01/31/2021 ないた赤おに(浜田 廣介/いもと ようこ):書評「泣いたのは赤おにだけじゃない」

今年の立春は2月3日で
よって節分は2月2日。
なんと、明治30年以来で124年ぶりだそうです。
何故そうなるか、
最近その理由がよく報じられていますが
少しずつずれていって
今年その調整がある(かなり大雑把ですが)という
感じかな。
鬼も出てくる日間違わないといいですが。
なので、今日は
『ないた赤おに』。
浜田廣介さんの名作に
いもとようこさんが絵をつけました。
ちなみに
来年はいつもどおり
節分は2月3日だそうです。
じゃあ、読もう。

日本を代表する児童文学といっていいこの作品を初めて読んだのはいつだろうか。
調べると、この作品を書いた浜田廣介は坪田譲二や小川未明とともに「児童文学界の三種の神器」と呼ばれていたそうだが、さすがに「三種の神器」という言い方は現在では古すぎる。それでも、浜田のこの作品はちっとも古びていないように思う。
浜田廣介は明治26年(1893年)山形県高畠町に生まれた。現在ここには浜田の功績を讃えた記念館がある。
亡くなったのは昭和48年(1973年)80歳のことである。
この作品が「おにのそうだん」として初出されたのが1933年というから浜田が40歳の時。
作家としてはまだ初期の頃だろうか。
この作品には二人の鬼が登場する。
村人たちと友だちになりたい「赤おに」となんとかそれを助けたい「青おに」。
この作品が読むものをの心を打つのは、なんといっても「青おに」の自己犠牲の優しい心だろう。
自分が人間に乱暴を働く、それを「赤おに」がとっちめることで村人たちの信頼を得る。
そして、自分はそのまま身を隠す。
だから、最後の「青おに」が立てた立て札に書かれた文に感動する。泣くのは「赤おに」だけでなく、読者もだ。
そして、それは子供だけでなく大人だって同じだ。
この絵本は浜田の文章に絵本作家のいもとようこさんの柔らかな絵がついている。
そこではみんなほっこりした表情をしていて、それもまたこの作品にあっている。
(2021/01/31 投稿)

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01/30/2021 開高健は何をどう読み血肉としたか(菊池 治男):書評「やっぱり開高健はいいな」

開高健さんの『オーパ!』復刻を記念して
昨年暮れに開催された
オンライン講演で
当時編集者として同行した
菊池治男さんが開高健さんの懐かしい話を
聞かせてくれました。
喉頭ガンで声を失いかけたという菊池治男さんですが
かすれながらも
なんとか声はなくならなかったようです。
その菊池治男さんが
開高健さんの蔵書から読み解くという本が
今日紹介する
『開高健は何をどう読み血肉としたか』。
このような本を読むと
開高健さんがどんなに人を夢中にさせたかが
わかります。
じゃあ、読もう。

開高健の不朽の名作となった釣り紀行『オーパ!』で、「ガッデム」と呼ばれたこの本の著者菊池治男氏が開高に同行してアマゾンには入ったのは、1977年菊池氏がまだ26歳の時だ。
当時菊池氏は『オーパ!』連載誌となった「PLAYBOY日本版」の若き編集者で、この後開高の長く広大となる釣り紀行のほとんどに同行している。
つまり菊池氏にとって、開高健は師のような人だったといえるし、本作の記述の端々に開高への尊敬と愛情を感じる。
開高が1989年に58歳という若さで亡くなったあと、「開高健記念文庫」を開設するにあたって、菊池氏は残された開高の蔵書を整理することになった。
開高健は蔵書家でも愛書家でもなかった、と菊池氏はいう。というのも、本にあるカバーや帯の類は読む前にはぎ取り(そのことで開高が読んだ足跡が判明する)、傍線や書き込むはせずページを大胆に織り込む癖があったそうだ。
この本では、開高の足跡を順繰りにたどるようにして、開高の残した蔵書から、この本のタイトルの通り「何をどう読み血肉にしたか」を見ていく。
もちろん、開高の蔵書すべてについて読み込まれているわけではないが、長い期間開高と旅をしてきた編集者だけが知りうる話などを交えながら、開高健の姿を再現している。
巻末には付録として、「開高健作品の基礎知識」(これは開高作品を知る上でとても役に立つ)と開高が作品の中で散りばめた自伝的な文章で構成された「ある「開高健」年譜」は、新しい開高ファンのための労作といっていい。
(2021/01/30 投稿)

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「MARVEL」(マーベル)の映画は
ほとんど観ているのではないかしら。
やっぱり一番面白いのは
「アベンジャーズ」シリーズで
ヒーローばかりだから
面白くないはずがない。
日本映画もそれだけの制作予算があれば
面白い作品が作れるかといえば
それも違うような気がする。
あれだけの発想をするのは
なかなか容易ではない。
今日はそんな映画を作り続ける
「MARVEL」の歩みを描いた
『MARVEL 倒産から逆転No.1となった映画会社の知られざる秘密』を紹介します。
映画以上に面白いかも。
じゃあ、読もう。

「MARVEL」(マーベル)といえば、今やそのロゴだけでカッコイイ感じが伝わってくるブランドだし、そこから誕生した多くのヒーローたちは子供だけでなく大人も虜にする。
アイアイマン、スパイダーマン、キャプテン・アメリカ、マイティー・ソー、超人ハルク、そしてヒーローたちが集まったアベンジャーズ、まだまだある。書ききれない程ある。
今や映画制作会社のようでもあるが、もともとは1939年の「マーベル・コミック」までさかのぼる。当時のアメリカには「スーパーマン」や「バッドマン」を生み出した「DCコミック」もすでにあって、そんなすごい国と戦争を始めたのだから、考えるまでもなく無謀というしかない。
さて、本書はその「マーベル」がいくつかの苦難から人気キャラクターをばら売りし、ついには倒産に至りながらも、映画産業の時代の波に乗って今やその名を誰もが知る映画会社にまで昇りつけた歴史をひもといていく。
キーとなる映画はなんといっても「アイアンマン」(2008年)だったようで、本書でも主演選択のことなど詳しく書かれている。
面白いのはスパイダーマンで、最近のアベンジャーズ映画に彼が若いヒーローとし登場してくるのを面白く観ていたが、あれもキャクラターの所有権の問題が色々交差した結果だったりする。
本書は単に映画の本ではないところがミソで、実はビジネス書の側面の方が大きい。
訳者である上杉隼人氏は、これは成功例としての「マーベルのビジネス・モデルを示して」いると結んでいる。
(2021/01/29 投稿)

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01/28/2021 失楽園・下(渡辺 淳一):書評「あの時の久木と凛子の愛にまだ誰もたどりつけない」

今日は昨日のつづき。
渡辺淳一さんの『失楽園』の下巻です。
初めてこの作品を日本経済新聞で読んでいた時
私はちょうど40歳でした。
主人公の久木祥一郎が55歳でした。
今、私はそんな久木の年も越えました。
作品では美貌の人妻を愛するようになった久木のことを
周りの人たちは
うまやましがりますが、
なんだかこの年になって
久木のことをうらやましく思うようになりました。
結ばれたままで
死を選ぶという手段に
当時驚いたものです。
破廉恥ともいえますが
崇高ともいえる
そんな結末ではないでしょうか。
じゃあ、読もう。

物語の主人公である久木祥一郎もまた、当時の不安の中にいた多くのビジネスマンと同じだった。五十代半ばで大手出版社の要職から外れ、閑職につく。不安がないわけではない。
そんな時に出会ったのが三十半ばを過ぎた美貌の人妻凛子だった。
久木たちのような恋愛はできないけれど、読者にとって久木は自分たちと同じところにいる男だったことは間違いない。
今回久しぶりにこの作品を読んで思うことは、確かにさまざまなバリエーションの性愛模様が描かれているが、その端々で渡辺淳一の教育的指導のような文章がはさまっていることだ。
おそらくこの作品が映画化やドラマ化された際には、そういった渡辺の男女に関するいろんな教えは除かれただろうから、純粋に恋愛映画あるいは性愛映画になったはずだが、小説『失楽園』は渡辺の男女に関する講座を聴くような感じさえした。
渡辺は主人公の二人を最後は心中の形で終わらせたが、よく読んでいくと、死の影は結構早くから二人に忍び込んでいることがわかる。
上下巻にわかれた文庫本でも、上巻の終り近く、三十八歳になったばかりの凛子が「ここまで生きたらいいの、これ以上はいらないの」と呟く場面がある。
この時点で作者である渡辺がこの長い物語の終りをどこまで意識していたかわからないが、少なくとも渡辺にとって男女の性愛と死とはそんなに離れていない地平にあるものだったのではないかと思える。
この作品は流行作品だったが、それから25年以上経って、今読んでもけっして古びていない男女の名作だろう。
(2021/01/28 投稿)

