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プレゼント 書評こぼれ話

  今日はハロウィン
  私が持っている「俳句歳時記 第五版」には
  季語として載っていませんが
  かつてNHK俳句で取り上げられてことが
  あったようです。

    ハロウイン犬も仮面を被りをり      西山 三千代

  そういえば
  俳優の渥美清さんのお顔は
  どこかしらかぼちゃに似ていたかも。
  今日は
  滝口悠生さん選による
  『いま、幸せかい? 「寅さん」からの言葉』を
  紹介します。
  こんなにいい本だと思わなくて
  読んでから
  購入しました。
  読書人もつらいよ、です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  寅さんにいつでも会える                   

 2019年12月に封切られた映画「男はつらいよ」の50作目となる「お帰り寅さん」は、寅さんを演じた渥美清さんが亡くなって20年以上が経っての制作上映ということで、映画界だけでなく多くのメディアが注目した。
 この新書も公開を記念して企画されたもので、「男はつらいよ」シリーズの「名場面集」である。
 寅さんの名言集はこれまでにも多く出版されているが、この新書がその他と大きく違うのは、「やりとりの妙を味わえる「場面」を中心に選」ばれている点だろう。
 選にあたった滝口悠生さんは『死んでいない者』という作品で第154回芥川賞を受賞した作家だけあって、映像だけでなく脚本を読むことで、文字としての面白さを掬い取ったといっていい。
 例えば、シリーズ15作めの「寅次郎相合い傘」に、マドンナ役のリリーが寅さんと結婚してもいいとポツンと言う印象的な場面がある。
 あの場面では妹さくら、リリー、そして寅さんのやり取りを抑えないと感動が伝わってこない。
 まさに「名場面」を文字化したといえる。

 それと、寅さんの甥満男との関係をきちんと書いているのも、この新書の特長といっていい。
 妹さくらの息子満男役が吉岡秀隆さんに替わったのは第27作からだそうだが、その後どんどん寅さんを凌駕することになっていく。
 この本ではわざわざ満男との「名場面」の章があるぐらいで、改めて「男はつらいよ」シリーズを見直したし、第50作が満男を主役にした意味も理解できる。

 数多くある「男はつらいよ」関連本だが、この新書は出色の一冊といえる。
  
(2020/10/31 投稿)

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  本当に久しぶりに
  宮本輝さんの新しい長編小説を
  読みました。
  『灯台からの響き』という作品です。
  宮本輝さんに一時
  はまったことがあって
  新しい本が出るたびに読み、
  文庫本になれば買い、
  ほとんどの作品を読破していました。
  そんな日々が
  今では懐かしいくらいです。
  この作品の中で
  バーネットが書いた『小公子』からの一節が
  紹介されています。

    すべての人の人生にはじっさいに、
    目をみはるほどの幸福が数多くあるのですから。

  いい本との出会いは
  まさにそんな幸福の一つです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  灯台が読者にもたらすもの                   

 長編小説の面白さはなんといってはさまざまな枝葉の数々といえる。
 気がつけばそれは一本の大木というより深い森の中で樹々の呼吸に生かされているような感覚といっていい。
 宮本輝氏が2019年2月から2020年1月にかけて地方新聞紙に連載した新聞小説であるこの長編小説もまた、読み終われば森の樹々たちに抱かれているようでもある。
 もちろん、主人公である2年前に妻蘭子を不意に亡くした牧野康平という男の生き方や思いが大きな木であることは間違いないが、康平という木に寄り添うようにしてあった蘭子という木もまた、この物語の欠かせないテーマといえる。
 あるいは、康平の娘や二人の息子との関わりもまた康平という大きな木につながる枝葉だし、親と子の関係を描くのに高校を中退した康平に本を読むことを薦める同級生と彼の死のあとに現れる隠し子だった青年の登場もまた森を形作る要素になっている。

 長い物語の発端は妻を亡くして呆然自失の康平がたまたま見つけた、若い頃の妻宛てに届いた一通のハガキだった。
 そこには男性の名前で「見たかった灯台をすべて見た」と書かれ、地図のようなものも描かれていた。
 その時、蘭子が差出人である人の名前を知らないと言っていたことを康平は覚えていた。
 そんなハガキをどうして蘭子は大事にしていたのか。
 康平はこのハガキに誘われるようにして各地の灯台めぐりを始める。
 やがて、それは蘭子と差出人であった男性との秘密につながっていく。

 灯台が灯す灯りは亡くなった蘭子からのメッセージでもあるかのように、康平の新しい日々を照らしていく。
 読み進むにつけて、宮本氏の文体が冴えてくる、そんな長編小説だ。
  
(2020/10/30 投稿)

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  先日読んだ
  房観音さんの『秘めゆり』でもそうですが
  最近アラサーやアラフィフの女性たちの
  恋愛を描いた作品が多いように感じます。
  今日紹介する
  窪美澄さんの『私は女になりたい』の
  主人公の女性も47歳です。
  彼女の14歳年下の青年との恋愛を
  描いています。
  47歳でバツイチ、大学生の息子がいる彼女の恋を
  どう受け止めるか。
  私はどんどん美しくなっていく主人公に
  魅せられましたが。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  恋する女は美しい                   

 「美魔女」」という言葉がある。
 「年齢を感じさせない美しさを保っているミドルエイジの女性」を指す言葉として、2010年頃に美容雑誌の当時の編集長が言い出したものだというが今ではすっかり定着している。
 男性目線の言葉ではなく、ミドルエイジの女性たちの生き方を表わしているようで、そのあたりが女性の支持もあるのだと思う。
 窪美澄のちょっと刺激的なタイトルの、この長編小説の主人公赤澤奈美はまさしく「美魔女」といっていい。
 47歳、雇われとはいえ美容皮膚科クリニックの院長である。
 この作品は、彼女の「人生最後の恋」を描いている。この時から数年経って、53歳になった彼女はその時は「確かに一人の女だった」と振り返る、そんな激しい恋の物語だ。

 作家の唯川恵はこの作品のタイトルのストレートさに「ざわついた」と書いているが、妻でもなく(主人公の奈美はカメラマンと数年前に離婚している)母でもなく(奈美には大学生の息子がいる)、ふとしたきっかけで愛しあうようになった14歳年下の青年の前で、彼女は「女になりたい」と思い、実際男女の関係を持つことになる。
 その最初の頃、奈美は彼の前にいる時は、院長でもバツイチの母親でもなく、「ただ一人の女」であることを、恥ずかしさとともはっきりと感じる。
 息子はそんな母を嫌悪するが、「女」になろうとする奈美はどこまでも美しいと思える。

 彼女を院長で雇ったいる初老のオーナーとのミステリアスな関係といい、窪のこの小説は何重にも男女の関係を私たちに問い続けてくる。
 いつまでも、男であり、女だということを。
  
(2020/10/29 投稿)

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  今日は
  かつて少年たちの間で
  大ブームとなった
  つのだじろうさん原作の漫画を
  大石圭さんが小説にした
  『小説 恐怖新聞』を
  紹介します。
  漫画を知らない人もいると思いますので
  コミックス版の書影を
  載せておきます。

   

  この作品が連載されていた当時から
  すでに40年以上経っているので
  知らない人も多いでしょうね。
  私はタイトルで
  もう懐かしくって。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  懐かしい漫画が小説になった                   

 タイトルを見て、懐かしいと感じた人も多いと思う。
 さらに原作者の名前を見て、やっぱりあの漫画の「小説」だと納得する。
 「恐怖新聞」については、巻末に載っているメモのような覚え書きで知ることができる。
 1973年から75年にかけて「週刊少年チャンピン」に連載されていた、つのだじろう氏によるオカルト漫画で、当時のつのだ氏は他誌に連載していた「うしろの百太郎」と合わせて大人気漫画家となっていた。
 本書の巻末メモには、つのだ氏の業績も載っていて、当初「少年マンガ誌でペーソスあふれるギャグマンガを次々連載」とあるが、つのだ氏の「ブラック団」(1964年)などはよく読んだ。
 そんなつのだ氏がオカルト漫画でブレークしたのだから、ギャグマンガ時代を知っている読者は驚いたにちがいない。

