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 木枯らしは
 初冬に吹く北西寄りの強い風のことで
 木々を枯らすほど吹くので
 こう呼ばれたそうです。
 まさに今時分に吹く風で
 木枯らしに吹かれて
 畑のそばの桜の木々も裸木になってきました。

  20201128_105521_convert_20201128130140.jpg

 「裸木」も冬の季語。

    裸木となる太陽と話すため     高野 ムツオ

 風の強かった土曜日(11月28日)
 待望のキャベツを収穫しました。

  20201128_115857_convert_20201128130319.jpg

 今年キャベツは2つ栽培しているのですが
 採れたのはそのうちのひとつ。
 もう一つは
 大きくならないのでじっと待つしかありません。

 畑に植わっているのは
 ほぼ冬越し野菜
 冬越し野菜
 秋に栽培を始めて
 冬を越して翌春に収穫する野菜のこと。
 イチゴとかエンドウ
 タマネギニンニクもそう。
 実に半年以上かけて
 栽培することになります。

 これはナバナ

  20201128_111026_convert_20201128130228.jpg

 ナバナの収穫も早春頃。
 菜の花のイメージがありますから
 春野菜です。

 なので
 畑に行ってもあまり作業はありません。
 ならばと
 家で栽培しているキノコ類。
 これまでにシイタケエノキと紹介しましたが
 今回はナメコ

  20201128_094026_convert_20201128130044.jpg

 一口にキノコといっても
 色々あります。
 寒い季節
 鍋料理に入れても
 おいしい。

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プレゼント 書評こぼれ話

  10月29日の朝日新聞の文化面に
  「いま韓国絵本が熱い」という記事が
  出ていました。
  その中でも紹介されていたのが
  今日の絵本『おかしなおきゃくさま』を書いた
  ペク・ヒナさん。
  記事には
  表情豊かで、生きているかのように人間くさい粘土の人形たち。
  細かく作り込んだセットの中に彼らを配して撮った写真でできているのが、
  ペク・ヒナさんの絵本だ。
  光を効果的に使った作品には、映画のような美しさがある。」
  とありました。
  今日の絵本もまさにそう。
  韓流ドラマもK-POPもいいけれど
  韓国絵本もいいですよ。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  この絵本でもペク・ヒナさんの魅力が満載                   

 韓国の絵本作家で、自称人形いたずら作家のペク・ヒナさんが2018年に発表した絵本。
 日本では2019年9月翻訳(訳は日本の絵本作家の中川ひろたかさん)出版されました。
 ペク・ヒナさんはかつてアニメーションの勉強もされていたようで、さすがに登場人物たちの動きに迫力を感じます。
 例えばこの絵本、空から迷いこんだ「おかしなおきゃくさん」である天気の子がパンを食べたら大きくお腹がふくれておならをしてしまうシーン。
 その勢いで家の中のものや主人公の男の子が吹き飛んでしまうその場面の迫力は、絵本なのだから絵はとまっているのだが、まるで動いているその一瞬をとらえたもので、なかなかこういう絵本は見ることがない。

 ペク・ヒナさんの絵本はその登場人物に異様なキャラクター造型もいいし、ストーリー展開も面白いのだが、やはりそれ以上に動きのある絵(実際には写真)が読む人を惹きつけるのではないだろうか。
 すでにあるのかどうか知らないが、ペク・ヒナさんの絵本を実際にアニメーションで見たいものだ。
 その時には中川ひろたかさんや長谷川義史さんが音楽を担当したら、面白いのに。
  
(2020/11/29 投稿)

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  昨日紹介した
  メアリー・ノートンの『床下の小人たち』を原作にした
  スタジオ・ジブリの映画「借りぐらしのアリエッティ」が
  公開されたのが
  今から10年前の2010年。
  その年は岩波少年文庫創刊60年の年で
  その時宮崎駿さんが
  「岩波少年文庫の50冊」という豆本を
  作っています。

   20201127_084613_convert_20201127084734.jpg

  写真でわかるように
  ちょうどアリエッティが読むような大きさ。
  そして、この本をベースに
  翌年の2011年に出版されたのが
  岩波新書の『本へのとびら -岩波少年文庫を語る』です。
  今回、
  『床下の小人たち』を読むのに合わせて
  この新書も再読しました。
  今日は2011年に書いたものを再録書評として
  載せましたが、
  そこには触れていませんが
  宮崎駿さんはこんなことも書いています。

   読書というのは、どういう効果があるかということではないですから。
   それよりも、子どものときに、自分にとってやっぱりこれだという、
   とても大事な一冊にめぐり逢うことのほうが大切だと思いますね。

  子どもだけでなく
  今の私でも同じかも。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  今からでも遅くはない                   

 岩波少年文庫の巻末に「岩波少年文庫創刊五十年―新版の発足に際して」という文章が掲載されています。二〇〇〇年の六月に記されたものです。そのなかに「幼少期の読書の記憶の断片は、個個人のその後の人生のさまざまな局面で、あるときは勇気と励ましを与え、またあるときは孤独への慰めともなり、意識の深層に蔵され、原風景として消えることがない」とあります。
 自身の幼少期の体験を振り返れば、両親ともにあまり本を読まなかったのですが、何故か私には本を買ってくれた方かもしれなかったと思います。ただ本を読む習慣をもたない両親にとって、自ら買い与えるということはありませんでした。だから、岩波少年文庫は読んだ記憶がありません。
 それでも、『ジャングルブック』や『小公子』、『シャーロック・ホームズ』、『怪盗ルパン』といった誰もが幼少期に出合う本とは人並みに出合えたのは両親のおかげです。
 もっともすっかり大人になった今でも、もしあの時あの本に出合えていたらと思わないこともありません。でも、考えてみれば、本との出合いは人とのそれによく似ていて、運命的なこともあるのでしょう。
 私が幼少期に岩波少年文庫に出合わなかったのも、大人になって何冊かを手にしたのも、運命なのだと思えます。

 アニメーション映画監督の宮崎駿さんが薦める「岩波少年文庫の五〇冊」もそうです。
 けっして宮崎さんが子供の頃に出合った本ばかりではありません。青年期を経て、大人になって出合った本もたくさんあります。
 幼少期にこれらの作品に触れることは正しいことでしょう。しかし、そればかりがいいことではありません。
 本との出合いには、運命的な時期があります。もし、宮崎さんのこの本を手にする大人の読者が岩波少年文庫の一冊を読みたいと思ったとしましょう。きっと、その時、本が「おいで、おいで」をしている、まさにその瞬間なのだと思います。

 それでも、いい出合いをするためには、こういう読書案内のような本を読んで力をつけないといけません。読書にも訓練が必要なことを、多くの人たちが忘れがちです。
 岩波少年文庫の巻末の文章の最後の方に、「読書は意識して習得すべき生活技術」とあります。
 生活技術の習得は早い方に越したことはありませんが、大人になっても習得できる技術のひとつであることは間違いありません。
  
(2011/12/23 投稿)

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  スタジオジブリの映画は
  ほとんど観てきましたが
  あえていうなら
  宮崎駿監督の映画はほとんど観てきたので
  他の監督の作品で
  観ていないものがたくさんあります。
  2010年公開の
  「借りぐらしのアリエッティ」もそうで
  先日ようやく観ました。

   

  この原作はどんな作品だろうかと
  思って手にしたのが
  今日紹介するメアリー・ノートン
  『床下の小人たち』です。
  映画を観た人は
  原作の方も読んだ方がいい。
  映画もよかったですが
  原作の方が好きかな。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  アリエッティに会いたい                   

 2010年夏に公開されたスタジオジブリのアニメ映画「借りぐらしのアリエッティ」(米林宏昌監督)の原作であるイギリスの児童文学。
 あの宮崎駿さんは企画と脚本で参加しています。
 そもそも原作は1952年に出版されたもので、原題は「THE BORROWERS」で日本語にすると「借り手」ですから、ジブリ作品の方がニュアンス的には近いかもしれません。
 もっとも岩波少年文庫にラインナップされたのが1956年ですから、「床下の小人たち」の方が物語を端的に表していてわかりやすかったともいえます。

