12/31/2018 年送る - 2018年のベスト本

大晦日定なき世の定かな 井原 西鶴
大晦日といっても
私の子どもの頃とはだいぶ暮らしが変わりました。
石の臼で餅つきをしたこともありましたし、
石臼で豆をひいて
味噌をつくっていた母の手伝いをしたこともあります。
それを近所の親戚に持っていくと
こづかいをもらえたりしました。
NHKの紅白歌合戦が始まっても
母親はまだ拭き掃除をしていました。
もちろん、その当時には
コンビニもありませんし
スーパーだって元旦には休んでいました。
生活は変わりました。
井原西鶴はそれでも大晦日は変わらないと詠んだのでしょうが
今は大晦日さえ「定なき」となっているように
感じます。

「2018年ベストセラー」が掲載されていました。
それによると
1位が『漫画 君たちはどう生きるか』、
2位が『大家さんと僕』、
3位が『ざんねんないきもの事典』となっています。
残念ながら
私はどれも読んでいません。
ベストセラーだから読まないといけない訳ではないし
やはり本はとっても
個人的なもののように思います。
だから、とっても広い世界です。

224冊。
そんな中から今年のベスト1は
末盛千枝子さんの
『小さな幸せをひとつひとつ数える』です。
この本は絵本のガイドブックといってしまえばそうなのですが
このタイトルがすべてのような気がします。
私たちはつい大きな幸せばかりを追いかけてしまいます。
でも、本当は
朝髪型がうまくまとまったとか
お昼に食べたおそばが思った以上に美味しかったとか
そんな小さな幸せでできているのではないでしょうか。
それを気付かせてくれたのが
この本です。
この本の表紙カバーのそでに記されていたのが
こんな言葉でした。
満ち足りた状態だけが、幸せなのではない。
困難のなかにあっても、希望を失わないでいられる。
人を愛していられる。
そうしたことも、幸せだと思うのです。

芥川賞を受賞した若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』が
印象に残っています。
この作品は1月に読んだものですから
もうずっと前のようにも感じましたが
今年の作品なんですね。
ちなみにこの本はベストセラーの15位でした。
岡本全勝さんの『明るい公務員講座』2冊も印象に残っています。
現役で働いている時に読みたかったなぁ。
そして、今年は
なんといってもアガサ・クリスティーを読んだのが
印象に残ります。
昨年は山本周五郎だし、
今までにたくさんの本を読んできたはずですが
まだまだ出会っていない作者も
読んでいない作品も
たくさんあります。
本は、とっても広い世界です。

今年202本の映画を観ました。
もっともDVDやCSで観たものがほとんどですが
今年感動したのは
「グレイテスト・ショーマン」でした。
ミュージカルは
やはりいいですよね。

好きな映画。
それに愉しい菜園生活。
小さな幸せですが
それをひとつひとつ数えるような
一年でした。

今年も一年間毎日読んでいただいて
ありがとうございました。
皆さん、よい新年をお迎えください。
そして、来年も
本のある豊かな生活でありますように。

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12/30/2018 神の道化師(トミーデ・パオラ):書評「空の星だって役に立つ」

今年最後の絵本の紹介です。
トミーデ・パオラさんの
『神の道化師』です。
この絵本の初版は1980年ですから
これもまた絵本の名作といえるでしょう。
この絵本も
末盛千枝子さんの
『小さな幸せをひとつひとつ数える』という本で
知りました。
末盛千枝子さんの本の紹介文に付けられたタイトルは
「人生の最後に残す最高の贈り物」。
それをまねていえば
今年の最後に残す最高の贈り物ということに
なるのでしょうか。
来年も
素敵な絵本に出合えたら
いいなぁ。
じゃあ、読もう。

「どんなものでも何かの役に立つんだ。たとえばこの小石だって役に立っている。空の星だってそうだ。君もそうなんだ」。
これはフェリーニの名作「道」の中に出て来る有名なセリフです。
少し頭の足りない主人公の娘ジェルソミーナと出会った芸人の男が言うのです。
この芸人の男はこのあと彼女とコンビを組んでいたザンバノという荒くれ男に殺されてしまいます。
このザンバノは怪力の芸をする流れ者。ジェルソミーナは彼のそばで伴奏などをして観客からお金を集める役どころです。
昔は彼らのような旅芸人が多くいたのでしょう。
この絵本の主人公ジョバンニもそんな芸人です。
彼の芸は空中にさまざまなものを放り投げ、それをくるくる回したり、それを見事にキャッチしたりするもので、孤児だった彼はその芸で旅芸人の一座にはいり、次第に人気者になっていきます。
やがては町のえらい人の前でも芸を見せるようにもなります。
しかし、ジャバンニも年をとっていきます。
そして、今までしたこともなかった失敗をしてしまいます。
もう彼の芸を見ようとする人はいなくなり、彼はもとの貧しさに戻ってしまいます。
そして、あるクリスマスイブの夜、ひっそりとした教会で、何のささげものも持たない彼は最後の芸をマリアとイエスの像の前で演じて死んでいくのです。
古くから伝わってきた民話をもとに作者のパオラが自身の人生経験と重ね合わせて描いたというこの作品は、映画「道」で描かれたジェルソミーナの汚れない心の美しさと同じものを感じました。
(2018/12/30 投稿)

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12/29/2018 「超」入門 空気の研究(鈴木 博毅):書評「「王様ははだかだ」って言えますか」

今日は
いつも献本を頂いている
ビジネス戦略コンサルタントの鈴木博毅さんから
またまた献本頂いた
『「超」入門 空気の研究』を
紹介します。
書評の中で
結論の部分を紹介できなかったので
こちらに書きとめておきます。
古い前提から自由になり、新しい前提をつくり上げる力こそが、
日本の現在と未来を豊かなものにするのではないでしょうか。
ここでいう「前提」こそ
「空気」のこと。
今の政治が「古い前提」になってなければいいですが
新しい年に期待を持ちたいものです。
じゃあ、読もう。

「はだかの王様」はアンデルセンの有名な童話である。
王様以下家来、国民にいたるまで悪い仕立て屋の策略にまんまとのせられてしまう話は、これもまた「空気」におおわれていたのであろう。
最後に一人の少年が「王様ははだかだ」と叫ぶことで、王様たちは騙されていたことに気づくが、それは童話だからで、本当なら少年は百叩きの刑にあっていてもおかしくない。
それほどに「空気」とはやっかいなものだ。
以前「KY(空気が読めない)」という言葉がはやったが、まさに「はだかの王様」の少年は「KY」かもしれないし、「忖度」という言葉があの童話に出て来るかどうかは知らないが、王様に仕える家来たちは「忖度」という服を王様に着せていたのかもしれない。
『「空気」の研究』は1977年に出版された山本七平氏の「日本人論」で、今は文春文庫で読める。読めるどころか、今でも書店の文庫コーナーで平積みされている古典といえる。
その古典的名著をビジネス戦略コンサルタントの鈴木博毅氏がやさしく解説したのが本書である。
もちろんテキストは山本氏の名著であるが、それを読んでいないとこの本が読めないかというとそんなことはない。
むしろ現代的な視点を入れることで「空気」の正体、そしてその打破の方法、未来の日本人のありかたがわかりやすくなったかもしれない。
まず「空気」とは何か。
本書では「ある種の前提」と解説されている。
そこから論が展開されていくが、できるだけ自分が経験してきた事例に落とし込むことが「研究」をわかりやすくさせるかもしれない。
難しいが、最後まで読まないと、未来が展望できません。
(2018/12/29 投稿)

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埼玉から東京に行く。
これは旅行か、それとも散歩か。
最近は鉄道事情もよくなって
30分もあれば東京に出ることができる。
もっとも東京も広いから
立川とか八王子ともなれば
やはり遠い感じはいなめない。
それでも、埼玉も大きくいえば
東京圏内といっても(東京の人は嫌がるだろうが)
構わないのじゃないか。
今日は増山かおりさんの
『死ぬまでに一度は訪ねたい東京の文学館』を
紹介します。
とっても写真がきれいで
案内も丁寧。
この本を持って
東京へ散歩?
それとも旅行?
じゃあ、読もう。

