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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  テレビアニメの初期の頃から
  多くの作品の脚本を書いてこられた
  辻真先さんの
  『辻真先のテレビアニメ道』を
  紹介します。
  こういう本を読むと
  やはり小さい頃のことを思い出しますが
  いつも気になるのが
  我が家にテレビがやってきたのは
  いつだったかということ。
  幼児といっていい小さい頃は
  近所の叔父さんちにテレビを見せてもらいに行っていました。
  その記憶はあるのですが
  それがいつまでだったのか
  それがわからない。
  タイムマシンがあれば
  そんな時代に行ってみたいな。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  辻真先さんというとってもすごい人                   

 日本で初となる連続テレビアニメ「鉄腕アトム」が放映されたのは昭和38年(1963年)1月1日。うっすらとそれを見た記憶があるのだが、その頃には我が家にもテレビがあったのだろうか。
 10歳にも満たない子供はそこからどれほどテレビアニメを見たことだろう。
 「エイトマン」「スーパージェッター」「宇宙少年ソラン」…、「鉄腕アトム」からわずか2年あまりでカラー版で「ジャングル大帝」が放映されるのだから、子供とはいえ、時間が足りない。
 そんなテレビアニメ少年にとって、「辻真先」の名前は、それがどんな人なのか知らないまま、記憶に残った。
 何故かといえば、その当時の多くのテレビアニメの脚本に「辻真先」の名前があったから。
 この本は、働きはじめて58年という長きにわたってテレビアニメのシナリオを書き続けた辻真先さんが、書いた作品ごとにその当時の制作裏事情などを綴ったものだ。

 目次に並んだテレビアニメのタイトルだけで目がくらみそうになる。
 「ジャングル大帝」「ゲゲゲの鬼太郎」「もーれつア太郎」「タイガーマスク」「サザエさん」、まだまだあるが、辻さんはこれらの作品の第一話の脚本を担当したというからすごい。
 ちなみに辻さんは1932年生まれというから、まちがいなくテレビの創成期、テレビアニメの制作にどっぷりと関わっている。
 だから、あの当時のテレビアニメ少年にとって辻真先という人は、遠い親戚よりもうんと近い存在だったことは間違いない。
  
(2022/03/31 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  アガサ・クリスティーの生み出した
  キャラクターで
  一番人気があるのは
  やはりエルキュール・ポアロだろう。
  何しろ彼が登場する作品数も多いし。
  でも、私はミス・マープルが好きだな。
  ほとんど村から出たこともない老女が推理し、
  そして見事に解決するのだから。
  それに、ポアロってどちらかといえばうぬぼれが強いが、
  ミス・マープルはそうではないし。
  今日紹介する『愛の探偵たち』には
  そんなミス・マープルものの短編が4つもあって
  うれしい。
  ただ、残念ながら
  霜月蒼さんの『アガサ・クリスティー完全攻略』では
  ★★の低評価でした。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  愛にだまされてはいけない                   

 本書は1950年にアメリカで刊行された短編集がもとになっていて、原題は『Three Blind Mice and Other Stories』。
 原題でわかるとおり、この短編集は中編といえる「三匹の盲目のねずみ」がメインで、日本版のタイトルとなった「愛の探偵たち」は収録されている一編に過ぎないのだが、やはり日本人好みのタイトルとなったのだろう。
 まあ、タイトルにつられて読もうかと思う人もいるだろうから、それはそれで仕方ない。
 
 「三匹の盲目のねずみ」は人気戯曲「ねずみとり」の原形となった作品で、やはりアガサの愛読者からすると、あの戯曲の基はどんな作品だろうかと読みたくなるだろう。
 もともとラジオドラマ用で創作されたらしく、吹雪で閉じ込められた山荘に殺人犯がいて、新たな殺人が起こるのではないかと、じわじわと恐怖が増してくる仕立てになっている。
 狭い空間の中の劇だけに、ラジオドラマであったり、戯曲には適した題材であったのだろう。

 この短編集でうれしいのは、アガサの人気キャラクターであるミス・マープル(4篇)やポアロ(2篇)、さらにはクィン氏ものが1篇とバラエティに富んでいることだろう。
 もっとも、ポアロものの短編についてはあまり面白くないが、マープルものは相変わらず面白い。
 おじさんが残した遺産を探し当てる「奇妙な冗談」もいいし、針子の犯罪を見事に見破る「昔ながらの殺人事件」もなかなかなものだ。
 クィン氏の「愛の探偵たち」は、愛に騙されてはいけないという教訓だろうか。
  
(2022/03/30 投稿)

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  前作『高瀬庄左衛門御留書』は
  あれほど評判になりながら
  完全に出遅れて、
  読み終わったのはつい先日。
  まあそれでも読めたからいいか、
  でも次は遅れないようにしないと。
  ということで、
  今日は今年1月に出たばかりの
  砂原浩太朗さんの新作
  『黛家の兄弟』を紹介します。
  驚いたのは、
  この本の巻末に広告が載っていて
  そこに第3作となる作品予告が出ていたのですが、
  その出版がなんと2023年とあるのですから
  まだ1年先の予告でした。
  期待値の高い書き手というのが
  よくわかります。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  激しいながらも、やわらかい                   

 前作『高瀬庄左衛門御留書』で2021年の読書界を席巻した砂原浩太朗さんが、同じ神山藩(架空の藩だが)を舞台にしたシリーズ第2作となるのが本作品である。
 『高瀬庄左衛門御留書』が静だとすれば、これは動といえる。
 何人もの人が争いによって、あるいは策略の果てに死んでいく。それでいて、過激にならないのは砂原さんの抑え気味の文体ゆえだろうか。

 タイトルのままに、この作品では神山藩筆頭家老の家、黛家の三人の兄弟の姿が描かれている。
 巻頭の「花の堤」という章で、三人のまだ若い姿とそれぞれの性格、さらにはその後彼らの運命にかかわってくる次席家老漆原の姿がじつにうまく配置され、長編小説の導入として滑らかなに動き出す。
 さらには長男に藩主の娘の輿入れが決まり、本作の主人公になる三男新三郎も大目付の家への婿養子が決まっていく。
 次男はどうかといえば、父親との確執が激しく、ほとんど家にも寄り付かない。
 2部構成の第1部では、漆原の息子を斬った罪で次男が目付となった新三郎に切腹を申し渡されるまでが描かれる。

しかし、本当の物語はここからだといえる。
2部ではすでに30歳を過ぎ、織部正と名を変えたかつての黛家の三男と主席家老となって今や藩を牛耳る漆原との、目には見えない闘いが描かれる。
多くの血が流れるが、どうしてこの作品が激しないのか。それは1部で姿を消すが、次男の哀しい眼差しが底流として本作に流れているからだろう。
 父と子、兄と弟、そして彼らを支える女たち。
 本作にあった、「なにかをえらぶとは酷いものじゃ」という言葉が心に響く。
  
(2022/03/29 投稿)

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 全国各地で桜の開花宣言が始まりました。
 埼玉でも先週開花宣言があって
 菜園のそばを流れる鴻沼川の桜並木の桜も
 今が五分咲きあたりでしょうか。
 これが昨日の日曜日に撮った桜。

  20220327_104802_convert_20220327131854.jpg

 満開は今週末あたりかな。
 こちらは近所で見かけて木瓜の花

  20220327_102953_convert_20220327131734.jpg

    口ごたへすまじと思ふ木瓜の花       星野 立子

 畑でも野菜たちが花をつけてきました。
 これはスナップエンドウの花。

  20220325_101141_convert_20220327131536.jpg
 
    家低く山また低し豆の花         三田 きえ子

 25日の金曜日に
 インゲンの種を蒔きました。

  20220325_110600_convert_20220327131610.jpg

 インゲンを育てるのは初めてです。
 つるあり、つるなしとありますが
 今回はつるなしで育ててみます。
 種を蒔いて
 そのあとに不織布をかぶせておきます。

  20220325_111801_convert_20220327131651.jpg

 隣で栽培しているのはジャガイモです。

 金曜日にはまだ何の変化もなかったジャガイモですが
 日曜日に行ってみると
 なんと芽が出てきているではないですか。

  20220327_103833_convert_20220327131814.jpg

 やったー!
 やっぱり新しい芽が出てくると
 うれしいですね。

 日曜日にはサンチュの種も蒔きました。
 サンチュを育てる畝には
 まだ春採りのダイコンが植わっているので
 栽培ポットで芽が出るまで育てるつもりです。

  20220327_110659_convert_20220327131935.jpg

  この畝では
 4月下旬になれば夏野菜の植え付けが始まるので
 ダイコンは4月中旬まで。
 そのあと土づくりとなります。

 この日、
 そのダイコンの一部を収穫しました。

  20220327_115603_convert_20220327132008.jpg

 赤いミニダイコンです。

 これから野菜作りもいそがしくなります。
 計画的にすすめることが
 大事になってきます。

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  今日は
  今が旬の野菜イチゴを題材にした絵本、
  なかやみわさんの
  『やさいのがっこう いちごちゃんはやさいなの?』を
  紹介します。
  それにしても
  イチゴというのはどんどん品種改良されていて
  「あまおう」や「とちおとめ」といった
  有名どころだけでなく
  最近では埼玉県でも力をいれていて
  「あまりん」という名前で
  売り出し中です。
  ネットで知らべると
  たくさんの品種が出てきます。
  さらには最近では白いイチゴまで人気となっています。
  私の菜園のイチゴの収穫までは
  まだ時間がかかりそうですが。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  イチゴはやさいですよ                   