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01/27/2021 失楽園・上(渡辺 淳一):書評「時代と寝た小説」

男女小説で名を馳せた
渡辺淳一さんが亡くなったのは
2014年ですから
もう8年近くなります。
結構何作も読いましたが
それも20年以上前のことです。
今回久しぶりに『失楽園』を読もうと思ったのは
読んだのは40代のはじめですが
あれはどんな小説だったか
ちょっと再訪してみたくなりました。
上下2冊を読み終わって
思った以上に
良かった。
そして、なんだか隣で
40代の自分も夢中になって読んでいるように思いました。
明日は下巻の紹介です。
じゃあ、読もう。

「著作物が広く世にもてはやされて盛んに売れること」を意味する「洛陽の紙価を高める」という言葉を知ったのは、この作品がきっかけだったように思う。
1995年9月1日から翌1996年10月9日まで「日本経済新聞」の朝刊に連載されたこの新聞小説にどれだけのビジネスマンが夢中になったことか、そして連載終了後半年足らずで単行本化され、当然のようにベストセラーになった。さらには映画化、ドラマ化と、まさに世の中は「失楽園」ブームで沸き立った。
作者である渡辺淳一はこれより先より「男女小説」ともいわれる男女の性愛を描いた作品を次々と著していたが、この作品はその頂点とも評されるほどであった。
官能小説以上に男女の性愛の描写に彩られたこの小説に、あの頃の男たちは夢中になったのだろう。
まるで朝から欲情しているかのように、主人公である久木と人妻凛子の逢瀬の様をむさぼり読んでいた。
新聞連載が始まった1995年(平成7年)といえば、1月に阪神淡路大震災があり、3月には地下鉄サリン事件が起こった年である。まさに世紀末的な世相であった。
さらには1ドル79円余りという戦後最高値をつけたのもこの年。
金融機関の不良債権が問題化して、1997年には大手銀行や証券会社が倒産に追い込まれていく。
つまり、多くのビジネスマンが不安の中にいた、そんな時代であった。
そういう点では、この小説は「時代と寝た」作品だったといえるだろう。
(2021/01/27 投稿)

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01/26/2021 ダイエーの経営再建プロセス(高橋 義昭/森山 一郎):書評「王様の耳はロバの耳、かも」

長引くコロナ禍で
倒産する会社も増えてきました。
ボーナスカット、希望退職募集、店舗閉鎖といった
かつて不良債権問題で
日本経済が大きく疲弊していた頃に
戻ったような感じさえします。
かつて小売業日本一を誇った
ダイエーも
なんと多くのこれらのことを繰り返したことか。
再建途上の新体制になっても
ボーナスカット、店舗閉鎖が続き、
優秀な若い人たちがどれだけ辞めていったことでしょう。
今日は
『ダイエーの経営再建プロセス』という本を
紹介します。
今、苦境に立っている企業で働く皆さんの
もしかしたら有効な一冊になるかもしれません。
執筆しているのは
かつてダイエーで働いていた
高橋義昭さんと森山一郎さん。
じゃあ、読もう。

スーパーとしての「ダイエー」の店舗は今でもあるから、利用されている人にとっては馴染みの店であるだろうが、かつては小売業日本一を誇った時代の寵児であったと聞けば、驚く人もいるかもしれない。
スーパーマーケットの代名詞が今や「イオン」や「ヨーカ堂」にとって代わられる以前、それは「ダイエー」であったし、「ダイエー」もまた多くの消費者や社会の要求に応えるべくその先頭を走っていたことは間違いない。
現在の大手小売業よりも格段に時代を牽引していたといえる。
本書は、そんな「ダイエー」が売上不振に陥り、多額の債務を抱え、経営再建の苦しい舵取りを迫られるようになった1998年から2013年に「イオン」傘下に入るまでの、長い16年の歩みを、当時「ダイエー」の経営の中枢にいた著者たちがまとめた経営書である。
もちろん歴史に「もしも」はない。それは、経営であっても同じだし、「ダイエー」の場合もあの時ああしていれば、はない。
しかし、何故「ダイエー」の経営再建が長きにわたったのか、しかも結局は「再建」にすら至らなかったと知ることは、歴史上の「知恵」となるはずだ。
特に本書の「終章」でまとめられた4項目は重要だ。
その内の「外部の目を活用すること」は自主再建段階時から行うことなど、「ダイエー」の再建はままならなかった実情から立った視点で、今後経営不振に陥った企業が再建を目指すに際しては有効になるだろう。
何よりも、人の話を聞く耳を持つことではないだろうか。
(2021/01/26 投稿)

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01/25/2021 新しい菜園計画 ー わたしの菜園日記

さいわい私のところでは
雪は降りませんでしたが
冷たい冬の雨でした。
面白し雪にやならん冬の雨 松尾 芭蕉

寒起こしをしたり
追肥をしたりするぐらいで
ほとんどありません。
下の写真は
タマネギに追肥をするところ。

苗と苗の間に追肥をします。
スコップにはいっているのが鶏ふん。
今のうちに追肥をして
土に染みこませます。

新しい年の菜園計画。
出たばかりのNHKテキスト「やさいの時間」2・3月号でも
そのことを書かれています。
本によれば
① 育てたい野菜をピックアップ
② 同じ科ごとにグループ分け
③ 連作障害を避ける
④ 草丈や株張りに注意
⑤ 秋以降のプランもイメージ
とあります。
特に③の連作障害に気をつける必要があります。
つまり、去年キュウリを育てた畝には続けてキュウリを育てない。
できたらウリ科の野菜も避ける。
となれば、別の科の野菜を探さないといけません。
野菜の科を知っておくのも
大事だとわかります。

こういった菜園計画も組んでくれますから
助かります。
この春からの予定はこんな感じ。

一部選択の野菜があります。
赤マルをしたのが、私が選んだ野菜。
今年の目玉はなんといっても白ナス。
こうして菜園計画を考えていると
うまく育つだろうかとか
どんな花が咲くのだろうかとか
案外この時期の野菜づくりも
楽しいものです。

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まだ大寒を過ぎたばかりで
ちょうど今が寒さの底でしょうか。
今日はそんな冬の日にぴったりの
絵本を見つけました。
安東みきえさん文、
吉田尚令さん絵の
『ふゆのはなさいた』です。
書評にも書きましたが
なんといっても
吉田尚令さんの絵がとても素敵です。
まさに絵本の花咲いた、っていう感じ。
こういう暖かい絵本を
部屋を暖かくして
温かいココアなんか飲みながら読むと
冬っていいもんだと
思いますよ、きっと。
じゃあ、読もう。

「冬枯(ふゆがれ)」は、俳句の冬の季語。「冬が深まり木や草が枯れはて、野山が枯一色となって蕭条たる光景」と『歳時記』にあります。
「鳥うせて烟のごとく木の枯るる」(富澤赤黄男)のように、植物だけでなく動物たちの姿も消えるさまを詠んだ句もあれば、そんな中にも命の営みを詠んだ「枯れきつて育む命ありにけり」(西宮舞)といった句もあります。
安東みきえさんのこの絵本は、まさにこの二つの句が合わさったような作品です。
冬枯れだからこそ、見事に咲く花(どんな花でしょうか)を堪能できる、そんな絵本です。
登場するのは、初めての冬を迎えたこねずみです。
池のそばで泣いています。と、池から顔を出したのは一匹の金魚。
「なくのはきらい」と、こねずみに声をかけます。
こねずみは金魚に泣いている訳を話します。
せっかく友だちになったつばめやヤマネが冬になっていなくなって「ひとりぼっち」になったと泣いていたのです。
そして、「花も咲いていないから」とまた泣くのです。
金魚は自分が友だちになると約束します。
金魚もまた最近この池に捨てられて、仲間たちとなかなかなじめなかったのです。
次の朝、雪が降りました。
白い花のような雪を見て、こねずみは大喜び。さっそく友だちになった池の金魚に会いにいきますが、池は一面凍っていて、金魚 に会えません。
池の中からこねずみのことを見ていた金魚も焦ります。
その時です。池の中でひとりぼっちだと思っていた金魚の仲間たちが集まってきます。
吉田尚令さんの見事な絵に、きっとあなたも心打たれるでしょう。
(2021/01/24 投稿)