東京に人が集まるのは、鶏が先か卵が先かの議論に似ていなくもないが、都市としての機能が充実しているからなのか、人が集まるから都市としての魅力が増すのか。
わかりやすい例でいえば、世界の名画といわれる美術品を鑑賞する機会は海外にある所蔵館に行く必要があるが、東京にいると海外に行かなくても鑑賞できることが多々ある。
もちろん地方にいても、東京に出れば観ることができるが、やはり東京に住む人の優位性は断然高い。
地方再生とよく言われるが、産業がない、交通便が不自由、そして芸術を鑑賞できるところさえ手薄ともなれば、掛け声に終わってしまうことになる。
美術館だけではない。
東京には文学館もたくさんある。しかも「死ぬまでに一度は訪ねたい」というのだから、これは出掛けねばならない。
もちろん、地方にだって文学館はある。それもたくさんある。作家ゆかりの土地でその作家の足跡をたどる。地方ならではの楽しみだ。
しかし、東京にはたくさんある。
漱石山房記念館、森鴎外記念館、(樋口)一葉記念館、太宰治文学サロン、と続々とある。
なかには無料の吉村昭記念文学館、池波正太郎記念文庫などもある。
もっと広く、日本近代文学館、世田谷文学館、変わり種でいうと俳句文学館なんていうのもある。
文学に近いところで、長谷川町子美術館とか赤塚不二夫会館なんていうのもある。
文学館をまわっているだけで飽きることはない。
こんな東京に地方は追いつけるのか。
文学館が多ければいいという訳ではないが、やはり東京がうらやましい。
(2018/12/28 投稿)

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12/27/2018 本屋の新井(新井 見枝香):書評「働くって、その仕事を愛すること」

本屋さんの仕事についての
本はたくさん出ていますが、
どの本を読んでも
本屋さんの仕事がキツイと書いてあります。
本は重い。
本の粗利は低い。
それでも、彼らの本が
明るいのは何故だろう。
今日紹介する新井見枝香さんの
『本屋の新井』を読んでも
ちっとも暗くないのだ。
愚痴っていても明るい。
絶望してても明るい。
きっと本が好きなんだ。
本屋さんが好きなんだ。
そう思うと
なんて素敵な本だろう。
じゃあ、読もう。

なんだか味もそっけもない、そのまんまのタイトルですが、「新文化」という出版業界の専門紙に連載されていた時は「こじらせ系独身女子の新井ですが」だったそうだ。
どちらかといえば連載時のタイトルがわかりやすい。
新井さんは「こじらせ系」なんだ、「独身女子」なんだ、と2つもパーソナル情報がはいっている。
ただそれは「新文化」という業界紙だからよかったわけで、つまりその時点で新井さんは出版業界の人、そして書いてある内容からすれば書店勤務の人とわかる。
これがごく普通の出版社から単行本で刊行されても、いったいどんな本なのかわからなくなる。
だったら、一層のこと、「本屋の新井」と言い切ってしまえ。
これなら、本屋さん(勤めているか、経営しているかはともかく)の新井さんだとわかるだろう。
長々と書いてきたのは、この本は「独身女子」の「本屋の新井」さんが出版界の諸事情をちょっと「こじらせ系」の文章で書かれたエッセイ、というかコラムだということをわかってもらいたかったからだ。
さて、新井さんはこの本のはしっこに記された略歴によれば、「アルバイトで書店に勤務し、契約社員の数年を経て、現在は本店の文庫を担当」となるように、「書店愛」が半端ない。
コラムを読めば、あああそこの本屋さんかとわかるが、そんな看板に倚りかからず、自ら「新井賞」なる文学賞をこっそり立ち上げてしまうほどの匠でもある。
働くって、その仕事を愛することなんだと、しみじみわかる一冊だ。
(2018/12/27 投稿)

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12/26/2018 バナナの丸かじり(東海林 さだお):書評「年がら年中、丸かじりを」

先日毎年恒例
清水寺の今年の漢字が発表になりました。
「災」。
災害の「災」。災難の「災」。
今年は地震に水害、台風と
これは誰がみたって「災」でしょ、というくらい
災いの年でした。
屋根瓦が飛んで
今だにブルーシートのまま
年を越さないといけないお家もいっぱいあります。
来年こそは
いい年になってもらいたい。
昔から
災い転じて福となす、って
いいますものね。
今日は
東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズの最新刊
『バナナの丸かじり』を
紹介します。
せめて、お笑いおさめを。
じゃあ、読もう。


イギリスに「クリスマスにクリスティーを」というしゃれた言葉があるそうだ。
さすが大英帝国。ツイッギーが生まれた国だけのことはある(古っ!)。
では、わが国ではどうだ。そんなしゃれた言葉があるか。
国民的食べ物エッセイ、東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズでうまいキャッチフレーズができないか、と考えてみました。
ありました。できました。
「年末年始に丸かじりを」。
年末年始といえば、日本国中で、食べます、飲みます状態になりますよね。
松があけて体重計にのれば、ほとんどの人が2、3㎏太っていること間違いなし。
でも、ですよ、東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズは週刊誌の連載ものですから、年末年始の食べ物だけではないんですよね。
トコロ天を年末年始に食べますか。
アイス最中を年末年始に食べますか。
もっとバッチリ合うのがありました。
「節分に丸かじりを」。
そう、節分といえば豆まき、いやここでは恵方巻。あれこそ「丸かじり」そのもの。
いや、待てよ。
シリーズ41巻めとなるこの本に「問題あるぞ恵方巻」という回があって、そこで東海林先生は断固「恵方巻反対」を唱えている。
それなのに、ここで「節分に丸かじりを」はまずいんじゃないかな。
さらに「丸かじり」シリーズを特定の日にくっつけてしまうのもいかがなものか。
「雑煮はスープか?」の回で、千歳飴を花見をしながらなめてもいいんじゃないと、東海林先生がおっしゃっているではないか。
だとしたら、「年がら年中、丸かじりを」しかない。
(2018/12/26 投稿)

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12/25/2018 ポアロのクリスマス(アガサ・クリスティー):書評「クリスマスにクリスティーを」

今日はクリスマス

おほかたは星の子の役聖夜劇 伊藤 トキノ
アメリカではこの時期に
フランク・キャプラの名作「素晴らしき哉、人生!」を
観るという習慣があるらしいが
本当かな。
そのことを聞いてから
私もこの時期になると
この映画が観たくなる。
今年もすでに観ました。
一方で
イギリスには
「クリスマスにはクリスティーを」という言葉があるらしい。
そこで
今日は
アガサ・クリスティーの『ポアロのクリスマス』を
紹介します。
念のために書いておきますが
霜月蒼さんの『アガサ・クリスティー完全攻略』では
この作品の評価は
★★★★でした。
もう少し
点高くてもいいように思いましたが。
じゃあ、読もう。

イギリスには「クリスマスにクリスティーを」という言葉があるそうだ。
アガサ・クリスティーがその晩年、作品の発表時期がクリスマスの頃と重なったため、出版社が考えだしたキャッチフレーズだと言われている。
今も昔も出版社は大変だ。
それでも、クリスマスになれば多くの人がその作品を読んでくれるなんて、アガサはなんと仕合せな作家だろう。
この作品はズバリ「クリスマス」と付けられていて、原題の直訳である。
1938年に発表された「ポアロもの」の長編小説で、まさにアガサがもっとも脂の乗り切った頃の作品といえる。
それだけに面白い。
なんといって巻頭の献辞にこの作品の面白さの秘密が隠されている。
宛先は義兄のジェームズ。そこに彼女は「それが殺人であることに一点の疑いをさしはさむ余地のない殺人を!」と記し、その言葉通りに見事に「密室殺人」を仕掛けることに成功している。
そして、この作品ではその殺人の謎解きだけでなく、犯人さがしの面白さ(というより、どのようにして犯人となりうるか、その構築の出来)も見逃せない。
しかも、この作品はそのタイトルが示すとおり、クリスマスイブの12月24日に惨劇が起きるのだが、物語はその2日前の22日から怪しい男女の登場、前日の23日には登場人物の人柄や背景が説明されているなど、実に手際がいい。
そして事件は28日までにすべて解決してしまう。
読者にとって小気味いいとしかいえないし、それは逆に一気に読んでしまわないと落ち着いて眠れない作品でもあるということだ。
(2018/12/25 投稿)

