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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  夏井いつきさんの
  『夏井いつきの日々是「肯」日』という
  俳句+エッセイの本を
  紹介します。
  「日々是「肯」日」は
  もちろん「日日是好日」の
  もじり。
  さすが夏井いつきさん、
  うまい字をあてたものです。
  この本では夏井いつきさん自身が
  夏井いつきを語っている文章も多く、
  「夏井」という性は最初に結婚した時のものだと
  今回初めて知りました。
  名前は本名「伊月」をひらがな表記したもの。
  祖父が名付け親だとか。
  いい名前です。

  じゃあ、読もう。  

  

sai.wingpen  喜びの見つけ方教えます                   

 この本の表紙にも使われている、一枚の写真がある。
 普段使いではもっと汚れて雑になっているだろうが、写真ではきれいに片付いている台所。でも、そこで料理をしたりする人の息づかいが聞こえてきそうな写真。
 その写真に付けられた夏井いつきさんの俳句、「野菊さんへ春の紙飛行機とどけ」。
 一読して意味がわからないその句をわかるには、そのあとにある文章の手助けが必要だ。
 そこには、夏井さんの句会仲間の「野菊さん」というおばあさんが、年をとってきて句会を引退しようと考えていることが記されていて、そんな「野菊さん」に夏井さんはリビングや台所にも俳句のタネがあるし、「俳句は逃げないよ」と、教えてあげたいと文章はつづく。
 それが、先の俳句になって、その俳句と写真がこの文章でつながっている。
 この本は、このように俳句と写真と文章で構成されていて、夏井さんも「はじめに」で、「三つを一体の作品として味わっていただいたら幸せ」と書いている。

 この本が出たのがすでにコロナ禍で世の中が沈んでいた2020年5月。
 夏井さんの文章がいつ書かれたものかわからないが、「はじめに」の中でこんな文章を見つけた。
 「心が内へ内へ向き始めると、(中略)心が、息できなくなってしまうのです。が、そんな生きづらい日々の中にも、小さな喜びがある。俳句は、その見つけ方を教えてくれます」。
 夏井さんの俳句を読んで、夏井さんがどんな喜びの見つけ方をされているか。考えてみるのも、この本の愉しみの一つではないでしょうか。
  
(2020/09/30 投稿)

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  外山滋比古さんの訃報を聞いて
  もう一度あのベストセラーを読んでみようと
  購入したのが
  今日紹介する『思考の整理学』。
  最初に読んだのは
  2010年3月で
  今回が再読になります。
  二度読んだから
  本の内容を理解できたかというと
  やっぱり自信はありません。
  この本が売れるきっかけとなった
  一枚のPOPに書かれていた 
  「もっと若い時に読んでいれば…」という言葉が
  身に染みます。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  伝説のPOPで大ベストセラー                   

 先日(2020年7月30日)96歳で亡くなった外山滋比古さんは英文学者で大学で長い間教鞭をとられていたが、それ以上に外山さんの名前を有名にしたのが、この一冊の文庫本である。
 もともとこの本は1983年に筑摩書房から「ちくまセミナー」の一冊として出版され、1986年に文庫化されている。
 平易な文章で書かれているとはいえ、思考を整理するという普通の人にはなかなかなじみにくい本が、今では200万部を越える大ベストセラーになったのは、2007年に盛岡市にあるさわや書店の松本大介さんが「もっと若い時に読んでいれば...」というPOP(ポップ)でつけたことで火がついたという。その後、東大、京大の生協の書籍販売ランキングでトップになって、文庫本の帯に「東大・京大で一番読まれた本」と書かれ、さらに売れていったという、今では出版界の伝説のような話になっている。

 改めて読むと、「思考の整理というのは、低次の思考を、抽象のハシゴを登って、メタ化していくこと」といったように、根本的に難しいことを伝えようとしているのがわかる。
 ただこの本が売れた(但し、売れたから必ず読まれた、あるいは理解されたとならないから注意が必要だが)のには、「思考の整理とは、いかにうまく忘れるか」であるとか、「声も思考の整理に役立つ」ので音読を薦めたりと、わかりやすい側面も多いからであろう。

  さわや書店の一枚のPOPを見てこの文庫を手にした最初の読者はどんな人だったのだろうか、興味がわいて仕方がない。
  
(2020/09/29 投稿)

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 2週続けて
 週末の天気が悪く
 畑に行くタイミングがなかなか見つかりません。
 なんとか
 昨日の日曜(9月27日)
 畑に行けました。
 あんなに暑かった日々も
 すっかりどこかにいって
 そこかしこに秋の気配を感じます。
 例えば、畑で見つけたコオロギ

  20200927_100905_convert_20200927130008.jpg

 秋を代表する虫です。

    こほろぎのこの一徹の貌を見よ       山口 青邨

 私が借りている畑は
 四つの畝でできています。

  20200927_085737_convert_20200927125806.jpg

 写真でいえば
 右の長ナスが植わっている畝が1番畝、
 次の2番畝には今ミニハクサイキャベツロマネスコ
 次の3番畝はダイコンニンジン
 この2つの畝は今防虫ネットをかけています。
 そして、左端が4番畝。
 今ここはエゴマオカノリを栽培しています。
 この日、1番畝で育てていた
 長ナス甘長トウガラシ、それとショウガ
 伐採しました。
 今年よく取れた長ナスもおしまい。
 結局130本の収穫でした。
 今回収穫したショウガ
 いい出来でした。

  20200927_092839_convert_20200927125900.jpg

 再来週には
 この畝でイチゴの栽培が始まります。

 この1番畝の隅で
 シソも栽培していて
 今ちょうど穂ジソの季節。

  20200927_085513_convert_20200927125553.jpg

 このあとでシソ実が出来ます。

    紫蘇の実の匂へば遠き母のこと      伊藤 伊那男

 これは
 ロマネスコ(右側)とキャベツ(左側)の
 今の様子。

  20200927_102401_convert_20200927130054.jpg

 ロマネスコは初めて栽培するので
 成長の過程も
 新鮮です。

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  絵本に限らず
  本を読む際に
  作者の自作を語る言葉が時に
  とても役に立つことがあります。
  今日紹介する絵本、
  石川えりこさんの『流木のいえ』は
  作者のことばを読んで
  絵本が持っている意味が
  とてもよくわかりました。
  さすがにこの絵本が
  絵本作家の田島征三さんの影響を受けていたとは
  ことばを読むまでは
  わかりませんでした。
  お父さんに本を買ってもらったというのも
  いい話です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  感謝がつながっていく                   

 この絵本が出た2017年にある雑誌に作者の石川えりこさんはこんなことを綴っています。
 「小さなころ、誕生日や父のお給料日には必ず街の本屋さんへ連れて行ってもらい、本を一冊買ってもらいました。(中略)そうやって私の本棚には、「とくべつな本」が一冊ずつ増えていきました。」(月刊「こどもの本」2017年10月号)
 石川さんは昭和30年生まれですが、その頃のこの国はまだそんなに豊かではありませんでした。
 つぎあてをした服や鼻水にてかてかになった袖口の服など当たり前であったそんな生活で、きっと石川さんのようなお父さんがいること自体とても恵まれたものだったと思います。
 お父さんがどのような大人になることを娘に願っていたのかわかりませんが、少なくともそうやって読んできた本たちの結晶がこうして一冊の絵本になったのですから、本の力、お父さんの優しさはすごいものだと思います。

 そして、もう一人、この絵本に影響を与えたのが絵本作家の田島征三さんでした。
 先の雑誌の中で、田島征三さんが新潟に美術館の立ち上げる準備をした際に手伝いをしたことが書かれています。
 海に流れついた流木で何かを創り出す、この絵本に出てくる絵描きは田島征三さんがモデルだったみたいです。

 絵本の最後に書かれた石川さんのメッセージ、出会った本と出会った絵描きへの感謝の意味がこれでわかりました。
 そして、そんな石川さんが描いた絵本に読者もまた感謝です。
  
(2020/09/27 投稿)

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  ドラマ「半沢直樹」
  いよいよ明日最終回を迎える。
  ドラマの中で堺雅人さん演じる半沢直樹が
  しばしば口にするのが「バンカー」という言葉。
  かつて「最後のバンカー」といわれた
  元住友銀行頭取の西川善文さんが
  9月11日に亡くなった。
  今日はその追悼の意味で
  西川善文さんが書かれた
  『ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録』を
  紹介します。
  西川善文さんは
  流通大手だったダイエーの破綻の際にも関わっていて
  この本でもダイエー創業者中内功氏とも
  内密に面談を重ねていたことが書かれていたりします。
  まさに
  日本経済の歴史を見る思いでした。