 今回はタイトルに「小説」とついていて、作者は大石圭氏で、つのだ氏の漫画とは「恐怖新聞」が届くという設定は同じだが、内容的には別物である。
 そもそも「恐怖新聞」とは未来の忌まわしい出来事を予言する新聞で、これを読むと命が百日ずつ縮むといわれている。
 ある日美人の女子学生桜子のところにそれが届く。
 一面には、彼女の恋人が亡くなることが載っていた。
 桜子には憑依霊が取り憑いていることがわかって、除霊を試みるが悉く失敗する。
 桜子は助かるのか。

 そういえば、つのだ氏の漫画のラストを覚えていない。
  
(2020/10/28 投稿)

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  今日10月27日から
  読書週間が始まります。(~11月9日)

   20180810_102619_convert_20201025084532.jpg

  今年の標語は

   ラストページまで駆け抜けて

  ポスターのイラストを描いた
  なかいかおりさんは
  受賞の言葉で
  「思うように旅ができない世の中だが、
  本は、未知なる場所へ連れて行ってくれる、
  いちばん身近な移動手段かもしれません」と
  綴っています。
  コロナの時代の読書週間、
  どんな本を読みますか。
  今日は
  読書週間の最初なので
  長田弘さんの詩集
  『幸いなるかな本を読む人』を
  再録書評で紹介します。
  なんて
  素敵なタイトルでしょう。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  秋になると本がおいしくなります                   

 本好きにはたまらない素敵なタイトルの、書名というのでもなく題名というのでもない、詩集a collection of poemsである。
 
 ここには、詩人長田弘が書いた、二十五冊の本に誘(いざな)われた二十五篇の詩が収められている。それは書評でも、感想でもない。どこまでいっても独立した詩なのだ。それは季節のありようにふれること、人の思いに揺さぶられること、事物の確たることに導かれること、と同じ、詩の成り立ちである。
 詩poemとはなにか。それは詩人の心の表象だし、我々の心を代理するものだ。

 詩人poetは書く。「わたしが本について、ではなく、わたしが本によって語られているという、どこまでも透きとおってゆくような感覚だった」(109頁「あとがき」)と。

 ここには本たちが背景、あるいは空気のようにといいかえたほうがいいような、のようにあるだけだ。
 この詩集は、詩の背景となった本たちの名前が註として記載されているが、まずは二十五篇の詩を味わってみることをお勧めしたい。そのうえで、詩人がどんな書物でこれらの言葉を紡いでいったのかを、もう一度、味わう。深く味わう。
 このように書いてみると、詩とは、ごく自然に繰り返している呼吸のように思えてくる。

 詩人poetは書く。「読書とは正解をもとめることとはちがうと思う。わたしはこう読んだというよりほかないのが、読書という自由だ」(108頁「あとがき」)と。

 言葉wordsを縦糸に、イメージimageを横糸にして織られた自由という刺繍。一冊の本が私たちにくれる、何にも囚われることのない自由。この詩集はそういう読書の本来の在り方を再認識させてくれる。

 読書の秋にふさわしいタイトルの、詩集a collection of poemsである。
  
(2008/11/01投稿)

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 関東では
 土日ともの天気がいいのは
 とっても久しぶりで
 特に昨日の日曜日はまさに秋晴れ。

  20201025_112822_convert_20201025131715.jpg

   秋晴の何処かに杖を忘れけり      松本 たかし

 街の樹々もだんだんと色づいてきました。

 畑の秋冬野菜の生育状況です。
 ミニハクサイは虫に食われて
 ぼろぼろになっていますが
 今年初めて挑戦した
 玉レタスは虫に喰われることなく
 順調に結球しはじめてきました。

  20201025_100702_convert_20201025131504.jpg

 あと数週間で収穫できそうです。

 秋冬野菜は結球して頂くものが多いですが
 キャベツもそうです。

  20201025_100742_convert_20201025131621.jpg

 こちらは結球しじめてきたところです。
 収穫まではもう少し時間がかかりそう。

 茎ブロッコリー
 頂花蕾と呼ばれるところが500円玉ぐらいになれば
 とってしまいます。
 そうすることで
 食用となる側花蕾がどんどん増えてきます。
 畑の茎ブロッコリー頂花蕾
 ちょうど採り頃。

  20201025_100714_LI_(2)_convert_20201025134219.jpg

 さあ、これからどんどんおいしい花蕾が
 とれるかな。

 こちらは
 イチゴの畝。

  20201025_092213_convert_20201025131425.jpg
  
 イチゴの苗の間に
 ひょっこり顔を出しているのが
 ニンニクです。

 今週末には
 春キャベツ春ブロッコリーの苗が
 届きます。
 それとタマネギの苗も入荷する予定。
 今週末も
 昨日のような秋晴れだったら
 うれしいな。

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  今日は
  石川えりこさんの
  『しぶがきほしがきあまいかき』という絵本を
  紹介します。
  生まれた家の隣のおうちに
  柿の木がありました。
  今もあるのかわかりませんが
  小さい頃は
  この木に登った記憶はあるのですが
  柿をちょうだいしたのは
  覚えていません。
  もしかしたら
  渋柿だったのかもしれません。
  今の家の周りにも
  柿の木はたくさん植わっていて
  橙色の実を見ると
  心がほっこりします。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  秋といえばやっぱり柿でしょう                   

 「俳聖」といわれた松尾芭蕉の句に「里古りて柿の木持たぬ家もなし」とあるように、古くから柿の木はどこにでも見かける果物の木でした。
 なので、柿を愛する人も多く、正岡子規の有名な「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」だけでなく、柿を詠んだ多くの句が残されています。
 柿には甘柿と渋柿があって、渋柿も「かじりたる渋柿舌を棒にせり」(小川軽舟)といったように親しまれています。
 この絵本のタイトルのように、渋柿は干柿にしますが、「柿干す」という言葉も「歳時記」には載っていて、「完璧なあをぞら柿を干し終へて」(佐藤郁良)といった句もあります。

 この絵本はおばあちゃんと一緒に干し柿をつくるお話です。
 石川えりこさんの絵はどうしてこんなに懐かしいのだろうと思うぐらい、この絵本で描かれる暮らしぶりも、自分が体験したものではないのに、こんな生活だったなあと思ってしまう、そんな作品に仕上がっています。
 子供たちが作る干し柿は「吊し柿」で縄に吊るして干します。主人公のちえちゃんはこれがうまくできなくて、洗濯物を干す道具を使っています。
 お兄ちゃんは「串柿」で柿を貫いて干すやり方です。
 家の軒舌に干し柿を吊るすと簾のようになるので、「柿簾」という言葉もあります。
 その様子も、この絵本では描かれています。

 このように私たちは昔から柿と暮らす生活に親しんできましたが、そういうのも段々薄れてきたのは寂しい。
 せめてこの絵本でそういう懐かしさを味わいたいものです。
  
(2020/10/25  投稿)

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  今日紹介する
  志賀直哉の『流行感冒』は
  10月20日の朝日新聞天声人語で紹介されていた
  短篇小説で
  その中でも書かれていますが
  歴史学者磯田道史さんの本に書かれていたそうです。
  短篇なので
  単独ではでていなくて
  私は岩波文庫の『小僧の神様 他十篇』で
  読みました。
  多分いろんな志賀直哉の本に収録されているでしょうから
  探してみて下さい。
  ちなみに感冒にかかった志賀直哉ですが
  一日苦しんで
  翌日には回復に向かったそうです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  コロナ禍で読んでみたい短篇                   

 「小説の神様」と呼ばれた志賀直哉が1919年(大正8年)に発表した、文庫本にして30ページほどの作品である。
 タイトルにある「流行感冒」とは1918年に猛威をふるったスペイン風邪を指しているようで、この作品を収めた短編集のあとがきで「この小説の佐枝子という娘の前後二児を病気でとられた私はこの子供のために病的に病気を恐れていた」と綴っているが、神経質に感冒を嫌う姿がコロナ禍で右往左往する現代人と重なり、注目を集めている短篇である。