 イチゴはケーキとかパフェとかデザートとしても人気が高いですが、家庭菜園で育てる野菜としても人気があります。
 栽培の開始は秋の終わり頃、そこから寒い冬を越して、暖かくなる春本番になると赤い実がつくようになります。
 この絵本のタイトルのように、イチゴはスーパーなどでくだものコーナーで売られているので「くだもの」か「やさい」なのかわからない子供もいると思います。
 そんな子供たちのためにも、この絵本をしっかり読んであげてみると、イチゴが野菜だというのがよくわかります。
 つまり、リンゴやミカンのように木になるのが「くだもの」で、イチゴやスイカはそうでないので「やさい」になります。

 ただイチゴはバラ科でもありますから、リンゴとか洋ナシとかは同じバラ科ですから親戚のような関係かもしれませんね。
 絵本の中に「くだものがっこう」が出てきて、そこの先生が洋ナシでしたから、自分が野菜なのか果物なのか悩んでいるイチゴちゃんにやさしく教えてあげるのは、同じ科の親戚だと知っていたからかもしれませんね。

 イチゴと同じ悩みを抱えているのが、アボカド。
 この絵本ではイチゴと反対に「くだものがっこう」から「やさいがっこう」に転校しようとするアボカボくんも描かれています。
 答えは、アボカドは果物。

 イチゴは見た目もかわいいし、甘くておいしい。
 それに今はいろんな品種もあって、なんともうれしい「野菜」です。
  
(2022/03/30 投稿)

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 ロシアによるウクライナ侵攻から一か月。
 ミサイルによって破壊される街、
 崩れたビルから逃げる人々、
 すでに一般市民が千人以上犠牲になったとも伝えられます。
 この一か月の間に
 どれだけ悲惨な映像や情報が流れたことでしょう。
 それでも私たちはこの戦争をとめることすらできないのです。
 多くの避難民がウクライナから隣国に逃れていきます。
 子供、女性、老人たち、
 一人で逃れていく少年もいたり、
 涙を浮かべる少女もいました。
 そんな人たちの姿を見て
 思い出した映画がありました。
 1952年に公開されたフランス映画「禁じられた遊び」です。
 久しぶりにアマゾンプライムビデオで観返しました。
 今日はその映画の話です。

  

 映画「禁じられた遊び」は
 ルネ・クレマン監督によるフランス映画です。
 昭和20年代や30年代に生まれた人にとって
 この映画はテレビでの放映や名画座での上映よりも
 高校や大学の映画研究会(通称 映研)が文化祭などで
 フィルム上映をしていたものを
 観た体験が多いかもしれません。
 それになんといっても
 テーマ音楽であるギターの哀切なメロディです。
 あの曲を弾きたくて
 ギターを練習したという人も多いと思います。
 恥ずかしながら
 私もそうで、結局中途半端で終わりましたが。

 映画は1940年の南仏の田舎。
 ドイツ軍から避難しようとする多くの人たち。
 そこにこの映画の主人公である幼い少女ポーレットがいます。
 彼女は避難中で両親を喪い、
 迷子になって小さな村にたどりつきます。
 そこで出会ったのが、ミシェルという少年。
 幼い二人は死んだ動物たちの墓をつくることに
 熱中していきます。
 ついには、墓地から十字架を盗みだしてしまいます。
 しかし、ポーレットが戦災孤児として引き取られていきことで
 二人には別れがやってきます。
 ラスト、避難民の雑踏の中で「ミシェル」という懐かしい名前を耳にした
 ポーレットがふらふらと
 「ママ…」「ミシェル…」と泣きながら
 雑踏に消えていきます。

 ポーレットを演じたブリジット・フォッセーさんは
 この時まだ5歳。
 成長してからも女優として活躍されていました。

 この映画が作られて70年がたちます。
 第二次世界大戦の戦争の悲劇を繰り返してならない、
 そんな人々の思いが生んだ名作です。
 しかし、残念ながら
 今もポーレットのような幼い子供たちが
 「ママ…」と泣いているのです。
 早く戦争が終わることを
 願うばかりです。

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  本を処分するのは
  難しい。
  古紙回収で出すのはちょっと気がひけるが
  それでも随分多くの本を
  古本屋さんとかに持っていったものです。
  それでも、
  この本だけは持っていたいと手放さずに
  書棚でけっこう日に焼けて
  それでもずっと持ち続けている本があります。
  そんな本のひとつが
  和田誠さんの『お楽しみはこれからだ』シリーズ。
  2022年1月に
  国書刊行会から愛蔵版として
  復刊されました。
  今日はその本の紹介です。
  いい本に再び光があたるのは
  やっぱりうれしい。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  ちょっとしたささやかな記憶                   

 出版社の事情は読者にはわからないもので、いつの間にか本屋さんの店頭に消えていたり、つまりは絶版になっていたりする。
 イラストレーターで大の映画ファンでもあった和田誠さんが、1973年から23年という長い期間、時々はお休みもあったが、映画雑誌「キネマ旬報」に連載していた「映画の名セリフ」を和田さん独特のイラストレーションとともに紹介した映画エッセイ全7巻の、最初の巻が出版されたのが1975年。
 この時の出版社が文藝春秋。
 この本がどれだけ売れたかわからないが、その後文庫に入ることもなかったのはどういった事情だったのだろう。
 けれど、このエッセイ集が文庫にはなじまないというのもあって、イラストの魅力が半減するとか注釈の文字が小さくなるだろうとか、それもまたいいように思っていた。

 ところが、この名作が、だってあの当時映画青年だった多くの若者が和田さんのこのシリーズでさらに映画にはまりこんだはずで、いつの間にか世の中の本屋さんから消えていたなんて。
 それが、今回うれしいことに、オリジナルのまま復刊されることになったのが本書。
 出版社は国書刊行会。
 各巻に書きおろしとなるエッセイが栞の形ではいっている。
 第一巻めの栞エッセイは、村上春樹さん。
 和田さんとは自身の著作の装丁など関係の深かった村上さんだから、どんな面白い話が読めるか楽しみにしていた。
 「ちょっとしたささやかな記憶」の話。
 まるで、この本そのものがそうであったと、今は思える。
  
(2022/03/25 投稿)

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  埼玉県の高校図書館の司書の皆さんが選ぶ
  「イチオシ本」という企画があります。
  すでに今回で10回めとなります。
  今回は2020年11月から2021年10月までに出版された本が対象で
  120名の司書の皆さんが応募されたようです。
  その栄えなる1位は
  今日紹介する
  福井県立図書館さん編著の
  『100万回死んだねこ 覚え違いタイトル集』です。
  あまりの面白さに
  天声人語や多くのメディアでも紹介されていました。
  いやあ、その面白さといったら。
  それにしても
  人の記憶回路ってどうなっているのでしょうね。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  図書館のレファレンスサービスをもっと利用しましょう                   

 図書館にレファレンスサービスがあるのはご存じだろうか。
 図書館は本の貸し出しをしているだけでなく、私たちが調べたいことを図書館の資料等で利用しやすいよう司書の皆さんが手伝ってくれるサービスだ。
 図書館側では本の貸し出し点数だけでなく、レファレンスの受け付け件数も、図書館利用度の目標にしていることがある。
 ただ、なかなかレファレンスサービスを受ける人の数は多くはない。
 面白いタイトルのこの本はレファレンスサービスの認知向上のため、福井県立図書館の皆さんが、つい笑ってしまう「覚え違いタイトル」を集めたものだ。

 レファレンスサービスで最も多いのが、この本にあるように、本の所蔵についての相談だという。
 私も何度かうろおぼえの書名で所蔵を訊ねたことがあるが、一生懸命に本を探してくれる司書の皆さんには感謝しかない。
 しかし、人の記憶とはなんともあやういものだ。
 例えば、この本のタイトルにもなっている「100万回死んだねこ」はもちろん正しくは佐野洋子さんの『100万回生きたねこ』で、これなどはまだ正解にたどりやすい。
 「海の男」を聞いてきた人の答えは『老人と海』だったというから、これは司書と利用者とのコミュニケーションが必要だ。