 この物語はタイトルが示す通り、ある古風な家の床下に住む三人の小人の家族の物語です。
 父はポッド、母はホミリー、そして一人娘のアリエッティ。
 彼らの世界では絶対に人間にその姿を見られてはいけないという不文律があります。
 ところが、ある日ポッドがその家で静養に来ていた男の子に姿を見られてしまいます。
 嫌な予兆の始まりです。
 さらにはアリエッティまでも見つけられ、男の子としゃべってしまいます。
 この時男の子はアリエッティのような小人の種族はいつか滅びるという辛辣なことをいうのですが、子供は時に残酷なことを平気に口にする。
 そういうありのままの子供を描くことで、子供たちがその物語を自分にひきつけていく。そんなところに優れた児童文学があるのだと思います。
 そして、アリエッティたちはついに男の子以外の人間にも見つかってしまい、なじんだ床下から出ていくことになります。

 「借りぐらし」というのは、人間の生活からこまごましたものを借りて自分たちの暮らしを支えること。
 そんな生活をしているアリエッティたちが本当にいるかもしれない、そんなことをふと思います。
  
(2020/11/27 投稿)

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  朝井まかてさんから始まり
  宮本輝さんへと続く
  森鴎外の糸は
  まだ続いていきます。
  今朝日新聞に連載中の新聞小説は
  池澤夏樹さんの「また会う日まで」という作品で
  まったく読んでいないのですが
  先日ふと目にとまった回に
  森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』のことが書かれていました。
  とても偶然なのですが
  やっぱり私としてはとても気になりました。
  しかも、この作品もまた未読でしたので
  今回読んでみることにしました。
  結論的には
  なかなかいいぞ森鴎外という感じです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  過ぎ去った甘酸っぱい記憶の追体験として                   

 本のタイトルだけで胸がときめくということはあまりない。
 その点ではこの小説は稀有といっていい。
 何しろ日本語読みにすると、「性欲的生活」なのだから、発表された明治42年(1909年)当時発表誌が発禁処分となったのはわからないでもない。
 ただし、21世紀の現代においてこの作品を淫らに性欲を高めるものと評する人はいないと思う。
 もちろん、この作品をどのような年齢で読むか、それは関係するかもしれない。
 森鴎外といえば夏目漱石と双璧をなす明治の文豪だし、彼が書いた作品の代表作のひとつともなれば早ければ中学生、遅くても高校生でこの作品を読むだろう。
 若い読者にとってこの作品がどの程度刺激的であるか、今はそんな時代から遠く離れたしまったシニアの読者には想像すらできない。

 シニア読者がこの作品を読んで刺激されたかと問われれば、明確に「否」である。
 むしろ純な青春小説ではないかと思えてくる。
 吉原に繰り出して相手の女性と腕角力をしていたなどといったエピソードは笑えるし、「世間の人は性欲の虎を放し飼にして、どうかすると、その背に騎って、滅亡の谷に堕ちる。自分は性欲の虎を馴らして抑えている。」と真面目に書かれると、鴎外の厳めしい顔を思い出してしまう。

 読みようによってはシニアの読者こそこのような作品を必要としているかもしれない。
 過ぎ去った甘酸っぱい記憶の追体験として。
  
(2020/11/26 投稿)

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  朝井まかてさんの『』は
  明治の文豪森鴎外の三男である
  森類さんを描いた作品ですが
  私はほとんど森鴎外の作品を
  読んでいませんでした。
  朝井まかてさんのあとに
  宮本輝さんの『灯台からの響き』という作品を読んだのですが
  そこに
  今日紹介する森鴎外の『渋江抽斎』の作品が
  登場してきて、
  自分の中で森鴎外の糸が
  つながった感じになりました。
  だったら、せっかくなので
  『渋江抽斎』を読んでみるかと手にしました。
  これがとっても面白かった。
  こんないい作品を
  ずっと見落としていたことに
  いささかの悔いと
  それでも読めたことの喜びに
  やっぱり読書は面白いと感じました。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  退屈させない森鴎外の代表作のひとつ                   

 「史伝」というのは、「広辞苑」によれば「歴史と伝記」とまずあり、「歴史に伝えられた記録」と続く。
 小説ではないので創作の要素がないのだろうが、森鴎外が55歳の大正5年(1916年)新聞に発表し鴎外史伝の代表作にもなったこの作品の面白さはどうだろう。
 読めばほとんど記録の羅列が続くのだが、そしてそこには実に多くの人が登場(誕生)し、消えて(死んで)いるという人間の営みがまずあることがよくわかる。
 それでいて、小さな挿話の一つひとつがまるで良質の短篇小説を読んでいるような味わいがあって、飽きさせない。

 中でも主人公たる弘前藩の医官で考証学者の渋江抽斎の四番目の妻となる五百(いお、と読む)の魅力といったらない。
 彼女が抽斎の妻になるのあたっては実家の事情を慮って抽斎に嫁ぎ、その抽斎の力を借りて実家に監督せしめようとしたという。
 この逸話にしても当然婚儀に話として書かれてもよいものを、鴎外はあえて終り近くに持っていく。
 この作品が読むやすく面白いのは、かくのように鴎外の巧みな編集力にあるといえる。
 主人公の抽斎が53歳で亡くなったあとも鴎外がこの「史伝」を書き続けるのは、歴史とは単に一人の人物の生死ではなく、彼がもたらしたあらゆることが歴史を生み出すという思いがあったのかもしれない。
  
(2020/11/25 投稿)

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 朝日新聞社が毎年「教育の力で未来を切り拓く」をテーマにして
 連続フォーラム「朝日教育会議」をしていて
 今年はコロナ禍の影響で
 全フォーラムがライブでの動画配信となりました。
 10校の大学が参加しているフォーラムのメニューを見て
 面白そうだと思ったのが
 法政大学のそれだったので
 一昨日の日曜(11月22日)に参加しました。

  20201122_112358_convert_20201122113504.jpg

 ライブでの動画配信の講演参加は初めてなので
 まずそのことから。
 参加者数が決まっているので事前申し込みをしました。
 その後主催者側から
 IDとかパスワードが送られてきて
 それを入れないと参加できません。
 リアルな講演会だと
 当日の服装だとか席の確保とか必要ですが
 オンラインですからその点は楽。
 また途中で席を立つのも
 欠伸をするのも自由なのがいい。
 だからといって
 例えば落語をテレビで見るのと
 寄席で生で聞くのとが違うように
 周りの人の反応とか
 講演者の息遣いなどは
 やはりリアル講演の方がいいように感じました。

 このことは
 今回の法政大学の講演でも
 タイトルは「これからの大学 for ダイバーシティ ~多読・会読・連読の場~」)
 でも取り上げられていて、
 法政大学総長の田中優子さんの基調講演
 「コロナ禍で発見した5つのこと」の中で
 大学でのオンライン授業のメリットデメリットの話が
 ありました。
 コロナ禍で大学の授業も大きく変化しました。
 オンライン授業やオンデマンド授業を取り入れたことで
 学生たちは時間が自由になったと捉えているそうです。
 そんな中田中優子総長は
 コロナ禍で対面授業が出来なくなって
 「言葉」が貧しくなっていることが如実にわかったといいます。
 つまり、「言葉」が貧しいのを対面によってカバーしていたのが
 対面できなくなってそれが露呈したというのです。
 なので、これからの時代は
 「全身的根源的表現の凝縮」が必要なのだとまとめていました。

 次の第二部のプレゼンテーションは
 多読家で有名な松岡正剛さんと建築家の隈研吾さんのお二人が
 それぞれ講演。
 お二人は先日オープンした所沢の
 角川武蔵野ミュージアムを共に立ち上げてきました。
 隈研吾さんの講演は
 自身がこれまで関わってきた建築物の写真を見せながらのもので
 とてもわかりやすいものでした。

 第三部は田中優子総長と松岡正剛さん隈研吾さん
 三人によるパネルディスカッション。
 ここでは松岡正剛さんの毒舌が冴える冴える。
 多読家松岡正剛さんいわく
 「本を読んでタメになる率は3割程度」と心すること、
 なのでいつも3~7冊ぐらい一緒に読む癖をつけることが
 多読につながるというもの。