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12/24/2018 静かに春を待つ - わたしの菜園日記(12月23日)

昨日の天皇誕生日が日曜日と重なったので
振替休日でお休み。
しかも
クリスマスイブということで
喜んでいる人もいっぱいいるでしょうね。

あれを買ひこれを買ひクリスマスケーキ買ふ 三村 純也
それにしても
昨日の天皇陛下のお言葉、
感動しました。
自分の人生を旅になぞられ、
その旅を振り返られて
万感迫るものを堪えられたお姿に
きっと涙した人も多かったのではないでしょうか。

今年も残り少なくなってきて
畑の作業も
昨日の日曜日が鍬おさめです。
苗が大きくなったウスイエンドウを
畑の畝に定植させる作業をしました。

畑の指導員からは
苗が少し伸びすぎていますねと言われました。
確かに過保護で育て過ぎたかも。
野菜の栽培は子育てと同じで
時には厳しく育てるのも大事なのですよね。
実をつけるまではまだまだ日が長いですから
あたたかい目で
見守っていきます。

畝を掘り返しました。

これは寒起こしといって
土をリフレッシュさせるためのもの。
春まで
こんなふうにして
畑を休ませます。

これは
ホウレンソウ。

そして、
これはかわいい白い顔をのぞかせだした
小カブ。


じっくり春を待つ
イチゴとかスナップエンドウですが
今年も1年間
楽しませてもらいました。

冬の中で
静かに春を待つ
菜園です。

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今日は平成最後の天皇誕生日。
次の天皇となる現皇太子さまの誕生日が
2月23日なので
来年2019年は天皇誕生日がないそうです。
子どもたちにとっては
来年から2学期の終業式が遅くなるのかな。
クリスマスイブ、クリスマスと続く
祝日でしたから
結構重大な問題かも。
今日のクリスマス絵本は
なかがわりえこさんとやまわきゆりこさんの
『ぐりとぐらのおきゃくさま』。
2016年の再録書評です。
子どもたちも冬休みにはいって
これから楽しいクリスマスです。
サンタさん

いいですね。
じゃあ、読もう。

『ぐりとぐら』が初めて世に出たのは、1963年(昭和38年)です。
この時は「たまご」というタイトルでした。
もう50年以上前のことです。
絵本『ぐりとぐら』が出版されたのが1967年1月で、その半年後にクリスマスバージョンであるこの絵本が登場します。
戦争が終わって日本経済もどうやら成長期に入ってきた頃ですから、普通の家でもクリスマスが普及し始めていたのではないでしょうか。
子どもたちにどんなプレゼントが喜ばれるのか。
きっと当時のお父さんやお母さんは、この絵本を見つけて「これだ」って思ったのではないでしょうか。
だって、子どもたちが大好きなぐりとぐらが出てきて、サンタクロースまで登場して、しかもおいしいカステラまで描かれているのですから。
この絵本はシリーズの中でも本編に次いでたくさん読まれています。
それにしてもどうして「ぐりとぐら」はこんなにも人気ものなんでしょうか。
それはとってもシンプルだからではないかと思います。
どんどん世界が複雑になっていく中で、この絵本の世界だけはとってもシンプル。
それは文章だけでなく、絵もそうです。
無駄な線も色もありません。
それなのに、この絵本の中にある豊かなものはどうして生まれるのでしょう。
それこそ、読者が持っている想像する力だと思います。
サンタクロースがいるかって?
それはこの世界にぐりとぐらがいるのかっていう問いと同じくらい、淋しい質問だと思います。
(2016/12/24 投稿)

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今日は冬至。
一年で一番昼が短い日。
でも、考えようによっては
この日を境に昼が長くなっていくと思えば
明るくもなります。
そして、今年もあとわずか。
年の暮れという時期になってきました。
町工場かたことと年暮るるかな 星野 石雀
その前にクリスマスがありますね。
そこで
今日と明日はクリスマスの絵本で
ジングルベル

今日紹介するのは
ブライアン・ワイルドスミスの『クリスマスの12にち』。
海外でこの時期歌われる数え歌を絵本にしたものですが
たくさんのバージョンが出版されています。
今日の書評は2014年に書いた再録書評ですが
そのことをすっかり忘れていて
今月の読書会で
ある人がこの絵本の読み聞かせをしてくれたのですが
それでも全然覚えていなくて
たった4年前なのに
自分の記憶の欠落に呆然となった一冊です。
じゃあ、読もう。

雛飾りは3月3日の雛祭りが終われば、早くしまった方がいいといいます。
遅くなると、娘の婚期が遅くなると。
今でもそんなことをいうのかしらん。
ヨーロッパではクリスマスツリーは12月25日から12日めにしまうのが古くからの習慣だとか。
この絵本で初めて知りました。
東方の三博士が生まれたばかりのキリストに贈り物を贈ったのが12日めだといわれているからだそうです。
でも、12月25日から12日も経つと、お正月になっています。
もしかして、お年玉だったのでは。
それは冗談で、聖書には、乳香、没薬、黄金を贈り物として捧げたとあるそうです。
この絵本は昔の子供たちがその12日のことを歌った歌が題材になっています。
ブライアン・ワイルドスミスさんが詩と絵を書き、俳優の石坂浩二さんが翻訳をしています。
ブライアン・ワイルドスミスさんは日本でも人気のある、英国の絵本作家です。
静岡県伊東市に美術館もあるくらいです。
彼は色彩の魔術師と呼ばれるくらいで、この絵本でもそれはよくわかります。
赤、青、緑、黄、多彩な色がクリスマスが終わってからの12日を彩ってくれます。
こういう絵本を読むと、物語がどうとかいうことでなく、純粋に絵を楽しむことができます。
絵に興味のある子どもでしたら、自然とクレヨンを手にするような気がします。
ブライアンの色使いを見ていると、色彩は自由なんだと思います。
自由だけれど、やはりどこかにルールがある。
規定と自由。
そういうことすら、この絵本の絵は教えてくれます。
それと、詩。
最初には「いちわの うずらは なしの木に」とあります。
それが二日目には、「にわの きじばと なかよしさん/いちわの うずらは なしの木に」と繰り返されます。
三日目は「さんわの にわとり フランス国旗/にわの きじばと なかよしさん/いちわの うずらは なしの木に」と積み上がっていきます。
それが、12日まで続きます。
ですから、最後はとっても長い詩になっています。
それがちっとも長く感じない。
片づけることはさみしくもあります。
でも、こうして片づけながら、実は次の年のクリスマスのことを楽しみにしている。
そんな絵本なのです。
(2014/12/23 投稿)

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12/21/2018 丸投げ投資生活(朝倉 智也):書評「お金の本を読む時は慎重に」

今日紹介する
朝倉智也さんの
『丸投げ投資生活』という本は
今月の8日に開催された
「人生100年時代 FORUM2018」の会場で
アンケートに答えた人全員に
配られたものです。
2018年12月に出たばかりの新刊で
主催が銀行とか証券会社だったとはいえ
太っ腹ですよね。
もらったからほめるわけではありませんが
この本はとってもわかりやすい
投資の本でした。
しかも
導入部にはマンガがはいっていたりして
若い人にも興味をもって
読まれるようにできていました。
ただ私としては
今日の書評のタイトルのように
「お金の本を読む時は慎重に」と
言いたい。
じゃあ、読もう。

