05/31/2020 図書館の話をしましょう

緊急事態宣言が解除となった
5月27日の朝日新聞「天声人語」に
図書館のことが取り上げられていました。
その中の一文。
貸し出しは始まったものの、閲覧室がまだ使えないところも多い。
じっくりと集中できる場所としての役割を果たすのは、もう少し先になるか。
そして、こう締めくくっています。
あの静けさも、あの豊かさも、図書館の得がたい日常である。

きっとたくさんの人が図書館の再開を待っていたと思います。
そこで今日は
さいたま市の図書館の話をしましょう。

先週の25日から予約本の受付と貸し出しを再開しました。
そして、
いよいよ明日6月1日(一部の図書館は2日になりますが)から
入館して書架から本を貸し出すことができるようになります。
但し、入館時間は一人30分ということですから
ゆっくり書架を歩くというのはできないかも。
先の「天声人語」でも
「書棚で何となく目についた本」といった図書館ならではの
本との出会いは何よりも代えがたいと
書かれていました。
だから、書架を歩けるようになっただけでも
大きな前進です。

利用時間は90分と制限されますが
閲覧席の利用もできるようになります。

まったく元の図書館に戻るのは
なかなか難しいですし、
感染第2波が起これば
これらの再開の手順も
見直しされるかもしれません。

貸し出す本や返却された本の消毒は
行うようですから
利用者である私たちも
決められたルールに従って
予防に努めたいと思います。

多くのところで少しずつ
新しい日常が始まります。
六月を奇麗な風の吹くことよ 正岡 子規
子規の句にあるように
奇麗な風の吹く
六月であることを願って。

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先日
福島の老舗百貨店中合(なかごう)が
8月末で閉店するというニュースが
はいってきました。
創業146年といいますから
どれだけ福島の皆さんにとっては
なくてはならない百貨店だったと思います。
一時期この百貨店にお世話になったことがあります。
もう10年以上前になります。
その当時も
福島の皆さんが中合をどんなに愛しているのかを
ひしひしを感じたものです。
今日紹介する村上春樹さんの
『ランゲルハンス島の午後』というエッセイ集は
昭和60年頃に書かれたものですが、
その中に「デパートの四季」というエッセイがあります。
そこで村上春樹さんは
すいているデパートはどことなく植物園に似ている。
と書いています。
そのわけは、「微妙な季節感が味わえる」からだと。
そして、その最後にこう綴っています。
デパートについてはまだまだ発掘するべき可能性が
遺されているように僕には感じられる。
この文章は書かれて30年以上経って
もしかしたらデパートは「発掘するべき可能性」を
見つけられなかったのかもしれません。
でも、デパートにあった季節感は
いつまでも心に残ります。
中合さん、長い間お疲れさまでした。
そして、ありがとうございました。

ある作家のファンになると、その人の書いた作品を全部読みたくなるものだ。
だから、その作家の作家歴というか、書いてきたどの時点でファンになるというのが結構重要になってくる。
よく「同時代」作家という言い方をするが、そういう作家の場合、本が出る都度読んできたはずだから、作家の作家歴と共に歩んだことになる。
村上春樹さんの場合だ。
村上さんが『風の歌を聴け』で作家デビューしたのが1979年。もう40年以上前になる。
その年に生まれた人が村上さんの作品を読み始めた時にはすでに村上さんはたくさんの小説やエッセイを発表していたことになる。
ましては、『騎士団長殺し』からファンになった人にとっては、読む作品に困らないくらいたくさんある。
安西水丸さんのイラストが素敵なこのエッセイ集の場合、雑誌連載が1984年からで、単行本になったのが昭和61年、新潮文庫に入ったのが平成2年、そして今読むとして令和の時代。
なんと三つの時代をスイスイと泳いでいることになる。
平成生まれの人にとって、村上さんの本といっても、昭和のエッセイになる。
でも、「同時代」作家の村上さんを読んできた者としては、この頃の村上さんのエッセイ(そして、安西水丸さんのイラスト)はとっても面白い。それにおしゃれ。
爽やかな風を感じる文章は、平成の時代に読んでも心地いい。
村上さんの新しい読者にも必ず読んで欲しいエッセイ集である。
(2020/05/30 投稿)

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05/29/2020 旅のつばくろ(沢木 耕太郎):書評「年老いた者よ、旅に出よう」

新型コロナウイルスの影響で
図書館が休館になっている間に
沢木耕太郎さんの新刊が
何冊も刊行されていました。
ようやく
図書館が予約本の配本を再開してくれたおかげで
やっと読めるようになります。
今回がその1冊め、
『旅のつばくろ』という
旅行記。
「つばくろ」というのは
燕のこと。
この本の中の一節。
後悔なしに人生を送ることなどできない。
たぶん、後悔も人生なのだ。
うーん、さすが沢木耕太郎さん。
しびれます。
じゃあ、読もう。

先日新聞に小さなインタビュー記事が出ていた。
そこにはあるホテルマンが、実際にはその人は女性だったからホテルウーマンというべきだろうが、どのようなきっかけでその業界に進んだかということが書かれていて、彼女は沢木耕太郎さんの『深夜特急』を読んで旅の面白さに誘われたと答えていた。
まだ若い女性だったから、沢木さんのこの本が出たばかりの頃ではなく、文庫本になってからの読者かもしれないが、一冊の本との出会いがその人の人生の行く末を照らすことも確かにあるのだと、思い知らされた。
『深夜特急』は沢木耕太郎さんが二十代の時に香港からインド、そしてユーラシアの街々を旅した旅行記だが、1986年に刊行以来、今でも若い人には人気があるという。
その旅からほぼ半世紀を経て、沢木さんが「ただその土地を歩きたいために行くという旅」をしてこなかったという日本国内の旅を綴ったのが、この本だ。
東日本への旅が多くなっているのは、もともとがJR東日本が発行している「トランヴェ-ル」という雑誌に連載されたものだから、仕方ないかもしれない。
ただ二十代の時の旅と今回のそれが決定的に違うのは、過去の自分と向き合う頻度が圧倒的に多くなったことだろう。
さすがに沢木さんも70歳を過ぎて、旅の本質が変わって当然だろう。
かつて自分を育ててくれた先輩や友達のこと、何者かになろうと悩んでいた若き日の自身、今回の旅はそんな自分との向き合う旅だ。
この旅行記を読んで若い読者は新しい旅をめざさないかもしれないが、まだまだジーンズの似合うシニアたちは旅の支度を始めるのではないだろうか。
(2020/05/29 投稿)

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05/28/2020 青列車の秘密(アガサ・クリスティー):書評「ポアロの登場シーンが素敵」

今日は
アガサ・クリスティーの
『青列車の秘密』。
エルキュール・ポアロものです。
ポアロっていう人物は
名探偵で有名ですが
実際会ったら
ちょっと嫌な男かもしれません。
何しろ
自慢ばかりしている、
そんな鼻もちならないところが
ありますから。
この作品でも
随所にポアロの自画自賛が
出てきます。
いつもの
霜月蒼さんの
『アガサ・クリスティー完全攻略』では
この作品の評価は
★★★。
うーん、私はもう少し高いかな。
じゃあ、読もう。

この作品は1928年に発表された、エルキュール・ポアロものの一作。
原題は「The Mystery of the Blue Train」で、版によっては『青列車の秘密』とか『ブルートレイン殺人事件』とかいくつかのタイトルが混在しているようだ。
間違って別々の作品だと手を出さないようにしないと。
「Mystery」を「殺人事件」と訳すのはかなり意訳だと思うが、気分的にはこちらの方が判りやすい。
リヴィエラ行きの豪華特急列車「ブルートレイン」の車中で「殺人事件」が起き、それを偶然乗り合わせていたポアロがその犯人を見つけるという「Mystery」には違いないのだから。
事件はこうだ。
アメリカの大富豪の娘ルースは結婚が破綻し、離婚をしようとしている。
その彼女が「ブルートレイン」で殺されてしまう。しかも、父親があげた大きなルビーも盗まれてしまう。
その列車にはルースの夫だけでなく、彼の愛人であるダンサーも乗っていた。
さらに、ルースが向かっていたのは彼女の愛人というから、怪しい人ばかりだ。
ルースが殺される直前に彼女の悩みを聞いていたキャサリンという女性だけがまっとうで、ポアロは彼女と組んで事件を解決することになる。
キャサリンとポアロが初めて出会った時、彼女は探偵小説を読んでいた。
ポアロ、「探偵小説はなぜ、読まれるのでしょう?」
キャサリン、「探偵小説を読むと、平凡な人間でも刺激に富んだ生活をしているような気がする」
さて、あなたならなんと答えるでしょうか。
(2020/05/28 投稿)