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01/23/2021 歌集 滑走路(萩原 慎一郎):書評「空を飛ぶための翼」

昨年(2020年)の11月23日の
朝日新聞「天声人語」で
今日紹介する
『歌集 滑走路』のことが取り上げられていました。
私はその歌人である
萩原慎一郎さんのことも
彼が「非正規歌人」と呼ばれていたことも
歌集のことも
それが映画になったことも
知りませんでした。
萩原慎一郎さんは「非正規」だけでなく
「いじめ」という過酷な体験もしています。
歌に救いを求めたけれど
結局は救われませんでした。
「非正規」がなくなればいい。
「いじめ」がなくなればいい。
この歌集には深い意味があります。
じゃあ、読もう。

人は何にでもわかりやすいように名前をつけることがあるが、時に残酷な名前をさもあるようにつけたりする。
「非正規歌人」、そんな風に呼ばれることもあった歌人萩原慎一郎はそのことを喜んだだろうか。
萩原がそう呼ばれるきっかけとなったのが、朝日新聞の歌壇欄で2015年に馬場あき子選で朝日歌壇賞を受賞した「ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる」という歌だろうが、実際その当時の萩原は非正規で働いていたとしても、あえて「非正規歌人」と呼ぶことはないと思う。
萩原が生涯たった一冊編まれた歌集となったこの本に載っている歌は「非正規」の歌ばかりではない。むしろ、青春期のナイーブな心を詠んだものが多い。
萩原が朝日歌壇に最初に取り上げられたのが、2003年のこの歌。
「屑籠(くずかご)に入れられていし鞄(かばん)があればすぐにわかりき僕のものだと」。
この歌でもわかるように、萩原は中高校といじめに合って、長年精神的な疾患に悩まされた。それでも懸命に生きんと、「非正規」として働き、歌を詠んだ。
しかし、最初の歌集の出版を目前にして、自ら命を絶つことになる。わずか32歳だった。
この歌集の中で私が選ぶとすれば、こんな歌だ。
「空を飛ぶための翼になるはずさ ぼくの愛する三十一文字が」
「引き寄せてそして言葉を抱きしめる三十一文字を愛するわれは」
「われを待つひとが未来にいることを願ってともすひとりの部屋を」
これらの歌を読む時、必死で詠もうとした萩原の声が聞こえるようだ。
(2021/01/23 投稿)

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01/22/2021 秋吉久美子調書(秋吉 久美子/樋口 尚文):書評「ミューズ秋吉久美子」

最近家で映画を観る機会が多い。
というのも、
TSUTAYATVとかアマゾンプライムとかを
視聴できるようにしたからで
従来からのCSでの放送も合わせれば
見飽きることがない。
しかも、アマゾンプライムで
秋吉久美子さんのデビュー当時の
「赤ちょうちん」「妹」「バージンブルース」を
視聴できたのは
歓喜としかいいようがない。
中でも「赤ちょうちん」。
秋吉久美子さんの瑞々しいヌードだけでなく
次第に狂っていくヒロインの姿など
しっかりと覚えていたのに
自分でも驚いた。
そんなところに
今日紹介する『秋吉久美子調書』を見つけたのだから
夢中で読みました。
じゃあ、読もう。

女優・秋吉久美子は僕たちのミューズ(女神)だった。
「僕たち」というのは、おそらく秋吉と同世代の人たちで、1974年に立て続けに藤田敏八監督によって撮られた「赤ちょうちん」「妹」「バージンブルース」という青春三部作をリアルに観た世代といっていい。
1954年生まれの秋吉はこの時二十歳。そして、同世代の観客もまた二十歳前後の若者だったことは間違いない。
多くの若者たちは、この時、スクリーンの中の秋吉に自分を投影していたに違いない。男であれ、女であれ、秋吉は自分(たち)
「調書」と名付けられたこの本は、映画評論家樋口尚文氏による秋吉へのロング・インタビューと樋口氏による「秋吉久美子論」、そして出演作データベースの三部構成でできている。
樋口氏は1962年生まれだから、秋吉の青春三部作が封切られた時はまだ12歳の少年だが、この三部作はのちの映画青年たちに愛され続けたから、樋口氏にとっても忘れ難い作品だったのだろう。
樋口氏の映画愛が徹底されているのがロング・インタビューだ。
デビューまでのエピソードはあるが、デビューしてから時に世間を騒がした、例えば秋吉が妊娠した時の「できれば(子どもは)卵で生みたいわ」みたいな迷言などは除かれ、演技や監督など映画に徹しているのが清々しい。
樋口氏は「秋吉久美子論」の中でこう書いている。
「秋吉は、本人が自覚しているように、時代に選ばれし「時の娘」なのである」と。
秋吉久美子とは僕たちそのものだったのだ。
(2021/01/22 投稿)

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01/21/2021 表紙はうたう 完全版(和田 誠):書評「都会のメルヘン「完全版」」

以前読んだ本を再読して、
新しく書評を書いたら「再読書評」、
以前書いた書評をそのまま載せたら「再録書評」と
自分で決めているのですが
今日紹介する
和田誠さんの『表紙はうたう 完全版』の場合
どうなるのだろう。
というのも、もとになる本は2008年に出て
その時に書評を書いているのだが
今回はその後の作品も載っている「完全版」なので
新たに書いてもよかったのですが
前回書いた文章が結構気合も入っていたので
そのまま使うことにしました。
そのおまけとして
前段に今回の本のことを少々。
つまり、書評も「完全版」ということで。
じゃあ、読もう。

この本のことには説明がいる。
何故タイトルに「完全版」とついているかである。
実はこの本はもともと2008年に同じタイトルで刊行されていた。もちろんその当時は和田誠さんもお元気で、本の刊行後「週刊文春」の表紙を描き続けた。
和田さんが亡くなったのは2019年10月だが、「週刊文春」での新しい作品は2017年だったようで、今回の「完全版」では2008年以降の作品も収録されることになった。
ちなみに「週刊文春」では今でも和田さんの絵を表紙として使っている。
「完全版」に収められている和田さんによる解説文も2008年当時のままだいうので、今回2009年3月29日に書いた書評を下に載せた。
* * * * *
豪奢な一冊である。
縦30センチ、横22センチ、幅2センチ。手に持つとずっしりと重い。キッチンスケールで計ると、重さは1330グラム。すごい器に盛られた極上の一品だ。
本書は、和田誠による週刊誌「週刊文春」の表紙画を集めた画集である。
収録されている点数は、1558点。何しろ和田が同誌に表紙画を描き始めた1977年5月12日号から2008年9月25日号までの、31年間すべての作品が収められているのだから、これはもういうことはない。ただひたすら読むしかない。
もちろん、これだけの内容であるから、値段もそれなりにお高い。9,950円也。つい値段の話など書くのは書評子の品格が賤しいからと、お許し願いたい。
この値段であっても、たまには珠玉の贅沢な時間を過ごすのもいい。
三ツ星の高級レストランで食事をしたことを思えば、あちらは所詮雲古となって雲散霧消の世界だが、こちらはいつでも、何度でも王様になれる一品である。
少年漫画週刊誌「少年マガジン」「少年サンデー」が今年創刊50周年を迎えるのは大々的なキャンペーンで知っていたが、「週刊文春」もこの春創刊50周年を迎える。これらの週刊誌が誕生したのはいずれも昭和34年(1959年)で、当時「週刊誌ブーム」と呼ばれていた。同じ年には「週刊現代」「朝日ジャーナル」も創刊されている。
「週刊朝日」や「サンデー毎日」といった新聞社系の週刊誌の創刊はこれよりかなり以前昭和初期まで遡るが、出版社系として「週刊新潮」が昭和31年に創刊されている。
昭和34年に「週刊誌ブーム」が起こった理由として考えられるのは、「皇太子成婚式」がその年の4月に行われたことと関係しているのだろう。女性週刊誌もすでにほぼ出揃っていた。
そして、時代が「岩戸景気」といわれる成長期で、庶民が雑多な情報を欲していたといえる。
和田誠が「週刊文春」の表紙画を描き始めた昭和52年(1977年)頃は、当時の「週刊文春」の編集長であった田中健五によれば「週刊誌全体の部数が落ち気味だったし、女優さんの写真を使った表紙が多くて、どれも似てました」(「本の話」11月号所載)という状況だった。
もちろんそれ以前にも「週刊新潮」の谷内六郎の表紙画があるように、どの誌も女優さんばかりではなかったが、この時の「週刊文春」の変更は斬新であり、似顔絵だけではない和田誠の本来の巧さが目をひいた。
和田は本書の「話は31年前にさかのぼる」という文章の中で、描き始めた頃のテーマを「都会のメルヘン」だったと書いている。それに、それぞれの絵のタイトルとして曲の題名を配して、毎号「表紙はうたう」というおしゃれな短文がつく。
こうして、一冊の画集となって見てみると、そのセンスのよさに圧倒される。
都会という魑魅魍魎の世界にもメルヘンが存在するのである。
もう気分はセレブである。
(2021/01/21 投稿)

