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 雪原を走り抜ける蒸気機関車、
 雪に埋もれた駅舎のホームに立って駅長が鳴らす警笛は
 悲しげに長く遠く冬の空を駆けのぼっていく。
 そんな名シーンが胸を打つ。
 1999年に封切られた、浅田次郎さんの直木賞受賞作を原作にした
 名匠降旗康男監督の映画「鉄道員 ぽっぽや」で涙した人は多いのではないだろうか。

  

 この作品だけではない。
 高倉健さんとタッグを組んだ名作がずらりと並ぶ。
 「駅 STATION」「居酒屋兆治」「ホタル」「あなたへ」。
 その降旗康男監督が5月20日に亡くなった。
 84歳だった。

 映画監督といえば、
 黒澤明小津安二郎といった世界的な監督として讃えられる巨匠もいる。
 そんな巨匠にはならなかったが、
 降旗康男監督は高倉健という名優と木村大作という名カメラマンとともに記憶に残る作品を撮り続けた。
 訃報を聞いて、家にあった「鉄道員 ぽっぽや」の映画をもう一度観た。
 やっぱり高倉健さんがいい。
 元キャンディーズの田中好子さんも出ていた。
 高倉健さんも田中好子さんも、もういないんだ。
 そして、降旗康男監督も旅立った。

 昨日(5月30日)の朝日新聞朝刊の
 「天声人語」に降旗康男監督のことが載った。
 最後にこう綴られていた。

   いわゆる巨匠然とした映画人ではなかった。
   それでも弱く、はかなく、寂しい人間たちに寄せる共感は
   限りなく深い。
   ごく普通の人々の胸にしみわたる作品が
   数多く残された。

 映画は難しい顔をして観るのではない。
 観終わった時に、ふっと心のどこかが温かくなっていればいい。
 降旗康男監督の作品には
 そんな心に灯るあかりがある。

 ご冥福をお祈りします。

 今頃、天国で高倉健さんと
 どんな映画を撮ろうか相談しているのじゃないか。

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プレゼント 書評こぼれ話

  菜園で野菜を育てていることは
  毎週月曜の記事で
  書いていますが
  実はベランダでも栽培をしていて
  今年はゴーヤを育てています。

  20190527_143409_convert_20190529174908.jpg

  昨年は
  マイクロキュウリ緑のカーテンをしようと
  失敗したので
  今年はオーソドックスなゴーヤ
  回帰しました。
  そういう話が
  今日紹介する
  山崎ナオコーラさんの
  『ベランダ園芸で考えたこと』にはたくさん書かれていて
  楽しめました。
  園芸に興味ある方に
  オススメの一冊です。

  追伸  月曜の菜園日記にも写真貼れましたので更新しています。
       真っ白いニンニクをご覧下さい。


  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  考えたことはたくさんありました                   

 この本は2014年7月に出版された『太陽がもったいない』を改題したもので、もっとさかのぼると2013年3月から翌年1月までWebちくまに連載されていたとなる。
 さらにこの本で書かれているベランダ園芸のことは特にその期間の話と限らず、例えば「緑のカーテン」という章で書かれていることのきっかけは2011年の東日本大震災後の電力逼塞の時だし、そもそもが山崎ナオコーラさんがベランダ園芸にはまっていくのは住み始めたマンションとの相性がよかったということだろう。

 書かれていることは園芸好きな読者であれば、そうそうと思わず頷きたくなるお話が多い。
 例えば、「コンパニオンプランツとは」という章では「コンパニオンプランツ」を「恋占い」を想起させるといった記述など、そうか誰でも根拠も知らずについやってしまうものだとあらためて自覚させられたりする。
 あるいは「残酷な間引き」の章では、「間引きは理不尽で残酷なもの」と歯切れよく言い切ってくれる。
 そして、ここからがこのエッセイの特長なのだが、これは決して園芸エッセイに特化したものではなく、ベランダ園芸を仲立ちにし て、文学や自身のことを考えることになる。
 先ほどの間引きであれば、あの文章のあとで「この残酷な世界に対峙して、新たな価値観をどう作っていけるか探るのが、作家の仕事なのかもしれない」となる。

 それにしても、この連載があった当時、山崎ナオコーラさんは決して絶好調だった訳ではなく、さまざまなバッシングにあっていたようで、そのことに関しての嘆き吐息諦め、さらには逆襲、そう思えばやはり野菜や花は心を癒すのでもある。
  
(2019/05/30 投稿)

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  先日の5月25日土曜の
  朝日新聞朝刊別冊で
  「松本清張、不死身なり」という
  面白い記事がありました。

    没後27年、読み継がれて令和も

  とリード文にあって
  今でも人気の高い松本清張文学の魅力を
  コンパクトにまとめていました。
  松本清張が書いた作品の数は
  1000編近いらしいが
  まさに広大な清張山脈といえる。
  今日は
  いつもの短編集『黒い画集』から
  「証言」を紹介します。
  結末を書けないのがつらいですが
  最後は面白いですよ。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  女はこわい、これがこの作品の結末のヒント                   

 昭和33年(1958年)12月に「週刊朝日」に初出の、文庫本にしてわずか22ページばかりの短編小説である。
 その短い小説が1960年に映画化される。監督が堀川弘通、脚本が橋本忍、主演が小林桂樹で、タイトルは「黒い画集 あるサラリーマンの証言」と変わっているが、この年のキネマ旬報の日本映画部門で2位にはいる名作となっている。
 脚本を書いた橋本忍はこの他にも多くの松本清張の作品を手がけていて、相性が抜群によかったのだろう。
 松本清張も橋本忍が脚本であれば、安心して映像化を任せられたのではないだろうか。

 清張文学を検証する時、映像化という視点は外せない。
 清張が亡くなったのが1992年だが、その人気が衰えないのは今でもその作品が映像化されることも要因のひとつだろう。
 映像をつくる側から見ると、清張文学が創作意欲を駆り立てられる素材であり、それが短編であったとしてもなお一層映像で埋め尽くしたいと思うのかもしれない。

 この『証言』の主人公には愛人がいる。そのことを知られると、自身の出世に差しさわりがでる。そんな主人公の心理が、偶々夜の街で近所の男と出会ったことを秘匿することになる。
 この男は殺人の罪に問われ、主人公の証言次第ではアリバイが成立し、無罪になるのだが、主人公は隠し続ける。
 果たして、男は無罪になるのか。
 脚本を手掛けた橋本忍もわくわくしながら、この短編を95分の尺の映画に仕立てたのではないだろうか。
  
(2019/05/29 投稿)

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  今日紹介する
  島崎今日子さんの
  『森瑤子の帽子』は
  1980年代に活躍した作家
  森瑤子さんの人生を描いた
  ノンフィクション評伝です。
  作家の夫や娘、交友関係のあった有名無名の人、
  そのそばで働いていた人たちから
  多くの証言を得て
  浮かんでくる作家の素顔。
  それは書評にも書きましたが
  森瑤子という作家の姿だけでなく
  時代の貌を解くことでも
  あったような気がします。
  労作にして刺激的な意欲作です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  森瑤子がいた時代に私もいた                   

 作家森瑤子のことをどれだけの人が覚えているだろうか。
 覚えている? 
 そう、森が胃がんで52歳の若さで亡くなったのが1993年7月のことだから、すでに20年以上の歳月が過ぎたことになる。
 人は亡くなって作品は残ると言われても、実際には多くの作品も時の彼方へと過ぎ去っていくものだ。
 森瑤子は芥川賞直木賞とそれぞれ候補にはあがったものの受賞には至らず、もしかしたら1978年に第2回すばる文学賞を受賞した、デビュー作『情事』が鮮烈すぎて、その印象を越えることはなかったかもしれない。
 もちろん、森は短い作家生活でその著作が100冊を越えたというからその人気度は抜群であった。
 そんな森瑤子のことを記憶している人たちもまた過ぎた歳月を顧みる、そんな世代になっているのかもしれない。
 森瑤子がどんな人であったか、森瑤子が生きた時代はどんな時代であったか、それを問うことはあの時代を生きた人々もまた、自身を顧みることになるのではないだろうか。

 このノンフィクションを書いた島崎今日子さんは1954年生まれのジャーナリストである。
 おそらく森が新人賞を受賞した『情事』を目にしたのは二十歳を過ぎた頃だろう。
 そのタイトルから鮮烈で当時の人々の眼を釘付けにしたのは間違いない。
 時代はまさにバブル。そして、女性たちも自立を志向していく。
 島崎は書く。「真っ赤なルージュと大きな帽子の森瑤子は、彗星のようにバブルの時代の日本に強烈な光を放ち、明るく笑って消えていった。」
 そんな森瑤子を追体験することで、きっと誰もが自分の時間もまた追体験することにならないか。
  