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05/27/2020 なんとなくな日々(川上 弘美):書評「コロナの時代に「なんとなく」」

新型コロナウイルス感染防止の
緊急事態宣言が
全国で解除になりました。
どこかの知事が言っていましたが
このことで
コロナウイルスが消えた訳ではないということを
忘れてはいけません。
油断をすれば
あっという間に感染がまた広がります。
そのことを意識しながら
新しいwith コロナの時代を
過ごすことが大事なんでしょうね。
今日は
川上弘美さんのエッセイ集
『なんとなくな日々』を
紹介します。
2001年の本ですが
何故今この本を紹介したのかは
書評を読んでみて下さい。
じゃあ、読もう。

2001年3月に岩波書店から刊行された、川上弘美さんのエッセイ集。
川上さんといえば1996年に『蛇を踏む』で第115回芥川賞を受賞しているが、まだまだこの時点では新進気鋭の作家というところだろうか。
しかも、表題作でもある「なんとなくな日々」は1998年から数年川上さんにとって初めての長期連載となったエッセイだという。
岩波書店といえば、なんとなく格式の高い出版社のように感じていて、なかなか新人の作家がここから本を出版するのは難しいという雰囲気がないでもない。
川上弘美さんは今では芥川賞選考委員まで務める作家になっているから、岩波書店の当時の担当さんは随分しっかりした目を持っていたものだと感心する。
このエッセイ集、主となるのはもちろん表題作の「なんとなくな日々」で、全25回の短いエッセイでできている。
その1回めの書き出しがいい。
「なんとなく、連載をはじめることになった。このエッセイのことである。」
川上弘美さんはこのエッセイのあと、今に至るまで多くのエッセイを書いているが、そのなんともいえない「のたり感」は、実はエッセイを書き始めた最初から持っていたようだ。
こういう人のことを「天然」(これはいい意味で使っている)というのかもしれない。
世の中がいろんなことで混乱をしているような時、川上さんのこの「なんとなく」感は大事かもしれない。
情報化が進み、顔を知らない人にも罵声や暴力がふるわれる時代に、もう一度このエッセイ集を読めば「なんとなく」ほっとするような気もする。
(2020/05/27 投稿)

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05/26/2020 ひとりメシ超入門(東海林 さだお):書評「新しい時代のサバイバル本・・・かも」

今日紹介するのは
東海林さだおさんの
『ひとりメシ超入門』。
これはあの「丸かじり」シリーズから
40編を選びだして構成した新書です。
この中では
色々なお店が登場してきます。
実名入りのものもありますが
中に「ひきこもりラーメン」という話があります。
仕切りのあるスペースで
ラーメンを食するというお店。
この回には実名がないのですが
これってどう読んでも
あの有名ラーメン店「一蘭」でしょ。
コロナ時代を先取りしたような
お店です。
ちなみに
「一蘭」のHPでは
「味集中カウンター」となっています。
じゃあ、読もう。

新型コロナウイルスの感染予防対策で休業を余儀なくされて、今街の飲食店は苦境に立たされています。
緊急事態宣言が解除されたのちも、飲食店では席の間隔を取るであったり、できるだけ横に坐ってもらい対面を避けるなどの対策が求められます。
相席や大皿での提供も避けるようにするというのもあります。
食事はできれば大勢の人と楽しくしたい。
美味しいものを食するだけでなく、人と楽しくおしゃべりするのも、食事の楽しみですが、新しい食事の楽しみ方をつくらないといけない。
まさかそんな時代を見越した訳ではないでしょうが、(この本が出たのは2020年2月)、これからは「ひとりメシ」をもっと楽しむのがいいかもしれません。
東海林さだおさんといえば、漫画家であるとともに食のエッセイストとしても、今やレジェンド。
あの「丸かじり」シリーズは1987年の連載開始から今でも続くご長寿エッセイになっていて、この本ではその膨大な中から「ひとりメシ」ネタを40編収録しています。
中でも私が抱腹絶倒、大笑いしたのが、「うどん屋の地獄」という話。
ある日、ショージ先生、ひとりで某うどんチェーンのお店に入ったところ、四人掛けの席に案内されます。この時、お店は八分の入り。
ところが、次第に込みだして待ちのお客さんがずらり。
こんな時に限って、四人掛けの席で一人のショージ先生が注文したのが、熱い熱いけんちんうどん。
待ちのお客さんの冷たい視線であたふたする様子がもう「地獄」。
きっとこういう事態も、新しいコロナとの共存時代には当たり前になるのかな。
(2020/05/26 投稿)

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05/25/2020 ジャガイモの花 - わたしの菜園日記(5月24日)

緊急事態宣言が
今日にでも解除されるかどうか。
解除されても
コロナウイルスがなくなったわけではないので
すっかり元の生活に戻りません。
そんな中、
気がつけば田んぼの田植えが始まっていました。

こういう景色を見ると
早くいつもの生活に戻って欲しいと
思います。

ジャガイモの花。

じゃがいもの花の三角四角かな 波多野 爽波
この花、何かの花に似ていると思いませんか。
そう、ナスの花によく似ています。
それというのも
ジャガイモはナス科の野菜ですから。
ただ私の畑のジャガイモはまだ花がつきません。
これは近くの畝で
撮らせてもらいました。

5月24日の日曜日、
ピーマンの苗を植えました。

この畝は
右から水ナス、ピーマン、そしてミニトマト。
ミニトマトは別の畝で育てている苗の
わき芽を挿し木にして植えました。
うまく育つかどうかはわかりませんが
トマトは強い野菜ですから
それに期待しましょう。

ネットを張って
ツルの誘引を始めました。

ついでに
オカワカメの葉も収穫。

おひたしやみそ汁にいれていただきました。
ワカメというだけあって
それらしき味がします。
しかもヌメリもあって
体によさそう。
これはこの夏のわが菜園のヒット野菜かも。


それとソラマメも収穫。

でもそろそろおしまい。
ちょうど100莢ぐらい収穫できたから
満足です。

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今日紹介するのは
韓国の絵本作家ペク・ヒナさんの
『天女銭湯』。
訳は長谷川義史さん。
長谷川義史さんが訳というだけで
なんだか内容がわかりそうですが
その想像を数段超える面白さ。
こんな面白い絵本にめぐりあえるなんて
思いもしませんでした。
この人が韓国で人気だというのも
よくわかりますし、
今や日本でも人気だというのも
わかります。
いい作品は世界共通。
みんな仲良くしましょうね。
じゃあ、読もう。