  ご冥福をお祈りします。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  かつて「最後のバンカー」と呼ばれた男がいた                   

 スーパーで働く人はスーパーマンという笑いを誘う喩えもあるが、銀行員のことをバンカーと呼ぶ時は仕事に対する誇りのようなものがあったような気がする。
 かつて「ラストバンカー」と呼ばれた元住友銀行頭取で、その後は初代の日本郵政の社長となった西川善文氏が9月11日に亡くなった。82歳だった。
 亡くなる9年前の2011年秋に刊行されたのが、副題にあるように西川氏の「回顧録」で、バンカーとして生きたその日々が綴られている。
 西川氏は銀行員として支店営業に携わったのはわずか4年だという。つまりそのほとんどは、戦後の日本経済史に記録される安宅産業の破綻処理、イトマン事件の処理、そしてバブル崩壊後の不良債権処理だった。
 その間にかつては花形であった銀行員も厳しい現実に直面し、潰れることはないといわれた金融機関がいくつも消えていく。
そして、合併統合を繰り返し、今では記憶となった銀行名も多い。

 西川氏はこの本の中で「バンカーの責務」をこう記している。
 「健全な経営をすることによって、お客様から預かったお金をきちんと運用し、内外の経済発展に寄与すると同時に、銀行で働く人々の待遇をできるだけ改善し、その士気を高めて競争力を上げていくこと」だと。
 まるで今人気の銀行員が主人公のドラマの中の台詞のようだ。
 西川氏が関わった仕事のことが書かれているが、もちろん書かれなかったこともたくさんあるだろう。
 それこそ墓場まで持っていくような話の数々があったにちがいない。
 いつか誰かが歴史の表舞台に出すことがあったとしても、この西川氏の「回顧録」の意義は大きい。
  
(2020/09/26 投稿)

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  秋になると
  今日紹介する
  よしもとばななさんの『デッドエンドの思い出』の
  落葉の中を遊んでいる子供を描いた表紙の
  この本が読みたくなります。
  最初にこの本を読んだ時の
  書評のタイトルが「秋が深まる頃にもう一度読んでみたい」なのに
  2003年に読んで以来
  今回が初めての再読です。
  ちなみに
  この時に書いた書評はこちらから読めます。
  最初に読んでから
  17年も経ちましたが
  幸福な気分は
  今回もありました。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  再現できない幸せ                   

 2003年に刊行された、表題作「デッドエンドの思い出」を含むよしもとばななさんの5篇の短編集。(ばななさんは今は「吉本」とデビュー当時と同じ漢字表記にされていますが、この短編集を出した当時は「よしもと」とひらがな表記でした)
 この本の「あとがき」で、「デッドエンドの思い出」という小説が「これまで描いた自分の作品の中で、いちばん好き」と書いています。
 それからもばななさんはたくさんの作品を書いていますから今でも「いちばん好き」なのかわかりませんが、ばななさんの作品群の中でも重要な作品であると思います。

 「デッドエンド」、すなわち「行き止まり」。
 この作品の主人公ミミは婚約者であった男性に裏切られ、彼の住む遠い町で行き止まっています。両親や妹の住む故郷には帰りたくない。
 なので、この町の「袋小路」というバーの二階に潜んでいます。
 そこでミミは西山君という、子供の頃に父親から虐待をうけたという青年と知り合います。
 この短編は行き止まったミミが西山君と過ごす何気ない時間が描かれています。
 とってもひどい経験をしながら、ミミはそのあとで西山君との癒しの時間を持てたことを「二度とは再現できない、そういう感じの幸せ」と感じます。
 ミミと西山君の間には男と女のすごいことも起こりませんが、二人の交わす会話のなんという大らかさでしょう。
 そういうなんでもない時間こそが「再現性のない幸福」なのかもしれません。

 この短編を読むことで幸せは再現できるかもしれませんが、それはいつもちがった幸せなのだと思います。
 そして、そのことに少し満足しています。
  
(2020/09/25 投稿)

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  昨日
  第77回芥川賞受賞作
  池田満寿夫さんの『エーゲ海に捧ぐ』を
  紹介しました。
  今日は
  次の第78回芥川賞受賞作となった
  宮本輝さんの『蛍川』を
  紹介します。
  この2つの作品が
  連続した回の芥川賞受賞作とは
  ちょっと失念していました。
  それほど雰囲気が違います。
  二つの作品も再読したものですが
  特に
  今回の『蛍川』は
  きっと3回ぐらい読んだかもしれません。
  ただ今回は随分久しぶりです。
  いい作品は
  何度読んでもいいですね。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  宮本輝、ここから始まる                   

 第78回芥川賞受賞作。(1977年)
 第77回芥川賞が池田満寿夫氏の『エーゲ海に捧ぐ』の受賞で物議をよんだ反動で、宮本輝氏の抒情性の高い作品で決定したのかと思いきや、この回もかなりもめたようだ。
 結果として、この第78回も高城修三氏の『榧の木祭り』との2作受賞となった。
 選評を読むと、大江健三郎委員は批判的である。
 「いま現におなじ時代のうちに生きている若い作家が、ここにこのように書かねばならぬという、根本の動機がつたわってこない」と、手厳しい。
 1935年生まれの大江氏からみて、1947年生まれの宮本氏が古色蒼然とした読みものを書くことが許せなかったのかもしれない。
 しかし、その後の宮本氏の作家活動を見ていくと、この作品は宮本氏にとって「根本の動機」であったことがよくわかる。
 まさにこの作品と『泥の河』が宮本氏の原点といっていい。

 この作品は富山を舞台に中学2年の冬から中学3年の夏までの、一人の少年を主人公にした中編である。
 冬に少年の父重竜が倒れ、春その父が亡くなる。
 そして、少年と母千代は夏、蛍の乱舞を見られれば、大阪に引っ越していくことを決める。
 多くの選考委員がそのラストの場面を絶賛している。
 久しぶりのこの作品を読んで、ラストの蛍の乱舞の美しさよりも、母である千代がかつて他の妻の亭主であった重竜と越前へ駆け落ちする場面の方が印象深かった。
 それ以外にも場面転換の巧さなど映画的な手法が随所に見える。
 その映画的センスが、ラストの蛍の乱舞の見事な演出につながったように思う。
  
(2020/09/24 投稿)

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  芥川賞
  この上半期で第163回を迎えていますが
  その中でもう一度
  読んでみたいと思う受賞作は
  やはり自分が若い頃読んだ作品になります。
  今日は
  1977年、第77回の芥川賞受賞作となった
  池田満寿夫さんの『エーゲ海に捧ぐ』を
  紹介します。
  書評タイトルにつけた
  「あの歌も思い出します」は
  ジュディ・オングさんが歌った
  「魅せられて」のこと。
  1979年の大ヒット曲です。
  私自身もまだ20代になったばかりで
  そういうこともあって
  印象に残っているのでしょうね。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  あの歌も思い出します                   

 第77回芥川賞受賞作。(1977年)
 この時の詮衡はえんえん3時間を超したといわれ、この回を持って選考委員の一人永井龍男氏が選考委員を辞任することになった問題作である。
 この作品の作者池田満寿夫氏はすでに版画家として国際的に名をなした芸術家であったことから、中村光夫選考委員は「氏を芥川賞の対象となる「新人」と見てよいかについては、多少の疑問」と選評に記しているが、問題はそこではなかった。
 永井龍男委員は、この作品を「空虚な痴態だけが延々と続く」だけで、「これは文学ではないと思った」と酷評する。そして、この作品より先に芥川賞を受賞した村上龍氏の『限りなく透明に近いブルー』と合わせて、自分には「前衛的」な作品を評する資格がないのではと辞任に至るわけである。

 永井委員のような反対意見がある一方で、先の中村光夫委員は「抜群の出来」と絶賛している。
 おそらく気分的には、この作品が芥川賞にふさわしいかどうか、のちの歴史が証明するということだろう。
 受賞当時にこの作品を読んで、ほとんど半世紀近くなって再読したが、私はこの作品を永井委員のいうような「空虚な痴態」とは思わなかった。
 東京の妻からの嫉妬の国際電話が外国の地にいる主人公にかかっている。その主人公の前では2人の外国の女が肌を絡ませている。
 それがひたすら描かれているのであるが、長い、ここでは書かれなかった物語の一挿話を切り取った作品だと思えば、読みにたる作品だと感じた。