 主人公の「私」は感冒にかかることを恐れて、久しぶりに町にやってきた芝居見物に行くことを家族だけでなく使用人にも申し付ける。
 ところが、一人「石」という名の使用人がこっそりと芝居を見にいったことが耳に入って「私」を激怒させる。そして、「私」は「石」を里に帰そうと決めるが、妻の取り成しがあって一旦それは取りやめとなる。
 そうこうしているうちに「私」が感冒にかかってしまう。
 「四十度近い熱」「腰や足が無闇とだるく」、妻や使用人まで伝染してしまう。
 ところが、先の「石」だけはかからずに皆の世話を何かとみることになる。

 この短編は感染病のことを綴ったというより、「石」という女性の人間としての朴訥な姿を描いた作品といえる。
 最後には「石が仕合せな女になる事」を願うほどに。
  
(2020/10/24 投稿)

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  今日は
  二十四節気のひとつ、霜降(そうこう) 。
  読んで字の如く
  霜が初めて降りるという意味。
  ここしばらくの
  朝晩の冷え込みは季節の移ろいを
  はっきり感じさせます。
  朝井まかてさんの『』は
  森鴎外の末っ子の伝記小説だったので
  せっかなので
  森鴎外の作品をひとつ読んでみようと
  選んだのが
  今日紹介する『高瀬舟』。
  私は電子書籍青空文庫で読みました。
  すぐ読めますから
  久しぶりに読むのもいいですよ。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  「安楽死」だけではない、もう一つの大きなテーマ                   

 明治の文豪森鴎外が1916年(大正5年)に「中央公論」に発表した短編小説で、文庫本にしてわずか20ページ足らずの作品ながら、それから100年以上経った現代でも「安楽死」をめぐる事件が起これば引用される名作である。
 物語は貧しさで死を選んだ弟の死にきれない現場に出くわした兄が、苦しむ弟を見て最後の一刃で殺してしまって遠島の刑で送られる高瀬舟の中での役人庄兵衛と罪人喜助のやり取りで進んでいく。

 「安楽死」がこの短い物語のテーマだとばかり思いこんでいたが、実はここにはもう一つ大きなテーマがある。
 それが「知足」である。「足ることを知っている」ということ、短い作品ながらその前半はそれが大きなテーマとなっている。
 遠島の刑で送られていながら罪人喜助はまるで楽しんでいるかのように見える。それに合点のいかない役人庄兵衛がその理由を聞けば、喜助は「自分はずっと貧しかったが、刑を受けるにあたって二百文のお金ももらい、寝るところも食べるものを困らなくなった」という。
 彼に比べ、庄兵衛は彼よりはうんと豊かな暮らしをしているにも関わらず、いつも不安だし満足がいくことはない。
 そして、庄兵衛は人の一生ということを思う。人は欲や不安でいつも先々のことを考えて踏み止まらない。なのに、この罪人は足ることを知っている。

 短い物語にこんなに大きなテーマが二つもありながら、物語は決して破綻していない。
 その筆運びのうまさこそ、さすが文豪と呼ばれた人の作品だといえる。
  
(2020/10/23 投稿)

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  昨日紹介した
  朝井まかてさんの『』に
  長い間その所在がわからなかった
  森鴎外の小倉時代の日記を発見する場面が描かれている。
  そして、その「小倉日記」を題材にして書かれたのが
  松本清張の『或る「小倉日記」伝』。
  朝井まかてさんの作品からの引用。

   類が発見し、(中略)それが昭和25年のことで、
   3年後の昭和28年1月、松本清張は『』という短篇小説で
   第28回芥川賞を受賞した。

  この日記を発見するくだりも
  『』の読みどころといえる。
  そこで
  今日は松本清張の『或る「小倉日記」伝』を
  再録書評で紹介します。

  じゃあ、読もう。 

  

sai.wingpen  巨人はここから始まる                   

 第28回芥川賞受賞作(1952年)。
 この作品をきっかけにして、文学界の巨人となる松本清張であるが、芥川賞を受賞したのはすでに43歳でけっして若くはなかった。前半生の塗炭の日々はすでに知られている。また、その後の活躍も衆目の一致するところだ。
 では、この受賞は当時の選考委員にどのように評価されたのだろうか。芥川賞の名物ともいえる選評をみていきたい。

 まず、絶賛したのは坂口安吾である。
 「文章甚だ老練、また正確で、静かである」と記した。その印象は今も本作を読んだ多くの読者の感想だと思う。
 さらに安吾は「この文章は実は殺人犯人をも追跡しうる自在な力があ」ると、まさにその後の松本清張の姿を予見するかのような選評を書いている。清張もすごいが、安吾も恐るべし、だ。
 瀧井孝作もよく似た感想を持ったようで、選評で「この人は、探究追求というような一つの小説の方法を身につけている」と書いている。
 確かにこの作品で森鴎外の失われた小倉時代の生活を訪ね歩く主人公の青年の姿はその後の松本清張の緻密な取材活動と重なってみえる。その「探究追求」を「一つの小説の方法」とした瀧井もまた、その後の清張を見事に言いあてたといえる。

 一方で、石川達三は「光ったものを感じ得ない」と否定的に評価している。ただ、その評に「これは私小説の系列に属するもの」というのは明らかに石川の読み違えであろう。この作品の一体どこが「私小説の系列」なのか不思議でならない。
 この作品の面白さは事実が物語を生み、物語が事実を消している点にある。この物語の主人公は実際に存在するという。では、どこまでが事実でどこからが松本清張の造形であるのかといったそのこと自体が、小説の面白さを生み出しているし、その後の清張文学の核にもなっている。
 石川は選評の最後に「芸術作品は(中略)各人の個性にしたがって鑑賞すべき」とした。それはそれで正しいのだが、それを書いてしまえば選考にもなりえないようにも思う。
 この石川の選評に、松本清張がどう感じただろう。
  
(2011/04/20 投稿)

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  今日は
  朝井まかてさんの『』という本を
  紹介します。
  朝井まかてさんは
  書くたびに成長する作家で
  どこまで重厚な作品を書いていくのかと
  これからも目が離せません。
  今回の『』は
  明治の文豪森鴎外の末っ子の生涯を
  描いたものです。
  本の帯から。

    鴎外の子であることの幸福。
    鴎外の子であることの不幸。

  これだけで
  読みたくなりました。
  読書の秋にぴったしの
  長編小説です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  生きるって大変なこと                   

 朝井まかてさんの渾身の長編伝記小説といえる作品。
 タイトルの「類」は人の名前で、正式には森類(るい)という。
 明治の文豪森鴎外の三男二女の末っ子として生まれたが類。そもそも鴎外の子供たちは鴎外の西洋嗜好だろうか、当時の名前としてはどの子も珍しい名前がついている。
 長男が於菟(おと、と読む。類とは20歳以上離れていて、鴎外の先妻の子供)、、長姉は茉莉(まり。彼女の自由奔放な生活ぶりはこの作品でも描かれている。晩年多くのファンをもつ作家として活躍)、次姉は杏奴(あんぬ、と読む。随筆家として有名)、次男の不律は早逝している。
 こうして列記すると、茉莉を筆頭に鴎外の子供たちの個性の強さに圧倒される。
 そして、この作品の主人公類であるが、父や母あるいは兄姉をことを綴った作品は残しているが、他の兄姉と比べて見劣りがするし、こういう人が親類縁者にいれば周りの人はかなり迷惑するだろう。
 つまり彼は鴎外が残した遺産と印税で暮らした高等遊民で、戦後の混乱時に初めて働きに出るも続かず、同僚に「あなたのような人が生きること自体が、現代では無理なんです」と言わしめる。その言葉にも、彼は反応しないのだが。
 こんな人物がよく生きたものだとあきれるが、だからといって彼を唾棄できないところがある。
 妻の言う「森鴎外というお人が充実し過ぎていたんだわ。あなた、お父様に全部持っていかれてしまったのよ」という言葉が、類という人間をもっともとらえているといえる。

 作者の朝井さんは「その人がつまずいて、そこからどう生きたかというところに惹かれて書くことが多い」とあるインタビューで答えている。
 森類はまさにそんな人生を生きた人であった。
  
(2020/10/21 投稿)