(2019/05/28 投稿)

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 俳句の季語というのは
 春夏秋冬、それと新年と分かれていますが
 もう少し厳密にいえば
 夏の季語であれば
 その期間であればいつでも使える「三夏」と
 「初夏」「仲夏」「晩夏」の季語に
 分類できます。
 わかりやすい例でいえば
 「冷蔵庫」という季語は「三夏」、
 「更衣」は「初夏」の季語となります。
 「盛夏」という季語は「晩夏」の季語になります。
 つまりは夏も後半の季語。
 で、ちょっと前置きが長くなりましたが
 まだ初夏だというのに
 週末の暑さはどうでしょう。
 季節はずれの猛暑でした。

 そんな暑い土日に
 畑の作業も結構あったりして
 持参したペットボトルの水は
 お湯に変わってしまうほどでした。

 この日のメイン作業は
 キュウリスイカ冬瓜
 ネットを張る作業です。

  20190525_122835_convert_20190529174409.jpg

 暑さのせいでしょうか
 野菜の生育も早いような感じがします。

 イチゴの収穫も終わったので
 伐採しました。
 今年のイチゴは大豊作で
 数えてみれば148個
 よくできました。
 コンパニオンプランツとして育てていた
 ニンニクも収穫。
 こちらも思った以上に
 いい出来でした。

  20190526_061814_convert_20190529174738.jpg

 ウスイエンドウ
 最後の収穫を終えて
 伐採。
 こちらもたくさん収穫できましたが
 もう少し風通しよく
 してあげればよかったと
 これは反省。

 トウモロコシは最後の間引きを行って
 ひと穴に一本残して
 あとは成長していくのを
 待つばかり。

 こう暑くなってくると
 畑の水やりもこまめに行う必要が
 でてきます。
 暑さはまだまだこれから先が本番。
 がんばろうっと。

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  まだ5月というのに
  真夏日になって
  身体が悲鳴をあげそうですね。
  昨日あたり
  運動会という小学校も多かったのでは
  ないでしょうか。
  最近は
  秋の運動会ではなく
  まだ暑くならないこの時期に
  開催する学校も多くなっていますが
  それがこの暑さですから
  先生方もどう対処していいか
  大変です。
  今日は
  森絵都さんが文、スギヤマカナヨさんが絵をかいた
  『ぼくだけのこと』を
  紹介します。
  この絵本の中で
  主人公の男の子は運動会の閉会式で
  倒れてしまっています。
  皆さん、気をつけましょうね。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  「アイデンティティ」ってどういうことかな                   

 「アイデンティティ」という言葉を初めて聞いたのは40年以上前、大学に入ってからだったと思います。
 日本語で訳すると「自己同一性」とかになるそうですが、簡単にいえば「自分とは何か」ということです。
 直木賞作家である森絵都さんが文を書いたこの絵本を読んでいて、真っ先に頭に浮かんだのが「アイデンティティ」という言葉でした。
 もちろん、これは絵本ですから、といっても小学生以上向きでしょうか、そんな難しい言葉は出てきません。
 「アイデンティティ」という言葉は難しいけれど、簡単にいえば「ぼくだけのこと」なんでしょうね。
 他の誰でもない、「ぼくだけのこと」。

 主人公の「ようたくん」にはきょうだいが二人いるけど、えくぼがでるのはようたくんだけ。
 五人家族の中で蚊にさされやすいのはようたくんだけ。
 学校の仲良し組は七人だけど、逆立ち歩きができるのはようたくんだけ。
 こんな風にどんどんようたくんの世界は広くなっていきます。
 クラス、学校、まち、せかい、そして宇宙。
 ようたくんに似た男の子は世界のどこかにいるけれど、似ているだけでまったく同じということはない。
 それはようたくんだけではない。
 この絵本を読んでいるみんなが、別々の「ぼく」や「わたし」で、それぞれが「自分だけのもの」を持っているということを、この絵本は教えてくれます。

 「アイデンティティ」という言葉は舌を噛みそうな言葉ですが、もっとやさしく言えればうんとわかりやすいのに。
  
(2019/05/26 投稿)

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  山本周五郎を読み始めて
  そんなに経っていませんが
  なんだか
  自分の中にもすっかり定着してきた
  そんな感じがします。
  それにしてもすごいのは
  山本周五郎が亡くなったのが
  1967年2月14日で
  すでに没後半世紀以上になりますが
  こうして今でも新しい本が
  さまざまに形を変え
  出版されることです。
  今日はその中から
  講談社文庫の『失蝶記-幕末物語』を
  紹介します。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  イチオシはやはり「城中の霜」かな                   

 山本周五郎の時代小説といえば武家ものであったり下町人情噺というイメージが強いから、触れれば血しぶきがあがったり血走った眼付の志士たちが闊歩する幕末にはあまり縁がないように思っていた。
 ところが講談社文庫の一冊として編まれたこの短編集は「幕末物語」とあるように、山本周五郎のたくさんの短編から幕末期を舞台に描かれた八篇の作品を収めていて異色といっていい。
 しかもその初出は昭和二年に村上幽鬼という別の筆名で発表された「染血桜田門外」から昭和三十四年に発表された表題作の「失蝶記」まで、その初出の年度も広く、さまざまな時期の山本周五郎を味わえるようになっている。

 先に書いた昭和二年の「染血桜田門外」は幕末の有名な桜田門外の変を描いた短編だが、その文体は物語というよりも講談に近く、山本周五郎になる前の孵化寸前の書き手の勢いを感じる。
 「失蝶記」は固い友情で結ばれた友を仲間の裏切りによって誤って斬ってしまった男の無念の胸のうちを、友の許嫁に宛てた手紙の形で描いた佳品で、そこにはその許嫁へのほのかな思いもうかがえて胸を打つ。
 これは幕末の長州藩の勢力争いも裏にはあるが、そんな殺伐とした時代にあっても、人が人を恋する気持ちを描いて、山本周五郎らしい世界となっている。

 その他にも安政の大獄で死罪となった橋本左内の最期の姿をめぐる名作「城中の霜」や甲州勝沼での武士の横暴に立ち向かう若き武士の姿を描いた「米の武士道」など、山本周五郎の世界が存分に楽しめる一冊になっている。
  
(2019/05/25 投稿)

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  昨日、
  長谷川櫂さんの『四季のうた』という新書を
  紹介したので
  今日は俳句つながりで
  でもこちらは児童書ですが
  森埜こみちさんの
  『わたしの空と五・七・五』を
  紹介します。
  この作品は中学校の生活が描かれていて
  文芸部が登場します。
  私が中学生の時には
  文芸部のような
  すてきなクラブはなかったような。
  でも、もしかしたら
  どこかにこっそりと
  生息していたのでしょうか。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  句会の進め方までわかって                   

 この作品は第19回ちゅうでん児童文学賞大賞受賞作です。(2017年)
 「ちゅうでん」とひらがな書きされていますが、元々は中部電力主催の「中部電力児童文学賞」だったそうで、「子どもたちの人間性や感受性を高める児童文学の創作をうながし、広く優れた書き手を発掘する目的」で大賞受賞作は本の出版までされるようです。

 主人公は中学生になって間もない女子、伊藤空良(そら)だから、読者はやはり中学生あたりを想定しているのだろう。
 小学生から中学生ってすごく変化のある感じがしませんか。
 なんだか少し大人に近くなったみたいな。
 だから、空良のようになかなか新しい学校生活になじめない子もでてきたりします。
 きっとそんな子供たちが、ここにもそんな子がいたとほっとするかもしれません。そして、そんな安心感のあとで、空良のようにがんばってみようと思うのではないかしら。

 人と話すのが苦手な空良はどんな部活に入ろうと決めかねています。
 そんな時一枚の入部勧誘のチラシが目にはいってのです。
 それが「文芸部」。
 ん? 地味ですか。そうですね、何しろ部員はたった2人ですから。
 なので、部室の見学のつもりが半ば強引に入部を勧められてしまうのです。
 同じようにおとなしめの女子がもう1名。
 さらに部員拡大のため、「新入生歓迎句会」を開催することになってしまいます。

 この作品は俳句の入門書のようでもあります。
 中学生になったら俳句とかも習うのかな。
 空良たちがどんな俳句を作るのかも楽しみのひとつ。
 この作品の原題は『一句献上いたします』でした。
  
