06/06/2020 サザエさんと長谷川町子(工藤 美代子):書評「対象と肯定的に向き合うこと」

今年2020年は
漫画家長谷川町子さんの生誕100年にあたる。
長谷川町子さんを知らない人がいても
マンガ「サザエさん」を知らない人はいないだろう。
長谷川町子さんは
1920年生まれで亡くなったのは1992年、72歳の時。
作者が亡くなっても
アニメ「サザエさん」はずっと放映されていて
今では作者の手を離れた感が強い。
今日紹介する
工藤美代子さんの
『サザエさんと長谷川町子』は
長谷川町子さんの評伝。
どんな人生であったか
たどるのも
また面白い。
じゃあ、読もう。

ノンフィクション作家の沢木耕太郎さんがまだデビュー間もない頃、吉本隆明氏と対談している。 その時、吉本氏は沢木さんの魅力を「書かれる対象に対しては、とにかく肯定である。とにかく肯定的な表象で書くということ」と語っている。
この対談を読んだ時、なるほど、沢木耕太郎さんのノンフィクションの魅力はそうだったのかととても納得した。
では、漫画家長谷川町子とその家族の姿を描いたこの評伝にあって、ノンフィクション作家工藤美代子さんはどう対象と向き合っていただろうか。
私には、決して「肯定的」には感じられなかった。
もちろん、ノンフィクションの書き手が、その対象となるものを「肯定的」に書かなければいけないことはない。
むしろ、書く対象を突き放すことで、対象が客観的に描けることもあるだろう。
しかし、例えばこの作品の冒頭の章を、長谷川町子の死後その遺骨が盗まれた事件から書き始めることは、最初から「肯定的」であることを否定している。
町子とその姉妹の間に何らかの確執があったことを匂わせる書き出しである。
もしかしたら、若い沢木耕太郎さんであれば、こういう書き出しを選らばなかったのではないだろうか。
ほのぼのとした家庭漫画「サザエさん」を描いたからといって、作者である長谷川町子やその家族がひっそりと暮らす必要はない。
印税等でどれだけの資産があってもそれは町子が稼ぎ出したものだ。むしろ、そのことを大々的にいうこともままならない事情の方が切ない。
工藤さんにはそういう「肯定的」な書きぶりで長谷川町子と向かい合ってもらいたかった。
(2020/06/06 投稿)

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