01/31/2019 棒二森屋物語(小池田 清六):書評「お疲れさま、棒二森屋。ありがとう、棒二森屋。」

函館で仕事をしている友人と
先日会った時に
函館の百貨店棒二森屋が
今日、1月31日に閉店することを聞きました。
もう10年も前になりますが
かつて棒二森屋に仕事でお世話になったことがあります。
その時感じたことは
函館の人は
棒二森屋をこよなく愛しているということでした。
ただ残念ながら
愛してはくれても
売り上げにつながるかといえば
そうならないところに
地方百貨店の苦悩があります。
閉店のことを調べていると
元従業員の小池田清六さんが
『棒二森屋物語』という本を出したことを知り
さっそく手にいれました。
なんとも切なくてつらい
一冊になりました。
じゃあ、読もう。

平成31年(2019年)1月31日、函館の老舗百貨店「棒二森屋」が閉店する。
昭和12年(1937年)に開店してから82年、JR函館駅の目の前にある不思議な名前の百貨店を訪れた人も多いだろうが、不思議な名前は元々「森屋洋物店」と「棒二荻野呉服店」が合併して生まれたものだ。
最初の「森屋洋物店」の創業でいえば、明治2年(1869年)だから、150年の歴史となるからすごい。
函館の人はこの百貨店のことを愛情込めて「ボーニさん」と呼ぶ。
ロゴマークでもある、ひらがなの「に」に近い文字は二本の天秤棒を表わしていて、それが愛称「ボーニ」と呼ばれるようになる。
もう一つ、この百貨店の包装紙に使われていた「すずらん」の花も函館の人に愛されてきた。
これは湯の川のトラピスチヌ修道院のすずらんがモデルとなったという。
経済的な視点で見れば、地方都市に展開する百貨店の多くは苦境にある。
地方創生などといわれるが、地方都市の活性化と呼ばれて何十年にもなりながら、いっこうに改善されない。
街の経済力が弱くなれば、消費もまた冷え込むのは必然だし、かつては消費の大きな受け皿であった地方百貨店の売り上げが改善しないのも仕方がない。
さらに交通網がめぐらされ、函館の若者たちの目は札幌や東京まで一息にたどり着く。
だから、棒二森屋にはよくぞここまで頑張ってくれたという感謝の思いが強い。
この本はかつて棒二森屋で働いていた著者(昭和15年生まれ)が万感の思いを込めて、開店当時の懐かしい写真などを手にいれ、その歴史をたどったものだ。
そんな従業員がいた棒二森屋だからこそ、「ボーニさん」と愛されつづけてきたのであろう。
お疲れさま、棒二森屋。
そして、ありがとう、棒二森屋。
(2019/01/31 投稿)

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01/30/2019 イオンを創った女 - 評伝 小嶋千鶴子(東海 友和):書評「現代の「おんな城主直虎」だ」

優秀な経営者は
多くの人の目にふれる。
それはナンバー1だからだ。
では、それを支える人はどうだろう。
経営とは
組織の活動であるから
いかに優秀な経営者であっても
一人では何ごとも為されない。
だからこそ、
トップを支える人が大事なのだ。
たとえ、目立たなくとも。
今日紹介する
東海友和さんの
『イオンを創った女 - 評伝 小嶋千鶴子』は
巨大流通グループイオンを支えた
一人の女性にスポットをあてた
貴重な一冊だ。
じゃあ、読もう。

今やイトーヨーカ堂と二分する巨大流通グループとなった、イオン。
その歴史をたどると、三重県四日市にあった「岡田屋」という老舗呉服店に行き着く。
「岡田屋」とあるように、岡田家が代々当主として稼業を営んでいたが、イオンの前身となるジャスコを立ち上げた岡田卓也氏が社長となるまでに、若き当主だった父を若くして亡くし、その後母姉も亡くなり、経営が危うくなる時期を支えた女性がいたことはあまり知られていないのではないか。
それが、この本の主人公小嶋千鶴子さんである。
この本は6つの章で出来ているが、その初めが彼女の生い立ちを描いた評伝となっている。
あとの章は人事等で秀でていた彼女の経営哲学が描かれていて、ビジネスマンにとっての指針にもなるようにできている。
小嶋千鶴子さんは1916年3月3日に生まれている。(いまも健在であるから長寿だ)
イオンの創業者岡田卓也氏は彼女の実弟。現社長である元也氏は卓也氏の長男だから、元也氏にとって叔母さんになる。
そんな彼女の評伝を読むと、2017年に放映されたNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を思い出す。
あのドラマは井伊家を守るため女性でありながら城主となり、井伊家の流れをくむ直政が成長するまでを見守った一生を描いていたが、小嶋さんにもそれと同じようなところがある。
もちろん、イオンが成長していったのは岡田卓也氏や元也氏の功績が大きいだろうが、小嶋さんがいなければ、卓也氏たちの活躍以前に岡田家は絶えていたかもしれない。
まさに見事な「おんな城主」だったといえる。
(2019/01/30 投稿)

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今年のNHK大河ドラマは
一味ちがう。
「いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~」は
2020年の東京オリンピックを前にして
日本人初めてのオリンピック参加から
1964年の東京オリンピック実現までを描く
好企画だと思う。
脚本も宮藤官九郎さんだし
楽しみにしている。
まだまだ話がどう展開するかは楽しみ。
その中で
中村勘九郎さんが演じているのが
金栗四三。
あまり知られていない人物なので
予習の意味を込めて
佐山和夫さんの
『箱根駅伝に賭けた夢 - 金栗四三がおこした奇跡』を
読みました。
これで大河ドラマが
うんとわかりやすくなったかな。
じゃあ、読もう。

金栗四三。かなくりしそう、と読む。
2019年のNHK大河ドラマ「いだてん」の主人公としてすっかり有名になった名前だが、スポーツライター佐山和夫さんのこの本が出版された2011年の時点ではそんなに多くの人が彼の名前を知っていたとは思えない。
ましてや、この数年後に彼が大河ドラマの主人公になるとは、佐山さんだけでなく誰も思わなかったに違いない。
すでにドラマでは金栗四三の少年期を放映済だが、四三という珍しい名前は父親の43歳の時に生まれたからだという挿話はドラマでも描かれていた。
金栗四三のすごいところは、初めてオリンピックに参加した日本人だということだ。
参加したのは1912年の第5回ストックホルム大会だった。
1912年というのは明治45年にあたる。ただし、この年の7月30日に大正に改元されているが、金栗四三が走ったマラソンは7月14日だったから、明治の終りを駆けたことになる。
ただし、本の副題にあるように金栗四三は完走できず、「消えたオリンピック走者」となった。
この本では金栗四三が走ったストックホルムの地を著者が訪ね、何故彼が完走できなかったのか、またその時彼はどういう状態で誰が救護したのかを描いている。
日本人として初めて参加したオリンピックに惨敗した金栗四三であるが、彼がすごいのはそのあとのことだ。
本のタイトルにあるように、今やマラソン以上に人気のある「箱根駅伝」の礎を作るなど、後進の指導に尽力をしたことだ。
金栗四三はアスリートであったが、実は教育者としての功績の方が大きかったのかもしれない。
(2019/01/29 投稿)

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01/28/2019 畑で見つけた小さな春 - わたしの菜園日記(1月26日)


子供らの学校でも
学級閉鎖になっているところがあったりしているようです。
大人しく叱られてをる風邪籠 富安 風生
だから、
街ではマスクをした人を
たくさん見かけるようになりました。
時には
フラフラになったりするようですから
うがい・手洗いは忘れないようにしたいところです。

私の菜園生活も5年めになります。
もう一度初心に戻って
こまめに畑作業をしようと
心を新たにしているところです。
なので、
先日の土曜日、
畑に行って
管理作業をしてきました。

今年の冬は暖冬予想も出ていましたが
とても寒く感じます。
それに
関東ではほとんど雨が降っていません。
カラカラ天気が続いています。
冬場はあまり水をあげる必要はないのですが
こんなに乾いているので
少し水をあげました。
それと草取り。
これはスナップエンドウを育てている畝ですが
ごらんのように
苗の近くに草が育っています。

