12/31/2020 年送る ー 2020年のベスト本

俳句には「年惜しむ」という季語もあるが
コロナ禍の年を惜しむという人も少ないかもしれない。
せめて「行く年」ぐらいの感慨だろうか。
船のやうに年逝く人をこぼしつつ 矢島 渚男
歴史に「もしも」はないが、
新型コロナが蔓延しなかったらと
思わない人はいないだろう。
オリンピックでどんなにたくさんの感動シーンが生まれたか。
海外からの観光客で街はどんなに人で溢れたか。
新しい学校で、あるいは新しい職場で
どんな人たちと親交を結べたか。
そんなさまざまな「もしも」があった年。
中島みゆきさんの名曲「時代」のように
いつか
あんな時代もあったなと笑える日がくればいい。

2020年のベストセラーが発表になっていました。
1位2位、それと4位が
漫画「鬼滅の刃」のノベライズ版がしめ、
3位は「あつまれ どうぶつの森 完全攻略版」で
5位も「あつまれ どうぶつの森」の関連本。
つまり、
コロナ禍で揺れた2020年は「鬼滅の刃」と「あつまれ どうぶつの森」の
一年だったといえます。
実は20位までに小説が入っているのは
本屋大賞を受賞した凪良ゆうさんの『流浪の月』だけ。(14位)
コロナ禍にあって
作家たちのメッセージが届いていないのか
発信されていないのか
気になるところですが。

巣ごもり需要が伸びて
本を読む人も増えたという話も聞きますが
宣言が解除されても
図書館で本を読む人は以前のように戻っていないように
感じます。
紙の媒体ではなく
電子書籍を読み始めた人もいるでしょうし、
コロナ禍は
読書のスタイルにも変化を及ぼしたかもしれません。

私が読んだ本は
241冊。
そんな中から
今年のベスト1です。
沢木耕太郎さんの『旅のつばくろ』。
この本が出た頃は
コロナ禍が広がっている時期で
なかなか旅にも出れない頃でした。
私が読んだのも5月の終り。
その後、
GoToトラベルとかもありましたが
それでも動けませんでした。
それなのに
この本を選んだのは
もしかしたらコロナ禍に読んだからかもしれません。
出来ない旅だから
本で旅する。
本はいつでもどんな時でも
知らない世界への乗車切符なのかもしれません。

今年も一年間毎日読んでいただいて
ありがとうございました。
皆さん、よい新年をお迎えください。
来年こそ
コロナ禍が収まって
楽しい日々がおくれますように。
そして、
やっぱり本のある豊かな生活でありますように。

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12/30/2020 旅人 開高健(高橋 曻):書評「開高健の背中を追いつづけて」

今日12月30日は
開高健の生まれた日です。
開高健が生まれたのは1930年ですから
まさに生誕90年の日にあたります。
そこで今日は
開高健と長年釣り紀行の写真を撮り続けた
写真家高橋曻さんの
『旅人 開高健』を紹介します。
今回
高橋曻さんのことを調べていて
2007年に高橋曻さんも亡くなっていることを
知りました。
開高健と同じ58歳だったことには
驚きました。
名作『オーパ!』の復刻版も出版されるということですから
高橋曻さんも
きっと喜んでいるでしょうね。
じゃあ、読もう。

「表現者」開高健が亡くなったのは、1989年12月9日で、その時まだ58歳という若さであった。
短いながらも疾風の如くその人生を駆け抜けたという印象が強い。
30歳前で芥川賞作家になるも小説の創作に難儀し、それでも数々の長編小説を発表。しかし、書く苦悩は開高を苦しめた。
そんな彼を唯一解放したのが、「釣り」だったかもしれない。
さまざまな国の、河や海での釣りは、多くの記録文学も生み出した。
中でも、傑作は今でも読み継がれる『オーパ!』シリーズだろう。
その釣り紀行に参加し、その後開高とともに世界11か国を周り、延べ443日を共に生きることになった写真家がいる。
それが、本書の著者、高橋曻だ。
これは高橋が撮った開高の写真とともに高橋の開高への思いを綴ったエッセイを収めた貴重な一冊だ。
何故なら、この本が出版された2005年の2年後、高橋もまた開高と同じ58歳の若さで亡くなってしまうのだから。
この本の中で高橋は「この一冊はあくまでも私の中の開高先生である」としているが、それは開高の人柄によるものらしい。
別の箇所で「どうやら先生は相手によって言葉を選び、話し方も文体も変えていたのではないか」とも書いている。
きっと誰もがそれぞれの開高健像を持っているということだろう。
本書は開高との釣り紀行、そして最晩年さらには亡くなったあと開高の遺灰をモンゴルの地に還すところまで描かれていて、高橋の開高を喪った慟哭が迫る一冊になっている。
(2020/12/30 投稿)

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12/29/2020 ランジェリー・イン・シネマ(山崎 まどか):書評「ランジェリーで映画を観る素敵な方法」

今年はコロナ禍で
非常事態宣言があったりして
ほとんど外出らしいことはしない一年でした。
その代わりに
毎日のように映画を観ていました。
といっても、
映画館ではなく
アマゾンプライムにTUTAYAチャンネル、
さらにはディズニーチャンネルといった有料チャンネルで
配信される映画を観るのが
ほとんど。
観た本数でいえば
なんと305本。
多分人生初の300本超えだと思います。
秋吉久美子さんのデビューの頃の
「赤ちょうちん」や「妹」といった作品を
観られて時は
ちょっと感動でした。
今日紹介する山崎まどかさんの
『ランジェリー・イン・シネマ』は
ランジェリーに視点をあてた
ちょっと変わった映画ガイド。
こんな本読むと
あの映画も観たい、
この映画もはずせない。
じゃあ、読もう。

映画の見方はさまざまだ。
よくあるところでは、「アクション」であったり「ドラマ」であったり「恋愛」であったり「SF」であったりとする区分けだろう。
この本ではそういう区分けではなく、「映画の中から素敵なランジェリーが出てくるシーンに光を当てて」紹介するというもの。
ランジェリーに詳しくないとなかなかそういう見方はできないが、わからなくてもとても面白いのは、ランジェリーと切り離せないヒロインの魅力があるからだろう。
「映画でヒロインが服を脱いで、ランジェリーだけの姿になる。その意味もひとつだけではありません。素肌と洋服の間には、無数の物語があります」と、「はじめに」で書かれていて、深く納得した。
この本で紹介されているランジェリー=ヒロイン=映画は、懐かしいところではマリリン・モンローの「お熱いのがお好き」やカトリーヌ・ドヌーブの「昼顔」があったり、ユア・サーマンの「パルプ・フィクション」(監督はあのタランティーノ)やアン・ハサウェイの「プラダを着た悪魔」など、その数50本以上。
こういう本を読むと、映画も観たくなるので、鑑賞の手引きとしても有効。
もちろんランジェリーだけでなく、しっかり映画も鑑賞するが。
この本のおしゃれな要素は、おおやまゆりこさんのイラストもそのひとつ。
山崎まどかさんのランジェリー名場面オススメポイントに合わせて、おおやまさんの水彩ぽいイラストが添えられている。
映画ファン必読の一冊。
(2020/12/29 投稿)

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12/28/2020 今年も野菜たちに感謝 ー わたしの菜園日記

あと4日。
新型コロナの影響で
私が借りている菜園でも
いつも行われているイベントが全部中止になったり
講習会も感染対策しながらの実施になったりしました。
その一方で
新規に農園を借りる人は増えて
今私が借りているところは
140区画ほどがすべて埋まっています。
こういうところにも
コロナの影響がでています。

私の菜園生活を
今日は振り返ってみます。
家庭菜園を始めて
もう6年生ですから
講習会に出なくても
栽培手順はだいたいわかっているつもり。
そんな中、
今年うまくいったのは
大玉トマトでしょうか。