ひゃーぁ、もうぶったまげた!
表紙のヤクルトをチュウチュウ吸ってるおばあさんを見ただけで、泣いている子は誰? 大丈夫よ、この人天女ですから。
まずは、この絵本を描いた人を紹介しましょうね。
ペク・ヒナさん。1971年生まれの韓国の絵本作家。自称「人形いたずら作家」で、今韓国で最も人気のある絵本作家でもあります。そうそう、日本でも彼女のファン急増中。
しかも彼女は広末涼子さん似の、本当の天使のような人。
なんといっても、この絵本は私たちの常識を覆してしまうほどインパクトがあります。
絵ではなく、手作り感満載の人形を写真撮影して出来上がっています。
背景に使われているのは、実際ソウル市内にある銭湯だとか。
ここまでこだわっているから、子供たち(だけでなく大人も)に本物が見えてくるのでしょう。
お話も奇想天外。
ドッチちゃんという女の子が住んでいる町にある、古い銭湯「長寿湯」。
つまり、この絵本の舞台はなんと女湯の中。(キャー)
どこでドッチちゃんが出会ってしまったのが、羽衣をなくして銭湯に住むしかなくなったおばあちゃん、いや失礼、天女さま。
銭湯の中でドッチちゃんと天女のまさに裸のつきあいが始まります。
天女は風呂上りのヤクルトを飲んだことがないので、ドッチちゃんがごちそうしてあげます。
そのことが、物語の後半、鶴の恩返し、ちがった、天女の恩返しとなっていきます。
こういう絵本を読んだら、男の子なんかキャッキャッ喜びそうです。
横目で女の子が「だから、男子はまだ子供」なんていいそうですが。
(2020/05/24 投稿)

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05/23/2020 風神雷神 下 (原田 マハ):書評「アートというタイムカプセルに乗って」

今日は昨日のつづき。
原田マハさんの『風神雷神』の下巻を
紹介します。
この長い物語は
あまりにも奇想天外すぎて
納得がいかない人も多いかもしれません。
俵屋宗達が天正遣欧使節の少年たちと一緒に
ローマに渡ったということは
なかったと思います。
ですが、これは原田マハさんのファンタジーです。
ファンタジーなら
うさぎがしゃべったり
トランプが駆けたりしても
おかしくはないでしょう。
そういうように
読むのがいいのではないかと思います。
じゃあ、読もう。

上下巻に分かれた長い物語はもともとは2016年11月から2019年1月にわたって、京都新聞などの連載された新聞小説である。
そのほとんど終り近くに、原田マハさんはこんな文章を綴っている。
「美術(アート)は、歴史という大河が過去から現在へと運んでくれたタイムカプセルのようなものだ」と。
原田さんは今や「アート小説」の旗手として多くの作品を発表してくれたおかげで、私たちは絵とともにもっと素敵な旅をすることができているように思う。
国宝「風神雷神図屏風」を描いた俵屋宗達、天正遣欧使節としてローマに渡った四人の少年、実際には何ほどのつながりもない。ただいえることは、彼らは同じ時代を生きていたということ。
しかも、日本という小さな島国で。
だとしたら、宗達と四人の少年にまったく接点がなかったと誰がいえよう。
宗達の生涯だってほとんどわかっていないのだから。
この下巻では、宗達が天正遣欧使節の一員としてローマ教皇グレゴリウス13世に謁見するまでの旅の姿が描かれていく。
旅の途中で宗達が目にする、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロといった西洋絵画の数々。このあたりは原田さんの独壇場。ゆっくりアートを堪能されるといい。
そして、宗達たちが最後に出会うのが、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ。
のちにバロッグ絵画の巨匠となった人物の少年期。
彼らが16世紀末に、同じ時代を生きたというそれだけで、原田さんは実に豪華絢爛の西洋と日本をつなぐ大きな世界を表出せしめたといえる。
(2020/05/23 投稿)

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05/22/2020 風神雷神 上 (原田 マハ):書評「想像の翼が広がりすぎるくらい」

今日と明日、
原田マハさんの新作
『風神雷神』上下巻を二日に分けて
紹介します。
まずは、上巻から。
この本を本屋さんで見つけた時は
やっぱり目を惹きました。
誰もが知っているだろう
日本美術の名品。
しかも、作者が原田マハさん。
さらにこれ、歴史小説なんですよね。
三拍子揃ったというところ。
これを読んでいると
大河ドラマになったら面白いだろうにと
思いました。
やるなら4Kで。
美術鑑賞もできます。
明日は下巻です。
お楽しみに。
じゃあ、読もう。

国宝「風神雷神図屏風」は誰もが一度は目にしたことがあるに違いない。
美術の教科書かもしれないし、日本史かもしれない。
描いたのは俵屋宗達。戦国時代から江戸初期の画家だが、その詳細はよくわかっていない。
そんな宗達を主人公にして、「アート小説の旗手」原田マハが歴史小説に挑戦したというのだから、読む前から心が躍る。
ちなみに上巻の表紙に描かれているのが「雷神」で、裏表紙は「風神」である。下巻はその逆。上下巻2冊並べると、宗達の絵になる。
その生涯の詳細がわからないから、作家の想像力の翼は大いに広がる。
宗達の絵に歴史上の別の出来事が合わさる。
一つは、天正10年(1582年)にローマに派遣された4人の少年たち、すなわち「天正遣欧少年使節」の話。彼らに随行して、俵屋宗達がローマに渡ったという物語。
もう一つが、狩野永徳が描いたとされる「洛中洛外図」を宗達もともに描いたという物語。
このエピソードが上巻のメインになっている。
生年がわかっていない宗達を「天才少年絵師」として描き、そこにあの織田信長を絡ませ、その信長の命により永徳に宗達の絵の技術を添わせる。
識者にはあまりに大胆な話であろうが、原田さんはあるインタビューで「99.9%、そんなことはなかったに違いないのですが、歴史のなかには必ず0.1%の可能性が残されていますし、そこがフィクションを作る面白さ」と語っている。
私には原田マハさんの途轍もないファンタジーに思えた。
下巻はいよいよローマです。
(2020/05/22投稿)

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05/21/2020 人生の1冊の絵本(柳田 邦男):書評「絵本は人生に三度」

昨日紹介した
沢木耕太郎さんは「ニュージャナリズムの旗手」と
言われていましたが
今日紹介する
柳田邦男さんは
ノンフィクション作家としては
沢木耕太郎さんより少し先輩になります。
1971年に発表した『マッハの恐怖』で
第3回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、
硬質的な作品を得意とされていました。
柳田邦男さんのノンフィクションも
よく読みました。
今日は
柳田邦男さんの新しい新書
『人生の1冊の絵本』を
紹介します。
この本が貸し出しを再開した
さいたま市の図書館から借りた
再開第1冊めになります。
じゃあ、読もう。

ノンフィクション作家の柳田邦男さんが「大人こそ絵本を」と呼びかけてからもう20年になるという。
中でも「絵本は人生に三度」というのは、私のようにその時すでに「子育て期」を終えたものにとっても共感を覚えた。ちなみに「三度」というのは、「幼少期」「子育て期」「中高年期」をいう。
そんな柳田さんは看護専門誌である「看護管理」という雑誌に長年絵本についてのエッセイを連載している。
この新書はそこに掲載されたなかから53編を編集し、再構成されたものだ。
一回の連載で何冊かの絵本が紹介されているので、ここで紹介されている絵本は150冊ほどになるという。
それらは有名な作品もないわけでもないが、比較的新しいものが多い。
日本の絵本だけでなく、海外のものも数多く紹介されている。
「子育て期」であれば、子供と一緒に本屋さんを巡るということはあるだろうが、「中高年期」ともなれば、こういう本があると絵本を選ぶ参考にはなるので、ありがたい。
柳田さんは50歳を過ぎたら、毎日絵本や童話を読むライフスタイルを身につけると、「幼いころの無垢な感性」が取り戻せると書いているが、絵本を読むと、確かに忘れたいたものを思い出すような気がすることがある。
この本で紹介されている絵本を見ると、絵本の世界がどんなに広いか、よくわかる。
差別の問題、環境の問題、悲しみのこと喜びのこと、本当にこの世界が絵本で出来ているのではないかと思ってしまうほどだ。
だとしたら、「人生の1冊の絵本」を見つけるなんてできっこない。
(2020/05/21 投稿)

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05/20/2020 バーボン・ストリート(沢木 耕太郎):書評「彼が持って走っていた旗」