合せて
畝の周辺も寒起こしをしました。


春どりのダイコンで
三太郎という品種を育てていて
間引きもしていなかったので
この日はそれもしました。
採れたのは
こんなにかわいいダイコンの子供。

これで
結構辛いものです。

まだまだ寒い日が続きそう。

そんな畑で
かわいいたんぽぽを見つけました。
春はもうすぐ。

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01/27/2019 はっきよい畑場所(かがくい ひろし):書評「畑場所も千秋楽」

私は昭和30年生まれですが
今まで生きてきて
今まで見てきたテニスの観戦時間を
多分昨日の夜の数時間で
一気に越えてしまいました。
大坂なおみ選手、
全豪オープンテニス優勝おめでとうございます!
きっと私のようなテニス初長時間観戦者は多いと思いますが
テニスの面白さが
これでぐっと広がるでしょうね。
一方、
今日は
大相撲初場所の千秋楽。
場所前は3横綱が久しぶりにそろって
楽しみでしたが
稀勢の里が横綱引退、
鶴竜が休場、
白鵬も終盤まで頑張っていましたが
とうとう昨日から休場となってしまい
横綱のいない千秋楽となったのは
とても残念です。
「初場所」は
新年の部の季語でもあります。
初場所や花と咲かせて清め塩 鷹羽 狩行
せっかくなので
絵本で横綱対決の千秋楽でも
楽しみましょうか。
かがくいひろしさんの
『はっきよい畑場所』です。
じゃあ、読もう。

相撲は大きな力士の迫力ある取り組みも面白いが、小さい力士の技の見せ合いも楽しい。
だが、自分で相撲をとることはないが、自分のこしらえた力士を土俵にのせることはできる。
紙相撲だ。
子供の頃に自分で大小さまざまな紙力士をこしらえ、それに四股名(しこな)をつけ、対戦して遊んだことがある。
実況中継のアナウンサーも解説の親方も全部自分だけ。
行司までして、それでも力士の対戦が「とんとん」指で弾ける振動しだいというのもいい。
この絵本では野菜たちが力士になっている。
少ししこなで紹介すると、じゃが岳(じゃがいも)、はくさい丸(はくさい)、ぴーま岩(ピーマン)、かぼ春日(かぼちゃ)、といったぐあい。
そして、畑場所も千秋楽。
ここで描かれるのは、たまね錦(たまねぎ)とにんじ若(にんじん)、きゅう竜(きゅうり)となすび里(なす)そして結びの一番、横綱同士の対戦となる、すい海(すいか)とだいこの嵐(だいこん)の三番。
なかなか見応えのある取り組みだ。
なかでも、横綱同士の対戦が面白い。
すいかの横綱はでーんと大型力士。一方、だいこんの横綱は色白の二枚目力士。
さあ、見合って見合って。
勝負の行方は、お楽しみ。
この絵本では野菜を力士に見立てているが、子供たちならなんだって力士にできるだろう。
自動車、果物、動物、お菓子、本だって力士になりそう。
さしづめ、横綱は百科事典か。
(2019/01/27 投稿)

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今日紹介する
内田洋子さんの
『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』は
今結構売れているらしい。
本をめぐるノンフィクション、
紀行文に近いだろうか。
この本の最後の章に
イタリアの読書事情が記載されていて
イタリアも日本と同じように
本を読まない人が増えているそうだ。
そんななか、
こうしてかつて村々に本を持ち
売り歩いていた人たちがいたことは
心を温かくする。
それを
単なる懐古にしてはいけない。
だから、こうして
本をつなぐ。
じゃあ、読もう。

きっかけはイタリア・ヴェネツィアの一軒の古書店だった。
著者はめぐりあった古書店は四代続く老舗で、その出処がモンテレッジォだった。
イタリアといえばローマしかほとんど知らない人にとってモンテレッジォと言われてもわかるはずもない。
巻頭につけられた地図でおおよその位置を確認して、さてそれでもどう説明していいやら。本の宣伝文そのままでいえば、「イタリア、トスカーナの山深い村」となる。
著者の内田はイタリア在住のジャーナリストで、『ジーノの家 イタリア10景』という作品で数々の賞を受賞している。
だから、イタリアの風景にはなじみがあるだろうが、モンテレッジォのことは知らなかったし、行ったこともない。
ただ彼女には行動力があった。
その地のことを知ろうと、やみくもに走り出す。
この本はそうして彼女が見つけた、「本の魂が生まれた村」の話だ。
村に建てられた石碑に刻まれた「本の行商人」の姿。右手に開かれた本、左腕にはたくさんの本がはいったかごを持ち、今にも駆け出しそうだ。
何もない小さな村だったから、彼らは石を運び、その帰りに本を持ち、それを売ってきた。
やがて、彼らは「本の行商人」として配達だけでなく、露天を営み、さらには店舗を構える者も出て来る。
内田は彼らの姿を追いながら、実はどこまでも広がる本の世界に迷い込んでいったのかもしれない。
彼女自身、本のかごをさげつつ。
なんともいえないロマンのような本の旅。
誰か映画を作ってくれないだろうか、もちろんイタリア映画で。
(2019/01/26 投稿)

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01/25/2019 風塵抄(司馬 遼太郎):書評「「平成」が終わろうとしている今、この本を読む意味」

「昭和」が終わった時
天皇の崩御ということもあり
誰もが暗く沈んでいたものだ。
派手な音楽もダメ、
浮ついた笑いもいけない、
そんな気分だった。
それが今回はどうだろう。
商魂たくましい人たちは
「平成」最後という冠で
なんでも商売に結び付けている。
そんな浮かれ気分のまま
「平成」は終わってしまうのだろうか。
司馬遼太郎さんの
『風塵抄』を読んで
少しは考えてみてはどうだろう。
じゃあ、読もう。

「平成」最後の正月も過ぎ、そういえば正月が明けて間もない1月8日に「平成」に変わったのだったと覚えている人たちも、もう30歳は優に超えている。
「昭和」の終りから「平成」という新しい時代にかけて、産経新聞に毎月1回連載されていた司馬遼太郎さんの随筆集をもう一度読んでみたのは、そんな時代の変わり目の気分のようなものであった。
正確にいえば、この随筆集は昭和61年(1986年)5月から平成3年(1991年)9月まで掲載されていたものをまとめたものだ。
「風塵」という名前の通り「小間切れの世間ばなし」のつもりで始めたようだが、「やがて内外に前代未聞の事件が相次いでおこり」そうとばかりはいかなかったようだ。
しかし、「昭和」から「平成」の、いわば極め付けの変化がありながら、その近辺の随筆を読んでも、司馬さんの時代の熱のようなものは感じなかった。
元号は変わっても、私たちの日常はそんなに変わるものではないのだろう。
ただし、「平成」に変わった最初の日、つまり平成元年(1989年)1月8日、司馬さんは「空に徹しぬいた偉大さ」という文章をしたためている。これは、この本に掲載されてもいるが、その書き出しは「私どもの日常はつづいているのに、“昭和”が、一瞬で歴史になってしまったのですね」になっている。
そして、ここで司馬さんは新しい天皇を語るのではなく、お亡くなりになった「昭和」天皇のことを記している。
もしかして、司馬さんにとっても「平成」最初の日の、とまどいのようなものがあったのかもしれない。
そんな「平成」が終わろうとしている時、この本であの頃をたどるのも、いいやもしれん。
(2019/01/25 投稿)

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映画が好きだ。
高校時代に映画にはまって
それから数年は
自分でも映画をたくさん観たが
社会人になってからは
ほとんど観なくなった。
なので、私の中では
映画は青春と同意味の言葉だ。
それが最近
昔以上に映画を観ている。
昔は名画座、
今はDVDとCS放送。
映画ばかり放送しているチャンネルがあるなんて
昔では考えられなかった。
今日は
アダム・オールサッチ・ボードマンさんの
『イラストでわかる映画の歴史』。
映画の歴史も面白い。
じゃあ、読もう。