 この本はこういう意外性がとても面白いが、問いにつけられた多田玲子さんのイラストも笑える。
 一番笑えたのは「カフカの『ヘンタイ』ってあります?」という問い(もちろん答えは『変身』)につけられた、カフカらしき男が女性の下着を頭にかぶっているイラスト。
 これにはまいりました。

 そんな笑える問いであっても、図書館の皆さんはちゃんと真面目に答えてくれます。
  
(2022/03/24 投稿)

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  映画評論家の佐藤忠男さんが
  3月17日に亡くなりました。
  91歳でした。
  年が明けてから発表された
  第95回キネマ旬報ベストテン
  特別賞を受賞されたばかりで
  まだまだお元気だと思っていたのですが。
  今日は
  追悼として
  2015年2月に書いた
  佐藤忠男さんの『独学でよかった 読書と私の人生』を
  再録書評で紹介します。
  その時の「こぼれ話」にこんなことを書いています。

   日本映画の批評を書く評論家としては
   今日紹介する佐藤忠男さんが
   第一人者でした。
   地についた批評でした。
   私は洋画も観ましたが
   邦画も好きでした。
   だから、
   佐藤忠男さんはあこがれの映画評論家の一人です。

 映画、特に日本映画を愛して
 私たちにその素晴らしさを伝え続けてくれました。

 佐藤忠男さん
 ありがとうございました。

 ご冥福をお祈りします

  

sai.wingpen  人間到る処青山あり                   

 「人間到る処青山あり」とよく言われる。
 この「青山」の意味がわからない。
 調べると、「死んで骨を埋める場所」のことらしい。決して美しい場所を指しているのではない。
 つまり、この言葉は「世の中は広く、死んで骨を埋める場所は到るところにあるものだ。だから、大望を成し遂げるためにならどんなところであろうと、大いに活躍するべき」という意味だ。
 映画評論家佐藤忠男が著したこの本を読むと、かつて聞いた「人生到る処青山あり」の言葉を思い出した。
 佐藤氏の生き方につながる言葉といっていい。

 この本自体は2007年に出版されたものが基になっている。
 「あとがき」にあるように、その時の出版社が倒産したため、今回巻末に収められた「あらためて思うこと」を書き下して再刊行されたものだ。
 佐藤忠男氏は映画評論家として、長年に亘って活躍してきた。かつて映画青年だった私が十代の頃、だから50年近い昔になるが、その当時から佐藤氏の書かれる映画評論は知的で重厚だった。
 そんな佐藤氏であるが、最終学歴が工業高校の定時制だという。
 大学を出たからといって立派な論文が書ける訳でもないし、卒業論文さえもウエブ上の文章のコピペが氾濫している現代の風潮を考えると、佐藤氏がどのようにして勉強をしてきたかは興味のあるところだ。

 タイトルにあるように佐藤氏は「独学」で映画の技法を学び、映画が描いてきた社会や風俗、芸術や歴史を身につけてきた。
 そこには「読書」が欠かせなかったという。
 だから、この本は佐藤氏の歩んできた人生であるとともに「読書論」にもなっている。
 「本だけはうんと読まなければならなかった」と、「独学」をしてきた佐藤氏は書いている。
 大学で学んでもそんなことをいう人はあまりいない。
 人とは学歴ではなく、どういう生き方をしたいかという心構えであり、それを達成するためにどれだけ自身学習したかで異なるのであろう。

 「本の選び方」という章の中で、佐藤氏は「これは私のために書かれた本だ、と感激をもって活字が眼にとび込んでくるような思いを持って読める本がきっとある」と書いているが、この本もまたそんな一冊になるかもしれない。
  
(2015/02/17 投稿)

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  自分の読書嗜好を振り返ると
  女性作家の描く世界が好きなようです。
  原田マハさん、桜木紫乃さん、朝井まかてさん、
  そして、
  今日紹介する窪美澄さん。
  彼女たちの作品は新刊がでるつど、
  はずさずに読んでいます。
  今日の
  『朱(あか)より赤く 高岡智照尼の生涯』も
  2022年1月に出たばかりの
  窪美澄さんの新刊です。
  芸妓から尼僧になった女性の
  波乱万丈な人生、
  それを窪美澄さんが書いたのですから
  読まずにいられません。
  この作品の主人公高岡智照尼
  瀬戸内寂聴さんの『女徳』のモデルでも
  あるそうです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  9本指の女の子                   

 人気芸妓から尼僧になった女性のことは、どこで聞きかじったかは忘れたが、記憶のどこかにあった。
 窪美澄が彼女の生涯を小説にした作品を読んで、ネットで知らべると、当時のブロマイド写真で「修整のいらないのは彼女だけ」と絶賛されたその頃の彼女の写真も見ることができる。
 明治29年(1896年)に生まれた彼女がまだ10代終わりの頃だ。
 しかし、すでに彼女はある事件をきっかけにして、巷間こう呼ばれていた。
 「Nine-Fingered Geisha(9本指の芸者)」。
 それが、この作品の第一章のタイトル「Nine-Fingered girl」として使われている。

 もちろんこの作品は窪美澄により物語化されているから、彼女の名前や関係する人たちの名前は変えられているが、小指をつめた事件など高岡智照尼の自伝などから描かれたもので事実としてあったのだろう。
 しかし、その時々の彼女の思いは窪美澄が描いたものだろう。
 わずか12歳できれいな着物に惹かれ、父親にだまされ、身売りされる彼女。
 彼女の前に現れる男たちに体も心も揺さぶられる彼女。
 一方で、贅沢な暮らしができたのも事実。当時渡米して、長くはなかったにしろ、海外での生活ができた人などどんなにいただろう。
 それでも、彼女の心は乾いたまま。
 そんな彼女の心情を、窪美澄は抑制した文章で淡々と描いていく。

 いつもの窪美澄らしさをあまり感じない作品だが、もしかしたら、そういう文体も含めて窪美澄の策略だったようにも感じた。
  
(2022/03/22 投稿)

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 今日は二十四節気のひとつ、春分
 彼岸の中日でもあります。

    毎年よ彼岸の入に寒いのは       正岡 子規

 有名な子規の俳句ですが
 まさにこの句の通り、
 彼岸の入りがあった先週は寒の戻りの日もありました。
 そうはいっても季節は春。
 これは近所のおうちの庭のミモザ

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    すすり泣くやうな雨降り花ミモザ      後藤 比奈夫

 こちらは畑の近くで見つけたユキヤナギ

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 そっと咲く、タンポポも好きです。

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    たんぽぽや日はいつまでも大空に      中村 汀女

 畑の野菜も花がつきはじめました。

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 写真のまんなかに
 黄色い小さな花を咲かせているのは
 茎ブロッコリー
 こちらはソラマメの花。

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 先週見たときはまだ小さな蕾でしたが
 ここにきて一気に咲きました。

 そして、イチゴにも花が咲きました。

  20220320_104609_convert_20220320132343.jpg

 ただイチゴの葉の裏面は
 土曜日に降った雨の跳ね返りで泥がついていて
 急遽不織布で畝を覆いました。
 それにこれから実をつけてきた時に
 鳥に食べられないように
 編みの大きめのネットもはります。

  20220320_114636_convert_20220320132635.jpg

 こうしていれば
 花が咲いて虫たちの動きで受粉もできます。

 この日収穫したナバナ

  20220320_121241_convert_20220320132707.jpg

 食べると
 春の香が口いっぱいに広がります。

    人の世をやさしと思ふ花菜漬       後藤 比奈夫

 「食卓に春をもたらしてくれる色合いがいい」と
 「歳時記」に書かれています。

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プレゼント 書評こぼれ話

  現在放映中の
  NHK朝の連続テレビ小説カムカムエヴリバディ」も
  いよいよ残すところ3週間となりました。
  つまり、4月9日までの放送です。
  今回の朝ドラは
  上白石萌音さん深津絵里さん川栄李奈さんという
  3人のヒロインがつないでいく
  1925年からの100年の物語です。
  放送では
  今が1994年まで終わりましたから
  物語も終盤。
  最初のヒロイン、上白石萌音さんが演じる安子さんの再登場があるのか
  興味深々というところです。
  今日は
  絵本でも100年。
  2011年に書いた
  J.パトリック・ルイスさんの『百年の家』を再録書評で紹介します。
  朝ドラでも戦争が描かれていましたが
  この絵本でも戦争が描かれています。
  100年の間に戦争がなかった時はないのかと思うと
  なんとも愚かしいことです。
  早く世界に平和がやってきますように。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  長編小説のような絵本                   

