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プレゼント 書評こぼれ話

  今1本の映画が封切られています。
  新型コロナウイルスの影響で
  映画館に行くのがためらわれて
  観ずにいます。
  映画のタイトルは「Fukushima50 フクシマフィフティ」です。
  原作は門田隆将さんの『死の淵を見た男』。
  3月4日の朝日新聞
  作家の池澤夏樹さんが連載エッセイ「終わりと始まり」で
  この映画を観た感想を
  載せています。
  「役者がうまいこともあるけれど、
  実際こうだったのだろうと思わせるリアリティーがある」としながらも
  2号炉が決定的に壊れなかった
  その説明がなかったと書いています。
  「偶然のおかげで」「この国そのものがかろうじて生還したのだ
  「我々はそれを忘却している
  安心してこの映画を観られるのは
  いつになるのか。
  今日は2018年に書いたものを
  再録書評で。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  あの日あの場所で戦い続けた人たちの物語                   

 泣いてはいけない、そう思っていた。
 この作品、2011年3月11日に起こった東日本大震災をきっかけにして起こった福島第一原子力発電所の事故とその危機迫る現場で何が起こっていたかを描いたノンフィクション作品は、原子力エネルギー政策に走ったこの国の政治と多くのことを利益優先で怠った東京電力という大企業が為した結果を冷静に読まないといけないと思いつつも、全22章の最後の3つの章、「家族」「七千羽の折鶴」「運命を背負った男」に至ると、もう涙が止まらなかった。
 人災とまでいわれる原発事故。あれから7年の歳月が過ぎても故郷に帰れない多くの避難者がいる現実。あれだけの事故があってもまだ原子力はこの国の重要なエネルギー源であり、経済の資源であり続けている。
 そういう批判の描き方はさまざまあるだろうが、この作品で描かれているのは原発事故の「悲劇の実態」だけではない。
 その「悲劇」に命をかけて挑んだ人たちの物語がここにある。

 あの日刻々で変化していく福島第一原発はまるで悪魔の生き物であった。
 それに挑んだ吉田昌郎氏(彼はこの時所長という立場で現場を指導。しかし、この本が刊行されたあと、2013年7月、58歳で死去)をはじめとした東電の社員、協力会社の人たち、自衛隊の隊員たち、彼らは死の恐怖に直面しながらも、必死になって最大規模の事故だけは防ごうとした。
 その思いを著者の門田氏は「何か」と書いた。
 「それが使命感なのか、責任感なのか、それとも、家族と故郷を守ろうとする強い思いなのか」、それでも表現できない「何か」。
その「何か」は福島第一原発だけではない。
 東日本大震災に直面した多くの日本人の心に宿った、「何か」だったと思う。
  
(2018/03/10 投稿)

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