英語のイラストレーション(illustration)の語源は、「照らす」「明るくする」というラテン語らしい。それが転じて「わかりやすくする(もの)」という意味になったという。
とすれば、この本が「いちばんやさしい」というのはイラストで描かれているからだし、実際映画の誕生から現在のデジタル化した時代、さらにはよりバーチャル化される未来といった映画の歴史を完結に描けたのも、イラストの効用だろう。
しかもこの作品の絵と文を書いたのが英国在住の外国人だが、その絵のタッチは日本人好みのほんわか系というのが親しみやすい。
ちなみに映画のはじまりは諸説あるようだが、この本では1888年にフランスの発明家プランスが作った作品をあげている。
ここから数えても映画の歴史は100年を越えている。
その時間を「そんなに」ととらえるか、「わずか」と見るかは意見が分かれるだろうが、少なくとも映画という発明がなければ、私たちの世界は随分様相が違ったものだったに違いない。
それは記録映画のような映像世界のことだけでなく、劇映画もそうで、従来の文学だけではきっと私たちの感情世界も限られたものだっただろう。
そしてうれしいことに、この映画の歴史に日本の映画監督も名を連ねている。
一人が溝口健二で、もう一人が黒澤明である。
おそらく何万という映画監督が誕生し、映画の歴史に名を成しただろうが、それをまとめた本の中に日本映画の監督がはいるであるから、うれしいものだ。
(2019/01/24 投稿)

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01/23/2019 日本の同時代小説(斎藤 美奈子):書評「文学は「炭鉱のカナリア」か」

昨日
開高健が岩波文庫に入ったことを
書きましたが、
今日紹介する
現代の文学史を綴った
斎藤美奈子さんの『日本の同時代小説』では
開高健はノンフィクション作品を書いた作家として
多くの字数で書かれています。
そのようなふうに
斎藤美奈子さんの説明は的確で
わかりやすく
とても納得のいく
文学史になっています。
なんといっても
私の青春から今に至る
読書体験と大いに重なるところがあって
自分史になっているようにも
感じました。
じゃあ、読もう。

「炭鉱のカナリア」という言葉があります。
昔炭鉱夫が坑道にはいる際、カナリアを持っていったそうで、それで坑内に有毒ガスが発生していないかを調べたといいます。
そこから、危険が迫ってくる前兆のことを指す言葉になりました。
文学にも「炭鉱のカナリア」といった側面があります。
これからの社会を予見するような作品を提示することも、文学の一つの側面でした。
もちろん時代のあとを追うこともしばしばあります。
さらに社会という時間が早くなっている現代では、文学は「炭鉱のカナリア」たるものになっているでしょうか。
この新書はとても刺激的な文学史になっています。
あまりに多様化し過ぎた文学の世界を、1960年代から2010年代という、まさに「同時代」の小説を丹念に追っていきます。
ここには吉行淳之介は登場しません。ちょうどその辺りからあとの文学史になります。
最初が庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』辺りから始まると書くと、案外この文学史の目線がわかるような気がします。
「自分の生きている時代の性格を知りたい」。きっとそれは私たち読者の思いでもあり、著者の斎藤美奈子氏のそれでもあります。
文学という「カナリア」は時にかぼそい声で鳴いたかもしれないし、鳴くことさえなかったかもしれない。
これはそれをたどる「同時代」史でもあります。
この新書では作家より作品が中心に書かれていますから、結構芥川賞受賞作が多く登場します。
その時々の芥川賞の受賞の意味を読み解くにも、いい一冊になっています。
(2019/01/23 投稿)

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01/22/2019 貝塚をつくる(開高 健):書評「戦争から釣り竿持って」

岩波文庫の
今年最初の新刊を見て
驚いた。
そして、うれしくなった。
驚きとうれしさは同じ感情ではなく、
流れる一連の感情だと思うが
結局はうれしいのだった。
開高健の短編集が
岩波文庫に収録されたのだ。
タイトルは『開高健短編選』。
作家の大岡玲さんが選者。
岩波書店の宣伝文には
デビュー作から死の直前に書き遺された絶筆まで
作家の生涯を一望する全十一篇
とあります。
そこで
今日はこの文庫本にも収録されている
「貝塚をつくる」を
紹介します。
岩波文庫に開高健か。
うれしいなぁ、やっぱり。
じゃあ、読もう。

初出は昭和53年(1978年)の「文学界」2月号。全集版で30ページ足らずの短編である。
開高健は昭和33年(1958年)に『裸の王様』という短編で第38回芥川賞を受賞しているから短編が多い作家のように思えたが、決してそうではない。
というか、その作家人生の途中で書けない時間が多くなり、ノンフィクション作品も多く、その活動の幅を思うと、短編の少なさに驚くほどだ。
開高が釣りの魅せられたのは有名で、時に洋酒メーカーの広告にもその釣り姿が出たほどだし、彼のノンフィクション作品の有名なものは釣り紀行のそれでもある。
そして、開高のノンフィクション作品としてはベトナム戦争に従軍し、その戦地で見聞きしたものも知られている。
その二つを合わせて書かれた短編が、本作である。
ベトナム戦争の取材でかの地にいる主人公は、そこで同じ釣り好きの紳士をさがすことになる。
見つけたのが華僑の大物で、四つの会社の社長を務める男。
贅を尽くした彼の生活に驚きながらも、主人公には男に負けない釣りでの自慢がある。
主人公のそんな釣りの成果を認め、男は主人公に釣りへの旅に誘う。
二人を乗せた釣り船がゆらゆら漂うその向こうの陸地で戦闘が行われていても、それは主人公に「恐怖や妄想」を走らせるが、所詮は対岸の戦争である。
このあたりの描写は見事だ。
短篇の最後には軍隊から脱走し、島に一人で隠れている青年を訪ねていく挿話が描かれる。
開高健は戦争から、いや戦争に巻き込まれた自身から終生逃れきれなかった一人かもしれない。
(2019/01/22 投稿)

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01/21/2019 芋煮会で楽しく - わたしの菜園日記(1月19日)

畑で毎年恒例の「芋煮会」がありました。

私が利用している畑には
ほぼ130区画ほどがありますが
こうして年に数回イベントを開催して
利用者の皆さんとの交流を
はかっています。
この時期は
温かい芋煮を頂きます。
使う芋は畑で栽培した里芋です。

俳句の季語にもなっています。
ただ残念なことに
これは秋の季語。
芋煮会風にさからふかまど口 青柳 志解樹

この俳句そのままの光景です。
出ました、
毎回イベントの時に大活躍しているかまどです。


そして牛肉をどっさり。

この日参加した利用者の人は
50人ほどでしたが
皆さんおいしいおいしいと
召し上がったいました。

私もいつもの応援要員として参加。
まあ、にぎやかし要員ですね。

甘酒もふるまわれて
寒い中、
ほっこりした時間を過ごしました。

皆さん自分の区画で
少し野菜のお手入れ。
でも、この時期はあまりすることもありません。
本格的に畑の作業が始まる春までもう少し。
大寒を過ぎれば
次は立春です。

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01/20/2019 手ぶくろを買いに(新美 南吉/黒井 健):書評「寒い季節に読みたくなる絵本」

今日は二十四節気のひとつ
大寒。
一年でもっとも寒い時期にあたります。
大寒と敵のごとく対ひたり 富安 風生
この季節にぴったりの絵本として
選んだのが
新美南吉の『手ぶくろを買いに』。
絵は黒井健さん。
すると、たまたま昨日の土曜の
朝日新聞別刷「be」に
新美南吉のことが書かれていました。
「悲しみの先に希望を描いた」とあって
新美南吉が亡くなる8ヶ月前の日記に
書き記したこんな文章が
紹介されていました。
よのつねの喜びかなしみのかなたに、
ひとしれぬ美しいもののあるを知っているかなしみ。
そのかなしみを生涯うたいつづけた
もっと新美南吉の作品が
読みたくなりました。
じゃあ、読もう。