 13時30分から始まり
 途中にうれしい10分休憩をはさんで
 16時30分までの3時間。
 終って電車に乗って会場をあとにすることもなく
 パソコンを閉じれば
 もう家というのも(当たり前ですが)
 オンライン講演のいいところです。

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 今日は勤労感謝の日
 お休みの人も多いと思います。

    旅に出て忘れ勤労感謝の日      鷹羽 狩行

 紅葉も街なかに降りてきて
 近所で紅葉を楽しむこともできるようになりました。

  20201119_071831_convert_20201122113100.jpg

 写真は
 北浦和公園の入口の銀杏。
 奥に見える建物は
 黒川紀章さん設計による埼玉県立近代美術館
 ちょっとした散歩には
 いいですね。

 今日は
 うれしい収穫の話から。
 ついに三浦ダイコンを収穫しました。

  20201122_110159_convert_20201122113335.jpg

 こちらの写真、
 上がいつもの青首ダイコン
 下が初めて栽培した三浦ダイコン
 首のちがいがよくわかります。
 ただ、この日収穫した三浦ダイコンは二股になっていました。
 畝の耕しが足りなかったかな。
 青首ダイコンはこれで6本めで
 今年最後の収穫です。

 そして、
 ミニハクサイも収穫です。

  20201122_110319_convert_20201122113420.jpg

 虫にボロボロになりながら
 よくここまで頑張ってくれました。
 なんとなく
 ハクサイらしい形まで育ってくれたのが
 うれしい。

 こちらは
 もうすぐ収穫できそうなキャベツ

  20201122_094412_convert_20201122113244.jpg

 来週にはできるかも。

 タマネギですが
 何本か根切り虫にやられて
 断念せざるを得ません。
 タマネギを諦めたところに
 ホウレンソウの種を蒔いています。

  20201122_094352_LI_convert_20201122114249.jpg

 まさか
 タマネギの畝がホウレンソウの畝には
 ならないでしょうが。

 家でシイタケを育てている話を
 以前しましたが
 同時にエノキナメコのきのこも栽培していて
 エノキの方が
 顔を出してきました。

  20201121_072938_convert_20201122113145.jpg

 ちょっとイメージとは違いますが。
 ナメコ
 まだ時間がかかりそうです。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  二十四節気のひとつ、小雪

    小雪といふ野のかげり田のひかり     市村 究一郎

  とはいっても
  記録的な暖かさで
  先日も夏日になったりして驚きました。
  今日紹介する
  ジョセフ・コエローさんの『おもいではきえないよ』は
  読書推進運動協議会が作った
  「敬老の日読書のすすめ」というリーフレットで見つけた
  絵本です。
  このリーフレットは
  当然シニアの人向けに作られていますが
  その中にあって
  絵本という選択もなかなか
  いいものです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  誰もがこれから往く道                   

 最初誰にも父と母がいる。
 同じようにおじいちゃんもおばあちゃんも。
 小さい頃におじいちゃんやおばあちゃんがいた子供はなんて幸せなのかと思う。
 まさに「ドラえもん」ののび太君がおばあちゃん大好きだったように。
 イギリスの作家ジョセフ・コエローが文を書いたこの絵本は、小さな女の子とそのおじいちゃんの物語だ。
 女の子とおじいちゃんは春も夏も秋も冬もいつも一緒にいる。
 けれど、おじいちゃんは死んでしまう。
 絵本ではこの場面はおじいちゃんがいつも座っていたソファだけを描いて(絵を描いたのはオーストラリア在住のアリソン・コルポイズという人)、添えられた文章は「おじいちゃんの物語は、もうきけない。」。
 絵本を読む子供たちが、「死」、愛する人がいなくなるってどういうことなのか実感できるのではないだろうか。
 この女の子はただ悲しんでいるだけではない。
 「おもいではきっと、いつでもあそびにいけるへやなんだって」気づく。
 思い出の中のおじいちゃんはいつもにこにこ、やさしい。
 そして、今度こそどこにもいかない。
 子供だけでなく、おじいちゃんおばあちゃん世代にも胸が熱くなる絵本だ。
  
(2020/11/22 投稿)

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  今日は
  Pippoさん編の『一篇の詩に出会った話』という
  インタビュー集を紹介します。
  この本を読んで
  もし私ならどんな詩と出会った話に
  なるのだろうか考えました。
  そして思い出したのが
  テレビドラマ「柔道一直線」で流れた
  中原中也の詩でした。
  桜木健一さん主演で
  1969年から1971年にかけて放送されていたので
  私が15歳頃でしょうか。
  雪での格闘シーンに
  この詩が流れたと思うのですが。
  そのあとに
  中原中也の詩集を読んだように思います。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  誰もが出会う大切な一篇の詩                   

 有名無名さまざまだし、一口に「詩に出会った」といってもここで話された11名の人たちのそれも同じではない。
 テーマは「詩に出会った話」だが、バラバラの人から話を訊くのは難しかったに違いない。
 編集に携わった「Pippo」という人の略歴を読むと、「近代詩伝道師」とあったり「朗読家」とあったりする。あるいは、詩の読書会を開催したりしている。この本にはその読書会のメンバーも「詩に出会った話」を語っていたりする。

 11名の中でも有名なのが直木賞作家のふたり、西加奈子さんと辻村深月さんだろう。
 西加奈子さんは山崎方代の短歌をあげているし、辻村深月さんは大槻ケンヂのある曲の歌詞をあげている。
 金子光晴や立原道造、あるいはボードレールの詩をあげている人がいる中で、さすが直木賞のふたりはユニークだ。
 もっとユニークなのが、歌人の穂村弘さん。
 昔のアニメ「サスケ」のナレーションを、初めて好きになった詩にあげている。
 実はこの本を読もうと思ったのは、穂村さんのこの選択に魅かれてからだ。

 詩といえば確かに中原中也や高村光太郎、あるいは下って谷川俊太郎や茨木のり子、吉野弘といった教科書に出てくる詩人の作品を思い浮かぶが、辻村さんのように楽興の歌詞に勇気づけらた人も多いだろう。
 詩が時代遅れになったのではなく、詩の多様性が広がったととる方がいい。
 さて、私ならどんな詩を「出会った話」としてするだろう。
  
(2020/11/21 投稿)

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  三島由紀夫作品の
  三作目は
  『潮騒』を紹介します。
  この作品は昭和29年6月に
  書下ろしとして刊行され、
  翌年の昭和30年12月には
  新潮文庫の一冊にはいっています。
  私が『潮騒』を読んだのは
  たぶん中学生の頃だと思います。
  結構ドキドキしながら
  読んだことを覚えています。
  もちろん、今はドキドキしませんが。
  今回久しぶりに読み返して
  実によく書けている物語だと
  改めて思いました。
  三島由紀夫没後50年
  新潮文庫も解説者を変えたりしているようです。
  この機会に新しい三島由紀夫ファンが
  増えるのではないでしょうか。

  じゃあ、読もう。  

  

sai.wingpen  この作品で三島由紀夫を知った人の幸せ                   

 三島由紀夫の代表作といえば『金閣寺』になるのだろうか。
 三島の主だった作品を揃えている新潮文庫でも360万部を売っていて三島の作品では一位を誇る。
 あるいは『仮面の告白』や『憂国』『豊饒の海』をあげる人もいるかもしれない。
 では、新潮文庫で三島作品として二番目の349万部を売り上げているこの『潮騒』はどうだろう。
 何度も映画化されて多くの若い読者を得ているこの作品だが、三島の他の作品とは毛色が違うように感じる。
 まさに、三島由紀夫の異色の代表作といえるだろう。

 しかし、この作品こそこれから本を読み始める若い人に読んでもらいたい。
 何故なら、これは実にうまく出来た物語だからだ。
 この作品を読めば、物語がいかに面白いか体験できるはずだ。
 まず、登場人物の役割がしっかりしている。
 考えることよりも肉体の動きで生きているような青年新治。今だ純のままの少女初江。息子を信じる強い母親。初江に岡惚れして新治と敵対する村の金持ちの息子安夫。自分は醜いと思いこんでいる灯台守の娘千代子。人のいい灯台守の夫婦。
 誰もがそれぞれの役割を見事に演じている。
 そして、物語の構成の巧さ。
 新治と初江の出会い。雨の中での逢瀬。ここで有名な焚火を挟んでの二人のやりとりがある。
 千代子の誤解と嫉妬する安夫のたくらみ。新治と安夫の嵐の海での対決。
 誤解が解け、将来を約束される二人。