(2019/05/24 投稿)

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  好きなことには
  結構アンテナを高くしているつもりですが
  この本のこと、
  というか読売新聞に連載されている
  小さなコラムのことに
  全く気がつきませんでした。
  購読している新聞が違えば
  仕方がないのですが
  やっぱり迂闊でした。
  今日紹介するのは
  俳人の長谷川櫂さんが
  古今の短詩を短い本文とともに紹介する
  『四季のうた』。
  書評にも書きましたが
  この手の本といえば
  どうしても大岡信さんの『折々のうた』という
  名著が先行します。
  けれど、読売新聞の連載も15年近くになっていますから
  人気記事なんでしょう。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  四季は移ろう、歌は詠まれる                   

 詩句の引用とそれに関連した短い本文、といえば、誰もがかつて朝日新聞朝刊一面に連載されていた大岡信さんの『折々のうた』を思い出すだろう。
 新聞連載後は岩波新書のシリーズとして20冊近く出版されている。
 また、その変形としてさまざまな形で出版されているから、この種の出版物としては画期的だったといえる。

 それらを理解した上でだと思うが、読売新聞が朝刊二面(一面ではないところに奥ゆかしさを感じないでもないが)に大岡さんのコラム記事と同じようなコラム「四季」が始まったのが2004年4月である。
 執筆しているのは俳人の長谷川櫂さん。
 当然長谷川さんだって大岡さんの業績を知った上での執筆だろう。
 大岡さんとの違いといえば、その詩歌に合った写真が添付されていることぐらいだろうか。
 そして、一方が岩波新書であれば、こちらは中公新書(のちに中公文庫になる)での刊行である。

 岩波新書で刊行された最初の『折々のうた』では大岡さんの長い、しかも連載の意図であったり覚悟であったり工夫であったりを記した「あとがき」がある。
 残念ながら、長谷川さんの新書のあとがきは短い。できれば、先人大岡さんの『折々のうた』とどう違えたのか、あるいはどう踏襲したのか、そんな説明が欲しかったと思う。

 それにしても日本人の詩歌好きは果てしない。
 今も読売新聞の連載は続いているのだから。
  
(2019/05/23 投稿)

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  東京・荒川にある
  ゆいの森あらかわで行われた
  絵本作家いせひでこさんの講演会
  「絵本―とくべつな一日、とくべつな路」で
  自作についても
  話されていて
  その時に出てきたのが
  今日紹介する
  『見えない蝶をさがして』でした。
  いせひでこさんは
  台湾での展覧会に招かれた際に
  渡る蝶の大群を見ようと
  有名なスポットに出向いたそうです。
  ところが、
  何十年に一度という大雨にあって
  蝶の大群を見ることはなかったそうです。
  見えなかったからこそ
  見えることもあるということでしょうか。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  風をよむ                   

 絵本作家いせひでこさんの、2018年5月に出た詩画集。
 いせひでこさんは『ルリユールおじさん』や『あの路』などたくさんの絵本を創作しているから絵本作家であることは間違いないが、画家でもあって、絵本になっていない多くの絵画を描いてもいる。
 この詩画集は、画家としてのいせさんの創作だといえる。

 この本のもとになっているのは、月刊俳句誌「岳」の表紙絵である。
 毎月というのではなく、半年に一枚、それが10年続いたという。
 それらを集めて、本書が生まれた。
 俳句誌の主宰の宮崎静生氏は「絵本のような表紙絵でいいですよ」と、いせさんを励ましたという。
 けれど、この俳句誌を手にした結社の人たちは、いせさんの絵に俳句ごころを揺り動かされたのではないだろうか。

 平成最後の春、ニュースでも報じられた満開の桜に降り積む雪。
 そのことを「桜かくし」という美しい季語があることを初めて耳にした人も多かっただろうが、いせさんはそれを2010年に描いている。
 その絵につけられた文章が「ふっていたのは 休符だけの音楽」。
 いせさんは俳句を詠まないというが、これだけの短詩を詠むのだから、俳句もきっとすごい素養があるにちがいない。

 いせさんが俳句誌に描いてきた10年の間には東日本大震災が起こり、復興の時間もあった。
 いせさんがそんな時間の中で見つけた大きな流木も朽ち、撤去された。
 そんな時間を、いせさんはページの最後にこんな俳句として残している。
 「見える蝶 見えざる蝶も 風をよむ」。
  
(2019/05/22 投稿)

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  今回も
  犯人を見つけられませんでした。
  雪に閉ざされた山荘で起こる殺人事件、
  アガサ・クリスティーの戯曲
  『ねずみとり』を
  今日は紹介します。
  私は結構面白く読みましたが、
  いつもの
  霜月蒼さんの『アガサ・クリスティー完全攻略』の評価は厳しくて
  ★★★でした。
  霜月蒼さんがいうには
  「この作品に謎解きのスリル」が少ないとなる。
  私はそうでもなかったですが。
  それよりも
  この殺人事件の発端が
  昔起こった児童虐待というのが
  現代的で
  さすがアガサ・クリスティーだと感心しました。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  どんな俳優さんに演じてもらいたいですか                   

 アガサ・クリスティーには戯曲の名作も多い。
 この作品もそのうちの一作で、クリスティーの戯曲の中でも最も有名でかつ実際の公演もロングランを続けているという。
 雪に閉ざされた山荘で起こる、いわゆる密室殺人が舞台劇として適っているということもあるのではないだろうか。

 この作品は元々「三匹の盲目のねずみ」という短編で、それをクリスティーが1947年にラジオドラマとして脚本を書いたもので、その後舞台劇として1952年に初演されている。
 ドラマの冒頭で殺人事件の発生をラジオのニュースが報じる。
 この殺人事件を発端にして、殺人事件の起こったロンドンから離れた山奥の山荘に何故か事件が起こってくるという導入部がいい。
 この山荘はその日オープンしたばかりの宿屋で、若い夫婦が経営している。
 その日の泊まり客は五人。
 そのうちに雪がこの山荘を包み込んでいく。

 そこに警察から、殺人事件に関連してこの山荘も狙われていると連絡がはいる。
 ここで使われているのが、マザー・グースの「三匹のめくらのネズミ」の曲。
 つまり、ロンドンの事件が一匹めで、残り二匹の殺人がこの山荘で起こるという。
 刑事が到着したものの、予告どおり、二人めの犠牲者が出てしまう。
 犯人はどうも昔起こった児童虐待の事件に関係したものらしいというところまでわかってくる。

 三番目の犠牲者は誰なのか。
 犯人はこの山荘の誰なのか。
 ロングラン公演でもちろん誰もが誰が犯人なのかわかっているはずだが、それでも観たくなる(読みたくなる)のは、それだけの魅力がこの作品にはあるという証拠でもある。
  
(2019/05/21 投稿)

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 畑では
 夏野菜の植え付けの時期ですが
 田ンぼでは
 田植えの候です。

  20190519_122751_convert_20190519150233.jpg

    忽ちに一枚の田を植ゑにけり     高浜 虚子

 都会では
 田を見ることはほとんど少なくなったので
 田植えの済んだ田を見ると
 とっても癒されます。

 畑では今
 ジャガイモの花が咲いてきました。

  20190519_095014_convert_20190519145647.jpg

    じゃがいもの花の三角四角かな     波多野 爽波

 当たり前のように詠まれていますが
 ここまで観測しているのは
 さすがプロ。
 「じゃがいもの花」が夏の季語です。

 こちらは
 黄スイカトウガン

  20190519_095134_convert_20190519145832.jpg

 だいぶ大きくなりました。
 黄スイカは摘芯をして
 これからコヅルを伸ばしていきます。

 これはミニトマト(左)とキュウリ(右)。

  20190519_114315_convert_20190519150129.jpg

 この日(5月19日)アブラムシ対策で
 根もとに銀のマットを貼りました。

 収穫の話をすると
 今年のイチゴは大豊作です。

  20190516_163401_convert_20190519145401.jpg

 写真のイチゴはちょうど50個あります。
 粒もそろっていますし
 色も鮮やか。
 このイチゴはこの後
 ジャムになりました。

 そして
 ウスイエンドウ

  20190519_142736_convert_20190519150325.jpg

  20190516_163721_convert_20190519145445.jpg

 収穫できたので
 さっそく豆ごはんで頂きました。

  20190516_191330_convert_20190519145551.jpg

 「NHK俳句」の6月第1週の投稿兼題が「豆飯」でした。
 なかなかいい句が出来なくて
 ようやっと詠んだ句がこちら。

     豆の飯箸ではやぶさ軌道模す

 つまり、豆ごはんがまるで小惑星りゅうぐうのように見えたので
 探査機はやぶさのことを詠んだのですが
 さすがに駄句でした。
 豆ごはんはやっぱり
 食べるのがいいですね。

