09/30/2019 バッタ飛ぶ - わたしの菜園日記(9月28日)

今日はこの写真から。

28日の土曜日、
畑で見つけたバッタです。
もちろん、秋の季語で
「歳時記」には
「細長い体で淡緑色。「はたはた」という異名もある」と
出ていますが、
「はたはた」にはなじみがありません。
しづかなる力満ちゆき螇蚸とぶ 加藤 楸邨
「螇蚸」はバッタの漢字表記。

これはミニハクサイ。

結構いい感じで大きくなっているのですが
やはり害虫が出てきます。
ハクサイのように結球野菜は
葉と葉の間に隠れるようにしていますので
害虫を駆除するのも大変で
ピンセットを使って
取り除いたりします。


間引きしたものは
サラダとかでいただきます。


葉が大きくなって
なんだかわからない写真になってしまいました。
最初4粒種を蒔いたダイコンも
ここまで大きくなったので
ひとつのマルチ穴に1本にしました。
これから太く、長く
育てていきます。


ニンジンは葉に特長がありますね。

今日はなんだか
秋色にはほど遠い
緑ばかりの写真になりましたね。

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09/29/2019 あきいろおさんぽ(村上 康成):書評「絵本で季節を感じるということ」

みなさんはどういう時に
秋を感じますか。
今年はまだ例年より暑い日が続いていますが
街のあちらこちらで
彩りが濃くなってきたような気がします。
栗の色、
柿の色、
葡萄の色、
お芋の色、
こうして並べると
ほうら、秋を感じませんか。
今日の絵本も
そんな秋を感じる一冊、
村上康成さんの『あきいろおさんぽ』を
紹介します。
秋を見つけに
散歩するのもいいですね。
じゃあ、読もう。

角川文庫の『俳句歳時記 第五版』の「序」の冒頭に「季語には、日本文化のエッセンスが詰まっている」とあります。
つまり、ここでいう日本文化とは四季を愛で、季節を感じる心と考えればいいのではないかと思います。
地球温暖化で少し崩れかかってきているのではと危惧しますが、それでも日本には春夏秋冬という四季がはっきりしていて、そういう四季がもたらす情緒を大切にしているのは、しかし、俳句の世界だけではありません。
子どもたちが読む絵本の世界にも、四季を感じます。
絵本も四季から生まれる日本文化を大切に育んでいる創作といっていいと思います。
この絵本の作者村上康成さんは1955年生まれ。
小さい頃には魚釣りと絵を描くことばかりをしていたといいます。
アウトドアの魚釣りとインドアの絵。釣り合わないような感じがしますが、魚釣りをしながら季節を体感していたのではないでしょうか。
それが今の絵本づくりに生きているような気がします。
この絵本でいえば主人公のるるちゃんがどんぐりばやしでスカートいっぱい、どんぐりを拾っている姿や夕焼け空に飛び交う赤トンボとか、ページいっぱいに描かれていないけれど、その隅々に秋を感じます。
そういう体感って、やはり小さい時から自然のとなりにいないとわからないことかもしれません。
自然が少なくなっていますが、その分絵本の世界がそれを補っている。
この絵本を読んで、そんな気持ちになりました。
(2019/09/29 投稿)

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09/28/2019 ハイジが生まれた日(ちば かおり):再録書評「あなたは「ハイジ」が好きですか」

いよいよ今日
100作目となったNHK朝ドラ「なつぞら」が
最終回を迎えます。
このドラマのモデルとなっているのが
日本の女性アニメータの草分けといわれる
奥山玲子さんとはよくいわれています。
ドラマの中でも
あ、あの作品がモデルと思った人も
多かったと思います。
「白蛇伝」「狼少年ケン」「タイガーマスク」「ルパン三世」・・・
そして、「アルプスの少女ハイジ」。
そこで、今日は
2017年5月に紹介した
ちばかおりさんの『ハイジが生まれた日』を
再録書評で紹介します。
来週からの新朝ドラを楽しみにしつつ、
「なつぞら」の最終回を見ます。
じゃあ、読もう。

「アルプスの少女ハイジ」が放映されたのは、1974年1月6日。
それから40年以上経ってもまだTVCMに使われるなど人気がある。
どうして、このアニメが私たちを夢中にさせるのか、その問いを解き明かす一冊である。
アニメの歴史をたどるというだけでなく、仕事と人との関わりも描かれていて、良質のビジネス書としても読むことができる。
著者ちばかおりのこの作品を描いていくアプローチにはひとつの方法があった。
それは、アメリカの児童文学者であるスターリング・ノースのこんな言葉だ。
「歴史を語るには、有名だろうが無名だろうが、ある人の人生を語るのがいい」。
この言葉に誘発されてちばが選んだのが、「ハイジ」の生みの親ともいえるプロデューサー高橋茂人である。
「ハイジ」となれば誰もが高畑勲や宮崎駿を思い浮かべるだろうが、ちばは高橋の人生を語ることで「ハイジ」を描こうとした。
その時点でこの作品はちばの描く独自のノンフィクション作品になったといえる。
もちろん、アニメは一人の人間が作るものではない。
この作品では前半を高橋茂人、後半を高畑勲や宮崎駿といった製作者サイドから描いている。
アニメファン、「ハイジ」ファンにとっては、この後半はたまらないだろう。
アニメだけでなく、音楽や効果音、声優に至るまで、この一作がどれほど丁寧に作られていったかが克明に綴られていく。
「ハイジ」が今も愛される理由が、きっとあなたにもわかるだろう。
(2017/05/04 投稿)

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09/27/2019 新選組 最後の勇士たち(山本 音也):書評「時代に置いていかれた男」

今日紹介する
山本音也さんの
『新選組 最後の勇士たち』は
もともと『本懐に候』というタイトルでした。
文庫化されるに際して
タイトルの変更がされたのですが
私は元もタイトルの方が
いいように思います。
もちろん、主人公たちが
新選組の最後のメンバーですから
それを入れたいという気持ちはわかりますが
「最後の勇士」というのは
ちょっと違うような気がしました。
ちなみに
主人公の相馬主計は顔写真も残っている
実在の人物です。
じゃあ、読もう。

第10回舟橋聖一文学賞受賞作。(2016年)
幕末の京都の町を震撼させた新選組だが、何故か今でも人気が高い。
組織の中での裏切りとか謀略、粛清や脱退、なんとも無残であるが、案外そういう人間の弱さが現代人の心にも響くのかもしれない。
それに、この組織にいた人の個性の強さ。有名な名前を挙げれば、近藤勇、土方歳三、沖田総司、芹沢鴨といくつも並ぶ。
その多くは戊辰戦争などで命を亡くすが、そのうちの何人かは維新後も生き続けることになる。
この長編小説は、新選組の最後の隊長として名を残す相馬主計と、彼とともに箱館での土方歳三の最後を看取った安富才助、そしてその二人を知る、のちに土方の遺品を故郷の日野まで届けたとされる沢忠輔の三人の、維新のあとの生き様を描いている。
相馬と安富は箱館戦争のあと捕縛され、島流しの刑を受ける。相馬は箱館戦争の際に片腕をなくしたもののまだ強く生きようとするが、安富は流刑地の島で生きればいいと思うばかり。
そんな二人に赦免が出る。
東京と名前を変えた土地に戻った二人だが、新しい時代を生きようとした相馬は生きていくのがせいぜいで、時代に取り残されていく。
一方で、生きることを諦めたはずの安富には、その人材を惜しむ人の推挙で陸軍の関係の仕事が与えられる。
二人が相まみえる場面。相馬にとってはあまりにも残酷。
歴史書には相馬は「謎の自殺」を遂げたとあるが、山本の筆は相馬の心に宿した暗い影を追って、悲惨でもある。
(2019/09/27 投稿)