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今日は二十四節気のひとつ、
大寒。
字の如く、一年で一番寒い頃。
大寒の一戸もかくれなき故郷 飯田 龍太
次の節気は立春ですから
そうはいっても春遠からずです。
そこで、というほどでもないですが
今日は
アガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』という作品を
紹介します。
今年最初のアガサ・クリスティー本です。
今年もアガサ・クリスティーの作品を
少なくとも毎月1冊は読もうと思います。
専用カエゴリーも作りました。
さて、今回の作品は
書評にも書きましたが
いつものの霜月蒼さんの
『アガサ・クリスティー完全攻略』では
★★★★★の最高評価を得ている作品です。
ただ、私はもうひとつしっくりきませんでしたが。
じゃあ、読もう。

アガサ・クリスティーといえば、名探偵ポアロとミス・マープルの2人の名前がすぐさま出てくるほど、2人が活躍するミステリーは有名だし、何より面白い。
しかし、それ以外にこの2人が登場しない「ノンシリーズ」がある。
例えば、『そして誰もいなくなった』もそのうちの一作。
さらに、「ノンシリーズ」の中に、アガサがその名前でなく、「メアリ・ウェストマコット」という名前で発表した何作かがある。それらは特に「女性向けロマンス」とも呼ばれたそうで、この作品もそのうちのひとつである。
しかも、この作品は世評が高く、『アガサ・クリスティー完全攻略』という著作のある霜月蒼氏によれば「未読のひとは即座に読むべし」というほどである。
実はこの長編はほとんど同じ場所での同じ人物の回想で進められていく。
主人公のジョーンはバクダッドに住む下の娘が体調を壊して見舞いに出掛けた帰りの途上、悪天候のせいで列車に乗り遅れ、砂漠の中の寂れた宿に一人取り残されてしまう。
テレビもない、手元の本も読んでしまった彼女は炎天下の砂漠に散歩に出るしかない。
そんな彼女の頭をよぎるのは、今まで過ごしてきた夫とのこと、息子と二人の娘との確執、さらにさかのぼって女学生の時の思い出。
つまり、することのない彼女は人生で初めてといえる、自分自身と面と向かい合うことになる。
そして、気づくのだ。自分が正しいと思っていたことが誤りだったと。
しかし、最後に彼女がとった行動というと…、女性の読者なら彼女の気持ちをわかるのだろうか。
女性は愚かなのか、それとも賢いのだろうか。
(2021/01/20 投稿)

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01/19/2021 追悼・安野光雅さん ー 絵のある自伝(安野 光雅):再録書評「神話のような世界」

画家で絵本作家でもあった
安野光雅さんが
昨年(2020年)12月24日に亡くなっていたことが
先日の16日に報じられました。
享年94歳。
安野光雅さんは
司馬遼太郎さんの『街道をゆく』の挿絵といった大人向けのものから
『旅の絵本』シリーズなどの子ども向けまで
幅広い活動をされていました。
絵を通じて
美智子上皇后と交流があったことも
知られています。
私も安野光雅さんの本はいくつも読んでいて
今日はその中から追悼の気持ちで
2014年6月に読んだ
『絵のある自伝』を
再録書評で載せます。
安野光雅さん
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。

司馬遼太郎さんの『街道をゆく』の挿絵を担当した画家は3人いる。
連載開始時の1971年から亡くなる1990年まで描き続けた須田剋太、その後を継いだのは桑野博利だったが、1年後の1991年から安野光雅に代わる。
須田の荒々しいが骨太い絵になじんできたものにとって、精緻にして繊細な安野の画風はいささかもの足りなさを感じていたのが、私個人の、正直な感想だ。
けれど、司馬さんとの相性がよかったのだろう、安野は司馬さんが急逝する1996年までいいコンビを組み続けた。
本書は2011年2月に日本経済新聞の人気コラム「私の履歴書」をベースに加筆されたものだが、その中で「司馬さんと街道をゆく」という章があって、人間司馬遼太郎の魅力と死後安野の譲られた靴のことが書かれているが、「街道をゆく」の挿絵を担当する経緯を、安野は語ることはない。
もちろん「私の履歴書」という名物記事だが、安野の筆は実に自由自在だ。
文章に一貫性がない。気がつけば、まったく異なった世界を歩いている感じになる。
これ安野の本職である絵画の世界でもそうであって、時に安野は自ら楽しみながら「だまし絵」に挑戦している。
そういう癖を安野は持っているのかどうかわからないが、文章でも読むものを混乱させる。それでいて読み難いということはない。
これは安野光雅という画家の個性であり、特性のようなものだろう。
起承転結の文章の在り方だけが正しいわけではない。
読者の心にどう響くかが大切で、安野はそのことを絵画でも文章でも実践しているのではないだろうか。
安野自身による半生記の特長はといえば、個人名が頻繁に出てくることだ。
読者にとって、安野がいかに個人名を出そうが、その彼がどういう人物であったなどわかる訳はない。
安野がそういうことに全く気づかなかったなどとは考えにくい。
「過ぎたことはみんな、神話のような世界だ」と書く安野にとって、名前を与えられた者たちは神話に登場する神々に匹敵するのではないかしらん。
安野がその時々の文章に挿絵をそえる。
それは絵にしかできない表現方法だろう。
画家として、文章だけでなく絵でもその時代時代を表現できる安野光雅さんはさすがという他ない。 ○○本文
(2014/06/26 投稿)

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01/18/2021 ざんねんなロマネスコ ー わたしの菜園日記

ちょっと心配でした先週でしたが
結局雪は降らず
ほとんど雨らしきものもない
乾燥した日が続いています。
俳句の季語には「水涸(か)れる」という
冬の季語があります。
水涸れて昼月にある浮力かな 大峯 あきら
畑にいって少し作業もすれば
土埃が舞います。

最後の聖護院ダイコンを収穫しました。

これで
秋冬野菜はおしまいです。
あ、まだありました。
今年初めて栽培している
ロマネスコ。
ただ残念なことに
まだこんな状態。
_convert_20210116141233.jpg)
先週収穫した小さなキャベツと同じ畝で
栽培していて
きっとこの畝の土があまりよくなかったのだと思います。
ちょっと残念ですが
さすがに期待薄。

こちらは紫エンドウ。

茎のあたりが少し紫っぽく見えるのですが
それがこの品種の特長なのか
よくわかりません。


イチゴの葉の色が変わっているのは
寒さからで
これは品種ではありません。
そばにあるとがった葉はニンニクです。

ナバナ。

でも、今はただむしゃむしゃ育っているだけ。
この日は
春のような陽気でしたが
まだまだ寒さはこれからが本番。
春野菜の収穫まで
まだもう少し時間がかかります。

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01/17/2021 100万回生きたねこ(佐野 洋子):再読書評「愛するものをさがして何度でも」

今日1月17日は
阪神淡路大震災があった日。
1995年のことですから
もう26年になります。
あの時は大阪の豊中に住んでいたので
記憶は鮮明に残っています。
電車がとまった道を
歩いて会社まで向かいました。
その時にはほとんどまだ情報がなく
会社に着いてから
大変なことが起こっていることを知らされました。
40歳の時でした。
今日は
佐野洋子さんの『100万回生きたねこ』を
紹介します。
この絵本は佐野洋子さんが亡くなった
2010年11月にも紹介しています。
今回は再読、
新しい書評を書きました。
じゃあ、読もう。