 もちろん、この作品をもって三島のギリシャ文学への憧憬とか言われているが、何よりも感性された物語を純粋に楽しめる作品といっていい。
  
(2020/11/20 投稿)

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   三島が自決し、五十年の歳月が流れた。
   五十年前、私は仙台で暮らす高校三年生だった。
   十一月の、よく晴れた小春日和の日。
   寝坊して学校をサボり(中略)茶の間の炬燵に入って、テレビを観ていた。
   一報を知った時の衝撃は今も忘れない。

  これは、朝日新聞土曜の別刷版に連載されている
  小池真理子さんの「月夜の森の梟」というエッセイの
  11月14日連載されて中の一節。
  あの日私は高校一年生だった。
  学校で知ったような記憶があるが
  曖昧だ。
  もちろん、その当時には三島由紀夫の作品は
  何作か読んでいた。
  何よりも自決というのが衝撃だった。
  おそらく、私たちと同じような世代にとって
  あの日のことは記憶の片隅に
  くっきりと残っているように思う。
  今日は
  2016年に書いた
  三島由紀夫の『美しい星』を再録書評
  紹介します。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  三島由紀夫ってやっぱりすごいと思ってしまう                   

 三島由紀夫が昭和37年に書いたSF仕立ての長編小説である。
 この時、三島は37歳。
 SF仕立てと書いたのは、この作品の登場人物である埼玉県飯能市に住む大杉重一郎とその妻、そして二人の子供(上が男性で下が女性)の四人家族は宇宙人だと、少なくとも全員が認識していることになっている。
 実際彼らが本当の宇宙人であるのか一種の狂気であるのか明確には記されていない。
 少なくとも大杉一家は核の時代に生きる人類を救済しようとする善の宇宙人であり、一方人類など救うべきではないという仙台に住む、こちらの真の宇宙人なのか不明の三人組の男が登場する。

 この作品が書かれた昭和37年というのはどういう時代であったか。
 キューバ危機といわれたアメリカと旧ソ連が一触即発の事態に陥ったのが、この年の秋である。
 そういう時代の空気を三島は実に敏感に嗅ぎとっている。
 もし大杉一家を狂気と呼ぶなら、現実に核の釦を押しかけた人類もまた狂気というしかない。
三島の文学的価値の高さは時代を見事に切り取る行為であり、その一方で芸術至上主義な考えを示しながらも、その材料として宇宙人という極めて斬新なものを持ってきた点にある。
 三島ほど時代と寄り添った作家はいなかったのではないか。

 この作品においては大杉と仙台からの三人組が人類の運命について論争する第八章、第九章がやはり読みごたえ十分だ。
 こういう丁々発止のやりとりは、最近ではあまり読むことはない。
 三島とその時代ならではの産物なのだろうか。
  
(2016/09/04 投稿)

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  今年は三島由紀夫
  1970年11月25日に市ヶ谷駐屯地で
  自決してから
  50年になります。
  三島由紀夫の忌日は
  憂国忌とか三島忌と呼ばれ
  季語として載せている歳時記もあるようです。

    三島忌や書棚の奥の古日記     長田 一臣

  そこで
  今日から3日間
  再録書評も含めて
  三島由紀夫の作品を紹介したいと思います。
  まず、今日は
  三島由紀夫の代表作『金閣寺』。
  これは2010年に
  朝日新聞が応募していた
  重松清さんの「百年読書会」の課題図書の
  一冊として読んだものです。
  冒頭の俳句は
  私が詠んだもの。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  天才が遺したもの                   

 金閣や ますぐのびたる 天の河

 この作品は、当時(昭和25年)日本中を驚愕させた実際の国宝金閣寺の放火事件をモデルとしている。
 事件からわずか五年余りの期間でこれほどに完成度の高い文学作品として発表した三島の、並々ならない筆力と才能に感服する。
 これは時代におもねる興味本位の物語ではない。
 事件はあくまでも背景である。
 
 三島が描こうとしたのは主人公の心の奥底にある青春の苦悩であり、成長への葛藤である。そして、美と認識についての根源的な問いかけである。
 久々に再読したが、こういう作品を読むと、物語があるだけの現代の作品の薄っぺらさを痛感せずにはいられない。
 文学を取り巻く事情だけでなく、この作品を書いた時まだ31歳だった三島の天才を称賛すべきなのかもしれないが、私たちは何か重要なものを失ってきたような気がする。
 似非(えせ)の輝きではなく、主人公の心までも支配した金閣寺の煌きのような、現代の物語が読みたくなる。
  (2010/02/26 投稿)

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  今日は
  森類の『鴎外の子供たち』という 
  本を紹介しますが、
  もちろんこの本を読むきっかけは
  先に読んだ
  朝井まかてさんの『』に
  誘発されたからです。
  朝井まかてさんのあの作品を読めば
  実際自身が書いた
  作品を読みたいと思うのでは
  ないでしょうか。
  この本は1956年に出て
  1995年にちくま文庫に入っています。
  朝井まかてさんの『』のあとに
  読んでみると
  面白い。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  彼がダメ人間とは思えない                   

 「不肖の子」という言葉がある。
 明治の文豪森鴎外の三男として生まれ、次男は幼くして早逝、姉が二人いる、鴎外が亡くなった時はまだ11歳で父との思い出はわずかながら、悪妻と評判されて母のこと、異母兄と個性豊かな二人の姉のころ、そして自分を正直に描いたこの回顧録にもわざわざ章のタイトルに「不肖の子」というのがついている。
 言葉の意味であるが、「親や師匠の才能を受け継がず愚かな子(弟子)」ということらしい。
 著者の森類の場合、鴎外は文豪というだけでなく医学博士であり軍医総監まで務めた人物でどんな人であってもそれを受け継ぐのは難しかっただろう。

 ただ類の場合は甚だその度合いがひどかったといえる。
 トランプのゲームの点数の暗算もできず、学校もほとんど行けず、母親は頭に障害があればまだいいのにと嘆き、絵の勉強をするも一流にはなれず、女性との初体験も母親に相談しての吉原でのこと。
 鴎外が残した資産も戦争で消え、だからといって会社勤めも出来ず馘。そして初めてのは本屋稼業。それも決してうまくはいかない。
 しかし、本当に類はダメな人間だったのだろうか。
 幼い時の記憶の細やかな描写など、これがダメな人間ができることだろうか。

 もしかしたら、類には多分な才能がありながら、それをうまく使うことができなかったのではないか。
 きょうだいのことを描くのさえ、横やりを受けてしまう、そういう弱さが類の弱点だったといえる。
 ただ1956年に発表されて文章があるからこそ、「鴎外の子供たち」は今も生き生きとしていると思う。
  
(2020/11/17投稿)

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 立冬を過ぎて
 朝晩寒くなってきました。
 何より朝が明けるのが遅く、
 日が暮れるのが早くなって
 日の短さに冬の到来を感じます。

  20201114_100836_convert_20201114140442.jpg

 樹々は紅葉から落葉へと
 姿を変えています。

    てのひらにすくへば落葉あたたかし      中岡 毅雄

 畑の作業も
 冬場は少なくなります。
 そこで今日は珍しい写真から。
 これはなんだと思いますか?

