書く布枝さんは、困窮生活のなかで一所懸命絵筆をふるう水木氏を見てきた「女房」でしたし、漫画週刊誌ブームにのって人気漫画家の仲間入りをした水木氏ではあっても「目を見て話してくれることがなくなったことが、寂しくて」たまらないと感じる、女性らしい優しい「女房」でもあったわけです。

 水木しげるご夫婦の物語は現代の成功物語かもしれません。しかし、「女房」の文章にはそんな奢りはありません。
 『ゲゲゲの女房』とは、「普通では味わえないような、喜びも悲しみも、誇らしさも口惜しさも経験」したことを感謝する、おおらかな「女房」の物語です。 
  
(2009/08/29 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は二十四節気のひとつ、
  霜降(そうこう)
  字の如く、
  霜が初めて降りる頃という意味です。

    霜降や鳥の塒(ねぐら)を身に近く     手塚 美佐

  紅葉もこのあたりから
  ぐんと進んでくるのでしょうね。
  毎日NHKの朝ドラ「まんぷく」を
  楽しみに見ています。
  主人公役の安藤サクラさんの個性に感心していますが
  そのお母さんを演じている
  松坂慶子さんの変わらぬ美しさに
  喝采です。
  このドラマは日清食品の創業者安藤百福さん夫妻がモデルですが
  実際安藤百福さんってどんな人だったか
  それを知りたい方にオススメの一冊を
  今日は紹介します。
  安藤百福発明記念館編の
  『転んでもただでは起きるな! 定本・安藤百福』です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  朝ドラ「まんぷく」をもっと楽しむために                   

 NHKの朝の連続テレビ小説、通称朝ドラの第99作めとなる「まんぷく」はチキンラーメンをこの世に送り出し、インスタントラーメンの祖となった安藤百福さんとその妻仁子さんをモデルとした作品である。
 安藤さんは1910年、76年に一度現れるハレー彗星が接近した年で「ハレー彗星の落とし子」と周りの人から言われたそうだ。
 亡くなったのが2007年1月、96歳の生涯であった。

 安藤さんは2001年に日本経済新聞に「私の履歴書」を執筆、それをベースにその後の人生を加筆したのが、本書の前半部分の「安藤百福伝」である。
 それは2008年に「日清食品50年史」として刊行されたものになる。
 後半の「安藤百福かく語りき」は、安藤さんが経営者として社内外で口にした言葉を収録したもので、伝記と合わせ読むことで、言葉が生き生きと蘇ってきそうだ。

 タイトルとなった「転んでもただでは起きるな!」も安藤さんの言葉のひとつで、そのあとに「そこらへんの土でもつかんで来い」とつづく。
 この言葉だけをとらえれば、強烈な個性の経営者のようであるが、安藤さんの生涯はまさに転んでも「そこらへんの土」をしっかり手にしたものだったことが伝記からうかがえる。

 この本では他にも安藤さん毎年元旦に定めた「年頭所感」が掲載されている。
 その言葉を見ていくのも面白い趣向だ。
 ちなみに安藤さんが亡くなる平成19年に書き残した所感は「企業在人 成業在天」だった。
 朝ドラを契機に、安藤百福さんのことを知りたい人には絶好の一冊だ。
  
(2018/10/23 投稿)

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 畑に行くまでに
 何本か小さな川があります。
 ひとつは割りと大きな川で
 春になると両岸に桜が満開となります。
 あとは小さな川で
 水嵩もしれたものです。
 先日そこに一羽の白鷺がいて
 思わず見とれてしまいました。

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    白鷺のみるみる影を離れけり     小川 軽舟

 「白鷺」は夏の季語です、
 残念ながら。
 それでも秋の訪れは確かで
 家から見える富士山もいつのまにか
 しっかり雪をかぶっています。

  20181021_065227_convert_20181021081850.jpg

 畑に行くたびに
 まわりの畑からもハクサイの姿が
 消えていきます。
 先週まできれいに成長していたのに
 一週間で虫にやられて断念というのが
 今年は多い。
 我が家のミニハクサイもまだなんとかもっていますが
 写真のように
 取っても取ってもアブラムシがついてしまいます。

  20181020_152356_convert_20181020173243.jpg

 どこかであきらめるしかないのか
 見極めが必要になってきそうです。

 こちらはダイコンの葉。

  20181020_145610_convert_20181020172759.jpg

 こういう感じにきれいに成長すると
 うれしくなります。
 これはブロッコリー

  20181020_150724_convert_20181020172935.jpg

 花蕾ができるところまでは
 まだまだそう。
 そして、こちらが
 葉ネギ

  20181020_150809_convert_20181020173138.jpg

 すくすくというのは
 こんなことをいうのでしょうか。

 先週イチゴの苗を植えて
 その間にニンニクを植えましたと書きましたが
 写真では全然わかりませんでしたよね。
 それが一週間経つと
 ごらんのようにもう芽を出しています。

  20181020_144949_convert_20181020172701.jpg

 そうそう
 こんなふうなところに
 植えたのです。
 芽が出るのが早い野菜は
 わかりやすくて、
 いいなぁ。

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日
  柳家権太楼さんの『落語家魂!』という本を
  紹介しましたが
  今日は
  落語の演目を絵本にした「らくごえほん」から
  野村たかあきさんの『しにがみさん』を
  紹介します。
  今日は日曜なので
  いつもNHKEテレで午後2時からしている
  「日本の話芸」を
  楽しみに見ています。
  時々講談とかしますが
  ほとんど落語。
  しかも30分番組なので
  そこそこ長い落語も楽しめます。
  噺家さんのしぐさや表情も見れて
  手軽に落語が楽しめる
  いい番組です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  このオチはいいですよ                   

 絵本の多様さには驚かされるとともに感心する。
 絵本にならない世界なんてないのではないかと思ってしまうくらいだ。
 この『しにがみさん』という絵本は「らくごえほん」とあるとおり、古典落語の演題である「死神」を野村たかあきさんの手で絵本に仕上がったものだ。
 実は「死神」という落語にはいくつかのオチがあって、この絵本で使われているのが柳家小三治によるバージョンということで、「柳家小三治・落語「死神」より」と表紙に記されているのだ。