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09/26/2019 定年夫婦のトリセツ(黒川 伊保子):書評「私は家電じゃない、と言われる前に」

コーヒーショップなどで
ウエイトレスや新しく入ってきたお客に眼がいって
「私の話を聞いてるの!」と
叱られることが
しばしばあります。
私のよくない癖かと反省していたのですが
今日紹介する
黒川伊保子さんの『定年夫婦のトリセツ』に
そっくりな男性のことが
書かれていました。
それによると
男性の脳がそういう構造になっているのだそうです。
ではどうすればいいか。
壁際の席には座らないこと。
つまり、半径3メートルの外が見えないところに
坐ること。
これで一つ賢くなりました。
じゃあ、読もう。

言葉とは生き物だとつくづく思います。
この本のタイトルにある「トリセツ」、そんなに古くから使われている訳ではありません。
もともとは「取り扱い説明書」のことですが、もし、この本のタイトルが「定年夫婦の取り扱い説明書」だったり、同じ著者のベストセラー本『妻のトリセツ』が「妻の取り扱い説明書」だったら、私は家電じゃないわよと猛抗議を受けるでしょうが、「トリセツ」とするだけでなんだかオシャレぽく聞こえてしまうのも不思議です。
さて、この本で「取り扱い説明」の対象になっているのが「定年夫婦」。
最近は雇用延長、年金不足などで定年を何歳とするか議論が分かれますが、仮に65歳とした場合、人生100年時代、もし夫婦ともにそこまで生きたとすると、35年という長期に渡り、夫婦がともに時間を過ごすという事態に陥ってしまうことになります。
もうここま聞いただけで、「取り扱い説明書」がいると思ってしまいます。
そもそも男性と女性とは思考経路がどうも違うようです。
著者の黒川さんは脳科学の専門家だから、そちらの話が多くなっています。
この本の中で驚いたのが男性脳は「半径3メートルの外側が守備範囲」で、女性脳はその以内。
それだけ違うのですから、相手の話を自分の脳世界で受けてしまうとイライラ度が増すということになります。
そうか、相手の脳は自分と構造が違うのだと思うことで、円満な生活を営まれる訳です、
この本には夫婦それぞれがやってはいけない「禁則五箇条」が載っているので、こっそり読むのも円満の秘訣? かも。
(2019/09/26 投稿)

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09/25/2019 年表 昭和・平成史 新版(中村 政則・森 武麿 編):書評「「年表」は面白い」

開高健が生まれたのは
1930年で
来年2020年生誕90年となる。
亡くなったのが1989年で
今年2019年が没後30年。
1989年1月に元号が変わっているので
亡くなったのは平成になります。
それらの年がどんな年であったか、
そういう時に役立つのが
「年表」。
今日は珍しい本というか「年表」を
紹介します。
岩波ブックレットの一冊で
中村政則さん森武麿さん編の
『年表 昭和・平成史 新版』です。
お手元において
じっくり楽しんでみて下さい。
じゃあ、読もう。

「年表」を見る、あるいは読むのが好きだ。
その形は色々あるが、「年表」といいつつ論文や解説となっているものより、シンプルなものの方がいい。
その点、この本はいい。
激動の昭和から平成まで、西暦でいえば1926年から2019年までを「1年1頁」でまとめている。
1頁でおさまるはずもない年もあったであろうし、そんな例外の年がある。
その1つが1945年(昭和20年)、つまり終戦の年。
この年は8月14日までと、8月15日からとに分かれている。
もう一つの例外が1989年。
つまり、昭和の最後となった、といっても1月7日までだが、1989年と、平成となった1989年である。
もちろん、「1年1頁」だから、多くの情報がもれているのも仕方がない。
芥川直木賞などの文学賞やその年のベストセラー、あるいはヒット曲、プロ野球の優勝チーム、自分の好きな世界の情報がはいっていないとつらいが、どうしても気になるようであれば自ら書き加えればいい。
同じように、自分のこと。
「年表」があれば誰しも自分の生まれた年はどんな年であったか、まずは知りたいもの。
私であれば1955年(昭和30年)。いわゆる「神武景気」で、政治的には「55年体制」が始まった年でもある。
また、「東京で「原子力平和利用博覧会」、以後各地で開催(2年で約260万人来場)」と、この本には記載がある。
こうして読むと、やはり「年表」って面白い、って思いませんか。
(2019/09/25 投稿)

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09/24/2019 オーパ!(開高 健):書評「いつ読んでも、何度読んでも、オーパ!」

今日紹介するのは
今年没後30年になる
開高健の『オーパ!』。
もう何度読み返したことか。
そして、
この本を何度かめの再読をしていた
9月21日付の朝日新聞の書評欄の広告に
集英社の開高健の広告が出ていた。
それが、これ。

今年は没後30年で
来年は生誕90年。
つまり、
開高健 The Yearが始まります。
しかもこの広告には
今読める開高健の作品が
集英社以外も含めて掲載されていて
永久保存版まちがいなし。
じゃあ、読もう。

最近のワールドニュースで心配されるのが、アマゾンでの尽きることのない森林火災の問題だ。
アマゾンでの火災は以前から行われていて、1977年にアマゾンを訪れた作家開高健はその様子をこの本の中でこう記している。
「燃えつきたところでは黒焦げになってたったり、たおれたりしている無数の木の散乱が巨獣の集団墓地のように見えた。(中略)災厄の前兆宇としての業火なのか、豊産と健康のための浄火なのか、それとも業火にして浄火であるのか、私にはわからない」
それはまるで開高の予言でもあるかのようだ。
この作品はなかなか長編小説が書けないで倦んでいた開高がブラジルの友人からの誘いに歓喜し、自ら当時の「PLAYBOY」という雑誌の編集長の企画を持ち込み採用された、ブラジル・フィッシングの旅行記だ。
だから、トクナレやピラルクー、ドラドといった珍魚怪魚の釣果を目指し奮戦する姿は当然描かれるが、先の森林火災の記述のように文明批評の目はさすがに確かで、そのあたりはノンフィクション作家としての開高を見ることになる。
ブラジルの友人からの誘いの言葉に、開高の文体には「いい年をした大人衆をそそのかす要素があるらしい」という一文があったというが、まさに開高の文学を的確にとらえた評価といっていい。
この本にはどこを切ってもそんな魅力のある要素が盛り込まれている。
どこを読んでも、「オーパ!」(ブラジルで驚いたり感嘆したりする時口に出る言葉)なのである。
(2019/09/24 投稿)

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09/23/2019 秋を感じる頃 - わたしの菜園日記(9月22日)

お休みの人も多いと思います。
秋分や午後に約束ふたつほど 櫂 未知子
季節の変化は
気温だけでなく
空の色や雲の形で知ることができます。

あるいは
道端の花でも。
これは昨日紹介した甲斐信枝さんの絵本『ひがんばな』で出てきた
曼珠沙華。

むらがりていよいよ寂しひがんばな 日野 草城
最近は写真のような白い曼珠沙華も
多くみかけるようになりました。

順調に育っています。
これはミニハクサイと葉物野菜。

防虫ネットいっぱいに育ってきました。
こちらはダイコンとニンジンの畝。

防虫ネット越しでも
よく育っているのがわかります。
それに
キャベツと茎ブロッコリー。

よく似ている苗ですが
背の高い方が茎ブロッコリーです。


昨年のように大きくはないですが
そろそろ収穫時期が近づいてきている感じです。

これは畑で見つけた
コオロギ。

蟋蟀が深き地中を覗き込む 山口 誓子
山口誓子のこの句などは
実際のコオロギを見ないと詠めない作品です。

日はどんどん短くなってきます。
そんな季節の変化を
愉しめるのもまた
菜園のいいところです。

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09/22/2019 ひがんばな(甲斐 信枝):書評「「きつねのかんざし」ってどんな花?」