やっぱり雨対策のシートが効果あったかも。



ソラマメは
アブラムシがたくさんつくと言われている野菜で
心配だったのですが
それもなく
りっぱなソラマメが育ってくれました。

他にも
初挑戦だったのが玉レタス。

こちらも
ほとんど手をいれなくても
うまく育ってくれました。

オカ兄弟も
今年チャレンジした野菜です。
あまり食べ方もわかなくて
オカノリなんかは乾燥させて炒めると
まさに韓国海苔そっくりの味になるのがわかったのは
伐採直前で
惜しいことをしました。
オカワカメも
できたムカゴをムカゴご飯で頂きましたが
これがおいしい。
なんだ、ムカゴっておいしいじゃない。
知らないことばかり。
ちなみに
ムカゴは漢字で書くと
零余子。
秋の季語で、「歳時記」にも「塩茹でや炊込飯にする」とあります。
ほろほろとむかご落ちけり秋の雨 小林 一茶

失敗もたくさんあります。
害虫や病気にやられたりもします。
それでも
今年の大玉トマトの例のように
工夫をしてみるのが
楽しい。
こんな菜園生活は
来年も続きます。

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ネットというのは
とても便利です。
例えば、今日紹介した
長田弘さん詩、いせひでこさん絵の
『風のことば 空のことば 語りかける辞典』のもとになった
読売新聞の「こどもの詩」とは
どんな欄なのか
読売新聞を購読していないとわからないが
ネットで新聞の記事の写真も
見ることができます。
それを見て、
長田弘さんの文章がどんな風に添えられていたのか
わかって
スッキリしました。
詩を採用された子どもにとっては
長田弘さんの言葉こそ
宝石のような宝ものだったでしょうね。
じゃあ。読もう。

言葉は不思議だ。
何かを伝えたい時に使うのも、言葉。何かを教えてくれるのも、言葉。何かを足したり引いたりするのも、また言葉。
2015年に亡くなった詩人の長田弘さんは、言葉について「辞書にある意味が全部じゃない。自分で自分用に自分だけの辞書もつくってみよう」とおっしゃった。
そんな長田弘さんが「語りかける辞典」がこの本だ。
かつて長田さんの『最初の質問』『幼い子は微笑む』を共に作った画家で絵本作家でもあるいせひでこさんが、長田さんの「ことば」にたくさんの絵を添えている。
この本の元になったのは、読売新聞に2004年12月から2015年5月、つまりは長田さんが亡くなる直前まで書いていた、「こどもの詩」の選評に書かれていた文章から抜粋されて出来上がっている。
例えば、「声」という言葉に、長田さんはこう書いている。
「いつからか、みんな声が低くなった。言葉が聞こえにくくなった。なんか社会全体が声変わりしたみたいに。」
どんな詩に、いつ書かれた選評からのものかわからないが、2020年のコロナ禍でもこの言葉は通用する。
いい言葉は、決して古びない。
もう一つ、決して古びないし、なくしてはいけない言葉。
「平和」という言葉に、長田さんは書いた「ことば」。
「「平和」って、「いい一日」のことなんだ。」
なんだか、空の上から長田さんが今でも呼びかけていそうだ。
(2020/12/27 投稿)

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12/26/2020 ラブレス(桜木 紫乃):再読書評「人生は歌とともに流れゆき」

今年は作曲家の筒美京平さんが亡くなって
悲しみの余韻に浸る間もない
年の瀬も近づいて
作曲家の中村泰士さんが亡くなったのに続いて
作詞家で直木賞作家でもあったなかにし礼さんの
訃報が続いて
驚いています。
細川たかしさんが歌って大ヒットした
「北酒場」は
なかにし礼さん作詞
中村泰士さん作曲の
心に残る楽曲でした。
今日はそんな心に残る歌に合わせて
桜木紫乃さんの長編
『ラブレス』を再読書評として
紹介します。
2014年の1月に読んでいます。
今年になってから
その時のブログ記事にコメントを頂いていて
なんとか年内に
再読の約束を果たせました。
中村泰士さんとなかにし礼さんの
ご冥福をお祈りします。
いい歌をありがとうございました。

久しぶりに桜木紫乃さんが『ホテル・ローヤル』で直木賞を受賞する直前の、それでいてこの作品で直木賞を受賞してもよかったのではないかと思える長編小説である本作を読み返してまず思ったのは、「昭和」という時代は歌と共にあった時代だったということだった。
それは2020年に放映された、作曲家古関裕而氏をモデルにしたNHK朝ドラ「エール」も同じで、あのドラマで流れた古関氏の名曲のほとんどを口ずさめたのも「昭和」の歌だったからかもしれない。
秋田の貧しい生活を逃れて北海道へ渡った開拓者としての父母、しかし貧しさは変わらず酒に溺れる父と暗く閉ざしていく母ハギから逃げるようにして旅芸人の一座に逃げ込んだ長女百合江。
これは彼女の物語でもあるし、母ハギの物語でもあるし、釧路の理髪店を切り回す妹里美の物語でもある。
さらには、百合江と里美が育てたそれぞれの娘理恵と小夜子の物語でもある。
そして、そんな物語にいつも「昭和」の歌が寄り添っている。「テネシー・ワルツ」であり、「情熱の花」であり、「時の過ぎゆくままに」であったりと。
百合江の人生は七十半ばで老衰で死につつあるほど波乱に富んだものであったが、娘理恵がラスト近くにポツリと呟く、「うちのお母さんって、ほんっとにおもしろいひとだよねぇ」の一言に救われる。
一体百合江はどんな歌を聴きながら、そんな人生にお別れしたのだろうか。やっぱり「情熱花」だったろうか。
(2020/12/26 投稿)

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12/25/2020 クリスマス・キャロル(チャールズ・ディケンズ):再録書評「 理想的なクリスマス」

クリスマス本の定番といえば
チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』。
何しろ書かれたのは
1843年ですから100年以上前のことですから
古典も古典。
それが今でも映画化されたりするのですから
なんともすごい。
児童書だけでなく各文庫にも必ず入っている名作。
今回再読するの際して、
私は光文社古典新訳文庫で読みました。
新訳とはなってますが
結構重い表現もあったりするので
児童書で読む方が
この作品には合うかもしれません。
調べると
このブログを始めた2008年に一度紹介しています。
その時載せた書評が
1994年に書いたもので
今回もその時のまま
再録書評で載せておきます。
よいクリスマスを。

妊娠小説なんていう文学の括りを考えつく人もいるように、文学には色々な区分けができる。その中でも、クリスマス文学ともいえる世界は絶対あって、特に児童書・絵本の類にはこれが多い。
その中でもつとに有名なのが、文豪ディケンズが書いたこの「クリスマス・キャロル」だろう。
この物語は、単純明快だ。
人間嫌いのガリガリ亡者スクルージ爺さんは、クリスマスだというのに、たった一人で、クリスマスなんて何がいい、と拗ねている。その夜から、三人の幽霊が彼のもとを訪ねてくる。
第一の幽霊は彼に過去を、第二の幽霊は今を、そして第三の幽霊は未来を見せる。
純粋であった彼は、いつかお金を得、まわりの温かさや思いやりや不幸が見えなくなっていた。そして、誰に悲しまれることのない死を迎える。
やがて、スクルージ爺さんは目を覚ます。
そして、気がつく。人としての本当の生き方を。
理想的なクリスマス。
人と喜びを分かち合い、神に感謝する。愛する人に贈るものは、物ではなく、愛しているという自分の気持ち。そんな簡単なことを、僕たちは忘れていないだろうか。
クリスマスキャンドルの小さな灯は、僕たちの心まで届いていない。
こんな一世紀以上も読み継がれてきた名作を読むと、心のどこかに安心がある。
物語に破綻がない。
そのことが物語をつまらなくしているとしたら、贅沢だろうか。
(1994/12/22 投稿)

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3日続けてのアガサ・クリスティーになります。
しかも、今日はクリスマス・イブなので
タイトルも
『クリスマス・プディングの冒険』。
これは6つの作品を収めた短編集で
5篇がポアロ物で
残りがミス・マープル物という
豪華さ。
クリスマスらしい贅沢さです。
いつもの霜月蒼さんの
『アガサ・クリスティー完全攻略』でも
高評価の★★★★です。
役者がそろえば
言うことなしですものね。
サンタが届けてくれた
アガサ・クリスティーからの贈り物の
一冊です。
じゃあ、読もう。