 調べると、そもそもこの落語「死神」は明治時代に活躍した初代三遊亭圓朝が創作したもので、そのもとは「グリム童話」の一篇だというから、まんざら絵本の世界と縁がないわけでもなさそうだ。
 物語はある日死神にとりつかれた男が病気の人のそばにいる死神の位置でその人の病がいえるかそれとも死んでしまうかわかることを、死神から教えられる。
 その悪知恵でもって医者といつわりお金もうけをする男は、とうとうやってはいけない、死神をだますことまでしてしまう。
 怒ったのは死神。
 男を地獄に連れていき、一面のろうそくが点る世界を見せる。
 このろうそく、命の灯がともっていて、今にも消えそうなろうそくが男のものだという。
 さてさて、この男、最後はどうなるのか。

 この最後のオチが色々あるというから、落語の世界も面白い。
 そういうことを子供たちに話してあげると興味がますかもしれない。
 案外落語家にまけない爆笑もののオチを考えついたりするかもしれない。
  
(2018/10/21 投稿)

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  2年ばかり単身赴任をしたことがあります。
  その時、
  お世話になったのが
  桂枝雀さんの落語のCDでした。
  毎夜毎夜、桂枝雀さんの噺に
  一人大笑いをしていたのですから
  今思えばどうも怪しいかぎりです。
  そのあと、古今亭志ん朝さんにはまりました。
  最近はTVでも落語を鑑賞できることもあって
  新しい噺家さんの高座を楽しんでいます。
  そんな一人が
  今日の本『落語家魂!』の主役
  柳家権太楼さん。
  もうめちゃめちゃ面白くて
  柳家権太楼さんのCDも聞きまくっています。
  本もいいけど
  間違いなく柳家権太楼さんの落語が
  面白いです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  あなたは権太楼を知っていますか                   

 上方落語といえば米朝師匠をはじめ桂文枝や松鶴といった大御所の名前が浮かぶが、なんといっても「上方落語の爆笑王」と呼ばれた桂枝雀を抜きにして語れない。
 残念ながら1999年59歳で亡くなる。
 時を同じくして江戸落語で人気を博していたのが古今亭志ん朝で、当時「東の志ん朝、西の枝雀」と落語界の人気を東西で二分していた。
 志ん朝もまた2001年63歳で亡くなってしまう。
 枝雀と志ん朝の落語はまったく系統が違う。
 一方は爆笑を目指し、一方はしっとり聞かせる。
 どちらがいいとかということではない。二人のそれぞれの個性だろう。

 二人は伝説の落語家になったが、二人のいない落語界はそれでも今隆盛を極めている。
 特に江戸落語はこの本の主役である柳家権太楼をはじめ、柳家さん喬、柳家喬太郎、あるいは春風亭一之輔、いやいやとどまるところがない。
 彼らの原点に実は枝雀と志ん朝がいることを、落語界入りから前座、二ツ目、そして真打に至る権太楼の落語家としての生き様を面白おかしく語ったこの本の中でも、しっかり語られている。
 権太楼にとってこの二人はおそらく自身忘れられることのない落語家であり、そのことをきちんと語る権太楼はエラいと思う。

 この本はもともと読売新聞に「時代の証言者」というシリーズで30回にわたって連載されたものに加筆したもので、編者である長井好弘さんがいうように「丸ごと権太楼本」となっている。
 しかも権太楼十八番の落語が20話、権太楼の解説付きで載っているのが、うれしいではないか。
  
(2018/10/20 投稿)

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  東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズ
  単行本であれ
  文庫本であれ
  本屋さんの店頭に並ぶと
  ホッとします。
  旬のサンマが魚屋さんに並んだ時と同じ気分。
  今回は文春文庫版で
  『メンチカツの丸かじり』。
  単行本が2015年11月ですから
  3年ぶりに
  戻ってこられました。
  よく戻られました、
  私はうれしいよ。
  今回の解説は小宮山雄飛さんが担当。
  文庫はこれがあるから
  得した気分になります。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  文庫解説文の書評 - 今回はカレー研究家?                   

 知らないというのは恐ろしいものだ。
 何の話かというと、東海林さだおさんのおなじみ「丸かじり」シリーズの第38弾が文春文庫にはいったのだが、その解説を書いているのが小宮山雄飛さん。
 誰だ? 星飛雄馬だったら知ってるが。
 肩書は「ミュージシャン」になっている。古賀政男ならわかるのだが。
 しかも、その解説を読むと、東海林さだおさんの『サンマの丸かじり』に出てくる「カレー稲荷」の考案者みたいでもある。
 ということは、カレー研究家?

 こういう時、インターネットはとても便利で、「小宮山雄飛」で検索をかけると、当然情報が出てくる。
 しかも、顔写真も。
 ウン? この顔、どこかで見たことがある。
 情報を深堀りしていくと、小宮山さんは確かにミュージシャンで、しかもカレー研究家でもあって、さらにNHKEテレの「趣味の園芸 やさいの時間」で時々「旬のカレー」というコーナーで野菜を使ったカレーを料理していた人だと判明。
 そうか、あの番組でお会いしていました。

 だったら早くいってよ。
 そんな経歴なら、東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズの文庫解説にぴったりじゃない。むしろ、もっとカレーネタで押し切ってもよかったのに、それをしないところが(少ししていますが)いい人っぽくて、そのあたりも東海林さんの文庫解説者に適任。
 毎回思うことは、この文庫の編集者の人って、解説者を探すだけでも大変なんじゃないかな。
 もちろん、読者はその分、楽しくて仕方がありませんが。
  
(2018/10/19 投稿)

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  山本周五郎にこんな作品もあるのかと
  いささか驚く人もいるかもしれません。
  でも、さすがに山本周五郎だけあって
  色々な人のありようを
  描いた一篇だともいえます。
  それがこの「」(あざみ)という
  短編小説です。
  この作品を読んでみるきっかけは
  書評にも書きましたが
  沢木耕太郎さんの文庫解説を読んでということ、
  それと
  「キャロル」という
  2016年に公開された映画の素晴らしさに
  影響されたともいえます。

  