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  作曲家筒美京平さんの訃報を聞いて
  すぐに図書館で
  筒美京平さんに関連する本を探したのですが
  ほとんどありませんでした。
  メディアに出ることを良しとしなかった
  筒美京平さんらしい現象かもしれません。
  その中で
  今日紹介する
  田中忠徳さんの『音聖・筒美京平』は
  筒美京平さんの業績をたどるには
  とてもよく出来ていました。
  さて、私にとって
  筒美京平さんベストは何だろうと考えたのですが
  野口五郎さんが歌った「甘い生活」、
  いやいや中原理恵さんの「東京ららばい」、
  いやまてよ、
  やっぱり太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」かと、
  絶対一曲では無理です。

  筒美京平さん
  たくさんの名曲ありがとうございました。

  ご冥福をお祈りします。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  追悼・筒美京平さん - また逢う日まで                   

 作曲家筒美京平さんが10月7日80歳の生涯を終えました。
 同じ時代を代表する作詞家阿久悠さんや少し前の世代になる古賀政男さんや古関裕而さんといった作曲家と違って、ほとんどメディアに出ることのなかった作曲家で、あまり出てこないのでもしかしたら「筒美京平」という名前のゴーストラターが何人もいるのではないかといった都市伝説まで生まれたそうです。
 けれど、今回の訃報にあたって筒美さんの楽曲が多くのメディアで取り上げられると、70年代から80年代にかけて、そしてそれは歌謡曲の黄金期でもありましたが、実に多くの作品を生みだしていることに驚きます。
 筒美京平という人は知らなくても、誰もが一度は筒美さんの作った歌を耳にし、歌ったことがあるのではないでしょうか。

 この本は「歌謡曲なくして昭和を語ることなかれ」と副題がついて、2011年10月に出版されたものですが、タイトルの通り、丸ごと筒美京平愛に貫かれた一冊になっています。
 何しろ、文中に「「筒美京平」は凄い、カッコいい、素晴らしい!!」が何度も出て来るのですから、その愛は半端ありません。

 筒美京平というペンネームは「鼓が平らに響く」という意味から最初「鼓響平」と考えたようですが、左右対称文字がいいということで筒美京平になったといいます。
 まさに私たちの心に響く楽曲を作った人といえます。
 生涯に3000曲あまりを作曲したといいますが、この本では著者による「30選」の詳細解説もついています。
 あなたなら、筒美さんのどの曲をベストに選びますか。
  
(2020/10/20 投稿)

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 ここ何週間か
 週末になるたびに天気が悪く
 週間天気予報を気にしながら見ています。
 晴れたら
 こんなにスッキリとした秋の空なのに。

  20201016_145214_convert_20201018085033.jpg

   秋空や展覧会のやうに雲      本井 英

 街を歩いていると
 柿の実を見つけました。
 柿の橙が秋の空によく似合います。

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   里古りて柿の木持たぬ家もなし      松尾 芭蕉

 畑の秋冬野菜も
 成長はさまざまで
 ミニハクサイは虫たちの攻撃を受けて
 ごらんのように
 虫喰い状態。

  20201016_135204_convert_20201018084145.jpg

 誰の仕業か、
 犯人さがしです。
 葉の内側にはフンも落ちてたりします。
 見つけました!

  20201016_135501_LI_convert_20201018084933.jpg

 たくさん食べたのか
 大きくなっています。
 これはおそらくヨトウムシ
 漢字で書くと
 夜盗虫
 池波正太郎さんの小説にでも出てきそうな名前です。
 この日、これは三匹駆除しました。
 毎年ハクサイでは苦労していますが
 今年も収穫までできるか
 期待と不安の日々が続きます。

 順調なのは
 青首ダイコン

  20201016_134547_convert_20201018083820.jpg

 白い首をのぞかせてきました。
 なかなか芽の出なかったニンジンですが
 なんとか数本は葉がしっかりしてきました。

  20201016_134633_convert_20201018084025.jpg

 ♪一本でもニンジン、
 なんていう童謡もあったぐらいですから
 大切に育てます。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は孫の日だって
  知ってました?
  私もたまたま知ったのですが
  お孫さんと、おじいちゃん、おばあちゃんが
  コミュニケーションを深めるために
  1999年に制定されたそうです。
  毎年10月の第三日曜が
  その記念日になります。
  そこで
  今日は
  くすのきしげのりさん文
  吉田尚令さん絵の
  『ぼくのジィちゃん』を紹介します。
  この絵本読みながら
  おじいちゃんおばあちゃんと
  仲良くお過ごしください。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  ジィちゃん、カッコイイ!!                   

 ノンフィクション作家の沢木耕太郎さんに「奇妙なワシ」という短いエッセイがあります。
 スポーツ紙によく使われる「ワシ」という人称代名詞に違和感を持つという主旨のエッセイですが、スポーツ紙に限らずテレビでも中国や韓国の人の翻訳音声にはさもそんな言葉づかいをいているだろう言葉が使われているし、シニアの人のそれにもひと昔前のお年寄りが使っていたような話しぶりが出て来たりして、首を傾げたくなります。
 この絵本に登場する「ジィちゃん」も描き方もそうです。
 小学2年生の男の子のおじいちゃんといっても、今のおじいちゃんはせいぜい70歳前後で吉田尚令(ひさのり)さんが描くような人は少ないのではないでしょうか。
 おじいさんといえばこんなイメージという最大公約数のような書き方があるのかもしれませんが、昭和の時代のおじいさんとは比較にならないほど若くなっているので、絵本の書き手も難しい時期にさしかかっています。

 それでも、この「ジィちゃん」はピンクのTシャツ、しかもうさぎ柄です、を着て、何やら風変りです。
 これでは孫もひいてしまうかも。
 でも、この「ジィちゃん」は実はスーパーじいちゃんで、運動会でPTAのリレーに出るはずだったお父さんの代わりに走ることになって、みんなの度肝を抜く大活躍をしてみせるのです。
 そうでしょう、人は見かけによらないのです。

 若いおじいちゃんでこの絵本を描くとなかなか物語が成立しないかもしれません。
 やっぱり「奇妙なワシ」は必要だともいえます。
  
(2020/10/18 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  清武英利さんの
  『サラリーマン球団社長』という
  上質のノンフィクション作品を
  紹介します。
  たまたまこの本を読む前に
  2011年に公開された
  ブラッド・ピット主演の
  『マネーボール』という映画を観ていて
  余計に今回の本を興味深く読むことができました。

  

  映画もとても面白く
  アメリカ映画の幅の広さを感じました。
  どうしてこういう作品が
  日本映画で作れないのでしょう。
  この本を読んだら
  映画『マネーボール』を観るのを
  オススメします。

  じゃあ。読もう。  

  

sai.wingpen  映画化したら面白いのに                   

 読売新聞社会部記者を経て、読売巨人軍球団代表になるもその後解任。その後、山一証券の破綻を描いた『しんがり 山一証券最後の12人』で講談社ノンフィクション賞を受賞とノンフィクション作家に転身した清武英利さんが、2019年から2020年にかけて「週刊文春」に連載したノンフィクション作品。
 週刊誌の連載時につけられた副題の方がこの作品の内容をよく伝えている。
 すなわち、「阪神と広島を変えた男たち」。

 阪神、いうまでもなく巨人の永遠のライバル「阪神タイガース」。そして、広島は今でこそ強いイメージがあるがかつてはお荷物球団ともいわれた「広島東洋カープ」。
 かつてこの2つの球団に親会社のサラリーマンから出向させられ、のちに球団社長かそれに匹敵する地位にまでなった男たちがいる。
 この二つの球団だけが「サラリーマン球団社長」ということはない。
 多くの球団が元々普通のサラリーマンであったのが「球団社長」になっている。
 ただ、この作品で取り上げられている二人の場合は、常にフロントと現場で問題が発生する阪神であったり、弱小球団だった広島の「球団社長」として、その活動が著しかったということだ。

 清武さんは彼らの活動が2つのことを証明したという。
 1つは変革が異端者によって成し遂げられることが多いということ。
 もう1つは、素人であっても情熱があれば理想球団の夢が描けるということ。
 ビジネスの観点からも参考になるし、野球の裏話としての面白さも楽しめる、そんなノンフィクション作品だ。
  
(2020/10/17 投稿)