明日は秋分の日で
今は彼岸の最中。
俳句の世界では「彼岸」といえば
春の彼岸を指すので、
秋は「秋彼岸」といわなければなりません。
戻りたる家の暗さも秋彼岸 岡本 眸
この頃咲く花といえば
曼珠沙華。
別名、彼岸花。
その彼岸花を絵本にしたのが
今日紹介する
甲斐信枝さんの『ひがんばな』。
この絵本も「かがくのとも」の一冊です。
季節を感じる、いい絵本です。
じゃあ、読もう。

彼岸花は「歳時記」では季語「曼珠沙華」の傍題となっています。
「曼珠沙華どれも腹出し秩父の子」。
これは、昨年(2018年)亡くなった俳人金子兜太さんの句です。
この花は、「歳時記」にも「地方によってさまざまな呼び名がある」と書かれていますが、かがくのとも絵本の一冊である甲斐信枝さんのこの絵本にもたくさんの名前が紹介されています。
「きつねのかんざし」なんていうのはかわいいもので、「うちにもってくるとかじになる」なんていう名前もあるそうです。
この花の不思議なところは、必ず決まって秋のお彼岸の時に咲くということです。
それに、葉っぱも出さないで花が咲きます。
根はどうなっているかというと、球根。つまり、そこから「にょきにょき」と茎が伸びていくのです。
では、葉はないのかというと、花が枯れてから葉が茂るそうです。その時には赤い花を見ることがないので、それが彼岸花だったってわからないかもしれません。
そのあと、次の秋まで土の中で新しい球根を作ったりしています。
大人でも知らないことが、この絵本で丁寧に描かれています。
植物画に関しては定評のある甲斐さんですから、植物の本当が描かれているし、それでいて絵画としての魅力もあります。
山里に咲く彼岸花の群れの絵など、とても素敵です。
子どもだからこそ「本当」を教える大切さをこの絵本から感じます。
(2019/09/22 投稿)

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09/21/2019 落花狼藉(朝井 まかて):書評「夢の世界にござりますれば」

落語の世界には
吉原を描いた演目も多い。
その中のひとつ、
「木乃伊取り」は
吉原に出掛けたまま帰ってこない若旦那を
店のものが迎えていくが
逆に居ついてしまうというお噺。
それだけ吉原に魅力があったということだろう。
今日紹介するのは
そんな吉原を描いた
朝井まかてさんの『落花狼藉』。
朝井まかてさんの巧さが
随所に感じられる長編小説。
吉原に夢中になってしまう
男って
かわいいもんですな。
じゃあ、読もう。

時代小説や落語の世界ではおなじみの江戸の遊郭吉原。
男なら一度は行ってみたいと思ったという吉原がどのように生まれ、大きくなっていったのかを、吉原にある西田屋という大店の女将花仍(かよ)の眼を通して描いた、直木賞作家朝井まかてさんの長編小説である。
主人公の花仍は西田屋の主人甚右衛門に拾われ、その後妻として迎えられたが、勝気な性格は小さい頃から変わらず「鬼花仍」と呼ばれることもあった。
甚右衛門は町の顔役としてお公儀に色街としての公許をもらうべき奔走し、13年という歳月をかけてそれを実現していく。
花仍は亭主の傍らでそれを見、一方で若い太夫を育てるべく女将としての働きもする。
花仍が思いをいれて育てた若菜という娘は思いがけない妊娠で、出産とともに赤児を残して先立ってしまう。
その遺児鈴を育てる花仍たちに過酷な仕打ちが待ち受ける。
一つは御公儀からの転地の強硬、一つは明暦の大火。
まるで火事の火の粉が降る如く、花仍たちの運命を翻弄していく。
これはそんな運命にも負けない男と女の物語といっていい。
物語の終り、年老いた花仍の思いが綴られる。
「吉原は造り物の世界。虚実を取り混ぜてお見せする、夢の世界にござりますれば」。
この言葉の「吉原」を「小説」に置き換えれば、そっくりそれは作者である朝井まかてさんの決意のようにも思える。
タイトルの「落花狼藉」には、「花がばらばらと散る」という意味の他、「女性や子供に乱暴を働く」という意味もあるそうだ。
(2019/09/21 投稿)

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09/20/2019 ユーモアの発見(長 新太):書評「自分の中の子ども発見本」

最近長新太さんの絵本や
長新太さんが絵を描いた作品などが
続いたので
図書館で長新太さんの本を知らべると
1984年に岩波ジュニア新書に書いているのが
わかりました。
それが今日紹介する
『ユーモアの発見』。
岩波ジュニア新書って
まるで宝の宝庫みたいで
書き手もすごいし
その内容もわかりやすい。
ところで
この本には先日紹介した『おなら』という絵本の
原稿みたいな文章も
載っています。
じゃあ、読もう。

絵本作家の長新太さん(1927~2005)は「ナンセンスの神様」という異名で呼ばれることもあったそうです。
でも、中高生向けに書かれたこの本のタイトルでは、「ナンセンス」ではなく「ユーモア」が使われています。
「ナンセンス」は調べると「意味をなさないこと。無意味であること。ばかげていること。」と出てきます。一方、「ユーモア」は「思わず微笑させるような、上品で機知に富んだしゃれ。」とありますから、少し意味あいがちがいます。
それに、この本の中で長さんは「ユーモア」についてことさらに説明をしているのではありません。
世の中にある自然のことや生物、あるいは社会のこと(何しろ近代漫画の変遷などもあったりする)などが真面目に、しかし面白く書かれているだけで、そこから読者が「ユーモア」を「発見」する仕掛けになっています。(もちろん、そこに答えがあるわけではありません)
ただ、「まえがき」に説明らしい文章があります。
「子どもの言うことをバカバカしい、と思ったらオシマイである。(中略)子どものいいところをドンドンすてて、大人になる人が多い。もったいない話である。すぐれた大人は、子どものいいところを残して持っている。」
つまり、この本は中高生向きではありますが、大人の人にとってはどこまでまだ子どもの柔らかい頭が残っているかを試せるものにもなっているのです。
くすんと笑うと、ガハハと笑うか、それともどこが面白いのかわからないか、自分の中の子ども発見本にもなります。
(2019/09/20 投稿)

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09/19/2019 女生徒(太宰 治):書評「切なくて、涙が出そうになる」

太宰治の『女生徒』を
読むのは
何十年ぶりだろうか。
太宰治のたくさんの作品の中でも
この作品は
最初に読んだ印象と
再読した印象が違わない部類に
入るのではないだろうか。
今読んでも
いい。
暗い作品ではないけれど
太宰治らしい甘さがほどなく効いている。
この作品の巧さからいえば
太宰治はずるいくらい。
じゃあ、読もう。