今日は
二十四節気のひとつ、小満。
草木がしだいに枝葉を広げていく頃です。
小満のみるみる涙湧く子かな 山西 雅子
図書館が休館になって
新しい本を図書館で借りることがなくなって
おかげで
以前読んで再読したいと思っていた
本を読む機会を得ました。
新しい本ばかりではなく
昔夢中になって読んだ本を開くことで
なにやら心が癒されることもあります。
今日は沢木耕太郎さんが
1984年に発表したエッセイ集
『バーボン・ストリート』を
紹介します。
この本を最初に読んだ時
私はまだ30歳になっていなかった。
書評には書けませんでしたが
「ぼくも散歩と古本がすき」という
エッセイもいいですよ。
じゃあ、読もう。

かつて「ニュージャーナリズム」という言葉があった。
日本では1970年代から80年代にかけて頻りに言われた。
あれから半世紀近く経って、あの当時になかった「ウィキペディア」で言葉の意味を調べると、「客観性を捨て、取材対象に積極的に関わり合うことにより、対象をより濃密により深く描こうとする」手法とある。
日本でその先頭を走り、「ニュージャーナリズムの旗手」と呼ばれたのが、沢木耕太郎だった。
このエッセイ集はそんな沢木が1984年の秋に発表したもので、15編の作品が収められている。
中でも一番好きなのが、「角ずれの音が聞こえる」だ。
ある夜、北海道日高の牧場そばのコテイジで暖炉の火を囲んでコーヒーを飲む男たちがいる。
一人は「私」、沢木耕太郎だ。
そして、沢木に話しかける男、最初からずっと《彼》として描かれる男との会話が続く。
会話の内容は、どのようなことが「粋な贅沢」かというもの。
話の中身からして、どうやら《彼》はお金持ちらしい。けれど、派手な遊びは苦手のよう。
沢木との何気ない会話と沢木が《彼》から受けた無償の贈り物から、《彼》の内実がくっきりと浮かんでくる。
そう、これは沢木ならではの「人物論」に仕上がっていて、《彼》、高倉健論にもなっている。
こういう書き方に私たちは夢中になった。
沢木耕太郎はあの時代間違いなく、先頭を走る旗手だった。
この時から35年が過ぎて、沢木はまだ走り続けているような気がする。
何故なら、今読んでも、こんなに心躍るのだから。
(2020/05/20 投稿)

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05/19/2020 お楽しみはこれからだ PART2(和田 誠):書評「君は会うたびに美しくなる」

先日紹介しました
朝日新聞に載った津野海太郎さんのエッセイには
続きがあって
本以外に古い映画のDVDを見て
自身の生涯の「映画ベスト10」をえらぶことを
楽しみにあげています。
そして、こう書いて終わっています。
夜の時間は読書よりも、そっちにとられそう。
津野海太郎さんの「そっちにとられそう」という
気分はよくわかります。
映画って本当に面白い。
私も最近は1日1本ぐらいは観ている勘定になるかも。
今日は
そんな映画好きの皆さんに
和田誠さんの名著
『お楽しみはこれからだ PART2』を
紹介します。
書評タイトルは映画「ジョルスン物語」から。
「君は会うたびに美しくなる」
「会ったのはついさっきよ」
「その間に美しくなった」
こんなセリフ、一度は言ってみたいもの。
じゃあ、読もう。

映画の名セリフをイラストレーターでもあり映画監督でもあった和田誠さんが短文と、その映画に出てきた俳優たちの似顔絵で構成された伝説の映画エッセイの「PART2」。
1976年刊行ですから、かなり以前のもの。
「あとがき」には「セリフについて綴るのはこれでいちおう打ち止め。PART3をつくる予定は、今のところない」とあるが、実際にはこのあとPART7まで作られるのですから、人生とはわからないもの。
もともとは映画雑誌「キネマ旬報」に連載されたもので、一回あたり5本の映画のセリフが紹介されている。
しかも、そこにはテーマがあって、例えばシリーズものの映画を紹介する回では東映の「多羅尾伴内」シリーズと「男はつらいよ」、「座頭市」「網走番外地」、それに「ターザン」といった具合である。
結構大変な作業だったと思うが、映画好きの和田さんだけあって、本人は楽しみながら書いて(描いて)いたようだ。
この「PART2」には「「PART1」にはなかった日本映画の名セリフも紹介されている。
ただ数的には洋画の方が圧倒的に多い。
その理由として和田さんは、人間の記憶は耳よりも目から入ってきた情報の方が記憶に残りやすいのではないかと書いている。
それと洋画の場合、字幕になっていて言葉が簡略されていることも要因だろうとある。
1970年代の頃には映画で観る洋画のほとんどは字幕で、最近のように吹替版を映画館で観ることはなかったように思う。
人生とはわからないものだ。
(2020/05/19 投稿)

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05/18/2020 トマトは本支柱に - わたしの菜園日記(5月15日)

『そらまめくんのあたらしいベッド』という絵本を
紹介したので
今日はまず
ソラマメの写真をどーんと。

そら豆はまことに青き味したり 細見 綾子
この時収穫したのは
お天気のいい昼さがりでしたが
まだ莢に日差しのぬくもりが残っていて
莢はあったか。
太陽を収穫したような気分になりました。

まずは、先週植え付けした
水ナスの花。

ナスの花は受粉しやすいように
下向きに咲きます。
うたたねの泪大事に茄子の花 飯島 晴子

ミニトマトの花。

夏野菜の花はこれから順に咲いていきます。

キュウリの苗が6月になってからなので
ひと足早く
ホームセンターで買ってきて
5月15日に植え付けました。

そういえば、
今年はホームセンターでは
野菜の苗がよく売れているようで
コロナ禍で外出自粛がいわれているので
ベランダ菜園を楽しむ人が
増えているのでしょうね。

ツルが伸びてきたトウガン(冬瓜 。

そろそろ
ネットを張って
誘引しないといけません。

仮支柱から本支柱に。

夏野菜は
これからお世話が頻繁になってきます。
マスクしながらですから
熱中症にも
気をつけないといけません。

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05/17/2020 そらまめくんのあたらしいベッド(なかや みわ):再録書評「豆ごはん、大好き!」

ソラマメの栽培は
以前ベランダでやったことがあります。
その時はそれほど収穫できませんでしたが
今年畑で栽培をして
どっさり採れたので
せっかくですから
なかやみわさんの人気絵本
『そらまめくんのあたらしいベッド』を
再録書評で紹介します。
2018年5月に書いたものです。
ソラマメの栽培は
アブラムシがたかるので
中々難しいといわれていたのですが
今回はその被害もありませんでした。
茹でてよく
焼いてもよく
天婦羅でもいい。
初夏にぴったりの野菜です。
じゃあ、読もう。

星野高士さんの俳句に「そら豆のやうな顔してゐる子かな」と詠んだものがあります。
季語は「そら豆」、夏の季語です。
この俳句のような実際そら豆に似た顔の子供がいるようで、よく見たら人の顔に近い表情をした野菜だと思います。
なので、絵本の主人公になってもおかしくはありませんし、読み手である子どもたちも「そらまめくん」には親近感がわくのも当然です。
なかやみわさんの「そらまめくん」シリーズの人気が高いのもよくわかります。
この絵本では「そらまめくん」のほかに豆科の仲間たちがたくさん登場します。
えだまめにピーナッツ、さやえんどうにグリーンピース。ここまでは最初「そらまめくん」のお家のそばにいたお友だち。
ある日、「そらまめくん」自慢のふわふわのベッドが傷んできて、新しいわたを探して出会ったのが、うずらまめにひよこまめ。それにスナップえんどう。
こうみてくると、「そらまめくん」の仲間がたくさんいます。
でも、厳密にいえば、さやごとたべるさやえんどうとさやの中の丸い実をたべる実えんどうとがあります。
あるいは、つるをどんどん伸ばすものもいればそれほど大きくならないものもいます。
花の形はよく似ていますが、少し色がちがったり、さやのふくらみ方がちがったりもします。
でも、豆科の食べ物は美味しいし、栄養もたくさんあります。
この絵本を読みながら豆の種類を勉強するのもいいけれど、八百屋さんで実物を見て(それから食べて)おいしさを実感するのもいいと思います。
(2018/05/06 投稿)

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05/16/2020 ★ほんのニュース★ 朗報です! さいたま市の図書館で一部サービスの再開が始まりました