1960年に刊行されたアガサ・クリスティーの短編集。
この頃「クリスマスにクリスティーを」というキャッチコピーがあったほどで、彼女の新刊は毎年11月上旬に刊行されていたそうで、当時の愛読者はどんなに楽しみにしていたことだろう。
中編3本短篇3本の冒頭には、アガサの素敵なクリスマスのメッセージがついていて、この文章を読むだけでもうれしくなる。
しかも、6つの作品中、5篇がポアロ物で1篇がミス・マープル物なのだから、どちらのファンにもこたえられない。
6つの作品は表題作である「クリスマス・プディングの冒険」「スペイン櫃の秘密」「負け犬」「二十四羽の黒つぐみ」「夢」(ここまでがポアロ物)、そしていつものようにミス・マープルの推理が冴えわたる「グリーンショウ氏の阿房宮」である。
アガサの作品は事件が解決したあとのひとくだりが素敵なことが多いが、「グリーンショウ氏の阿房宮」もそんな一篇といえる。
この中からベストを選べと言われたら、私なら「夢」を選ぶだろう。
ある日、ポアロに届いた「相談したい」という一通の手紙。差出人と会ったポアロに、「いつも決まった時刻に拳銃自殺をする夢を見る」という相談だった。
そして、その夢通りに差出人は死んでしまう。
これは夢通りの自殺なのか。
ポアロの推理が冴えわたる事件だ。
「老年になった今でもなお、すばらしかったクリスマスの思い出が残っている」というアガサならではの、クリスマスプレゼントだ。
(2020/12/24 投稿)

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12/23/2020 鏡は横にひび割れて(アガサ・クリスティー):書評「これは傑作です」

今日も
昨日に続いて
アガサ・クリスティーのミス・マープルもので
『鏡は横にひび割れて』を
紹介します。
昨日紹介した『パディントン発4時50分』は1957年で
この作品は1962年に発表されたもので
このあたりのアガサ・クリスティーは
油がのっています。
ちなみにこの作品は
1980年に「クリスタル殺人事件」というタイトルで
映画化されています。
今度レンタルショップで
探してみようかな。
じゃあ、読もう。


アガサ・クリスティーの人気キャラクターの一人、ミス・マープルものの面白さは、執筆時期とともに主人公であるマープルも年をとっていくとともに、彼女の住むロンドン近郊の小さな村セント・メアリ・ミード村も次第に都市化していく点もその一つかもしれない。
1942年発表された『書斎の死体』の舞台となったバントリー家は、1962年に発表されたこの作品では売りに出され、その家を買った女優のパーティで殺人事件が起こるという設定になっている。
20年の月日でバントリー家の亭主はすでに亡くなっているが、奥さんが元気で、彼女はなんと殺人事件のあったパーティのその瞬間に立ち会っていたのだから、マープルも含めご婦人たちは元気だ。
しかも、殺されたのは新興の町に住む婦人で恨みを買うことは考えにくい。
捜査はやがて本当はこの女優を狙ったものの犯行ではないかと変わっていく。
徐々に明らかにされていく女優の過去。
そして、次々に新しい殺人が起こっていく。
ミス・マープルはすごいのは、この作品でもほとんど動いていないということだ。
すっかり年をとって、近所の人のお手伝いを受けたりしている。
あとは、近所の知り合いから情報を得て、謎を解いていき、最後はやはり現場に赴き、結論を得る。
事件の発端から謎とき、犯人の動機に至るまで、もちろんこの素敵なタイトルもそうだが、とてもいい作品だ。
(2020/12/23 投稿)

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12/22/2020 パディントン発4時50分(アガサ・クリスティー):書評「あら、見てたのね!!」

「クリスマスにはクリスティーを」という
有名なキャッチコピーがあったらしい。
そういえば
今日紹介するアガサ・クリスティーの
代表作のひとつといえる
『パディントン発4時50分』も
クリスマスまであと5日という設定で
そこで事件が起こる。
いつもの霜月蒼さんの
『アガサ・クリスティー完全攻略』によれば
★★★★となっているが
有名なタイトルでもあって
アガサ・クリスティーの作品を読むなら
はずせない作品。
じゃあ、読もう。


アガサ・クリスティーの二大探偵といえば、もちろんエルキュール・ポアロとミス・マープル。
どちらもファンが多いが、私はどちらかといえばミス・マープル派かもしれない。
ミス。マープル、本名ジェーン・マープル。ロンドン近郊の小さな村に住む老婦人。そんな彼女がいつも鮮やかな事件を解決するのだから爽快だ。
ミス・マープルものと呼ばれる作品は長編が12作、短篇が20作あるが、本作は中でも有名な長編作品である。
まずもってタイトルがいい。1957年の作品だが、この時刻だけのタイトルがすでにミステリーだ。
そして、その時刻に関連した導入部もいい。パディントン駅発4時50分に乗ったミス・マープルの友人の婦人が偶然にも並行して走る汽車の客室での殺人を見てしまう。ところが、その死体が出てこないため、警察は取り上げてくれない。
そこで、ミス・マープルの登場である。
しかも、この作品ではあまり動けないマープルがスーパー家政婦を雇って死体を探させることになる。
このスーパー家政婦ルーシー・アイルズバロウの活躍がこの作品を面白くさせているといっていい。
ルーシーの活躍でマープルの予想通り、線路沿いの大邸宅の小屋から死体が出て来る。
一体誰が何のために。
しかも死体が誰なのか、それすらわからない。
お金持ちの家によくある財産をめぐる争い。しかも、兄弟たちは誰も癖がある。
最後の謎ときにつかったマープルの方法も含めて、あなたに謎が解けるか。
(2020/12/22 投稿)

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12/21/2020 今日は冬至 ー わたしの菜園日記(12月21日)

二十四節気のひとつ、冬至。
一年中で一番昼が短い日。
柚子湯にはいったりします。
寮生の長湯は誰ぞ冬至の夜 野中 亮介
この日を境に昼が少しずつ伸びていくのですから
それもまたうれしいもの。
そんなところから
中国では「一陽来復」といったりします。

山沿いのあたりでは大雪になっていますが
畑もすっかり冬ごしらえで
来る人も少なく
しんとした感じです。

ほとんどの畑が
防寒用のビニールやネットで覆われています。

私の畑のホウレンソウを育てている畝。

不織布をかぶせて
ビニールで覆うトンネル栽培をしています。
小さなビニールハウスみたいなものです。

成長の遅いキャベツが残っています。

まだまだ小さくて
もしかしたら大きなものにはならないかも。
せめてこぶし二つ分くらいになって欲しいですが。

聖護院ダイコンをひとつ収穫しました。

やや小ぶりです。
聖護院ダイコンは
京都の伝統野菜で
丸ダイコンです。
今年はなかなか芽がでなくて
何度か追い蒔きしてやっと育った
貴重な作物です。
成長の遅いキャベツもそうですが
なかなか思い通りに育たない、
それも家庭菜園ならではの
楽しみなんでしょうね。

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今日紹介する
松谷みよ子さん文、
瀬川康男さん絵の
絵本『いない いない ばあ』は
日本で発行された絵本で
初めて700万部を達成したという
うれしいニュースが届いたのは
11月下旬のこと。
私はてっきり
中川李枝子さん文
大村百合子さん絵の
『ぐりとぐら』かと
思ってました。
こちらもりっぱな533万部です。
で、この『いない いない ばあ』を読んでいなかったので
読んでみました。
「あかちゃんの本」というだけあって
とってもよく出来ていました。
これなら、
贈り物であげたくなるのもわかります。
じゃあ、読もう。

誰もが一度はしたことがあるのではないかしら、「いない いない ばあ」。
したことがなくても、してもらったことはきっとあるにちがいない、「いない いない ばあ」。といっても、きっと覚えていないだろうけど。
でも、あのシンプルなアクションがどうして赤ちゃんにうけるのだろうか。
「いない いない」で探してみる。
「ばあ」で現れ、びっくりさせられる。
驚いて泣く子がいれば、あわてて「ごめんごめん」と謝り、笑う子がいれば「ほら、笑ったよ」と褒める。
単純だけど、なんとも微笑ましい。
そんな「いない いない ばあ」を絵本にしてしまった松谷みよ子さんのセンスがいい。
松谷さんの文にかわいい絵を添えた瀬川康夫さんにも感服だ。
そして、「いない いない」って見せておいて、「ばあ」とページを変えた編集もいい。
そういうたくさんの「いい」が、1967年に発行以来、版に版を重ねて、2020年には国内で発行されている絵本で初めて700万部になったのだと思う。
もちろん、「いない いない ばあ」って遊んでもらった赤ちゃんは、今では「いない いない ばあ」って遊んでいる大人になっているだろう。
そして、この絵本を見て「懐かしい」と赤ちゃんの頃を思い出すことがあるかもしれない、懐かしい人たちの顔とともに。
(2020/12/20 投稿)