 16世紀の画家ブリューゲルは「農民画家」と呼ばれるほどたくさんの農民の姿をキャンパスに残しました。『農民の踊り』『子どもの遊戯』といった代表作では画面いっぱいに人々が描かれていて、当時の風俗を知る一助になっています。
 そんなブリューゲルの絵の雰囲気をこの絵本でも楽しむことができます。作画はインノチェンティというイタリアの人です。
 一軒の古い、石造りの家の100年の歴史をつづったこの絵本ではもちろん「家」が中心になっていて、見開き2ページの右半分に「家」が描かれています。
 左半分は段状の丘になっています。その丘で時に小麦が作られ、時にぶどうが栽培される。
 手前には「家」から町につづく道がある。この道を通って男たちは戦場へと行き、小さな箱にはいって戻ってきた。子供たちは雪の道を学校へと歩き、成長して「家」を出ていった。
 人は生まれ、成長し、やがて死んでいく。人は手をたたき、笑い、嘆き、涙し、そして静かに目を瞑る。それらのすべてを「家」だけがじっと見ています。
 なんと深い絵本でしょう。

 パトリック・ルイスが文を書き、それを詩人の長田弘が翻訳した文章もまたいいのです。
 たとえば第一次世界大戦が終わってしばしの平和が訪れた「家」にはこんな文がついています。
 「家の暖炉で、からだを暖めて、子どもたちは学校にゆく。/よい心と、教科書と、そして薪を、いっしょに持って。/みんなが無邪気でいられた時間は、すてきだった。でも、短かった」。
 このなかの「よい心と…」の一節につかまりました。かつて人々は「よい心」を持って学校に通っていたのです。
 そんな詩のような文が「家」と人々を描いています。

 100年後のこの「家」がどんなであったか、そしてその姿をみて、人は何を想うでしょう。
 読み終わったあと、なんだか長編小説を読んだあとのような深い感動につつまれました。
 絵本の、おそらく頂上にあるような一冊です。
  
(2011/05/08 投稿)

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 今週は木内昇さんや門井慶喜さんの
 東京という街づくりに奔走した人々を描いた作品が続いたので
 映画も
 東京のものをいうことで
 ならばやはり小津安二郎監督の名作「東京物語」ですよね。
 そして、今回はもう一本
 昨年公開されて最近DVDのレンタルが始まった
 山田洋次監督監督の「キネマの神様」の話です。
 つまり、今日は昔懐かしい二本立てです。

 まずは
 昨年(2021年)公開された
 山田洋次監督の「キネマの神様」。

  

 原田マハさんの小説が原作ですが、
 映画化の際して大きく物語が変わっています。
 この作品についていえば
 当初主演が予定されていた志村けんさんが
 2020年3月に新型コロナウイルスによって急死、
 さらにはコロナ感染の広がりという不幸が重なり、
 上映がなかなかできませんでした。
 志村けんさんに代わって
 沢田研二さんが現在の主人公ゴウちゃんを演じています。
 映画はゴウちゃんが若い頃に映画監督を目指していたという設定で
 若いゴウちゃんを菅田将暉さんが演じています。
 若い日の恋人役は永野芽郁さん、現在は宮本信子さんが
 それぞれ演じていますが
 永野芽郁さんがいい演技をしていました。

 この映画は松竹映画100周年記念作品となっていて
 かつて松竹映画を牽引し、
 日本映画の宝でもある
 小津安二郎監督の「東京物語」にオマージュを捧げた作品でもあります。
 主人公のゴウちゃんが最後に観ている映画こそ
 その作品を模したもので、
 小津安二郎監督の「東京物語」のラストシーン、
 列車でのヒロインの姿がそのまま
 なぞられています。
 山田洋次作品でそのヒロインを演じているのが
 北川景子さん。
 小津安二郎監督の「東京物語」では
 もちろん原節子さんです。

 その「東京物語」は
 1953年公開の日本映画です。

  

 今回改めて観直しましたが
 さすがに歴代日本映画でも1位になるほどの名作ですから
 何度観ても素晴らしい。
 銀幕の中の
 俳優たちの立ち位置まで計算されているのではないかと
 思いたくなります。
 お話は広島尾道から年老いた両親が
 子供たちが住む東京をたずねていく物語です。
 敗戦から8年、
 その当時の東京の街の様子もわかります。
 原節子さんが演じる紀子は
 笠智衆さんたち老夫婦の次男のお嫁さん。
 しかし、次男は戦争で亡くなっています。
 実の子供たちより
 いわば他人の嫁紀子に親切にされて喜ぶ
 笠智衆の父親も
 東山千栄子の母親もいい。

 「キネマの神様」で
 山田洋次監督が描きたかったものは
 小津安二郎をはじめとした映画人と
 映画を愛した人への感謝だったのでしょう。

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プレゼント 書評こぼれ話

  漫画「あしたのジョー」が
  「週刊少年マガジン」に連載が始まったのは
  昭和42年というから、
  私が12歳の時。
  人生最初で最後の日記を書き始めたのも
  その頃で、
  残念ながら感傷で捨ててしまって今はないが
  はっきり覚えているのは
  その日記に「あしたのために」とタイトルをつけたことだ。
  これは漫画「あしたのジョー」の影響だということは
  間違いない。
  つまり、連載の最初の頃から
  私も夢中になっていたということだろう。
  今日は
  その創作裏話といえる
  『ちばてつやとジョーの闘いと青春の1954日』を
  紹介します。
  2010年に出た本です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  真っ白になるまで                   

 日本芸術院の新設分野「マンガ」で最初の会員として選ばれたちばてつやさんの推薦理由として「『あしたのジョー』で、原作をさらに深く解釈し、独自のエピソードや表現を加え、主人公が『真っ白になる』までを描き切り、スポーツマンガの大ヒット作という域を超え、同時代の若者文化を代表する作品に高めた」とあった。
 「あしたのジョー」はいうまでもなく、ちばさんの代表作で、原作は高森朝雄さん(もちろんこれは梶原一騎の別称)である。
 理由にある「原作をさらに深く解釈し、独自のエピソードや表現を加え」は、漫画原作者と作画を担当した漫画家との共同作業がどの程度のものかわからないと理解しにくい。
 「あしたのジョー」の場合は、どうだったのだろう。

 それを知るには、漫画「あしたのジョー」が「週刊少年マガジン」に連載の始まった昭和42年(1967年)12月から最終回の掲載があった昭和48年(1973年)月までの「1954日」を、ちばの日記形式でたどったこの本がわかりやすい。

 なんといっても、あの有名なラストシーンは、高森さんが書いてきた原作とは大いに違う。
 読者からすれば、すでに伏線として紀子という少女と矢吹丈の交流の場面があったと思っていたが、ちばさんにはあのシーンはまったく白紙だったという。
 あるいは、紀子という白木葉子に対するような少女の存在も原作にはなかったなど、芸術院の推薦理由そのままの事実が数多く出てくる。
 推薦文を書いた人もやっぱりこの本を読んでいたのかもしれない。
  
(2022/03/18 投稿)

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  今週は
  東京という街についての本が続いているので
  今日は
  2010年3月に書いた(なんと12年前!)
  和田誠さんの『東京見物』という絵本の
  再録書評です。
  表紙の東京タワーがやっぱりいいですね。
  スカイツリーもいいけれど
  フォルムの美しさでは
  東京タワーにかなわないですよね。
  東京は日本の首都だし、
  世界でも有数の大都市だけど、
  そこには東京ならではの
  人を魅了するものがひそんでいるように思えます。
  ちょうど、
  東京タワーに心癒されるように。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  あたらしい東京見物                   

 和田誠さんが子どもの頃に読んだという、講談社の絵本『東京見物』に倣って、現代の東京の風景を22枚描いたのが、この本です。
 うれしいことに、和田さんが読んだという昭和12年の『東京見物』も復刻版としてついています。和田さんの本では表紙は東京タワー、昭和12年版では小学生ぐらいの兄妹を連れたお母さんが大きく描かれています。場所は日本橋。もちろん、その当時の日本橋は高速道路でふさがれた息苦しい風景ではありません。

 皇居の二重橋であったり、国会議事堂であったり、和田さんは昭和12年版に描かれていた東京を同じようにたどっていきます。
 ほとんど同じ構図で描いた場所もあります。清洲橋はそのひとつ。ふたつの絵を比べると、同じだけど周りの風景や空の色や隅田川を往く船がやっぱりちがう。そのちがうものが時間というものかもしれません。

 和田さんが最後に選んだのが、葛飾柴又の駅前にある寅さん像です。昭和12年版では荒川を越える葛飾は東京にはいっていません。東京という街は少し広くなったのかもしれません。
 寅さんは、渥美清さんが演じた映画『男はつらいよ』の主人公ですが、ふるさとをもっとも愛した映画のヒーローに「寅さんは東京のヒーローなんですね」と和田さんは書いています。でも、案外東京のヒーローは、この本の終わりのほうで和田さんがちいさく描いた、ゴジラではないでしょうか。ゴジラに破壊されても、東京はりっぱに復興するのですから。