 それにしても、池田満寿夫氏が亡くなったのは1997年だから、すべて遠い日の出来事のようだ。
  
(2020/09/23 投稿)

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  今日は秋分の日
  四連休の最後の日。
  お家でゆっくり過ごすという人も
  多いかと思います。
  こんな日は子供たちと
  絵本を読んでみるというのはどうでしょう。
  そんな日にぴったりの絵本を
  今日は紹介します。
  石井睦美さん文、
  あべ弘士さん絵の
  『100年たったら』。
  この絵本を読みながら
  遠い先祖のことや
  これからの未来の話など
  してみるのもいいのでは。

  じゃあ、読もう。   

  

sai.wingpen  誰かに手渡したくなる絵本                   

 絵本の名作には、おばあちゃんが子供の時に読んで、子供が生まれたらその子も読んで、その子が結婚して子供が誕生したらその子も読んでいる、そんな何代へと続く名作があります。
 もしかしたら、この絵本もそんな名作になるのではないか、そんな気がします。
 2018年秋に出た絵本ですから、何代も先の子供たちが読むのはまだまだ先のお話ですが。

 ずっとむかしのお話です。
 広い草原に一匹のライオンが住んでいました。その草原にはこのライオン以外に動物がいなく、ライオンは草や虫を食べていました。
 そんなある日、ライオンは一羽の鳥と出会います。
 久しく肉を食べていないライオンでしたが、鳥を食べることはしませんでした。
 お腹は減っていましたが、それよりも誰かと一緒にいることを選びました。
 でも、いつか別れがやってきます。
 ライオンは弱っていく鳥に「おれは、ただあんたといたいんだよ」とおいおい泣きます。
 鳥は「100年たったら、また会える」とライオンを慰め、死んでしまいます。
 そうして、100年経ちました。
 ライオンは貝に、鳥は波になっていました。
 そのあとの100年、その次の100年、ライオンと鳥はそのたびに姿を変えて、それでもかつてはどこかで会ったことがある記憶だけが残っています。
 何度目かの100年、二人は男の子と女の子になってめぐりあうのです。

 絵本は子供だけのものではありません。
 大人の人でも十分に鑑賞できる作品があります。
 この作品がまさにそう。
 何代へと続く人たちに読んでもらいたい、そんな一冊です。
  
(2020/09/22 投稿)

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 明日は秋分の日
 昔から「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように
 さすがに秋めいてきました。
 俳句の世界では
 「彼岸」は春の季語で、
 秋の場合は「秋彼岸」といいます。

    木の影は木よりも長く秋彼岸      友岡 子郷

 この季節よく見かけるのが
 露草。
 別名、蛍草。

  20200918_090644_convert_20200919105026.jpg

 葉室麟さんの作品にも『蛍草』というのがありました。

    露草も露のちからの花ひらく     飯田 龍太

 畑の方は
 秋冬野菜の植え付けも終わって
 今はじっくり成長を見守る時期。
 これはミニハクサイ

  20200918_094118_convert_20200919105510.jpg

 一番成長している苗を撮りました。
 同じ時期に植えたのに
 やはり成長の度合いが違います。
 自分の畝でもそうで
 ましてや隣近所の畝と比べて
 つい落ち込んだりもします。
 じっとがまん。
 野菜もやっぱり個性がありますから。

 これはダイコンの芽。

  20200918_092749_convert_20200919105203.jpg

 このあと間引きして
 ひと穴に2~3本にしました。
 ダイコンは芽が出やすいですが
 ニンジンには苦労しています。
 なんとか芽が出ているのは
 数本。

  20200918_092845_convert_20200919105348.jpg

 この芽を大事に育てないと。

 この日(9月18日)
 ショウガもひとつを収穫しましたが、
 小さい小さい。

  20200918_105710_convert_20200919105711.jpg

 あと一つありますので
 そちらに期待して。

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  明日は敬老の日

    敬老の日の公園の椅子に雨      星野 高士

  敬老の日といえば
  9月15日じゃないかと
  昭和の人ならいいたくなるかもしれませんが
  今は9月の第三月曜と決まっています。
  おかげで
  今年は4連休で
  コロナ禍でも人は動いているようです。
  今日は
  西本鶏介さん文
  長谷川義史さん絵の
  『おじいちゃんのごくらくごくらく』という
  絵本を紹介します。
  コロナ禍で
  遠くのおじいちゃんやおばあちゃんと
  会えない人も多いかと思いますが
  電話してあげるだけでも
  喜びますよ、きっと。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  おばあちゃんもお忘れなく                   

 「広辞苑」には「おじいさん」という言葉は2つの意味が載っている。
 1つめが「祖父を敬っていう語」で、2つめが「男の老人を敬い、また親しんでいう語」とある。
 なので、早い人では40代で「おじいさん」という人(1つめの意味)もあれば、孫がいなくて65歳の高齢者になっても「おじいさん」と呼ばれたくない(2つめの意味)人もいるだろう。
 1つめの意味なら「おじいさん」と呼びやすいが、2つめの意味だと何歳ぐらいからそう呼んだらいいのか困る。
 まして、容姿が若く見える人はより難しい。
 「おじいさん」俳優といえば、「東京物語」などの出演で有名な笠智衆さんがいるが、「東京物語」の時の笠さんはまだ50歳になっていなかった。

 この絵本の「おじいちゃん」は1つめの意味でもあるし、長谷川義史さんの描く絵は2つめの意味の「おじいちゃん」でもある。
 つまり、正真正銘の「おじいちゃん」。
 主人公の男の子は保育園か幼稚園に通う男の子。家にはお父さんとお母さん、それにおじいちゃんがいて、男の子はおじいちゃんが大好きなのだ。
 だから、おじいちゃんとお風呂にもはいる。
 お風呂でのおじいちゃんの口癖が「ごくらくごくらく」。
 この言葉はこのおじいちゃんだけでなく、昔のおじいちゃんがよくいっていた言葉。
 極楽は知らないけれど、きっと極楽とはこんなところという気分が言葉になったのだろう。
 男の子はおじいちゃんと温泉に行く約束をするのだが・・・。

 最後はちょっとぐすんとなる、家族の絵本。
  
(2020/09/20 投稿)

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  今日は
  俳人正岡子規の忌日、子規忌
  別名、糸瓜忌ともいう。

    糸瓜忌の朝のきれいな目玉焼      森田 智子

  糸瓜忌
  正岡子規の辞世の句からちなんだものだろう。

    痰一斗糸瓜の水も間に合わず      正岡 子規

  そこで
  今日は正岡子規生誕150年の年の2017年に刊行された
  復本一郎さんの
  『正岡子規 人生のことば』を
  再録書評で紹介します。
  正岡子規が亡くなったのは1902年ですが
  100年経っても
  正岡子規の魅了は消えることはありません。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  子規のように生きたい                   

 2正岡子規が生まれてからすでに150年を過ぎた。
 慶応3年(1867年)生まれではあの夏目漱石も同じで、だから同じ生誕150年であってもどうしても漱石の方が目立ってしまうのだが、さすが岩波新書だけあって、こうして子規関連の本も刊行された。
 著者の復本氏は近代俳論史を専攻しただけあって、すでに子規関連も多数ある。
 もっとも子規の人生は晩年の「病床六尺」の生活のあと、わずか36歳の短い一生であったから、手にあまるような著作も残していない。しかし、その業績といえば、これがわずか36歳のいのちであったかと思えるほどに、繁盛している。

 子規の手紙や『病床六尺』や『墨汁一滴』などの随筆、あるいは「筆まかせ」などの文章から、読者を勇気づけることばを選んで編まれている。
 選ばれたことばは80に及ぶが、「泣 生きているから、弱音をはく」「希 病んでいるから、望みをもつ」といったようにいくつかの単元に分かれている。
 だが、そもそも子規はどういう人物であったのか。
 何故彼が150年も経て、今なお私たちに勇気を与えるのか。

 「はじめに」で復本氏が紹介している「無邪気な人を愛する。謙遜な人を愛する」で始まる佐藤紅緑の言葉がわかりやすい。
 なかに「好んで人の言を容るる」などは強引そうな子規の顔からは想像しがたい、柔軟な性格を持っていたと思わせる。
 今でいえばボスの風格があったのだろう。
 それでいて、愛される可愛さのようなものも持ち合わせていたのだろう。