人には性格があって、その性格次第で貯金も「郵便局向き」か「銀行向き」か「証券会社向き」かがあるらしい。
つまりはリスクを怖がる人とリスクをある程度許容できる人に分かれるということだ。
よくいわれるように株式投資はハイリスクを伴う。だから、ハイリターンを生むこともある投資である。
その点、郵便局の貯金であればリスクはほとんどない。だが、リターンもない。
それでも、昔は利率が6%もあった時代もあるから、怖がりの人でもそれなりに、というか現在では考えられない高金利だ、資産を増やすこともできた。
しかし、今や「郵便局」にお金を預けてもリターンはないと考えるしかない。
では、これからの「人生100年時代」をどうやって乗り切ればいいのか。
この本は「怖がりの人」でも大丈夫な投資の方法を伝授してくれる。
でも、そんなうまい話はあるのだろうか。
この本では「投資信託」の積み立てを推奨しているが、それを信じるかどうかは読者次第だろう。
お金とは悪いやつらに騙されることも多いが、結局は自分の判断ということになるのを忘れてはいけない。
こういうお金の本は、そういう視点を読むようにすることが大事だろう。
この本に書かれていて納得したのが「投資家は損失に対する感受性が大きい」ということだ。
同じ10万円でも、儲けの場合は大して大きいと思わないが、損の時は絶望してしまう。
自分だけかと思ったが、人にはどうもそういう心理的作用があるようだ。
もっとも、だからといってそれで安心したわけでもないが。
(2018/12/21 投稿)

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12/20/2018 月夜の魚(吉村 昭):書評「死を見つめ続けた作家」

文庫本には
巻末に同じ作家の既刊の案内となる
広告のページがついていたりする。
少し前に
中公文庫で吉村昭さんの『自選初期短篇集』を読んだ際、
そこに既刊の文庫の案内があって
そこで面白そうだと思ったのが
今日紹介する
『月夜の魚』である。
「さまざまな死の光景を描いてなお深い慰めを与える」みたいなことが
書かれていた。
吉村昭さんの作品にある
そういう死の光景のようなものに
ひかれるところがある。
じゃあ、読もう。

吉村昭が『星への旅』で第2回太宰治賞を受賞したのは昭和41年(1966年)のことである。同じ年に『戦艦武蔵』を発表し、記録文学の第一歩を歩みだす。
つまり、この頃を起点として吉村の作家活動が旺盛になっていく。
昭和54年(1979年)に刊行されたこの短編集には11篇の作品が収められていて、その初出の日付を見ると「行列」という作品が昭和44年で、そこから10年の間で発表された短編群にあたる。
この時期には一方で記録文学の長編作品も多くをものにしているから、吉村にとっては心のバランスを保つようにして、これらの短編小説を書いていたのではないだろうか。
この短編集には「蛍籠」「弱兵」「干潮」という、自身「私小説」に属すと語っている3つの作品がはいっている。
「蛍籠」は甥の死、「弱兵」は戦死した兄の死、そして「干潮」は父の死を描いている。
初期の吉村の作品でもそうだが、彼の作品には「死」の匂いが濃厚にたちあがるものが多い。それは自身が結核に冒され死の恐怖を知っているからだろう。
「夜の海」という作品の中で、自身が作品を書く気持ちのようなものをこう綴っている。
「戦後間もなく肺結核の治療のため手術台にしばりつけられたことが動機になっているように思う」と。
その時間が何であったか、それが吉村の文学を解く鍵だろう。
そこには間違いなく、「死」を見つめている作家の顔がある。
(2018/12/20 投稿)

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12/19/2018 銀河を渡る(沢木 耕太郎):書評「やっぱり沢木耕太郎はカッコいい」

今日は
沢木耕太郎さんの最新エッセイ集
『銀河を渡る』を紹介するのですが
その中に
「キャラヴァンは進む」というエッセイがあって
その書き出しにとても興味を持ちました。
それはある時
沢木耕太郎さんが年長の作家にこう訊ねられたところから
始まります。
もし家の本を処分しないといけない時、
すでに読んだ本と
いつか読もうと買ったままの本の
どちらを残す?
若い沢木耕太郎さんは「読んでいない本」を選んだそうですが
年長の作家は
「大事なのは読んだ本」と答えたそうです。
そして、沢木耕太郎さんも齢をとるうちに
こう思うようになったといいます。
大事なのは読んだことのない本ではなく、読んだ本なのだ。
このことはとても深く考えさせます。
私ももうそう思える年齢なのかもしれません。
自分にとっても「大事」を
見つめないといけない。
そんなことを
沢木耕太郎さんのエッセイが教えてくれているような気がしました。
じゃあ、読もう。

この本のどのエッセイから読み始めたとしても、実際私は「歩く」「見る」「書く」「暮らす」「別れる」という五部編成となっている最後の「別れる」の章「深い海の底から」から読み始めた、すぐさま沢木耕太郎の世界にはいっていることに気づく。
そして、こう思うだろう。
やっぱり沢木耕太郎ってカッコいいな。
このエッセイ集は「全エッセイ」という紛らわしいサブタイトルがついているが、決して沢木のすべてのエッセイをまとめたものではない。
沢木にはすでに『路上の視野』と『象が空を』という2冊のエッセイ集がある。今回のエッセイ集は2冊めとして刊行された『象が空を』のあと発表されたエッセイをまとめたもので、その期間が25年にもなるという。
25年の間に沢木は『檀』や『無名』といったノンフィクションだけでなく、小説家としていくつかの作品を書き上げている。
あるいはシドニーやアテネのオリンピック取材など、初期の頃のスポーツ関連のエッセイも数多く書いている。
それでも沢木は颯爽と私たちの前に現れた『敗れざる者たち』の時のまま変わっていないようにも思える。
それは何故か、このエッセイを読みながら随分考えたが、それは沢木の文体にあるのかもしれない。
彼はいつも兄貴然としながら杯をあけ、時には弟風に落ち込んでみせもする。友人のような顔をしながら、先輩のように少し背伸びもしてくれる。
いつも顔を突き合わせる、そんな文体を沢木は若いうちから手に入れ、それは今に至るまで変わらないということだろう。
いつもながら、何とも心地よい、沢木耕太郎の世界だった。
(2018/12/19 投稿)

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12/18/2018 誰も「戦後」を覚えていない〔昭和30年代篇〕(鴨下 信一):書評「個人の時代への変換期」

先週から
NHK朝の連続テレビ小説「まんぷく」に関連して
いくつかの本を
読んでいますが
今日紹介する
鴨下信一さんの
『誰も「戦後」を覚えていない〔昭和30年代篇〕』も
安藤百福さんがチキンラーメンを作った
時代がどんなものだったかを
知りたくて
読んだ一冊です。
考えてみれば
昭和30年というのは
戦争が終わってから
たった10年しか経っていなくて
多くのおとなの人には
戦争の記憶がまだまだ残っていた
時代だったのですね。
じゃあ、読もう。

安藤百福さんがチキンラーメンを発明したのは昭和33年8月25日。
その苦労話はさまざまなところで語られたり記事になったりしています。最近ではNHKの朝ドラのモデルにまでなっています。
安藤さんが「もっと手軽にラーメンを食べられないものだろうか」と考えたのには理由がありました。
それは敗戦後の焼き跡で一杯のラーメンを求めて長い行列ができているのは見たからです。
昭和30年代というのは、まだ戦争の記憶が濃厚に残っていたと同時に、色々なところでそんな記憶をバネにして新しいことが生まれていった時期でもあったのです。
テレビ演出家の鴨下信一氏の『誰も「戦後」を覚えていない』はこの〔昭和30年代篇〕がシリーズ3作めとなります。
つまり、終戦後まもない昭和20年前半と後半で2作となっていて、その次に刊行されたのが昭和30年代にスポットをあてた、この本となるわけです。
もしかしたチキンラーメンのことが書かれているかと期待したのですが、残念ながらこの本では食については論じられていませんでした。
では、何が書かれているかというと、文芸、映画、音楽、政治、犯罪といったことですが、なんといっても昭和30年代を席巻したのはテレビだったのはまちがいない。
文芸にしても映画にして音楽にしても、それらがすべてテレビに取って代わられる寸前の時代だったといえます。
本文で鴨下氏は、戦後史とは大家族から、家族、さらに小家族、そして核家族、ついには個人のレベルに至る経緯だったのではないかと分析しています。
そう考えれば、チキンラーメンも家族の食事というより、個人の食べ物だったから昭和30年代に爆発的に売れたのかもしれません。
(2018/12/18 投稿)

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12/17/2018 雪帽子のようなカリフラワーが出来ました - わたしの菜園日記(12月15日)