  愛というのは
  異性であれ同性であれ変わらない、
  映画「キャロル」のそんなメッセージに
  強く惹かれたせいだと思います。
  「」は新潮文庫の『松風の門』という短編集に
  収録されています。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  山本周五郎異色のレズビアン小説                   

 沢木耕太郎さん編による文春文庫オリジナルの『山本周五郎名品館』という全4冊の短編集の解説に、沢木さんがこの短編集には選ばなかったが山本周五郎の作品の中でも異色の作品があるということが書かれていて興味を持ったのが、この「薊(あざみ)」という短編である。
 昭和34年(1959年)の「小説新潮」一月号に発表された、文庫本で34ページほどの短編である。

 どう異色かというと、ここに登場する武家の妻がレズビアンという設定なのだ。もちろん、山本の作品の中にその言葉は出てこないが、実は「薊」というタイトルには「実が生らない」という薊の花の特性が込められている。
 主人公加川の妻「ゆきを」は夫と寝床を同じにすることを避け、時に病気といつわりお側の女人と身体を交わらせている風でもある。
 その現場に何度か加川自身が出くわすのだが、彼は「ゆきを」の思いを理解することはない。

 木村久邇典の文庫解説によれば、山本にはいくつかの「官能的な作品」があり、「肉感的な描写を積み重ねながら」もポルノ小説とは「類を異にする」のは、山本の作品が小説の基本である「人間把握」がしっかりなされていることを挙げている。

 この小説は題材の異色性だけなく、その構成も複雑に編まれていることに読者はとまどうかもしれない。
 過去と今が複雑に絡み合っていて、短編ながらも時制の妙で作品に奥行きが生まれているといっていい。
  
(2018/10/18 投稿)

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  先日
  霜月蒼さんの『アガサ・クリスティー完全攻略』という本のことを
  紹介しましたが
  あの本は本当にいい本で
  さあ次はどんな作品を読もうかと
  迷っている読者には
  いい道標になってくれる。
  今回、
  アガサ・クリスティーのシリーズとして
  ポワロ物ではなく
  ミス・マープル物を読みたい
  (とにかくアガサ・クリスティーの初心者なので)
  と思った時、
  霜月蒼さんの評価の高い作品を
  手にしました。
  それが『ポケットにライ麦を』。
  霜月蒼さんの評価は
  「未読は許さん」の★5つです。
  評価通りの面白さでした。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  ポワロもいいけど                   

 ミステリの女王アガサ・クリスティーといえば、名探偵ポワロシリーズが有名だが、それ以上に人気が高いかもしれないのがミス・マープル物だ。
 この作品はミス・マープル物でも評判の高い作品だが、彼女が登場するのは作品のほとんど半ばといっていい。
 それまでは殺された男の服のポケットに何故かライ麦がはいっていたり、その男の周辺には年若い美貌の妻とか生真面目な長男、遊び人ながら最近殺された父親とよりが戻った風でもある次男とか事件の概要と舞台背景がニール警部の捜査で浮かんでいく形になっている。
 そして、ミス・マープルの登場である。

 彼女は「かなりの年配の婦人」と登場シーンの最初に書かれている。
 彼女の特長は「皺こそよってはいるが、まだ豊かな色白の頬」を持ち、「背は高いが、いかにも時代おくれ」の服装をしているなど、初めて読む読者には彼女の正体は、彼女と会ったニール警部同様、ほとんどわからない。
 彼女は何故この事件に関わるのか。
 それは、ミス・マープルが最初の殺人事件から続いておこる第二、第三の殺人事件で犠牲となった一人の少女の知り合いという設定になっているからで、実はこのことが最後にこの長編の魅力を高める要素にもなっていることを、読者は最後の最後になって知ることになる。
 ミス・マープルは警察の内部で名の知られた推理解明ぶりを発揮していることをニール警部が知るのは後半になってからだが、事件解決に至るミス・マープルの推理解明の冴えに読者は感心すること間違いない。

 ポワロもいいけど、ミス・マープルもいい。
  
(2018/10/17 投稿)

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  人生には
  「たまたま」という素敵な出会いがあります。
  私がNHKEテレ
  わずか5分の番組「ヨーコさんの”言葉”」を
  見るようになったのも
  今ではどういうきっかけだったか
  忘れてしまうぐらい
  「たまたま」でした。
  そして、
  その番組が本になっていると知ったのも
  本屋さんで「たまたま」見かけたからです。
  そのシリーズ本も
  この『ヨーコさんの”言葉” じゃ、どうする』でおしまい。
  残念ですが
  仕方がありません。
  本ならいつでも再読できますもの、ね。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  いちばん大切なもの                   

 絵本作家でエッセイストの佐野洋子さんのエッセイを紙芝居風に作品化したNHKEテレの「ヨーコさんの”言葉“」。
 わずか5分の番組ながら、見終わったあとには背筋が伸びている。
 それを書籍化したシリーズ本も5冊めとなるこの『じゃ、どうする』で完結。
 本であれば、完結になっても何度も読み返せるのがうれしい。

 この番組は佐野さんのエッセイに北村裕花さんが絵をつけて、上村典子さんが語ってくれるように出来ているのだが、本となると上村さんの語りは聞くことはできない。
 そこは読者が文字を追いながら、頭の中で上村さんの語り口調を再現するしかない。番組を見たことのある人なら、きっと大丈夫だろう。
 うれしいことにこのシリーズ本では北村裕花さんの番組で使用された約250点のイラストを見ることは出来る。
 ありがたい、ありがたい。

 この本では最後に収録されている「あとがき」という作品がいい。
 これは『友だちは無駄である』というエッセイ集から出典されている。
 その中の一節。
 「私は無駄なものが好きだった。(中略)能率や、成績や進歩に直接かかわらないものが好きだった。それがいちばん大切なものだった」
 これで終わるのだが、北村裕花さんの最後のイラストがソファで寝そべる佐野さんの姿というのも、いい。
 きっとこの番組、あるいはこの本がいいのは、別にこれらを知ることが重要ではないけれど、でもきっとそこに「いちばん大切なもの」が隠れているからだろう。
  
(2018/10/16投稿)

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 10月になってからも
 どうもすっきりしない天気が続きます。
 先日街なかで
 コスモスの花を見かけました。