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  先日テレビを見ていたら
  津軽弁の話をしていて
  実際青森の人が津軽弁で話していても
  ちっとも理解できなかった。
  テレビのバラエティ番組だから
  笑っているだけだが
  もう30年ぐらい前に
  青森五所川原太宰治の生家に行って
  泊まったことがある。
  今は宿泊できないが
  当時はあの斜陽館に泊まれたのだから
  貴重な体験をしたもの。
  そこの共同浴場で
  土地の人と話したのだが
  それが津軽弁で
  なんにもわからなかった記憶がある。
  こんなふうに
  津軽弁の話を書いていますが
  今日紹介する絵本は
  長谷川義史さんが大阪弁で訳した
  『おじいちゃんがペンギンやったとき』。
  方言つながりということで
  ご納得下さい。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  大阪弁っておもろいか                   

 読み聞かせをしてはる人に言わせると、関西弁で書かれた絵本の読み聞かせはやりにくいみたい。
 その代表選手(というのかな)が長谷川義史さんで、そらぁ、今でも大阪に住んでる現役バリバリの大阪人やから、しんぼうしたって欲しい。
 何しろ大阪の人は当たり前やけど大阪弁しか喋れなくて、他の地方の人なら東京に出てきたらたちまち標準語で話しかけられるのやけど、大阪人はそれができへん。
 まあ、その分、正直というのかな。
 ちょっとちがう…か。
 それに、なんぼ、隠したかって、そのイントネーションで忽ちその正体がばれてしまうんやから、隠したって意味ないもん。

 そうやから、長谷川さんが翻訳した外国の絵本やって、大阪弁です。
 外国の人が大阪弁なんか話す訳ないのに、長谷川さんが訳したら、もう大阪ワールドやし。
 ある日おじいちゃんが突然ペンギンになってしまうという、これはこれで相当大阪的な変な絵本やけど、「いつものおじいちゃんとちがうねん。」となれば、一体「ねん」とはなんや、なんでおじいちゃんがペンギンになってリビングにおるんや、となるでしょ。
 つまりは、大きな声で「なんでやねん!」と叫びたくなるような絵本なんやで。

 そやけど、そんな不条理な(なんて高尚な言葉は大阪の人は話せへん。つまりは、けったいな)話やけど、大阪弁で書かれているさかいに、ちっともけったいに思われへん。
 おじいちゃんがペンギンになろうが、フラミンゴになろうが、それもありやと、思ってしまうから、変。
  
(2019/05/19 投稿)

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  イラストレーターの和田誠さんの
  映画好きは有名で
  それが高じて
  自身が脚本・監督を務めたのが
  1984年に制作された「麻雀放浪記」です。
  作品の出来もよくて
  高い評価を得ました。
  その原作が
  今日紹介する阿佐田哲也さんの『麻雀放浪記 青春篇』。
  主人公の坊や哲は
  映画では真田広之さん、
  出目徳を演じた高品格さんは
  この映画の演技でさまざまな映画賞を受賞しました。
  原作を読んで
  久しぶりに和田誠さんの映画が
  観たくなりました。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  こういう小説が時代を越えて読み継がれる                   

 小説のジャンルのひとつに「ピカレスクロマン」というものがある。
 日本語で「悪漢小説」とか「悪者小説」と訳されることが多い。
 定義を調べると、「虚構の自伝形式をとり、下層階級出身の主人公が次々と事件に出会い、異なる階級の人たちに接するという形式」とある。
 読者にとっては、自身の未知の世界を垣間見るとともに、気分的にスキッとするところが人気のある点といえる。

 阿佐田哲也(彼には色川武大という名前もあって、この筆名で直木賞を受賞)のこの小説もまた「ピカレスクロマン」になるのだろうが、戦争が終わって飢えで死者まで出る時代が舞台であれば、誰もが生きるために精一杯で、ゆえに作品に生きる力がこもるのもわかる。
 そして、これは長い作品の導入部といってもよく、「青春篇」というタイトルが躍動的なものを感じさせる。
 それはかつて深作欣二監督が描いた「仁義なき戦い」に通じるものがある。

 主人公は「坊や哲」というまだ学生だった若者。戦争に負け、両親も世間も呆然自失となったなか、生きるために博打の世界に足を踏み入れる「坊や哲」。
 博打は麻雀。
 そこで出会うさまざまな男と女。
 「ドサ健」「出目徳」「上州虎」と呼ばれる仕事師たちは、博打打ちにも関わらず、強烈に生きることを主張している。
 1969年(昭和45年)に刊行されていまだに読者を魅了するのだから、名作にちがいない。
  
(2019/05/18 投稿)

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  今日紹介する
  『旅する本の雑誌』は
  大型連休が始まる4月27日の
  朝日新聞の「天声人語」
  紹介されていたもので、
  そこでは書評にも書いている
  高頭佐和子さんの「遠征読書」が取り上げられていました。
  もしかしたら
  この記事を読んで
  連休中に
  「遠征読書」に出掛けた人もあったのでは
  ないでしょうか。
  そんな旅に
  ふと出かけてみたくなりました。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  本を持って旅に出よう                   

 本と旅は相性がいい。
 似た者同士といっていい。
 本を読むことは旅をすることに似ているし、旅をすることは真新しい本のページを開くことに似ている。
 旅行カバンに何冊も本を詰めて、結局一冊も読めずに帰ってきたこともある。
 旅先で何気なく見つけた本にのめり込んだという人も多い。

 もともとこの本は「本の雑誌」の2017年7月号の特集「本好きのための旅行ガイド」が基になっている。
 それに書下ろしが加わって出版されたもの。
 小田原への旅を執筆している坪内祐三氏が雑誌社からの原稿依頼が「二泊三日」であることを告白している。
 坪内氏はそういう依頼をものともせず一泊二日の旅ガイドを書いているが、他の執筆者はまじめに二泊三日の旅をすすめている。
 どういう場所がすすめられているかというと、「函館・小樽。札幌」(充実してます)、「盛岡・仙台」(これもいい)、京都に大阪、さらには神戸和歌山奈良、「原民喜の広島」とか「沖縄本」めぐりもいい。
 もちろん、東京は別の章でたっぷりある。

 しかも旅の案内人である執筆者の面々は、本屋さんの経営者だったり編集者だったり、旅の専門家というよりは本の専門家の人たちというのがまたいい。
 中でも気に入ったのが書店員歴22年という高頭佐和子さんがすすめる「遠征読書旅」。
 しっかりした読書の時間を確保するために、ちょっと遠くへ電車旅をすすめているもの。
 こういう読書の仕方は岡崎武志さんもすすめている。
 いわく、「こういう読書は、あとあとまで記憶に残ります。」
  
(2019/05/17 投稿)

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  昨日、井上一夫さんの
  『伝える人、永六輔』という本を
  紹介しました。
  そこには永六輔さんが岩波新書として出した
  9作の作品の創作のことが描かれていました。
  そこで、せっかくの機会なので
  最初の大ヒット作品『大往生』を
  再読してみようと
  読んでみました。
  あれだけ売れた本ですから
  皆さんのお家の本棚にも
  あるのではないかしらん。
  ぜひ、再読をオススメします。
  ちっとも古びていませんよ。
  最後にこの本の名言から抜粋します。

    子供叱るな/来た道だもの
    年寄り笑うな/行く道だもの。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  本は大往生しません                   

 岩波新書のイメージを変えたとまでいわれた永六輔さんのこの本は、累計売上部数が250万冊になろうとしている。
 初版の発行が1994年3月で、この年だけで190万冊を超えたというのだから驚く。
 この本の「まえがき」に「このところ「死」についての出版、映画、シンポジウムなどなどあいついで、「死」の商品化が目立っている」とある。
 繰り返して書くが、この本が出たのは25年も前のことだ。社会の高齢化は現在の方が数段上がっているはずだ。
 熟年の性生活を盛んに記事にしていた週刊誌は、今や死の手続き関連の記事で覆い尽くされている。
 そのような記事を読む前に、だったらこの新書をもう一度読むべきではないか。
 つまり、この新書は発行された1994年よりも今の方がより求められているように感じるのだが、どうだろう。