  20201114_124102_convert_20201114140720.jpg

 むかごです。
 夏に栽培していたオカノリを畑から少し家に持ち帰って
 育てていました。
 そこについたむかごです。
 漢字で書くと零余子
 難解漢字に出てきそう。
 ヤマイモなどにできる肉芽と調べると出てきますが
 オカワカメにもそれができます。
 ここから新しい芽が出るそうです。

 もう一枚、
 こちらは家で育てているシイタケ

  20201113_074457_convert_20201114140355.jpg

 きのこは菌類で
 厳密にいえば野菜ではありません。
 シイタケを育てるのは
 これで2回めになります。
 シイタケ栽培のキットとして販売されています。

 畑の方では
 芽を出しているのが
 紫エンドウ

  20201114_102017_convert_20201114140550.jpg

 小さい頃は豆科の苗はほとんど区別がつきません。

 小春日和となった土曜日(11月14日)
 青首ダイコンを2本抜きました。

  20201114_123420_convert_20201114140634.jpg

 地上に出ている太さは十分でしたが
 1本は短足でした。
 抜く時に
 短いダイコンは力なく抜けるので
 その感触で長さがわかります。

 今週は
 ホウレンソウの種を蒔く予定。

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  新聞を開いて
  驚くということも少なくなったが
  11月12日の朝日新聞を開いて
  驚いた。
  「天声人語」
  ちょうど読もうとしていた絵本のことが
  取り上げられていたのだ。
  それが
  今日紹介する
  鈴木まもるさんの『あるヘラジカの物語』。
  写真家星野道夫さんの写真を基にして
  書かれた絵本です。
  「天声人語」では
  星野道夫さんが「命の循環」を生涯の主題にしていたことも
  書かれていて
  今さらに星野道夫さんの短いけれど
  満ち足りた人生を
  振り返るきっかけとなりました。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  星野道夫の写真から生まれた絵本                   

 「それを見つけたのは十月初旬のことだった。」
 こんな文章で、写真家星野道夫が綴ったのは、『アラスカ風のような物語』所載の「あるムースの死」という短いエッセイだ。
 「それは絡まった角と頭蓋骨だけが残った、二頭のムースの姿だった。(中略)静止した風景が、ひとつの物語を語りかけていた。」

 この文には一枚の写真がついている。いや、写真があって文があるというのが正しいだろう。(写真はこの絵本の裏表紙で見ることができる)
 その写真に誘発されて、絵本が生まれた。
 書いたのは星野さんの友人でもあった鈴木まもるさん。
 「ムース」は「ヘラジカ」の別の呼び方で、同じ動物。
 星野さんが見て、感じた「ひとつの物語」を、鈴木さんもまた星野さんの写真で追体験することになる。
 闘う二頭の巨大な雄のヘラジカ。角がからみあい、やがて疲れた二頭を待っていたように襲うオオカミ。さらにそのオオカミを追い払い、冬季の栄養にありつこうとするヒグマ。
 さらには小さな動物たち、厳冬の地で冬を越そうとする鳥たち。
 鈴木さんは、最後に骨になったヘラジカの角の片隅にアメリカタヒバリの巣とひなを描いて終わる。
 
 「ヘラジカを追いながら、ぼくはまたさまざまな動物たちに出会った。ヘラジカがドラマをもっているように、それぞれの動物たちもまたそれぞれのドラマをもっているに違いない。」
 星野さんはまた別のエッセイにそう書いている。
 一枚の写真、一冊の絵本が読者に語りかける、それはドラマだといえる。
  
(2020/11/15 投稿)

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  今日紹介する
  宇佐見りんさんの『かか』は
  三島由紀夫賞を最年少で受賞して
  話題になっている作品です。
  しかも、昨年の文藝賞も受賞しています。
  この時の文藝賞がすごくて
  2作の同時受賞だったのですが
  もう1作が
  今年の第163回芥川賞を受賞した
  遠野遥さんだったのです。
  若い人からすれば
  文藝賞を受賞したら
  もっと大きな賞がとれるかもなんて
  思ったりするでしょうね。
  いやあ、若いっていいなぁ。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  若いって素晴らしい                   

 第33回三島由紀夫賞受賞作。(2020年)
 三島賞としては最年少の受賞、作者の宇佐見りんさんは21歳でこの作品を書いた時はまだ19歳だったという、で話題となった作品。
 しかも、昨年第56回文藝賞を受賞しているから、W受賞となった。
 三島賞の選考委員の一人、高橋源一郎氏はこの作品が「かか弁」と呼ばれることになった独特の文体を「極めて評価が高かった。女性の一人称の語りは現代文学の潮流」と評価しているが、決して読みやすいものではない。
 うさぎ年に生まれたからうさぎと名付けられた19歳の女性はまだ自身のことを「うーちゃん」といい、その名前で弟に語りかけるようにして書かれているが、どこの方言なのか、方言にもならない未熟な幼児語なのか、「かか弁」で全体が描かれているが、読む側にはかなり苦痛を伴うものではないだろうか。

 文藝賞の選考委員の磯崎憲一郎氏はそれを「完全に失敗」としている。
 それでも、心を病んだ母と娘、あるいは祖母と母との関係といった最近の女性作家たちがよく描く物語が新人賞に次々と選ばれるのは、なんといっても「書く力」だと思う。
 139枚の中編ともいえない長さながら、びっしり書き込まれた文字を目の前にすると、しかもそれが理解しがたい「かか弁」であればなおさら、これだけの作品を書ける人はそんなにいないことを実感するだろう。
 まさにそれは若い書き手だけが手にできる特権のような気がする。

 中上健次に魅かれて熊野に行ってそこでこの作品を書く力を得たという宇佐見さんが、「かか弁」を離れてこれからどんな物語を書くのか楽しみだ。
   
(2020/11/14 投稿)

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  朝ドラとして
  102作めとなる「エール」は
  コロナ禍の影響で
  数カ月休まざるをえなくなったが
  なんとか最後まで
  あと2週間となりました。
  今回は昭和の作曲家古関裕而さんがモデルとなっていて
  歌も随所にあって
  私はとても楽しめました。
  今日紹介する
  古関正裕さんの
  『君はるか 古関裕而と金子の恋』は
  古関裕而と奥さんの金子さんが
  結婚までに交わした
  書簡で出来ています。
  朝ドラを最後まで楽しむには
  なかなかの一冊です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  手紙にはこんなに力があったのだ                   

 ほぼ90年前の若い恋人たちが、しかもこの時二人はまだ会ったこともないのだが、交換し合った手紙が基になって出来上がった物語。
 青年は福島で作曲家を目ざしていた古関勇治、のちの裕而。相手の女性は豊橋に住み声楽家を目ざしていた内山金子。
 「IT技術の進歩と普及によって、手書きの手紙などは、アナログでともすれば時代遅れと見なされる今」と、この本の著者である 古関正裕氏、古関裕而と金子夫妻の長男でもある、は書いているように、現代の人からすればこの二人のような手紙でのやりとりが恋に変り、最後には結婚にまで至ることに、驚くのではないだろうか。

 それ以上に感動的なのは、女学校を出たばかりの金子が海外のコンクールで入賞した福島の青年のことを新聞記事で知り、手紙を書いたことではないか。
 隣町ならまだしも、金子は青年の住む町が福島のどのあたりにあるかも知らず、ましてや読んでもらえるあてもないまま、手紙を送る。
 その時、彼女にどんな啓示があったのだろう。
 まさに奇跡のような彼女の行動ではないか。

 しかも、手紙をやりとりする間に二人の気持ちは恋へと変わっていく。
 手紙の内容がどんどん熱く燃え上がっていく。それもまた現代の感覚では不思議な感じさえする。
 当時の手紙には現代のメールやSNS以上に書き手の感情が入ったのかもしれない。

 二人の手紙は膨大な数だったそうだが、ある時夫婦喧嘩で怒った金子が多くを捨てたそうで、この作品は残された手紙で出来ている。
 もし、全部残されていれば、どんなに素敵な書簡集になったことだろう。
  
(2020/11/13 投稿)

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  光文社の「古典新訳文庫」
  初めて読んだのは
  深町眞理子さん訳の
  ロンドンの『野性の呼び声』でした。
  とても読みやすくて
  こんな素敵な文庫はどのように出来たのか
  関心がわきました。
  そして、見つけたのが
  今日紹介する
  駒井稔さんの『いま、息をしている言葉で。 「光文社古典新訳文庫」誕生秘話』。
  2018年10月刊行の本だし、
  「古典新訳文庫」そのものが
  すでに多くの読書人に認知されていますから
  私などは
  すっかり出遅れています。
  また何か「古典新訳文庫」
  一冊読んでみたいと思います。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  古典への誘い                   