暖かい日が続いていましたが
ここ何日前から
急にどんと寒くなって
今にも雪にでもなりそうな冷え方に
なりました。
初時雨これより心定まりぬ 高浜 虚子
時雨は冬の季語。
冬の通り雨のことですね。
この頃になると
なんだか風景も侘しく感じます。


採れる野菜はそろそろ
摂り収めです。
先日の土曜日(12月15日)、
今年初めて栽培した
カリフラワーを収穫しました。

思った以上に大きく育って
雪をかぶったように
真っ白に出来上がりました。
この日、ゆでで
サラダでいただきましたが
そのホクホク感はなんともいえない
美味でした。


今年は
うまく育たないかと
心配していましたが
なんとかうまくできました。
キャベツは
持った時のずっしり感がいいですね。

ダイコン。
青首ダイコンは写真のように
畝から長い首をのばして
収穫を待ち望んでいました。

抜くと
もっとりっぱ。

写真の左が青首ダイコンで
右側が亀戸ダイコン。
なんだか亀戸ダイコンは
うまく育っていませんね。
こうして並べると
「ドラえもん」に登場する
ジャイアンとスネ夫みたいですね。
青首ダイコンは測ると
40㎝以上ありました。

この冬の収穫はほぼ終わり。
畝にダイコン一本残しましたが
小さくても
収穫の時期なんでしょうね。
年内には
ベランダで育てている
ウスイエンドウを畑に
移植しようと考えています。
こんなに育ってきましたから。


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12/16/2018 葉っぱのフレディ -いのちの旅ー(レオ・バスカーリア):書評「変化を楽しむ」

今日紹介する絵本、
『葉っぱのフレディ』(レオ・バスカーリア)は
ちょうど20年前の1998年に出版され
ベストセラーになりました。
私もうんと以前に読んだことがあります。
今回とっても久しぶりに読んでみました。
この絵本でもそうですが
絵本というのは
とっても読みやすいですから
人生の「玄冬」期こそ
絵本に親しむことは
素敵なことではないかと
最近つくづく感じています。
もっと年をとって
動けなくなっても
そばに絵本があれば
なんとかやっていけるのではないか。
そんなことを
思ったりしています。
じゃあ、読もう。

人生を四季に喩えて、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」とよくいわれます。
「白秋」で50代後半から60代後半、そして高齢者となるあたりが「玄冬」でしょうか。
もちろん単に年齢ではなく、例えばプロスキーヤーの三浦雄一郎さんなどは80歳をまわっていますが「玄冬」にははまらない気がします。
ちなみにここでいう「玄」は黒を指すといわれています。
1998年に発行され、ベストセラーにもなったこの絵本は、フレディという名前の葉っぱの人生を四季とともに描いた作品です。
最後、フレディは雪の上でその人生を終えますが、この絵本で描いているのは「いのち」の変化だといえます。
フレディがまさにその象徴で、青々とした若い時期を経て、まさに生いっぱいに謳歌する夏を過ごし、秋には紅葉し、そして冬、枯れ葉となって人生を終える。
そして、フレディは土に還って、また新しい「いのちの旅」を始める。
そう考えると、人生とは一本の道ではなく、その都度変化していくことかもしれません。
そして、生きるということはその変化を楽しむことが大切なのでしょう。
この絵本の最初に田中和雄さんという編集者から読者にあてたメッセージがついています。
その中で田中さんはこの絵本を「自分の力で「考える」ことをはじめた子どもたちと 子どもの心をもった大人たち」に贈るとあります。
私たちが考えないといけない「生きる」という意味のヒントがこの絵本にはいっているような気がします。
(2018/12/16 投稿)

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12/15/2018 安藤百福とその妻仁子(青山 誠):書評「彼女は慈愛の人だった」

今日は昨日のつづき。
というわけでもないが、
今日もNHK朝の連続テレビ小説「まんぷく」に
誘われて
手にとった一冊です。
今回は青山誠さんの
『安藤百福とその妻仁子』。
副題は
「インスタントラーメンを生んだ夫妻の物語」。
何度も書きましたが
朝ドラ「まんぷく」は
チキンラーメンの生みの親
安藤百福さんとその妻仁子さんを
モデルにしています。
これからいよいよラーメン作りにはいっていきますが
もちろんそこには
色々あるわけで。
その前に本で予習するのも
いいですよ。
じゃあ、読もう。

『チキンラーメンの女房 実録安藤仁子』は「安藤百福発明記念館」編となっているので、おそらく公式な評伝になるのだろうが、その中に安藤百福の台湾で生まれた長男宏寿のことがさりげなく書かれていて、ほとんどその存在が気づかないほどだ。
この長男は妻仁子の産んだ子ではない。
だから宏寿が晩年「仁子さんには感謝している。私にとても気を使ってくれたことへの深い恩義を感じている」と述べたと綴られている。
ただ、そうあるだけで、詳しくはない。
一方、青山誠氏のこの本には安藤百福の生い立ちを紹介しつつ、百福が仁子に求婚した時点ですでに台湾に妻子がいたと書かれている。
だから当初仁子はその求婚をためらったという。
ほかにも、百福が台湾人であったこともためらいの一つとあるが、先の『チキンラーメンの女房』では百福の出自についてはあまり詳しく語られていないのは、仁子がためらったようにあまり触れたくないことであったかもしれない。
そんなことはあったが、仁子はこの時28歳で、当時としては「婚期を逸した」年齢で、焦っていたのではと青山氏は推測している。
実際はどうであったか、男女のことであるから当人たちにはわかりえないが、仁子が百福の台湾にいた妻子を受け入れたということは事実だし、宏寿の弁にあるように長い年月にわたって義理の息子を慈愛の心で見守ったのも事実だろう。
この本は「夫婦の物語」となっているが、やはりどうしても百福の偉業に多くが割かれている。
おそらく仁子はそれをもまた受け入れるに違いない。
(2018/12/15 投稿)

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12/14/2018 チキンラーメンの女房 実録安藤仁子(安藤百福発明記念館 編):書評「おいしい一冊」

NHKの朝ドラは
オリジナル物語もいいが
やはり定番は歴史上活躍した実際の女性をモデルにした
物語だろう。
現在放映している「まんぷく」は
日清食品の創業者安藤百福さんの妻仁子さん。
仁子と書いて「まさこ」と読む。
安藤百福さんは自伝とか伝記もあって
どんな人物か
割と知られているが
仁子さんはほとんど知られていなかったのではないか。
だから、朝ドラが始まって
本屋さんには
仁子さん関係の本がたくさん並ぶことになりました。
そのうちの一冊が
今日紹介する
『チキンラーメンの女房 実録安藤仁子』。
これはいいですよ。
じゃあ、読もう。

第99作目となるNHK朝の連続テレビ小説(通称朝ドラ)「まんぷく」を欠かさず見ている。
俳優たちの演技もいいし、話の展開も小気味いい。
脚本は大河ドラマ「龍馬伝」などを書いた福田靖さんで、主人公福子(安藤サクラさんが好演)の母鈴(松坂慶子が抜群に面白い)の決めゼリフ「私は武士の娘です」はさすがに巧い脚本家だと感心していた。
ところが、この口癖がモデルとなった安藤仁子(まさこと読む)の母の本当の口癖だというからびっくりだ。
さらに浜野謙太演じるおかしな歯科医が白馬に載って登場する場面があったが、あれも実際にあったという。
そんなことが、朝ドラ「まんぷく」のモデルとなった安藤仁子さんを実録風に描いたこの本に書かれている。
何しろ「安藤百福発明記念館」が編纂していて、取材協力として仁子さんの息子や娘の名も並んでいるから信ぴょう性は高い。
つまり、朝ドラを何倍にも楽しく見るには、欠かせない一冊だ。
実際の仁子さんはどんな女性だったのだろう。
表紙に使われている写真や口絵写真を見るとわかるが、とても福福しい顔をしている。周りの人から「観音さまの仁子さん」と呼ばれていたのも頷ける。
ただ仁子さんが表に出ることは少なかったのではないかと思う。それは夫である安藤百福さんの個性があまりにも強かったからだ。
強い個性どうしがぶつかれば、いいことはない。
仁子さんが「観音さま」のような女性だったから、この夫婦はうまくいったにちがいない。
(2018/12/14 投稿)