 もっともこの作品はタイトルこそ『大往生』とはなっているが、「死に方講座」ではない。
 本文にもあるが「死に方ってのは、生き方です」、つまり「生き方講座」なのだ。
 上手に死ぬこと、それはつまり巧く生きることなんだろう。

 この本は「老い」「病い」「死」「仲間」そして「父」の5つの章で構成されている。
 最初の3つの章は永さんが得意とした無名の人たちの何気ない言葉から採集された名言が並んでいる。
 25年経っても、言葉が古びていないのがいい。
 きっと今の若い人にも、かつて若かった人にも感銘を与えることだろう。

 この新書がもう一度ベストセラーになるといいのだけれど。
 忘れさられるには、もったいない。
  
(2019/05/16 投稿)

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  マルチタレントだった
  永六輔さんが亡くなったのは
  2016年7月7日。
  あれだけ活躍された人ですから
  没後もっと追悼本が出てもおかしくないのに
  あまり見かけません。
  そんな時見つけたのが
  井上一夫さんの
  『伝える人、永六輔』。
  井上一夫さんは
  元岩波書店に勤務されていて
  永六輔さんの担当編集者でした。
  なので、この本は
  永六輔さんの岩波新書の制作裏話のような趣きがありますが
  永六輔さんの魅力が
  少しでもわかるのではないかしら。

  じゃあ、読もう。  

  

sai.wingpen  昔、ラジオに夢中になったことがあった                   

 テレビ放映が始まったのが昭和28年(1953年)だから、昭和30年生まれの私にとっては生まれた時からテレビが、といっても自宅でテレビを見られるようになるのは昭和30年代の半ば過ぎだったが、ともにあったといっていい。
 昔はテレビっ子という呼び方もあったぐらいで、ラジオという媒体はあまりなじみがない。
 そんな私の生活にラジオが深く関わった時期がある。
 それが高校から大学にかけての深夜放送だ。
 時代は昭和40年代だ。

 永六輔さんはよくラジオの人といわれる。
 決してラジオという媒体だけにかかわったわけではなく、テレビの黎明期には永さんも深く関係していたはずだ。
 私の個人的なラジオ時代、永さんは尺貫法復権運動に熱心だった頃で、永さんの話はよく耳にした。
 とにかく永さんの話はとてもわかりやすく、永さんの大ベストセラー新書『大往生』の刊行に関わったこの本の著者である岩波書店の井上一夫さんがいわれるように「伝える人」という印象は確かにあった。

 「伝える」ということにも関係するが、永さんはよく聞く人でもあったのではないだろうか。
 だから、永さんが岩波新書として残した9冊の著作の柱となるのが、普通の人たちのさりげない、しかし重い、言葉の数々になったと思う。
 聞く、そして記憶し、それを伝える。
 永六輔という人はそれに長けていたといえる。

 この本は永六輔さんの軌跡をすべて記したものではない。
 9冊の岩波新書をつくるにあたって、永さんが見せた横顔だ。しかし、そこには間違いなく「伝える人」永六輔がいる。
 久しぶりに永さんの、ちょっと高い声が聞きたくなった。
  
(2019/05/15 投稿)

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 大型連休明けの
 5月7日
 さいたま市の大宮図書館
 移転開館しました。
 新しい図書館は
 大宮区役所との複合施設で
 大宮氷川神社の長い参道の横にあります。

  20190510_102943_convert_20190511195848.jpg


 さいたま市には現在25の図書館がありますが
 今回の大宮図書館
 さいたま市の図書館初めての
 指定管理者が運営する図書館となります。
 運営するのは図書館流通センター(TRC)です。
 大きな組織では
 さいたま市の図書館の中に組み込まれますから
 予約であったり貸出であったりは
 他の図書館と同じです。
 大きく違うのは
 この図書館の開館時間と日数です。
 ここでは9時から21時半まで開館していて
 休日は特別整理期間のみだそうです。
 つまり、年中無休に近い運営です。
 図書館の開館時間とか休日のありようは
 利用者の要望は高いですが
 年中無休に近い状態まで必要かとも
 思います。
 図書館で働く人の働き方も今後の検討課題では
 ないでしょうか。

 そんな図書館なので
 さっそく見学に行ってきました。

  20190510_112700_convert_20190511200243.jpg

 区役所と図書館の併設というのは
 相性がよさそうです。

  20190510_103659_convert_20190511195935.jpg

 入り口にはこんなメッセージがありました。

    「にぎわいからハタラキを起こす」

     あなたは今、どんな物語を生きていますか?
    (中略)
    大宮だから、その物語は「にぎわい」から始めたい。
    ひとりも良いけれど独りでは寂しいし、
    働きも生まれません。
    「みんなで育てる、進化する図書館」


 「進化する図書館」というのがいいですね。

 この図書館では
 予約した本を独立したコーナーから
 利用者が取り出せるコーナーも
 初めて採用されています。
 他の人が間違って持っていかないか
 ちょっと心配になりますが
 きっとシステムでガードがかかっているのでしょうね。

 本を読む読書席も明るい窓際に並んでいて
 読書をするのは
 気持ち良さそうです。

  20190510_104928_convert_20190511200145.jpg

 いい図書館というのは
 そこに何時間もいたくなるようなところかもしれません。

  20190510_103816_convert_20190511200058.jpg


 児童書コーナーはもう少し広くとった方がよかったのではとか
 本が置かれている棚への案内表示とか
 少し気になる点もありましたが
 今後それらも改善されていくと思います。
 何しろ「進化する図書館」ですから。
 
 そして、私が一番期待するのは
 こういう民間が運営する図書館を参考にして
 他の図書館もどんどん「進化」してくれること。
 いい図書館がたくさんある街。
 さいたま市が
 そんな街になればいいと思います。

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 バラの綺麗な季節になってきました。

  20190511_140830_convert_20190511195743.jpg

    東京の夜景に薔薇を加へけり       櫂 未知子

 さいたま市の中央区は
 合併前の与野市の時代から
 バラの町を標ぼうしていて
 与野公園のバラだけでなく
 区役所前や駅前は
 バラが綺麗に咲き誇って
 初夏の訪れを感じます。

  20190511_140702_convert_20190511195636.jpg

 畑にもバラ科のものがあるのですが
 わかりますか?
 それが、これ。

  20190511_130243_convert_20190511195331.jpg

 イチゴ

    青春のすぎにしこゝろ苺喰ふ        水原 秋櫻子

 今年はイチゴが結構いい感じに採れています。
 イチゴはなんといっても
 かわいいですから
 人気が高い。

 収穫の話を続けると
 ミズナ小カブも収穫しました。

  20190511_130359_convert_20190511195513.jpg

 スナップエンドウもまだ収穫できています。
 ウスイエンドウ
 莢の中の実が太ってくるのを
 待っているところです。

 発芽の話をすると
 やっとサトイモの芽が出ました。

  20190511_103803_convert_20190511194951.jpg

 随分以前に植え付けたので
 もしかしたらダメかもしれないと
 心配していたのですが
 うれしい、うれしい。

 こちらは
 種から育てているキュウリの芽。

  20190511_110517_convert_20190511195122.jpg

 まだまだ油断できませんが
 一応ほっ。
 これは
 エダマメ

  20190511_110937_convert_20190511195240.jpg

 マメ科の発芽はとっても早いです。

 この日(5月11日)は
 トウモロコシの間引きもしました。

  20190511_102614_convert_20190511194813.jpg

 写真は間引き前のトウモロコシ
 かわいい花も紹介しておきます。

  20190511_102251_convert_20190511194702.jpg

 スイカの花です。
 ちなみにスイカは秋の季語ですから
 お間違いのないように。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は母の日
  『俳句歳時記 第五版 夏』の解説文に
  「カーネーションの花言葉は母の愛情」と
  あります。
  歳時記はなんと役に立つことでしょう。

    母の日のてのひらの味塩むすび      鷹羽 狩行

  おにぎりと母。
  誰にも思い出のある組み合わせですよね。
  絶妙な組み合わせといえば
  室井滋さんと長谷川義史さんもそう。
  いい絵本を
  たくさん出しています。
  今日紹介するのは
  『すきま地蔵』。
  この作品もいいですよ。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  「幸福の王子」というお話を憶えていますか                   

 女優の室井滋さんと絵本作家の長谷川義史さん。
 なんとも絶妙な取り合わせである。
 本業を離れたところでも音楽ライブ活動とかをしているとか。
 室井さんは当然女優が本業であるが、絵本の作家としてもすでに何冊も上梓している。
 絵は長谷川さんが描いているが、たぶん、長谷川さんも室井さんのことがよくわかっているから、絵も自然にのびのびしているように思える。
 絵本の文章を書く人がピッチャーなら、絵を描く人はキャッチャー。
 二人の息が合えば、完成した絵本もいい。