寒い季節になると、読みたくなる童話があります。
それが、新美南吉の「手ぶくろを買いに」。
すっかりお話を覚えているわけではありませんが、雪で冷たくなった子ぎつねの手を心配してお母さん狐は夜に人間の町にでかけていくお話です。
おぼろげながら、それでもまた読みたくなる童話。文字だけの童話として読んでもいいし、このように絵本として読むのもまたいい。
しかも、有名な作品だけにたくさんの絵本作家がその絵を描いています。
偕成社のこの絵本は、たくさんの絵本作家の中でも、その柔らかなタッチで人気の高い黒井健さんが絵を描いた一冊です。
黒井さんの絵のきつねの親子の姿の、なんとも暖かい感じはどうでしょう。
こんな姿を見ていると、このきつねたちが悪いきつねではないことがよくわかります。
それに、子ぎつねが手ぶくろを買いもとめる帽子屋さんのご主人もけっして母きつねが心配するような悪い人間には見えません。
この場面、お店の中を見通せる視線になっていて、商品として並んだ帽子もとっても暖かそうに描かれています。
あるいは、子ぎつねが一軒の家から聞こえる子守歌に耳を傾ける場面。
ここでは外に立ちどまる子ぎつねしか描かれていませんが、その家の窓のあかりがなんとも暖かいのです。
カーテンのかかった窓にはうっすらと、これは人間のお母さんでしょうか、その影も描かれています。
もちろん、新美南吉の童話は「ほんとうに人間はいいものかしら」という母ぎつねのつぶやきで終わる、ある深さをもった作品です。
それらも含めて、黒井さんの絵は暖かく包んでくれます。
(2019/01/20 投稿)

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平成になってまもなく
手塚治虫が亡くなるのだが
昭和という時代が終わったんだということを
とても実感した2月9日でした。
ちょうどこの日は
私の誕生日でもあって
余計に印象に残ったともいえます。
その手塚治虫の評伝というか
しかも漫画史でもある
二階堂黎人さんの
『僕らが愛した手塚治虫 推進編』は
書評にも書きましたが
掲載されている図版が素晴らしくて
もうそれだけで
この本を手にとっただけのことは
十分あります。
平成が終わるという今年、
それでも手塚治虫は「漫画の神様」で
ありつづけます。
じゃあ、読もう。

元号が「平成」に変わってほどない1989年2月9日、「漫画の神様」手塚治虫が亡くなった。
多くの人が「昭和」の終りを実感したのではないだろうか。
それから30年の時が流れたが、手塚が亡くなったのは60歳というあまりにも早い逝去だった。最後の言葉として伝わる「頼むから仕事をさせてくれ」も、その年齢であればわからないことはない。
しかも、手塚にはまだまだ描きたい作品がたくさんあったはずだ。
けれど、手塚が生涯をかけて残した作品の多さを知ると、もう十分に生き、描き切ったといえるのではないか。
推理小説家でもある二階堂黎人氏は大学生の頃に「手塚治虫ファンクラブ」の会長を務めただけでなく、手塚作品のコレクターとしても、おそらく膨大な数の資料を収集しているのだろう。
氏が書き続けている「僕らが愛した手塚治虫」シリーズの魅力は数多くの図版だが、その大半は氏の蔵書からとられているというからすごい。
このシリーズは基本的に編年体で編まれていて、シリーズ5巻めとなるこの本では1977年から78年が描かれていて、この時期に創刊された雑誌「マンガ少年」の表紙やその頃出版された朝日ソノラマの『火の鳥』シリーズの表紙など、もう図版を見ているだけでうれしくなってしまう。
この本では1977年に刊行を開始した講談社の「手塚治虫漫画全集」のことや久しぶりにアニメの仕事に携わった「バンダーブック」のこととかがメインとなっている。
まさに絶頂期の手塚治虫が生き生きと描かれている。
(2019/01/19 投稿)

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01/18/2019 光まで5分(桜木 紫乃):書評「沖縄の光は眩しすぎた」

16日の水曜日、
第160回芥川賞直木賞の発表があった。
芥川賞に
上田岳弘さんの「ニムロッド」と
町屋良平さんの「1R1分34秒」の2作が選ばれ、
直木賞には真藤順丈さんの「宝島」が
選ばれました。
3人の皆さん、おめでとうございます。
今日の書評にも書きましたが
芥川賞直木賞はまだまだ新人賞ですから
これから横綱目指して
がんばってください。
今日は第149回直木賞作家となった
桜木紫乃さんの
『光まで5分』を紹介します。
桜木紫乃さんの作品としては
少々物足らなかったかな。
じゃあ、読もう。

毎回決定のつどニュースとなる芥川賞直木賞であるが、あれは新人賞であるはずで、大相撲でいえばせいぜい十両優勝というところではないか。
脚光をあびて幕内にあがって、そこからどこまで精進し、小結関脇と進めるか。あの賞の選考委員の人たちは引退をしたわけではないので親方衆ではないから、大関横綱級になるのかしら。
『ホテルローヤル』で第149回直木賞を受賞した桜木紫乃の場合、番付でいえばどのあたりだろうか。
受賞後もいい作品を書いているし、筆力の巧さは受賞の際にも際立っていてその後も健在だ。
小結ぐらいか。
ところが、この作品はどうだろう。
今まで多くの作品の舞台となっていた北海道を離れ、沖縄を舞台にしたのはどういう心境の変化であったのか。
主人公のツキヨは桜木が得意とする北海道の出身ながら、流れながれて那覇の街で自身の身体で食べている女性に設定されているが、義父との肉体関係をほのめかせられても、その義父が自刃しても、それが沖縄まで流れていく訳ではあるまい。
那覇の街でツキヨが出会う、桜木ワールドでしばしば登場するような影のある男万次郎にしても、元歯科医で女性関係からこの街に隠れているといわれても、それさえしっくりこない。
あるいは万次郎と生活を共にするヒロキという青年、彼に暴力で君臨する南原という男にしても、実体がいずれもおぼろである。
巧さだけで勝負しようとしても、勝てるわけではない。
桜木紫乃には沖縄の光は眩しすぎたかもしれない。
(2019/01/18 投稿)

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01/17/2019 満願 (米澤 穂信):書評「動機はなんだ!?」

今日は
米澤穂信さんの『満願』という
ミステリーの短編集を
紹介します。
殺人事件にも動機があるように
読書にも動機があって
私がこの本を読むきっかけとなったのは
昨年(2018年)NHKで放映された
ドラマを見たことです。
そのドラマでは
この短編集のうち
3つの作品をドラマ化して
私が見たのは
そのうちの一つ、「夜警」でした。
しかも、
再放送でしたので
あとの2つは見れていません。
でも、「夜警」がすごく面白かったので
原作を読んでみよう。
それが、動機です。
じゃあ、読もう。

6つの作品を収める、ミステリーの短編集である。
この作品で米澤穂信は2014年に第27回山本周五郎賞を受賞しただけでなく、「このミステリーがすごい!」「ミステリが読みたい!」「週刊文春ミステリーベスト10」の国内部門ランキングにて1位に輝いた。
つまり、2014年の読書界では大きな話題となった作品なのだ。
それぞれの作品には殺人事件が描かれているが、それがどのような手口で行われたということではなく、ここではその動機がたまらなく読者をひきつける。
何故、彼は、あるいは彼女は人を殺めなければならなかったのか。
表題作の「満願」は、主人公である弁護士が貧しい学生時代に世話になった下宿の大家の奥さんの起こした殺人事件の動機が謎解きとなっている。
苦学生だった彼の面倒をよく見てくれた女性が金融業の男を刺し殺した事件の本当の動機は何だったのか。
弁護士の思い出の中に散りばめられた彼女への淡い思い、そしてそんな淡い日々の中にひっそりと潜む、思いもかけない彼女の動機。
それさえも確かではないが、それは作者から読者への挑戦状のようなものかもしれない。
あるいは「夜警」という作品。
迫ってきた凶暴な犯人を射殺し、自らも殉職した若い警官は本当に勇敢な職務遂行であったのか。その謎に迫る主人公は、もしやの動機に呆然とする。しかし、それもまた、作者の読者へ突き付けた問いかけだ。
あなたはそれを信じるか、と。
6つの作品の中では、やはりこの2つの作品がいい。
(2019/01/17 投稿)