 文学や哲学、あるいは社会科学にしろ、古典といえば岩波文庫という定評があったが、その牙城に2006年9月果敢に攻め込んだ文庫があった。
 それが光文社から出た「古典新訳文庫」である。
 そして、その中に収められた亀山郁夫さん翻訳のドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は多くの人が驚くほど売り上げ、一大ブームとなるなど、出版関係や書店、読書人を驚かすことになる。
 本書はその「古典新訳文庫」がどのように作られていったかを、この文庫を企画し立ち上げていった初代編集長である駒井稔さんが綴ったものだ。

 なんといっても面白いのは、駒井さんがかつて人気を誇った週刊誌「週刊宝石」の編集者だったということ。
 「週刊宝石」といえば決して上品ではなかったが、80年代のバブル期を象徴するように刺激的な雑誌だった。
 そんな編集部にいて、駒井さんは大変化の「時代には古典が持つ普遍性だけが道標となるのではないか」と考えたというのですから、さすがというしかありません。

 では、駒井さんが考える「新訳」とはどういったものかといえば、「今、その作家が日本に生きていて、この作品を日本語で書いたら、どういう文体になるでしょうか」と常に翻訳者に問い続けたという。
 そして、それはこの文庫全体を指す、この本のタイトルにもなった「いま、息をしている言葉で。」につながっている。
 さらに、この文庫のこまごまとした工夫は「読者がその古典を読み終えることができるよう」に施されたものだとか。
 この本を読めば、「古典新訳文庫」から何か読んでみようと思うに違いない。
  
(2020/11/12 投稿)

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 少し前の、
 8月28日だから結構前かも、
 朝日新聞に載った「オトナになった女子たちへ」という
 益田ミリさんの連載コラムのイラストに
 こんなコメントが添えられていました。

   本の雑誌「ダ・ヴィンチ」で
   毎月、のんびり本探し

      -「移動図書館」気分~

 雑誌「ダ・ヴィンチ」をご存じの方は
 益田ミリさんの「移動図書館」気分~
 よくわかるのではないかな。

 今日はそんな気分によく似たものが味わえる
 本を紹介します。
 『CATALOGUE of GIFT BOOKS 2020-2021
 日本語書くと
 『ギフトブック・カタログ 2020-2021』です。
 文化通信社というところが発行していて
 頒布価格が100円(税別)。

  20201108_122540_convert_20201108134348.jpg

 この本は34人の著名人が
 3冊の本を紹介しているカタログです。
 これを開いていると
 益田ミリさんの「移動図書館」気分~
 浸れます。(多分)

 ギフトブック・キャンペーンの発起人代表の
 作家阿刀田高さんは
 冒頭こんなメッセージを載せています。

   本を贈ることをもっと気軽に考えて、ちょっとした機会に、
   気軽に本を贈る習慣を、
   生活のなかに持つようになると良いと考えています。

 阿刀田高さんが選んだギフト本はこちら。

   ・ことばのこばこ(和田 誠)
   ・広辞苑 第七版
   ・死の接吻(アイラ・レヴィン)

 阿刀田高さんの他に
 宮内義彦さん、三枝成彰さん、石坂浩二さんその他
 いろんな分野の人が
 3冊の本を選んでいます。
 それらの本を見ているだけで
 今度はこの本を読みたいとか
 どんな本かしら、
 なんて気分になるのは間違いなし。
 あの人には
 こんな本があうかなって
 考えるのも
 また、楽しい。

 本を贈る時に大事なことは
 贈る相手のことを
 真剣に考えることです。
 贈る相手にどんなメッセージをおくるか
 自分に代わって
 本がきっと伝えてくれます。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今年7月に亡くなった
  歌手の弘田三枝子さんの代表作といえば
  やっぱり「人形の家」ではないだろうか。
  出だしの

   ♪ 顔も見たくないほど あなたに嫌われるなんて

  などは今でも歌える。
  作詞はなかにし礼さん。
  なかにし礼さんに
  イプセンの有名な『人形の家』の話が
  少しは頭にあったのだろうか。
  あまりに有名な古典ながら
  今回読んだのが初めて。
  ううん、こんな話だったのかというのが
  読み終わった最初の印象でした。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  「人形の家」はどこにあるのか                   

 国語の教科書に必ずそのタイトルは出てくるはずの、あまりに有名な古典。
 だから、タイトルは聞いたことがあるはずだし、作者の名前イプセンだって耳にしたことがあるかもしれない。
 主人公の名前ノラ、この岩波文庫版ではノーラとなっているが、も、彼女が家を出るストーリーもなんとなく知っている。
 でも、ちゃんと読んだことがない人も多いのではないだろうか。

 イプセンによって作品が発表されたのは1879年。日本の明治12年にあたる。
 これは、三幕の劇で、いわゆる戯曲にあたる。
 主な登場人物は、有名な女性ノーラと今度銀行の頭取になることが決まった弁護士でもある夫、ノーラの友人の女性、それとノーラを脅かす男の四人である。
 どんな物語か、イプセンが残した「覚え書」がわかりやすい。
 「彼女は文書偽造をやった。(中略)夫に対する愛情から、夫の命を救うために彼女はそれをやったのだ。ただこの夫は、常識の目で批判し、法律の側に立って、男性の目でこの情況を判断する」
 ノーラはそんな夫に絶望して、家を出ていくのだ。

 でも、それはおかしいのではないか。
 いくら夫の病気治療のためにお金が必要だからといって、文書偽造はいけないのではないか。まして夫は弁護士ではないか。
 しかも彼女はそのことをすっかり忘れていて、幕開けでは夫が頭取に決まって買い物したりハミングしたり浮かれてばかり。
 それが悪い男に脅されて、切羽つまって、夫は自分を助けてくれないと、これは八つ当たりではないか。
 「人形の家」とはノーラが閉じ込まれていた家ではなく、ノーラの心にあるのがあまりに幼い「人形の家」に思えたのだが。
  
(2020/11/10 投稿)

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 立冬を過ぎて
 暦の上では冬ですが
 肌感覚的には今がちょうど晩秋でしょうか。
 畑の一角に
 今が盛りと白菊が咲き誇っています。

  20201108_092316_convert_20201108133407.jpg

    白菊の目に立てて見る塵もなし      松尾 芭蕉

 こちらは
 東日本大震災で被災したホテルと平成の天皇との絆で有名になった
 ハマギク

  20201108_091411_convert_20201108133304.jpg

 菊は秋に咲く日本の代表的な花といえます。

 一方、ダイコンはこの時期を代表する野菜です。
 今年私の畑では
 三種類のダイコンを育てています。
 一般的な青首ダイコン聖護院ダイコン
 そして今年初めて育てている三浦ダイコン
 聖護院ダイコンは丸い形ですからわかりやすいのですが
 青首ダイコン三浦ダイコンの違いって
 わかりますか。
 まず、こちらが青首ダイコン

  20201108_092426_convert_20201108133453.jpg
  
 首が出ています。
 そして、これが三浦ダイコン

  20201108_092618_convert_20201108134918.jpg

 首が見えません。
 三浦ダイコンのような品種は白首ダイコンというそうです。
 藤田智さんの『新野菜づくり大全』に
 二つのダイコンの違いの絵が載っていたので
 参考に載せておきます。

  20201108_122347_convert_20201108134030.jpg

 そうなると
 三浦ダイコンの収穫時期はなかなか難しい。
 今月末頃かな。

 この日(11月8日)も
 大きな玉レタスがとれました。

  20201108_121712_convert_20201108133904.jpg

 これで今年のレタスの収穫はおしまい。
 こんなにうまくできるなら
 もっと作ればよかったと
 つい欲がでてしまいます。

 これは虫にやられて
 ぼろぼろになっているハクサイですが
 なんとか結球し始めているので
 収穫までなんとかできそう。

  20201108_094314_convert_20201108133737.jpg

 うまくいく野菜もあれば
 苦労するものもあり、
 それがまた楽しいともいえます。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  創刊70周年を迎えた
  岩波少年文庫から
  e.o.ブラウエンの『おとうさんとぼく』を
  紹介します。
  この本は先月の読書会で
  メンバーの一人が紹介してくれたもので
  漫画だということにまず驚きました。
  岩波少年文庫に漫画があるなんて
  まさか、でした。
  しかも、この漫画かなり面白い。
  今日の書評タイトル「冒険してる?」は
  岩波少年文庫70周年のキャッチフレーズです。
  特設サイトに
  こうあります。

    子どもとかつて子どもだった人への素朴な問いかけ

  そういえば、
  冒険を最近忘れているかも。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  冒険してる?                   

