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プレゼント 書評こぼれ話

  今回の芥川賞
  第162回でしたが
  さて前回の受賞作はとすぐには思い出せず
  記憶に残っているのは
  第158回の若竹千佐子さんの
  『おらおらでひとりいぐも』まで
  とんでいきました。
  今回の受賞作
  古川真人さんの『背高泡立草』も
  覚えていられる自信はありません。
  それにしても
  もう少し、いいタイトルを
  つけられなかったのかな。
  昔石原慎太郎さんが何かの新人賞の選評で
  タイトルにも神経をそそぐように
  言っていたことを
  思い出します。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  賞は授けるためにあるのであって                   

 第162回芥川賞受賞作。(2020年)
 正直これが令和という新しい時代の新しい(新人という意味ほどの)作品だろうかと感じた。
 選評を読んでも、選考委員のこの作品に対する熱を感じない。
 小川洋子委員が「最初の投票のあと、議論を重ねてゆく中で」この作品が「不思議な静けさをたたえて浮上」と書いているが、それは選考会の気分ということなのだろうか。
 あるいは、島田雅彦委員の「今回は危うく受賞作なしになりそうだったが、賞は授けるためにあるのであって」という意見はそうなのだろうか。
 今回の選評の中で松浦寿輝委員の「結局はただわからぬまま書いているように見える」は過酷だが、今は亡き中上健次との比較はそのとおりであろう。
 つまり、中上の作品と比べて、この作品は「いかにもフラット」とある。

 この作品は長崎平戸の小さな島を舞台に、現在と過去が交互に描かれる手法を取っている。
 つまりはその土地が持っている地の縁が描かれているのだが、現在の時制で描かれる草刈りをする家族のありさまが何も浮かんでこないのだ。
 むしろ彼らはこの土地の地霊ともいえる過去の人々を呼び戻すための巫女たちだったのだろうか。
 読んでいる途中で、中上健次の作品との既視感が出てきて、中上の芥川賞受賞作を再読したくなったりしたのは、ある意味、この作品のありようと皮肉にもリンクしているようであった。

  確かに「賞は授けるためにあるのであ」るかもしれないが、それだけでいいのだろうか。
  
(2020/03/04 投稿)

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