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01/16/2019 常設展示室(原田 マハ):書評「名画とともに小説を味わう」

今日は
原田マハさんのアート小説の短編集
『常設展示室』を
紹介します。
昨日紹介した埼玉県立近代美術館にも
常設展示室があって
企画展の観覧チケットを購入すると
この常設展示室も
鑑賞できるようになっています。
多分ほとんどのミュージアムがそうなっているのでは。
なので
ちょっとのぞいてみるのも
楽しいですよ。
新しい発見があるかもしれません。
今日紹介する原田マハさんのこの短編集、
なかなかいいですよ。
泣けます!
じゃあ、読もう。

「アート小説」というジャンルがあるかどうかはよくわからないが、少なくとも原田マハさんが作品として完成させてきたいくつかのものは「アート小説」と呼ばれるし、原田さん自身が今や「アート小説」の旗手とも称される。
そして、この本もそんな「アート小説」に入る短編集だ。
登場する絵画は、「盲人の食事」(ピカソ)、「デルフトの眺望」(フェルメール)、「大公の聖母」(ラファエロ)、「ばら」(ゴッホ)、「豪奢」(マティス)、そして「道」(東山魁夷)だ。
これらの絵画が登場する作品は、いくつかの作品に登場人物が重なることがあるが、連作というよりも、この6つの短編小説はそれぞれ単独で鑑賞することができる。
気になる絵画や画家がいれば、そこから読むのもいいだろう。
私のオススメは、短編集最後に収められた「道」だ。
主人公の翠は美術界のニューヒロインとして成功を収めているが、幼い頃貧しさゆえに養子に出された過去がある。
彼女の淡い記憶に路上で絵を描いてくれた兄の姿があるが、今ではその行方すらわからない。ただ一度、彼女が学生の頃留学先から日本に帰国した時、路上で絵を売る青年に出合ったことがある。
青年が幼い頃別れた兄であることに翠は気づかない。
気まぐれで誘った美術館の常設展示室で二人が観たのが、東山魁夷の「道」だった。
青年は絵に向き合ったまま、その絵が「多くのものを捨てた」絵だと言う。
そして、歳月が流れ、翠が審査委員になっている作品展に、ある絵が応募される。
もしかして、あの時の青年が描いたものでは、翠はようやくそれが誰だか気が付く。
しかし…。
涙がとまらなくなる、感動の一篇である。
(2019/01/16 投稿)

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01/15/2019 「辰野登恵子 オン・ペーパーズ」展に行ってきました - 点から新しい空間が広がる

寒々としていますが、
それはそれで冬ならではの景色といえます。
俳句の冬の季語に
「枯園(かれその)」という季語があって
「歳時記」に
「草木が枯れた冬の庭園。見通しがよく明るさが感じられ」とあります。
わが胸をあたたかにして枯るる園 阿部 みどり女
そんな風景を写真におさめました。

これは
私のご近所北浦和公園の入り口のあたり。
奥に見えるのが
たびたび来ている埼玉県立近代美術館。
今、「辰野登恵子 オン・ペーパーズ」という展覧会を
開催しています。

今回も私がお世話になっている接骨院の先生から
優待券を頂いたので
行ってきました。

まったく知りませんでした。
手にしたパンフによれば
1950年長野県岡谷市に生まれ、
東京藝術大学に学んだそうです。
「1970年代にドット(点)やグリッド(格子)、ストライプなどの
規則的なパターンを用いて、理知的で抑制された表現の版画を発表」と
あります。
その頃の彼女の言葉。
筆で描くときの「もたもた感」がすごくいやだった。
あるいは、
点ひとつで、新しい空間が出現する。
今回の展覧会では
作品のあいまあいまに
こういった彼女の言葉がちりばめられていて
抽象画を
より自分にちかづけるきっかけになっているように
感じました。

彼女は「制作の中心を油彩に」移して、
「豊潤な色彩で有機的な形象を描く独自の抽象表現を追求」深化させていったそうです。
残念ながら、
2014年、64歳で亡くなっています。

すべての画家を知ることは
なかなかできませんが
彼女のような世界観を
ちょっと散歩気分で鑑賞できるのは
うれしいものです。
下の写真はこの日美術館内で見つけた
ユニークな椅子。


1月20日までの開催となっています。

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01/14/2019 諸君! 野菜づくりも、大変なんだ。 - わたしの菜園日記(1月13日)

色あふれ成人の日の昇降機 斎藤 道子
新成人の皆さん、おめでとうございます。
もう随分前になりますが
成人の日の新聞朝刊に
毎年サントリーの広告が載っていました。
そこに短い、けれど鋭く、されど暖かい
メッセージを書いていたのが
直木賞作家の山口瞳さん。
諸君は、今日から酒を飲むことについて勉強する資格を得ただけなのだ。
仮免許なのだ。
とか、
諸君! この人生、大変なんだ。
とか、なかなか鋭い。
山口瞳さんは71歳で亡くなっていますから
こんな言葉を書いたのは
まだ60代の頃でしょう。
そんなことを言える大人が
私も含めて
随分いなくなったような気がします。

寒いこの時期は
ほとんど成長しません。
遅くに種を蒔いたホウレンソウは
芽は出したものの
大きくなりません。

人生にもそんな時期が必ずあります。
けれど、そんな時期をじっと耐えていれば
いつか大きく成長します。

コマツナです。

普段なかなか見ることがない
かわいい黄色の花をつけた
コマツナです。

小カブが3個。

でも、それでも、ありがたい。
寒い日には
家の中で野菜を育てたりもします。

これは牛乳パックで栽培している
ベビーリーフです。

新成人の皆さんに
街で見かけた水仙の花を贈りましょう。

水仙の葉先までわが意志通す 朝倉 和江
意志のある
つよい大人になってください。

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01/13/2019 はくちょう(内田 麟太郎/いせ ひでこ):書評「白鳥に寄せる二人の名人芸のような絵本」

今日は
内田麟太郎さん文、
いせひでこさん絵の
『はくちょう』という絵本を
紹介します。
白鳥は冬に日本に渡ってきて
越冬をするところから
冬の季語になっています。
白鳥というやはらかき舟一つ 鍵和田 秞子
きれいな俳句ですね。
俳人の名前秞子は「ゆうこ」と読みます。
白鳥はその姿もいいですが
鳴き声もすてき。
この絵本でも「くうー」って
書かれています。
寒さが厳しいですが
春になれば
その白鳥もまたかえっていきます。
じゃあ、読もう。

擬人化というのは「人でないものを人に擬して表現すること」ですが、絵本の世界でもたくさんの擬人化が試みられます。
おもちゃ、ぬいぐるみ、やさい、おうち、どうぶつたち、・・・その他たくさん。
擬人化されないものはないのではないでしょうか。
内田麟太郎さんが文を書いたこの絵本では、「いけ」が擬人化されています。
いけ? ひらがなで書くとわかりにくいですが、これは「池」。
水をたたえた、あの池です。
春になって仲間の白鳥たちが遠い北国に帰っていきます。でも、たった一羽だけ帰れない白鳥がいました。
きつねに羽をかまれて傷ついた白鳥です。
白鳥は小さな池で傷を癒していたのです。
ただ、池は言葉が離せません。
内田さんは、それは池がちいさいからだとしています。
なので、絵本の中では池の言葉はかっこつきで書かれています。
(…はくちょうさん)と、いった風に。
でも、池の白鳥への想いは、まるで恋する若者のような感じがします。
白鳥の白いうなじをみつづけているなんて、まるで恋をしているよう。
やがて、白鳥の傷が癒え、帰る日がやってきます。
真っ青な空に一羽の真っ白な白鳥。
そのあとを追うように、池もまた白鳥となって羽をひろげます。
なんとも感動的なラストです。
内田さんの素敵な文を、そして池の擬人化という難しい設定に、いせひでこさんの絵は見事に応えています。
最後の二羽の白鳥こそ、内田麟太郎さんといせひでこさんの姿のようにも思えました。
(2019/01/13 投稿)

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01/12/2019 草々不一(朝井 まかて):書評「大向こうから声がかかる」