エッセイストの津野海太郎さんの
寄稿文が載っていました。
津野海太郎さんは1938年生まれですから
「年季の入った退職老人」と自分で語るように
今回のコロナ禍による「外出自粛」以前から
「たいがいは自宅にとじこもって」いたといいます。

今までは
「私の住む町(さいたま市)には、市立の中央図書館と、
よく行く三つの書店があるので、そこを一巡」していたそうです。
私が津野海太郎さんのこのエッセイに注目したのは
まさにこの箇所。
そうです、津野海太郎さんはきっとご近所の方なのです。
お会いしたことはありませんが
きっとどこかで
それは図書館かもしれないし、書店の片隅かもしれませんが
すれ違っていたのではないかしら。

このエッセイでこう書いています。
その息苦しさを本を読むことでしのげるか。
私は本だけではむりだと思う。
(中略)
いまはとくに、なにかのためにではなく、
できるだけ気楽に本とつきあっていたい。
こちらが過剰な要求をしなければ、
本のほうも、私たちの硬くなった心身を
ゆっくりほぐしてくれるにちがいない。

ほっとした昨日(5月15日)から
さいたま市の図書館では
一部のサービスの再開を始めました。
それは予約していた本で
貸出準備ができたものを貸し出すというもの。
感染予防の色々な防止策を
例えば貸出日や貸出時間が決まっていたり
マスク着用をお願いしたりですが、
講じた上での再開です。
早速昨日行ってきましたが、
貸出カウンターだけに行くことが出来て
書架にはもちろん入れません。

それでも、
なんとなく薄明かりが見えてきた感じがします。
津野海太郎さんのいうように
これからも
気楽に本とつきあっていきたいものです。

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今日紹介するのは
アガサ・クリスティーの
『メソポタミアの殺人』。
エルキュール・ポアロものの一篇です。
いつもの
霜月蒼さんの
『アガサ・クリスティー完全攻略』によれば
評価は★★★で、
「読んで損なし」でした。
私は結構面白かったですが、
こんなにうまく殺人が実行できるかなとは
思いました。
つまり事件が作られ過ぎているようには
思いました。
途中で
もしかしたらこの人が犯人ではと思った人が
犯人でした。
何故わかったかというと
なんとなくというしかありませんが。
じゃあ、読もう。

「ミステリの女王」アガサ・クリスティーが1936年に発表した、エルキュール・ポアロが主人公の長編ミステリー。
タイトルでもわかるようにこの作品の舞台は中近東。そこで古代遺跡の調査をしているチームに事件が起きる。
チームの隊長の美貌の妻が殺されてしまった。
疑われたのは、チームのメンバー。美貌の女性だけあって、怪しい男たちに、彼女に敵意を持つ女たち。
しかも殺された妻には別れたかつての夫から脅迫状も届いていたという。
そこに偶然来合わせたのが、ポアロ氏。
いつもながら、ポアロ氏の推理は冴えている。
この作品を発表する6年前、アガサは若きイギリスの考古学者マックス・マローワンと再婚している。
マローワンは実際中近東で遺跡の発掘などに携わっているし、彼の影響が色濃くこの作品に反映しているといわれる。
アガサとマローワンはかなり年の離れた夫婦で、アガサの方が年上であるから、彼女が強く彼に魅かれたのかもしれない。
そういうエピソードを聞くと、作品は作品独自の評価をすべきだろうが、どうしても作家のプライベートと密接に関わっているということだろう。
この作品でもっとも面白かったのは、ポアロ氏がこの事件のあと、「シリアに戻り、一週間ほどして、オリエンタル急行で帰国する途中、忽ちまた別の殺人事件に巻きこまれてしまった」と、まるで映画のよくあるような予告がちらりと入るところだ。
こういうやり方もまた、読者を惹きつけてやまない理由かもしれない。
(2020/05/15 投稿)

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05/14/2020 廃墟に乞う(佐々木 譲):書評「口当たりがいい推理小説集」

芥川賞と直木賞。
純文学と大衆文学というくくりで
論じられることが多い。
今でも
芥川賞受賞作が載った雑誌「文藝春秋」は
毎回購入するから
私はどちらかといえば
芥川賞派かな。
けれども、最近は直木賞の作品だって
結構読んでいます。
若い時にはほとんど見向きもしなかったですが。
今日紹介する
佐々木譲さんの『廃墟に乞う』は
第142回直木賞受賞作。
でも、正直な話、
ほとんど知らなかった。
今回たまたまさいたま市の図書館の
電子書籍のリストから見つけて読みました。
面白いぞ、直木賞も。
じゃあ、読もう。

第142回直木賞受賞作。(2009年)
北海道を舞台にして休職中の刑事が事件を解いていく、表題作を含む6つの短編で構成された連作集。
作者の佐々木譲さんは1979年に『鉄騎兵、跳んだ』という作品でデビューし、直木賞を受賞した時には作家歴30年を超すベテランであった。
そのせいか、選考委員の一人五木寛之氏が「いまさら直木賞でもあるまい、という空気もあったが、デビュー作から三十一年という、そのたゆまぬ作家活動への敬意をふくめて今回の受賞」がなったと書いたように、長年のご褒美的な要素もあっただろうが、そういうことを抜きにしても宮城谷昌光選考委員の「作家としての習熟度は氏がもっとも高い」という評価が勝っているように思う。
一つひとつの作品に大きな破綻はない。
どの作品も休職中の主人公仙道刑事に事件の解決を乞うところから始まる。
そこまで信頼される仙道刑事であるが、心的療養中とはあるが何故休職しているのか伏せられたまま、どの作品も彼が解決までの道筋をつけていく。
仙道刑事の過去が明らかになるのが、最後の作品「復帰する朝」である。
彼は以前ある女性監禁事件で犯人を追い詰めながらもミスを犯し、被害者の命だけでなく犯人も亡くしてしまう。
このことが彼の休職のきっかけだとすると、そのような刑事にどうしてしばしば事件解決の依頼があるのかわからない。
そういう不満もあるが、やはり物語巧者だろう。
実に口当たりのいい作品集に仕上がっている。
(2020/05/14 投稿)

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05/13/2020 ジュン 0: 石ノ森章太郎とジュン(石ノ森 章太郎):再録書評「またふたたびの」

昨日紹介した
すがやみつるさんの
『仮面ライダー青春譜』には
すがやみつるさんが
石ノ森章太郎さんからもらった色紙に
「マンガ それは永遠の青春」という言葉と
石ノ森章太郎さんの代表作のひとつ
「ジュン」の主人公である
青年ジュンが描かれていたそうです。
あの本には
その色紙の図版も載っていて
久しぶりにジュン青年に出会いました。
そこで
今日は2011年12月に書いた
石ノ森章太郎さんの
『ジュン 0: 石ノ森章太郎とジュン』を
再録書評で紹介します。
いつ見ても
ジュンはいいな。
じゃあ、読もう。

