06/30/2020 鐘よ鳴り響け 古関裕而自伝(古関 裕而):書評「朝ドラロスになった人はぜひお読み下さい」

大河ドラマに続いて
ついに朝トラ「エール」も
今週から再放送となりました。
コロナ禍で
収録が追いつかなくなった影響です。
ドラマはまだ半分ほど。
これから戦争に突入して
主人公の活躍、
つまりは名曲の数々の誕生が
描かれるはず。
その後、モデルとなった古関裕而さんが
どんな人生を歩むか
気になる人はぜひお読み下さい。
今日は
古関裕而さんの自伝
『鐘よ鳴り響け』を
紹介します。
じゃあ、読もう。

その生涯で5000曲以上を作曲したといわれる作曲家古関裕而さん。
古関さんが1989年(平成元年)8月に80歳で没してから30年以上経って、2020年にNHK朝ドラ「エール」のモデルになったことで、再び脚光を集めている。
この本は1980年(昭和55年)に刊行された古関さんの「自伝」である。
その「あとがき」に、「作曲家になって満50年になった」とある。
1909年(明治42年)生まれの古関さんにとって、ある区切りの執筆であったのだろう。
この自伝でも古関さんの有名な曲が生まれたエピソードが曲ごとに綴られている。
早稲田大学の応援歌「紺碧の空」であったり、初のヒットとなった「船頭可愛や」や戦時中の「露営の歌」や「暁に祈る」などの名曲は戦争が終わったあとも歌われていたほどだ。
戦後は菊田一夫氏とのコンビで名曲を次々と発表。
「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」、「フランチェスカの鐘」、そしてサトウハチロー作詞による「長崎の鐘」。
古関さんは自身の曲に「鐘がつくもの」が多いのは偶然と書いているが、自伝のタイトルもそこから付けられたものにちがいない。
ちなみに、古関さんの奥さんの名前は「金子(きんこ)」。
彼女もまた古関さんにとっての「カネ」だったのかもしれない。
金子さんとの結婚までのエピソードも今では有名になったが、この自伝ではあまり書かれていない。
あまりに有名な歌が多すぎて、「オリンピック・マーチ」のエピソードもさらりとなっていたりするが、古関さんの人生をたどるには欠かせない「自伝」であることは間違いない。
(2020/06/30 投稿)

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