昨年(2018年)
第22回となる司馬遼太郎賞は
朝井まかてさんの『悪玉伝』が
受賞しました。
それを聞いた時
ちょっと早いのでは、と思いましたが
今日紹介する
朝井まかてさんの最新短編集『草々不一』を読んで
朝井まかてさんが
ほとんど完成した作家になっていることに
気付かされました。
この短編集、絶対オススメです。
ところで、
タイトルとなった「草々不一」は
手紙のおわりに
十分に思いを尽くすことができなかったことを
わびる結び語で使われる言葉です。
じゃあ、読もう。

朝井まかてさんが『恋歌』で直木賞を受賞したのが2014年。受賞が第150回ということもあってさまざまなイベントが開催され、私も東京大手町で開かれたイベントを見に行ったことがある。
その会場で直木賞選考委員の一人北方謙三氏がこれからが大切と、当日会場に姿を見せていた朝井さんに、不安の混じった激励をされていたのが印象に残った。その時、朝井さんがなんと答えたか、とんと覚えていない。
受賞作『恋歌』が骨太の歴史小説だったがゆえの北方氏のコメントだったと思うが、それからわずか5年足らずにして、朝井さんのこの短編集を読み終わって、朝井さんはこんなにも巧い作家だったのかと、改めて驚きとともに吐息の出るくらい感嘆した。
表題作の「草々不一」は、妻に先立たれた忠左衛門は武芸一筋に生きてきて、漢字すら読めない初老の武士だ。そんな忠左衛門に亡くなった妻は一通の手紙を残す。しかし、彼は読めない。何やら妻の不義の始末でも書かれている気配すらあるというのに。
隠居生活に入っている忠左衛門は一大決心をして、子供たちに混ざって字を学ぶことになる。そして、3年。彼はようやく妻の手紙を読むことになる。
そこに書かれていた、妻の想い。それを知った忠左衛門の想い。
死してもなお、交差する二人の想いに胸をうたれる。
全部で8篇の短編が収められたこの集はどれをとっても秀逸なのだが、一押しは若い頃の恋心をひたすら押し隠した女の仕合せを見事に描いた「蓬莱」だ。
(2019/01/12 投稿)

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01/11/2019 1968年(中川 右介):書評「この年、私は13歳でした。」

新しい年になって
今年こそ日記をつけようと
決意! した人もいるかと思います。
初日記一日がもうなつかしく 小川 軽舟
日記をつける人というのは
読み返すこともあるのかな。
今日紹介する
中川右介さんの『1968年』、
その頃私は13歳でしたが
日記をつけていたような記憶があります。
それは
その日記に「あしたのジョー」ばりに
「あしたのために」なんていうタイトルをつけていたから
多分その頃だと思います。
その日記ですが
残念ながら
若い日の感傷で焼いてしまいました。
日記って
涙を流しながら
焼くものって思ってました。
じゃあ、読もう。

単にある年をタイトルにしただけの本はそっけない。
副題ぐらいがあってもよさそうだが、あえて年だけをタイトルにしたのは読者に先入観を持たさないためだろうか。
「はじめに」で著者の中川右介(ゆうすけ)氏はこう書く。
「歴史から、ある一年だけを取り出すことにどういう意味があるのか、正直わからない」と。
実際ここに書かれている出来事にはそこに至る「前史」があるし、その後には「後日譚」がある。
だから、一年で完結することはない。
もしかした、この本で描かれたことは今にも続いているかもしれない。
まして、この「1968年」を生きた人にとっては、外せないことばかりだ。
この本に書かれている内容は、まずザ・タイガースのこと。グループサウンズである。ここにはフォーククルセダーズも加藤登紀子も登場する。
次は、「少年マガジン」のこと。ここでは1967年の終りに新連載となった名作漫画「あしたのジョー」を描きつつ、手塚治虫も梶原一騎も、そしてあの「ビッグコミック」創刊裏話も書かれている。
続く3つめは、プロ野球。天才江夏豊の活躍だけでなく、巨人軍に入団し「大リーグボール1号」を生み出した星飛雄馬の姿も追う。もちろん、漫画「巨人の星」の話だ。
そして、最後は映画「黒部の太陽」が作られる過程を、石原裕次郎と三船敏郎を中心に描く。
こうしてみると、この本がとっても偏っていると感じるだろう。
でも、私はとっても面白かった。なぜなら、これらこそ、昭和30年生まれの私には外せないことばかりなのだから。
(2019/01/11 投稿)

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01/10/2019 天城越え - 短編集『黒い画集』より(松本 清張):書評「あなたと越えたい 天城越え」

明日が鏡開きというところも
あるでしょう。
鏡開明日となりぬ演舞場 水原 秋櫻子
なので、急いで
年末年始の話を。
昨年(2018年)暮れのNHK紅白歌合戦見ましたか。
サザンオールスターズやユーミンで
だいぶ盛り上がりましたね。
私は坂本冬美さんが紅組のトップバッターというのが
納得いきませんでした。
坂本冬美さんはトリでもいい歌手ですよ、
それが最初ではもったいない。
そして、石川さゆりさん。
彼女の「天城越え」はまさに絶品。
いい楽曲持ってますよね。
で、今日は
松本清張さんの「天城越え」を
紹介しようと思います。
強引だったかな。
この短編が収録されている
『黒い画集』は名作ぞろいですから
これからも何度か登場することになるかな。
じゃあ、読もう。

初出が昭和34年(1959年)11月の「サンデー毎日特別号」で、文庫本にして40ページの短い作品ながら、何度も映画化やドラマ化されていることから推測すると、映像作家たちの感性を刺激するのであろう。
書き出しがいい。
「私が、はじめて天城を越えたのは三十数年昔になる。」
そのあと、川端康成の名作『伊豆の踊子』の一節を引用するなど、読者の興味をほんの数行で鷲掴みにしてしまう。
この「私」がこの物語の主人公で、彼が天城を越えようとしたのは16歳の時。下田から天城を越え、修善寺に向かう行程であった。
鍛冶屋の息子ながらその仕事が合わず、静岡にいる兄を訪ねる、いわば家出行である。
しかし手持ちのお金も少なく、所詮は子供の夢想のようなもので、途中で引き返すことになる。
しかも、その帰り道には出会った若い女が同行することになる。
女のくずれた様子は大人であればどんな職業についているかわかるだろうが、少年にはただ眩しく心をときめかすことでしかなかった。
ところが、女は途中で出会った土工風の男に近づき、少年に先に行けと指図する。
女に裏切られたような気持ちで少年はその場を立ち去るしかない。
物語はそこから一気に三十数年経ち、「私」はある殺人事件の記録を偶々目にする。
その事件こそ、あの時「私」が出会った男が殺された、そして犯人として疑われたものの無罪となった女の、未解決事件だった。
犯人が誰であるかということよりも、その犯人の動機こそ、映像作家たちが魅かれる理由なのかもしれない。
(2019/01/10 投稿)

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01/09/2019 学年誌が伝えた子ども文化史 昭和30年~39年編:書評「シャボン玉のような日々」

第58作めとなる
NHK大河ドラマ「いだてん」が始まりました。
副題が「東京オリムピック噺」というように
昭和39年の東京オリンピックにいたる
明治から昭和の時代を駆け抜けた人々を描いていくそうです。
脚本があの宮藤官九郎さんで
しかも大河ドラマとして初めて近代を描くということで
話題になっています。
その第1回めを見ましたが
大河らしくないといえばそうで
このドラマが大河ドラマだからではなく
純粋に豪華なドラマとして
見るのがいいかなと思いました。
一年間じっくり楽しみましょう。
そこで
今日は昭和30年代を
小学館の学年誌で振り返る
『学年誌が伝えた子ども文化史 昭和30年~39年編』を
紹介します。
昭和30年生まれの私がきっと読んでいた
記事があるはずです。
じゃあ、読もう。