 2020年に創刊70周年を迎えた岩波少年文庫は今までに460点を超える作品を出してきたそうです。
その中でも、e.o.ブラウエンのこの作品はかなり異色といっていいと思います。
実はこれは漫画なんです。
岩波少年文庫に漫画があったなんて知らなかったので、少しびっくりしました。
しかも、1985年に初版が出ていて、2018年に新版として編集されているように、きっと子供たちに人気の高い一冊なのだと思います。

この漫画の作者e.o.ブラウエンは1930年にドイツに生まれました。
若い時の友人に児童文学の傑作『飛ぶ教室』を書いたケストナーがいます。(この本の巻末にはケストナーのエッセイも収められています)
e.o.ブラウエンがこの漫画を描いたのは1934年で、ナチが台頭してきた暗い時代です。
しかも彼は戦争が終わる直前ゲシュタポに逮捕され、死んでしまいます。
彼が残した漫画は楽しいけれど、そこには時代に犠牲になった作者がいたことを知ることも大切です。

この本の漫画はいわゆるコマ漫画です。
日本では新聞にあるような四コマ漫画がよく知られていますが、ここには四コマであったり六コマであったり決まっているわけではないようです。
登場するのはタイトルでもわかるように、頭髪が少ないお父さんといたずら好きの息子です。
なので髪の毛についてのギャグがたくさんあります。
ちょうど長谷川町子さんの「サザエさん」の波平さんとカツオくんの関係に似ていて、日本の笑いの感覚にとても近いのではないでしょうか。
こんなに楽しい漫画をありながらも戦争をしていた暗い時代。
やっぱり漫画は明るい時代に楽しみたいものです。
  
(2020/11/08 投稿)

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  今日は二十四節気の一つ、
  立冬
  「歳時記」も今日から「冬の部」へ
  切り替えです。

    灯を消して匂う本棚冬に入る     渋川 京子

  「冬の入る」は「立冬」の傍題です。
  今日は
  武田徹さんの
  『現代日本を読む -ノンフィクションの名作・問題作』を
  紹介します。
  この本では
  私の好きな沢木耕太郎さんの作品が2篇
  出てきます。
  『テロルの決算』と『一瞬の夏』。
  また読みたい
  初期の名作です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  どんなノンフィクションの名作がはいっているか                   

 「芥川賞直木賞」は文学の世界における新人賞ではあるが、受賞作が発表されるたびに色々言われながらも、やはり文学の活性化という功績はあったと思う。
 同様に、昭和45年(1970年)に始まった「大宅壮一ノンフィクション賞」もまた賞制定の説明に「ノンフィクション分野における”芥川賞・直木賞“を目指す」と述べられていたそうで、ノンフィクションの活性化という点では十分にその意義はあったのではないか。
 この本はノンフィクションの名作・問題作から「現代日本を読む」、というよりも「ノンフィクションが抱えている問題を読む」という方がより近いと思うが、という視点でまとめられていて、やはり「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞した作品を扱った第5章あたりまでが興味深い。

 そもそもノンフィクションとは何かということであるが、フィクションと対峙してあるのは事実でそれでも新聞等のジャーナリズムのものとは違うことから、事実を描きながらも「物語的な文章」で書かれたものがノンフィクションで、「事実的な文章」で書かれたものがジャーナリズムのものというのがわかりやすい。
 そこで、先の芥川賞の候補になりつつ「盗用」疑惑で問題となった北条裕子の『美しい顔』や自らベトナム戦線に出向いて書かれた開高健の『輝ける闇』といった文学作品も、この中では考察の対象となっている。

 ノンフィクションは今やさまざまなジャンルを網羅する表現になっている。
 そこから新しい書き手、新しい視点をもった作品が生まれてくるのを楽しみにしている。
  
(2020/11/07 投稿)

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 絵本作家でエッセイストだった佐野洋子さんが
 72歳で亡くなったのが
 2010年11月5日。
 ちょうど昨日が没後10年にあたります
 今日紹介する
 「文藝別冊 総特集佐野洋子 100万回だってよみがえる」は
 2011年4月に刊行されたものを
 今回の没後10年に合わせて
 増補新版として編まれたものです。

  

 私が佐野洋子さんの魅力にはまったのは
 そんなに古くはありません。
 亡くなった頃には
 あまりなじみのない作家でした。
 なので、死亡記事を見た記憶もありません。
 そんな私が佐野洋子さんに魅せられたの
 NHKEテレで放送されていた「ヨーコさんの"言葉"」
 はまった時からです。
 ブログでこの番組のことを書いたのが
 2017年3月ですから
 佐野洋子さんファンとしては
 新米です。
 なので、一冊まるごと佐野洋子のこの本が
 離せません。

 なんといっても
 「佐野洋子主要ブックガイド」があるのが
 うれしい。
 絵本、エッセイ、創作、対談と
 わかれているのも探しやすい。
 さらに今回の増補新版では
 2011年以降に出版された関連本も載っている。
 さらに今回の版では
 新しく見つかったエッセイ3篇と
 童話2篇が収められている。

 もともとが「追悼総特集」として編まれたものなので
 いろんな人が
 自分の中の佐野洋子さんを語っています。
 工藤直子さん、角田光代さん、川上弘美さん、
 もちろん前夫の谷川俊太郎さんも対談で登場しています。
 沢野ひとしさんのエッセイのおしまいの文章が
 なんといっても、いい。

    佐野洋子さんは心のひろいいい人でした。
    とてもとてもすてきな女性でした。

 また
 佐野洋子さんのエッセイを読んでみようと
 思っています。

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  この9月に出たばかりの
  池井戸潤さんの「半沢直樹」シリーズの最新刊
  『アルルカンと道化師』を
  今日は紹介します。
  これは書下ろしですが
  出版社は講談社
  そういえば、講談社文庫
  「半沢直樹」シリーズが全巻そろうようになっていて
  講談社の営業がんばったんだと
  推測しています。
  それもこれも
  TBSドラマの影響が大きいのでしょうね。
  『オレたちバブル入行組』とか
  『銀翼のイカロス』とかより
  ずばり『半沢直樹』の方が
  わかりやすいですもの。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  銀行も様がわりしてきたので、少し前を描いたのかも                   

 2020年のテレビ界で貫禄の違いを見せつけたドラマ「半沢直樹」に夢中になった人も多いだろうが、私もその一人だが、これは池井戸潤氏による6年ぶりの「半沢直樹」シリーズで、テレビのドラマとは関係していない。
 ドラマで半沢直樹にはまった人にはやや違和感があるかもしれない。
 何しろあの仇敵大和田が登場しないのだから。
 これは、半沢直樹がまだ東京中央銀行の大阪西支店の融資課長時代の話で、もっとわかりやすくいえば、あの中野渡氏が頭取になる前の話になっている。

 大和田は登場しないが、いつものように半沢を窮地に追いやろうとする銀行員は登場する。
 業務統括部長の宝田という男である。
 宝田が強引に進めようとしている買収計画に疑問を持った半沢の活躍を描いているが、物語の背景に二人の画家の宿命のような関係がある。
 二人の画家の関係を解いて見え始めてくる宝田の悪だくみ。
 いつものように半沢の小気味いい活躍がそれを暴いていく。

 半沢直樹の流儀が何度か語られる。
 「基本は性善説。しかし、降りかかる火の粉は徹底的に振り払う」、あるいは「基本は性善説。だがーやられたら倍返しだ」。

 「半沢直樹」シリーズに多くの人が喝采をおくるのは、誰もが半沢直樹になれないからだ。
 「倍返し」したいけれど、そんなことしたら組織からはみ出してしまうと誰もが思う。だから、せめて小説やドラマで溜飲を下げたい。
 といっても、働き方も数年前とはかなり違ってきていて、だから、時計の針を少し戻したともいえる新作だろう。
  
(2020/11/05 投稿)