「ゆるやかに崩壊していった家庭を営みながら」と後年エッセイで綴った佐野洋子さんは、自身の代名詞ともなったこの絵本をわずか15分で書き上げたという。
そうして出来上がった絵本は1977年に刊行、その3年後の80年に最初の夫と離婚することになる。
そして、この絵本はロングセラーとなり、刊行から半世紀近く経った今も読み継がれている。
佐野さんはどうしてこの作品を書いたのでしょうか。
100万回も生き死にを繰り返したねこが最後には「けっして」生き返らなくなる。それは、愛する妻を失ったからです。
佐野さんにとって、壊れていく家庭はまだ生き返ることのあるものだった、ここでは死ねないという思いだったのかもしれません。
この絵本が多くの人に愛されているのは、多くの人にとって、今はまだ100万回の生き死にの途中だからです。
まだ本当に愛するものに出会っていない、そんな思いと、もしかしたら亡くなった人もこのねこと同じように生き死にを繰り返して自分のところにやってくるのではないかという、そんな思い。
だからこそ、この本は何度読んでもいろんな表情をして読者を受け入れてくれるような気がします。
そして、佐野洋子という絵本作家もまたこの絵本を通じて生き続けるのです。
(2021/01/17 投稿)

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01/16/2021 散り椿(葉室 麟):再録書評「こんな男になりたいものだ」

正月に時代劇。
自分もやっぱり日本人かと
そんな時思います。
そこで観たのが
木村大作監督の『散り椿』。
2018年の秋に公開されました。
公開時には映画館でも観ました。
今回はCS放送で。
主人公の瓜生新兵衛を岡田准一さんが演じています。
原作は葉室麟さん。
映画を観たあとで葉室麟さんの原作も読みたくなって
今回再読しました。
原作にある重要な役どころ、
悪人家老よりもさらに黒幕の藩主の兄が
映画では描かれていないのは
ストーリーをシンプルにすることで
映画的感動を高める狙いが
あったのでしょう。
2015年1月31日に書評を書いています。
今回新しく書こうかとも思ったのですが
その時の方がうまく書けてそうなので
再録書評として載せます。
じゃあ、読もう。

正岡子規門下の双璧といえば、高浜虚子と河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)である。
子規の没後、二人の運命は違ったものになったが、碧梧桐の「赤い椿白い椿と落ちにけり」は今でもなお名句として語られることが多い。
椿の花は花ごとぽとりと落ちることで知られている。この俳句にはそういう気分も詠まれているような感じがする。
それもまた風情だろうが、武士は首が落ちるようだと忌み嫌ったという。
その一方で、この作品のタイトルとなっている「散り椿」は花びらが一片一片散っていくそうだ。
「もう一度、故郷の散り椿が見てみたい」という妻は病床にいる。
願いは叶いそうにない。
そんな妻が夫に願ったもうひとつのこと。
夫は問う。「そなたの頼みを果たせたら、褒めてくれるか」。
妻が答える。「お褒めいたしますとも」。
夫の名は瓜生新兵衛。かつて藩の不正を正そうとしながらも策略にはまり藩を追われる。
妻の名は篠。かつて好きな男と縁組目前で破断となり、その後新兵衛の元に嫁ぎ、夫とともに藩を出た。そして、短い生涯を閉じる。
そんな妻の願いを叶えるべく、かつて追われた扇野藩に戻った新兵衛を待ち構えていたのは、以前よりも深刻化した藩の派閥争いであった。
新兵衛が頼ったのは、篠の妹里美の屋敷。
里美の夫はかつて新兵衛とともに藩の道場で四天王と呼ばれていた武士だが、何事かの策略により自害し果てていた。
その遺児藤吾がこの長い物語の語り部のように、さまざまな事件に関わっていく。
篠が願ったものは何か。
藩の派閥争いの決着は。
物語の進行とともにたくさんの人物が亡くなっていくが、まさにそれは散り椿の、散りざまの姿に似ている。
何よりも主人公の新兵衛の造形が、いかにも葉室麟らしい。
「生きてきた澱を身にまとい、複雑なものを抱えた中年の男」新兵衛であるが、亡き妻を今なお愛し、若い頃の仲間たちと共に生きようとする姿は、美しい。
若い藤吾が次第に新兵衛に魅かれていくのもわかる気がする。
そういう主人公の一途さは葉室麟の得意とするところだし、葉室作品の人気の根源でもある。
この作品でも、それがよく生かされている。
(2015/01/31 投稿)

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01/15/2021 諸君! この人生、大変なんだ(山口 瞳):再読書評「還暦過ぎても、この人生、大変なんだ」

今週「成人の日」があって
なんだか山口瞳さんの「成人の日」のメッセージが
無性に読みたくなって
本箱を漁って
昔読んだ文庫本を見つけました。
なので、
今日紹介する山口瞳さんの
『諸君! この人生、大変なんだ』は
再読です。
でも、書評は新たに書きました。
このブログでは2010年4月1日に
この文庫を紹介していて
その時の書評は新入社員向けに書いていました。
人生は短い。あっというまに過ぎてゆく。
しかし、いま目の前にいる電車にどうしても乗らなければならないというほどに
短くはない。
これは山口瞳さんがある先生に言われた言葉です。
こういう教えをきちっと守れる人に
なりたいものです。
じゃあ、読もう。

昭和生まれの人間にとって、「成人の日」はやっぱり1月15日なんですよね。
朝の新聞に載っているサントリーの広告(ここに載っていた山口瞳さんの文章にどれだけ勇気づけられたことか)、昼過ぎにはNHKの「青年の主張コンクール」を見て(明るい農村のような雰囲気がよかった)、自分も早く大人になりたいものかと思ったものです。
この文庫には、あの日勇気と励ましをくれた、山口瞳さんの「成人の日」のメッセージだけでなく、「新入社員諸君!」と呼びかけた4月1日の就職したての若者へのメッセージ(これもサントリーの広告ですが)と、山口さんが週刊誌に長年連載してきた「男性自身」から、「酒」や「サラリーマン」や「就職」、それと自身についてのエッセイの選りすぐれが収められています。
山口さんが二十歳の若者に「人生仮免許」というメッセージを書いたのが1978年1月15日。山口さんは1926年生まれでしたから、この時まだ50歳を少し超えたところ。
やっぱり山口さんのような「戦中派」の世代の人は、芯がしっかりしていたのでしょうか、言うことがしっかりしています。
いま、こんなことをいえる大人の人は少ないのではないでしょうか。(私自身をふくめて)
だから、この文庫に収められた文章のほとんどは、ちっとも古びていません。
今でも、十分に役立つ。
それは二十歳であろうが還暦を超えて人であろうと同じです。
だって、いくつになっても「この人生、大変」なんですから。
(2021/01/15 投稿)

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01/14/2021 追悼・半藤一利さん ー 橋をつくる人(半藤 一利):再録書評「奮闘努力せよ」

「歴史探偵」を自認し
多くの歴史本を書いた作家半藤一利さんが
12日90歳で亡くなった。
昨年頂いた喪中のハガキで多かったのは
やはり90歳を超えて人の訃報で
89歳でまだ「やる気まんまん」と書いた
半藤一利さんでもだめだった。
半藤一利さんといえば
私にとっては
歴史本を書いた人というより
奥さんが夏目漱石の孫だった関係で書かれた
『漱石先生ぞな、もし』シリーズの方が
馴染み深い。
今日は追悼の意を込めて
2019年8月に書いた
『半藤一利 橋をつくる人(のこす言葉)』を
再録書評で紹介します。
ご冥福をお祈りします。

日本の八月は鎮魂の月だ。
祖先の霊を弔う盆があるだけでなく、先の戦争が終わった終戦記念日、広島長崎の原爆忌と逝ってしまった人たちのことを想うことが多い。
その月に毎朝「戦陣に死し職域に殉じ、非命に斃れたる者、およびその遺族に思いを致せば、五内ために裂く」という終戦の詔勅の一節を唱えるという人がいる。
もう30年来続けているというその人が、昭和史の著作を多く手掛けている半藤一利氏だ。
「人生の先輩が切実な言葉で伝える語り下ろし自伝シリーズ」の平凡社「のこす言葉」の、これは半藤一利氏の巻。
半藤氏は1930年生まれで、今年89歳になる。
この本の巻末に付けられた「略歴」に、その89歳に書かれているのが「まだやる気まんまん。」だから、面白い。
語り下ろしの口調も江戸っ子の、落語噺を聞かされているようで、小気味いい。
でも、半藤氏はかの大出版社文藝春秋の専務にまでなった人だから、本当はとってもエライ。エライのだけど、そんな風でないのがいい。
だいいち、文藝春秋への入社だってどこか運のようなところがある。
そんな人が昭和史にはまっていくのも、文藝春秋での編集者としての関わりからだそうだから、人生、どこでどうなるかわからない。
もっとも編集者として昭和という時代に向き合う以前に、半藤氏は東京大空襲で多くの死者と向き合う経験をしている。
そんな氏だからこその言葉、「平和を保持するために、奮闘努力すべし」は重く、響く。
(2019/08/01 投稿)