 あたらしい「東京見物」は、和田誠さんの絵満喫の小旅行でもあります。
  
(2010/03/08 投稿)

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  今日は
  昨日に続いて
  東京という街の魅力を存分に味わえる一冊を。
  門井慶喜さんの
  『東京の謎 この街をつくった先駆者たち』。
  昨日の木内昇さんの『剛心』の主人公妻木頼黄
  残念ながら
  この本には登場しない。
  この本の「はじめに」の書き出しで
  門井慶喜さんはこう書いている。

    東京を「とうきょう」と読むのは間違いである

  なるほど、訓読み音読みが混じっているのだ。
  では、何故「とうきょう」と読むのか。
  ほら、読みたくなったでしょ。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  なんて面白い街だろう、東京は                   

 この本の著者門井慶喜さんといえば、すでに『家康、江戸を建てる』や『東京、はじまる』など大都市東京誕生の歴史小説を次々と発表し、注目を集めている。
 近著には、東京で最初となった地下鉄浅草線誕生の物語『地中の星』といった面白い作品もある。
 そんな門井さんだが、東京の出身ではない。生まれは群馬県だし、小学生の頃は栃木県宇都宮市、大学は京都の同志社大学と、東京にはなかなか近づけない。
 ただ、門井さんのお名前である「慶喜」は、もちろん「最後の将軍」と呼ばれ、日本橋の橋柱の銘板を書いた徳川慶喜に由来しているそうだから、江戸あるいは東京と近いといえば近いかも。

 タイトルに「謎(ミステリー)」とあるが、この謎の設問を読むだけで読書の触手が蠢く。
 例えば「なぜ新宿に紀伊國屋書店があるのか」「なぜ五島慶太は別荘地・渋谷に目をつけたのか」「なぜ堤康次郎は西武池袋線を買ったのか」と、試みに新宿・渋谷・池袋(これはこれらの街が開けていった順でもある)の三つの街の「謎」を並べてみたが、街と人とが実に巧みに描かれている。
 このあたりが、やはり作家としての視点がそうさせるのかもしれない。
 つまり、街は単にその立地や社会的価値だけで生まれるものではなく、人間が意図する何かが発露となっていくものだと読める。

 もちろん、それは東京だけに限った話ではない。
 おそらくどんな街であっても、それをつくった先駆者はいるだろうが、やはり東京という街はその規模においてもきっと他を圧倒している。
  
(2022/03/16 投稿)

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  東京にはいろんな批判もあるだろうが
  私はとても魅力的な都市だと思います。
  緑が少ないとよく言われますが、
  明治神宮にしても新宿御苑にしても
  結構緑が映える場所だし、
  上野公園あたりといえば
  芸術の香りに満ちています。
  もちろん、東京駅も景観としても美しいですし
  銀座の街並みも捨てたものではない。
  ここまでの都市を作りあげるには
  どれだけの苦労があったことでしょう。
  今日はそのひとつでもある建築家の話。
  木内昇さんの
  『剛心』。
  読み応え十分の
  明治期の長編歴史小説です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  強く美しく安定したもの                   

 日本の議会政治のシンボルともいえる国会議事堂。その勇躍とした姿は誰もが一度は目にしているだろうが、その建物がいつ出来上がったものかはあまり知られていないかもしれない。
 国会議事堂が完成したのは昭和11年(1936年)で、大正2年(1920年)の着工開始から実に17年という長き歳月がかかっている。
 しかし、実際には議事堂建設はずっと以前、明治の時代からその計画はあり、そのための多くの人材がそれにかかわってきた。
 その一人が、木内昇(のぼり、と読む。男性の名前のように思えるが女性作家)の渾身の長編小説となったこの作品の主人公である妻木頼黄(つまきよりなか)である。

 妻木のことを調べると、明治建築界の三代巨匠のひとりと出てくる。残りの二人は東京駅を設計した辰野金吾と迎賓館を設計した片山東熊だそうだ。
 では、妻木はどんな建物の建設に携わったのか。
 有名なところでは、本作の表紙にもなっている日本橋。そして、今や観光スポットでもある横浜の赤レンガ倉庫などだろう。
 そして、彼が生存中にその姿を見ることは叶わなかった(妻木は1916年死去)が、国会議事堂の設計にも深く関わっている。

 しかし、妻木は辰野らの在野の建築家たちと一線を画する個性派だったようで、この作品ではそんな妻木の生き方が彼に続く多くの若い人材に影響を与えたとことが描かれている。
 「僕らが作っているのは景色だ。僕は、景色を汚すようなことはしたくない」と妻木は言う。昭和の時代から平成、令和と続く今の都市を見て、妻木ならなんと言っただろう。
  
(2022/03/15 投稿)

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 この土日、
 関東地方は4月中旬から下旬の気温にあがって
 一気に春本番となりました。
 街のあちこちに春の草花が咲き始めましたが
 ひときわ目をひいたのが
 ハクモクレン

  20220312_122029_convert_20220313085331.jpg

    声あげむばかりに揺れて白木蓮        西嶋 あさ子

 白ばかりではありません。
 こちらは赤が印象的な紅梅

  20220312_114827_convert_20220313085300.jpg

    紅梅や枝々は空奪ひあひ            鷹羽 狩行

 木々の花だけではありません。
 足元を見れば、春の草ぐさも咲き誇っています。
 これは、ホトケノザの群生。

  20220312_112701_convert_20220313085149.jpg

 これはオオイヌノフグリ

  20220312_114552_convert_20220313085231.jpg

 淡い青がかわいいですよね。

 畑でも春の第一回めの講習会が始まりました。
 新しい栽培ノートももらって
 いよいよ新シーズンスタートです。
 温度があがってきたので、
 トンネル栽培していたビニールをはずします。
 これは、先日間引きをした
 春採れダイコンの三太郎

  20220312_112145_convert_20220313085118.jpg

 夏野菜の栽培開始まであと一か月。
 それまでに大きくなることを期待しています。

 この写真の左奥にあるのは
 ナバナ

  20220312_110453_convert_20220313085034.jpg

 来週あたり収穫ができそう。
 その手前にあるのが祝蕾

 根っこのまま冬を越したネギ
 新しい芽を出してきました。

  20220312_110237_convert_20220313085002.jpg

 ほとんどほったらかしなのに
 植物の生命力はすごいです。

 暖かくなって
 畑に行くのが楽しくなってきました。
 畑に行くと、久しぶりに会う人もいて
 「今年初めてお会いしますね」なんて
 会話も弾んできます。

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  今日は
  ジョーダン・スコットさん文、
  シドニー・スミスさん絵の
  『ぼくは川のように話す』という絵本を
  紹介します。
  表紙の川で遊ぶ少年の絵ではわかりにくいですが
  これは吃音の少年のお話です。
  でも、もっと広く、
  生きにくい世界を生きている子供たちへの
  熱いメッセージだといえます。
  日本での出版は
  2021年7月と
  新しい絵本ですが、
  きっとこれからも多くの子供たちに読まれる一冊だと思います。
  ちなみに、
  タイトル文字は絵本作家の荒井良二さんによるものだそうです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  それは生きるための魔法の言葉                   

 なんと美しい絵本だろう。
 絵本でいう美しいは、単に絵がきれいということではないだろう。
 文(この絵本でいえば、それは詩の言葉のようでもある)と絵が見事に合致し、音楽を奏でるようであることだろう。
 文を書いたのはカナダの詩人でもあるジョーダン・スコット。
 彼自身が吃音者で、この絵本は彼自身の体験にそって生まれたものだそうです。

 この絵本の少年のように、朝起きたら「ことばの音」だらけで、しかし、自分にはいえない音があることにいつもちぢこまっている。
 学校に行っても、あてられないように願い、あてられてもうまく口が動かない。
 そんなある日、少年の父親が彼を川に連れていった。
 父親は川を指さして、「あれが、お前の話し方だ」と言う。
 川は泡立ち、波うち、渦をまき、くだけていた。
 「お前は川のように話してるんだ」
 このシーンの、静かに目を瞑る少年の顔がいい。
 光にきらめく川に半身をいれた少年の後ろ姿がいい。

 少年は気づくのだ。川だって、自分と同じようにどもっている。
 でも、その先にあるのはゆったりとした流れだ。

 絵を描いたのは、シドニー・スミス。
 なんと素敵な川を描いてくれたのでしょう。
 スコットが見た川もきっとそうだったように、読者もこの川に自身の姿を投影できるのではないでしょうか。
 吃音者だけではなく、どんな人にも嫌なことであったり苦手なことがあるでしょう。
 そんな時、この絵本の川を思い出し、こうつぶやくといい。
 「ぼくは、川のように話す」。
  