  20181013_121856_convert_20181014093708.jpg

 コスモスというのは
 雨風にも強い花で
 倒れてもまた起き上がる、
 見た目の可憐さとは似つかないものを持っています。

    風つよしそれより勁し秋桜      中嶋 秀子

 この俳句の「秋桜」は
 山口百恵さんの歌でも有名になった
 コスモスの漢字表記。

 そんな天気のせいでしょうか
 ミニハクサイの虫害がとまりません。

  20181013_105222_convert_20181014093610.jpg

 近くの区画の人は
 収穫前にとうとうあきらめて
 伐採しました。
 とってもよく出来ていたのに。
 話を聞くと
 ナメクジが何匹もいたそうです。
 野菜にナメクジは天敵ですが
 今までほとんど見ることがなかったのですが
 やはり雨が多かったせいでしょうね。
 うちのミニハクサイ
 虫害もありますが
 結球もしないかもしれません。

 ミニハクサイの隣には
 キャベツを育てていますが
 今のところ
 こちらは大丈夫そう。

  20181013_105121_convert_20181014093455.jpg

 10月6日(土曜日)は
 イチゴの苗植えをしました。

  20181013_105045_convert_20181014093359.jpg

 苗の間に
 コンパニオンプランツとして
 ニンニクを植えました。
 写真では土に埋もれて見えませんが。
 イチゴも今植えて
 収穫が来年の春ですから
 長―く育てる野菜です。

 でも、
 すっきりと晴れてくれないかな。
 野菜だって
 太陽が恋しいだろうに。

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  フードロスというのは
  売れ残りや食べ残し、期限切れ食品など、
  本来は食べられるはずの食品が廃棄されることで
  大きな社会的問題となっています。
  その原因はさまざまですが
  身近なところでは
  家庭内における管理の問題があります。
  気がつけば賞味期限を過ぎていた、
  いつの間にか傷んでしまった
  買っていたのを忘れていた、
  食べ残しさえ「もったいないおばけ」が出ると
  叱られた時代と様変わりです。
  今日紹介する絵本
  泉なほさん文、いもとようこさん絵の
  『やさいのおしゃべり』は
  そんなフードロスの問題を描いた一冊と
  いえるかもしれません。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  この絵本でフードロスを学ぶ?                   

 単行本から文庫本として編集される時に書名タイトルを変えたりすることが、出版界にはよくある。昔出た文庫本の再販の時なども時々あって、新しい本と間違って買ったりして後悔する。
 それほどに本のタイトルや表紙の装幀は読む動機付けとして大切な要素ということだろう。
 この絵本の場合もそうだ。
 「やさいのおしゃべり」というかわいいタイトル、いもとようこさんのほんわかしたやさいたちの絵。
 これでどんなことを想像するかというと、小学校の教室でもたわいもない、それでいて楽しい、そんな弾むような「おしゃべり」ではないだろうか。

 ところが、そんな思いは大いに裏切られることになる。
 もともとこの絵本は作者の泉なほさんが「宙」という同人誌に『冷ぞうこ物語』として発表した作品を絵本化にあわせて書き直したもの。
 確かにこの内容であれば『冷ぞうこ物語』の方がふさわしいかもしれない。
 つまりこの絵本は買ってこられた野菜たちが冷蔵庫の中でほったらかしにされて、腐ったり傷んだりしている彼らが自分の将来(?)に不安を感じつつ、嘆き、ぼやく話なのである。
 だから、正しくは「やさいのぼやき」だと思うが、もちろんこれでは絵本として売れないだろうから「おしゃべり」になったのだろうが。
 かわいいいもとさんのやさいの絵も、裏表紙では結構深刻な状態のやさいが描かれていたりする。

 作者の意図としては、食べ物を粗末に扱わないということだろうが、やはりその線で絵本として成立させた方がよかったような気がする。
  
(2018/10/14 投稿)

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  「ぞうさん」を歌わなかった子供って
  いるでしょうか。
  でも、もしかしたら
  二番の歌詞は忘れているかも。

    ぞうさん
    ぞうさん
    だあれが すきなの
    あのね 
    かあさんが すきなのよ


  こうして文字にすると
  とっても素敵な詩だと
  あらためて感じます。
  そんな童謡を作ったのが、
  まど・みちおさん。
  今日はこれまでにも何冊か紹介してきた
  あかね書房の「伝記を読もう」から
  『まど・みちお』を
  紹介します。
  書いたのは谷悦子さん。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  ぞうさん だあれがすきなの                   

 あかね書房の、児童向けに編まれた「伝記を読もう」シリーズの一冊。
 副題に「みんなが歌った童謡の作者」とあるように、まど・みちおさんは童謡「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」の作詞をした人として有名だが、詩人として1994年に国際アンデルセン賞を受賞もしています。
 そんなまどさんの伝記となる文を書いた谷悦子さんは児童文学の研究者でもあり、まどさんに関する著作も何冊も上梓している方です。

 「まど・みちお」というのはペンネームで、本名は石田道雄。窓が好きだったので、「まど」とつけたといいます。「まど」と「みちお」の間に「・」がありますが、全部ひらがな表記なので、姓と名を区別するためにわざわざ「・」がついているそうです。
 まどさんは1909年(明治42年)生まれで、2014年(平成26年)2月に104歳で亡くなります。長寿としても有名でした。
 まどさんが国際アンデルセン賞を受賞した際には、まどさんの詩の翻訳を皇后美智子様がなされたことも多くの人に感銘を与えました。
 そうやってみていくと、まどさんの人生はなんて幸せだっただろうと思います。

 でも、そればかりではないのも人生です。
 この伝記を読んでまどさんがまだ小さい頃に両親と離れて暮らしたことなどつらいこともあったこともわかります。
 また晩年には次男を癌で亡くします。その時のまどさんの日記は10ページにわたって悲しみが綴られていたといいます。

 まどさんは「幸せって何ですか」とたずねられた時、こう答えました。
 「自分が生きている現在を、肯定的に見ることができる人は、幸せ」。
 「ぞうさん」の詩はそういう詩でした。
  
(2018/10/13 投稿)