 子規が「病床六尺」の世界で描いたすべてが「人生のことば」にちがいない。
  
(2017/07/13 投稿)

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  先日
  大泉洋さん松田龍平さん主演の
  映画「探偵はBARにいる」シリーズを
  3本立て続けに観る機会があって、
  あまりの面白さに
  映画の原作である
  東直己さんの「ススキノ探偵」シリーズの第一作
  『探偵はバーにいる』を
  読みました。
  驚いたのは
  この本が1992年に刊行されていること。
  そのあと、人気が出てシリーズ化され
  映画化となったようです。
  原作も映画に負けず
  面白かったですが
  どちらをとるかといえば
  やはり映画かな。
  ハードボイルドは映画と相性がいい。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  今夜ススキノで何が起こるの                   

 「ハードボイルド小説」はほとんど読んでいないので、1992年に発表されたこの長編小説が「ハードボイルド小説」としてどれぐらいの出来なのかわからない。
 そもそも「ハードボイルド小説」とは何か。
 ウィキペディア(Wikipedia)で調べると、「文芸用語としては。暴力的・反道徳的な内容を、批判を加えず、客観的で簡潔な描写で記述する手法・文体をいう」とある。
 続いて、アーネスト・ヘミングウェイの名前があがっているが、実はそのあとにある「行動的でハードボイルドな性格の探偵を登場させ、そういった探偵役の行動を描くことを主眼とした作風を表す用語として定着」とあるように、ミステリ小説の一分野と解した方がわかりやすいかもしれない。

 この小説の主人公「俺」は札幌の歓楽街ススキノで探偵というほどではない便利屋のような稼業をしている。
 便利屋とはヤクザの取り立てから逃れたり、ホステスの取り立てを助けたりするそんな職業だ。
 そんな「俺」のところに舞い込んだきたのが、大学の後輩からの依頼で、同棲中の彼女がいなくなったので探し出して欲しいというもの。
 気楽なつもりで引き受けた「俺」は、殺人事件に巻き込まれて、謎の若者たちから暴力を受け、それでもどうやら生きている。
 きっとこの小説が小気味いいのは、ススキノという場所とも関係しているのではないか。
 白い雪に真っ赤な血がこぼれたり、ネオンが届かないような路地で叩きのめされたり、それってやっぱり「ハードボイルド」だと思う。
  
(2020/09/18 投稿)

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  9月12日の
  朝日新聞「天声人語」
  アガサ・クリスティの話が載った。
  何故、この日にアガサ・クリスティーなのか
  どうも謎であったが
  彼女が1890年9月15日に生まれているからだろうか。
  その記事に書かれていたが
  クリスティーが作家デビューして今年で100年。
  その作品は
  「いまも色あせない」とある。
  今日は
  アガサ・クリスティーの『葬儀を終えて』を
  紹介します。
  いつものように
  霜月蒼さんの『アガサ・クリスティー完全攻略』によれば
  ★★★★★
  最高得点です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  犯人は鏡のなか?                   

 アガサ・クリスティーの名探偵ポアロシリーズの一冊。
 1953年に発表され、中期の傑作と称賛されている作品だけあって、間違いなく面白い。さらに、うまく仕掛けれていて、読者は犯人を見つけることはまずできないだろう。

 事件の発端はタイトルが示す通り、ある富豪の「葬儀を終えて」、彼の遺産を相続するであろう人達が集まった席で起こる。
 集まっていたのは亡くなった富豪の弟の嫁、それと妹、さらには甥、姪、その配偶者。
 遺産の分配の内容が公表されたあと、妹が発した一言で、その場が凍り付く。
 「だって、リチャード(亡くなった富豪の名)は殺されたんでしょう?」
 そして、その妹が翌日惨殺死体で発見される。
 富豪は本当に殺されたのか、妹は何故殺されたのか。

 この作品が面白いのは「ここにいるほとんどすべてが、確実性こそ少ないが、事情と場合によっては殺人者たり得る素質を持った人間ばかり」なのだ。
 だから、物語の途中ではあの名作『オリエント急行の殺人』の仕掛けを踏襲しているのかと勘繰ったりしたが、もちろんそんな安易な手は使っていない。
 しかも、この作品のすごさは犯人が判明したあと、振り返ってみれば、物語のはじめ、第2章までにその伏線が仕掛けられている。
 もっともそれは結果がわかった時にわかる仕掛けだから、いくら注意深く読んでもわからないだろう。

 まさに脱帽の、一級のミステリである。
  
(2020/09/17 投稿)

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  今日は
  2作受賞となった第163回芥川賞
  もう一つの受賞作、
  高山羽根子さんの『首里の馬』を
  紹介します。
  今回の2作の受賞作は
  まったく描く世界は違いましたが
  どちらも水準が高く
  2作とも読書の愉しみを
  味わらせてくれました。
  ところで
  高山羽根子さんが勉強した根本昌夫先生の教室で
  あの『おらおらでひとりいぐも』で
  芥川賞を受賞した若竹千佐子さんと
  一緒だったとか。
  すごいな根本昌夫先生は。

  じゃあ、読もう。
  
  

sai.wingpen  私も一読して、〇をつけました                   

 第163回芥川賞受賞作。(2020年)
 芥川賞と直木賞の違いとは何か。随分と言われ続けている問題だが、明確な答えはない。あるとすれば、発表誌の違いとなるのかもしれない。
 沖縄の古びた民俗資料館で資料整理を手伝いながら、世界のどこかの場所で日本語が堪能な異国の人たちとオンラインでクイズを出す仕事をしている女性が主人公の、この受賞作はまるで近未来を描いたSF小説のような感じすらする。(もっともこの程度の世界はすでにリアルな現状で、近未来ともいえないのかもしれないが)
 発表誌は文芸誌の「新潮」であるから、やはり芥川賞にふさわしい作品なのだろうと納得するし、そういうことと関係なく、いい作品だった。

 選評を読んでも、「ずば抜けて面白い」と松浦寿輝委員がのっけから書いているし、川上弘美委員も「静かな絶望と、その絶望に浸るまいという意志に、感じ入りました。一読、すぐに〇をつけました」と、大絶賛である。
 主人公の家の庭に台風とともに迷い込んできた一頭の馬。「宮古馬」という小ぶりの馬だとはいえ、馬は馬。目立つはず。主人公はその馬を手なずけ、その馬を介して世界につながろうとする。
 ここで提示されているのは、オンラインより先の、世界とのつながり方の提示ではないか。
 こういう大きな世界観を描いたとすれば、高山羽根子という作家も面白い開花がみられるのではないだろうか。
  
(2020/09/16 投稿)

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  コロナ禍で
  6月下旬からおよそ2ヶ月半
  中断を余儀なくされていた
  NHK朝の連続テレビ小説「エール」
  ついに
  昨日9月14日から再開されました。
  いつもなら4月から9月の6カ月で完結しますが
  今回はいつもより10話少なくして
  11月末までの作品となるようです。
  今回の「エール」も
  毎日楽しみにしていたので
  この中断がどう影響するのか
  気になりますが
  私、「朝ドラ」の味方なので
  これからも見続けます。
  今日は朝ドラ「エール」の再開を祝して
  田幸和歌子さんの
  『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』を
  再録書評で紹介します。
  私からのエールです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  私、「朝ドラ」の味方です                   

 人によってそれはちがうだろうが、私の場合のNHK連続テレビ小説、通称「朝ドラ」初体験は『おはなはん』だったような気がする。
 この作品は1966年放送だから、私が11歳の時だ。
 「朝ドラ」開始から半世紀以上経つが、その中でもこの『おはなはん』という作品は、現代に脈々と続く「朝ドラ」の礎を築いたともいえるもので、私より上の世代の多くは記憶しているのではないだろうか。
 ヒロインを演じた樫山文枝さんの愛くるしさ、印象に残る音楽(今でも口ずさむことができる)など、子どもにも印象深い作品だった。
 だが、残念ながら現代とちがい録画といった方法もなく、1年間(当時の「朝ドラ」は1年間の放送だった)見続けたという記憶はない。
 それからあとの私の「朝ドラ」体験はほとんどない。あの『おしん』でさえ、見ていない。
 「朝ドラ」の時間帯には、学生時代は寝ているか、働きだしてからは通勤途上だ。
 だから、どうしても「朝ドラ」は女性、しかも家で働く女性が対象となっているかもしれない。

