06/13/2020 青春の言葉たち(沢木耕太郎セッションズ〈訊いて、聴く〉):書評「「きく」ということ」

今日は
沢木耕太郎さんの対談集
「セッションズ〈訊いて、聴く〉」の2巻め
『青春の言葉たち』を
紹介します。
冒頭の映画監督長谷川和彦さんは
もう何十年も映画を撮っていない監督として
今や伝説のようになっていますが。
彼の作品に「青春の殺人者」という映画があって
まさか今回のタイトルは
そこから採られたのかと
思いましたが、
ちょっと考えすぎですね。
今日の書評タイトルも
沢木耕太郎さんの巻末エッセイから
借用しました。
じゃあ、読もう。

沢木耕太郎がデビューしてから50年になる。
その間ノンフィクション作家として有名無名多くの人と会い、インタビューをしてきた。また、「対談」と銘打ったものも多くこなしてきた。
全四冊となるこのシリーズは、沢木がかつて「対談」を行ったものを集めて編纂されている。
「センションズ2」は、「青春の言葉たち」(このタイトルからし沢木らしいといえばいえるが)とあるように、10人との「対談」でそれぞれが生きた青春のときめきのような対談が収められている。
映画監督長谷川和彦、武田鉄矢、立松和平、吉永小百合、尾崎豊、周防正行、棋士の先崎学、漫画家の福本伸行、俳優大沢たかお、劇団主宰者上村良介。
このシリーズには巻末に沢木のエッセイが収められていて、この巻では「「きく」ということ」というタイトルで、インタビューと対談の違いについても書かれている。
沢木は「インタビューが訊ねる人と答える人が固定化された一方向のもの」であり、対談は訊ねると答える、その役割が一定でなく「双方向」のものだと、そのエッセイの中に書いている。
そういう点からすれば、やはり同世代が相手だと「双方向」のやりとりがうまく稼働している。
沢木は1947年生まれだが、同じ年生まれの立松和平との対談、1946年生まれの上村良介との対談などは、うまい対談になっているように感じた。
その一方で、1965年生まれの尾崎豊とのそれは対談というにはうまく回っていなく、インタビューとしても沢木が少し苛立っているのではないかと感じる場面もある。
尾崎豊の発言を読んでいると、多分尾崎自身の中で消化されない言葉がもやもやしているように思えた。
その点では尾崎豊の言葉こそ「青春の言葉たち」だったかもしれない。
(2020/06/13 投稿)

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