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  第159回芥川賞は少し不幸だったかもしれない。
  せっかく高橋弘希さんという新人を輩出し、
  『送り火』という作品を世に送り出しながら
  候補作となった北条裕子さんの『美しい顔』の
  引用問題ばかりが
  クローズアップされることになったからだ。
  おそらくのちの時代で
  この第159回芥川賞を振り返ることがあったとして
  「フィクションと盗用」問題に揺れた回なんて
  いわれるのだろうなぁ。
  選考委員の評価は
  盗用ではないというものではあったが
  なんだかすっきりしない印象を
  受けた。
  次回はすっきりした受賞を期待したい。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  私はこの作品の読み方を間違っていないか                   

 第159回芥川賞受賞作。
 芥川賞受賞作を読み終わったあと、選考委員の選評を読むようにしている。
 自分の読後感と選考委員のそれを比較しようというのはおこがましいが、どの選考委員のそれが自分と近いかを確かめる程度のことだ。
 今回の受賞作の場合、高樹のぶ子委員の読後感に近いものがあった。
 すなわち、「こんな人間の醜悪な姿をなぜ、と不愉快だった」のである。
 そんな批判がありながらも「すんなり受賞が決まった」(奥泉光委員の選評)というのもいささか合点がいかない。

 この作品は父親の転勤で津軽地方の小さな集落に引っ越してきた中学三年生の少年がそこで体験する暴力を描いたもので、高樹委員の選評は先の引用に続き、「文学が読者を不快にしても構わない。その必要が在るか無いかだ」とある。
 ひとつの文学作品にすべての読者が同じ評価を下す必要はないだろうが、高樹委員の言うような必要性は果たしてこの作品にあったのだろうか、私にはほとんどわからなかった。
 高樹委員の選評には「青春と暴力」というタイトルがつけられていて、高樹委員は「暴力」が青春小説のひとつの魅力にもなりうると理解された上での批判とすれば、この作品を「すんなり受賞」とした他の委員とのやりとりが聞きたくなる。

 読書とは「不愉快さ」と付き合う必要のない行為だと思う。
 もちろん何故「不愉快」なのか、自身に問うことは必要だとしても。
  
(2018/10/12 投稿)

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  今日は
  漫画家益田ミリさんの
  小説を紹介します。
  『一度だけ』。
  といっても
  益田ミリさんは以前も小説を書いたことがあって
  「一度だけ」では
  ありませんが。
  益田ミリさんの漫画もいいですが
  この小説もいいですよ。
  テレビドラマなんかにしたらいいのにと
  思ってしまうくらい
  いいですよ。
  ドラマにするのであれば
  弥生さんには石田ゆり子さんがいいかな。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  東にさくらももこあれば、西に益田ミリあり                   

 益田ミリさんはれっきとした漫画家である。
 しかも女性たちに支持される、人気漫画家である。
 代表作の『すーちゃん』を読めばわかるが、益田さんの漫画はほのぼの系で暴力も血もでない。出るとしたら涙ぐらいなもの。
 しかも、彼女は大阪生まれというだけあって、そのおばさん力は侮れない。
 東にさくらももこあれば、西に益田ミリありというぐらいに、エッセイだって抜群に面白い。
 そして、小説である。
 この作品は彼女の9年ぶりとなる、2作めの長編小説なのだ。

 なんといっても、主人公となる二人の30代、つまりはアラフォーの姉妹の造詣がいい。
 姉の弥生はバツイチで今は介護ヘルパー。妹のひな子はなかなかいい仕事がまわってこない派遣社員。二人とも男運に恵まれない。
 二人の母親淑江には清子という妹がいて、つまりは弥生たちのおばさん、その清子は亡くなった夫の遺産で優雅に暮している。
 今回も清子に誘われて妹のひな子はブラジルにリオのカーニバルツアーに出かけた。
 残された弥生の日常。華やかなブラジルでのひな子の時間。
 きっとそのどちらにも身をつまされる読者も多いかもしれない。

 この小説、あまりに面白くて一気読みができるのだが、雑誌に2年間にわたって連載されたもので、まるで書きおろしのような作品の出来に、益田ミリさんの根気のよさに感服する。
 でも、よく考えれば弥生もひな子も益田さんの漫画に登場するアラフォー女性に似ている。
 つまりは益田さんの中にこんな女性が根っこのようにいるにちがいない。
  
(2018/10/11 投稿)

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  今日10月10日こそ体育の日と言い張る人は
  まちがいなく昭和の人だろう。
  もともと体育の日は
  昭和39年10月10日に開催を迎えた
  東京オリンピックを記念して
  この日が祝日になったので
  私なども体育の日は10月10日という口だ。
  せっかくなので
  今日は
  『オリンピックのころの東京』という
  「フォト絵本」を紹介します。
  写真は春日昌昭さん、
  文は川本三郎さん。
  この本は今月の読書会でも紹介して
  読書会のメンバーと
  あの当時の話で盛り上がりました。
  昔はやっぱりよかった? かな。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  この時私は9歳でした                   

 人生も60歳を過ぎ、後半戦にはいってくると、やはり時代の変化を感じることはよくある。一番顕著な例でいえば携帯電話だろうか。
 半世紀前に電話が掌サイズになって持ち運びできるなんて誰が想像しただろう。
 写真を撮るということも変化が著しいひとつだ。
 カメラがなくてもスマホで撮れて、しかもフィルムの残枚数の心配もすることなくいくらでも獲れる時代が来るなんて思いもしなかった。

 この本は絵本という体裁をとった写真集のようなもの。付けられた名前が「岩波フォト絵本」。
 その説明文に「写真によって伝えられるもの、それは時間」とあります。「写真は、撮った瞬間から過去のものになり、二度と同じものは撮れない」、だから、「記録」として貴重だし、「身近な歴史の証言」になるとある。
 この本が扱っている先の東京オリンピックの頃、つまりは昭和39年(1964年)の頃の日本人にとっては写真は貴重な「記録」だったといえる。
 しかし、世の中が進化したおかげで現代の写真は貴重な「記録」になっていないような気がしないでもない。
 もう少し丁寧に「記録」としての写真を扱わないと、「記憶」にさえ残らないのではないか。