 ところが、私の「朝ドラ」事情は、2011年の下半期に放映された『カーネーション』で一変する。
 私の出身の大阪岸和田を舞台にしていたということもあるが、とにかく面白かった。
 この作品は今でも支持する人が多いようで、この本でも「朝ドラの熱狂」という最初の章は「カーネーション」小論となっている。
 今は録画という手段もあるから、毎日仕事から帰ってから見ていた。こんないいドラマを今まで見過ごしてきたのかという悔いも残った。
 それから現在の『純と愛』まで、あまりTVを見ない私としては唯一といえる習慣となっている。

 本書の著者の「朝ドラ」初体験は『マー姉ちゃん』(1979年)だったそうだ。
 これが6歳の頃というから、随分ませた子どもだった。ただ、父親も含めた家族の場での視聴だったようで、「朝ドラ」はそういう家族の絆づくりにも貢献していた。
 そんな著者だから、「朝ドラのヒロイン」「朝ドラの恋愛・結婚」「朝ドラの家族」といった内容はとても充実していた。むしろ、このページ数ではとても語り尽くせないのではないだろうか。
 著者は「日本の親たち・祖父母たちの代弁者として、いつでもたくさんの大切なことを教えてくれた」と「朝ドラ」を評価している。
 「朝ドラ」初心者の私としても、同感だ。
  
(2012/12/3 投稿)

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 酷暑、炎暑といわれた
 今年の猛暑も
 どうやら落ち着きそうな気配です。
 近くの田んぼでは
 稲刈りも始まっていました。

  20200911_103542_convert_20200912170230.jpg

    世の中は稲刈る頃か草の庵      松尾 芭蕉

 畑のニラが今年も花を咲かせました。

  20200911_083733_convert_20200912165946.jpg

 9月11日(金曜日)には
 秋冬野菜の第二弾の植え付けをしました。

  20200911_084617_convert_20200912170139.jpg

 左の方がキャベツ、右の方が茎ブロッコリー
 写真のように
 まずマルチ開けで苗の植え付け穴を開け、
 そこに水をいれます。
 苗を植えつけたあとしっかり土となじむようにするためです。
 水がひけば植え付けです。
 その横には
 玉レタスを植え付けました。

  20200911_164631_convert_20200912170345.jpg

 レタスは今までもロメインレタスとかサニーレタスとかは
 栽培しましたが
 丸く結球する玉レタスは初めて。
 うまくいくか
 楽しみです。

 こちらは先週蒔いた
 ダイコン

  20200911_083911_convert_20200912170044.jpg

 ニンジンとちがって芽が出るのが
 早い。
 もっとも白くて長いダイコンになるまでには
 まだまだ時間がかかります。
 一方のニンジンですが
 なんとか芽が出たのがわずか。
 一本でもニンジンというぐらいですから
 せめて一本でも
 収穫できたらいいのですが。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日も
  先週に続いて
  石川えりこさんの絵本の紹介です。
  『かんけり』という作品。
  先日毎月1回集まっている読書会で
  石川えりこさんの絵本のことを
  話したら、
  「長谷川集平さんの絵の感じに似てますね」といわれた
  メンバーがいました。
  さすがに読書会のメンバーです。
  確かに感じは似ていて
  不思議なことに
  石川えりこさんと長谷川集平さんは
  二人とも
  1955年生まれ。
  なんか同時代ですよね、
  実は私もですが。
  つまりは「かんけり」世代。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  明日へ蹴り出せ!                   

 「かんけり」という遊びを知っていますか。
 空き缶を使ってする遊びですから、子供たちには危ないという人もいるかもしれませんし、漫画「ドラえもん」に出て来るような空き地ほどのスペースも必要ですから、なかなか現代の子供たちにはなじまないかもしれません。
 では、「かんけり」がどんな遊び(だった)か、この絵本の文から説明しましょう。
 絵本では全文ひらがな表記ですが、ここでは漢字まじりで書いておきます。
 「鬼が30数える間に、みんないそいで隠れます。鬼は隠れた人をみつけると、名前を呼びながら缶を踏みます。まだつかまっていない人は、鬼より前に缶を蹴り、みんなを助けます」
 かくれんぼ遊びの変形のような遊びです。

 昭和30年代の頃はよく「かんけり」をしたものです。
 おもちゃなんかあまり買ってもらえなかったですから、空き缶を使ったり新聞紙を使ったりして遊んだものです。
 そのことでいじけることはなかった。だって、みんなそんな暮らしぶりでしたから。
 この絵本の作者石川えりこさんは1955年生まれですから、そんな時代に大きくなった世代です。
 でも、この絵本はただ懐かしい遊びを描いたものではありません。

 主人公のちえちゃんは少し引っ込み思案の大人しい女の子。
 かんけりでも缶を蹴るのが怖くて、まだ誰も助けたことがありません。
 この日は違います。ちえちゃんは最後まで鬼に見つかっていません。つかまったみんなを助けられるのは、ちえちゃんだけ。
 最後に駆け出すちえちゃんのかっこいい顔を見ていると、すっきりすることでしょう。
 まるで、明日への架け橋のような「かんけり」です。
  
(2020/09/13 投稿)

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  来週19日は
  正岡子規の忌日、子規忌

    叱られし思ひ出もある子規忌かな       高浜 虚子

  そこで
  今日は正岡子規の名句で遊ぶ本を
  紹介します。
  夏井いつきさんの
  『子規を「ギャ句」”る』。
  「ギャ句“」とはどんなものかは
  書評にも書いています。
  遊びながら
  正岡子規の句を楽しむ。
  それもまた新しい試みです。
  そこで上の高浜虚子の句を「ギャ句“」てみましょう。

    叱られしギャ句“もある子規忌かな     おそまつ

  じゃあ、読もう。 

  

sai.wingpen  笑いながら子規を読む                   

 まず初めに書いておくと、「ギャ句“」というのは、「名句の一部を変えて、意味や場面の転換を味わい笑う言葉遊び」ということで、「ギャグ」と読む。
 自称「ギャ句“協会会長」の夏井いつきさんがこの本の著者、といっても、正岡子規の俳句から募った「ギャ句”」を、子規の名句とそれらを並べてできている。
 それに夏井協会会長がいつもの辛口評を載せている。

 実際にどんな作品か、子規でもっとも有名なこの句「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」で見てみよう。
 「牡蠣くへば金がなくなる法善寺」(トポル)、「蟹くへば金がなくなり道頓堀」(有田みかん) というようになる。ちなみに( )内が「ギャ句“」を作った作者名。
 名句を遊びにしてふざけてると思う人もあるだろうが、俳句修行にも効果があるというのが、夏井協会会長の御説。
 すなわち、「①名句を読む。②名句を覚える。③韻の働きが体に叩き込まれる。④語彙が増え。言葉に対する感覚が鋭敏になる。」そうだ。

 実際子規の俳句は判っている限りでも2万を越すそうだ。
 手元の岩波文庫の『子規句集』でも2千余りが収録されていて、「柿くへば」のような有名な句以外を知るには、こういう遊びもあっていいのかもしれない。
 この本でも「蒲公英やローンテニスの線の外」のように野球だけでなく、新しいもの好きの子規らしい句を見つけた時には、ちょっと感動した。
 この句の「ギャ句“」は「担保なくローン限度の枠の外」(桜井教人)も、なかなか迷句だ。
  
(2020/09/12 投稿)

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  今日は
  窪美澄さんの連作短編集
  『いるいないみらい』を
  紹介します。
  2019年6月に刊行された作品で
  読みたいと思いつつ
  会を逸していました。
  一度機会を逃すと
  なかなか手の中に戻ってこないものですが
  この作品は
  ありがたいことに
  そうだ、これはまだ読んでいないと
  私のところに戻ってくれました。
  そして、
  予想以上にいい作品でした。
  変なタイトルと最初は思いましたが
  読み終わったあとは
  納得のいくタイトルでした。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  確かなのは今の気持ちだけ                   

 自分の子供を虐待したり車に放置したまま子供が亡くなるまで遊んだり、そんな親があとをたたない。
 きっと彼(彼女)らは子供を持つべきではなかったのかもしれない。
 そんな彼(彼女)らでも、生む前にはもっと違った展望があったにちがいない。けれど、何かが違った。
 子供を生み育てることはたやすいことではない。
 それでも生みたいと思う人もいる。育てたいと願う人もいる。
 『いるいないみらい』という少し変わったタイトルは、子供がいる未来、子供がいない未来で悩む人たちを描いた、窪美澄さんの連作短編集だ。