昭和14年(1939年)に「文學界」に発表された太宰治の短編。文庫本で45ページほどの作品だが、太宰の晩年期の作品と違って、明るさがあり、太宰の多くの作品の中でも人気の高いものではないだろうか。
太宰がこの作品を書いたのは30歳あたりの頃で、太宰の読者であった一人の女性から送られてきた日記をもとに書かれたことは有名な逸話。
この作品の魅力はなんといっても、その流れるような文章力だろう。
「あさ、眼をさますときの気持ちは、面白い。」という書き出しから、実にテンポよく流れる。この作品を読んだことのある人は、こっそり声に出して読んでみたりしなかったか。
どこまで送られてきた日記が生かされているのか知らないが、主人公の14歳の女生徒が飼っている二匹の犬、そのうちの一匹が醜く、「可哀想で可哀想でたまらないから、わざと意地悪くしてやるのだ」といった心の状態など、いかにも太宰っぽい。
こういう天邪鬼的なところが太宰の魅力ともいえる。
その醜い犬が物語の最後、寝床についた彼女の、この短編は朝起きて夜眠るまでのわずか一日の話なのだ、耳に庭を歩く足音として登場する。
「カアは、可哀想。けさは、意地悪してやったけれど、あすは、かわいがってあげます。」と女生徒は思う。
この時、太宰も読者も醜く可哀想な犬なのかもしれないかわいがってくれる人があらわれるのを、ただ待っている、可哀想な犬なのだ。
(2019/09/19 投稿)

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09/18/2019 銀漢の賦(葉室 麟):書評「感動深く、大河の如く」

葉室麟さんの作品は
たくさん読んできましたが
それも直木賞を受賞した
『蜩ノ記』以降で
実はそれより以前の作品は
まだまだ未読のものもあって
葉室麟さんが亡くなって
さすがに新しい作品を読むことはなくなりましたが
まだ葉室麟さんの世界を堪能することは
しばらくできそうです。
今日は第14回松本清張賞を受賞した
『銀漢の賦』を紹介します。
その中の一節、
人の美しさは覚悟と心映えではないでしょうか
葉室麟さんらしい名文です。
じゃあ、読もう。

2017年12月、66歳の若さで急逝した葉室麟の作家生活は長くはない。
2005年に第29回歴史文学賞を受賞した『乾山晩愁』を実質的なデビューとすれば、わずか12年の執筆活動となる。
『蜩ノ記』で第146回直木賞を受賞したのが2012年だから、この作品がほぼ中間点ともいえる。
この受賞までに葉室の作品は何度も直木賞の候補になったが、落選を繰り返していた。
直木賞受賞に先立つ2007年に第14回松本清張賞を受賞したのが、この長編小説である。
この作品を読むと、すでに葉室にはその後の活躍を予感させるものが濃厚に立ち上ってくるのが実感できる。
文春文庫の解説を書いている文芸評論家の島内景二はその冒頭に「必ずや文学史に、その名を大きく刻まれるに違いない逸材」と記したが、今からすればまるで預言者のように言い当てたといえる。
物語は三人の男の友情を描いている。
二人が武士、もう一人は村の若者。三人はその身分の違いがありながらも、互いに尊敬しあい、互いの心を推し量ることができる友誼の心を持っていた。
しかし、成長するにしたがって、一人の男は家老職まで昇りつけ、もう一人の男は損な性格が災いしてか出世の道から取り残されている。そして、村の青年は村のために立ち上がるも武士の世界に阻まれて亡くなる。
その事件をきっかけに二人の武士の友情も壊れ、長い歳月が流れる。
物語は仲違いしていた二人の男の再会を果たすところから始まる。
藩を守るために自身を犠牲にしてまで戦おうとする男に、かつての友が手を差し出す。
これはそんな友情の物語なのだ。
ちなみに「銀漢」とは「天の川」をいう。
(2019/09/18 投稿)

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09/17/2019 続・ペコロスの母に会いに行く(岡野 雄一):書評「まだまだ「ペコロスの母」は続きそう」

昨日は敬老の日でしたが
そもそも敬老の日って
何歳からの人を敬うのかな。
調べると、
決まっているわけではなくて
「長寿を祝う日」となっているそうです。
まあ、高齢者と呼ばれる65歳からとするのが
いいのかな。
そうなれば、
いや俺はまだ若い、という人が出てきそうだけど。
でも、人間いずれみんな年をとっていくのですから
敬老もいいし
敬若だっていいのかも。
今日は
岡野雄一さんの『続・ペコロスの母に会いに行く』を
紹介します。
じゃあ、読もう。

この作品の前作にあたる『ペコロスの母に会いに行く』は介護漫画として話題となって、ベストセラーになったのが2012年。
その翌年には森崎東監督で映画化され、その年のキネマ旬報ベストワンに選ばれた。この映画で初主演となった赤木春恵さんは2018年秋に亡くなっている。
前作以後、『ペコロスの母の贈り物』とか『ペコロスの母の玉手箱』といったふうに、ペコロスシリーズともいえる漫画本が刊行されたので、まさか『ペコロスの母に会いに行く』の続編が出るとは思わなかった。先にあげた作品だって、続といえば続のように思えるし、この作品でもってあえて「続」ということもないような気もするが。
ところで、「ペコロス」というのは「小さなたまねぎ」のことで、この漫画から知った人も多かったのではないだろうか。
人はその人のことを覚えている限り亡くなったことにはならない、とよく言われる。
この作品の主人公である「ペコロスの母」みつえさんは前作ではグループホームでのほほえましいエピソードなどで私たちを笑わせ、みつえさんを介護する「ペコロス」雄一さんの姿に涙した人も多いだろう。
そのみつえさんは2014年91歳で亡くなっている。
この作品は今はいないみつえさんやその連れ合いの、なつかしいエピソードを描いたものだが、作者の岡野雄一さんの中では母はまだ生きているのだろう。だから、まるで昨日の日常が描かれているような錯覚に陥る。
そんな息子を持って「ペコロスの母」はあちらの世界で照れているのだろうか。それともあきれているだろうか。
(2019/09/17 投稿)

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09/16/2019 畑も台風の被害に - わたしの菜園日記(9月15日)

お休みの人も多いかと思います。
雀来て敬老の日の雨あがり 吉田 鴻司
先週の月曜未明に
関東を直撃した台風15号の影響が長びいて
被災地の皆さんはお休みどころではないでしょうね。
結構被害が大きくて
実は畑でも被害が出ました。
台風が過ぎ去ったあとの月曜のお昼過ぎ
畑に行くと
なんと冬瓜を育てていたネットが
倒れているではないですか。

奥では
サトイモも大きく傾いています。
仕方がないので
冬瓜はそのまま伐採しました。
サトイモは四方を麻ひもで囲って
起こしましたが
大きな葉はかわいそうに
ボロボロ。


冬瓜を育てていた畝を耕して
秋冬野菜の準備を始めました。

穴あきマルチで覆ったのは
ここにタマネギを植える予定です。
サトイモの横には
キャベツを二苗植えました。

植え付けの時期がよかったのか
順調に育っています。
これはミニハクサイ。

その手前にあるのが
モモノスケというカブ。
すっと皮がめくれるカブだそうですが
うまく育つでしょうか。
ダイコンもごらんのように
ここまでは順調。

出足はよくても
失速するかもしれません。
気をつけないと。

稲刈りが始まりました。
写真は刈った稲を乾燥させる稲架(はざ) 。

稲架も秋の季語です。
整然と神話の国の稲架の列 川崎 慶子

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09/15/2019 おなら(長 新太):書評「「さようおなら」って、よく言わなかった?」