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12/13/2018 祝婚歌 - お父さんがお前にあげたいものは

結婚式はしないというので
今日婚姻届を出すことになる。
今日は彼女の誕生日でもあって、
これなら結婚記念日を忘れることはないだろう。

あのバージンロードを歩くことはないが
涙もろい私としては
想像するだけで泣けてきそうになるから
それはそれでよしとする。

吉野弘の「祝婚歌」を朗々と読みたくもあるが
花嫁の父はおとなしく泣いているのがよいようで
それも叶うはずもない。
それに「祝婚歌」は多くの結婚式で読まれているから
またか、と思う人も多かろう。
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
こうして始まるこの詩には
夫婦の心得のようないくつかが
例えば、こんな風に綴られている。
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
あるいは、
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
こんな風にこの詩にはある。

素敵な詩も、たくさんある。
「奈々子に」という詩は
長女が生まれた時に詠んだ詩だ。
その中の一節。
お父さんが
お前にあげたいものは
健康と
自分を愛する心だ。
この一節はこの詩の最後に
こう繰り返される。
お前にあげたいものは
香りのよい健康と
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
自分を愛する心だ。
こんなふうに書いていると
うれしい涙が
やっぱり、こぼれそうになる。
おめでとう。

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12/12/2018 総員玉砕せよ!(水木 しげる):書評「水木しげるさんは「鬼太郎」だけではありません」

先日今年の「新語・流行語大賞」が
発表されましたね。
大賞が「そだねー」。
おそらくほとんどの人が一度くらいは
口にしたのではないでしょうか。
そだねー。
でも、流行語というだけあって
忘れてしまうこともあります。
そだねー。
例えば、
2010年の流行語大賞が何だったか
覚えていますか。
それが今日紹介する本と
ちょっと関係するんです。
そう、「ゲゲゲの~」
もちろん、水木しげるさんの奥さん
武良布枝さんの本の影響です。
今日はその水木しげるさんの
『総員玉砕せよ!』を
紹介します。
NHKのチコちゃんじゃありませんが
「ボーっと生きてんじゃねーよ! 」と
水木しげるさんに教えられたような漫画です。
じゃあ、読もう。

水木しげるさんといえば、「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」などで妖怪漫画家のように言われがちですが、そしてそれが間違っているわけではありませんが、忘れてならないのが戦記漫画家としての業績です。
水木さんは数多くの戦記漫画を、しかもそれはヒーロー物ではまったくありません、描いていますが、おそらくこの作品が代表作ともいえるのではないでしょうか。
水木さんが先の戦争で負傷し、左腕をなくされたのは有名な話です。自身多くの自伝やエッセイにも綴っています。
この作品は1973年8月に書き下ろしの形で発表されましたが、この作品について水木さんは「90パーセントは事実」と書いています。
戦争が終わって30年近く経って、それでも水木さんの記憶から消えることのなかった、不条理な軍隊生活。
自身は左腕をなくしてしまいますが、そのことで「総員玉砕」という過酷な現実から逃れることができたともいえます。
しかし、水木さんは決してそのことを良しとはしなかった。
自身は米軍の攻撃で負傷し療養をよぎなくされたが、戦友のほとんどは死んでしまった。しかも日本軍という愚かな組織の愚かな指揮命令のうちで。
だから、水木さんはそのことを描かざるを得なかった。
それはなくなった左腕への鎮魂でもあったのではないか。
戦後「戦争文学」は人間を描くという点で多くの功績をあげたといえます。
しかし、それ以上に水木さんの戦記漫画は私たち読者に多くのことを教えてくれます。
漫画だからといってそれを文学より下に置いてはいけません。
文学を超える漫画もあるのです。
(2018/12/12 投稿)

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12/11/2018 三浦雄一郎さんの講演を聴いてきました - 人生100年時代を考える

ようやっと冬めいてきましたね。
極月の人々人々道にあり 山口 青邨
この俳句の「極月」は「ごくげつ」と読みます。
師走と同じように、旧暦12月の異称です。
そんな人々の行き交う
先日の土曜日(12月8日)、
東京・有楽町にある東京国際フォーラムで開催された
「人生100年時代 FORUM2018」に
行ってきました。


会場にはその関係のブースもたくさん出ていて
活気をおびていました。
でも、今回の私の目的は
中で開催されるセミナーを聴くこと。
講演者は
先ほど来年1月に
南米最高峰の「アコンカグア」の登頂を目指すことを発表した
冒険家でプロスキーヤーの三浦雄一郎さん。
三浦雄一郎さんは
1933年生まれで今年86歳。
そんなお年で「アコンカグア」に挑戦し、
うまくいけばスキーで滑降したいというのですから
すごい人です。

2013年、80歳の時に自身3度めとなるエベレスト登頂に成功していて
「夢いつまでも」と題された今回の講演では
その時の話を中心に
私たちが驚くその強さの秘訣を
語ってくれました。

60歳を過ぎたあたりは
人生のリタイアを意識し、
結構くたびれ人間だったそうです。
そんな三浦雄一郎さんの考えを一変させたのが
父親敬三さんの姿。
何しろこのお父さんは
99歳の時にモンブラン山系でスキー滑降を成功した、
三浦雄一郎さん以上にすごい人なんです。
そんな父親の姿に誘発されて
三浦雄一郎さんは
もう一度身体を鍛えることから始めたそうです。
足首と背中におもしをつけての生活、
そんな生活を
三浦雄一郎さんは「攻める健康」と表現していました。

誰しもが三浦雄一郎さんのように生きることはできませんが
あの人があんなに頑張っているからと
勇気をもらえるのはありがたい。
三浦雄一郎さんが父の姿を見て勇気づけられたように
私たちも三浦雄一郎さんから勇気をもらう。
そして、今度は私たちが
これから続く人たちに勇気を与えられるような人になっていく。
「人生100年時代」はそういう時代ではないでしょうか。

来年1月の「アコンカグア」の登頂、
無理をしないで頑張ってもらいたい。

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12/10/2018 ベランダ栽培のウスイエンドウの芽 - わたしの菜園日記(12月9日)

地元さいたまでは
第4回さいたま国際マラソン大会が開催されました。
招待選手の部では
残念ながら日本選手は4位が最高、
惜しかったですね。
そのあとを多くの市民ランナーが走っていました。

マラソンは冬の季語にもなりそうですが
残念ながら
私の持っている歳時記にはありませんでした。
マラソンの俳句で有名なのが
湾曲し火傷し爆心地のマラソン 金子 兜太
もっともこれは冬の句ではないですが。

畑に行ってきました。
イチゴの花はたくさん咲いていて
やはりこの時期としては
咲き過ぎなのは
暖かいせいでしょうか。
今咲く花は
可哀そうですが
みんな摘んでしまいます。

発芽に適した温度かというと
やはり寒くはなっているので
なかなかうまく芽を出さないということもあります。
畑に蒔いた
ウスイエンドウはほとんど芽を出していません。
そこで
家で苗まで育てることにしたことは
先週書きましたが
こちらの方は
ごらんの通り芽が出てきました。

寒い時期の種まきは
やはりこの方がいいみたい。

わき芽が出て育つのを楽しみにしていましたが
ようやくかわいいブロッコリーが出来てきました。

もちろん、これは
最初に収穫したようには
大きくなりません。


苗をわけてもらって
植えたもので
うまく移植できたようです。

キャベツが収穫できそうです。

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12/09/2018 生きとし生けるもの(M・B・ゴフスタイン/谷川 俊太郎 訳):書評「悲しみのひとはけ」

昨日末盛千枝子さんの
『人生に大切なことはすべて絵本から教わった』という本を
紹介しました。
そのなかにも今日紹介する
M・B・ゴフスタインさんのことが書かれています。
末盛千枝子さんは1941年生まれ、
ゴフスタインさんは1940年生まれと
ほとんど同じ年生まれということもあって
気もあったのだと思います。
今日はそのゴフスタインさんの
『生きとし生けるもの』という絵本を
紹介します。
訳したのは谷川俊太郎さん。
まさに絵と言葉が絶妙です。
じゃあ、読もう。