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01/13/2021 玉電松原物語(坪内 祐三):書評「タイムカプセルを開けた人」

もう一年になるんですね。
作家の坪内祐三さんが61歳という若さで急逝したのが
ちょうど一年前の今日、
1月13日でした。
坪内祐三さんの全作品を追いかけることは
ありませんでしたが
坪内祐三さんが昭和33年生まれということもあって
同時代の作家として
興味をもって読んでいました。
そして、その極めつけが
遺作となったこの『玉電松原物語』かもしれません。
この本のページの端々に
駆けまわる坪内祐三少年がいるし、
私もいる。
そんな気分にさせてくれる本です。
じゃあ、読もう。

書くことを生業としている人にとって、書くということは自分の中にある思いの発露とともにそれを読んでくれる「読者」という存在は意識するものだろう。
企業の多くが「お客様第一主義」を唱えると同じようにである。
しかし、もしかしたらその「読者」は書く人本人だとしたら、書く人もそうだが、それを読む本人もまたなんと幸福なことだろう。
2020年1月13日に急逝した坪内祐三さんの遺作となった、そして未完で終わったこの作品を読みながら、そんなことを思った。
書いた坪内さんも、読んだ坪内さんも、幸福な時間をともに過ごしたのではないだろうか。
巻末にある吉田篤弘氏の寄稿の中にもこうある、「おそらく坪内さんも、忘れつつあったものと、この本を書くことでひとつひとつ再会していたのではないか」と。
坪内祐三さんは昭和33年(1958年)東京に生まれた。
この自伝風エッセイの舞台となった世田谷赤堤で育った。
最寄りの駅が東急玉川線、通称玉電の松原駅。つまり、これは坪内さんの幼少期から青春期の物語なのだ。
同時に、その頃の時間を共にした同世代の人たちの物語でもある。
当時黄緑色で箱に入っていた「旺文社文庫」のことやお米屋さんでしか買えなかった「プラッシー」というジュースのことなど、懐かしさで胸がこみ上げてくる。
坪内さんはそんなタイムカプセルで開けてどんな思いであったのだろう。
まだまだこれからだよ、とも思ったかもしれない。
あるいは、町への深い感謝だったかもしれない。
(2021/01/13 投稿)

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01/12/2021 アンソーシャルディスタンス(金原 ひとみ):書評「今、読むべきひとつの作品」

2回めの緊急事態宣言が出た先週末、
一気に読んだのが
文芸誌「新潮」6月号に掲載された
金原(かねはら)ひとみさんの
『アンソーシャルディスタンス』。
まだ単行本では出ていません。
この作品に関連して
金原ひとみさんは1月5日の朝日新聞に
「恋人との関係性問う試験紙」という論考を
寄稿しています。
より親密になった人もいれば、別れた人もいる。
コロナは「この恋愛は本当に大切なものなのか」を問う
リトマス試験紙のような役割も果たしているように思います。
と、あります。
こういう良質な作品が早く単行本化され
本屋さんに並べばいいのですが。
じゃあ、読もう。

新型コロナウイルスの感染拡大によって、今まで耳にしなかった言葉を知ることが多くあります。
その一つが「ソーシャルディスタンス」。「3密」を避けるためによく言われる言葉です。
日本語では「社会的距離」となるそうですが、感染拡大を防ぐために、社会的距離の確保、人的接触距離の確保として、この言葉が言われ始めました。
金原ひとみさんが文芸誌「新潮」6月号に発表した短篇には、この言葉の前に「アン」がついています。つまり、否定を表わす「UN」。
この作品はコロナ禍で過敏になっていく社会に対して「ソーシャルディスタンス」ではない生き方を選ぼうとする若者が描かれています。
主人公の幸希はコロナ禍で社会に激震が走った2020年3月大学を卒業する青年です。決まった就職先からの情報も少なく、恋人である沙南の妊娠が判明し中絶するしかなく、せっかく当たったプラチナライブもコロナの影響で中止になります。
母親はコロナを恐れ、うがいは? 手洗いは?としつこく迫ります。
そんな幸希の心を受け止めてくれるのが、コロナ禍で就活もままならない大学3年の沙南です。
幸希の母親に象徴される「ソーシャルディスタンス」の生き方を否定するかのように、身を重ね合う2人。
沙南は「コロナは世間に似ている」と思う。「人の気持ちなんてお構いなしで、自分の目的のために強大な力で圧倒する」のだと。
幸希と沙南は、そんな社会から逃げるように旅に出る。
この二人を私たちは否定できるのだろうか。
コロナ禍が生んだ、良質の問題作の一つだろう。
(2021/01/12 投稿)

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01/11/2021 さっそく今年の初収穫 ー わたしの菜園日記

といっても
コロナ禍で緊急事態宣言が発出された地域では
成人式を中止するところも出ていて
例年とは違う光景になりました。
成人の日の献血の列にをり 山口 素基
この句のような
献血の列も今はなく
コロナ禍はさまざまなところに
影響が出てきています。
まずは一刻も早い収束を祈るばかりです。

日本海側では大雪になっています。
関東では冬晴れで
そんな金曜の日
今年初めて畑に行ってきました。

俳句には「鍬始(くわはじめ)」という季語もあります。
鍬初めに出てゐるたつた一人かな 阿波野 青畝
この句のように
「たつた一人」ではなかったですが
今はほとんど作業もないので
畑に来ている人も数人でした。

キャベツの苗を2つ植えました。
1つは大きくなりましたが
もう1つはうまく成長しませんでした。
さすがにこれ以上は無理なので
収穫しました。
娘が子どもの頃に絵付けした赤ベコと比べても
小さいちいさい。



色々苦労しましたが
なんとかいくつか収穫できました。

三浦ダイコン。

もっと土の豊かなところであれば
長く成長したかもしれません。
少し学習しました。
同じダイコンでも
こちらはベランダで栽培した
ミニダイコン。

少し紫っぽい色がついたものは
「あやめっ娘」という名前がついています。


これから春に向けて
たくさん採れるといいなぁ。

大きくなっています。

ホウレンソウの周りには
シュンギクも植えています。
今回は虫に食べられることもなく
期待できるかも。

多くの人が集まる畑のイベントも中止になっていますが
今年もたくさんの野菜たちと
楽しめたらいいと思っています。

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01/10/2021 タヌキのきょうしつ(山下 明生/長谷川 義史):書評「タヌキも読書感想文書くのだろうか」

絵本作家の長谷川義史さんが好きで
長谷川義史さんの名前を見つけると
つい手がでます。
なので、今日紹介する
山下明生さんが文を書いた
『タヌキのきょうしつ』も
どんな作品なのか知らずに
長谷川義史さんが絵を描いているので
手にしました。
それが結構考えさせられる内容で
しかも2020年夏の課題図書の一冊だったのですから
読んでから
驚きました。
子どもたちは
この作品を読んで
どんな読書感想文を書いたのでしょうか。
じゃあ、読もう。

2020年の夏休みの課題図書になった本です。
対象が小学校低学年となっていて、絵を描いているのは長谷川義史さんですが、絵本というより童話の部類になります。
しかも、最初はタヌキのお父さんがタヌキにも勉強が必要だと、夜の教室でひそかに勉強するというようなファンタスティックな内容ですが、この作品の舞台が広島ということもあって、かなり重厚な作品になっていきます。
タヌキたちが学校で勉強している、そんなのどかな時代からそのうち日本は戦争の準備を始めていきます。
タヌキの子どもたちも夜の校庭で行進の練習をしたりします。
そして、戦争。ついには広島に原爆が落とされます。
このページから続く数ページの、長谷川さんの絵はなんともいえない悲しみでいっぱいです。
この絵を見るだけで、十分この本を手にする価値はあります。
広島の悲劇と戦後の復興は小学校の低学年ではまだ難しいかもしれません。
それを作者の山下明生さんは広島市民球場のそばのユニークなおでんやさんとそこに現れるタヌキの子どもたちとのエピソードで、わかりやすく、「平和」ということの尊さを表現しています。
「平和」とは、タヌキの子どもたちも楽しく勉強ができたり遊んだりできることなのかもしれません。
(2021/01/10 投稿)