「かがくのとも」創刊50周年を記念して
開催された
「あけてみよう かがくのとびら」展に行って
そこで見つけた
「かがくのとも」絵本の一冊が
今日紹介する
長新太さんの『おなら』。
こんな楽しい絵本を読んで
大きくなった子どもって
ユーモアのセンスが抜群な大人に
育っているような気がします。
それに
この絵本で科学の目が養われたとしたら
きっと素敵な大人になっていることでしょう。
じゃあ、読もう。

絵本『キャベツくん』などで知られる絵本作家長新太さんは「ナンセンスの神様」と呼ばれることもあったそうです。
絵も独特で、線のとぼけた感じ、はっきりとした色づかいなど、長新太さんの絵が大好きという人も多い。
そんな長さんが描いた「かがくのとも」の一冊が、この絵本。
表紙がゾウのでっかいおしりというのがすでにおかしくて、その表紙を開ければ「ぶおぉーん」って最初から大きなおならで始まります。
「ぞうの おならは おおきいぞ。」
これが最初の一文ですから、さすが長さんだけのことはあります。どこまで笑わせてくれるのか。
でも、さすがに「かがくのとも」だけあって、おならがどうやってできるか、どうしてくさいのか、ちゃんと説明されています。
例えば、一回に出るおならの量はどれくらいだとか(一回あたり100ミリリットルだそうです)、一日にどれくらいの量が出るかと、肉とか魚とか食べたあとのおならはくさく、だからライオンのおならはくさいそうで、おいもを食べるとたくさんおならが出ますが、それはあまり臭わないとか、子供だけでなく大人の人にも役に立ちます(?)。
そして、最後のページに書かれているのが、「さようおなら」、定番のギャグというのも笑わせてくれます。
(2019/09/15 投稿)

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09/14/2019 子どもに歯ごたえのある本を(石井 桃子):書評「石井桃子さんの声が聞こえてきそうな」

昨日石井桃子さんの
『幼ものがたり』を再読したので
今日は石井桃子さんの談話集と銘打たれた
『子どもに歯ごたえのある本を』を
紹介します。
この本が出たのは
2015年。
石井桃子さんが101歳で亡くなったのが
2008年ですから
没後もこうして本が出版されていたのですから
さすが石井桃子さんだけのことはありますね。
石井桃子さんが
日本の児童文学の世界に残された意義は
忘れてはいけないと思います。
じゃあ、読もう。

本のタイトルに「石井桃子談話集」と付いているが、収録されているのは3つの対談、それと2つのインタビュー、それと聞き書きが数篇、さらにエッセイという構成になっている。
本のタイトルはそのうちのエッセイのひとつから付けられている。
興味をひいたのは、石井桃子さんの対談やインタビューの相手である。
大江健三郎、吉田洋一(この人は1898年生まれの数学者で、『零の発見』の著者)、吉原幸子(この人は詩人)、この3人は対談相手。
インタビューしているのは、川本三郎と金井美恵子(金井さんは作家)の2人。
対談はどちらがホストでもゲストでもなく、攻守互いにせめぎ合うような形になるが、インタビューとなるとやはりゲストである、ここでいえば石井桃子さんの輪郭から本質に至るまでもいかに浮彫りにするかが問われることになる。
そのあたりはやはり川本三郎さんはうまく、「本との出会い・人との出会い」と題されたインタビューでは浦和の生まれた幼年時代から日本女子大での学生生活、その後の編集者の時代、そして戦争、東北での農業生活とうまく話が聞き出せている。
最後は1950年に岩波書店に戻って少年文庫の編集に携わるところで終わってしまうのが、少し物足りたく、残念ではあるが、石井さんが観た映画の話などさすが川本三郎さんだ。
聞き書きの中で「本を読む」とはどういうことかと聞かれた石井さんは、「そういうことを考えたことがないくらい、あって当たり前のこと」と答えている。
そういう人だから、本のこと、子供たちのこと、図書館のこと、をずっと考え続けてこられたのだろう。
(2019/09/14 投稿)

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09/13/2019 幼ものがたり(石井 桃子):再読書評「こんなに覚えていることにまずは圧倒されました」

先日、石井桃子の会が発行した
『石井桃子 in 浦和』という小冊子を
紹介しましたが
せっかくなので
そのもとになった
石井桃子さんの『幼ものがたり』を
読み返したので
今日は再読書評で紹介します。
石井桃子さんのこの作品では
4、5歳の自分が描かれていますが
さて
自分の記憶で一番古いのは
何だろうと考えました。
そういえば
幼稚園の前にあった噴水に
落っこちたことがあったな、
幼稚園の先生は確か森本先生という
女の先生ではなかっただろうか
そんなことぐらいしか
思い出せません。
石井桃子さんとは
だいぶちがいます。
じゃあ、読もう。

児童文学者の石井桃子さんが自身の「幼時の思い出」を綴ったこの作品が刊行されたのは1981年で、1907年生まれの石井さんが74歳の時でした。
「幼い子どもの心に残ったものであるから(中略)真偽の保証もできないようなもの」といいつつ、小学校に入るまでも、今でいえば3歳や4歳の記憶がこんなにも鮮やかに残っているというのはすごい。
石井さんは他のエッセイで、もし自分がもっと若かったら現在の自分にかまけて幼い自分を素直に見られなかったかもしれない、またもっと年をとっていたら、客観的に観察することなどできない。つまり、この時こそ幼い自分を振り返ってみられる「千載一遇のチャンス」と記している。(「幼時のためのお話」)
読んでいて感じるのは、幼い桃子のそばにじっと立って静かにその幼児を見つめている石井桃子さんであり、ありがたいことに私たち読者もそんな石井さんのそばで、幼い女の子を見られることだろう。
タイムマシーンはSF小説の産物かもしれないが、石井さんのこの自伝のようなお話はまさに時空を超えている。
石井桃子さんには一人の兄と四人の姉がいた。(ほかにも幼くして亡くなったきょうだいもいる)
それに祖父母、それに両親、そして「まあちゃん」という親戚の少し障害を持った青年とともに埼玉の浦和で北のはずれで暮らしていた。
彼ら石井さんの周辺の人たちを綴った「身近な人びと」の章は読み応えがある。
幼い子どもにとって、家族から得るところが大きいのだろう。
「身近な人びと」こそ、社会に開かれた窓だったにちがいない。
(2019/09/13 投稿)

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09/12/2019 ノーサイド・ゲーム(池井戸 潤):書評「安心して読めます、池井戸作品」

毎週日曜夜9時から
TBSで放映されているドラマの原作です。
いうまでもなく
池井戸潤さんの『ノーサイド・ゲーム』。
しかも、今週の日曜が最終回で
このタイミングで原作を読むかと
我ながら
少しはためらいもありましたが
やっぱりラストはどうなるのか気になって
先に読んじゃいました。
もちろん
ネタバレしませんよ。
こうなれば
早くドラマの最終回も見たい。
で、原作とドラマどちらがいいかというと
ドラマの方が
ラグビーの試合の面白さの分
有利かな。
じゃあ、読もう。