 本の内容に話を戻せば、この本に残されているのは先の東京オリンピックあたりの東京、それは新宿であり渋谷であり有楽町であり上野であり蒲田、赤羽といったまさに東京そのもの、の姿である。
 今から見ればなんとも貧しい時代であったと思うが、その当時を生きた者としてはあの時代はあの時代で、オリンピックがやってくると高揚感にあふれた時代だった。
 今、その高揚は私たちにあるだろうか。
 この本を開きながら、そんなことを考えてみるのもいいかもしれない。
  
(2018/10/10 投稿)

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  今日紹介する
  『もういちど、本屋へようこそ』の
  編著者田口幹人さんは
  盛岡のさわや書店という本屋さんで
  働いていますが
  昨年田口幹人さんの講演を
  聴いたことがあります。
  その講演でも
  「本との出会いのお手伝い」ということを
  話されていました。
  この本の中にもこんな文章がありました。

    読みたいと思える本との出会いの蓄積が、その人の
    その後の読書を豊かにするとしたら、
    やはり出会いは重要なのです。


  いい本と出会える仕合せ。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  「本屋」には「さん」をつけて呼びたい                   

 「本屋」といえば、どのようなイメージを持ちますか。
 全国チェーンの例えば紀伊国屋書店さんとかジュンク堂書店さんなどは「本屋」というより、書店という感じが強い気がします。
 では、「本屋」というのは規模の小さい書店のことをいうのでしょうか。
 違う見方をしたらどうでしょう。例えば「電器屋」。ヤマダ電機とかビックカメラは「電器屋」という感じがしませんが、それとよく似ていませんか。
 つまり、「本屋」にしろ「電器屋」にしろ、私たちの身近にあるお店、単なる商品知識だけでなく日常の愚痴でも喜びでも話せるところ。

 この本の編著者である田口幹人氏は盛岡にある「さわや書店」に勤務している「本屋」で、
 「さわや書店」は何かと本についてのさまざまな話題を提供しています。
 社名に「書店」とありますが、どちらかといえば地域の「本屋」というイメージです。
 その田口氏は「本屋」のことを「本との出会いをつくる人」「本と読者を繋ぐ人」としています。
 つまり、本を販売することを生業としている人だけが「本屋」ではなく、図書館司書であれ書評家であれ、「本屋」ということになります。
 逆にいえば従来のような本を販売しているだけでは「本屋」ではないということになるでしょうか。
 本書はそういう問いかけの中、色々な仕掛けをしている「本屋」、あるいは従来は競争相手だった「本屋」と手を組んで広い仕掛けを行っている人たち、そんな人たちの現場の声を収めています。

 新しい「本屋」像がこの一冊で見つかることはないでしょうが、大きなヒントはあるような気がします。
  
(2018/10/09 投稿)

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 今日は体育の日の祝日で
 お休みという人も多いでしょうね。
 昨日の日曜は
 関東は久しぶりにすっきり晴れ渡った
 絶好の秋日和でした。

  20181007_113303_convert_20181007132851.jpg

 よく見ると
 桜の葉も少し紅葉が始まっています。
 こういう天気のいい日に
 街を歩けば
 どこかから甘いいい香りがしてきます。
 金木犀です。

  20181007_081814_convert_20181007132251.jpg

     金木犀風の行手に石の塀      沢木 欣一

 もう少し秋をさがせば
 柿の実も色づいてきています。

  20181007_082116_convert_20181007132357.jpg

 歳時記を開くと
 柿の句は本当にたくさんあって
 日本人に愛された果物だとわかります。
 なんといっても
 有名なのが、これ。

     柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺      正岡 子規

 そんな日曜、
 台風のあと初めて畑に行ってきました。
 行って驚いたのが
 ミニハクサイ

  20181007_100402_convert_20181007132658.jpg

 写真でわかるように
 アブラムシをはじめとした害虫に
 結構やれらています。
 どうも今年はミニハクサイには苦労させられっぱなしです。
 雨が多かったせいか
 虫が大量に発生しているのかもしれません。
 虫にやられている区画も
 結構あったりします。

 この日はダイコンの間引きの2回め。

  20181007_095432_convert_20181007132540.jpg

 最初に4粒まいて
 先週ひとつ間引きして3つに。
 そして、昨日もうひとつ間引いて2つに。
 ダイコンもまだまだ虫にやられる可能性があるので
 こうして順番に間引いていきます。
 最後は1本にして育てます。

 来週イチゴの苗が入ってくるので
 今週は事前に元肥をいれて畝づくりをしました。
 オクラもおしまい。
 畑はいよいよ秋本番を迎えます。
 あ、更新剪定した水ナスが残っていましたね。
 もう実があまりつかないので
 そろそろこちらもおしまいです。

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プレゼント 書評こぼれ話

  書評にも書きましたが
  今日紹介する
  はせがわさとみさんの『きみ、なにがすき?』は
  今年(2018年)の青少年読書感想文全国コンクールの「課題図書」
  選ばれた一冊です。
  「課題図書」に選ばれると
  図書館での予約件数が一気に増えるようで
  私のように
  夏休みに間に合わない人も
  出てきそうです。
  もっとも
  私は夏休みも
  夏休みの宿題もありませんので
  ちっとも心配ないのですが。
  この本、とってもきれいな表紙ですから
  初めての夏休みだった小学一年生には
  人気だったのではないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  きみのためにできること                   

 この本は、今年(2018年)の青少年読書感想文全国コンクールの「課題図書」の、小学校低学年の部に選ばれた一冊だから、読んだ人も多いと思います。
 毎年、夏が来る頃、各出版社の文庫フェアと、この「課題図書」が楽しみで、一体どんな本が選ばれるのだろうか、そしてそれはどんな本だろうかと、とっくに子供ではなくなりましたが、今でも興味があります。

 はせがわさとみさんは、この本のおわりの著者紹介によると、絵本のワークショップで絵本創作を学んで、すでに何冊も絵本を出版している絵本作家です。
 でも、この本は絵本ではありません。
 素敵な絵もはいっていますが、絵本というより童話という方がいいように思います。
 文章が少しだけ長めに書かれています。なので、字をたくさん覚え始めた、つまりは読みたくて読みたくて仕方がない子どもにはふさわしい一冊になっています。