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01/09/2021 水のように(浪花 千栄子):書評「朝ドラ「おちょやん」見るなら」

現在放送している
NHK朝ドラ「おちょやん」は
始まる前から私の期待度は大でした。
何しろ今回の作品のモデルは
あの浪花千栄子さん。
大阪の人にとって浪花千栄子さんは
とっても親しみのある女優さん。
そして、それを演じるのが
杉咲花さん。
どんなに楽しみにしていたことか。
ただどうもドラマとして
テンポがわるいように感じてしょうがありません。
始まったばかりですが
時々ついていけない回もあったりして。
今日は
浪花千栄子さんの『水のように』を
紹介します。
もちろん、朝ドラ予習として。
じゃあ、読もう。

浪花千栄子という女優が出ている映画なりTVを見た記憶のある人はおそらく昭和30年代生まれぐらいまでだろうか。
もしかしたら、映像の浪花千栄子よりも町の至るところにあったオロナイン軟膏のホーロー看板の彼女の方が知られているかもしれない。(ちなみに、浪花さんがこのCMに出るきっかけになったのは、本名が南口(なんこう)キクノだったとか)
浪花さんは1973年12月、66歳で亡くなっているが、生前の昭和40年(1965年)に自ら苦労の多かった幼少時のことは渋谷天外との離婚後の女優として生きた周辺のことなどを綴った自伝を出版している。
出版のあとドラマ化されたり、増刷したり、そこそこ人気が出たようだ。
しかし、時代が昭和から平成、さらに令和と進み、浪花さんの姿や名前は記憶に底に沈んでいた。
それが、こうして出版社も新たに復刻版として出版されたのは、NHK朝ドラの103作め「おちょやん」が浪花さんがモデルになっているからだ。
ドラマではすでに幼少期のエピソードは終わっているが、実際の浪花さんはドラマ以上に過酷な暮らしを強いられていたようで、豚のエサを食べたことも自伝には書き留められている。
ただこの自伝風エッセイでは渋谷天外との結婚生活のことはほとんど記されていない。
浪花さんにとって、いつまでも塞がらない心の傷だったのかもしれない。
ただそういう経験をあればこそ、あの演技につながったといえなくもない。そんな昭和の女優だ。
(2021/01/09 投稿)

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2020年暮れに
立て続けに音楽関係の人の訃報が続きました。
作曲家の中村泰士さん
作詞家のなかにし礼さん。
なかでも、
なかにし礼さんは直木賞作家でもあったので
その半生を綴った本があるのではないかと
図書館で知らべると
今日紹介する『わが人生に悔いなし』という本を
見つけました。
この本には
2018年10月から12月に読売新聞に掲載した
半生記が載っていて
なかにし礼という人を知るには
わかりやすい一冊です。
人生には谷あり山ありといいますが
なかにし礼さんもまたそんな人生で
最後にたどり着いた思いが
わが人生に悔いなし、だったのだと思います。
ご冥福をお祈りします。
なかにし礼さん
たくさんの素敵な歌
ありがとうございました。

コロナ禍で暗く沈んだ2020年の暮れも押し迫った12月23日、一人の作詞家が亡くなった。
なかにし礼。享年82歳。
なかにしさんは『長崎ぶらぶら節』で第122回直木賞を受賞した作家でもあるが、やはり昭和を代表する作詞家としての功績が大きい。
なかにしさんが作詞をした多くの歌は今でも記憶に残っているが、「北酒場」のように晴れやかな明るい歌がある一方で、名曲「石狩挽歌」のように暗い色彩のものも多い。由紀さおりさんが歌った「手紙」でさえ、その冒頭は「死んでもあなたと暮らしていたいと」となる。
その暗さ、そしてその暗さの先に明かりを求める思考は、なかにしさんが育ってきた世界と関係していたのかもしれないと、2019年6月に刊行された自身の半生を綴ったこの本を読んで思った。
「わが人生に悔いなし」というのはよく言われる言葉だが、これを歌のタイトルとしてなかにしさんは亡くなる直前の石原裕次郎さんに提供している。
流行歌への作詞の道を薦めてくれた石原裕次郎さんへの思いは、この自伝の中でも綴られている。
その歌詞の中に「夢だろうと現実(うつつ)だろうと わが人生に悔いはない」と綴ったなかにしさんもまたそんな思いで旅立たれたのだろうか。
なかにしさんには死を意識したことが人生に三度あったという。
戦後の満州からの逃避行で経験した時、54歳の時の心臓発作、そして晩年のがんとの闘い。
中でも満州からの逃避行は、なかにしさんにとって生涯忘れることのなかった死の恐怖だったのだろう。
そういった体験が、人々の心にとどまる歌詞を生みだしたといえるだろう。
(2021/01/08 投稿)

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01/07/2021 パンダの丸かじり(東海林 さだお):書評「ゆく年ばかりかな」

新型コロナに揺れた2020年でしたが
そのおわり
12月になって
上野のパンダシャンシャンのうれしいニュースが
入ってきました。
本当なら昨年の12月末をもって
中国に返還される予定でしたが
コロナの影響で
返還の時期が今年の5月末まで
延期されたというもの。
パンダ好きの
よい子の皆さん
よかったですね。
パンダ好きの東海林さだおさんも
よろこんでいるでしょうね。
何しろ
「丸かじり」シリーズの43作めは
『パンダの丸かじり』ですもの。
じゃあ、読もう。

「丸かじり」シリーズも43冊めとなれば、さすがの東海林さだおさんもネタが尽きたか、いくらなんでもパンダは丸かじりできないでしょ!?
いや、食のエッセイの達人東海林さんならパンダでも丸かじりしそうだし、街のパン屋さんを覗けばパンダの顔をした菓子パンはきっとあるだろうから、丸かじりできないわけではない。
ところが、なんと冒頭からいきなり「パンダはかわいい。」ときたから、びっくりした。
続けて、「シャンシャンは特にかわいい。」とくるから、これは黒柳徹子さんが東海林さんを騙ったかと思う人もいるだろうが、ついている絵は東海林さんのタッチだし、一体どうなっているのだ!?
その理由はこのエッセイの連載時期と大いに関係がある。
この本には、「週刊朝日」の「あれも食いたいこれも食いたい」の連載分2018年1月から10月分までが収められているが、上野のパンダに待望の赤ちゃんが誕生したのが2017年6月。そのパンダこそ、シャンシャンで、加熱する人気に初お目見えとなったのがその年の12月も半ば。
すなわち、東海林さんは時事ネタとしてパンダを丸かじりしたという訳。
「丸かじり」シリーズは単においしかっただけの食のエッセイではなくて、時事ネタもあったりして社会問題にもしっかり取り組んでいる。
パンダの他にも「いきなり!ステーキ」なんかのエッセイがあったりする。
あ、この頃脚光を浴びてたんだ、なんて、すでに懐古的。
時の過ぎるのが早すぎて、丸かじりするとのどにつかえそう。
(2021/01/07 投稿)

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01/06/2021 おばんでございます(桜木 紫乃):書評「北海道の女は手強いゾ」

桜木紫乃さんが昨年(2020年)に発表した
『家族じまい』の世評は高い。
年度のベスト3に選んだ人がいたりしたり、
第15回中央公論文芸賞を受賞したりしている。
やっぱりいい作品は評価もついてくる。
そんな桜木紫乃さんが
初めてのエッセイ集を出したというので
驚いた。
『おばんでございます』というのが
そのタイトル。
「愛すべき北海道弁として『おばんでございます』が
軽やかに津軽海峡を越えてゆきますように」というのが
刊行に寄せた
桜木紫乃さんの言葉。
北海道人の心意気、
いいなぁ。
じゃあ、読もう。