(2022/03/13 投稿)

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 先日北海道に住む友人が
 地元紙に載った小さなコラム記事を
 送ってくれました。
 それは今もロシアによる侵攻が続くウクライナに関連したもので
 1970年に公開されたイタリア映画の「ひまわり」にまつわる記事でした。
 記事によれば、
 映画「ひまわり」に登場する
 一面のひまわり畑の撮影現場は
 キエフから南へ500kmほど行ったヘルソン州だそうです。
 戦火がやまない今、
 映画「ひまわり」を緊急上映する動きが日本で起こっていると
 記事は伝えていました。
 そこで、今日は映画「ひまわり」の話を。
 この記事を書くにあたって、
 オンライン配信でも見当たらず、
 近所のレンタルショップを検索してやっと見つけることができました。

  

 映画「ひまわり」は
 1970年に公開されたイタリア映画。
 監督は巨匠ヴィットリオ・デ・シーカ
 制作はカルロ・ポンティ
 何故彼の名前を書いたかというと
 彼はこの映画のヒロインを演じたソフィア・ローレンの夫でもあったからです。
 映画での夫役はマルチェロ・マストロヤンニ
 この当時のイタリア映画にあって
 この二人は最強のコンビだったといえます。
 そして、この映画の最大の魅力ともいえる
 映画音楽を作曲したのがヘンリー・マンシーニ
 物語は忘れても
 この映画音楽だけは忘れないのではないでしょうか。

 この映画が公開された時、
 私は高校1年生。
 ちょうど映画に夢中になりはじめた頃。
 それから今まで何度この映画を観たことでしょう。
 第二次世界大戦時にロシア戦線で行方不明になった夫を探して
 ロシアの村々を歩くソフィア・ローレンがたどり着いた
 一軒の家。
 そこで洗濯ものを取り込んでいる若い女性。
 彼女を演じたのがリュドミラ・サベーリエワです。
 この時の彼女がとてもきれい。
 ソフィアは彼女を見て
 すべてを理解することになります。
 夫はロシアの地でこの若い女性と結婚し、子供までえたのだと。
 そこにマストロヤンニが工場から帰ってきます。
 見つめ合う二人。
 そこに流れる、あのテーマ曲。
 やはり、このシーンは記憶に残っていました。
 いたたまれず、ソフィアは汽車に飛び乗り
 その場をあとにします。

 数年後、
 今度はマストロヤンニがイタリアのソフィアを訪ねていきますが
 すでに彼女は結婚し、子供も産んでいました。
 愛していながら
 別れざるをえなかった二人。
 マストロヤンニはこうつぶやきます。
 「戦争は残酷だ

 一面のひまわり畑はとてもきれいですが
 その下には「死んだ兵士や捕虜たちが眠っている」と
 土地の老婆が語る場面もあります。
 この映画が作られたのが戦争が終わってから20年以上経ってから。
 それから50年以上経って
 また戦争が始まっています。
 愛した二人を引き離した残酷な戦争を
 どうして私たちはとめられないのでしょうか。

 映画「ひまわり」はいつまでも
 深く私たちの心に残る名作だし、
 私たちが忘れてはいけない悲しみをもった作品なのです。

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プレゼント 書評こぼれ話

  あの日から11年めの3月11日を迎えました。

  東日本大震災が発生した
  2011年3月11日も金曜日でした。
  東京の空は曇天として
  被災地となった東北の町々では
  まだ冷たい雪が舞っていました。
  今でもあの日見た空や揺れる電線といった光景を
  忘れることはありません。
  きっと
  それぞれにとって
  それぞれのあの日があるはずです。
  そのことを忘れないようにしたいと思います。
  このブログでも
  震災関連の本をたくさん紹介してきました。
  「3.11の記憶」というカテゴリーになっていますから
  忘れそうになったら
  開いてみて下さい。
  今日はその中から
  2014年1月に紹介した
  津村節子さんの『三陸の海』を
  再録書評で紹介します。

  今日は静かに祈ります。

  

sai.wingpen  海は静かに眠っている                   

 「津波は、自然現象である。ということは、今後も果てしなく反復されることを意味している」と書き、『三陸海岸大震災』や『関東大震災』で地震の危険性を警告していた吉村昭が亡くなったのは、東日本大震災が起こる5年前の2006年の7月だった。
 もし、吉村が生前東日本大震災を目にしていたとしても、「だからいわんこっちゃない」とは口にしなかったであろう。ただ、瞑目し、静かに涙したのではないか。
 吉村と三陸の海とは深いつながりがある。
 芥川賞の候補に何度も選ばれながら結局は受賞にはいたらない日々。再起をかけて取材したのが岩手県田野畑村だ。そこから生まれたのが『星への旅』で、この作品で第2回太宰治賞を受賞し、作家として実質的なデビューを果たす。
 その縁で吉村はその後何度となく「日本のチベット」とも呼ばれた村を再訪することになる。
 吉村の唯一となる文学碑が田野畑村にある。そこには「田野畑村の空と海 そして星空の かぎりない美しさ」と印されている。

 これらのことは吉村昭の妻で作家の津村節子が書いたこの本の中に書かれている。
 震災のあった2011年3月11日、津村はこれもまた吉村にとって思い出深い長崎にいた。
 その記述から書き起こされ、吉村とともに行商に行った三陸の町々のこと、吉村のデビュー当時の思いなどが綴られていく。
 田野畑の被災を聞いた津村は「村が心配で行きたい」といち早く村役場に電話をいれるのだが、村はまだ混乱状態で津村の希望は実現しなかった。
 強引に行くのではなく、落ち着くのを待つ。このあたりは津村の大人の対応といっていい。
 吉村が生きていてもそうしたかもしれない。
 興味本位で行くのではない。待つこともまた、祈りに近い思いだったに違いない。

 そんな津村が田野畑にはいることができたのは、2012年の6月だった。
 そこで津村は「吉村がいつも釣りをしていた突堤」が残っているかと淡い期待をするが、目にしたのは「コンクリートの残骸」で「漁港としての賑わいは、遠い昔の夢のよう」であったと、作品の後半、被災後の田野畑を描いた訪問記の中に書いている。

 この作品には深い慟哭はない。吉村の警告が生きなかった悔悟もない。
 ただ静かに、吉村が愛した田野畑をじっとみつめている。何故か、そんな津村の横に悲しそうに佇む吉村の姿がいつもあるかのように感じる。
  
(2014/01/11 投稿)

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  今日は
  井上荒野さんの話題作
  『あちらにいる鬼』を紹介します。
  話題作というのは
  この作品で
  井上荒野さんの父である井上光晴さんと
  瀬戸内寂聴さんの不倫の関係が
  描かれているからです。
  この作品が2019年2月に刊行された時は
  瀬戸内寂聴さんはまだお元気で
  単行本の帯カバーに
  推薦の言葉も載せたほどです。
  自身の父と
  先輩作家である寂聴さんのことを書くことを決断した
  井上荒野さんの勇気に
  敬意を表します。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  立派な家を建てる                   

 小説を書くのは、家を建てるのに似ている。
 設計図を書き、土台を組み立てる。屋根をふき、壁をはる。内装、窓、床。
 うまい骨格ができたからといって、住みやすい家になるとは限らない。雨が漏ったらおしまいだし、隙間風が吹いても台無しだ。
 井上荒野のこの作品は、父で作家の井上光晴と不倫関係にあったといわれる瀬戸内寂聴、そして母である光晴の妻をモデルとしたもので、登場人物の名前こそ変えているものの、その関係はほとんど事実と思われる。
 つまり、しっかりとした骨格を持った作品である。
 生前の寂聴に当時の父との関係や自身が家にいて目にしただろう母の父への思いなどあるだろうが、骨格に屋根をふき、壁をこしらえたのは、作家としての井上荒野の力量だろう。

 父のどうしようもない女性関係を娘として糾弾することもできただろうが、おそらく井上荒野にはそのすべは母のものだという認識があったかもしれない。
 荒野の目を通して、寂聴の目が光晴を見、その妻を見ている。
 荒野の目を通して、妻の目が光晴を見、寂聴を見ている。
 さらに、この作品がすごいのは、荒野の目を通して、寂聴の目が荒野を見、母の目が荒野を見ている点だ。
 そういう多重な視点が、この作品を単にモデル小説ではない、文芸作品にしたといえる。

 タイトルにある「あちら」とはどちらなのだろう。
 妻から見た「あちら」なのか、それとも寂聴から見た「あちら」なのか。
 三人ともがすでに鬼籍にはいった、つまりは「あちら」の世界を指しているように思える
  