小学館の学年誌をじつにうまく出来ている。
小学入学とともに<ピカピカ>の「小学一年生」を購読し始めれば自然と新しい学年になるにつれ「小学二年生」「小学三年生」と、続けて6年間読者をつなぎとめることができる。
そんな学年誌の歴史は古い。
「学年誌が伝えた子ども文化史」シリーズの第3弾となる、この「昭和30~39年編」にはとじ込み別冊として「大正11~昭和29年編」が付いている。
つまり、学年誌の初めは大正11年(1922年)ということになる。
まず初めに「小學五年生」と「小學六年生」が創刊される(学の漢字が旧の學となっている)。六学年すべてそろうのは1925年だ。
学年誌だからといって、小学生の全員が読めるわけではない。
私もたくさん小遣いをもらったこともないが、この学年誌だけは購読してもらっていた。ただ漫画雑誌はなかなか買ってはもらえなかった。
やはり学年誌はどことなく教育臭もあって、その点では親も購入しやすかったかもしれない。
それでも、学年誌を買ってもらっていたおかげで本好きになったと思えば、感謝している。
昭和30年代といえば、まさに学年誌とともにあった世代になる。
東京オリンピック、夢の超特急(これは今の東海道新幹線)、それに人類の宇宙飛行と、まるで輝かしい未来がすぐそこに迫っているように感じたものだ。
そんなことを夢みながら、付録についている紙の組立て付録などを無邪気に作っていたのだから、かわいいものだ。
どことなくぼんやり記憶の奥から目にしたことのある記事やイラストが浮かんできそうになってはまた消えていく。
何しろ半世紀も前も、シャボン玉のような日々なのだから。
(2019/01/09 投稿)

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01/08/2019 私説 集英社放浪記(鈴木 耕):書評「そこにいたから書けること」

朝日新聞が実施した全国世論調査で
「何歳ぐらいまで働くのがいいか」という質問に
「65歳」が36%ともっとも高かったという。
ただ、生活のためには「70歳まで」が最高になる。
「老後の不安」が
「病気やケガ」をおさえて
「お金」がもっとも高いのが反映されている。
もっともこれには
若い世代の回答も入っているだろうから
シニア前段階の世代はどうなのだろうか。
今日紹介する本は
集英社という出版社一筋で働いてきた
鈴木耕さんの
現役時代を振り返った回顧録
『私説 集英社放浪記』。
面白いですよ。
じゃあ、読もう。

毎年元旦の新聞に各出版社の年頭の広告が出る。
今年(2019年)の集英社のそれに、集英社新書は今年創刊20年になることが書かれていた。そのあとに「世の中に対する多様な視点や思考の手がかりを届け、読者の「学びたい」という気持ちに応えつづけています」とある。
なかなかいい広告だった。
では、20年前、集英社の内部では新書として先行していた岩波や中公や講談社を追いかけ、どのようなコンセプトで新書を作ろうとしていたのか。
この本は当時集英社の中でその責任編集者でもあった著者が、新書創刊の裏事情を語っている、興味深い内容になっている。
そもそも著者は25歳から定年となる61歳までの36年間を、集英社一筋で勤務した人物だ。しかも、雑誌、単行本、文庫、新書と最後まで現場で編集に携わってきたという。
業界の内部事情はよくわからないが、やはりこれだけのキャリアがあれば、その経歴をぜひ残して下さいとすすめる人もあったのだろう。
この本はそうして出来上がっている。
だから、新入社員として配属された「月刊明星」時代や油ののってきた「プレイボーイ」の編集時代も面白いが、なんといっても著者が転々と異動していく姿の方に興味がいく。
人事異動の季節でもなく、しかも度々異動があるのは何か事情があるのだろうが、そこのあたりはなんとなくベールに包まれているというか、やはり著者本人でもわからないのかしれない。
ところで、集英社新書の創刊裏事情だが、あの「イミダス」という現代用語の事典と関係あったなんて、やっぱり面白い。
(2019/01/08 投稿)

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01/07/2019 今日は七草 - わたしの菜園日記(1月6日)

七草粥を朝から食べたという人もいると思います。
七草粥欠けたる草の何何ぞ 鷹羽 狩行
七草、全部いえますか。
せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ
名前はいえても
どんな草なのかはなかなかわからないもの。
最近はスーパーなどで
パックに入って売っていますが。
このうち、
すずなはカブのこと。
すずしろはダイコン。
さすがに畑でも七草をそろえるのはできません。
とりあえず、
小カブを収穫してきました。


二十四節気のひとつ、小寒で
この日から寒さも本格的になるということで
寒の入りといいます。
小寒や枯草に舞ふうすほこり 長谷川 春草
そして、私にとっては
鍬始め。

ねむる田にひと声かけて鍬始 能村 登四郎

なんだかとっても乾燥しているように見えましたが
少し掘ると
水分が入っているのがわかります。
寒いなか水をあがるのもよくなくて
水やりはがまんがまん。
これは
イチゴの畝の様子です。


収穫といってもあまりできません。
この日は小カブ以外に
ホウレンソウもとりました。


ウスイエンドウは
なんとか頑張っているようです。

寒中となるので
野菜たちも寒いでしょうが
寒さはおいしい野菜を育てることにもなります。

また楽しい菜園生活が始まります。

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01/06/2019 十二支のお節料理(川端 誠):書評「あなたの干支は何のかかりかな?」

今年最初に紹介する絵本は
川端誠さんの『十二支のお節料理』。
金銀にまさるくろがね節料理 片山 由美子
お節料理はもとは儀礼的な取り肴で
賀客は実際に食べることはなく、
食べる真似をするだけだったと
「歳時記」に書いてありました。
お年賀に行って
出されたお節料理をぱくぱく食べた人、
多いんじゃないかな。
まあ、お正月ということで
勘弁してもらいましょう。
明日から本格的に仕事始めという人も多いでしょう。
皆さん、がんばってまいりましょう。
じゃあ、読もう。

「お節料理」は俳句でいえば「新年」の季語になります。
「歳時記」によれば、「年賀の客をもてなすために飾る重詰料理」とある。ただ本来はご節句の料理のことをいったらしく、今はそのうちのお正月料理のことをいうようになっています。
ちなみに五節句は1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日のことを指すそうです。
お正月にお節料理というのは支度かたづけも少なくすみ、日頃台所で忙しく働いているお母さんたちが少しでも楽になればという、心遣いもあるようです。
そんなお節料理を「十二支」の干支たちが作ったらどんな役割になるのでしょうか。
独特の画風で人気の絵本作家川端誠さんが、もしかしたらこんな風に干支たちはがんばったのではないかと想像したのが、この絵本です。
十二支の最初はねずみ。正月かざりの係です。つぎのうしは田畑に詳しいので野菜などの材料を運ぶ係、といったように、みんなに役割があります。
やっぱり気になるのは、自分の干支がどんな係かということでしょう。
今年(2019年)の干支のいのししは、十二支最後ということもあって、あとかたづけの係だそうです。
そんなの嫌だと思ったら、みんなで役割を考えてみるのも面白いのではないでしょうか。
ただし、ちゃんと理由も考えないといけませんよ。単に楽なことばかり考えないで。
でも、なんだかんだ言っても、お節料理をつくるのはお母さんだけだったりして。
(2019/01/06 投稿)

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01/05/2019 曙光を旅する(葉室 麟):書評「葉室麟さんの最後の旅」

今日は
葉室麟さんの紀行文『曙光を旅する』を
紹介します。
「曙光」は「しょこう」と読みます。
意味は「夜明けのひかり」とも
「暗黒の中にわずかに現われはじめる明るいきざし」とも
あります。
葉室麟さんにとって
現在(いま)という時代はどう映っていたのでしょう。
今更ながらに
もし葉室麟さんがまだお元気であれば
どんなに多くの作品を書いていただろうかと
思わないでもありません。
本書の最後に
「著作一覧」が載っています。
それを見ていると
葉室麟さんが疾風の如く
駆け抜けた作家だというのが
よくわかります。
じゃあ、読もう。