桜木紫乃さんが『ホテルローヤル』で第149回直木賞を受賞したのが2013年。
その前年には『ラブレス』で注目されてはいたが、実は2002年に『雪虫』という作品でオール讀物新人賞を受賞してからそれまで不遇の時代が続いたそうだ。
書けども書けども雑誌に載らない、当然本にもならない。
現在の活躍から信じられない程だ。
新人賞受賞からようやく手にした直木賞、そしてそれから10年近くなって、ようやく初めてのエッセイ集が出ることになった。
あんなに文章の巧い桜木さんのエッセイ集が今までなかったなんて、そのことにも驚いたし、その出版元が大手の出版社でなく、北海道新聞社というのも、北海道を舞台にしてほとんどの作品を書いてきた桜木さんらしくていい。
何しろ北海道新聞は桜木さんが新人賞を受賞したあとまだ一冊の単行本さえ出ていない時期に、「ブンゴーへの道」というコラム連載を担当させていて、そういう関係が今回の初エッセイに刊行につながったのだろうか。
もちろん本書には「ブンゴーへの道」も収められているし、直木賞受賞後の思いや作家としての心構えのようなもの、あるいは文芸誌に載ったエッセイもあったりして、桜木さんの魅力満載といっていい。
さらには桜木さんがはまっているという「シークレット歌劇団0931」を主宰する愛海夏子さんとの対談まであったりして、結構自由な編集だ。
北海道出身の歌手中島みゆきさんも歌の世界とおしゃべりの世界がまるで真逆だが、桜木紫乃さんにも同じような面がある。
北海道の女は、手強いゾ。
(2021/01/06 投稿)

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01/05/2021 わたしの好きな季語(川上 弘美):書評「季語っていいな、ときっと思います」

2日間詩の本が続いたので
今日は俳句の本。
といっても
書いたのは作家の川上弘美さん。
『わたしの好きな季語』とありますから
季語の本でもあります。
この本のなかに
「去年今年」という季語も紹介されていて
この季語は今年の年賀状に使ったので
今日も
本の不思議なつながりを
感じることになりました。
川上弘美さんの本を
最近読んでいないのですが
嫌いになったのではありません。
ただちょっとしんどいかな。
じゃあ、読もう。

川上弘美さんは芥川賞作家です。
しかも、現在は芥川賞の選考委員でもあります。
そして、『機嫌のいい犬』という句集も出していますから、俳人でもあります。
つまり、この本は俳人川上弘美さんの、それでいて単なる俳句好きの人でもある川上さんの「季語」についてのエッセイなのです。
川上さんが俳句をはじめるきっかけは1994年に第1回パスカル短篇文学賞に応募した頃だそうですから、小説を書いているのとほとんど同じだといえます。
この本では川上さんの好きな季語とともにその季語がはいった俳句が収められています。
なかに川上さんの句も数句収められています。
「はるうれひ乳房はすこしお湯に浮く」、これは川上さんが俳句をつくりはじめた頃、すぐに使いたくなった季語「春愁」がはいっていて、春のぽわんとした気分を感じるいい句だと思います。
この本では「季語」の話に紛れて、川上さんの子供時代の話や大学生の頃のこととか、川上弘美ファンにはうれしい話がたくさんあります。
私がほほっーと思ったのは、「針供養」という季語のエッセイで、その中で川上さんは自身の離婚について書いていて「離婚にあたって、本棚のほかはほとんど何も夫のもとから持ち出さなかった」と綴っています。
ただ唯一この別れた夫の母であった人が使っていた裁縫箱を持って出たといいます。
エッセイでありながら、まるで川上弘美の短篇小説を読んでいるかのような、味わい。
それは「俳味」に近いかもしれません。
(2021/01/05 投稿)

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昨日の谷川俊太郎さんの詩集
『ひとりひとり』に続いて
今日も詩集の紹介です。
しかも、
詩人(?)はあの中島みゆきさん。
『中島みゆき 第二詩集 四十行のひとりごと』という作品です。
たまたま今年の年賀状で
中島みゆきさんの「時代」のことを
詠んだ俳句をつけたので
私からすると
不思議なつながりとなった
読書体験になりました。
それにしても
「時代」っていい曲ですね。
初めてこの曲を聴いてから
もう40年以上なるというのに
いつも胸にぐっときます。
じゃあ、読もう。

1975年11月16日の日本武道館。
この日行われた「第6回世界歌謡祭」で、彼女が歌う「時代」がグランプリとなった。
以来、彼女自身も多くのアルバムに収録し(1993年リリースされたアルバム『時代-Time goes around-』ではグランプリ受賞の際の実況も収められている)、多くの歌手たちがカヴァーしてきた。
彼女が自身の「第二詩集」と位置付けた、18篇の詩を収めた詩集の中で、「時代」が生まれたあたりのことを詠んだ詩がある。
「ぜったいグランプリ」という詩だ。
そこにはこの大会の前に彼女の父が脳出血で倒れたことが綴られている。
その後、彼女たちは父が開業していた医院を閉めることになる。
そういったことが楽曲を作る上でどう影響したのかは知らない。
しかし、少なくとも彼女が歌った初期の歌には「父」を思わせる異性の姿が垣間見える。
グランプリ受賞から半世紀近くなろうとしているが、「時代」はまさに時代を超えて、いつも時代に寄り添ってきたといえる。
そして、彼女にとってもこの「時代」という楽曲がとても重要なものであるか、そのことは2020年に刊行された詩集に収められた詩からも読みとることができる。
彼女、中島みゆきはこの「時代」からなんと多くの詩と歌を私たちに届けてくれたことか。
それはけっして「ひとりごと」にはならなかった。
(2021/01/04 投稿)

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はじめに言葉ありき、というのは
有名は聖書の一節です。
なので、
今年最初の本は詩集から紹介しましょう。
もっとも創作絵本となっていますから
絵本ともとれます。
谷川俊太郎さん詩、
いわさきちひろさん絵の
『ひとりひとり』です。
新しい年、
自分を見つめ直す
そんな契機になるような詩です。
まずは
ここから。
じゃあ、読もう。

2020年11月に刊行されたこの絵本(あるいは詩集)の巻末で、詩を書いた谷川俊太郎さんが、一人っ子だったので「ひとりでいるのはあまり苦に」ならなかったと書いています。
そして、「人との間に距離をとらなければいけない時代になっても、あまり痛痒を感じません」と続きます。
コロナ禍の時代に出された絵本(あるいは詩集)ならではの文章ともいえます。
これは一冊の絵本(あるいは詩集)ですが、載っているのは一篇の詩です。
2006年に刊行された詩集『すき』に収められている詩なので、直接的には今回のコロナ禍とは関係していません。
ただコロナの時代に読むと、詩がくっきりと立ち上がってくる、そんな感じがします。
人は誰もがひとりで生まれ、最後にはひとりで死んでいきます。
そんな「ひとり」と「ひとり」にはさまって、たくさんの関係が生まれていることに、この詩は気づかさせてくれます。
詩に添えられたいわさきちひろさんの絵はまるでこの詩のために描かれたような印象をうけますが、実際にはまるで違った作品の組み合わせでできています。
「ひとりひとり」はちがっても、こうして並べていくと、関係性があるように見えてくるのも不思議です。
絵もまた「ひとり」ではないのかもしれません。
(2021/01/03 投稿)

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01/02/2021 恒例 元日の新聞から ー 2021年 日に新た

何故なら、出版社の気合の入った広告が入るからなのですが
今年出版社の広告よりも
「言葉の力」を感じる広告がありました。
(以下の広告は元日の朝日新聞によります。)
それが、積水ハウスの「おめでとうの言葉から」という広告。

正月早々、声を出して読んでしまいました。

虚言ばかりのトップに
この国が危うい時、
やはり「言葉の力」を大切にしないとならないことを
この広告は教えてくれているように
思います。

どうしてもそれに関係した広告も目立ちます。
下は文藝春秋の広告ですが
菊池寛の書いた「マスク」という掌篇の一節が紹介されています。

電車の中で
マスクをした人が本を読んでいる姿を描いたのは
光文社。

こういう光景が増えたらいいのにという
願いが込められています。


だとしたら、
集英社は「鬼滅の刃」かと思いきや
松井玲奈さんがパソコンに向かう姿で
今日から、進年。

その中のコピーの最後の一節がいい。
私たちはまた、書き進める。
今年という新しい物語を。

想像力が明日をつくる
と、間もなく出版されるジブリの本をドーンと打ち出しています。

イラストは、宮崎駿さんの『風の谷のナウシカ』。
新潮社は『シマホ脳』という新書の宣伝をかねて。

講談社はあまりパッとしなかったなぁ。

今年もどんな本とめぐりあうのか
楽しみになってくる。
わくわく。
どきどき。

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