(2022/03/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  やっと砂原浩太朗さんの
  『高瀬庄左衛門御留書』を
  読み終えました。
  何しろこの本は
  昨年(2021年)どんなに評判になったことか。
  そして、期待どおり(以上といってもいい)の
  名作でした。

    人などと申すは、
    しょせん生きているだけで誰かのさまたげとなるもの
    されど、ときには助けとなることもできましょう…
    均(なら)して平らなら、それで上等

  こんなことがいえる男を主人公にした時点で
  多くの読者の心を揺るがし、
  温めるのではないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  読書の醍醐味を味わえる一冊                   

 直木賞こそ受賞にはならなかったものの、2021年の出版界においてこの作品ほど評価の高かったものはなかった。
 「本の雑誌」の2021年度のベストテンでは3位、もちろん「時代小説ベスト10」にも選ばれている。その記事を書いた縄田一男氏は「今年度、作品の持つ美しさで最も読者を唸らせる一巻」と絶賛している。

 主人公はタイトルにあるように「高瀬庄左衛門」。彼はこれといった特徴もない十万石ほどの神山藩で郡方の仕事についている。
 五十を前にして妻を亡くし、家督を譲った息子も事故で喪う。残された息子の嫁志穂は実家に戻ることになるが、舅庄左衛門を慕って志穂は絵を習いに彼のもとに通う。
 志穂の自身への熱い思いを感じながらも、庄左衛門は地味な郡方の仕事に勤しんでいる。
 そんな庄左衛門がいつの間にか藩の見えざる黒い闇に取り囲まれていく。

 この作品ではそんな藩の闇は解決をみるが、この作品の美しさはそこにあるわけではない。
 年を重ねながら、「いつの間にか、いろいろなことから目をそらす癖がついて」いた庄左衛門だったが、「ちがう生き方があったなどというのは錯覚で、今いるおのれだけがまこと」という境地にまで至っていく。
 庄左衛門をそんな風に変えたのが、志穂であり、彼が出会う若いものたち、そして青春時の友との思い出。
 その友に裏切られ、志穂の身に危害が及びそうになった時、庄左衛門の怒りは頂点に達する。

 ラストの庄左衛門と志穂の別離の場面の、なんという美しさ。
 いい読書であったという満足感で、本を閉じた。
  
(2022/03/09 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  小池真理子さんの
  『月夜の森の梟』を読んで
  感銘を受けたので
  だったらと
  小池真理子さんが直木賞を受賞されて作品も
  読んでみようかと手にしたのが
  今日紹介する『』。
  読んだ時期が
  1972年のあさま山荘事件から50年にあたるのと重なり、
  この物語もまた
  まさにその事件と重なることがあって
  結構自分の中では
  今回の読書体験は
  心に深く染み込みました。
  心がばくばくする読書体験は
  あまりありません。
  そんな一冊になりました。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  胸がバクバクするくらい、すごい名作                   

 第114回直木賞受賞作。(1996年)
 1972年2月28日、雪の軽井沢で起こった連合赤軍によるあさま山荘事件は犯人逮捕の瞬間を迎えていた。それと時を同じくして、同じ軽井沢の別荘で起こった女子学生による男性射殺事件。この長い物語は、何故その事件が起こったのかを描くミステリーである。
 この回の直木賞は五木寛之委員によれば「ほとんど満票と言っていい支持」だったそうで、田辺聖子委員は「軽井沢の風のようにすぎてゆく人生の一瞬を見る思いのする佳篇」と絶賛している。

 2022年はあさま山荘事件から50年となる。
 だとしたら、小池真理子さんが描いたこの物語の事件からも50年となる。
 犯人となった女子学生布美子は、物語の冒頭の1995年に45歳で亡くなっている(つまり、この物語は病気で死を覚悟した彼女がその直前に語った秘密の出来事という構成である)が、彼女を事件へと誘った大学助教授片瀬と妻雛子は、もしかしたら、まだ存命であるかもしれない。
 物語の、虚構の世界の登場人物ながら、彼らにとって50年という時間はどれだけのものだったろうか、とつい考えてしまう。
 同時に、この衝撃的な作品を読んだ読者にとっても、流れた歳月はどうであっただろう。
 田辺聖子さんがいうように、それは「人生の一瞬」であったかもしれないが、人生とはそんな一瞬があればこそ成り立っているのかもしれない。

 主人公布美子が知らないまま逝ってしまった、その最後の謎を知った時、胸に感動の大きな波が立ち上がるようであった。
 すごい作品だ。
  
(2022/03/08 投稿)

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 先日の土曜日(3月5日)、
 関東では春一番が吹いたそうです。

     春一番武蔵野の池波あげて      水原 秋櫻子

 吹いたそうですと書いたのは
 私の住む埼玉ではそんなに風が強くなかったから。
 風もなかったので
 いつもの梅は今が満開。

  20220305_121144_convert_20220305172230.jpg

 畑の作業も少しはしやすくなる陽気になって
 この日はソラマメ整枝を行いました。

  20220305_115608_convert_20220305172203.jpg

 整枝ソラマメの成長が20㎝くらいになったら行います。
 成長のいい枝を7本ほど残して
 あとは刈り取ります。
 こうすると風通しもよくなります。

 その横に植えているスナップエンドウ
 枯れている苗を取り払って
 これから伸びてくる新芽を育てていきます。

  20220305_114402_convert_20220305172125.jpg

 タマネギも今のところは順調。

  20220305_110232_convert_20220305171930.jpg

 でも、あのタマネギの形になるまでには
 まだまだ時間がかかります。

 今畑で収穫時期を迎えているのが
 茎ブロッコリー

  20220305_110825_convert_20220305172004.jpg

 写真のようなものが
 たくさん採れました。

 この日、祝蕾もたくさん採れました。

  20220305_123310_convert_20220305172325.jpg

 子持ち高菜と呼ばれていますが
 初めて栽培したので
 さてどんな風に育つのかよくわからなかったのですが
 ネットなどで調べた形状のものが
 いくつも収穫できました。
 天ぷらにしていただきました。

 この日収穫した野菜たち。

  20220305_122747_convert_20220305172300.jpg

 芽キャベツもいい形に育って
 こちらも天ぷらにしました。
 これが思いのほか絶品で、
 今年は寒かったので甘みがよくでていました。
 どれも春の味を賞味した気分です。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日の絵本は
  ウクライナ民話を絵本にした
  『てぶくろ』です。
  この絵本のことは
  最近のニュース報道で知りました。
  ロシアによるウクライナ侵略で
  多くの人がウクライナのことを知ろうとして、
  この絵本にも注目が集まっているようです。
  ただし、この絵本が日本で出版されたのは
  1965年ですからかなり前のことです。
  その時から何度も版を重ねていますから
  絵本としても人気の一冊なのでしょう。
  ニュースを見て
  図書館で所蔵を知らべると、
  たくさん所蔵していることに驚きました。
  手に取りやすい絵本だと思います。
  一度読んでみてはいかがですか。

  じゃあ、思う。

  

sai.wingpen  「てぶくろ」のような地球になることを祈ります                   

 今回のロシアによるウクライナへの「侵略」で、世界地図を久しぶりに見たという人も多いだろう。
 あらためて、チェルノブイリ原発があった場所に気づかされた人もいるだろうし、隣国との関係など、周りが海に囲まれた日本とはおそらくまるで違う国の成り立ちであったり現在のありようだということがわかる。
 ただ、そんな環境でもあっても、人の心はあまり変わらないのではないだろうか。

 ここに一冊の絵本がある。
 絵を描いた人の名前はある。エウゲーニー・M・ラチョフという人だ。
 でも、文を書いた人の名前はない。
 あるのは、「ウクライナ民話」とあるだけ。
 つまり、この絵本はウクライナで昔から人々の間で伝わってきた物語でできているということ。
 おじいさんが雪の道で落とした、片方のてぶくろ。
 そこに、ねずみがやってきて、住処にすることに決める。すると、今度はかえるがやってきて、一緒に住むことになる。
 さらには、うさぎ、きつね、おおかみ、いのししと、たった一つのてぶくろに次々と大きな森の動物たちが住み始める。
 最後には、くままでやってくる。

 てぶくろに住む動物たちが次第に大きなものになっていくのは面白いが、その動物たちが決して殺し合いをしない。
 おおかみが小さなねずみやうさぎを襲うこともできるはずなのに、この民話では争いも侵略も起こらない。
 ウクライナはきっとそんな平和な心をもった国なんだろう。
 どんな民族もともに仲良く暮らせる「てぶくろ」のような地球にできないものだろうか。
  
(2022/03/06 投稿)

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 今日は二十四節気のひとつ、啓蟄
 春の足音が聞こえてきました。
 三月といえば、卒業式の季節。

