01/12/2021 アンソーシャルディスタンス(金原 ひとみ):書評「今、読むべきひとつの作品」

2回めの緊急事態宣言が出た先週末、
一気に読んだのが
文芸誌「新潮」6月号に掲載された
金原(かねはら)ひとみさんの
『アンソーシャルディスタンス』。
まだ単行本では出ていません。
この作品に関連して
金原ひとみさんは1月5日の朝日新聞に
「恋人との関係性問う試験紙」という論考を
寄稿しています。
より親密になった人もいれば、別れた人もいる。
コロナは「この恋愛は本当に大切なものなのか」を問う
リトマス試験紙のような役割も果たしているように思います。
と、あります。
こういう良質な作品が早く単行本化され
本屋さんに並べばいいのですが。
じゃあ、読もう。

新型コロナウイルスの感染拡大によって、今まで耳にしなかった言葉を知ることが多くあります。
その一つが「ソーシャルディスタンス」。「3密」を避けるためによく言われる言葉です。
日本語では「社会的距離」となるそうですが、感染拡大を防ぐために、社会的距離の確保、人的接触距離の確保として、この言葉が言われ始めました。
金原ひとみさんが文芸誌「新潮」6月号に発表した短篇には、この言葉の前に「アン」がついています。つまり、否定を表わす「UN」。
この作品はコロナ禍で過敏になっていく社会に対して「ソーシャルディスタンス」ではない生き方を選ぼうとする若者が描かれています。
主人公の幸希はコロナ禍で社会に激震が走った2020年3月大学を卒業する青年です。決まった就職先からの情報も少なく、恋人である沙南の妊娠が判明し中絶するしかなく、せっかく当たったプラチナライブもコロナの影響で中止になります。
母親はコロナを恐れ、うがいは? 手洗いは?としつこく迫ります。
そんな幸希の心を受け止めてくれるのが、コロナ禍で就活もままならない大学3年の沙南です。
幸希の母親に象徴される「ソーシャルディスタンス」の生き方を否定するかのように、身を重ね合う2人。
沙南は「コロナは世間に似ている」と思う。「人の気持ちなんてお構いなしで、自分の目的のために強大な力で圧倒する」のだと。
幸希と沙南は、そんな社会から逃げるように旅に出る。
この二人を私たちは否定できるのだろうか。
コロナ禍が生んだ、良質の問題作の一つだろう。
(2021/01/12 投稿)

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