 お話は森の奥に住んでいる一匹のあなぐまが友達のために畑でおいしいものを作ろうと決心するところから始まります。
 まず初めは、こぶたにじゃがいもを作ろうとします。でも、残念なことにこぶたも自分の畑ですで作っていました。
 仕方ないので、次はりすにりんごをあげることにしました。でも、今度も残念なことにりすの裏庭でりんごがどっさりとれるそうです。
 こんなふうに次から次へと友達の好きそうなものを作ろうとするのですが、いつも失敗。
 さあて、あなぐまは最後に何を作ったでしょう。

 とっても素敵なものは、結局はあなぐまが「いちばんつくりたいもの」だったのですが、その答えは裏表紙にありますよ。
 さて、わかるかな。
  
(2018/10/07 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  10月といえば
  TVドラマも新番組が登場する時期だ。
  絶対見るぞと
  楽しみにしているのは
  なんといっても
  TBSの「下町ロケット」の新シリーズ。
  番組は10月14日からだが
  その前にその原作となる
  『下町ロケット ゴースト』を
  紹介します。
  作者はもちろん池井戸潤さん。
  この作品の中で
  気になる台詞があったので
  書き留めておきます。
  台詞の主は経理部長の殿村さん。

    意に沿わない仕事を命じられ、理不尽に罵られ、嫌われて、
    疎ましがられても、やめることのできないのがサラリーマンだ。
    経済的な安定と引き替えに、心の安定や人生の価値を犠牲にして
    戦ってるんだよ。
    オレはそうやって生きてきた。
    ひたすら我慢して、生きてきた。


  殿村役の立川談春さんで
  このセリフを聞いてみたい。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  彼らが帰ってきた!                   

 新しいことが始まることって、どうしてこんなにワクワクするのだろう。
 池井戸潤さんが『下町ロケット』で第145回直木賞を受賞したのが2011年、その続編となる『下町ロケット ガウディ計画』が刊行されたのが2015年。
 それから3年、待ちに待った新作が出た。
 それがこの作品だ。

 シリーズものの強みはなんといっても登場人物の個性がわかっていることだろう。
 三作めとなるこの作品も舞台は下町の町工場「佃製作所」。
 そして、主人公はその製作所の社長佃航平で、彼を支える製作所のメンバー、経理部長の殿村も技術開発部長の山崎も若手の営業マン江原も健在だ。
 うれしいことに2作めで「ガウディ計画」に携わったエンジンチームの立花と加納も登場し、今回も新しい開発に奮闘している。

 佃製作所が今回挑戦するのはトランスミッション。
 そこに現れるのが、「ギアゴースト」なる新興の会社。この会社の二人の共同経営者は佃がロケットエンジンで世話になった帝国重工を中途退職しているというから、物語が大きな渦を描きながら進行するのがわかると思う。
 は今回の作品では経理部長の殿村の人生も微妙にからんでくる。というのも、殿村の父親が病で倒れ、実家である農家の継続維持が大きな問題となって、殿村を悩ますことになるからだ。

 そういう点ではこの作品も前2作同様、至るところに仕掛けが施されている。
 一つ終われば、さらに。
 ジェットコースターのような興奮はここでも健在である。
  
(2018/10/06 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  第二の世界恐慌かと驚愕された
  リーマン・ショックから
  10年になります。
  その年、2008年の春
  私は長年勤めていた会社を辞め
  リーマン・ショックの中
  無職の徒でした。
  ハローワークが主催していた
  職業訓練の一環で
  埼玉大学の経済学部の講義をちょうど受けていた時期で
  今から思えば
  その受講者の多かったこと。
  確かに世の中不況の真っ只中で
  老若男女の受講生でいっぱいでした。
  当時すでに50歳を過ぎていたので
  若い人たちよりは悲壮感はなかったかもしれません。
  でも、もしかしたら
  退職したのがあの時でなかったら
  また違った人生を生きたかもと
  思わないでもありませんが。
  そんな10月なので
  今日は
  永野健二さんの『バブル 日本迷走の原点』を
  紹介します。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  それでもバブルを求めるか                   

 「バブル」と呼ばれた時代をいつからいつまでと明確にいうことは難しいかもしれない。あえていうなら、1980年代後半から1990年代の初めということになろうか。
 日本経済新聞の証券部の記者としてまさに「バブル」の渦中にいた著者の永田健二氏のこの著作では「1980-1989」とある。
 1980年はまだ「バブル」の「胎動」(これがこの本の最初の章のタイトル)期だろうが、1989年はまさに「バブル」の絶頂期だったことは間違いない。
 何故なら、その年の12月の大納会で日経平均は3万8915円の史上最高値をつけたのだから。

 実はこの年こそ平成の最初の年であったことは記憶にとどめたい。
 平成の時代を振り返る時、まさに絶頂期から始まり、その後「失われた20年」という経済不況、さらには阪神大震災東日本大震災という未曽有の災害を経験したことになる。
 「バブル」というのは経済的な側面だけでなく、「平成」の始まりという社会的側面にも言及してみるべき事実のような気がする。

 著者の永田氏は「バブル」についてこう総括している。
 「何よりも野心と血気に満ちた成り上がり者たちの一発逆転の成功物語であり、彼らの野心を支える金融機関の虚々実々の利益追求と変節の物語」だと。
 そして、この本はそういう「成り上がり者たち」と「金融機関」の姿を追った読み応えのあるノンフィクションだ。
 けれど、「バブル」は結局は一部の人たちの欲望であったとも思える。
 多くの人たちは「バブル」のつけだけを払わされているような気がする。
  
(2018/10/05 投稿)

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 近所のマッサージ店には
 月に2、3回は行く。
 先日行った際にふぃと見ると
 埼玉県近代美術館
 9月15日から始まった展覧会のチラシが置いてあって
 しかもそのチラシには
 招待券がついていて
 先生にお願いして
 ありがたく頂戴しました。
 以前も書きましたが
 埼玉県近代美術館北浦和公園内にあって
 このマッサージ店からも
 近い。