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12/19/2020 火口のふたり(白石 一文):再録書評「これは近未来小説」

映画雑誌「キネマ旬報」が毎年発表する
映画ベストテンは
2019年で93回を迎える
由緒あるものだが
時々首を傾げたくなる時がある。
2019年に日本映画1位となった
荒井晴彦監督の「火口のふたり」もそうで
封切りのタイミングもあるだろうが
読者が選ぶベストテンには顔も出ていない。
どんな作品だろうかと気になりつつ
年末を迎えた頃
ようやくCSで観ることができた。
R15の指定付なので
劇中セックスシーンがたくさんある。
決して悪い作品ではないし
ヒロインを演じた瀧内公美さんが抜群にいいし
(彼女はこの年この作品で主演女優賞を受賞)
ほとんど二人芝居の相手役柄本佑さんもいいけど
この作品が1位かと言われたら
さてどうかな。
原作は白石一文さんで
なんと私は2012年に読んでいました。
そこで、
今日は再録書評で紹介します。
原作も過激だったんですね。
じゃあ、読もう。

この小説は現代小説風ですが、近未来小説だ。
東日本大震災から三年たったという想定で、もちろん、私たちはまだその日を経験していない。ここに描かれたことが起こるのかどうか誰もわからない。
もっというなら、この物語の主人公のように就職した銀行をある不祥事をきっかけに辞め、妻子と別れ、そのあと立ち上げた会社も震災の影響でたちゆかなくなり、九州のふるさとに従妹の結婚でもどることになることも、主人公でなくともわからない未来なのだ。
主人公の賢治は41歳。従妹の直子は36歳。二人は兄妹同然に育った仲のいい親戚だ。
しかし、以前二人には肉体的な関係があった。それもかなり深く。
今度の賢治の帰省はそんな直子の結婚式の参列だった。
しかし、賢治には過去の関係の余熱はない。直子と別れてから、賢治は結婚し、娘をもうけ、そして破綻した。直子とのことは遠い日々だ。
直子は違った。賢治をいまだに愛している。そして、一度だけの関係を求める。
この物語には過激な性描写がある。獣のような激しい官能。
一度だけの約束は、結婚式までにと変えられ、二人はかつての日々のように泥沼のような性を繰り返す。
繰り返すが、これは近未来小説だ。
まだ来ない日々だ。
だとしたら、この物語すべてが賢治か、もしくは直子の妄想かもしれない。あるいは、願い。
未来から過去へ、二人の官能はいとも簡単に行き来する。
読み手(私もふくめ)は、とても混乱する。作者の意図がわからない。
題名が表すように、火山の火口で危うい均衡をたもっている恋愛は、あることをきっかけにしてその大地の熱に堕ちていくのではないか。
いや、火口は、愛するものだけは持ちうる熱情の出口なのか。
誰もが不安を感じるいま。
私たちの足元の大地がふたたび大きく揺れる不安を秘めているように、男と女の関係もまたふたたび火をはなつこともある。
繰り返すが、これは近未来小説なのだ。
(2012/12/15 投稿)

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12/18/2020 日本の小さな本屋さん(和氣 正幸):再録書評「 一度はたずねてみたい本屋さんばかり」

昨日紹介した
和氣正幸さんの『続 日本の小さな本屋さん』の
裏表紙折り返しに
「あわせて読みたい」と
正編である『日本の小さな本屋さん』が載っていたので
今日は昨日の続きで
その正編を再録書評で紹介します。
2018年9月に読んだものです。
読書離れや町の本屋さん減少の一方で
この本のように
個性あふれた本屋さんや図書館を紹介する
本や雑誌を多く見かけるのは
どうしてでしょう。
まだまだ本好きの人が多いということなのか、
特別なマニアのための嗜好本なのか、
あるいは
世界遺産や世界の絶景、秘境の写真を見る
そんな気分なのでしょうか。
じゃあ、読もう。

出版不況と言われて久しい。
そのせいか、街から小さな本屋さんが消えている。
今年5月の時点で、全国の本屋さんの数は1万2千余り。前年から500店舗も減っているそうだ。それは10年前と比べると3割も減少しているという。
街から本屋さんが消える意味は単に本や雑誌の販売拠点がなくなるというだけでなく、街の文化のありようが変わるということだと思う。
だから、この出版不況の中、なんとか経営を維持しようとする、小さな本屋さんがいるだけでうれしくなる。
この本は小さな本屋さんの魅力を伝える活動をしているライター和氣正幸さんが全国にある素敵な本屋さん23店舗を美しい写真とともに紹介してくれる幸福な一冊だ。
この中で広島にある「READAN DEAT」という本屋さんの店主清政光博さんの「地元に文化的な場所が減っていくことへの憤りが店の原点」という言葉が印象に残る。
こういう本屋さんがある街はまだまだ大丈夫ともいえる。
ただこの本で紹介されている「小さな本屋さん」は昔ながらの本屋さんとは少し趣きがちがう。
新刊と同じように古本を扱っていたり、コーヒーやビールが飲めたりもする。なんとパン屋さんと併設している本屋さんもあったり、真夜中だけ開店するお店もあったりする。
どういうあたりが店舗維持の採算ラインかわからないが、おそらく店主の皆さんの気概はそういうところにはないような気がする。
もっと大きな自分の立ち位置があるのだろう。
だから、ここに紹介されている本屋さんはどれも素敵な表情をしている。
(2018/09/27 投稿)

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12/17/2020 続 日本の小さな本屋さん(和氣 正幸):書評「本屋も個性の時代」

本屋さんに限らないことだと思いますが
誰にもお気に入りのお店があって
そのお店にいくと
どんな商品がどのあたりにあるかがわかる。
その安心が心地よい。
私もよく行く本屋さんでは
棚を見て歩く経路も決まっています。
それではまるで犬の散歩のようですが。
だから、たまに
初めて行く本屋さんだと
戸惑います。
どこから見ていいのかわからなくなります。
でも、逆にその戸惑いが刺激になることもあります。
今日紹介する
和氣正幸さんの『続 日本の小さな本屋さん』に出てくる
本屋さんに行けば
そんな刺激だらけになるでしょうね。
じゃあ、読もう。

街から本屋さんが消えていると印象は誰もが持っているだろう。
あるのは、ショッピングセンター内の大型店ぐらいだ。
その一方で、ブックカフェの店舗を見かけることが増えた。
従来の本屋さんのような品揃えはないが、店主がセレクトした本とおいしい飲み物の提供。ある意味、本はインテリアとしては人の心を癒す効果があるのかもしれない。
この本は、本屋ライターとして本屋と本に関する活動を行っている和氣正幸さんが2018年に出した『日本の小さな本屋さん』に続いて、全国の「小さな本屋さん」を美しい写真(それにしても本というのは写真写りがうらやましいくらいにいい)と共にレポートした一冊だ。
紹介されているのは、東北から四国にかけての24軒の本屋さん。
そのどれもが個性を持っていて、昔ながらの町の本屋さんではない。
もちろんカフェを併設している店舗も多いし、新刊書だけでなく古本も扱っているところも多い。
店の造作も自分たちの手作りともなれば、金太郎飴のような一律同じ本屋さんではなく、その店その街に合った顔を見せてくれる。
経営者の経歴もさまざまだ。
大手の書店でその名が全国に知られた人もいれば、たどり着いたら本屋の店主という人もいる。
経営者のそんな貌も、本屋の姿に反映されているのだろう。
「やっぱり本屋は特別な場所なんだ」、著者の和氣さんの言葉がいい。
(2020/12/17 投稿)