絵本編集者の末盛千枝子さんは、この絵本の作者ゴフスタインについて「どこかに悲しみの影があるというか、悲しみのひとはけが塗られているから」彼女の本が私たちの心を打つと言っています。
「悲しみのひとはけ」というのは美しい言葉ですが、とても難しい言葉だとも思います。
何故ならゴフスタインの絵本には特に悲しいことが描かれているわけではありません。
むしろ「仕事」をテーマに描いている作家ですから、もっと強いものがあります。
けれど、末盛さんの言うようにゴフスタインの作品には「悲しみのひとはけ」を感じます。
それは何故か。
おそらく私たちが生きるということの中に避けることのない「悲しみ」があるからではないでしょうか。
私たちは必ず死を迎えます。そのことによる別れの「悲しみ」は誰にでもあります。
ゴフスタインの絵本の大きなテーマである「仕事」もまた私たちが必ず受け持つ営みですし、ゆえにそこには「悲しみ」も生まれる。
そのことを感じとって、末盛さんは「悲しみのひとはけ」と表現したのではないでしょか。
原題が「NATURAL HISTORY」というこの作品はもっと広い世界を描いています。
とても美しくて、「遠くからはとても平和に見える」私たちの星。けれど、そこでは人々が殺しあったり自然を壊したりしている。
「豊かさをわかちあおうと」生まれてきたはずなのに。
そして、ゴフスタインはこう強いメッセージを出しています。
「すべての命を苦しみと恐れから守るのだ!」。
谷川俊太郎さんの訳がゴフスタインと共鳴し合う瞬間といっていい。
(2018/12/09 投稿)

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12/08/2018 人生に大切なことはすべて絵本から教わった(末盛 千枝子):書評「美しい宝の山へ」

何かのちょっとしたきっかけで
はまってしまうことがあって
最近私がはまっているのは
末盛千枝子さんの本ということに
なるでしょうか。
今日は
少し前の本ですが
末盛千枝子さんの『人生に大切なことはすべて絵本から教わった』。
この本で紹介されていた文章を
書き留めておきます。
これは末盛千枝子さんの言葉でなく
末盛千枝子さんが新聞の記事から見つけてものです。
小さな悲しみはやがて消えていく。
深い悲しみは私をそだてる。
大きな悲しみは慈しみにつながる。
こういう文章に反応する
それが末盛千枝子さんの魅力かもしれません。
じゃあ、読もう。

本書は2008年4月から2009年3月にかけてヒルサイドテラスで開催された、本と同じタイトルのセミナーの内容を書籍化したものです。
書籍化は2010年3月となっています。
そのため、ここには末盛千枝子さんの近年の活動、すなわち東日本大震災後の被災した子どもたちに絵本を届ける「3.11絵本プロジェクトいわて」のことは入っていません。
それはなくても、末盛さんがどのようにして絵本の世界に入っていき、その活動の力を増していったのかは10回のセミナーのなかで気づかされます。
また、この本でいえば巻末についている国際児童図書評議会(IBBY)の元会長を務め、長年末盛さんと活動をともにしてきた嶋多代さんの「末盛千枝子の仕事について」に、詳しく書かれているので、それがとても参考になります。
ただタイトルのわりにはたくさんの絵本が紹介されているわけではありません。
特に私たちになじみの日本の絵本はほとんど出てきません。
あるのはタシャ・チューダーやエリック・カール、M・B・ゴフスタインといった海外の絵本作家のことや末盛さんと同じ絵本編集者の話です。
それでもその底流にあるのは、末盛さんがいかに本を大切にしてきたかということだと思います。
それがよくわかる文章があります。
「本は子どもにとっても、大人にとっても、もちろん老人にとっても、さまざまな意味で、美しい宝の山だと思います。」
そういう末盛さんだからこそ、語れた本の世界がここにはあります。
(2018/12/08 投稿)

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12/07/2018 鉄道員(ぽっぽや)(浅田 次郎):再録書評「雪ふりつむ」

昨日
川本三郎さんの『あの映画に、この鉄道』という本を
紹介しましたが、
鉄道映画で忘れてならない名作があります。
浅田次郎さん原作、降旗康男監督の「鉄道員 ぽっぽや」。
いうまでもなく
高倉健さん主演の名画です。
この時撮影に使われたのが
根室本線の幾寅駅、と川本三郎さんの本にありました。
そこで今日は
浅田次郎さんの『鉄道員ぽっぽや』を
再録書評で紹介します。
それに今日は
二十四節気のひとつ、大雪(たいせつ)でもあります。
今年はそんな気候でもないのですが。
校庭の柵にぬけみち冬あたたか 上田 五千石
どちらかといえば、こちらですね。
じゃあ、読もう。

この作品は人気作家浅田次郎さんの出発地点にある作品です。これで第117回直木賞を受賞されています。
舞台は北海道幌舞の小さな駅。もうすぐ定年を迎える駅長佐藤乙松が主人公の、雪のように切ない、物語です。
乙松は定年後どんな仕事にも就くつもりはありません。友人の仙次が系列の駅ビルの重役になるような、そんな器用な生き方ができない、根っからの鉄道員(ぽっぽや)なのです。なにしろ乙松は妻の死にも幼い娘の雪子の死にも立ち会うことがなかったのですから。人はそんな乙松を非難しますが、乙松はじっと悲しみを堪え、駅のホームに立ち続けるのです。
「ポッポヤはどんなときだって涙のかわりに笛を吹き、げんこのかわりに旗を振り、大声でわめくかわりに、喚呼の裏声を絞らねければならないのだった。ポッポヤの苦労とはそういうものだった」
そんな乙松の寂しい正月に一人の小さな女の子がやってきます。女の子は次の日も、またその次の日も乙松の駅舎を訪れます。やがて、高校生の姿で乙松の前に立つその子こそ、幼くしてなくなった乙松の娘雪子なのです。
それは乙松の幻覚でしょうか。それとも雪の幻想でしょうか。
雪降る小さな駅舎を舞台にしたこの作品はいつの時代にあっても多くの人に感動をくれます。
雪がしずかにつもるように、心にしみこんでくる名作です。
(2011/01/31 投稿)

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12/06/2018 あの映画に、この鉄道(川本 三郎):書評「鉄道にはどうして哀愁があるのだろう」

先日西川美和監督の
「永い言い訳」という映画が観た。
2016年封切りの映画で
その年のキネマ旬報ベストテン5位の作品だ。
主演の本木雅弘さんの好演が光った
いい作品だった。
その終盤、登場するのが
わたらせ渓谷鉄道の「神戸(ごうど、と読む)」という駅。
そのことが今日紹介する
川本三郎さんの
『あの映画に、この鉄道』に
出てくる。
それだけで興味がわきます。
じゃあ、読もう。

映画というのは単にドラマ性を世界に広めただけでなく、映像による記録という側面も忘れてはならない。
日本映画でいえば昭和30年代に制作された映画に映る街の景観などは現在ほとんど残っていない。それを知る手立てといえば、その当時に封切られた映画を観るしかない。
鉄道も同じことで、いつの時代でも人気の高い蒸気機関車は今でもイベントなどで走る姿を見ることはあっても、それも限られた話だ。
さらには効率化などで多くの鉄路が廃線になって、かつて人々の生活を支えていた駅舎も多くは消え去った。
この本は、映画評論家川本三郎が映画の中に写し取られた鉄道の姿を北海道から順に南下し九州までめぐる夢のような旅である。
「あとがき」に川本さんは「鉄道ファンが、あの映画にこの鉄道が出ていたのかと知り、また、映画ファンが、あの映画にこういう鉄道が出ていたのかと知ってもらえらばうれしい」と書いているが、どちらにファンにしろきっとワクワクするだろう。
ここに紹介されている映画は何本になるのだろう。
数はわからないが、やはり山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズが圧倒的に多い。
シリーズ5作めの「望郷篇」は蒸気機関車愛の、これこそ鉄道映画といえる一品であるが、この作品だけに限らず、さすが全国を旅した寅さんだけあって、鉄道とは切り離せない。
個人的には深作欣二監督の「蒲田行進曲」(1982年)に出てくるヤスの故郷の駅のことを知りたかったが、残念ながら載っていない。
(2018/12/06 投稿)