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  今日は官能小説の紹介です。
  花房観音さんの短編集
  『秘めゆり』。
  先日花房観音さんの
  『京都に女王と呼ばれた作家がいた』という本を
  紹介しましたが
  そういえば最近花房観音さんの官能小説を
  読んでいないことに気がついて
  新しい本を探してみました。
  見つけたのが
  今日の一冊です。
  今回も京都が舞台で
  こういう作品を読むと
  京都に行ってみたくなります。
  もうすぐ紅葉もきれいだし。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  人生100年時代の官能小説                   

 花房観音さんが『花祀り』で第1回団鬼六賞大賞を受賞したのが2010年だから、コロナ禍で生活が一変した2020年で官能作家として10年になる。
 花房さん以前にも女性の官能小説の書き手は少なからずいたが、10年の間確実に書き続けてきた人はあまりいないのではないかもしれない。
 花房さんの場合、京都を舞台にして、単に男の視点ではない女性の柔らかさを描いてきたのが、男性だけでなく女性にも読まれる官能小説になったともいえる。
 2020年6月に刊行されたこの短編集の文庫解説も及川眠子さんという女性の作詞家で、官能小説の解説を女性が書いても違和感がなくなったのも時代の変化だろう。

 時代の変化といえば人生100年時代になって、官能小説に登場する女性の年齢もあがっている。
 少し前であれば若い女性がヒロインになる作品が多かったが、花房さんのこの短編集に出てくる女性たちはいずれもそれなりに人生の経験を経て魅力にあふれている。
 今風の言葉でいえば、「美魔女」だろうか。
 この文庫のための書き下ろし短篇の「君が若さよ」のヒロイン夏乃は49歳で、その相手の男性は彼女より20歳以上も若いという組み合わせになっている。
 かつての社会的な見方であれば、夏乃のような生き方が唾棄されただろうが、花房さんの描き方はけっしてそうではない。
 あるいは表題作の「秘めゆり」やその続編である「くれなゐの桃」は女性同士の性愛を描いて、最後は夫である男性を捨て、恋人の女性を選ぶという、新しい生き方を肯定した作品に仕上がっている。
  
(2020/10/16 投稿)

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  早川書房から出ている
  アガサ・クリスティーの文庫は
  全部で100冊以上あって
  全部読めるかどうかとても自信がない。
  だったら、評価の高い作品から読むのも
  いいかな。
  何しろこちらには
  霜月蒼さんの
  『アガサ・クリスティー完全攻略』がある。
  そこで、今回読んだのが
  『書斎の死体』。
  霜月蒼さんの評価も
  ★★★★☆と高評価。
  実際とても面白かった。
  書評には書いていないが
  作品の最後もひねりが効いて
  うますぎる。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  書斎に死体はよく似合う                   

 「ミステリの女王」アガサ・クリスティーには、二人の超有名な探偵がいる。
 一人はエルキュール・ポアロ、もう一人がミス・マープル。
 それぞれにファンがいるようだが、私はミス・マープルがやや好きかも。
 何しろ彼女(ジェーン・マープルというのが本名)はロンドン近郊のセント・メアリ・ミード村に住む独身の老婦人に過ぎなくて、彼女の周りの村の人たちの類型から事件を解決していくのだから、素人探偵ここに極まるという感じだ。
 
 この作品は1942年に発表された、マープル物の長編としては2作めになる。
 これには「序文」がついていて、「書斎の死体」というミステリの「おきまりの素材」に挑戦する文章が綴られている。
 気合十分のアガサだけあって、この作品はとても面白い。
 マープルの友人でもあるバントリー夫妻の書斎からある朝若い女性の死体が見つかる。
 疑われるのは当然亭主のバントリー大佐。村ではよからぬ噂が広がっていく。
 そこでバントリー夫人はミス・マープルに助けを求める。
 殺されていたのは近くのホテルでダンサーとして雇われたいたという女性。
 探っていくと、彼女は資産家の男性に気に入られ、近々財産が分与されるところだった。
 資産家には亡くなった娘と息子の、元の夫と妻がいて、若いダンサーが亡くなることで二人に与えられる財産が目減りしなくなるという「動機」があった。
 そんな中、一人の高校生が焼死体で見つかる。
 マープルは事件を解けるだろうか。

 犯人らしき人物は途中でわかるかもしれない。
 少なくとも、「書斎の死体」の正体は若いダンサーなのだろうかという、疑問がヒントになるのではないだろうか。
  
(2020/10/15 投稿)

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  今日は
  斎藤孝さんの
  『何のために本を読むのか』という本を
  紹介します。
  副題が長くて
  「新しい時代に自分と世界をとらえ直すヒント」と
  あります。
  いわゆるブックガイドの類ですが
  昨日紹介した詩人のまど・みちおさんの詩集も
  紹介されています。
  この本の「はじめに」で書かれていた
  ガンジーの言葉がいい。

    明日死ぬかのように生きよ、
    永遠に生きるかのように学べ

  この本でいい本が見つかれば
  いいですね。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  こんな時代だからこそ読んでみたい本をさがす                   

 この本のタイトルのように、正面切って「何のために本を読むのか」と聞かれても、答えに困る。
 趣味といえば「読書」となるが、本を何かのために読んでいるかといえばそのことを意識したことはない。
 私の場合、強いて言えば、本を読んでいる時間が自分にとって快適だからだろうか。

 これまでにも様々な読書に関しての本を書いてきたこの本の著者斎藤孝さんは、「教養を深めたい、自分自身を磨きたいというポジティブな想い」が読書につながるとしています。
 そして、コロナ禍の不安と緊張が高まっている今こそ(この新書は2020年9月刊行で、執筆時にはすでにコロナ禍で世の中が変化していて、文面にもコロナの文字がしばしば出てきます)、「変化の時代に必要な教養が自然に身につくきっかけ」となるように、斎藤さんが薦める本を読んでいくという構成でできています。

 この本で斎藤さんが薦めている本は、37冊。
 教養となればすぐさま「古典」という言葉が思いつきますが、もちろん『論語』であったり『古事記』であったり『ソクラテスの弁明』といった古典中の古典もあがっていますが、『山川詳説世界史図録』や『まど・みちお詩集』『整体入門』といった本や『ピアノの森』『へうげもの』といった漫画まではいっています。
 そうみていくと、教養を高めるのは様々あるということでしょう。
 中でもコロナ禍にあってた外せないのが、カミュの『ペスト』です。
 斎藤さんは「作中の貴重な言葉に私たちは出会い、気づかされ、救われる。文学の偉大な力を示した作品」と評価しています。

 こんな時代だからこそ読んでみる価値がある本が見つかる、そんなブックガイドです。
  
(2020/10/14 投稿)

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  日曜日に紹介した
  林木林さんの
  絵本『みどりのほし』で
  まど・みちおさんの言葉を
  書きました。
  『どんな小さなものでもみつめていると宇宙につながっている』。
  あれは本のタイトルでもあって
  2011年3月15日に
  このブログで紹介しています。
  ちょうど東日本大震災があって
  しばらくして書いたものです。
  今日はその書評を
  再録書評として紹介します。
  書評に書いてある父も
  この翌年2012年1月には
  亡くなりました。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  まど・みちおの宇宙                   

 99歳の詩人柴田トヨさんの詩集『くじけないで』がミリオンセラーになって出版界を賑わせています。こちらはその上をいく100歳の詩人まど・みちおさんの言葉を拾い集めた一冊です。
 柴田さんにしろまどさんにしろ、いつまでもお元気で、昨年の春妻を亡くしてすっかり弱くなった86歳の私の父と較べると、年を重ねるということは実に人それぞれだと今さらながらに感心します。

 まど・みちおさんは誰もが知っている童謡「ぞうさん」を書いた詩人です。
 「ぞうさん ぞうさん お鼻が長いのね」って歌ったこと、きっとあるんじゃないでしょうか。それ以外にも「しろやぎさんからお手紙ついた」の「やぎさん ゆうびん」もまどさんの詩です。そのほかにもたくさんあります。まどさんの詩だと知らないまま、歌っていることは多いと思います。

 そんなまどさんは子ども向けの詩について、「子どもを意識して作ると迎合してよい作品はできません」と書いています。どんなに小さい子どもであれ、その子の「人間」の部分に語りかけるように詩を作るのだといいます。
 これは簡単なようでなかなか難しい。つい大人のこ賢しい言葉でしゃべってしまうか、赤ちゃん言葉に代表されるような迎合した言葉になってしまいます。
 「一日として同じだと思う景色はない」というまどさんだから言える言葉だと思います。