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今日の書評にも書きましたが
私は少女漫画に詳しいわけではないですが
12月3日に91歳で亡くなった
花村えい子さんのお名前は
よく知っていました。
また花村えい子さんの初期漫画の
かわいらしい女の子の漫画は
どこかで見たことはありました。
そんな花村えい子さんってどんな漫画家だったのか
訃報のあとで
図書館の蔵書を検索したら
今日紹介する
『私、まんが家になっちゃった!?』を
見つけました。
これがとても面白くて
一気に読んでしまいました。
きっと世の中には
花村えい子さんの漫画で育った人もたくさんいると思います。
ご冥福をお祈りします
ありがとうございました。
花村えい子さん。

少女漫画家の花村えい子さんが2020年12月3日、91歳で亡くなった。
少女漫画に詳しくはないが、花村えい子といえば少女漫画の草分け的存在で、かつて少女漫画に欠かせなかった大きな瞳にキラキラの星、カラフルな髪などのスタイルをいち早くこしらえていったビッグネームであることは間違いない。
花村さんは昭和4年(1929年)生まれで、「漫画の神様」と呼ばれた手塚治虫さん(1928年生まれ)とはほぼ同世代になる。
花村さんが漫画家としてデビューしたのは大阪の貸本業界からだから、いかに長年漫画界をリードしてきたかがわかる。
そんな花村さんがどんな人生を歩んできたのか。
2009年に「漫画家・花村えい子の画業50年」と副題のついたこの本では、漫画家になるまでの自身の半生も描かれていて、花村えい子さんを知るには欠かせない一冊だ。
(この時点で画業50年とあるように、花村さんのデビューは1959年に貸本漫画に発表した「紫の妖精」だ)
花村さんは埼玉県川越の歴史ある商家に生まれた。お祖母ちゃん子だと自らいうが、それには理由がある。
母親は花村さんを生んだ後、離婚。さらには別の男性とともにいなくなるという、のちに花村さんが活躍するレディースコミックを地でいくような生活を送ったいる。
さらに自身もまた大学を中退し、結婚することになったという。
そんな波乱万丈の人生ながら、花村さんの筆はあっけらかんとしている。
おそらくいろんなことを受け止める強さを持った女性だったのだろう。
少女漫画界の大きな星が一つ流れおちた。
(2020/12/16 投稿)

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12/15/2020 オンライン講演会「朝日教育会議 二松学舎大学」を視聴しました

連続フォーラム「朝日教育会議」は
10の大学が参加していて
事前にどのような演題でされるか予告されているので
興味あるものを申し込むことができます。
申し込んで抽選で選ばれると
パスワードとかが送られてきます。
それで当日オンラインでのライブ配信を
視聴できます。
先の「法政大学」に続いて
12月12日の土曜日
「二松学舎大学」のイベントを視聴しました。

思った動機はテーマに魅かれたからです。
渋沢栄一「論語と算盤」から生まれる未来
渋沢栄一といえば
2024年から一万円札の肖像になる人物。
しかも来年の大河ドラマは
渋沢栄一を主人公にした「青天を衝け」など
今ホットな人物です。
今回のイベントでは
まず渋沢史料館館長の井上潤さんによる基調講演があって
渋沢栄一の91年の生涯を
駆け足で説明してもらいました。
何しろ生涯約500の企業の育成と約600の社会公共事業に関わった人ですから
いくら時間があっても足りません。
講演を聴いた印象でいえば
渋沢栄一は時勢を読む力がとても強かったのではないかと
いうことです。
幕末時には攘夷の志士でありながら
徳川慶喜の弟昭武の随員とてフランスに渡航したあと
考え方をすっと変えてしまいます。
その後の生き方にも
そういうところがあったように思えます。
渋沢栄一の有名な「論語と算盤」は
実は経済界から実質的な引退のあと
強く主張したことだそうで
そのあたりも後世の人へのメッセージを
意識したのでしょう。

実は渋沢栄一は三代めの舎長だったそうです。
つまり学長。
そして、渋沢栄一のアンドロイドとともに登場した
夏目漱石(こちらもアンドロイドですが)は
ここで学んだことがあるそうです。
二人のアンドロイドが
どんな風なのかを見るのが
今回のイベントに参加した理由のひとつ。
写真が渋沢栄一のアンドロイド。

普段は埼玉県深谷市にある渋沢栄一記念館にいるのですが
今回は初めての出張講演となりました。
さすがにまだまだ動きはなめらかとはいきませんが、
顔の表情の動きはうまく出来ていました。

コロナ禍の影響で
異例の2月14日からの開始になるそうです。
どんなドラマになるのか
楽しみです、
まさかアンドロイドの登場はないでしょうが。

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12/14/2020 寒起こしの季節になりました - わたしの菜園日記(12月13日)

よく見かけるのが
柑橘類の大きな実。
遠くからでもそこだけ灯りがついているかのよう。
ところがそれが何の木かわかりません。
柚子でもないし、蜜柑でもない。
これは文旦でしょうか。

名前がわからないのが
自分でもなさけない。

まずは収穫の終った畝から
休ませます。
この季節は「寒起こし」といって
土を寒気にあてることで
消毒効果があります。

俳句の季語に「冬耕」があります。
冬耕の一人となりて金色に 西東 三鬼

外の葉で包み込むようにして
縛っておきます。

こうすると畑でもしばらく
保存ができます。

支柱とツルがからまるように
紐をわたしておきます。

風にあおられないように
外は防虫ネットで覆っておきます。

ニンジンには苦労しました。
何度種を蒔いても育たなくて
結局下の写真の一本が
なんとかニンジンらしくなっただけ。

そばに500円硬貨を置いているので
どんなに小さいか
わかってもらえるかも。

カラシナ。

自分で栽培したのではなく
畑で頂いた野菜です。
時々こうして頂いたり
差し上げたりするのも
菜園の楽しみです。

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12/13/2020 けんちゃんのモミの木(美谷島 邦子 文/いせ ひでこ 絵):書評「いのちをつなぐ」

タイトルの「モミの木」や
いせひでこさんが描いた表紙の若い母親は
クリスマスツリーを飾っているように見えて
クリスマスの絵本かと思っていまいますが
この『けんちゃんのモミの木』は
35年前の起こった日航ジャンボ機墜落事故で犠牲となった
当時9歳だった次男を亡くされた
美谷島邦子さんが書かれた
鎮魂の絵本です。
いせひでこさんとは
御巣鷹慰霊登山を通じて親交があったそうです。
来年には
東日本大震災から10年になります。
災害や事故は風化しがちですが
悲しみは決して風化しません。
そんな絵本です。
じゃあ、読もう。

1985年8月12日に起こった日航ジャンボ機墜落事故から2020年で35年になりました。
520人という多くの尊い命が犠牲となったこの事故で、この絵本の作者である美谷島邦子さんも当時9歳だった次男の健ちゃんを亡くしています。
月日が経つとともにどんなに大きな事故であっても風化していきます。
まして35年という長い時間は、あの事故を知らない人が増えていることでもあります。
この絵本を手にするお父さんもお母さんも、もしかしたらあの事故を知らない世代かもしれません。
絵本の中には飛行機の残骸も描かれていないので、飛行機事故の犠牲になった幼い命とそのお母さんのお話だとはわからないかもしれません。
けれど、どうか忘れないでください。
あの日、多くの命とさようならをしたもっと多くの人たちがいたことを。
そして、それはあの事故だけではありません。
2011年春に起こった東日本大地震でもそうだし、近年たびたび発生する水害でもそうです。
突然さようならをしなければならない悲しみ。
あるいは、現在のコロナ禍ではさようならさえ言えないままお別れしないといけないといわれています。
この本はジャンボ機が墜落した御巣鷹山に植えられて一本のもみの木の話ですが、その木はずっとたくさんの悲しみも見守っている「THE FIR TREE(もみの木)」です。
いせひでこさんの優しい絵がそっと寄り添ってくれます。
(2020/12/13 投稿)

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12/12/2020 長いお別れ(中島 京子):再録書評「『恍惚の人』から遠く」

今日は映画の話を。
2019年に封切られた
中野量太監督の「長いお別れ」が
CSで放映されました。
観たかった作品だったので
うれしくて。
主人公の認知症になっていく父を
山崎努さんが熱演。
その娘の長女役を今年亡くなった
竹内結子さんが演じています。
彼女の姿を見ていると
やっぱり残念ですよね。
次女役は蒼井優さん。
そして、認知症の夫を支える妻を演じているのが
松原智恵子さん。
松原智恵子さんといえば
昔の日活のお嬢様のイメージが強いですが
この作品でいえば
松原智恵子さんの演技が断然光っていました。
原作は中島京子さん。
そこで今日は2015年に読んだ
『長いお別れ』を再録書評で
紹介します。
原作も映画もいいですよ。
じゃあ、読もう。