「漫画の神様」手塚治虫さんはあれだけの作品を描きながら、新鋭の漫画家たちに嫉妬ともいえる気持ちを持ち続けたといいます。
この本の主題である石ノ森章太郎さんの『ジュン』が1967年まんが専門誌「COM」に発表された時も手塚さんは「あれはマンガではない」と息苦しいほど嫉妬をします。かつて執筆の応援を頼んだこともある石ノ森さんにさえ、そんなふうでした。この騒動のあと、手塚さんは石ノ森さんのアパートをたずねてあやまったといいます。
このエピソードは手塚さんの死のあと、石ノ森さん自身が『風のように・・・ 背を通り過ぎた虫』(1989年)という漫画で描いています。(本書に収録されています)
同時にこの時、石ノ森さんは「漫画」ではなく「萬画」をめざすことを宣言しています。
手塚さんの漫画にあこがれ、手塚さんをめざした石ノ森さんはこの時はっきりと手塚漫画の先にあるものを意識したのではないでしょうか。
石ノ森章太郎さんは手塚治虫さんに負けないくらい代表作をたくさんもっています。『サイボーグ009』『仮面ライダー』『佐武と市捕物控』『龍神沼』・・・、そして『ジュン』。
その絵柄は手塚さんより青年向きであったと思います。手塚さんはたくさんの大人向けの作品も書いていますが、作風はどうしても子供漫画だったのではないでしょうか。石ノ森さんの描く少年なり少女の姿は青春期の鬱々とした心情を反映していました。だから、どの作品もどこか青春の哀愁の影がひそんでいるように感じました。
そのもっとも顕著な作品が「ファンタジーワールド」と名づけられた『ジュン』だったのです。
発表当時何作かを「COM」で読んだ記憶があります。ほとんど吹き出しのない漫画で、漫画の重要な表現手段のひとつであるコマわりを縦横無尽に変え、時にはそのコマわりさえ消してしまった大胆な挑戦は、その時すでに従来の手塚漫画からの脱皮をめざそうとしていたのかもしれません。
手塚さんはそのことに気がついていたのではないでしょうか。だから、この作品を否定しようとしたような気がします。
私にとって石ノ森章太郎さんの『ジュン』は、漫画という言葉に置き換えられる少年期を脱するためにどうしても必要な作品だったといえます。
『ジュン』があったから匂うような青春期をむかえることができたように思います。
その『ジュン』にこうしてまた会えた。そのことがたまらなくうれしいのです。
(2011/12/02 投稿)

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さいたま市の図書館の
電子書籍の所蔵リストを見ていて
見つけたのが
今日紹介する
すがやみつるさんの
『仮面ライダー青春譜』。
副題が「もうひとつの昭和マンガ史」で
この副題に魅かれて読み始めましたが
とても面白くて
あっという間に読んでしまいました。
どうも
私は漫画少年でもあったようで
ノートにマンガ雑誌のように
マンガを描いていたことも
ありました。
もしかしたら
もっと熱心だったら
漫画家になっていたかも。
じゃあ、読もう。

著者のすがやみつる氏は1978年に発表した「ゲームセンターあらし」で子供たちから大人気となった漫画家です。
残念ながら私はもう少年漫画を読む年齢ではなかったので、氏の漫画に接することはありませんでした。
ですが、昭和25年(1950年)生まれの著者とは年齢が近いせいもあって、子供の頃に漫画に接し、そして夢中になったほぼ同じ世代ということもあって、「もうひとつの昭和マンガ史」という副題にあるような歴史にどっぷりと楽しみました。
すがや氏は「エピローグ」でこう書いています。
マンガが「熱い時代に育った個人の記録」であり「一九六〇年代から七〇年代に至るマンガ史の記録の一助」になればいいと。
確かにあの時代のマンガは、今から見るとその技術もまだまだ未熟であったが、若い熱気のようなものがあったと、私も思います。
氏の師匠でもあった石ノ森章太郎氏が氏に残した色紙に「マンガ それは永遠の青春」と記しました。
あの時代を若い時期に生きた世代には共通する思いではないでしょうか。
この本の中には多くの漫画家の名前が登場します。
そのどれもが懐かしく、私もすがや氏と同様にどんなに彼らの描くマンガに楽しませてもらったことでしょう。
中でも石ノ森章太郎氏。あまりにも多作で多忙すぎて、石ノ森氏が原作で実際にマンガを描いていたのは別の人というのはよくあるケースです。
すがや氏もそんな一人で、氏が描いていたのが石ノ森氏の代表作のひとつ「仮面ライダー」だったのです。
そこから、この本のタイトルになっています。
(2020/05/12 投稿)

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05/11/2020 ソラマメの大収穫 - わたしの菜園日記(5月9日)

やはりバラ


今年はコロナ禍で
各地のバラまつりやバラ園も
ひっそりしていることでしょう。
薔薇園に雨まだ誰も傘ささず 鶴岡 加苗
人との密をさけるために
早い時間帯などにバラをめでるのも
またいいもの。

香りも独り占めできそうです。

ついにソラマメを収穫しました。
ソラマメは写真のように
莢のところがさがってきたら
収穫のサイン。

どっさり収穫しました。

中はごらんのように
絵本で描かれるように白いベッドで眠る子どものよう。

そら豆のやうな顔してゐる子かな 星野 高志
ソラマメは夏の季語です。
ビールとの相性も抜群です。

どれもこれもが
たくさん収穫できるわけではなくて
今年はイチゴがサッパリ。
まだこんな感じ。

どこまで採れるやら。

わき芽というのは
写真でしめしたもの。

これが大きくなると
枝なのかわき芽なのかわからなくなるので
小さいうちにとってしまうのがいい。

もうこんなに伸びてきました。

びっくりするくらいの
速さです。


いわゆるニンニクの芽というもの。
これも食べられます。

距離を保ちながら
人とも会話。
本当はたくさん話したいけど
今はがまんがまん。

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05/10/2020 ぼく おかあさんのこと…(酒井 駒子):再録書評「おかあさんはさびしんぼう」

今日は母の日。
母の日のきれいに畳む包装紙 須賀 一恵
今年はコロナ禍での母の日ですが
こういう時にこそ
母を想う気持ちを大切にしたいですね。
今日は2010年に書いた
酒井駒子さんの『ぼく おかあさんのこと…』を
再録書評で紹介します。
2010年の3月に
母をなくしてからむかえる
初めての母の日。
ちょっと母の気持ちに寄り添うように
書いたのかもしれません。
じゃあ、読もう。

男の子にとって母親とはどんな存在だろう。
初めての異性? それはそうだけど。
恋人? まさか。
結婚相手? とんでもない。
酒井駒子さんが2000年に描いた、この絵本の主人公の「ぼく」は、どうもおかあさんと結婚したいと思っているくらい甘えん坊なんだ。
ふん、おかしいやい。そんなやつ、もう遊んでやんないぞ。
どこかでそんなふうにおこっている男の子がいそうだ。
そうかな。かわいいじゃない。
おかあさんなんか大キライだって言ってお家をとびだしても、やっぱりおかあさんの胸のなかに飛び込んでくるなんて、これくらいの子どもにしかできないわ。
どこかでそんなふうに微笑んでいる母親がいそうだ。
きっとこの本の目線が、母親のそれなんだろう。
だから、この絵本を読んだ君なら、少しはわかるかもしれない。
おかあさんはいつもえらそうにしているし、おこりんぼうだけど、本当はすこしばかりさびしんぼうだってことが。
(2010/05/08 投稿)

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05/09/2020 幕末新選組(池波 正太郎):書評「新選組のはじめから終りまで」

今年(2020年)は
池波正太郎の没後30年だという。
亡くなったのが1990年5月3日。
67歳だったのだから
早逝といってもいい。
今でも池波正太郎ファンは多い。
ところが
私は池波正太郎の作品を読んだことがない。
今日紹介する
『幕末新選組』がはじめの一冊なのだから
本好きというのも
恥ずかしいくらい。
今日の本も
さいたま市の図書館から
電子書籍で借り出しました。
最近は電子書籍で読んでも
違和感がなくなってきました。
じゃあ、読もう。

時代小説あるいは歴史小説を書く作家にとって、新選組という題材は興味の尽きないものかもしれない。
それは巨匠池波正太郎でも同じであって、何故新選組の物語を書くのかというその答えを本作品によって示したと「あとがき」にある。
これこれが答えですといった書き方はもちろんしていない。
よって、読者がそれを読み解くことになるのだが、やはりなんといっても、新選組という集団の面白さが作家の執筆意欲を高めているにちがいない。
近藤勇をはじめとしたさまざまな型の人間が新選組という集団になることで、まるで巨大な人間を創り出しているかのような、人間興味がうかがえる。
池波はその集団にあって、永倉新八を主人公に選んだ。
永倉新八は新選組創設にも関わった主だった一人だが、幕末の動乱期を生き延び、大正4年77歳で天寿を全うしている。
晩年には新選組の功績を語り継いで、「新選組の語り部」とまで言われた人物である。
つまり、永倉を描くことで、新選組誕生から有名な芹沢鴨暗殺事件、池田屋事件、伊東甲子太郎暗殺事件、近藤勇捕縛と斬首といった新選組最後までを網羅できることになった。
この物語を読めば、新選組がどんな集団であったか、幕末の中で彼らがどういう位置づけであったかがよくわかる。
そして、何よりも物語の展開がとても小気味いい。
だからこそ、殺伐とした中にも人間の温かささえ感じるのだろう。
(2020/05/09 投稿)

