
漫画家のさいとう・たかをさんが
9月24日、84歳で亡くなった。
さいとう・たかをさんのすごいファンということでもなかったが
思い出すのは
2018年の11月に
川崎市市民ミュージアムで開催されていた
「連載50周年記念特別展 ゴルゴ13 用件を聞こうか…」展を
見に行ったことです。
男性ファンが多いことに驚いたし、
しかもその人たちの熱心なことをいったら。
そんなファンの姿が今でも印象に残っています。
この写真は展覧会に展示されていた
さいとう・たかをさんとゴルゴ13。

この展覧会から1年後、
川崎市市民ミュージアムは台風で甚大な被害を受け、
最近取り壊しが決定したと聞きました。
さいとう・たかをさんの素晴らしい展覧会を開催してくれた
ミュージアムがなくなり、
さいとう・たかをさんもいなくなりました。
少しさびしい秋です。
今日は追悼の意味を込めて
2010年に書いた
さいとう・たかをさんの『俺の後ろに立つな さいとう・たかを劇画一代』を
再録します。
さいとう・たかをさん
あなたのおかげで劇画の世界がひろがりました。
ご冥福をお祈りします。

「劇画」といえば「さいとう・たかを」といえるほど、劇画界におけるさいとう・たかをの位置づけは大きい。その第一人者が「劇画」について書いたとなると、どのような内容なのか興味がわく。
漫画の神様手塚治虫に吸い寄せられるようにして、漫画家をめざした若者は多い。昭和30年前後のことだ。のちに彼らは伝説となる東京「トキワ荘」に集結する。すなわち、手塚治虫、赤塚不二夫、藤子不二雄、石森(のちの石ノ森)章太郎、などなど。
その一方で、貸本ブームにのって大阪で活躍している若者たちもいた。辰巳ヨシヒロ、佐藤まさあき、松本正彦、そしてさいとう・たかを。彼らは「手塚漫画」では表現できないもの、それはより映画的なものを目指そうとしていく。やがて、彼らもまた東京へと集結。
そして、昭和34年、「劇画」が誕生する。
さいとうたちが目指したものは「漫画」ではなく「映画」だったように思える。
映画を描きとめようとしてたどりついたのが「劇画」で、それが「漫画」という表現方法に近かったということではないだろうか。つまり、「劇画」は「漫画」から生まれたものではなく、「映画」から生まれたものではないかということになる。
今ではその「映画」ともまったくちがう独自の文化である「劇画」が生まれてきたともいえる。さいとうは本書のなかで「劇画独自の手法による劇画の特性を生かすための劇画作品」(59頁)という言葉を使っているが、それだけの特性が現代の「劇画」にはあるし、さいとうのような作り手側にもはっきりとした意識がある。
やはり、日本の誇れる文化といっていい。
本書では、さいとうの生い立ちと劇画家として独立していく姿をまとめた「原風景」、劇画の特性を語った「劇画」、さいとうの大好きな映画のことを綴った「シネマ」、そして、さいとうならではの「流儀」「持論」といった章にわかれている。できれば、辰巳たちとの大阪貸本時代のエピソードをもっと読みたかったが、いまだ口にはできないものがあるのではないかと推測する。
さいとうたちが次の「漫画」を激論していた時代。彼らも若かったが、日本という国もまだ若かった。時代はまだ動き始めたばかりだ。
(2010/08/07 投稿)

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