    卒業や見とれてしまふほどの雨        櫂 未知子

 卒業といえば
 以前映画「卒業」を紹介しました。
 あの映画はダスティン・ホフマンのデビューまもない作品でしたが
 そのあとの彼の活躍は目を見張るものがあります。
 1979年の「クレイマー・クレイマー」と
 1988年の「レインマン」で
 二度もアカデミー賞男優賞を受賞してるのですから
 すごい俳優です。
 今日はそのうちの1本、
 映画「レインマン」の話です。

  

 映画「レインマン」は
 ダスティン・ホフマンアカデミー賞の主演男優賞を受賞しただけでなく
 作品賞監督賞も受賞している名作です。
 監督はバリー・レヴィンソン
 日本での公開は1989年2月で
 この映画に感動した人も多いと思います。
 今回たまたまCS放送で放映されていたので
 再見しました。
 それで思ったのですが
 この映画は映画の王道といえるくらい
 うまく作られているということです。

 この映画にダスティン・ホフマンのほかにもう一人主役がいます。
 それがトム・クルーズ演じる短気で粗野な男。
 父親が死んでその遺産を目当てにやってきますが
 遺産のほとんどは見もしらない男に残されていました。
 それがサヴァン症候群で施設にはいっていた
 ダスティン・ホフマン演じる彼の実の兄だったのです。
 弟は遺産をせしめようと
 兄を施設から連れ出してしまいます。
 兄との旅で弟の感情に変化が生じてきます。
 以前シナリオの勉強をしていた時によくいわれたのが
 主人公の変化を描くことでした。
 まさにこの映画がそう。
 コミュニケーションがうまくとれない兄との旅で
 荒れていた弟の気持ちに変化が起こっていくのが
 観ている側にはとてもよくわかります。
 なので、この映画はとても感情移入しやすい。

 そして、映画の王道ともいえる
 ロード・ムービーにもなっているし、
 相棒ではないですが
 2人組ということでは典型的なバディものになっています。
 つまり、
 映画「レインマン」は映画が楽しめる要素をぎっちり詰めた作品だから
 名作になったといえるのです。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  桜木紫乃さんの
  『ブルース Red(レッド)』を
  紹介します。
  書評にも書きましたが
  この作品は2014年に刊行された
  『ブルース』の続編にあたります。
  私は2015年1月10日に
  書評を書いています。
  そして、かなり絶賛しています。
  ところが、
  全然覚えていないんです。
  書評を読み返しても
  記憶が戻らない。
  さすがに7年も経つも
  人の記憶なんてそんなものなんでしょうか。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  かっこいい女                   

 この作品には、前作がある。
 タイトルも『ブルース』。
 前作の主人公は、この作品の中でもたびたびその名が出てくる、6本めの指を持ってうまれた影山博人。釧路の街を闇から牛耳った男。
 前作はそんな闇の男の半生を描いた連作短編集で、2014年に刊行された。
 その続編といえるこの作品を読むに際して、実は前作の内容をほとんど覚えていなかった。
 そんな読者だけでなく、最近作者である桜木紫乃のファンになったという人には前作を知らないままこの作品を読んだということもあるだろう。
 もちろん、前作の影山博人の闇を読むに越したことはないが、その義理の娘である莉菜という女性の半生に付き合うのも悪くはない。

 この作品も前作同様、連作短編集の形となっている。
 最初の「最愛」が書かれたのが2016年で、最後の10作めの「祈り島」は2021年に書き終わっている。
 なんと桜木は5年の歳月をかけて、一人の女性の半生を描き続けたことになる。
 その女性も、この作品の中で次第に若さをうしない、年老いていく姿をさらけ出していく。それでいて、どの作品でもこの女性莉菜はかっこいい。
 ここでいう「かっこいい」とは、ほとんど誰の世話にもならず自立しているという意味で。

 「莉菜は死に場所を探しながら年を重ねてきましたが、人は流されながら年を取り、丸くなっていく。そうやって生きているといいこともある」、これは作品を書き終えた桜木紫乃の、かっこいい言葉だ。
  
(2022/03/04 投稿)

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  今日紹介する
  朝井まかてさんの『ボタニカ』の主人公
  植物学者の牧野富太郎
  もしかしたら
  ちょっとしたブームなのかもしれません。
  先ごろ2023年前期の
  NHK朝ドラの発表があって
  それによると牧野富太郎をモデルにした
  「らんまん」に決まったそうです。
  主演が神木隆之介さん。
  どんなドラマになるのか
  朝井まかてさんの小説を読み終わったあと
  さらに興味がわきました。
  それにしても
  朝井まかてさんはハズレなしの作家です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  朝井まかてさんはまたも感動作を生み出した                   

 植物学者牧野富太郎のことは、その生涯や業績は知らなくても、名前だけが知っているという人は多いかもしれない。
 理科の授業であったか、日本史のそれであったか、よくは覚えていないが、子供向けの伝記もたくさん出版されているようだから、有名人であることは間違いない。
 本作品は朝井まかてによる牧野の生涯を描いた長編小説である。

 タイトルの「ボタニカ」は「植物」を指す言葉だが、この作品の中で若い頃の牧野がその意味を尋ねられて「種」と答える場面がある。
 牧野のこの国の植物学や教育の現場で果たした役割もまた「種」であったのだろうと、この長い物語を読み終わって感じた。

 それにしても牧野のような生き方が誰もができるわけではない。
 土佐(高知県)の酒づくりの大店の息子でありながら、その財産をすべて自身の学問に使い果たし、故郷に妻がいながらも学問の地には女と別の所帯を持つ。
 いくら学問ができたとはいえ、こういう人物を親戚に持つと大変だろうが、故郷の本妻(やがて離縁するが)も東京での女(やがて本妻となるが)も牧野を支え続ける。
 あるいは、小学校中退という学歴しかなく研究を続けた大学で冷や飯を食い続けるが、その一方で彼の支援し続ける人もいた。
 「人生は、誰と出逢うかだ。」、本作の終盤近くに、朝井はこう書いた。

 それにしても、朝井の筆のなんと自由闊達なことか。
 特に最後の10数行の文章は、作者の心の高ぶりがそのまま伝わってくる、詩のような名文だ。
 牧野風に書くならば、草木の澄み切った露のような。
  
(2022/03/03 投稿)

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  俳人の稲畑汀子さんが2月27日に亡くなりました。
  91歳でした。
  稲畑汀子さんはあの高浜虚子のお孫さんにあたります。
  俳誌「ホトトギス」の名誉主宰で
  朝日新聞の俳句投稿欄「朝日俳壇」の選者を
  約40年にわたって続けてこられました。
  稲畑汀子さんの俳句は
  高浜虚子の教えそのままに
  「花鳥風月」「有季定型」と
  その信念は揺らぐことはありませんでした。
  稲畑汀子さんは晩年のインタビューで
  「新しい発見に感動する心があれば、
  いい俳句がいくらでもできますよ」と
  語っていたといいます。

    今日何も彼もなにもかも春らしく       稲畑 汀子

  稲畑汀子さんの二十歳の時の句です。

  稲畑汀子さん
  お疲れ様でした。

  ご冥福をお祈りします

  

sai.wingpen  俳句は新しい発見                   

 雑誌「ホトトギス」といえば、今では俳誌として有名だが、明治の時代愛媛松山で創刊されたそれを東京で引き継ぎ、編集に携わったのが高浜虚子だ。
 夏目漱石の名を一躍有名にした『吾輩は猫である』が載ったのも「ホトトギス」であったように初期の頃は文芸誌のような構成であった。というのも、虚子が一旦俳句の世界から遠ざかったことが要因でもある。
 そんな虚子が俳壇に戻ったのが大正になってからで、以降「ホトトギス」は俳壇で大きな位置を占めることになる。

 稲畑汀子さんは高浜虚子の孫にあたる。
 父親が虚子の子年尾で、虚子のあとを継いで「ホトトギス」主宰となり、汀子さんはその父のあとを継いで主宰、そして現在は汀子さんの息子である稲畑廣太郎さんが次の主宰となっている。
 稲畑汀子さんは名誉主宰である。
 こうして名前だけを連ねても虚子の世界がいかに大きかったかわかるし、「ホトトギス」の影響の深さも想像できる。
 汀子さんはかつて「NHK俳壇」の選者でもあり、そのテキストにも連載記事を綴っていた。
 それがこの本の「選句という大事」と「句会の力」で、これに「ホトトギス」に綴った「俳句随想」が合わさって編まれている。
 そういうことでいえば、これこそ「ホトトギス」の本髄といえるかもしれない。

 汀子さんは「俳句は理屈ではない」という。
 「興味を持って物を見る心をいつも若々しくしていなければ俳句はできないだろう」と続ける。
 この本にはそんな汀子さんが作った「俳句の作り方 十のないないづくし」が載っている。
 きっと作句の参考になるに違いない。
  
(2019/11/08 投稿)

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