池井戸潤はこれまでにも企業スポーツを題材とした作品を発表してきた。
『ルーズヴェルト・ゲーム』では野球を、『陸王』では陸上を、そしてこの作品ではラグビーが描かれる。
主人公の君嶋隼人はトキワ自動車の本社経営戦略室で敏腕を振るう有望株であったが、ある買収案件で滝川常務に逆らったせいか、突然横浜工場の総務部長に異動発令が出る。
しかもこの総務部長はトキワ自動車が抱えるラグビーの社会人チームのゼネラルマネージャーを兼務することになっていた。
企業スポーツはほとんどの場合、その維持には膨大なコストがかかる。
しかし、チームをもつことで社員に会社への一体感を醸すことができたり、社会貢献にもなりうるから、必ずしもマイナス要素ばかりではない。
トキワ自動車のラグビー部の予算は16億円超、それがすべてコストになっているという。
君嶋は何故収益を生まない構造になっているのか、それを改善するにはどうすべきかを考え、改善策を実行していく。
このあたりはビジネスマンであれば読み応え十分だし、君嶋が左遷人事先でも裏に仕掛けられた会社のパワーゲームの全貌を明らかにしていく過程など、さすがに池井戸の筆は快調だ。
さらにこの作品にはラグビーの勝敗の行方が関係してくる。
野球やサッカーのような人気が幅広いわけではないラグビーを、それでも勝敗が気になるのはこのチームをまとめる君嶋のリーダーシップがどう活きていくかという見どころにもつながる。
おもしろく読んだ。
(2019/09/12 投稿)

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夏休みイベントを
昨日と今日で
報告していますが
今日は
埼玉県桶川にあるさいたま文学館で開催されていた
「絵本作家 飯野和好 おっと、とうげのなかまたちでぃ!」展のことを。


さいたま文学館で開催されたのは
飯野和好さんが埼玉県秩父郡長瀞の出身だからです。
飯野和好さんのあの独特な画風には
秩父の風土が影響しているのかもしれません。

若い頃デザイナーの勉強をされたことがあって
なんとあの女性誌「an・an」にもイラストを描いていたというのですから
驚きです。
今回の展覧会では
初期の絵本作品も展示されています。
この頃は今とは少しタッチが違います。
先日、本棚を整理していて
平成8年に出た角川文庫の宮沢賢治を見つけたのですが
その表紙絵が
なんと飯野和好さん。
宮沢賢治と飯野和好。
どこかでつながっているのかもしれません。
写真は本棚から見つけた
角川文庫です。


飯野和好さんの代表作ともいえる
『ねぎぼうずのあさたろう』の原画なども展示されています。
今回は
読書会のメンバー5人で行ったのですが
この読書会のメンバーに
飯野和好さんの大ファンがいて
私たちが飯野和好さんの作品をよく知る
きっかけを与えてくれたのも
その人のおかげ。
その人が読み語りしてくれた
飯野和好さんの絵本は
絶品でした。
今回その人は一緒に行けなかったのですが
行けたらもっと楽しい裏話を聞けたかもしれません。

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09/10/2019 「あけてみよう かがくのとびら」展に行ってきました - お手を拝借!

そろそろおしまいになる頃、
大慌てで
二つのイベントに行ってきました。
どちらも残念ながら
もう終わってしまっていますが
今日と明日
2回にその報告を書いておきます。

東京・千代田区にある@アーツ千代田3331で開催されていた
「あけてみよう かがくのとびら」展。

これは今年創刊50年になる
福音館書店の月刊絵本「かがくのとも」を記念して
開催されていた子供向けの科学展。


今まで刊行された600点の絵本の表紙が
迎えてくれます。

これだけでもすごい。

「しぜん」とか「からだ」とか「たべもの」とか「のりもの」とか
さまざまなジャンルを
今まで刊行されてきた「かがくのとも」の紹介とともに
子供たちが遊びながら興味が持てる
そんなふれあい展示になっています。



アリの視点でものがどんな風に見えるかだったり
夜を模した空間に
懐中電灯を持ってはいって夜の生物を様子を観察したり、
自分の心臓の音を聞いたりします。
子供に混じって
私も心臓の音を聞かせてもらったのですが
子供たちの音は元気にドクンドクンと聞こえていたのに
私の音は実になさけない。
何しろ60年以上動いてくれているのだから
仕方がないのですが。

長新太さんの『おなら』という絵本が
お見送りしてくれます。


会場の@アーツ千代田3331ですが
ここは元々区立練成中学校の校舎で
今はギャラリーとかオフィスとして活用されている
スペース。
3331は
皆さんよくやる手締めのリズムから
とられた名前だそうです。
きっと先日の日曜には
スタッフの皆さん、手締めをしたんでしょうね。
皆さん、お手を拝借。
よおっ、しゃしゃしゃん しゃしゃしゃん、しゃしゃしゃん、しゃん。
いい企画、ありがとうございました。

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09/09/2019 秋ナスは嫁に食わすなって本当? - わたしの菜園日記(9月8日)

更新剪定したナスに実がつきました。

いわゆる、秋ナス。
この茄子はもう秋茄子と申すべく 小西 昭夫
秋ナスには有名な言葉があります。
それが、
秋ナスは嫁に食わすな
です。
この言葉の意味には諸説あって
その一つが
「秋ナスはおいしいけれど、食べ過ぎると
体を冷やすから気をつけて」というもので
お嫁さんの身体を労わっての言葉というもの。
秋ナスはそれほどおいしいのだとか。

9月8日(日曜日)、

台風が近づいてきているので
ミニトマトを伐採しました。
風で倒れて
他のところに迷惑になっても困りますから。

ダイコンは順調に芽を出しました。

その隣で栽培しているニンジンは
少し大きくなっています。


順調に育っています。

去年はかなり苦労したハクサイですから
今年はなんとか収穫まで
もっていきたいもの。

これ、何だかわかりますか。

畑にいた人に聞くと
オケラだとか。
「おけら鳴く」という秋の季語がありますが
どれがオケラの鳴き声なのか
よくわかりません。

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09/08/2019 あなた(谷川 俊太郎/長 新太):書評「いい詩を読んだ気持ち」

今日は二十四節気のひとつ、
白露。
露が凝って白くなるという意味です。
姿見に一樹映りて白露かな 古賀 まり子
二学期が始まって
一週間が過ぎて
ようやく学校生活にまた慣れてきたそんなところでしょうか。
今日は
谷川俊太郎さん文、長新太さん絵の
『あなた』という絵本を紹介しますが
この絵本は
小学1年生2年生向けに編まれた一冊で
「ひとりで無理なく読める」というのが
編集側の思いです。
なので
できれば声に出して、
ひとりで読んでみて下さい。
きっと明日ともだちに話したくなりますよ。
じゃあ、読もう。

あ、これ、詩なんだ。
絵本の文みたいだけど。これは谷川俊太郎さんという詩人の「あなた」という詩なんだ。
だから、言葉を読んで、次から次へと読んで、その時々に「ドキン」としたりして。
それはこんな言葉。
「どんなわたしでも わたしは いつも わたし/どんなあなたでも あなたは いつまでも あなた」。
それから、
「いっしょにいると たのしい あなた/いなくなると さびしい あなた」。
詩っていいな、と思う。
言葉って乱暴にさわると壊れてしまいそうだから、そおっとそおっと。
そんな詩に絵を描くのって大変だろうな。
この絵本の、いえこの詩につけられた長新太さんの絵はきっと長さんが谷川さんの詩を読んで、心に感じたことが表現されているにちがいない。
もしかしたら、この詩に絵を描くとして、わたしならわたしの、あなたならあなたの絵ができるのではないか。
詩ってそういうことを否定はしない。
大きな声で賛成もしない。
そういうことがさも当然のような顔をしてそこに在るような気がする。
でもこうして詩と絵ができあがって、やっぱりこれは絵本なんだ。
ページをめくって、言葉を読んで絵を見て、誰かにこの絵本のことを話したくなる。
その相手は、きっと「あなた」だ。
(2019/09/08 投稿)

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09/07/2019 石井桃子 in 浦和(石井桃子の会):書評「石井桃子さんはここにいたんだなぁ」