 子どもはいつ大人になるのでしょう。まどさんの言葉にふれてみると、大人というのは本当はずっと子どもの目、子どもの心を持ちつづけることができるような気がします。
 柴田トヨさんの詩集は『くじけないで』というタイトルですが、まどさんも「あきらめないことです」という言葉を書いています。二人からみれば、私たちはなんとまだまだ子どもでしょうか。
  
(2011/03/15 投稿)

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 台風が過ぎ去ることを
 台風一過といいますが
 子供の頃あれを台風一家と勘違いしていて
 台風も家族総出やってくるのだと
 思っていました。

    颱風の去つて玄界灘の月       中村 吉右衛門

 金曜から土曜にかけて
 台風がやってきて
 伊豆諸島では大雨になったようで
 関東も土曜日は一日雨になりました。
 雨がやんだあとには
 金木犀の木の下には
 一面オレンジの花が落ちていました。

  20201011_095043_convert_20201011134147.jpg

 日曜日(10月11日)
 雨も止んだので
 イチゴの苗を植えつけてきました。
 イチゴの苗には
 特長があって
 それがランナーというツルのようなものがあること。

  20201011_103720_LI_convert_20201011134239.jpg

 苗を植えつける時は
 このランナーを内にします。
 イチゴの実はランナーの反対側につきます。

 今回もイチゴコンパニオンプランツとして
 ニンニクを植えました。

  20201011_104419_convert_20201011134347.jpg

 イチゴの苗の間に見えるのが
 ニンニクです。

 この日はナバナの植え付けも
 終えました。

  20201011_111544_convert_20201011134434.jpg

 イチゴにしろ
 ナバナにしろ
 春まで長い期間育てます。

 この時期は
 秋野菜の収穫もまだで
 収穫といってもあまりありませんが
 今頃になって
 ピーマンがよく取れます。

  20201011_131226_convert_20201011134512.jpg

 でも、そろそろ次の野菜の準備をしないといけないので
 伐採間近。
 残念ですが、仕方ありません。

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  今日紹介する
  林木林さん文、
  長谷川義史さん絵の
  絵本『みどりのほし』は
  9月の読書会で
  メンバーの方が読み聞かせで紹介してくれた
  一冊です。
  読み聞かせは子供たちだけでなく
  大人の私たちが聞いても
  胸にまっすぐに届いてきます。
  子供たちであれば
  その届いた思いが様々な感情になって
  溢れ出してくるのだと思います。
  読書会で
  読み聞かせで絵本を紹介してもらうと
  少し得をした気分になります。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  まど・みちおさんにつながって                   

 童謡「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」で知られる詩人まど・みちおさんは、明治42年(1909年)に現在の山口県周南市で生まれました。
 亡くなったのが、平成25年(2013年)、104歳の見事な人生でした。
 まどさんが存命中の2011年に周南市で「こどもの詩 周南賞」の募集があり、作詞部門優秀賞を受賞したのが、林木林さんの「みどりのほし」という詩でした。
 それに谷川賢作さんが曲をつけられ、楽曲として歌われています。
 この絵本は、その詩がもとになって2020年7月にできあがりました。
 絵本の文も、詩とは少し違っています。(この絵本のおしまいに楽譜付きでもとの詩も載っています)
 絵を描いたのは、この時の審査員の一人でもあった長谷川義史さん。
 世界が大きく広がりました。

 「みどりのほし」という詩には、この星はみどりでいっぱいで、みどりというのは野菜や果実のことで、その頭つまりへたのところは星の形をしている様子が描かれていますが、絵本ではさらの子供たちの手が星のようになって、それがつながって大きな星座をつくるところまで広がっています。
 これは、まどさんの世界観に合わせたものだと思います。
 まどさんに「どんな小さなものでも みつめていると 宇宙につながっている」という言葉があります。
 この言葉そのものがこの絵本の大きなテーマです。

 2011年の詩がコロナの時代に大きな命を与えられて絵本になったのではないでしょうか。
  
(2020/10/11 投稿)

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 今日は映画の話です。
 タイトルは
 「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」。

  


 昨年(2019年)の春、岩波ホールで上映された
 ドキュメンタリー映画です。
 監督はフレデリック・ワイズマン

  世界で最も有名な図書館のひとつ
  その舞台裏へ

 というのが、
 映画のキャッチコピー。
 「ニューヨーク公共図書館」といえば
 世界最大級の「知の殿堂」で
 世界中の図書館員の憧れの的、
 さらには歴史を感じさせる図書館の建物は
 ニューヨークの観光スポットにもなっていて
 映画の中でも
 写真を撮る大勢の観光客の姿が映っています。

 話題になった映画で
 本好き、図書館好きの人にははずせない一本ですが
 上映時間が3時間半近くあって
 その長さに恐れをなして
 観る機会を逸していたのですが
 この秋、ようやくビデオ化されたので
 観ることができました。

 図書館の映画ですから
 所蔵の本の数々であったり
 書棚であったり
 たくさんの本が見られるかと思っていたら
 本以上にたくさんの人を捉えた映画でした。
 男と女、あるいはそういった性を超えたLGBTの人たち、
 見方を変えれば
 アングロサクソン系、アフリカ系、アジア系といった
 多様な人種の人たち、
 さらに視点を変えると
 若い現役、シニアの人たち、ホームレス、子供、主婦たちと
 人で溢れかえった映画といえる。
 映画の中の
 女性建築家の言葉が印象に残っている。

   図書館は、本の置き場ではない。
   図書館は、人である。
   生涯をかけて何かを学ぶ場所である。

 彼女の言葉通り、この映画は人を描いている。

 もちろん、図書館の舞台裏も見れる。
 図書館に入館してくるホームレスの問題や電子本の扱い
 あるいはベストセラー本をたくさん買うのがいいのか
 未来を考えた所蔵を考えるべきかといった
 スタッフの議論の様子など興味深い。

 この映画を観て思うのは
 図書館というのは
 人が集う場所であるということだ。
 それにしても
 この映画で映った人は
 何人になるのでしょう。

 ちなみに
 映画タイトルにある「エクス・リブリス」とは
 「蔵書票」のことだ。

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  朝日新聞朝刊一面に
  鷲田清一さんの「折々のことば」という
  小さなコラム欄がある。
  10月5日のその欄で
  独文学者の池内紀さんのこんな言葉が
  紹介されていました。

    これほど豊かになって、
    これほどしあわせにならなかった国はめずらしい。

  グサッとくる言葉です。
  今日紹介する
  出口治明さんの
  『還暦からの底力』も
  そんな内容の本です。
  この本からこんな言葉を。

    好きなことをやる、あるいはやれること。
    人間の幸せはそれに尽きます。
  
  書評で紹介している
  江上剛さんの言葉は
  朝日新聞の9月26日の書評欄で
  書かれていました。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  タイトルにだまされるな                   

 本のタイトルは誰がつけるのだろう。
 もちろん著者ということもあるが、編集者の助言もあったりすると聞いたことがある。
 この本の場合、どうだろう。
 『還暦からの底力』と多くの定年関連本のようなタイトルがついていて、しかも著者が大手生命保険会社勤務を経て、ベンチャー企業の経営者となり、さらには大学の学長となったという経歴であれば、つい定年後の生き方の指南書を期待するだろう。
 この本が売れているのも、そのせいだと思う。 
 しかしながら、著者自ら「60歳になったのだからこれをやりなさい」といった類の話は一つも書いていないと、確信犯的言辞を書いているから、もし、これから読もうという人は気をつけるべきだ。

 この本の内容を「憂国の書」と評したのは作家の江上剛氏で、「これが中高年読者の琴線に触れたのでは」と、たくさん読まれていることの分析をしているが、やはり売れているのは、この本のタイトルの著者の経歴だと思う。
 ただ、この本全部がこの国のありかたを問う「憂国の書」ではなく、もしタイトル通りの内容を期待する読者には、この本の終盤にそれらしき内容が記されているから、安心するといい。
 例えば、「どんな年齢の人でもいまこの時が一番若いのですから、思い立ったらすぐ行動することが大切」といったように。