葉室麟さんが亡くなったのが2017年12月だから、もう1年が過ぎた。
亡くなったあとの2018年にも何冊か新しい本が出版されたから、葉室さんがいないこと自体が嘘のようにも感じることがある。
この紀行文も2018年11月に出て、初出となった朝日新聞の連載の日付を見ると亡くなったあとも連載が続いていたことがわかる。
もしかしたら、葉室さんはまだどこかで旅を続けているのではないかしら。
「旅に出ようと思った。」と、葉室さんはペンをとった。
多少は尊敬する作家司馬遼太郎さんの名作紀行文『街道をゆく』を意識していたかもしれない。
だから、続けてこう書いた。
「遠隔地ではない。今まで生きてきた時間の中で通り過ぎてきた場所への旅だ。」
おそらく司馬さんのように自分は全国の街道を歩くことはできないが、最も自分の身体に合った場所を歩くことで、司馬さんとは違った紀行文が書けるのではないかと思ったかもしれない。
もし命が尽きなければ、歩いたところはもっと広がっただろうが、歩けたのは小倉、福岡、長崎、鹿児島。荒尾、柳川、奄美、下関、沖縄、水俣、熊本と、ここに書けなかったところも含め、葉室さんがこよなく愛した西国といえる。
旅の最初に「これからの旅で過去であり、未来でもある風景を見たいと思っている」と書いた葉室さんはまたこんなことも綴っている。
「詩を読み、人の心が動くとき、世界が変わる。今は、そんな詩人が求められている時代だ。」
きっと葉室さんは司馬遼太郎さんが詩人だと気がついていたに違いない。そして、自身もまた詩人であらんと願っただろう。
(2019/01/05 投稿)

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昨日(1月3日)の朝日新聞「天声人語」で
「本の福袋」の話が載っていました。
始めてから10年になるという
この「本の福袋」を発案した
宝塚市西図書館の司書野村京子さんのことが
紹介されていた。
今、この企画は多くの図書館で採用されている。
「子どもにとって本との出会いは、いつも福袋のようなものだ」と
記事にある。
そして、最後、こう結ばれていた。
偶然の出会いの面白さは、大人の読書も同じだろう。
その場所は近所の図書館かもしれないし、
旅先の書店かもしれない。
今年はどんな本にめぐりあえるだろう。
今日は末盛千枝子さんの
『人生に大切なことはすべて絵本から教わった 2』を
紹介します。
このなかにも本との出会いがありますよ。
じゃあ、読もう。

この本のもととなったのは2011年6月から1年をかけて開かれたクラブヒルサイドでのセミナーです。
タイトルでもわかるように、このセミナーに先立つ2008年4月からの1年間同じところで末盛千枝子さんのセミナーが開催されていました。その時のことは2010年3月に書籍化されています。
そのあと末盛さんは父である彫刻家舟越保武さんの故郷岩手県に移住されます。そして、2011年3月にあの東日本大震災に遭遇します。
幸い末盛さんの家は津波に襲われることはなかったようです。
けれど、末盛さんは被災地の子どもたちに絵本を届けようと「3.11絵本プロジェクトいわて」をすぐさま立ち上げ、活動を始めます。
今回のセミナーはそんな時間の中で開催されたものだということをまず知ってもらいたいと思います。
今回の8回のセミナーのうち、「父を語る」「母を語る」というように2回自身の両親について話しています。なかでも母について語る末盛さんは長女ということもあったのでしょうが、まるで同志のような印象さえ受ける母子関係のように感じました。
また、その他には詩人の谷川俊太郎さんとの対談や末盛さんが出版に携わった皇后美智子さまの書籍の装幀をされた安野光雅さんと松浦弥太郎さんとの鼎談などが印象に残る回となっています。
特に谷川俊太郎さんが話された「パイの皮って何重にも折りたたんでつくるでしょ。年をとるってこういうことだと思うんだよね。でも美味しいでしょ。年をとると、人生絶対美味しくなりますよ」の、なんて素敵なことか。
そういう言葉を引き出す、それが末盛千枝子さんの魅力だと思います。
(2019/01/04 投稿)

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01/03/2019 俳句歳時記 第五版 新年(角川書店 編):書評「言葉もまた日新た」

毎年の初詣は
大宮の氷川神社に行く。
昨日もお参りに行ったが
参道を歩いていて
あれ? と気になって撮ったのが
この写真。

この狛犬が新しいのがわかるでしょうか。
全国でも有数の参拝者を誇る
氷川神社だが
長い間狛犬がなかったそうで
昨年の暮れ、
つまりほんの数日前に
奉納されたのがこの狛犬一対だとか。
参拝者の人でも
あまり気が付かないかも。
それに気づいただけでも
幸せな年のはじめになりました。
今年最初の本は
これも出たばかりの新刊
『俳句歳時記 第五版 新年』。
じゃあ、読もう。

毎年年賀状に俳句を載せるようにしてから10年以上経つ。
新年ということでヘタな句であってもご勘弁頂いている。
今年(2019年)に詠んだ句が「駅伝の号令高き二日かな」。
この句の季語はわかるだろうか。
作った本人は「二日」という季語を使ったつもりだった。
俳句の季語は春・夏・秋・冬の四つの季節のほかに「新年」の部があって、「二日」というのはこの「新年」の季語にあたる。
「元日」が季語というのはなんとなくわかるが、「新年」に限って「二日」「三日」「四日」「五日」「六日」「七日」まで季語になっている。
ちなみに「五日」を詠んだ句に、櫂未知子さんの「金色のものの減りたる五日かな」がある。
さすがに巧いものだ。
先の俳句に戻るが、本人は「二日」を季語に詠んだ句で、作句の際には手元にあった『俳句歳時記 第三版』を確認したつもりだった。
だが、2018年12月に出たばかりのこの歳時記(第五版です!)にはなんと「駅伝」が「新年」の季語に採用されているではないか。
「第五版」のこの文庫の「序」に「編纂にあたっては(中略)季語の見直しを大幅に行った」とある。
言葉は生きているから、その時々で命のあるものが生き残っていくのだろう。
だから、「歳時記」も常に新しいものを持っていないと、失敗をしたりすることになる。
年賀状に詠んだ句は「季重なり」となるのだろうか。
だとしたら、こう詠むべきだったか。
「箱根路へ号令喬高し二日かな」
(2019/01/03 投稿)

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01/02/2019 恒例 元旦の新聞から - 2019年 日に新た

つまり、年賀状で来年から年賀状を辞退しますという一文を
つけて出す年賀状のことで
高齢の人とか人との関係を整理したいと思っている人が
そんな一文をつけるらしい。
もらった方はどんな気持ちだろう。
私も何枚かそんな年賀状をもらったことがある。
いっそ黙って辞退する方がよさそうにも思うが。
今年も何人か年賀状を遠慮したが
そういう人に限って
年賀状が届く。
申し訳なく、返信をしようかと思うが
それなら遠慮した意味がない。
元旦の朝から悩むことしきりだ。

出版社の広告を楽しみにしている。
昨年の12月から購読紙を
日本経済新聞から朝日新聞に変えたので
今回の広告はすべて元旦の朝日新聞から。
目立ったのが
やはり平成の終りの関連広告。
言葉には、明日が宿っている。平成の次へ。
これは新潮社の広告。

それに対抗というか
よく似た広告が文藝春秋のもの。
平成の次は何だろう?
なんだか
あまりにも似ていて
どちらかいいのかという以前の問題。
もっと新しい風を吹かさないと
読者はついてこないような気がする。

小学館の広告も気になった。
あっ、ドラえもん!
いつまでたっても
小学館はドラえもんから抜け出せない。

その点、集英社の広告はいい。
コドモに、進化しよう。
今年「集英社新書」が創刊20周年になることから
こんな言葉が続く。
本をひらけば、過去がわかる。
今を知りたくなる。
自分の意思がみえてくる。
これからも、人の興味と
向きあい、コドモのような
まっすぐな彩りあふれる
まなざしを探求していきます。

講談社も子ども向けの「おはなし隊」を全面に押し出した広告になっている。
私たちはどこに向かおうとしているのか。
集英社の広告にあるように
コドモの純粋な視点を取り戻すことが
大事になっているのやもしれない。
岩波書店の広告がその点では
一番まっとうかも。
基本を学ぶ 自分で考える
今年、そんな一年でありたい。

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