この物語の主人公東昇平が認知症をと病名がついたきっかけは高校の同窓会の会場にたどりつけなかったことだ。
元中学校の校長、その後図書館館長などの要職に就いていた昇平だが、70歳を過ぎて、道に迷うことになる。
昇平は妻曜子と二人暮らしだ。子供は三人いるが、いずれも娘で、長女の茉莉は夫の仕事の関係でアメリカ西海岸にいるし、次女の奈菜も家庭を持って、夫の実家にはいることとなる。三女の芙美は独身ではあるがフリーのフードコーディネーターとして仕事に油がのってきたところ。
つまりは、昇平の世話は曜子の肩に重くのしかかる。
昇平をめぐる家族の右往左往は少し考えれば十分悲痛なのだが、中島京子はあえて悲痛感や苦労話に持っていくことをしない。むしろ、コミカルともいえる物語に仕上げた。
有吉佐和子が認知症を扱った『恍惚の人』を書いたのは1972年のことだ。
本もベストセラーになったし、豊田四朗監督によって映画化もされた。森繁久弥の演じる老人とそれを介護する嫁高峰秀子の姿を見て、笑う人などいなかったにちがいない。
『恍惚の人』の主人公と同じように、昇平もまた帰り道がわからず彷徨するし、家族たちは必死に探すのだが、この作品はどうして笑えてくるのだろう。
有吉の作品から40年以上経って、社会は認知症を特別な病気とは考えなくなったともいえるし、老人介護の問題は多くの人が直面している課題でもある。
特別な苦労ではなくなったといえるが、悲痛なだけではやっていけないということを自覚したともいえる。
岡野雄一の『ペコロスの母に会いに行く』(2012年)も認知症の母と息子の物語(まんが)だが、やはり有吉の悲痛さはない。
社会は強くなったのだ。
そうはいっても、実際の介護は大変だ。笑えることは少ないだろう。特にこの物語のように老々介護ともなれば、妻曜子の心情は軽易に「強くなった」なんていえないだろう。
それでも、中島はこの物語に「長いお別れ」とつけたように、老人介護はゆっくりと残されたものへのお別れだとすれば、それを大切な経験の再現として受けとめることも大事なことだ。
(2015/07/07 投稿)

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俳人の坪内稔典さんは
「ねんてん先生」の愛称で
多くのファンがいます。
なので、
今日紹介する本には
「ねんてん先生の文学のある日々」とついている
『屋根の上のことばたち』です。
ねんてん先生の俳句は
あまりにも独創的で
時にはついていくのも難しいのですが
単純に楽しむのがいいかな。
この本からねんてん先生の一句を。
あんパンと連れ立つ秋の奈良あたり 坪内 稔典
うーむ。
と、なりませんか。
じゃあ、読もう。

「三月の甘納豆のうふふふふ」という不可思議な余韻の俳句で有名な俳人坪内稔典さん。
餡パンと河馬(カバ)が大好きというねんてん先生だけあって、表紙に描かれたイラストにもちゃんとカバと同席している。
そんなねんてん先生が「赤旗」紙に毎月一度連載されているエッセイの単行本第弐弾。
「文学のある日々」とあるように、与謝野晶子や石川啄木、夏目漱石、あるいは田辺聖子とさまざまな文学の話が徒然に綴られているが、そこはねんてん先生、難しいことは言いっこなし。
下駄ばきでご近所を散歩する感覚で、文学を楽しんでいる。
何しろねんてん先生宅では家の庭で朝食を摂る時は「軽井沢で朝食」と言い慣わしているそうだから、生活もまた「うふふふふ」だ。
1944年生まれのねんてん先生らしい、気取らず、あるがままの、そんな気分がいいエッセイ集ながら、ねんてん先生のご機嫌な俳句ももちろん楽しめる。
(2020/12/11 投稿)

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12/10/2020 随筆集 柚子は九年で(葉室 麟):再録書評「あきらめない」

直木賞作家の葉室麟さんが
66歳で亡くなったのは
2017年12月23日でしたから
まもなく3年になります。
さすがに本屋さんに新しい単行本が並ぶことは
ありませんが
時にふっと葉室麟さんの作品を
読み返したくなります。
今回再読したのは
葉室麟さんの最初の随筆集
『柚子は九年で』。
今日は
2013年に書いた再録書評で紹介します。
この随筆集に「三島事件」という一文があります。
葉室麟さんは1951年生まれでしたから
二十歳前の多感な時。
「多くのひとと同様に、わたしも<三島事件>に衝撃を受けた」と
あります。
もちろんこの「三島事件」は
50年前の三島由紀夫の割腹自決のこと。
葉室麟さんの青春の尻尾のような
一文でした。
じゃあ、読もう。

直木賞発表号の「オール讀物」は選評やら受賞者の自伝エッセイなどで読み応えがあるが、それ以外にも資料的に保存すべき記事がある時もある。
第146回(平成23年)受賞の『蜩ノ記』の葉室麟の時がまさにそれだった。
葉室のロングインタビューだけでなく、島内景二氏による「全十八作! 葉室文学の熱きロマン」と題された記事は直木賞受賞までの葉室の作品を丁寧に紹介している。
授賞前の葉室の作品を読みたい人にとって、この記事ははずせない。
葉室が時代小説を書くようになったのが50歳の時だという。
直木賞を受賞したのは、それから10年。
2010年4月から葉室の地元である西日本新聞で「たそがれ官兵衛」と題され発表されたエッセイを中心にまとめられた随筆集は『柚子は九年で』と題されている。
「桃栗三年柿八年」という言い方はよくされるが、そのあとに続く物言いとして「柚子九年」というのがある。
葉室にとってデビューから直木賞受賞までの期間が、まさにそれに相当する。
さきのことわざは物事が成就するまで時間がかかるという意味だが、人が時に辛抱できずに諦めてしまうことがある。
「勝てないかもしれないが、逃げるわけにはいかない。できるのは「あきらめない」ということだけだ」と、「柚子の花」と題されたエッセイに葉室は書いているが、きっと葉室自身不安であったに相違ない。
もっとも葉室はデビュー早々に『銀漢の賦』で第14回松本清張賞を受賞し、手ごたえは感じていたはずだ。
それでも黙々と書き続けた、葉室を支えたのは、「あきらめない」の一言であっただろう。
この随筆集では葉室文学の魅力の一端を垣間見ることができる。
歴史時代小説に対する自身の考え方、地元福岡へのあたたかな眼差し、自身を育ててくれた人たちの横顔、そして漢詩への愛。
葉室は漢詩について「悲哀を基調とする作品が多い」と書いている。(「吾生如寄」)さらに「絶望や悲哀は人間の負う宿命なのか」と続けている。
まさにこれこそ葉室文学を読む解くキーワードだ。
葉室麟に多くの愛読者がいるのがわかる、そんな随筆集といっていい。
(2013/09/06 投稿)

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12/09/2020 ニトリの働き方(似鳥 昭雄):書評「ニトリを就職先に希望する学生さん必読」

収まる気配のないコロナ禍で
心配なのが
学生の内定率の低下だろう。
ここ数年、売り手市場と言われ
学生たちの多くは
希望の会社や職業につけていたと思います。
ところが
コロナ禍の影響で
状況は一変しました。
そもそも募集を中止する企業も出てきました。
来年だって
決して楽観できないでしょう。
学生たちには
たった一年生まれたのが
あるいは学校に入ったのが遅かっただけなのに
「どうして自分たちは」という思いもあるでしょう。
そこはしんぼうして
自分のいる場所でがんばることです。
今日はニトリの創業者似鳥昭雄さんの
『ニトリの働き方』という本を
紹介します。
参考にできる話がたくさんあります。
じゃあ、読もう。