今日紹介するのは
本というより小冊子。
価格ではなく頒価となっています。
200円。
浦和の本屋さんでは販売してるのですが。
残念ながら
書影がないので
表紙の部分を写真で。

さいたまの「石井桃子の会」が発行している
『石井桃子 in 浦和』。
偉大な児童文学者石井桃子さんの関連資料ですから
全国の図書館や学校図書館には
おいてほしいもの。
今度久しぶりに
石井桃子さんの『幼ものがたり』を
読み返してみるかな。
じゃあ、読もう。

「私の家は、中仙道に面していて、昔の浦和の宿の北のはずれにあった」。
これは児童文学者石井桃子さんが昭和56年に刊行した自伝『幼ものがたり』に出てくる一節です。
文章でもわかるように、石井さんは1907年埼玉県浦和(現さいたま市)に生まれました。
幼い頃の様子を鮮明な記憶のもと描かれたこの作品には、当時の浦和の様子などがうかがい知ることができます。
そんな浦和に今、石井さんの功績を顕彰する「石井桃子の会」があって、この小冊子は「石井桃子がこの土地に生まれ育ち、この土地とこの土地に住む人々を愛したこと、そして、当時の浦和は自然にあふれ、季節ごとの行事を大切に守る町であったことを活字で残したい」という会の人々の思いで出来ています。
わずか16ページばかりの小冊子ですが、石井桃子さんの幼年時代を知る手がかりになると思います。
そして、それは大人になってからの石井さんの児童文学や図書館活動の根本を知ることでもあります。
なんといっても目をひくのが、「『幼ものがたり』の頃の浦和」と題されたページです。
並木せつ子さんの手で、当時の浦和の地図が再現され、それに『幼ものがたり』の記述を重ねていきます。
その地図で石井さんの生家の場所がおおよそわかりますが、それは今の京浜東北線の浦和駅と北浦和駅の中間あたりです。
今は線路を大きな陸橋が跨っていますが、当時は大踏切があったと、石井さんは書いています。
石井さんが通った学校の古い写真などが図版として載っていて、そういう写真を見ていると子どもの桃子ちゃんとふと出会いそうな、そんな気持ちになったりします。
石井さんと浦和の関係を知る、貴重な一冊です。
(2019/09/07 投稿)

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09/06/2019 こいしいたべもの(森下 典子):書評「ホットケーキに魅かれて」

ジャケ買いというのは
「レコード、本などの商品の内容を全く知らない状態で、
店頭などで見かけたパッケージデザインから
好印象を受けたということを動機として購入すること」
ということですが、
まさに今日紹介する
森下典子さんの『こいしいたべもの』は
ジャケ読みの一冊です。
こんなにおいしそうなホットケーキを見せられて
手が出ないなんて
私には無理。
ちなみに森下典子さんは
1956年生まれで
ほとんど私と同世代。
同世代ゆえの共感というか
同じ風景を見てきたものが
作品にも垣間見えて
好きだな。
じゃあ、読もう。

食べ物は口で味わうということはわかっていますが、それだけではありません。
目で見て、鼻で匂いを嗅いで、音で聞いて味わうこともあります。
しかも、目で見るのはリアル映像画像でなくても、画であってもおいしさは滲んできます。エッセイストの森下典子さんの文庫オリジナルとなるこの作品の表紙を見ているだけで、ホットケーキの甘い匂いは切った時の弾力などを感じます。
食べ物エッセイのこの作品を読みたいと思ったのは、表紙のホットケーキがあまりにおいしそうだったから。
そんなおいしそうな食べ物の画がこの本のなかにはぎっしり詰まっています。
鎌倉名物鳩サブレー、桃饅頭、桜餅、カレーライス、コロッケパン、クリーム白玉あんみつ、芋きん、峠の釜めし、…、まだまだ…。
味わうということは文章を読むことでもできるということが、森下さんのエッセイでわかります。
桜餅の文章を引用してみます。
「口に入れると、プチッと葉が破れ、薄皮の弾力の中から、よく晒した餡子の甘さが現れる。葉っぱが破れるブチブチという食感に、上品な餡の甘さと、塩気のきいた葉の香りが混ざり合う。」
この文章を読んで、桜餅を食べたいと思わない人はいないのではないだろうか。
分が食べた桜餅の体験が森下さんの文章で再現される。
文章でおいしさを味わえるなんて最高だ。
画で見て、文章を読んで、満腹になることはなくても、「おいしかった」とは口に出ることまちがいなしの一冊です。
(2019/09/06 投稿)

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09/05/2019 本は読んだらすぐアウトプットする!(斎藤 孝):書評「これは「ビジネス本」に入るかな」

斎藤孝さんといえば
『声に出して読みたい日本語』を皮切りに
次々とベストセラーを出している先生ですが
今日紹介する
『本は読んだらすぐアウトプットする!』の
著者略歴に
「著書発行部数は1000万部を超える」とあって
驚きました。
斎藤孝さんの著作をきっかけに
古典や文学
あるいは本全般が好きになったという
読者も多いのでしょうね。
この本も
「書く」「話す」「伝える」力が
いっきにつく55の読書の技法
という副題がついているくらいですから
参考になる技法が盛りだくさん。
さっそく「アウトプット」してみては。
じゃあ、読もう。

講演する人に昔聞いた話ですがが、聴衆が老若男女幅広い層というのが一番やりにくいといいます。
同じ志向の人であればそちらの方向で話ができるが、志向が違えば話が多方面になって収拾がつきにくいのでしょう。
本をどう読むか、さらには副題にあるように「書く」「話す」「伝える」力がいっきにつくというこの本の場合、著者は読者をどう設定したのだろう。
その答えは冒頭に出てきます。
よく読む本の傾向を尋ねるページが最初にあって、「ビジネス本」をよく読む人は「自分の能力を伸ばして仕事に役立てよう」とするタイプで読んだ本をスキルに変えることを、「小説・漫画」をよく読む人には、読んだ内容を忘れない方法を学べるとあります。
つまりは、どちらのタイプでも大丈夫だというわけですが、文章のトーンはどちらかといえばビジネス志向。文章の端々に「仕事でうまくいくには」的な書き方があります。
なので、この本は本好きの人というよりは「ビジネス本」に近いように思います。
目次を読むと、さらによくわかります。
「伝える力」「引用力」「雑談力」「文章力」「スキルアップ」「リーダーシップ」などの項目名が並んで、「ビジネス本」でよく見かけるような構成になっています。
斎藤孝さんが親切なのはそれらの項目の時々で、本の紹介が入ること。それらの本のほとんどが古典というのもいいし、「ビジネス本」もカバーしているのも、想定した読者向けの選択です。
読書をどう仕事に生かすか、そんな「ビジネス本」と割り切って読むのがいいと思います。
(2019/09/05 投稿)

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09/04/2019 鬼畜(松本 清張):書評「今でも「鬼畜」はあとをたたない」

松本清張は生まれたのが1909年で
今年生誕110年になります。
もう一人、
生誕110年になった文豪といえば
太宰治。
松本清張がデビューした時には
もう太宰治は亡くなっていたので
二人には直接的な関係はありません。
しかも
作品の傾向はまったく違いますが
二人とも短編小説の巧い書き手でした。
今日は
松本清張の短編の中から
「鬼畜」を紹介します。
そういえば、この短編、
太宰治の「桜桃」の中の一節、
子供より親が大事、と思いたい。
みたいな短編です。
じゃあ、読もう。

