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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日の夕方
  脚本家の橋田壽賀子さんが4日に
  亡くなったという訃報がありました。
  95歳だったそうですから
  天寿を全うされたと思います。
  橋田壽賀子さんといえば
  「おしん」や「渡る世間は鬼ばかり」といった
  テレビドラマの歴史に名を残す作品を
  数多く手がけてきました。
  ある意味、橋田壽賀子さんが
  テレビドラマの姿を変えたといってもいいかもしれません。
  つまり茶の間という生活の場で
  人間のさまざまなドラマを観ることができるようにした
  脚本家だったといえばいいでしょうか。
  今日は
  追悼の意味で
  2020年1月に書いた
  橋田壽賀子さんの「私の履歴書」を本にした
  『人生ムダなことはひとつもなかった』を再録します。

  橋田壽賀子さん、
  たくさんのいいドラマをありがとうございました。

  ご冥福をお祈りします

  

sai.wingpen  追悼・橋田壽賀子さん - 橋田壽賀子という女の一生                   

 この本は、日本経済新聞朝刊の人気コラム「私の履歴書」に2019年5月に連載されたものの単行本化。
 2019年5月といえば元号が令和に改まって最初に迎えた月で、やはり新聞の編集部としてはそれにふさわしい人をと考えたに違いない。
 その点橋田壽賀子さんは昭和58年(1983年)に日本中を熱狂させたNHK朝ドラ「おしん」を始めとして平成にはいって始まったTBSの「渡る世間は鬼ばかり」が国民的ドラマになるなど時代をつなげていく脚本家として見込まれたのだろう。

 橋田さんは大正14年(1925年)生まれで、連載時には94歳。
 その最初に「夫の死」と題された、1989年に死別した夫岩崎嘉一さんの死の直前の様子が描かれ、最後に「本名、岩崎壽賀子。94歳。脚本家。天涯孤独。」という言葉が記されて、半生が綴られていく。
 まさのドラマの導入部のような書き方で、こんな風に書かれると続けて読みたくなる。
 読者(橋田さんにとっては視聴者)の心理がさすがによくわかっておられる。

 そんな橋田さんにもっとも影響を与えたのが石井ふく子プロデューサーだろう。
 橋田さんは石井さんからテレビドラマのあり方を学んだという。
 そのきっかけが昭和39年(1964年)4月、そう前回の東京オリンピックのあった年、に放送された「愛と死をみつめて」だった。橋田さん、38歳のこと。

 この履歴書には「おしん」の話が何回分かあるが、面白かったのは主演の田中裕子さんが撮影中橋田さんとは話さないどころか目も合わさなかったと記されていること。
 今だから話せる撮影裏話なのだろう。
 できれば、橋田さんとのコンビが多い泉ピン子さんについてももっと書いて欲しかったが。
  
(2020/01/15 投稿)

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