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12/05/2018 透明標本 自選初期短篇集Ⅱ(吉村 昭):書評「吉村昭、ここに始まる Ⅱ」

今日は先日紹介した
吉村昭さんの『自選初期短篇集』の二巻め、
『透明標本』を紹介します。
私が吉村昭さんを初めて読んだのは
高校生の時かと思いますが
最初に読んだのは
この二巻めに収録されている
「星への旅」だったのではないかしら。
なので今回は再読ということになりますが
本当に久しぶりに
読んだといえます。
さすがにほとんどのことを忘れているのですが
何故か主人公たちが東北の寒村に向かう
ボロな自動車の印象だけが
うっすらと自分のどこかに
残っていました。
昔読んだ作品を読み返すと
そんな記憶の断片に
自身驚かされます。
じゃあ、読もう。

この秋中公文庫から、1990年に新潮社から刊行された『吉村昭自選作品集』第一巻が二分冊されて刊行された。この巻がその二巻めとなる。
吉村昭さんによる「後記」として、中公文庫二冊に収められた14篇の短篇小説が自身の24歳から39歳までに発表したものであることが書かれている。
その二巻めにあたる本書では昭和36年に発表された「墓地の賑わい」から実質的に吉村昭さんの名を知らしめた第2回太宰治賞を受賞した「星への旅」、また芥川賞候補にもなり本巻の表題作にもなっている「透明標本」、さらには吉村自身を描いたともいえる背中の過去の手術あとを残した男の悲哀を描いた「背中の鉄道」、その他「電気機関車」「煉瓦塀」「キトク」の7篇が収められている。
中でもなんといっても「星への旅」である。昭和41年雑誌「展望」に発表されたこの作品はそれまで賞に恵まれまかった吉村さんが「太宰治」の名を冠した賞を受賞したのであるから、その思いは口にはできないものがあったにちがいない。
久しぶりに再読して(おそらく半世紀近いほど久しぶりに)、集団自殺をテーマにした作品ということまで忘れていた。
そのタイトルがあまりにもロマンも駆り立てるので、死を扱ったものという記憶があったが、その内容は少なからず衝撃である。
男女5人の若者が都会の倦怠から抜け出すべく東北の寒村の海に身を投じる。そこには死への称賛などあるはずもない。
吉村さんの眼はあくまでも冷静に若者の行動を見つめている。
この時すでに吉村さんにはのちに大成することになる記録文学の才能が開花し始めていたようにも思える作品である。
(2018/12/05 投稿)

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12/04/2018 ブログをはじめてとうとう十年になりました!

十年をひと昔というならば、
この物語の発端は今からふた昔半もまえのことになる。
これは有名な壺井栄の『二十四の瞳』の書き出し。
この作品で
十年をひと昔ということを知ったような気がする。
そういえば、
井上陽水の「夏まつり」という歌も
♪ 十年はひと昔 暑い夏
という歌詞で始まる。
そう、
十年はひと昔なのだ。

めでたく十年を迎えました。
ひと昔前の今日、こんな文章で
このブログを始めました。



初めて本を読んだのはいくつの頃でしょうか。
かぼそい記憶では、最初に読んだのは『ジャングル・ブック』(キップリング作)
だと思うのですが、あれは八歳か九歳だったでしょうか。
もし、そうだとすれば、彼此(かれこれ)四十五年の読書生活になります。
それ以前にも読んだはずだとしても、三歳を下ることはないと思います。
まあ、四十五年以上、五十年未満の、読書生活ということになるでしょうか。
思えば、長いつきあいです。

半世紀以上の読書生活ということになりました。
そんな長い歳月に
どれだけの本を読んだのかわかりませんが
ほとんど記憶の彼方にいっています。
もし、全部覚えているとしたら
それはそれで怖いですが。
でも、記憶の彼方にある本も
もしかしたらブログを開くことで
手元にやってくるかもしれない。
そんな時間とのつきあいみたいになっています。

このブログの名前について書いています。



(ほん☆たすの)どちらに重点があるかというと、やはり「ほん(本)」でしょうが、
「たす(足す)」の方も大切だと思います。
それが、本のある生活だと思うのです。

思うことはいつものことながら、
これからも
素敵な本を紹介できたら
どんなにいいでしょう。
いい本と出合えることを願って。
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追記:壺井栄の『二十四の瞳』は今年岩波文庫にも入りました。
それにネットの電子書籍(無料)の青空文庫でも読むことができます。

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12/03/2018 ウスイエンドウを家で育てる - わたしの菜園日記(12月1日)

木枯らし1号が吹かないまま
師走になってしまいました。

木枯らし1号が吹かないのは
39年ぶりだということです。
なんだか季節感を取り逃がした気分です。
一番と言わず一号木枯吹く 右城 暮石
今年は黄葉もなんだか枯葉がまざったりして
綺麗に色づいたとも
いえません。

やっぱり異常気象の影響も
あるのでしょうか。

11月は平年より暖かくて
畑ではイチゴの花が
もう咲いていました。

でも、寒さにきちんとあてないといけないので
これは早々につんでしまいます。


まだまだこれからですが
ここまではいい感じに育っています。
その横で
小カブを育てています。

暖かいのでいつもの年よりは
成長が早いかもしれません。


これぐらいの大きさで
冬を越していきます。
今年は別の畝で
ウスイエンドウの栽培も始めました。
ひとつの畝に蒔き穴を10個、
すべてウスイエンドウの種を蒔いたのですが
芽が出たのがわずか3つ。
少し種を蒔いたのが遅かったかも。
なので、
苗にまで育ててそれを畑に移植できるように
家で種から育てることにしました。

室内とかで温度調整をしながら
苗まで育てばいいのですが。
これは初めての試みです。
うまくいけばいいのですが。

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12/02/2018 作家(M.B.ゴフスタイン/谷川 俊太郎 訳):書評「真摯に向き合うことの大切さ」

末盛千枝子さんの
『小さな幸せをひとつひとつ数える』という本で
M.B.ゴフスタインという一人の絵本作家を
知りました。
調べると
とても人気の高い絵本作家だということがわかりました。
作品も知らべると
なんともシンプルなタイトルが
目をひきました。
それが今日紹介する
『作家』。
ね、シンプルでしょ。
原題が「A Writer」。
これだけで読みたくなりました。
そして、
とってもいい絵本です。
日本では1986年出版されていますが
ちっとも古くはありません。
じゃあ、読もう。

絵本の好きな人にとって、M.B.ゴフスタインという絵本作家は特別な人なのではないだろうか。
私は絵本編集者の末盛千枝子さんの本で彼女(そう、ゴフスタインさんは女性です)の作品を初めて知ったのだが、ネットには彼女のファンの皆さんのコメントがあふれている。
そんな彼女のことを少し。
彼女は1940年アメリカ、ミネソタ州セントポールで生まれました。大学で美術や創作を学んで、絵本の制作を始めたそうです。
残念ながら2017年に77歳の誕生日に亡くなっています。
彼女の魅力はなんといっても絵でしょう。
シンプルなタッチに淡い色合いがとても穏やかで、人の感情にはきっとこのような世界を求める要素があるのではないか、そんなことを考えたりする絵です。
そして、言葉です。
文章というにはシンプルで、でも深い意味をもった言葉がていねいに書かれています。
もちろん、私たちが手にするのは翻訳された絵本ですから、例えばこの絵本の場合は詩人の谷川俊太郎さんが訳されていて、彼女の言葉をとても大切にしているのがよくわかります。
子どもの絵本で「作家」について描くのはどうしてでしょう。
きっと彼女の中では、子どもであるとか大人であるとかは関係ないのだと思います。
子どもであれ面と向かいあって話すこと。
彼女が大切にしているのは、そういうことではないのかな。
この絵本の最後、「自分の本がいつか 人々の心に種子となって 蒔かれることを願っている」と結ばれています。
(2018/12/02 投稿)

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