 タイトルもそうだが、副題にも首を傾げる。
 「歴史・人・旅に学ぶ生き方」とあるが、著者がしきりに書いているのは、「人・本・旅」。
 そのまま使わなかったのは、本より歴史の方が魅力ありと、誰かが考えたのだろうか。
  
(2020/10/09 投稿)

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  今日は二十四節気のひとつ、
  寒露
  露が寒さで霜になるという意味。

    水底を水の流るる寒露かな     草間 時彦

  今日は
  本橋信宏さんの
  『新・巨乳バカ一代』というノンフィクションを
  紹介します。
  副題に
  「アイドル帝国を築き上げた野田義治の手腕と男気」とあるように
  かつて巨乳アイドルを量産した
  野田義治氏の半生を描いたものです。
  タイトルに「新」とつくのは
  野田義治氏自身が以前
  『巨乳バカ一代』という本を
  出版したからだと思います。
  人気作の『全裸監督』と合わせて読むと
  面白いです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  かつて堀江しのぶというアイドルがいた                   

 『全裸監督』という作品で、かつて「AVの帝王」といわれた村西とおる監督の波乱万丈の半生を描いたノンフィクション作家本橋信宏氏が、この作品で描くのは「巨乳」という言葉を世に広め一大アイドル帝国イエローキャブを築いた芸能プロダクションの代表だった野田義治氏だ。
 野田氏は「ショービジネスの世界で最も顔が売れた芸能プロダクション代表」ともいわれるが、野田氏以上にかつてイエローキャブに所属したアイドルの名前をあげた方が野田氏の功績がわかりやすい。
 堀江しのぶ、かとうれいこ、細川ふみえ、雛形あきこ、小池栄子、佐藤江梨子、MEGUMIと名前をあげれば、愛くるしい笑顔とそれとアンバランスなほど大きな胸が目に浮かぶ。

 野田氏とAV監督であった村西監督に接点があったとは知らなかった。
 本作の第一部では野田氏が最初に発掘した堀江しのぶが不治の病で入院し、その資金にも困った野田氏を村西監督が救済する姿が描かれている。
 『全裸監督』の別バージョンを読んだ気分になる。
 第二部が野田氏がイエローキャブを立ち上げるまでの「星雲編」。
 野田氏が生まれたのは1946年(昭和21年)。高校までを広島で過ごし、その後東京にでてくる。そして、新宿歌舞伎町の夜の街で生きることになる。
 人との縁があって、やがて野田氏は芸能界に踏み出していく。
 夏木マリやいしだあゆみのマネージャーをしていたという。そして、堀江しのぶと出会うことになる。

 村西監督ほどのあぶない世界ではないが、野田氏の半生も波乱万丈である
 堀江しのぶが23歳で亡くなったのが1988年。それから30年以上も歳月を経ても、野田氏は彼女を忘れない。
 そんなところに野田義治氏の優しさがある。
  
(2020/10/08 投稿)

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  コロナ禍で
  オンライン会議が流行っています。
  私も一度ZOOMを使った
  読書会を体験しました。
  そういう時気になるのが
  背景。
  家の中の様子が見えたりするので
  できるだけ白い壁の前で
  パソコンを開きたい。
  できれば
  今日紹介する
  『絶景本棚2』のような
  本に溢れた本棚の前が理想です。
  でも、これだけの本だったら
  会議している最中に
  山崩れ起こしたりしなければいいのですが。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  絶景かな、絶景かな、さらに絶景かな                   

 「本の雑誌」巻頭にある人気連載「本棚が見たい!」の、2018年に続く書籍化第2弾。
 今回も本棚から溢れかえって本の数々に圧倒されること間違いない。
 今回も夢枕獏さんを始めとして、32名の方々(それにおまけでゲーム作家山本貴光さんの本棚が撮り下ろしで収められている)の夢の巣窟の大披露である。

 どんな方々の本棚が紹介されているかといえば、漫画評論家の夏目房之介さん、歌人の穂村弘さん、書評家の大矢博子さんとなればたくさんの本に囲まれているのも何となく理解できるが、早川書房編集部という肩書の小塚麻衣子さんといわれても、どうも普通の人のようでありながらその本棚というのはもう夢の国状態で、しかも祖父、父、そして娘へと三代に続いているというから、夢の国も年季がはいっている。
 こういう本に囲まれて育った人はどんな気分だろうか。
 これから先もこの夢の国が繁栄することを願うばかりだ。

 異色なのは将棋の棋士の渡辺明さんの本棚。
 他の人たちの本棚が溢れんばかりの、実際溢れているのだが、本だが、渡辺棋士の場合は整然と漫画本が並んでいるばかり。専門の将棋関連の本も数冊という、見事なあっけらかん。
 盤上の思考がどうなっているか、そもそも普通の一般人には理解できないが、棋士の本棚も逆の意味で理解できない。

 ああ、それにしても、これだけの本棚を見せつけられると、ただただ圧倒されて、今夜は本に埋もれた夢まで見そうだ。
  
(2020/10/07 投稿)

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  今日紹介する
  ジャック・ロンドンの『野性の呼び声』を
  読んだきっかけは
  昨年封切られた映画をDVDで観たからです。
  ハリソン・フォード主演で
  犬が主人公ながら
  実にうまく出来た、いい映画でした。

  

  映画の終わり方が
  原作と大きく違います。
  原作では男を襲うのは
  インディアンとなっていますが
  さすがに現代の映画では
  そういう表現はできなかったのでしょう、
  ハリソン・フォードに恨みを持つ男が
  襲ったということに
  変更されています。
  映画もすばらしいし、
  原作もいい。
  まだまだ読んでいない古典の名作が
  たくさんあります。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  古典であり、かつ一級のエンタテインメント                   

 動物物語といえば、誰もがシートンの名前を思い起こすかもしれない。
 子供時代の定番であったが、今でも読まれているのだろうか。
 そして、同じようにジャック・ロンドンの名前と彼の代表作であるこの作品名を覚えている人も多いだろう。
 1903年に出版されたこの作品は出版から40年余りで全米で600万部を売ったという大ベストセラーだが、今では立派な古典文学として読まれている。

 古典文学といえば堅苦しいイメージを持つが、この作品はそんなことはない。
 さすがベストセラーになっただけのことはあって、現代の読者でも飽きさせない。
 なんといっても、主人公の犬バックの魅力が一番だ。
 カリフォルニアの中部の判事の家に飼われていたバックだが、当時のゴールドラッシュで強健な犬が求められている中で悪い男に連れ去られ売られていく。
 今まで雪さえ知らなかったバック(この犬が初めて雪を経験する数行の文章の美しいこと)だが、橇犬として成長していく。
 時には仲間の犬と闘い、時には飼い主である人間たちと心でつながっていきながら、やがてバックに野性の血が戻ってくる。
 橇犬としての過酷さ以上にバックを苦しめるのは、たびたび変わる飼い主の人間たちだ。
 ひどい飼い主ともなれば、食事もろくに与えず、過酷な労働だけを強いる。
 瀕死のバックを救ったのがソーントンという無骨な男。
 野性に戻りつつありながら、ソーントンへの愛情を示すバック。
 しかし、そんな人間との蜜月もやがては終焉を迎える。

 人と犬との交流だけでなく、自然の美しさや恐ろしさを描く自然描写の巧さなど、今読んでも多くの人に感銘を与えるだろう。
 これはやはり名作だし、一級のエンタテインメントだ。
  
(2020/10/06 投稿)

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 歩いていて
 ふと香りに足をとめ
 あたりを見回す。
 そして、見つける金木犀の木。
 またそこにかわいい花をつけて
 匂ってくる季節になりました。