2020年2月期で33期連続の増収増益を達成し、コロナ禍で多くの企業が業績悪化に苦しむ中テレワーク用のデスクなどで新しい需要を喚起しているニトリは、今や日本の代表的な優良企業といっていい。
ニトリが掲げる「30カ年経営計画」によれば2022年には1000店舗、売上高1兆円を目指すという。
ニトリの創業者で現在代表取締役会長で、この本の著者である似鳥昭雄氏は、ビジョンとは「長期かつ達成不可能とも思えるほど、大きなものでなければなりません」といい、「簡単に手の届く範囲のある目標を、ビジョンとは呼びません」とまで言い切る。
そんなニトリだから、その働き方はどんなものなのか興味を持つ若い人は多いだろう。
しかし、ここに書かれているのは決して新しいメソッドではない。
大切にしている「4つのC」、チェンジ(Change、変化)、チャレンジ(Challenge、挑戦)、コンペティション(Competition、競争)、コミュニケーション(Communication、対話)などは随分以前から多くの企業でも口にしていたことだ。
そして、そういいながらも姿を消した多くの企業があったのも事実だ。
そんな中でニトリが生き続けているのは、もっと別の要素があるのだろう。
その要素を探るヒントがこの本にある。
それは、この本が似鳥会長の考え方だけで出来ていないということだ。
間あいだにニトリで働く人たちの仕事に対する心情や実績が挟まれている。
それを読めば、従業員たちが同じ方向に向かっているのがよくわかる。
まさにそこにニトリの強さがあるような気がする。
(2020/12/09 投稿)

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12/08/2020 オンラインイベント「開高健『オーパ!』に学ぶ、コロナ時代の旅のカタチ」を視聴しました

開高健の生誕90年にあたります。
開高健さんは12月30日が誕生日ですから
生きていれば間もなく90歳を迎えることになります。
亡くなったのは
1989年12月9日で
亡くなってからもう30年以上経ちます。
そんな開高健さんの代表作ともいえる
『オーパ!』の復刻版が刊行されることを記念して
「開高健『オーパ!』に学ぶ、コロナ時代の旅のカタチ」という
オンラインイベントが
12月5日(土曜日)13時から2時間
YouTubeを使って生配信されました。

視聴無料のYouTubeでの配信でしたが
それで参加すると
視聴している人数(今回は120人ぐらいの人が参加していました)や
チャットで生の意見がはいったり
新しい講演会への参加の仕方を実感できました。

『オーパ!』を出版する集英社等が主催で
進行役も集英社の平さんという女性の担当の方が
されていました。
登壇者(実際には登壇という感じでもないのですが)は
元編集者で『オーパ!』の旅にも参加した菊池治男さん、
サントリーの坪松博之さん、
ヤフーの藤原光昭さん。
それぞれ年齢も関わり方も違いますが、
開高健さんへの熱い思いを感じるメンバーでした。

『オーパ!』の旅の裏話がとても面白く
一枚の写真が出来るまで
あるいは一匹の魚を釣り上げるまで
どんなに驚きの連続であったがよくわかりました。
菊池治男さんがもっとも「オーパ!」、驚きを感じたのは
開高健という人間だったというのも
印象に残りました。

端々に開高健の魅力が語られていて
坪松博之さんが語った「表現者」という言葉に
納得しました。
開高健という人は
小説家でもあるしノンフィクション作家でもあるし
ルポライターでもあった。
もし一つの言葉でいうなら「表現者」だった。
私たちはまだまだ開高健に教えてもらわなければならないのだと
思います。

藤原光昭さんでさえ
コロナ禍にあって
新しい発見が少なくなっていることに慣れてきたと
感じているといいます。
そんな中
開高健が『オーパ!』に残した
「面白がる精神」は重要なメッセージだと思います。

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12/07/2020 春キャベツの蘊蓄 - わたしの菜園日記(12月6日)

二十四節気のひとつ、大雪。
「おおゆき」ではなく「たいせつ」と読みます。
大雪とまではいきませんが
やはり12月に入って
寒くなることも多くなりました。
街なかでは今
山茶花(さざんか)の花がきれいです。

ツバキ科ですから
椿とよく似ていますが、
椿と違って花びらが散るのが山茶花。
山茶花は咲く花よりも散つてゐる 細見 綾子

畑が近いと
寒いので鍋でもしようか
じゃあハクサイがいるね、畑まで
みたいなことができます。
この日収穫したミニハクサイ。

今シーズン2個めのミニハクサイです。

じゃあ、と収穫したのは
ナメコです。

これは味噌汁にいれて頂きましょう。
キノコは畑ではなく
ベランダ栽培ですが。

冬越し野菜の紫エンドウも
順調に育っています。


春キャベツ。

毎年栽培しているのは
秋キャベツで葉と葉の間がぎっしり詰まっていますが
春キャベツは
栽培期間がとても長くて
葉が柔らかいのが魅力です。
秋キャベツとは品種が違うそうで
植え付けには
春どりに適したものを選ぶことです。
畑の春キャベツを見てても
葉の成長の仕方が
秋キャベツとは少し違うように思います。
さあて、どんな味か
収穫まではまだまだですが。

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いちばん最近動物園に行ったのはいつなのか
覚えてないくらい
随分と動物園には行っていない。
娘が小さかった時
といっても随分前のことだが
ゾウの柵の前で写真をとったことがあったな。
そんなことを思い出しながら
今日の絵本を読みました。
入江尚子さん文
あべ弘士さん絵の
『ゾウとともだちになったきっちゃん』。
あべ弘士さんが絵を描いているので
読んでみた絵本でしたが
思った以上に
楽しく読めました。
なんといって入江尚子さんの文がとてもいい。
やっぱり本物力は強い。
じゃあ、読もう。

どうして子どもたちはゾウが好きなのだろう。
まど・みちおさんの有名な童謡「ぞうさん」の印象が強いのだろうか。
それとも、やはりあの耳が大きくて長い鼻が特徴の造形が興味をそそるのだろうか。
大きな体に似合わない愛くるしい目がかわいいのだろうか。
いずれにしても、ゾウは子どもたちの人気者だ。
この絵本の主人公きっちゃんもゾウが大好きだ。
何しろ毎週のように動物園に出かけて、ゾウのおりの前で観察するのだから、好きも半端ではない。
そして、ある時ゾウが話しかけていることに気づくのだ。
そういったゾウの習性のあれこれがいっぱい詰まったゾウの絵本の作者入江尚子さんは、10年間ゾウの知能の研究をしてきたという女性。しかも、アジアゾウの足し算能力の研究で博士号まで取得している、いわば「ゾウ博士」。
だから、この絵本の書いてあるゾウのことはみんな本当のこと。
さらに絵を描いているのは、かつて旭山動物園で長年飼育係をしていたあべ弘士さんだから、あべさんの描くゾウの表情も本物。
この絵本はそんな二人による最強のゾウ絵本なのだ。
それにしても、ゾウが話しかけてくることあるなんて知らなかった。
そういえば、まどさんの「ぞうさん」は「そうよ かあさんもながいのよ」って答えてくれている。
(2020/12/06 投稿)

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12/05/2020 老いの練習帳(外山 滋比古):書評「老いるにも練習がいる」

このブログを作ってから
12年が過ぎました。
12年前に生まれた赤ちゃんも中学生だと思えば
なんとも長い時間と思いますが
50代前半で始めて高齢者と呼ばれる年になっても
さほど変わらない。
年をとれば時間は早くなるとよくいうけど
そういうことでは
早さをあまり感じない。
今年亡くなった著名人のなかに
今日紹介する『老いの練習帳』を書いた
外山滋比古さんもいる。
亡くなったのは今年の7月。
96歳でした。
最近届く喪中欠礼の通知を見ても
90代の人が多くなりました。
人生100年、
どんな日々が待っているのか
練習するのも悪くありません。
じゃあ、読もう。

どんな人の人生も、毎日は新しい。
一日を過ごすうちに、あ、これ前と同じだったということはない。たとえよく似たことがあったとしても、新しいことであるにはちがいない。
そして、誰だって日々老いていくことも変わらない。「少年老い易く」という言葉があるように、生きていくことは老いることでもある。
私たちは毎日新しい老いるを経験していることになる。
新しいことをうまくやっていくためには練習をするのがいい。
もちろん人生は一回勝負だから練習といっても、歴史や先人のやり方をたどるしかないのだが、人が本を読む理由の一つは、人生をうまく生きるための方法をさぐっているともいえる。
『思考の整理学』を書いた外山滋比古氏のこの本も、そんな生きる道しるべとなる一冊だ。
但し、ここにはこうしなさい、ああしなさいといった答えが書かれている訳ではない。
外山氏のなにげない日々の暮らしぶりをヒントにして、読者は老いる練習をすることになる。
この新書版が出たのは2019年。外山氏が95歳の時だが、元は遡ること40年前に連載されていたもの。
つまり還暦前の外山氏が綴った。老いの、つまりは生きるための練習帳だ。
(2020/12/05 投稿)