  20180928_115735_convert_20180929093939.jpg

 今回開催されている展覧会は
 「阿部展也」展なのですが
 実は私は阿部展也(のぶや)という芸術家を
 全く知りませんでした。

  20180928_130713_convert_20180929094017.jpg

 阿部展也は1913年新潟に生まれ、
 1971年に亡くなっています。
 瀧口修造との共作による詩文集「妖精の距離」で注目を
 集めたとあります。
 その後戦争で従軍し、
 戦後の活動はどんどん前衛化していったようです。
 今回の展覧会では
 その変遷がよくわかります。

 でもほとんど、というか
 全く知らない芸術家の作品を鑑賞するのは
 白紙に自身の手で点をうったり線を描いたりする作業だと
 よくわかります。
 自身の美的鑑賞眼が問われているような感じです。

 展覧会の話はここまで。
 埼玉県近代美術館のことを少し書きます。

  20180928_115709_convert_20180929093857.jpg

 この美術館は
 椅子の美術館としても有名で
 館内のいたることころに
 さまざまなデザインの椅子が置かれています。
 有名なのが
 「マリリン」というタイトルの椅子。

  20180928_115123_convert_20180929093546.jpg

 もちろん座ることもできます。
 ほかにもこのような椅子があちらこちらに。

  20180928_115218_convert_20180929093642.jpg

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  20180928_115424_convert_20180929093814.jpg

 展覧会だけでなく
 こういう椅子を見て歩くのも
 いいですよ。
 なんといっても
 芸術の秋ですもの。

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 今日もNHKの話なんですが
 今日はEテレの方。
 久しぶりに「100分 de 名著」のお話です。
 今月のこの番組で取り上げる名著は
 モンゴメリの『赤毛のアン』。

  

 ね、テキストがいいですよね。
 しかも今回の講師は
 脳科学者の茂木健一郎さん。
 実は茂木健一郎さんは
 『赤毛のアン』の大ファンであって
 以前茂木健一郎さんの講演会に行った際には
 『赤毛のアン』のことを
 熱心に話していたことを覚えています。

 さて、『赤毛のアン』といえば
 孤児だった11歳の少女アン・シャーリーが
 年老いた兄妹マシュウとマリアに引きとられて
 成長していく姿を描いているというのは
 多くの人がご存じだと思います。
 私も随分前に読みました。
 ただ私の読んだ本が悪かった。
 最後まで読み終わって
 実はその翻訳が完全訳でなく
 抜粋のようなものだったことがあります。
 子供向けに編集された本だったのでしょうが
 本を読む時には
 よおく気をつけないといけません。
 どうも
 私にはそんなトラウマがあって
 それ以降
 『赤毛のアン』は読んでいません。

 今回の番組では
 一昨日の第一回めが「想像力の翼を広げて」で
 次週の月曜の二回めが「異なる価値を認め合う」、
 続いて「「ひたむきさ」が運命を変える」、
 「宝物は足もとにある!」というように
 放送されます。

 茂木健一郎さんは
 テキストの冒頭で
 この物語は「希望の物語」と書いていて
 「男子も読もう」と声をかけています。
 男子も女子も
 子供も大人も
 今月の「100分 de 名著」は
 見逃せません。

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プレゼント 書評こぼれ話

  いよいよ昨日、
  10月1日から
  第99作めとなるNHK朝ドラまんぷく」が
  始まりました。
  前回の北川悦吏子さん脚本の「半分、青い。」は
  ちょっと朝ドラというイメージから
  遠かった分、
  後半しんどかったですが
  今回はチキンラーメンを作った
  安藤百福さんとその奥さん仁子さんをモデルにしているので
  面白そうです。
  しかも主演が
  今のっている安藤サクラさん。
  朝ドラ主演で30歳台しかも子供がいる女優さんというのは
  初めてらしいです。
  これから半年間、楽しみしています。
  そこで今日は
  モデルとなった安藤百福さんの「私の履歴書
  『魔法のラーメン発明物語』を
  再録書評で紹介します。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  人生に遅すぎるということはない                   

  世界で初めてとなるインスタントラーメン「チキンラーメン」が発売されたのは、1958年8月25日。
 袋から取り出して、丼にラーメンをいれ、お湯をかける。そのあと、ふたをかぶせて、待つこと2分。
 おいしくて、栄養もある、それは画期的なラーメンだった。
 とはいうものの、実際には全国シェアを獲得するには時間がかかった印象がある。
 関西生まれの私が大学進学とともに東京に出てきたのは1973年頃だが、その当時東京では「チキンラーメン」の姿はあまり見かけなかった。
 関東生まれの袋めんがたくさんあったからだ。
 仕方なく、大阪の実家から「チキンラーメン」を送ってもらった記憶がある。
 今でも袋めんでは「チキンラーメン」が一番おいしいと思っている。
 そんな「チキンラーメン」を独力で作ったのが、安藤百福。
 本書は、2001年に日本経済新聞に連載された「私の履歴書」と、麺のルーツを訪ね歩いた「麺ロードを行く」の2部構成となっている。

 安藤はこの「履歴書」の中でこう綴っている。
 「即席めんの開発に成功した時、私は四十八歳になっていた。遅い出発とよく言われるが、人生に遅すぎるということはない。五十歳でも六十歳からでも新しい出発はある」。
 安藤が「私の履歴書」の執筆を引き受けたのは92歳の時。度重なるオファーはあったようだが、安藤は最初断り続ける。
 もし、安藤が短命であれば、「魔法のラーメン」開発に至るまでの裏話を読むことはできなかったはず。
 92歳になってペンを手にした安藤はやはりこう呟いたかもしれない。
 「人生に遅すぎるということはない」と。

 安藤が成し遂げたことはベンチャー企業としての奔りだろう。
 しかし、私には安藤のすごさは、「人生に遅すぎるということはない」と言い切った思いの方ではないかと思える。
 特に高齢化が進んだ安藤亡きあと(安藤は2007年1月、96歳で死去)のこの国にあって、安藤の残した言葉の意味はさらに重みを持つものになったような気がする。
 安藤の作った「チキンラーメン」で育った私も、もう60歳。
 安藤なら「六十歳からでも新しい出発はある」というだろう。
  
(2015/05/15 投稿)

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