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05/08/2020 坂道の家 - 「黒い画集」より(松本 清張):書評「くわばら、くわばら」

今日紹介するのは
松本清張の短編集『黒い画集』から
「坂道の家」。
この短編はこれまでにも
たびたびドラマ化されていて
私も子供の頃に見たのを
何故か鮮明に覚えている。
ネットで調べると
どうやら1965年制作されたドラマのようだ。
私が10歳である。
主演を三國連太郎が演じている。
きっと子供ごころに
どきどきするような
大人の世界が映像化されていたのだろう。
じゃあ、読もう。

文庫本にしてほとんど200ページ近くあるから、短編というより中編小説という方があっている。
「黒い画集」シリーズの一作として、昭和34年(1959年)1月から4月にかけて「週刊朝日」に連載されたものである。
真面目で吝嗇さえあった中年の小間物屋の経営者寺島吉太郎がたまたま店を訪れた若い女杉田りえ子に夢中になって身を滅ぼしていく姿が描かれる。
ミステリー小説であるから、犯罪の場面も描かれているが、それは作品の最後の数十ページでしかない。
つまり、その犯罪に至るまでの男の堕落を、松本清張はこれでもかと書き連ねる。
キャバレーのホステスをしていたりえ子に夢中になり、店通いだけでなく、彼女にいわれるままに弟だという男の支援まですることになる。
やがて、りえ子の話のほとんどが嘘であり、弟というのも実はりえ子の男だということも、吉太郎は知ってしまう。
普通なら、これで男女の仲も終わりだろうが、吉太郎はりえ子と別れることができない。
どころか、さらに彼女のために坂の上の新しい家まで用意してしまう。
そんな生活が続くわけはない。吉太郎の生活は逼迫して、貯金も底をつく。
さらには、りえ子の嘘もエスカレートしていく。
ついには彼女を殺そうかとまで考えるようになるだが、死んでしまうのは吉太郎の方だった。
まさにここからが清張ミステリの読みどころ。
随所に実は伏線も張られていて、面白い。
それにしても、男ってかわいそうなものだ。
きっと当時の読者は「くわばら、くわばら」なんていいつつ、読んでいたのだろう。
(2020/05/08 投稿)

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05/07/2020 仰臥漫録(正岡 子規):書評「生命の書」

連休期間中の5月4日に
新型コロナを防ぐ「新しい生活様式」が
発表されましたが
その中の一つに
「発症したときのため、誰とどこで会ったかをメモにする」というのが
ありました。
残念ながら
私には日記をつけるという習慣がありませんが
こういう心がけは大事なことだと
思います。
そこで思い出したのが
正岡子規の『仰臥漫録』。
正岡子規が死の前年に綴った日記です。
もし、この時代に彼が生きていたら
感染経路不明なんて
彼の場合はなかったかもしれません。
じゃあ、読もう。

正岡子規は明治の俳人ではあるが、単に俳人という肩書におさめてしまうには惜しい。
文筆家、歌人、評論家さまざまあるだろうが、子規がいなければ私たちが日頃使っているような日本語は生まれなかったかもしれないとさえ時に思える。
もし子規が脊椎カリエスで亡くならなければ、どれだけの業績を残しただろうか。その一方で、そうなれば小説家夏目漱石は誕生しなかったかもなどと、つい妄想したくもなる。
そんな子規が死の前年である明治34年(1901年)の9月から死の直前まで綴った病床日記が、この作品である。
子規のこの日記を読んで誰もが驚くのは、こまめに記録された食事の量であろう。
朝昼晩、それに間食まであって、これが死を目前にした人間の食欲かとあ然となる。
しかも、料理名がつらつらと綴られているだけでなく、合間合間に、人間子規の顔が垣間見えるのが、この日記の面白さだ。
ある日食べたパンが「堅くてうまからず」、そこで子規は「やけ糞になって羊羹菓子パン塩煎餅など」を食べて、最後にこう記す。
「あと苦し」。
わずか六尺の病床から動けない子規の生活は単調であったろうが、それでも書き綴ることで子規は自身の生き方を確立させていたともいえる。
病苦のあまりの辛さに自殺まで考えた子規、それさえ客観的に綴ることで、子規を生きることを選んだといえる。
自身の死については誰よりも子規がよくわかっていたはず。それでも、懸命に生きる姿を綴ったこの日記は、生命の書にちがいない。
(2020/05/07 投稿)

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05/06/2020 コロッケです。(西村 敏雄):再録書評「今日もコロッケ 明日もコロッケ」

今日5月6日は何の日か
わかりますか。
ゴールデンウィークの最終日でしょ。
それもあります。
振替休日でしょ。
それもあります。
それより大事な記念日を忘れていませんか。
今日は
コ(5)ロ(6)ッケの日。
そう、あの黄金色をした総菜、
コロッケの日なんです。
コロッケ大好きです。
なので、
今日は西村敏雄さんの
『コロッケです。』という絵本を
再録書評で紹介します。
できたら、
アツアツのコロッケを食べながら
お祝いしましょう。
じゃあ、読もう。

子どもの頃だから、昭和30年代だが、「コロッケの唄」というのがあった。
この絵本を読んで、その当時の歌を調べてみると、五月みどりさんが歌ったものが出てきた。作詞作曲は浜口庫ノ助さん。
「こんがりコロッケにゃ 夢がある/晴れの日 雨の日 風の日も/(中略)/今日もコロッケ/明日もコロッケ/これじゃ年がら年中/コロッケ コロッケ」
「今日もコロッケ/明日もコロッケ」という歌詞の部分が記憶にある。
こういう歌が唄われたぐらいだから、日本中でコロッケを毎日食べている人が多かったということだろう。
おやつにコロッケを食べていたように思う。
確か5円ぐらいではなかった。
そんなコロッケだが、あれから半世紀経っても、いまだに愛される食べ物にちがいない。
この『コロッケです。』は2015年に刊行された、ほかほかの作品なのだから。
作者の西村敏雄さんは1964年生まれの絵本作家。
その絵柄はどちらかといえば、ほんのり系。それがコロッケという題材に合っている。
町のコロッケ屋さんの店先から、ある日、「どこかあそびにいきたいな」と一個のコロッケが逃げ出すところから、始まる。
まるで、「およげ! たいやきくん」のようなシチュエーション。
海に飛び込んだ「たいやきくん」と違って、コロッケは子どもたちがキャッチボールをしている公園や動物園の猿やまにまぎれこんだり。
町から離れて村のじゃがいも畑にも行ってしまう。
そして、最後にはロケットに乗って、月面まで。
最後の場面は月の上で舌を出しているコロッケだが、それを見上げている人々の表情がいい。
誰も怒ったりしていない。
ちょっとはびっくりしているが、何故かにこにこしている。
それくらい、この国では愛されている食べ物なんだ。
そんな町の人々を見て、この絵本が妙に懐かしいわけがわかった。
彼らが着ている服が、昭和風なのだ。
この物語は、西村さんが子どもの頃に夢見たままなのかもしれない。
きっと、西村さんも「今日もコロッケ/明日もコロッケ」で育ったのだろう。
(2015/05/10 投稿)

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05/05/2020 モモ(ミヒャエル・エンデ):書評「この物語が大好きなおとながいっぱいいます」

今日は二十四節気のひとつ、
立夏。
街角のいま静かなる立夏かな 千葉 皓史
この俳句など
まるで外出自粛要請の出ている今を詠んだような句ですが
もちろんそうではありません。
でも、今は「静かなる立夏」です。
そして、今日はこどもの日でもあります。
そこで、今日は
児童文学の名作
ミヒャエル・エンデの『モモ』を
紹介します。
わが家にあるのは
1991年版のもので
二人の娘のどちらかにプレゼントしたものかもしれません。
私も読んでいますが
今回久しぶりに読むことができました。
じゃあ、読もう。