昭和32年(1957年)に「別冊文藝春秋」に発表された、文庫本のページで50ページほどの短編である。
発表から20年ばかり経った1978年に野村芳太郎監督(脚本は井出雅人)で映画化され、主人公の小心な男を緒形拳が演じてその年の男優賞を総なめした。
この映画で作品を知っている人は多いだろうが、原作もいい。
短篇だが、濃厚。
読み物としての深みが凝縮されている。
短くても物語の面白さや怖さは十分に伝わるのだということがよくわかる。
主人公の宗吉は30過ぎまで各地の印刷屋を転々とする渡りの印刷工だったが、腕がいいことや真面目な性分でこつこつと金を貯め、自分の印刷所を持つようになる。
27歳の時に結婚したが、その妻お梅は気性の勝った女だった。
二人には子供がいなかった。その分、お梅も共に働いて、自営の印刷所は繁盛していく。
そうなればなったで、本来小心な宗吉もついはめが外れて、料理屋の女中と関係を持ってしまう。
その女菊代との間に子供まで出来たが、商売がうまくいっていることで、妻にばれないまま八年の年月が過ぎる。
最初に出来た子が男の子で、次に女の子、さらには生まれたばかりの男の子と、三人の子供が出来たところで、宗吉の商売がうまくいかなくなる。
生活に困った菊代は三人の子供を宗吉に押し付け、失踪。
もちろんお梅はそんな子供をやっかいばらいしようとする。
末っ子が栄養失調で亡くなったのを皮切りに、幼い女の子を捨て、さらには上の男の子までも殺そうとする宗吉。
「鬼畜」というのは子供を殺そうとしたり捨てたりする親のことだが、この物語が発表されて半世紀以上経っても「鬼畜」はあとをたたない。
そういう点では松本清張が描いたのは未来小説であったのかもしれない。
(2019/09/04 投稿)

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09/03/2019 雑誌を歩く - 「NHK俳句」9月号 : 番組とテキストのちがい

9月の放送講座が始まった「NHK俳句」ですが
そのテキストである「NHK俳句」9月号(NHK出版・648円)を
今日は歩いてみます。

まずあるのが
「9月の放送講座」という記事。
一昨日の宇多喜代子さんの回から
順番に掲載されていますが
番組で先生たちが話すことが載っているわけではありません。
むしろ、全く違います。
例えば、宇多喜代子さんの場合
今年度のテーマが「昭和のくらしと俳句」なので
毎回宇多喜代子さんご自身が愛用していた
昭和の道具などが紹介されます。
一昨日の番組では
昔よく使われていた籾殻などが登場。
お見舞いの品として
生卵をもっていったことや
その際に割れないように籾殻をひきつめていたことなどが
話されていました。
一方テキストでは
兼題となった「厄日」のことなどが
説明されています。
俳句の勉強という点では
このテキストの方が役立つかもしれません。
他の講師の場合もそうです。

暦でいう「厄日」とは二百十日、二百二十日のこと。
「歳時記」には「二百十日」が季語として出ていて
「厄日」はその傍題となっています。
その頃にやってくるのが「台風」。
宇多喜代子さんは今回の一句はその「台風」から。
お隣の瓦がここに台風禍 宇多 喜代子

名句と呼ばれるものがどれくらい
載っているのかわかりませんが
なんといっても
片山由美子さん選の「巻頭名句」は
おさえておきたいもの。
今月であれば
秋の航一大紺円盤の中 中村 草田男
これはかなり有名。
こんな句も。
臥して見る子規忌の草の高さかな 南 うみを
子規忌はもちろん正岡子規の忌日。
9月19日です。
9月号らしい、俳句です。

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09/02/2019 ダイコンの種を蒔きました - わたしの菜園日記(8月31日)

今時分が冬野菜の種の蒔き時。
俳句の季語に「秋蒔」というのもあります。
この季語は「歳時記」の中の「生活」の部に分類されていて
私たちの生活の根差していることが
わかります。
「大根蒔く」はその傍題のひとつ。
大根をきのふ蒔きたる在所かな 大峯 あきら

8月最後の日にダイコンの種を蒔きました。

今回は3品種。
青首ダイコン、紅芯ダイコン、それと聖護院カブ。
写真奥の3カ所には青首ダイコンを蒔きました。
その真ん中に筒のようにあるのが
長いダイコンを収穫しようと
土を塔のようにしてそこに種を蒔きました。
さて、うまくいくかはお楽しみ。
ちなみに、あれは大きなペットボトルを利用しています。

これはキャベツ(右)と茎ブロッコリー(左)。

どちらもアブラナ科ですから、
よく似た苗です。
これはミニハクサイ。

となりにはミズナとかチンゲンサイとかの葉物野菜の種を
播きました。

全体の様子です。

まだナスとかピーマンが残っていますが
今月中にはそれらも伐採撤去です。

以前アヤ井アキコさんの『もぐらはすごい』という絵本を
このブログで紹介しましたが
その絵本にでてくる「もぐらづか」を見つけました。

こんもりしているのが「もぐらづか」。
もう一枚、

畝から畝に中央を走っているのが
もぐらの通ったあと。
きっとミミズなんかが多いのでしょうね。

ニラの花です。

そろそろ咲きかけ。

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09/01/2019 関東大震災(吉村 昭):書評「天災は忘れた頃にやってくる」

今日は震災記念日。
いうまでもなく関東大震災が起こった日です。
江東にまた帰り住み震災忌 大橋 越央子
大正12年のことですから
あれから96年になります。
その震災を描いたのが
吉村昭の『関東大震災』。
教科書的に大きな被害のことや
朝鮮人への虐待や大杉栄事件などを知っていましたが
この本を読んで戦慄させられました。
あの時のことを忘れないためにも
この本は欠かせない一冊だと思います。
今日の書評タイトルは
寺田寅彦の言葉として伝わっている名言です。
じゃあ、読もう。

大正12年(1923年)9月1日午前11時58分。
相模湾を震源とする大規模な地震が関東地方を襲った。のちに「関東大震災」と呼ばれることになる大災害である。
これは吉村昭がこの震災をもとに手がけた記録文学である。
吉村は昭和47年から48年にかけてこれを執筆、その年この作品などの一連の執筆により第21回菊池寛賞を受賞している。
文学としてこの作品の評価が高いのは、構成の巧さであろう。
冒頭にこの大地震にさかのぼる大正4年に関東で発生した群発地震の模様を描く。一見あまり関係のないような挿話で始めて、これが地震学者間の対立となって続く。
一方は近い期間での大きな地震とそれによる被害の大きさ、一方はまだまだ大きな地震が来ないという。しかも、もし地震があったとしても「道路もひろく消防器機も改良されている」から江戸時代のような大災害にはならないという説。
しかし、実際にはそれは気休めに過ぎなかった。
関東大震災の犠牲者は10万とも20万ともいわれる。
吉村は時に当時の人たちの証言を織り込みながら、冷静に沈着に被害の模様を描いていく。
特に当時の東京市の死者の半分以上の3万人以上がそこで亡くなったという本所被服廠跡での痛ましい状況である。
さらに、吉村はこの大震災がもたらした朝鮮人への暴力や大杉栄事件を描いていく。
あるいは犯罪の多発についても、吉村は冷静に見つめる。
関東大震災は自然災害としての被害も大きかったが「人心の混乱」も目を覆いたくなる災害であった。
あれから96年が経った令和という新しい時代にあって、私たちは大きな災害にあっても冷静に向き合えるか。
少なくともこの本を自戒ふくめて読んでおく必要があるように思う。
(2019/09/01 投稿)

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