 連作短編集だが、登場する人物はまったく別々の5篇の短篇でできている。
 経済的にまだ余裕のない知佳と智宏、彼が子供を欲しいといい出してから知佳の揺れる姿を描いた「1DKとメロンパン」。
 この作品に出てくるメロンパンを売っているパン屋が舞台となるのが「金木犀のベランダ」。
 メロンパンがヒットして生活に余裕も出てきた栄太郎は妻繭子に子づくりを提案する。しかし、繭子は幼い頃施設で暮らした経験があり、子供を産むことや養子をもらうことに抵抗がある。
 施設にこれから入れられる男の子との短い交流を描いたのは「私は子どもが大嫌い」。
 この短編の主人公の茂斗子も養子として育てられた女性だ。
 「無花果のレジデンス」は不妊治療で落ち込んでいく男を描いていくなど、この連作集のテーマは子供をめぐる今と未来を描いて揺るがない。

 「未来は不確定だ。確かなのは今の気持ちだけで、それが今、二人で確認できたのなら、それでもう十分だろう」(「金木犀のベランダ」)
 そんな幸福な男と女の短編集だ。
  
(2020/09/11 投稿)

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  8月下旬の書店の売上げで
  文芸部門の1位は
  今日紹介する
  村上春樹さんの短編集
  『一人称単数』で
  やはり村上春樹さんは強いという
  印象をもちました。
  久しぶりの短編集でもあるので
  余計に読まれているのもしれません。
  書評にも書きましたが
  私は村上春樹さんの短篇は
  長編より好きです。
  口当たりがとてもいい。
  今回の短編集も
  好きです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  阪神タイガースではなくヤクルトが好き                   

 『職業としての小説家』という自伝的エッセイの中で、村上春樹さんは自分は「長編小説作家」と見なしていると書いています。
 では短篇小説は嫌いかといえば、「好きだし、書くときはもちろん夢中」になっているとも書いていますが、「僕にとっては長編小説こそが生命線であり、短篇小説や中編小説は極言すれば、長編小説を書くための大事な練習場」ともあります。
 けれど、村上さんの愛読者の中には短篇小説の方が好きという人も当然いて、私もその一人ですが、練習場で一生懸命走っているのもいいのではないか、あるいは練習を終えてこれから長編小説にはいっていくんだなと予感するのも楽しみでもあります。

 おそらく2018年から2019年にかけて、村上さんは「また短篇が書きたくなってきたな」期にはいったのでしょう。
 この短編集に収録されている8篇の短篇のうち7篇はこの期間に文芸誌「文學界」に掲載されたもので、表題にもなっている「一人称単数」だけが書き下ろしである。
 この期間に村上さんは自身の父親について初めて書いた『猫を棄てる』というエッセイを発表(「文藝春秋」2019年6月号)しているが、ほぼ同時期に「「ヤクルト・スワローズ詩集」」という短篇も書いていて、その短篇でも父親とのことが綴られている。
 もちろんエッセイと小説では描かれている世界が違うが、とても興味をもった短篇だった。

 もう一篇気になったのは「謝肉祭(Carnaval)」という短篇。
 その中に学生時代の逸話として女の子からもらった連絡先を書いたメモをなくす話が書かれているが、それは初期の短篇小説「中国行きのスロウ・ボート」に出てきたエピソードにそっくりで、村上さんの短篇がまるで円のようにぐるりと回った感じがした。
  
(2020/09/10 投稿)

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  今日は
  益田ミリさんの「すーちゃん」シリーズ
  『わたしを支えるもの すーちゃんの人生』を
  紹介します。
  マンガです。
  「すーちゃん」を読むと
  いつも思うことですが
  女性の読者はこの漫画に
  励まされること多いだろうな、
  彼女たちに「すーちゃん」がいてよかったな、
  ということ。
  その点、男性の読者には
  「すーちゃん」のような友だちのような
  マンガの主人公がいるのかな。
  矢吹丈みたいになりたいという
  願望の主人公はいるのですが。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  すーちゃんと出会って                   

 この漫画の著者益田ミリさんは朝日新聞に「オトナになった女子たちへ」というタイトルでエッセイを長く連載している。
 昨年(2019年)10月18日の連載時の題名が「すーちゃんと出会って」で、「すーちゃん」シリーズの最新作のこの本が出たあとに書かれたものだ。(本の刊行は2019年8月)
 「すーちゃん」といえば、益田ミリさんの代表作といえる漫画で、描き始めてから15年になるという。
 益田さんはエッセイの中ではすーちゃんを「描き始めた」とは書かない。
 「出会って」と書いている。
 エッセイから引用する。
 「人は変わることができる?/30代も半ばに近づく頃、理想とする大人になれていない自分に思い悩んだ。/(中略)/その頃、出会ったのがすーちゃんという同年代の女性である。」

 それから月日は流れて、この作品のすーちゃんは40歳になっている。
 40歳になったからすべてに分別がつくオトナになったわけでもない。
 昔の彼と偶然出会い、その後、何度か食事をし、手をまたつなぐ。でも、昔の彼にはすでに家庭がある。
 悩むすーちゃん。さらに父の死でしょげるすーちゃんは、その時気がつく。
 「今のあたしを支えてくれるのは/あの人じゃない/ちがうと思った」
 そんなすーちゃんの迷いも決意も描いたのは益田さんだが、きっと益田さんはこういうに違いない。
 「それはすーちゃんが決めたこと。」だと。

 きっとこれからも益田さんとすーちゃんのいい関係は続くのだろう。
  
(2020/09/09 投稿)

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  浅草にはよく行きます。
  なので、浅草寺へ向かう仲見世の賑わいは
  当たり前のように思っていました。
  今回のコロナ禍で
  人影もまばらになった仲見世を見ると
  さびしくなります。
  悲しくもなります。
  早く元の浅草に戻って欲しい。
  今日は
  平松洋子さんの
  『すき焼きを浅草で』という食べ物エッセイを
  紹介します。
  浅草、すき焼きと言えば
  これは今半のこと。
  なんと贅沢な。
  でも、平松洋子さんは
  立ち食いそばのお店だって行きます。
  その振り幅が小気味いい。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  食べ物エッセイは出前ではなく                   

 コロナ禍で飲食店が苦境にある。
 休業要請が出たり営業時間短縮のお願いが出たり、売上はコロナ以前の半分もいかないというところが多い。
 自身でいっても外食の機会がうんと減った。
 お店で食べなくなってテイクアウトで活路を見出そうとお店の方も工夫をこらしている。しかし、やはり外食の魅力にはほど遠いのではないか。
 つまり、外食の魅力とはおいしい料理を食べるだけでなく、お喋りを楽しんだり、店の雰囲気を味わったり、そういう全てをひっくるめてのことなのだと、今回のコロナ禍で改めて感じた。

 平松洋子さんが週刊誌に連載し、その2年足らず分を文庫オリジナルとしてまとめたこの食べ物エッセイ、収められているのは2018年4月から2019年12月分で、この期間も西日本豪雨災害だとか大きな自然災害もあったけれど、現在のコロナ禍の飲食業界の事情と比べるとなんと穏やかで平和であったことかと思う。
 そして、食べるということはそういう穏やかで平和であればこそ、じわっと染み出してくるうまみが増すものだと、余計に気づかされる。
 表題の「すき焼きを浅草で」を読んで、舌なめずりしてお店に駆け込むかといえば、やはりどこかでコロナが収束してからと思っている自分がいたりする。

  なので、せめて平松さんの食べ物エッセイで食べることの楽しみを味わうのもいい。
 そして、みんなががやがや楽しく料理を囲める日が戻ればいい。
  
(2020/09/08 投稿)

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 大型の台風がやってきて
 テレビでは連日警戒を呼びかけています。