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  先日
  2009年に封切られたフランス映画
  『ココ・アヴァン・シャネル』を
  CS放送で観ました。

   

  主演のシャネルを演じた
  オドレイ・トトゥさんは
  若い頃はあまり奇麗に見えませんでしたが
  どんどん美しくなっていくのに
  驚きました。
  映画はシャネルの初期の恋愛を描いたものですが
  実際そのあとでも
  シャネルは多くの恋をします。
  映画を観て
  シャネルの人生をたどりたくなって
  ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉
  『ココ・シャネル』を読みました。
  この本で
  シャネルの人生を堪能して下さい。

  じゃあ、読もう。  

  

sai.wingpen  シャネルは恋するたびに強くなる                   

 子供の頃に読んだ伝記は野口英世とかヘレン・ケラー、あるいはエジソンあたりが定番の偉人でしたが、近頃では伝記の対象となる人たちも子供たちにもっと身近な存在の人になっているようです。
 筑摩書房から出ている中高生向きの評伝シリーズ<ポルトレ>のラインナップの斬新なことといったら。
 ちなみに。 <ポルトレ>というのは、ポートレート、肖像のことです。
 ココ・シャネルといっても子供たちが知っているのかという心配は、きっと今の子供たちを知らないともいえる。
 アルファベットのCの文字を背中あわせに交差させたようなあのマーク。
 女子高生あたりになれば、口紅などは当たり前に持っているかもしれない。

 では、そんなシャネルがどんな女性であったのか。
 本の中にこんな一節がある。
 「二〇世紀ファッションの基礎を築き、モードではなく「美しく、自由に生きられる」スタイルを提唱し、世界中の女性たちに影響を与え続けました」と。
 恋多き彼女の生き方は従前の偉人たちとはそのスタイルは違いますが、現代の子供たちにもっと知っておいてもらいたい女性なのかもしれません。
 この本の中にはシャネルのさまざまな発言も出てきますが、中でも「二十歳の顔は自然がくれたもの。三十歳の顔は、あなたの生活によって刻まれる。五十歳の顔には、あなた自身の価値があらわれる」なんて、いいと思いませんか。

 もしかしたら、お母さんが読みたくなる評伝かもしれません。
  
(2020/11/04 投稿)

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  今日は文化の日

    叙勲の名一眺めして文化の日      深見 けん二

  この俳句ではないが
  今年の文化勲章
  脚本家の橋田壽賀子さんが選ばれていて
  少し驚きました。
  そして、すごいなと思いました。
  何しろ脚本家として初めてだとか。
  まずが目出度い。
  今日は
  俳人坪内稔典さんの
  俳句とエッセー『早寝早起き』を
  紹介します。
  文化勲章には遠いけれど
  こんな生き方もいいですよ、
  きっと。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  稔典さんらしい俳句と生き方                   

 俳人坪内稔典さんの代表句といえば、私なら「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」をあげたい。
 意味がわからないながら、どこかコミカルでどこかエロチック。強いて言うなら、この世界って、みんなこんな感じではなかろうか。
 俳句とエッセーを組み合わせたこの本で紹介されている句からとるならば、「びわ食べて君とつるりんしたいなあ」。
 稔典さんの俳句がすべてこんな女子の皆さんが赤面するようなものではないが、こんな句を詠んであっけらかんとしているのが、稔典さんの良さだろ思う。

 そんな稔典さんが俳句についてこう書いている。
 「俳句は、時代と共に生きている。時代の言葉を生きている」と、大真面目だ。
 だから、稔典さんの句は現代の生き生きとした言葉といえる。

 稔典さんは1944年生まれ。すでに後期高齢者だ。
 そんな稔典さんのお相手は高校の同級生というからいじらしい。
 その奥さんを稔典さんは「ヒヤマさん」と、俳句の席の名乗りで呼ぶという。
 奥さんはもちろん「ねんてんさん」と呼ぶ。
 そんな二人が自宅の庭で過ごすことを「軽井沢する」というらしい。
 エッセー「軽井沢する」に書かれている。
 なんともかわいい後期高齢者、つまりはお年をめしたご夫婦の愉しみだろう。
 稔典さんの俳句は、こんな生活から生まれるのかもしれない。

 俳句の故郷、愛媛松山の出版社から出ているのも、稔典さんらしいではないか。
  
(2020/11/03 投稿)

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 ダイコンは人気の高い冬野菜ですが
 俳句の世界でも
 大根(だいこんと読んだりだいこと読んだりします)は
 人気のある季語です。

    大根の青首がぬと宇陀郡      大石 悦子

 これは青首ダイコンを詠んだ句です。
 次は「大根引く」。

    大根抜くとき大根に力あり      青柳 志解樹

 10月最後の日
 畑の青首ダイコンがぬと出ていて
 期待を込めて引っこ抜いたら
 どうも「力」を感じない。
 あれ? って感じで収穫したのが
 写真の下のダイコン

  20201031_120000_convert_20201031141033.jpg

 見事に期待はずれ。
 それで
 もう一本抜いたのが
 写真上のダイコン
 こちらは全長40㎝でまっすぐな出来栄え。
 こうでなくちゃ、ダイコンは。

 この日は玉レタスの収穫もしました。

  20201031_120421_convert_20201031141244.jpg

 初めて栽培した野菜ですが
 大成功!
 八百屋さんの店頭に並べてもいいぐらいに
 うまくできました。
 ちなみにレタスは春の季語。

 この日は春野菜の栽培も始めました。
 まずは、タマネギ

  20201031_092028_convert_20201031140713.jpg

 これだけで50本あります。
 今年もひと畝全部タマネギを育てます。

  20201031_102750_convert_20201031140800.jpg

 先日NHKの「やさいの時間」を見ていて
 紫えんどうを栽培していました。
 実エンドウの一種で
 莢が紫色だとか。
 そこで通販サイトで種を探して
 この日植え付けました。

  20201031_120329_convert_20201031141119.jpg

 どんな莢になるのか
 どんな味の実なのか
 今から春が楽しみです。

 そして、
 こちらも春が楽しみな
 春キャベツ(右側)と春ブロッコリー(左側)の苗を
 植え付けました。

  20201031_104222_convert_20201031140950.jpg

 春が待ち遠しい。

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  今日から11月

    あたゝかき十一月もすみにけり     中村 草田男

  立冬は次の土曜日ですが
  「11月」は冬の季語になっています。
  といっても
  今が秋本番でしょうね。
  そこで
  今日は秋らしい絵本を紹介します。
  林木林さん文、
  柿田ゆかりさん絵の
  『あきやさいのあきわっしょい!』。
  今年はコロナの影響で
  各地の秋まつりが中止になっていますが
  この絵本では
  元気なわっしょいが楽しめます。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  言葉は自由がおいしい                   

 夏野菜もいいですが、季節は秋。
 この絵本のように、旬の秋野菜を楽しみたいところ。
 まずはなんといっても、いも類がおいしくなります。
 さつまいも、じゃがいも、さといも。
 彼らが神輿をかつげば、「わっしょいも! わっしょいも!」と「いも」の連呼。
 次に現れたのが、野菜の神輿。
 担ぎ手は秋なすににんじん、それにごぼう。
 彼らの掛け声は「ヤッサイ! ヤッサイ!」。
 そこに「ちょっと まったけ!」と現れたのが、きのこたちの神輿。
 まつたけだけでなく、秋はきのこがおいしい季節です。
 「ちょっと まって くり!」と神輿をとめてやってきたのが、くだものたちの車。
 ぶどうにりんご、なしにくり。
 「くだものの のりものだもの」なんて、しゃれてます。

 こんなふうに言葉遊びがふんだんに盛り込まれているので、声を出して、リズムをとって楽しみたいもの。
 秋野菜が味わうだけでなく、見た目も季節を感じるようにです。
 作者の林木林さんは自作の詩を自身の朗読で競い合う「詩のボクシング」全国大会で優勝したことがあるのだとか。
 この絵本を読むと、言葉は自由に楽しむものだというのが実感できます。
 ちなみに、この絵本の絵を担当している柿田ゆかりさんは偶然柿つながりになったようです。
  
(2020/11/01 投稿)

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