01/28/2021 失楽園・下(渡辺 淳一):書評「あの時の久木と凛子の愛にまだ誰もたどりつけない」

今日は昨日のつづき。
渡辺淳一さんの『失楽園』の下巻です。
初めてこの作品を日本経済新聞で読んでいた時
私はちょうど40歳でした。
主人公の久木祥一郎が55歳でした。
今、私はそんな久木の年も越えました。
作品では美貌の人妻を愛するようになった久木のことを
周りの人たちは
うまやましがりますが、
なんだかこの年になって
久木のことをうらやましく思うようになりました。
結ばれたままで
死を選ぶという手段に
当時驚いたものです。
破廉恥ともいえますが
崇高ともいえる
そんな結末ではないでしょうか。
じゃあ、読もう。

物語の主人公である久木祥一郎もまた、当時の不安の中にいた多くのビジネスマンと同じだった。五十代半ばで大手出版社の要職から外れ、閑職につく。不安がないわけではない。
そんな時に出会ったのが三十半ばを過ぎた美貌の人妻凛子だった。
久木たちのような恋愛はできないけれど、読者にとって久木は自分たちと同じところにいる男だったことは間違いない。
今回久しぶりにこの作品を読んで思うことは、確かにさまざまなバリエーションの性愛模様が描かれているが、その端々で渡辺淳一の教育的指導のような文章がはさまっていることだ。
おそらくこの作品が映画化やドラマ化された際には、そういった渡辺の男女に関するいろんな教えは除かれただろうから、純粋に恋愛映画あるいは性愛映画になったはずだが、小説『失楽園』は渡辺の男女に関する講座を聴くような感じさえした。
渡辺は主人公の二人を最後は心中の形で終わらせたが、よく読んでいくと、死の影は結構早くから二人に忍び込んでいることがわかる。
上下巻にわかれた文庫本でも、上巻の終り近く、三十八歳になったばかりの凛子が「ここまで生きたらいいの、これ以上はいらないの」と呟く場面がある。
この時点で作者である渡辺がこの長い物語の終りをどこまで意識していたかわからないが、少なくとも渡辺にとって男女の性愛と死とはそんなに離れていない地平にあるものだったのではないかと思える。
この作品は流行作品だったが、それから25年以上経って、今読んでもけっして古びていない男女の名作だろう。
(2021/01/28 投稿)

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