    放課後の暗さ台風来つつあり      森田 峠

 台風から離れていても
 猛暑が続き
 突然のゲリラ豪雨に驚くこともたびたびです。
 それでも
 秋の気配は確かにあって
 空も秋のそれです。

  20200904_080049_convert_20200905103105.jpg

 畑でも秋を感じることがあって
 特に虫たち。
 これは蜻蛉(とんぼ)。

  20200904_094347_convert_20200905103241.jpg

 秋の季語です。

    蜻蛉の力をぬいて葉先かな      栗津 松彩子

 そして、
 これはエゴマの葉にひそんでいたバッタです。

  20200904_101550_convert_20200905103406.jpg

 もちろん、バッタ(螇蚸)も秋の季語。

    しづかなる力満ちゆき螇蚸とぶ      加藤 楸邨

 畑にいくと
 野菜だけでなく
 季節の彩りも感じることができます。

 いよいよ秋冬野菜の植え付けが
 始まりました。
 9月4日(金曜日)から植え付けの講習会が始まって
 苗も届きました。
 この日植えつけた苗です。

  20200904_092413_convert_20200905103151.jpg

 左からロマネスコキャベツ
 そして6つ植えているのが
 ミニハクサイ
 ロマネスコはアブラナ科の野菜で
 カリフラワーの一種です。
 この野菜を育てるのは初めてです。
 私はこのロマネスコを見ると
 昔見た「キャプテンウルトラ」で
 デビュー間もない小林稔侍さんが演じた
 キケロ星人ジョーを思い出します。
 もっとも1967年のテレビ番組ですから
 知っている人も少ないでしょうが。

 そして、ダイコンの種播き。
 今年は冬自慢という青首ダイコン
 聖護院ダイコン
 それに三浦ダイコンの種を買ってきて
 播きました。
 三浦ダイコンはもちろん初めて。
 うまくいくだろうか。

  20200904_101027_convert_20200905103329.jpg

 写真は種播きを終えたダイコンの畝です。

 最後に収穫。
 まだ長ナスがこんなに採れています。

  20200904_110717_convert_20200905103503.jpg

 あと数本で100本の大台です。

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  先日ユニセフが
  38カ国に住む子どもの幸福度を調査した結果が
  発表されていました。
  日本の子どもたちの幸福度は20位でしたが
  調査項目のひとつ「精神的な幸福度」は37位
  つまりワースト2位。
  これって結構深刻な問題です。
  これからの日本を背負っていく子どもたちが
  幸福感をあまり持っていなくて
  どうして
  この国を支えていくのでしょう。
  新しい政権には
  もちろんコロナ対策とか経済対策も重要ですが
  子どもたちがこの国にいて
  幸せと思えるような国づくりをして
  もらいたい。
  今日は
  石川えりこさんの
  『ボタ山であそんだころ』という絵本を
  紹介します。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  あの頃ボクたちは幸せだったろうか                   

 2020年の課題図書(小学校低学年の部)に選ばれた中川ひろたかさんの『おれ、よびだしになる』という絵本の絵を担当しているのが、この絵本の作者でもある石川えりこさん。
 石川さんは1955年に福岡県で生まれ、小さい時から絵ばかり描いていたそうです。
 幼少期の体験をもとにして描いたこの作品が実質的な絵本デビュー作です。
 この作品で2015年には第46回講談社出版文化絵本賞を授賞したり、台湾でも賞をもらったりしています。

 この絵本に出てくる「ボタ山」は、石炭を掘り出す時に出た石や土のことを「ボタ」といい、それが山になっていることです。
 炭鉱の町ならではの風景です。
 その「ボタ山」では石炭のくずも混じっていて、貧しい家では山からそのくずを取っていたそうです。
 ここでは当時石川さんが住んでいた嘉麻というところにあった山野炭鉱でのガス爆発のことも描かれています。
 昭和40年6月に起こった事故で、237人の炭鉱夫の方が犠牲になりました。
 絵本ではなかなか友だちのできなかった主人公のえりこちゃんにできた唯一の友だちけいこちゃんの家族も事故に巻き込まれます。
 けいこちゃん一家は事故のあと引っ越していきます。

 決して豊かではなかった昭和30年代、40年代。
 けれど、子供たちはのびのびしていたのもあの時代だったと思います。
 友だちと遊んで、空まで飛んでいきそうなくらい幸せだったなんて、現代の子供たちは知っているのでしょうか。
 幸せと豊かさはまた別のこと。
 それを知るのも大切だと思います。
  
(2020/09/06 投稿)

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  コロナ禍の夏に公開された
  映画「MOTHER マザー」。
  主演の長澤まさみさんの演技が話題となりましたが
  この映画のベースになった事件を扱った
  ノンフィクションがあります。
  それが
  今日紹介する
  山寺香さんの『誰もボクを見ていない』です。
  ここに書かれているのは
  もちろん事実ですし、
  この国には「居所不明児童」がたくさんいるということを
  私たちはしっかり受け止めないと
  いけません。
  映画はいつか観たいと
  思っています。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  答えは彼が見つけるしかないのかもしれない                   

 事件も事故も自然災害も毎日のように発生し、過ぎ去っていく。
 その時々では大きな関心を集めても、やがて人々の記憶から忘れさられていく。
 この本で取り上げられる事件も、またそんな一つかもしれない。
 2014年3月、といえば、まだ6年しか経っていない。(ちなみにこの本が出版されたのは2017年6月)
 埼玉県川口のアパートで起こった殺人事件。70代の老夫婦が刺されて死亡。犯人は孫の17歳の少年という、痛ましい事件。
痛ましいけれど、子が親を、あるいは親が子を殺してしまうような事件に、私たちはあまり驚かなくなっている。親がわが子を殺してしまう世の中であれば、孫が祖父母を殺してもびっくりしない。
 しかし、この事件はそれだけではなかった。

 犯人である少年の生い立ちが明らかになっていくと、きっと誰もが我が耳を疑うだろう。
 少年は行政が居場所を把握できない「居所不明児童」で、小学5年から学校にも通っていないこともわかってくる。
 著者は毎日新聞の記者で、裁判の過程で判明してきた事実を丁寧に追いかけていく。
 少年が母と幼い妹を連れ、働いていた会社を訪ねたり、少年たちが2年近くも暮らしたというモーテルの従業員に話を聞いたりして、少年が祖父母殺害までの軌跡を追う。
 そして、浮かんでくるのが母親の存在。
 働くこともせず、自己の快楽に興ずる母親。
 だが、残念ながら記者の追求は母親の闇にまで届いていない。
 老夫婦が殺されたという事実。二人を殺したのが17歳の少年という事実。
 しかし、何故少年が老夫婦を殺さなければならなかったのか、その理由に私たちはたどり着けない。
  
(2020/09/05 投稿)

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  今日は
  花房観音さんの
  『京都に女王と呼ばれた作家がいた』という
  問題作を紹介します。
  副題が
  「山村美紗とふたりの男」。
  山村美紗さんというのは
  かつての人気ミステリー作家。
  女優の山村紅葉さんのお母さんでもあります。
  派手やかな女性作家さんでしたから
  毀誉褒貶もあって
  さらには有名な作家との関係もあやしく
  花房観音さんも
  覚悟の執筆なんでしょうね。
  山村美紗さんの作品は読んだことがありませんが
  この評伝は面白く読みました。

  じゃあ、読もう。 

  

sai.wingpen  「文壇タブー」ってあるんだ、やっぱり                   

 ミステリー小説はほとんど読んだことがない。
 だから、それが原作となったテレビドラマに夢中になったこともない。
 けれど、この本でその生涯を描かれることになる山村美紗の名前は知っているし、その容姿も記憶にある。
 何しろ彼女は「ミステリーの女王」と呼ばれた超有名な作家だったから。
 「二百冊以上の本を出し、その半分以上がドラマ化され、高額納税者として新聞に名前が載り、赤やピンクのドレスを身に着け人前に現れた」と、この本に記された人。
 そして、京都を愛し、そこに住んだ作家。
 そんな山村美紗には二人の男が濃密に関わっていく。
 一人は夫。そして、もう一人はベストセラー作家西村京太郎。

 この作品を書いた花房観音はデビュー作『花祀り』で団鬼六大賞を受賞、それ以降京都を舞台に数々の官能小説を書いてきた。
花房もまた京都を愛する作家であることはまちがいない。
 だから、絶頂期の1996年、62歳で亡くなった山村美紗のことが気になったのだし、彼女に深く関わった男が二人いたこともまた花房の関心を惹いたのだろう。
 しかし、花房が直面したのは「文壇タブー」の問題。
 かつてのベストセラー作家の生涯を描くためには、もう一人の現役ベストセラー作家との関係も描かざるをえない。
 そこに多くの出版社が拒絶反応を示したという。
 それでも花房は山村美紗を書きたいと思った。そこには興味本位で「文壇ゴシップ」を書こうとするものではない、花房観音の作家としての矜持を感じる。
  