 この作品を読んで、昔読んだ『幸福の王子』という童話を思い出した。
 子供の頃に聞かされた人も多いと思うが、これはれっきとしたオスカー・ワイルドというアイルランドの作家による作品。
 町の真ん中に立つ王子の像から一羽のつばめがさまざまな用事を言い使って貧しい人とかを助けるお話。
 室井さんはこの「幸福の王子」に相当するのを四体の親子地蔵とした。
 しかも、このお地蔵さまはビルとビルの間に残された「すきま地蔵」。
 人間からそんな虐げを受けても、お地蔵さまは健気。
 東西南北、困っている人がいれば助けようとする。
 そのお手伝いを頼まれるのが、小学生の「ボク」。
 やっぱり困っている人を助けるお話というのは、心が温まっていい。

 このお地蔵さま親子は助けるだけでなく、「すきま地蔵」になっても地元の人たちから愛されているというのも、ほっこりさせる。
 室井さんと長谷川さんのコンビのよさは、そういうほっこり感のような気がする。
  
(2019/05/12 投稿)

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 村上春樹さんは1949年生まれですから
 もう70歳になるのですね。
 あの川端康成ノーベル文学賞を受賞したのが68歳の時で
 あの頃は随分おじいちゃんに見えたものですが
 その年を村上春樹さんは越えているのですから
 若い人たちの目が見れば
 おじいちゃんに見えるのでしょうか。

 どうしてそんな話から書き始めたかというと
 昨日出たばかりの
 総合誌「文藝春秋」6月号(文藝春秋・1000円)に
 村上春樹さんの特別寄稿
 「猫を棄てる - 父親について語るときに僕の語ること」が
 掲載されたからです。
 そこには、これは編集部が付けたのでしょうが
 「自らのルーツを初めて綴った」とあります。
 さっそく読んでみました。

  

 ページ数にして30枚足らず。
 もっともこれは「文藝春秋」の記事としては
 結構長いものではないでしょうか。
 冒頭で
 小学生だった村上さんが父親と一緒に
 タイトルのように「猫を棄てる」ところから
 始まります。
 結局この猫は何故か家に舞い戻ってきたのですが。

 その次の父親の記憶。
 毎朝仏壇めいたものにお経をあげる「おつとめ」の姿。
 村上さんの父親は
 京都のお寺の次男でした。
 1917年生まれで、20歳の時には軍隊に召集されます。
 所属した部隊にいる時中国で捕虜を処刑した経験が
 先ほどの「おつとめ」につながっているのかもしれません。
 そして、そのことを
 父親は小学生だった村上さんに語ったことがあったそうです。
 戦争が終わって
 父親は学校の国語の先生になります。
 不自由だった自分の青春期があったせいか
 息子の村上さんへの期待も大きかったようです。
 生徒から愛されるいい先生だった父親ですが
 村上さんとはうまく関係を結べなかったようで
 作家になってからも
 「二十年以上まったく顔を合せなかった」そうです。
 そして、
 父親が亡くなる少し前に
 「和解めいたもの」をしたと
 綴っています。

 父親を回顧したような、
 もちろん村上さんにはそんなつもりはないでしょうが
 このエッセイのことは
 昨日の朝日新聞にも
 大きく取り上げられていて
 記事にはこうありました。

   村上さんが自身の父を語ることは、これまでほとんどなかった。
   その戦争体験は小説にも投影されている。

 村上さんはエッセイの最後に
 「ひとりの平凡な人間の、ひとりの平凡な息子の話」と書いているが
 作家村上春樹の文学をひも解くという意味はあったとしても
 どんな父と子の間にも
 濃淡こそあれ
 一度は語りたい
 父がいるのかもしれない。

 70歳になった村上春樹さんだが
 やっぱり「僕」が似合います。

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プレゼント 書評こぼれ話

  いい作品に出合えると
  本が好きでよかったと
  実感できる。
  この本もそんな一冊だ。
  新聞記者であれば冷静に
  報道することに徹すべきかもしれないが
  この本、『南三陸日記』の著者
  三浦英之さんは
  しばしば涙を流す。
  泣くことで人間であり続ける、
  それは「報道」とは違うかもしれないが
  より「人間」らしくある。
  いい作品に出合えると
  自分も少し「人間」らしくなる。
  とってもいい本です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  私たちが向き合わないといけないこと                   

 文庫本のカバーのそでに記載された著者三浦英之氏の略歴には、2015年に受賞した第13回開高健ノンフィクション賞をはじめとして次々とノンフィクションの各賞を受賞していることが記されている。
 三浦氏は専業としてのノンフィクション作家ではない。
 今でも朝日新聞の記者である。
 そんな三浦氏がノンフィクション作家として事実に向き合う原点のような作品が、もしかしたらこの作品かもしれない。

 「南三陸」という地名で、しかも単行本が刊行されたのが2012年3月という日付で、このルポタージュが2011年3月11日に起こった東日本大震災に関するものだということがわかるだろう。
 三浦氏は地震のあとの5月、「がれきに埋もれた宮城県南三陸町」に新聞記者として赴任することになる。
 その赴任先で記者である三浦氏が「感じた日常の変化や人々の心の揺れ」などをコラムの形で綴ったのが、この作品である。

 そのなかで度々綴られているのが震災の6日前に結婚式をあげたものの震災で夫を亡くした女性の姿だ。
 彼女はしかも妊娠していて、2011年7月に女の子を出産する。
 単行本が出てから文庫本になるまで7年、この文庫本の表紙に写るかわいい女の子こそ、その時に誕生した子供なのだ。

 その女の子がじっと見つめるのはなんだろう。
 三浦氏は被災後の「南三陸」でこの女の子のような眼とどれだけ向き合ったことだろう。
 このコラムにはそんな視線がどのページにもある。
 その視線があるからこそ、三浦氏はノンフィクション作家として書き続けてきたのではないか。
 そんなことを思った。
  
(2019/05/10 投稿)

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  今日は昨日のつづき。
  埼玉県には三偉人と呼ばれる人がいます。
  まずはなんといっても
  お札の肖像にも選ばれた
  渋沢栄一
  二人目が初めての女医、荻野吟子
  三人目が国学者の塙保己一
  まあ地味とも言えますが
  そのあたりが埼玉県らしいところ。
  今日は
  城山三郎の『雄気堂々』の下巻
  70年代の城山三郎
  とても人気のある作家ですから
  私もよく読んだ作家の一人です。
  もう一度
  読み返したい作家でもありますが
  そんな作家が多くて困ります。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  城山三郎だから面白い渋沢栄一                   

 城山三郎が上下二巻にわたる「わが国屈指の実業家」渋沢栄一の伝記小説を執筆したのは1971年のことだ。
 『総会屋錦城』で第40回直木賞を受賞したのが1959年だが、70年代の城山といえば高度経済成長で加熱していた日本経済とともに最も脂の乗り切った時期かもしれない。
 その当時のサラリーマンの愛読書には必ず城山作品がはいっていたのではないだろうか。
 そんな城山が描いた渋沢だから、下巻にはいよいよ実業の海に乗り出していく姿が描かれていくことになる。

 実業家渋沢の姿だけでなく、下巻では誕生したばかりの明治政府の政治家の姿も活写されていく。
 そのうちの一人が大隈重信。新政府の役人に推挙されそれを断る渋沢に慰留をした人物である。
 その時の言い草が「われわれみんなが八百万の神々なのだ。きみも、その神々の中の一柱」と言われて感銘を受けることになる。(この挿話は上巻)
 あるいは、大久保利通とのこと。江藤新平の話。もちろん、西郷隆盛のことも描かれている。
 つまり渋沢が生きた時代はそんな「神々」が跋扈していたのだ。
 もちろん、渋沢も役人を辞めて後もそんな「神々」であったことは間違いないが。

 下巻で最も面白いのは渋沢とは対極にあった岩崎弥太郎との対談場面だろう。
 岩崎との考え方の違いを描くことで、渋沢の生き方も明確になる。
 これはその時の一節。
 「あらゆる人に、同じようにそれぞれとりえがあるという考えを、栄一はすてることができない。そのとりえを吸収し、結び合せてこそ、はじめて人生の大事を成就することができると思う」。
 渋沢にしろ岩崎にしろ、あるいは大隈といった政治家にしろ、そんな「神々」がいたからこそ、この国が現代にまで続いたのかもしれない。

