06/12/2020 歴史とは靴である(磯田 道史):書評「私も受けたかったな、この授業」

突然ですが、
「古文書」と「古記録」、
どう違うかわかりますか。
日記など具体的に伝えるべき相手が想定されていないものを
「古記録」といい、
発信者と受け取り手がいるものを
「古文書」というそうです。
なるほどな、
昔の文献すべて「古文書」というと思っていましたが
違うんですね。
そんなことを歴史の授業で
聴いたかな。
きっと私がまじめに授業受けてなかったせいですね、きっと。
今日は
磯田道史さんの
『歴史とは靴である』という本を
紹介します。
上に書いたお話しは
磯田道史さんの授業で出てきます。
じゃあ、読もう。

この本は「17歳の特別教室」と題されたシリーズの一冊。
エッセイを書いたりテレビに出たり、著作が映画の原作になったりと、今や人気の歴史家磯田道史さんが訪問したのは、鎌倉女学院高等学校。この女子高は明治37年創立で、鎌倉という立地にあって中学では「鎌倉学」を学ぶという。
そんな学校で磯田さんは「歴史と人間」や「歴史の「現場」」について、「授業」をした、それを書籍化したのが、この本である。
タイトルの「歴史とは靴である」は、表現方法としては「暗喩」ということになるのだろうが、磯田さんは何故「靴」なのかをこう説明しています。
「歴史的にものを考えると、前より安全に世のなかが歩けます。歴史はむしろ実用品であって、靴に近いものではないか」と。
つまり、「歴史」を「靴」に喩えるのは突飛なように見えるし、こういう表現方法を使うと、聴いている(読んでいる)人は、「さてどういうことか」と考える。
もちろん、磯田さんには、「靴」に喩えるだけの根拠が先のようにあるわけで、適当につなげた訳ではない。
だから、こういう「AはBである」という表現方法が印象に残りやすい。
授業を受けた高校生にも覚えやすかったのではないだろうか。
本書に磯田先生の講義を熱心に聴く高校生たちの写真が収められているが、磯田先生は時に冗談を交えたり、わかりやすい例をしめしたり、案外大変だったのではないだろうか。
そんな先生の熱血ぶりも伝わってくる授業だった。
(2020/06/12 投稿)

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