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12/04/2020 このブログも12年になりました! ぴえん。

このブログは
12年を迎えました。
12年といえば
干支が一巡したことになります。
先日今年の流行語大賞が発表されて
大賞には「3密」が選ばれていて
その他にもコロナ関連の言葉がたくさん選ばれていたのは
いかに今年が大変な年であったか
流行語にもそれを感じます。

覚えておられますか。
あの年はリーマン・ショックで
世界経済が今年のように大きなダメージを受けたので
その関連の言葉が入っているかと思ったのですが
大賞は「アラフォー」と「グ~!」でした。
大賞には入らなかったですが
「サブプライム」が候補にはあがっていましたが。
さすがに最近「グ~!」って言葉が耳にしませんが
「アラフォー」は日常の言葉になったように思います。

新型コロナウイルスも克服し、
今年の「3密」も
あと10年もしたらそんな言葉があったねと
言えるようになればいいのですが。

よく似た賞で
『三省堂 辞書を編む人が選ぶ「今年の新語2020」』というのがあります。
そこで選ばれたのが
「ぴえん」。
実はこの「ぴえん」、
聞いたこともなければ使ったこともない
未知の言葉でした。
調べると
「自分の失敗、状態に情けなくなるような気持ちを表す場合」とか
「うれしい気持ちや励まされたような気持ちの場合」にも
使えるそうです。
いくつになっても
新しい言葉やことがらを感じとれるように
したいですね。

素敵な本を紹介できたら
どんなにいいでしょう。
いい本と出会えることを願って。
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ぴえん。

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12/03/2020 おもかげ(浅田 次郎):書評「私たちが生きてきた時代」

本を読むきっかけの一つに
新聞の新刊広告がある。
今日紹介する
浅田次郎さんの『おもかげ』も
新聞広告で見つけた本。
講談社文庫の新刊案内でしたが
涙亡くして読めない至高の最終章。
という惹句よりも
主人公が定年まで勤め上げた男というのに
魅かれたといえます。
この作品の中に
定年後の生き方についてこんな一節がありました。
「何をしてもよい」と考えれば豊饒な時間だが、
「何もしなくてよい」と考えれば貧困な時間なのである。
この一節に巡り合えただけでも
よかった。
じゃあ、読もう。

65歳の定年退職の送別会の夜、竹脇正一は地下鉄新中野のホームで倒れ病院に運び込まれる。
集中治療室で治療を受ける主人公。そのもとを訪れる友人、妻、娘の夫、幼馴染。現実のそんな人々よりも主人公の意識に入り込んでくる謎の女たち。
彼らを通して、主人公の生い立ちが明らかになっていく。
竹脇正一は両親を知らない。
生まれて間もなく捨てられ、名前も無理やりつけられた。もうすぐクリスマスイブという夜だった。
養護施設で育ちながらも大学まで進み、大手商社に入社。右肩上がりの経済の中、彼もまた商社マンとして活躍していく。
妻もまた事情を抱えていて、両親は離婚。夫の正一と大差ない環境で育った。
そんな夫婦にも危機があった。最初の男の子を小さい時に亡くしている。
それでも正一は65歳まで実直に勤め上げたというのに。その夜に斃れてしまうなんて。
戻らない意識、しかし正一の中では喪ったものを探し出すことに一所懸命だ。
読者はそんな主人公の切ない旅をともに往くことになる。
そして、たどり着いたのも地下鉄の中。
正一だけでなく読者もまた驚くべき光景を目にする。
誰かの声、「人生はまだこれからなのよ、だから泣いちゃだめ」。
毎日新聞に2016年12月から翌17年7月まで連載された長編小説に、涙した読者も多かったのではないだろうか。
(2020/12/03 投稿)

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漫画家矢口高雄さんの訃報に接して
矢口高雄さんの自伝エッセイ
『釣りキチ三平の釣れづれの記 平成版』を
追悼の心を込めて紹介しましたが
実はあの本が出た2008年に
一度読んでいたことがわかりました。
その時に
オンライン書店bk1に投稿した書評があったので
今日はそれを蔵出し書評として紹介します。
投稿日は2008年10月26日ですから
このブログを始める数カ月前です。
なので
このブログでの紹介は初めてです。
12年前も気分的には
あまり変わっていなくて
矢口高雄さんが東京に出る際の奥さんとのやりとりなど
やっぱり今回も感動しました。
同じ本を2日連続の紹介は初めてかも。
じゃあ、読もう。

漫画家を目指す若者は多い。
漫画を見て愉しんで、そこに白い紙を鉛筆があれば、ちょこっと描いてみる。そこに広がる夢は自分の漫画世界だけではなく、自分が人気漫画家になって活躍している夢かもしれない。
私にもそんな時期があった。もうずっと昔のことだが。
それで買ったのが石ノ森章太郎氏の『マンガ家入門』という、漫画家を目指す人間にとってはバイブルのような一冊。でも、長続きはしなかった。
絵のセンスがまるでなかったし、石ノ森氏がその本で書いているが「一生けんめいかくこと。たゆみない努力」が出来なかった。
まさに凡人の典型である。
本書は「週刊少年マガジン50周年記念 特別企画シリーズ」として刊行された三冊の中の一冊。
「マガジン」に限らず週刊漫画雑誌が若者に与えた影響は大きいと思われる。初期の「マガジン」「サンデー」(そして「ガロ」「COM」といったより専門的な雑誌も含まれるが)、そのあとに続く「ジャンプ」「チャンピオン」に登場する若い漫画家を生み育てていったといえる。
何故なら、そこに「漫画」があったから。
「漫画」が身近になることで職業として確立しやすかったのではないだろうか。
本書の著者である矢口高雄氏は「マガジン」で『釣りキチ三平』を連載(1973年~1983年)し好評を博した漫画家である(私の個人的な好みでいえば氏の『おらが村』の方が好き)。
そして、矢口氏は元銀行員という肩書きをもち、漫画家としてのデビューも三十歳と遅い。
それゆえに一漫画家志望の青年が本当にその夢を実現してしまう過程を綴った本書の前半部分は、漫画家を目指そうとする人には興味深いだろう。
あるいは漫画家でなくても夢を実現したいと悶々としている人も参考になるだろう。
先の石ノ森氏の著作の言葉にはこんな文章が続く。「これは何もマンガだけに限ったことではなく、(中略)その道を極めたいと思ったら、こうする以外に方法はありません」と。
秋田で銀行員をしていた矢口青年(といってもすでに結婚されていたようだが)が有給休暇を利用して東京の出版社や先輩作家を訪問する挿話がある。
そこで白土三平(カムイだ!)や水木しげる(鬼太郎だ!)といった本物の迫力を目の当たりにする。
まだ東北新幹線もなかった時代である。
こういうエネルギーが「その道を極め」るには必要なんだなと思い知らされる。さらに、そのつど矢口氏は手土産を持参するのだが、このあたりが大人というか銀行員らしさがにじみでて、面白い。
やがて矢口氏は銀行員をやめ職業としての漫画家を決意することになる。
その際の奥さんの言葉がいい。「反対したいのは山々だけど、もしここで私に反対されて思いとどまったとしたら、あなたはきっとそのことを一生言い続けるでしょう」「私にとっては、目先の苦労よりもそのほうがはるかにつらく、きっと耐えられないわ。だから、どうぞおやりください・・・」
こうして矢口氏は漫画家の道に入り、その後の『釣りキチ三平』他の人気作品を次々と量産していくことになる。
しかし、矢口氏はけっして幻の魚を釣りあげたのではない。魚を釣るまでに釣り場を丹念に歩き、天候を見、竿を吟味し、浮子を選んだのだ。
そして、時を待った。
やがて、魚の片鱗が輝き、漫画家矢口高雄が誕生するのである。
(2008/10/26 投稿)

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