  (2019/05/09 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  新元号「令和」が発表されて間もなく、
  今度は新紙幣のデザインは発表され
  話題となりました。
  1万円札には明治の実業家渋沢栄一が選ばれたので
  その人生をたどるべく
  城山三郎の名作『雄気堂々』を
  読んでみました。
  まずはその上巻
  渋沢栄一という人物については
  ある程度のことは知っていましたが
  結構あぶない若者でもあったことを
  この小説を読んで
  知りました。
  幕末の動乱期で
  志なかばで倒れていったものもいれば
  渋沢栄一のように
  たくましく生きた人物もいる。
  人生とは不思議なものです。
  明日は下巻を紹介します。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  お札になる顔とは                   

 経済小説というジャンルのパイオニアである城山三郎が1971年(昭和46年)に一年間に渡って毎日新聞に連載した新聞小説がこの作品の初出である。
 主人公は「わが国屈指の実業家渋沢栄一」で、連載時は「寒灯」と題されていた。
 連載の翌年には早くも単行本として刊行されるが、その際にこの「雄気堂々」という題名に改題されている。
 新聞連載前に城山は「渋沢栄一という人間の内側にはいいて、実人生をつぶさに学んでいく小説」を目指したと書いている。

 渋沢栄一は1840年に埼玉県深谷市血洗島に生まれ、1931年11月に91歳で亡くなっている。
 城山のこの作品は伝記文学でもあるが、最初の妻である千代が亡くなる1882年までの人生を描いたものである。
 渋沢は城山がいうように「わが国屈指の実業家」であったが、生涯「武州血洗島の一農夫」を貫いたといわれる。
 今や渋沢は新しい一万円札の肖像画にも採用されるほど有名になったが、そんな渋沢のことをこの上巻の中で城山はこう描いている。
 「まる顔に太い鼻っ柱。下り目の眉。柔和な目は、右がやや小さい。そして右の口もとに、ガンを手術したくぼみがある」。

 そんな渋沢がどんな時代を生きた人であるかは生まれた年をみればいい。
 1840年は天保11年にあたる。つまり、時代はまさに激動の幕末から維新に移る頃である。
 この上巻では攘夷派の志士を目指すも運命の糸に操られるように幕臣の一人となり、徳川慶喜の弟の随員としてパリに留学、帰国後新政府の役人に迎えられるまでの半生を描いている。
 「一農夫」がいくら才覚があったとしても新政府の役人までにもなるのであるから、明治維新というのはそれだけでも面白い時代といえる。
  
(2019/05/08 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日が立夏
  暦の上では夏に入りました。
  なので、
  「歳時記」を開くと
  「立夏」の季語の傍題には
  「夏立つ」「夏に入る」「夏来る」「夏来」が
  あります。
  西東三鬼の有名な句

    おそるべき君等の乳房夏来る

  は、なので「立夏」の俳句です。
  今日は
  皇居から見た新緑の写真とともに
  『俳句歳時記 第五版 夏』を
  紹介します。

  20190504_120116_convert_20190506182951.jpg

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  歳時記も更衣                   

 季節が移るのに合わせて衣服を替えることを「衣替え」といいます。
 漢字で「更衣」とも書きます。
 五月の連休の間に、冬服から夏服にタンスを入れ替えた人も多いと思います。
 当然秋から冬にかけても入れ替えをするのですが、俳句の世界では「更衣」は夏の季語で、
 秋の衣替えは「後の更衣」となります。
 このあたりが俳句の面白さでしょうか。

 衣服だけでなく、手元の「歳時記」も立夏を過ぎれば「更衣」です。
 ちょっと涼し気な表紙画の「夏」に入れ替えです。
 角川ソフィア文庫の「俳句歳時記」は昨年第五版として改版されました。それに合わせて、文庫カバーも変わりました。夏の巻の表紙画はSOU-SOUさんの「夏至」。
 この第五版では、季語の見直しが大幅に行われるのとともに、作句上の注意を要する点などが解説の末尾に記されて、より使いやすいようになっています。

 冒頭の「更衣」でいえば、「もともとは和服の慣わしであった」と付け加えられています。
 もちろん最近では和服を着ることが少ないですから実感としては読み難いでしょうが、それを理解した上で読む(あるいは詠む)のでは、かなり雰囲気が違ってきます。

 歳時記というのは俳句を作る上で欠かせないものですが、手元において何がなく開くだけで、日常の生活に季節感が生まれてきます。
 それだけでもうれしいではないですか。
  
(2019/05/07 投稿)

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 今日は二十四節気のひとつ、
 立夏
 暦の上では今日から夏。

    竹筒に山の花挿す立夏かな     神尾 久美子

 この季節は一年中で一番
 樹々の緑がきれい。

  20190429_144940_convert_20190503123108.jpg

    新樹並びなさい写真撮りますよ    藤後 左右

 イチゴの実も夏の季語。

    ねむる手に苺の匂ふ子供かな    森賀 まり

 畑のイチゴもようやく赤くなってきました。

  20190502_105018_convert_20190503123739.jpg

 収穫までもう少しです。

 夏野菜の植え付けを先週行いましたが
 そのあと風が強くで
 せっかく植えたキュウリの苗から
 葉が何枚も飛ばされて
 かわいそうな姿に。

  20190502_101935_convert_20190503123516.jpg

 仕方がないので
 新しい苗に植え替えしました。

  20190502_103105_convert_20190503123642.jpg

 路地栽培はどうしても自然の影響を受けやすい。

 連休中は
 夏野菜の植え付け第二弾で
 トウガン(冬瓜)と黄スイカの苗を植えました。

  20190429_152534_convert_20190503123207.jpg

 右がトウガン、左が黄スイカです。
 こちらは水ナス万願寺トウガラシ

  20190429_152601_convert_20190503123313.jpg

 昨年おいしいのが出来たので
 今年も栽培することにしました。

 エダマメの種も蒔きました。

  20190429_154201_convert_20190503123415.jpg

 今年は二種類の品種で
 一つは早生ですから
 少し早く収穫できるそうです。

 これは収穫したスナップエンドウ

  20190502_174813_convert_20190503123840.jpg

 子供たちの行列みたいで
 かわいい。
 ウスイエンドウの実は
 まだあまりふくらんでいないので
 もう少し時間がかかるかな。

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  今日は こどもの日
  端午の節句でもあります。
  別名、菖蒲の節句で
  今もこの日には菖蒲湯にはいります。
  菖蒲湯も夏の季語になっています。

    菖蒲湯の沸くほどに澄みわたりけり      鷹羽 狩行

  こういう季節の風習は
  令和という新しい時代になっても
  残したいもの。
  こどもの日に
  素敵な絵本を紹介しようと
  図書館で探したのが
  中川ひろたかさん文、
  村上康成さん絵の
  『おおきくなるっていうことは』。
  ところが
  この絵本は2015年に読んでいて
  その時の書評がうまく書けていたので
  今日は再録書評にしました。
  おおきくなるっていうことではなく
  年をとっていくということは
  忘れ物が多くなるっていうことかもしれません。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  私もうんとおおきくなりましたが                   

 金子みすゞの詩に「もしも、母さんが叱らなきや、咲いたさくらのあの枝へ、ちよいとのぼつてみたいのよ。」で始まる「さくらの木」という作品があります。
 「もしも誰かがみつけなきゃ、ちょいとのぼつてみたいのよ。」で、終わります。
 春になって、ちょっと楽しい気持ちに弾む女の子の心情がわかる、詩です。
 春が来て、この女の子も少しだけ大きくなったのでしょう。

 この絵本にも、金子みすゞの詩のようなくだりがあります。
 「おおきくなるっていうことは まえよりたかいところにのぼれるってこと」。
 文は保育士の経験もある中川ひろたかさん。
 この文章には大きな松の木を高い枝に腰かけている男の子の絵がついています。
 絵は村上康成さん。この絵本全体がやさしいのは、村上さんの絵の魅力も大きい。
 ページをめくると、こうあります。
 「おおきくなるっていうことは たかいところからとびられるってこと」。
 もちろん、村上さんの絵は、高い木から飛び降りている男の子です。
 でも、「おおきくなるっていうことは」それだけでは、ありません。
 次のページで、中川さんはこう綴っています。
 「とびおりてもだいじょうぶかどうか かんがえられるってことも おおきくなるっていうこと」。
 金子みすゞの詩の女の子も、「もしも誰かがみつけなきゃ」さくらの木にのぼりたいと思ってはいますが、そうはしない。
 のぼらなくても、彼女は遠い町のようすが見えるだけ、大きくなっているのです。