  20201003_124718_convert_20201004094928.jpg

    見えさうな金木犀の香なりけり       津川 絵理子

 季節どおりに咲く花といえば
 今は曼珠沙華も見頃。

  20201003_114820_convert_20201004094846.jpg

    曼珠沙華どこそこに咲き畔に咲き       藤後 左右

 金木犀も曼珠沙華も
 季節の花としては有名ですが
 ではこの花はわかりますか。

  20201001_153447_convert_20201004094319.jpg

 私も生まれて初めてみました。
 これは今年初めて育てたオカワカメの花です。
 オカワカメそのものが珍しいですから
 花はさらに珍しい。

 それでは
 続いてこの花はどうですか。

  20201003_091317_convert_20201004094609.jpg

 これも今年初めて栽培した野菜
 エゴマの花です。
 花のあとに実がついて
 エゴマ油まで
 うまくとれるかな。

  秋冬野菜は
 おいしいものが多くて
 それは虫でも同じで
 蝶の幼虫、青虫などの大好物でもあります。
 なので畑に行くと
 葉が食べられていないか調べます。
 この日見つけたのは
 キャベツをかじっていた青虫。

  20201003_110207_convert_20201004094654.jpg

 即、退治です。

 これは
 玉レタスの成長の様子。

  20201003_110327_convert_20201004094744.jpg

 まだ丸く結球するところまでは
 いきません。

 来週はイチゴの苗がきます。
 そのための畝づくりをして
 準備万端。
 春まで長いながい。

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  このところ
  絵本作家石川えりこさんの作品を
  つづけざまに読んでいます。
  今日も
  石川えりこさんの『あひる』という
  絵本を紹介します。
  何故石川えりこさんの絵本が気に入ったかは
  今日の書評に書きましたが
  やはり同時代の人の作品というのは
  絵本だけでなくあらゆるジャンルで
  魅かれるものです。
  特に石川えりこさんの絵には
  私が子供の頃に見聞きした
  日常があふれています。
  まだしばらく石川えりこ熱は
  続きそうです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  昭和という時代に育って                   

 石川えりこさんの絵本に魅かれるのは、その作品に自分が育ったものと同じ匂いや光を感じるせいだ。
 昭和30年(1955年)生まれの石川さんだから、その匂いや光は昭和のそれといっていいかもしれないが、ちがった言い方をすれば幼い時に見た風景がそこにあるからだともいえる。
 この『あひる』という作品に描かれている日常もそうだ。
 そこに描かれているのは、飼っているにわとりが生んだ卵を食べ、年をとったにわとりは「しめて」鶏肉というごちそうになる、そんな日常だ。
 おそらく現代の子供たちは鶏肉は食べてことがあっても、「しめて」という行為は知らない。
 石川さんも私も、「しめて」鶏肉を食べた世代だ。

 ある日、姉と弟のきょうだいの家に一羽のあひるがやってくる。
 家の前の川であひるを、お父さんのつくってくれた木の船(この船の絵が昭和生まれにはたまらなく懐かしい)と泳がせたたりしていた。
 ところが、そのあひるがいなくなった日、きょうだいの家の夕ご飯は野菜とお肉がいっぱいの豪華な鍋でした。
 姉は、もしやと気づきます。
 弟も心配になって、お母さんに「あひるの肉じゃないよね」とたずねます。
 お母さんは違うと答えてくれたけれど、姉はもうわかっています。
 自分の周りの現実を知る年齢になっていたのでしょう。

 にわとりを「しめて」鶏肉として食べることは残酷でしょうか。
 石川さんや私が小さかった頃、そうやって「いのち」を感じとっていったのです。
  
(2020/10/04 投稿)

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  かつてノンフィクションの時代があった。
  それは1970年代後半から1980年代にかけてのことで
  若き沢木耕太郎さんが颯爽と
  現れた頃だ。
  そして、山際淳司さんもそんな人気作家の一人だった。
  その人気はNHKのスポーツキャスターを務めるほど。
  そんな山際淳司さんが
  オリンピックの競技を描いたノンフィクションを集めたのが
  今日紹介する
  『たった一人のオリンピック』。
  もし、山際淳司さんが今も元気であれば
  今回延期となったオリンピックを
  どう描いただろう。
  そう、山際淳司さんは1995年に亡くなっている。
  もう随分遠いことになってしまった。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  光だけではないアスリートもいる                   

 日本が不参加を決めた1980年のモスクワオリンピック。
 もしあの時参加していれば、マラソンの瀬古選手は金メダルをとれたかもしれない。そんな期待があったから、選手はどんなに出たかっただろう。
 しかし、瀬古選手の恩師でありコーチでもあった中村清コーチは「オリンピックに出ることがすべてじゃない」と、当時語ったという。
 走ることにロマンを感じていた中村さんだから言えた言葉だろうが、普通、四年に一度の大きなスポーツの祭典に出たいと思うアスリートは多いだろう。
 だから、その開催の年に合わせて、自己を調整する。まずがオリンピックの代表に選ばれるように肉体を整え、大会で好成績を残す準備をする。
 2020年に開催される予定だった東京オリンピックがコロナ禍で1年延期と決まった時、すでに2020年を照準にしていたアスリートたちにはどれほどのショックだったか計り知れない。

 この本には、かつて「江夏の21球」というスポーツノンフィクションの金字塔ともいえる作品を書いたノンフィクション作家山際淳司氏がオリンピックに関係したスポーツを題材にして描いたノンフィクション8篇が収められている。
  表題作の「たった一人のオリンピック」は「シングル・スカル」というボート競技でモスクワオリンピックに出場が決まっていた一人の選手を描いた作品である。
多くの人がその競技のことを知らないから、そこに夢を託した青年の話は、この本の最後に収められた「オリンピックの季節」の最後の文章と重なり合う。
 そこにはこう記されている。
 「生活を保証されたうえで、のびのびとメダルを目ざす選手がいる。その対極に、シビアな選択を迫られ、なおかつオリンピックを目ざそうという選手がいる。その両方を見ていかないと、オリンピックという大舞台の魅力は伝わってこない」。
 この本には後者のアスリートたちが描かれているといっていい。
 そこに山際淳司の柔らかな視点を感じる。
  
(2020/10/03 投稿)

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  昨日紹介した
  坪内稔典さんの『俳句いまむかし』という本に
  作家の川上弘美さんの俳句も
  載っています。

    接吻は突然がよし枇杷の花       川上 弘美

  この俳句は
  川上弘美さんの『機嫌のいい犬』という句集に
  あるそうで
  そういえば
  その句集読んだことがあったと
  探し出しました。
  2010年に読んでいました。
  なので、
  今日は川上弘美さんの
  『機嫌のいい犬』という句集を
  再録書評
  紹介します。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  川上弘美の世界がひろがる俳句集                   

 高級料理でもなく、名物料理でもない。どこにでもあるような食べ物であっても、どこかほっと息をつくようなものは誰にでもあります。
 私の場合は、卵かけごはん。湯気のたつ白いご飯にふっくらとした生たまご。それに醤油をたらして、ざくざくとまぜる。なんともいえない、ごちそうです。
 作家川上弘美さんの、しかも物語ではなく俳句となれば、なんだかそんな卵かけごはんに似て、これ以上のごちそうはないのではないでしょうか。これはそんなごきげんな句集なのです。

 川上さんが「俳句を、つくってみませんか」と誘われたのは、もう十七年前のことだそうです。奇しくも、俳句は十七文字の短詩文芸ですが、もちろんそれは関係ありません。
 で、川上さんはこう思います。「俳句ねえ。でも、俳句って、なんだか古くさい、昔のものなんじゃないの」。このことは若かった川上さんだけの思いではないでしょう。きっと若い人の多くは、俳句と聞けばそんな感想を抱くのではないかしらん。
 そんな川上さんですが、おそるおそる、海開きの頃にまだ冷たい海にはいる心境でしょうか、俳句の世界をのぞいてみます。「うわあ、と思いました。面白かったのです」。
 ちょうど、川上さんが『神様』という作品で小説家になろうとしていた頃です。

 川上さんは「俳句をつくって、わたしはあらためて日本語が好き」になったと書いています。たしかに作家川上弘美の物語の世界には、そういう日本語の魅力が自然に記されていることが多くあります。
 この句集は、1994年の、まだ俳句を始めてまもない頃の作品から2009年に詠んだ作品までが収められていますが、言葉が自由に行き来する様子は、そのまま、川上弘美さんの作品のなかに綴られる文章のようでもあります。

 俳句は定型であったり季語であったり、不自由な短詩文芸です。それなのに、これほどの自由になれるとしたら、川上さんにとって俳句とは「どこかほっと息をつく」文芸のような気がします。
  
(2010/11/13 投稿)

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