児童文学には超ロングセラーといえる名作が多い。
例えば、モンゴメリが書いた『赤毛のアン』は1908年に発表されて作品ですでに1世紀が経っているが、今でも人気が高い。
こういう作品が多いせいか、なかなか新しい名作が生まれる余地が少ないともいえるが、ミヒャエル・エンデの『モモ』だけは別格のような気がする。
発表されたのが1973年、日本での初版が1976年と比較的新しい作品である。
それでいて、今では古典のような風格さえあって、人気が高い。
最近でも子どもたちにこの作品を薦める多くの記事を目にする。
テーマとしてはわかりやすい。
忙しさで心の中の大切なものをなくしている現代人への警告が主要なテーマであろう。
副題にも「時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」とある。
ただこの物語が新しい児童文学の古典としての価値を認められるようになったのは、そのテーマ性だけではない。
主人公であるモモの魅力もあるだろう。あるいは、彼女を助けるジジや子どもたちといった脇役の魅力もあるだろう。
もしかしたら、時間どろぼうである灰色の男たちの造形にも一因があるかもしれない。
この作品が長く子どもたちに読まれているのは、なんといっても追いかけ追い詰められる冒険活劇のようなストーリー仕立てではないだろうか。
後半、時間どろぼうに一人立ち向かうモモの活躍といえば、子どもたちが夢中になって読むにちがいない。
そう、時間を忘れて。
もしかしたら、『モモ』こそ子どもたちの時間どろぼうだといえないことはない。
(2020/05/05 投稿)

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05/04/2020 夏野菜の三銃士 - わたしの菜園日記(5月1日)

例年なら
ゴールデンウィーク真っ只中のみどりの日ですが
今年ばかりはコロナ感染禍の
ステイホーム週間のみどりの日となりました。
それでも近所を歩けば
まさにまばゆいばかりの若葉に
触れることができます。

体内の水の流れやみどりの日 和田 悟朗
そして、明日はこどもの日でもあり
立夏でもあります。
これは菜園に飾られた子ども向けの鯉のぼり。

ちょっとした心づかいが
季節を感じさせます。

畑では夏野菜の植え付けが始まりました。
まずはナス科三銃士。
ナス、ピーマン、トマト。
今年は長ナスと甘長トウガラシを選びました。

写真の手前が長ナスで、奥が甘長トウガラシの苗です。
畝の中ほどにはショウガを植えました。

ショウガはマルチカッターで深さ10cmほど掘って
そこにショウガを植えつけ
5㎝ほど土をかぶせます。

大玉トマト。
先日植えたミニトマトの横に
植え付けました。



これは別メニューの栽培で、
オカワカメの横で栽培します。

あとキュウリがありますが
今年の植え付けは少し遅くなります。


莢が空に向いて
成長している段階。
ソラマメの由縁でもあります。


まだ真っ赤というわけではありません。


今年はうまく育ってくれたので
順々に収穫しています。

密をさけて
できるだけ人が集まらない時間での
作業を心がけている
畑仕事です。

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05/03/2020 じゃがいもポテトくん(長谷川 義史):書評「かなしいはなしです…」

ついに絵本を電子書籍で読みました。
しかも
大好きな長谷川義史さんの絵本、
『じゃがいもポテトくん』。
これは絵本の紹介サイト
絵本ナビで
一度だけ試せる全ページ試し読みで
読みました。
電子書籍で一番馴染みにくいのが
絵本だとばかり思っていましたが
どうもそんなことはなくて
むしろ絵本ほど電子書籍の方が
読みやすいのではないかと
思いました。
何しろ絵がとってもきれい。
しかも、いろんなところが拡大できたりして
絵本作家さんのこだわりがわかったりします。
これからは
電子書籍の絵本で育ったという人たちも
増えてくるかもしれません。
じゃあ、読もう。

絵本作家の長谷川義史さんは講演などで「読みきかせ」ならぬ「歌いきかせ」をすることがあるらしい。
写真で拝見した限りでは独特な風貌だし、長谷川さんの描く絵もその風貌を裏切らない? 個性的だし、文はめちゃ大阪弁だし、だから長谷川さんが歌う絵本作家といわれてもそんなに違和感がない。
そんな「歌いきかせ」で歌うレパートリーのひとつに、この絵本のもとになった「じゃがいもポテトくん」があるらしい。
作詞が長谷川さんご自身で、作曲が中川ひろたかさんというから、本格的。
ちゃんと楽譜だって、この絵本のおしまいに収録されている。
この絵本はタイトルからわかるように、じゃがいも少年の「じゃーむす」君の物語。
じゃーむす君は親戚や家族とともに北の国からなんともユニークなお店屋さんが並ぶやおやさんの店頭にやってきました。
そして、おとうさんもおかあさんもいもうとも次から次へと買われていきます。
みんなに「さよーなら」というじゃーむす君。
長谷川さんはその別れの場面にそっと「かなしいはなしです…」と綴っているのですが、これがなんだかコミックソングの合いの手のようで、妙におかしい。
そんなふうにして離ればなれになったじゃーむす君一族に、再会の日がやってきます。
それは幼稚園のお弁当の時間。
コロッケに姿を変えたじゃーむす君の前にポテトフライに変身したおとうさんが。
おかあさんはポテトサラダになって会えました。
みんなのお弁当のなかにはじゃーむす君の一族が顔をそろえるという、なんともめでたいお話でした。
(2020/05/03 投稿)

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05/02/2020 愛がなんだ(角田 光代):書評「角田光代版『夫婦善哉』か」

先日CSの「日本映画専門チャンネル」で
今泉力哉監督の「愛がなんだ」を
観ました。
主役のヒロインを演じたのは
岸井ゆきのさん。
この作品での評価が高く
昨年の映画各賞で新人賞を受賞しています。
その原作が今日紹介する
角田光代さんの『愛がなんだ』。
角田光代さんの作品歴でいえば
初期の作品にはいるのかな。
映画を観て
原作を読んでみたいと思っていたら
さいたま市の図書館の
電子書籍にあったので
それで読むことができました。
じゃあ、読もう。

角田光代さんが『対岸の彼女』で第132回直木賞を受賞したのが2005年。
それに先立つ2003年に発表した恋愛小説がこの作品である。
2019年に岸井ゆきのさん主演で映画化(監督は今泉力哉)され、10代後半から30代の女性たちに圧倒的に支持されたそうだ。
最近の角田さんの作風とはちょっと違った雰囲気だが、この作品が映画化で再び脚光を浴びるのもいいかもしれない。
主人公は28歳でなんとか何をやっているかよくわからない会社の正社員に採用されたばかりのテルコ。
今テルコが夢中になっているのがマモルという青年。
熱が出たといっては夜中にテルコを呼び出し、食事を作らせ(というか半分以上テルコが進んで作るのだが)あげくの果てにには帰ってよと追い出すような、テルコの友達葉子に言わされる「おれさま男」、そんなマモルにテルコは夢中なのだ。
仕事中であろうがマモルからの電話には飛びつくは、呼び出さればいつでも出かける。
テルコとマモルにも蜜月はあったが、ある時から疎遠になってしまう。
どころか、マモルは別の女性に恋していて、テルコは時にそんな二人の仲を取り持つことさえある。
テルコにとってはマモルはそこにいるだけで十分な存在なのだ。
そんな二人の関係は織田作之助の名作『夫婦善哉』の主役の二人に似ていないか。
のらりくらりと生きるしかない男柳吉。けれどもそんな男を捨てられない蝶子。
読んでいてどうして蝶子は柳吉から離れないのか不思議であったが、それは角田さんのこの物語の主人公テルコと同じだ。
この作品は、角田光代版『夫婦善哉』ではないだろうか。
(2020/05/02 投稿)

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