 人は毎年ひとつずつ大きくなります。
 背丈が伸びるのは若い時だけですが、生きていくという経験が人をいつまでも大きくします。
 中川さんは、こう結んでいます。
 「おおきくなるっていうことは じぶんよりちいさいひとがおおきくなるってこと」「おおきくなるっていうことは ちいさなひとにやさしくなれるってこと」。
 幼稚園でしょうか、やさしそうな園長先生が子どもたちにそう話しかけています。
 でも、それは子どもたちだけではありません。
 みんながみんな、「おおきくなるっていうことは」、どういうことかを考えるということです。
  
(2015/04/05 投稿)

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 今日はみどりの日という祝日。
 平成19年からゴールデンウィーク中の
 この日となりました。
 「歳時記」を開くと
 傍題に「植樹祭」ともあります。

    祝辞みな未来のことや植樹祭      田川 飛旅子

 連休期間中の祝日は
 「歳時記」でいえば「行事」の項に並びますが
 明日の「こどもの日」はもう
 「歳時記 夏」に入っています。
 そして、
 明後日6日が立夏
 いよいよ夏の到来です。

 こうしてみると
 毎日に季節が感じられる
 そんな時間があるのは幸せですね。
 そんな時間の中で
 スッと俳句が浮かんでくればいいのですが
 これがなかなか。
 4月から「NHK俳句」を毎週日曜の朝
 視聴するようにしましたが
 投句される皆さんのお上手なこと。
 そうそう、
 めざすは入選! でした。

 ということで
 「NHK俳句」5月号(NHK出版・648円)を
 購入しました。

  

 この号では
 とじ込み付録として
 「大きな文字の言い換え一覧」が
 ついています。
 「言い換え」とはどういうことかというと
 例えば、蝸牛(かたつむり)。
 これだと五音ですが、
 同じ意味で「ででむし」だと四音、
 「でんでんむし」だと六音になりますよね。
 こういう言い換えをうまく使って
 俳句を詠むと世界が広がるというもの。
 なので、
 たくさんの言葉を知っているのも
 俳句上達の一歩です。
 それにこの付録の
 「大きな文字」というのがありがたい。

 この雑誌はNHKのテキストですが
 いろいろな記事があって
 テキストというより
 俳句雑誌としても充実しています。
 たくさんの記事の中でも
 せめて片山由美子さんの「巻頭名句」は
 おさえておきたいところ。
 5月号の「巻頭名句」から一句。

     新緑の香に新緑の風を待つ    稲畑 汀子

 読んで納得の一句ですね。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は憲法記念日

    憲法記念日天気あやしくなりにけり      大庭 雄三

  昨日、東京・荒川の
  ゆいの森あらかわのことを書きましたが
  そこには吉村昭記念文学館があって
  吉村昭さんの原稿とか創作ノート、
  生前執筆していた書斎など
  作家記念館としてもりっぱなものです。
  現在は「吉村昭と俳句」という
  企画展も開催しています。
  順番に見ていくと
  その最後には
  奥さんである津村節子さんのコーナーもあります。
  今日はそんな吉村昭さんでなく
  奥さんの津村節子さんの芥川賞受賞作
  『玩具』を紹介します。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  この作品で描かれた夫は吉村昭がモデルかな                   

 第53回芥川賞受賞作。(1965年)
 100枚に満たない短編で、しかも当時の選評を読むとかなり厳しい評価である。
 この前の回が「受賞作なし」で、石川達三委員などは「もし前回に受賞作があったら、「玩具」は当選にならなかったと思う」と、身も蓋もない。
 津村さんは受賞はしたけれど、夫の吉村昭さん同様、芥川賞とは馬が合わないのかもしれない。
 吉村さんもそうだが、津村さんもその後の活躍を見ると、津村さんが賞にふさわしいと評価した選考委員の慧眼はさすがだ。

 この作品に登場する夫は作家志望というだけでなく、結核で肋骨をとるという手術までしたところは実生活の夫である吉村昭さんを彷彿とさせる。
 吉村さんがこの作品の夫のように小動物を「玩具」のように愛したかどうかは知らないが、骨へのこだわりは実際でもそうで、吉村さんの初期作品には骨を題材にした秀作が多い。
 妊娠中の妻はそんな夫に手を焼きながらも遠くで珍しい骨だけで泳ぐ魚がいることを聞いて、つい夫に行ってみればと勧めている。
 男にわがままに従うだけの妻に見えながら、いざ出産となれば途方に暮れる夫を抱きとめるぐらいは訳ない。
 「玩具」とは妻にとっての夫の存在だったのかもしれない。

 井上靖選考委員の「夫婦間の心理的機微を描いて、この作者はいささかの危気もない」という評は、この作品だけでなく、これ以後の津村吉村夫妻の生活全般を指してもいあるようで、さすがだ。
  
(2019/05/03 投稿)

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 東京・荒川に
 「ゆいの森あらかわ」という複合施設が出来たのは
 平成29年の3月のこと。
 その年の5月、
 最寄りの駅の町屋駅周辺のバラがとっても綺麗だったことを
 今でも覚えています、
 初めて訪問して
 図書館の充実、吉村昭記念文学館の素晴らしさに
 魅了されました。

 その翌年の平成30年5月に
 荒川区では
 ノンフィクション作家である柳田邦男氏が委員長になって
 「読書を愛するまち・あらかわ」宣言をしました。
 今回、その宣言から
 一年になることを記念して
 4月22日から6月2日まで
 絵本作家のいせひでこさんの
 絵本原画展「その朝はとくべつな一日のはじまりだった。」
 開催されています。

  20190430_110608_convert_20190430140607.jpg

 そして、その関連イベントで
 いせひでこさんの講演会が
 大型連休が始まって間もない
 4月28日に開催されたので
 行ってきました。

  20190428_115740_convert_20190430140520.jpg

 まさにこの日は
 私にとって「とくべつな一日」になりました。

 講演の前に
 まず原画展を拝見。
 今回の原画展では
 名作『ルリユールおじさん』『あの路』と
 『木のあかちゃんズ』、
 そして、東日本大震災のあと被災地で出会った
 流木を描いたキャンパス作品
 「未完の物語」が
 展示されています。
 なんといっても
 『ルリユールおじさん』で描かれた
 あのごつごつとした無骨だけど
 生きてきた時間を感じさせる
 職人の手の原画を見られてことに
 感動しました。
 あの手に出会いたかった。

 この日行われたいせひでこさんの講演
 「絵本―とくべつな一日、とくべつな路」の中で
 この『ルリユールおじさん』創作秘話を
 たっぷり聞きました。
 いせさんはパリの裏路地で
 偶然ルリユールの工房を見つけて
 取材を申し込むことになります。
 その時のことを
 こう記しています。

     特別な一日はどこにでも用意されている。
    窓の前で本を持って立ち止まったソフィーは私自身の姿だ。
    足を止めた時から、特別の物語は誰にでも始まるのだと思う。

    「もうひとつのものがたりは 何もないところにあった」

 その講演会には
 ご主人でもあるノンフィクション作家の柳田邦男さんも
 聴衆の一人として参加。
 いせさんは
 絵本に出て来る少女のようにかわいくて
 時折ユーモアを交えながら話す様子も
 素敵でした。
 いせさんに影響を与えたのは
 『長くつ下のピッピ』、『くまのプーさん』、『星の王子さま』だそうです。
 確かに今は
 ピッピのように奔放で自由ですが
 子供の頃は教育熱心なお母さま、
 何しろその頃出版されたばかりの谷川俊太郎さんの
 処女詩集『二十億光年の孤独』を読んで聞かせたそうですから
 驚きます、
 そんなお母さまに隠れて
 絵に逃げ込んでいたような女の子だったようです。
 そんないせさんが
 6才までが大事だと話されていました。
 そして、
 色々な作品、特に今回展示されている作品を中心に
 その時々の絵に込めて思いを
 語ってくれました。

 そして、最後に
 
    言葉を知らない幼い子供であっても
    絵を読む力はある

 だから、6才までは絵本で育てて欲しい

    絵本は子供を育てる

 と、力を込めて話されていました。

 あっという間の2時間。
 しかも、参加者には
 写真のような素敵なポストカードのプレゼントまで。

  20190430_111157_convert_20190430140654.jpg

 いせひでこさんの原画と講演が聞けて
 やはりこの日は
 とくべつでした。

 それにしても
 ゆいの森あらかわの素敵なこと。
 こんな図書館がそばにあれば
 きっと毎日が
 とくべつな一日なんだろうな。

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