(2020/09/04投稿)

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  脚本家の桂千穂さんが
  8月13日に亡くなったという訃報が
  昨日の新聞に載っていました。
  90歳だったそうです。
  読売新聞のネット記事には

     にっかつロマンポルノ作品をはじめ、「HOUSE ハウス」「花筐 HANAGATAMI」といった
     大林宣彦監督作品など、多くの脚本を手がけた。日本シナリオ作家協会の理事などを歴任。

  とあります。
  私は5年ほど前にシナリオの勉強をしたことがあって
  その時通ったシナリオ学校の
  桂千穂さんは学長でした。
  実際直接講義を受けたこともあります。
  私にとって桂千穂さんは
  やはりロマンポルノの脚本家で
  当時この人のことを女性だとばかり思っていて
  女性でもポルノ映画の脚本を書けるんだと
  勘違いしていたことがあります。
  かつて桂千穂さんはロマンポルノのことを
  こう記しています。

    人材を輩出した日活ロマンポルノは、日本映画のひとつの奇跡だったのかもしれない。

  桂千穂さんも
  奇跡のひとりだったのだと思います。
  今日は桂千穂さんを偲んで
  寺脇研さんの『ロマンポルノの時代』を
  再録書評で紹介します。

  ご冥福をお祈りします。

  さようなら、桂千穂さん。 

  

sai.wingpen  青春時代のまん中は道に迷っているばかり                   

 私にとって、本書の著者寺脇研さんは思い入れのある映画評論家です。
 私が高校生の頃、かれこれ40年も前のことです、いっぱしの映画青年きどりで映画専門誌「キネマ旬報」を愛読し、その「読者の映画評」コーナーにせっせと投稿していた頃、そのコーナーの常連が寺脇研さんでした。
 当時寺脇さんもまだ高校生だったのではないかなぁ。しばしば掲載されていましたから、私のような投稿者とは随分質のしっかりした内容だったような気がします。(本書にはその当時の投稿記事も掲載されています)
 社会人になり私はあまり映画を観なくなって寺脇さんのことも忘れていたのですが、偶然にも文部省の役人になったあとの寺脇さんの講演を聴く機会がありました。
 小さな会でしたので、そのあと懇話みたいな会があって、寺脇さん本人と話す機会があって投稿時代の話をしましたが、もちろん寺脇さんは数回しか採用されなかった私のことなど知りませんでした。
 私にはあの頃のことがただただ懐かしく、あの頃はまさに「映画の時代」であり、「ロマンポルノの時代」だったのです。そう、1971年からの数年間は私にとって「青春時代」そのものでした。

 日活ロマンポルノがスタートしたのは、1971年11月。
 経営に行き詰った日活が苦肉の策としてはじめた企画でした。
 たくさんのスターを輩出し、数多くの名作を生み出した日活が低予算でしかもエロ映画まがいの作品をつくるということで、所属のスターだけでなく多くの人材が外部に流出してしまいます。皮肉にもそのことがロマンポルノに勢いをつけました。白川和子、片桐夕子、山科ゆり、宮下順子といった女優だけでなく、神代辰巳や田中登といった名監督が誕生しました。
 映画作りの若いエネルギーは映画にも力を与えましたし、若い映画ファンや映画評論家は喝采をもって迎えました。当時の「キネマ旬報」がそれに大いに貢献したことは、本書でつぶさに検証されています。

 また、この本では従来あまり評価されていないロマンポルノの後期の作品にも光をあてています。現在の日本映画を支える監督たちがロマンポルノを契機として誕生している事実は、日本映画史にとってロマンポルノは特筆すべき作品群であったことを証明しています。
 また寺脇さんはポルノ作品では裏方でもある男優や脚本家にも目をそそいでいます。
 「ロマンポルノの時代」を生きたものにとっては青春の思い出のような、一冊です。
  
(2012/08/30 投稿)

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  今日は
  2作の同時受賞となった
  第163回芥川賞受賞作のひとつ、
  遠野遥さんの『破局』を
  紹介します。
  あまり期待もしていなかったのですが
  割りと自分の中では
  はまった作品でした。
  登場人物たちは大学生ですから
  描かれているのも
  青春期のあやうさですが
  そういうのはいつの時代でもあるのだろうと
  思います。
  そういった時期から
  私自身はすっかり遠くのところにいますが
  遠い記憶の中から
  あぶくのように浮かんでくる
  そんな感情です。
  いい作品でした。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  青春を描いて「普遍的な小説」                   

 第163回芥川賞受賞作。(2020年)。
 なんともそっけないタイトルだが、受賞作がまだ2作めという作者の第一作めのタイトルが『改良』というから、そういうそっけなさが性分なのかもしれない。
 以前の選考委員の石原慎太郎氏なら文句のひとつもいいそうだが、今の選考委員の人たちは上品だからそんなことに注文もつけないのだろう。
 今回の「選評」を読んでも、この作品が受賞作に選ばれる程の熱気があまり感じられなかったのだが、受賞の大きな決め手はなんだったのか、よくわからない。
 ただ「『破局』に二重丸をつけて臨んだ」という、小川洋子委員の評だけはよくわかった。
 小川委員は「社会に対して彼が味わっている違和感に、いつの間にか共感している。もしかしたら、恐ろしいほどに普遍的な小説なのかもしれない」と絶賛に近い。
 私もこの意見に賛成だ。

 芥川賞はたびたびその時代の青春像を浮かびあげる作品を世に送り出してきた。
 この作品もそれらの系譜につながるのではないかと感じた。
 卒業した高校のラグビー部で後輩たちの指導をしながら公務員試験に臨んでいる大学生。
 セックスが好きだという彼には麻衣子という政治家志望の恋人がいたが、偶然知り合った新入生の灯と付き合うことになる。
 運動とセックス、ルールをはずれることを嫌う真面目な優等生の彼が次第に崩れていく姿は、そういえば昔観た神代辰巳監督の「青春の蹉跌」の主人公像と重なる。
 青春という叶うことのない甘い時期を描いて、確かに小川洋子委員のいうように、この作品は「普遍的な小説」なのかもしれない。
  
(2020/09/02  投稿)

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  今日から9月
  「歳時記」を開くと
  「九月」という季語のあとに「八朔」が続きます。
  「八朔」というのは
  旧暦八月朔日の略とあります。
  江戸時代には徳川家康の江戸城入場がこの日で
  元日同様の吉日だったそうです。

    八朔の雲見る人や橋の上      内藤 鳴雪

  先週末の安倍総理の突然の辞任表明。
  次の後継者は誰になるのか
  永田町雀がうるさいですが
  今まさに内藤鳴雪の俳句のように
  空を見上げている人がいるんでしょうね。
  今日は
  春日太一さんの『時代劇入門』という本を
  紹介します。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  昔はチャンバラ遊びをしたもの                   

 この本の著者春日太一さんは1977年生まれ。なので、東映とかがたくさん時代劇を上映していた世代ではありません。
 ちなみに東映が「柳生一族の陰謀」で時代劇を復活させたのが1978年ですから、春日さんはそんな世代。なのに、「時代劇研究家」という肩書をもっているくらいの時代劇ファン。
 では、春日さんの時代劇大好きの根っこには何があるかというと、「機動戦士ガンダム」だといいます。
 時代劇ではなく、チャンバラ映画と呼んでいた世代。新聞紙を丸めて刀の代用にしてチャンバラごっこをしていた世代とは、隔世の感がありますが、春日さんが時代劇を「世界に通用するエンターテインメントの表現手段」というのはその通り。
 特に、忍者について、日本映画よりも外国映画がその面白さを認めているように思います。

 この本はタイトルにもある通り「入門」書なので、とてもやさしく書かれています。
 何しろ最近の時代劇はテレビも映画もそれほど多く制作されていないので、ましてや昔の時代劇ともなれば知らない人が多いのも仕方がありません。
 とりあえず知っておきたい「時代劇ヒーロー」や「スター」、そして「監督」の単元を読めば、自ずと時代劇の歴史がおさらいできます、
 最近の若い人が時代劇に疎いのは、やはりあまり制作されないからだと思います。
 制作側からすれば制作コストがかかりすぎるといった問題や殺陣ができる俳優が少ないなどの問題があるでしょうが、そのあたりももう少し踏み込んでもよかったのではないかと思わないでもありません。
  
(2020/09/01 投稿)

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