07/31/2022 すいかに塩ふって食べますか? - すいかごろごろ(文 すとう あさえ/絵 北村 裕花)

ついため息がでる。
子供の頃は、といってももう半世紀以上も前のことだが
家族も多かったし、スイカを丸ごと買ってもみんなで食べてしまえたものだ。
最近は家庭菜園で小ぶりの小玉すいかを栽培するのが人気だったり
スーパーではカットすいかが売り場を占領したりしているのも
時代の変化なんだと思う。

文を書いたすとうあさえさんには「おいしい行事のえほん」シリーズなどもあって、
生活の場を大切にする人なんだろうと推測する。
すいかはどの「こよみ」に合うかといえば、やはり「大暑」だろう。
この絵本の巻末にすとうさんの短文が載っていて、
そこに「「大暑」は、すいか!」と書かれている。
暑い時期だからこそ、すいかのおいしさがひとしおになる。

子供の頃はすいかには必ず塩をふりかけていたものだ。
そうすると、甘味がますと教えられたものだ。
そんなすいかの思い出を
すとうあさえさんの文とともに北村裕花さんのほのぼのとした絵が
醸し出してくれる。
すいかを食べている家族の
なんともいえない幸福そうな顔といったら。


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07/30/2022 今日は2本立てです - 映画「エール!」と「コーダ あいのうた」の話

濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」が作品賞にノミネートされ
いつも以上に熱気がありましたが、
そんな中、作品賞を受賞したのが
シアン・ヘダー監督の「コーダ あいのうた」でした。
「コーダ」というのは
聴覚障害のある親を持ちながら自身は障害のない子供のことをいいます。
そして、この映画が
2014年のフランス映画「エール!」のリメイク版であることは
よく知られています。
今日はこの2作の豪華2本立てです。
ちなみに、この2作は
アマゾンプライムで観ることができますよ。

ヒロイン以外の家族全員聴覚障害という設定です。
そんななか、ヒロインには歌の才能があって
家族を離れて歌の道に進もうという姿を描いた映画です。

まず家族の環境です。
「エール!」の方は酪農を営む家族で
「コーダ」の方は、漁業を営む家族です。
なので、漁船にはいつもヒロインが乗り込んでいて、
家族との関係性がつよくなっています。
それと、ヒロインの兄弟が違います。
「エール!」は弟、「コーダ」は兄。

感じました。
「エール!」はどちらかといえば、コミカルの要素が多い。
もちろん、ラストには感動がありますが、
障害者を扱っていますが、コミカルに描くことで
障害を感じなくさせています。
一方、「コーダ」は作品として質感がつまったものに出来上がっています。
ヒロインと彼女が想いを寄せる少年との淡い恋、
母親のヒロインへの愛情、
家族とのふれあい、
どれひとつとっても
揺るぐものはありません。
2つの作品ともに
ラスト、歌のオーディションを受けるヒロインが
家族がいることを知って手話で歌詞を歌う場面には
やはりグッときます。

まず「エール!」、それから「コーダ あいのうた」の順番が
いいかな。
きっと感動が深まります。

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「人気スパイ映画「007」シリーズのテーマ曲「ジェームズ・ボンドのテーマ」を作曲した、
英国の作曲家モンティ・ノーマンさんが11日、亡くなった」(日刊スポーツから)
「007」の冒頭、このテーマに合わせて颯爽と登場するボンドにどんな魅せられたことか。
それほどに映像と音楽は切り離せられない関係といっていい。
「「映画音楽」こそ、言い換えれば「映画」そのもの。」と、
『映画音楽はかく語りき』の著者志田一穂さんはいう。
誰にだって、耳が覚えている映画はきっとあるはず。
モンティ・ノーマンさんはそんな耳が覚えた映画音楽を生み出した一人だった。

志田さんのこの本も「はじめに」から読んだ。
本の構成として1984年当時の14歳の自身(志田さんは1970年生まれ)をタイムマシーンに乗せて
「映画音楽」の歴史を巡る旅に出ると書かれていて、
その文体が軽くて、そのノリで読み始めたが、それがどうだろう。
映画音楽誕生の1895年から実に巧みに映画と映画音楽の歴史をまとめ上げた、
映画の教科書ともいえる一冊に仕上がっている。

そのあとに登場するスピルバーグもルーカスも
さらには最近のアベンジャーズまで網羅。
しかも、日本映画にも言及しているのだから、映画論としては完璧。
もちろん、ページ数に限りがあるからコンパクトではあるが、
この一冊で映画と映画音楽が歩んできた道がわかるはず。
もちろん、モンティ・ノーマンさんの名前も載ってる。

オススメの一冊である。

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07/28/2022 ハロウィーン・パーティ(アガサ・クリスティー):書評「少女を殺してはいけません」

今日は
アガサ・クリスティーの『ハロウィーン・パーティ』を
紹介します。
ちょっと季節的にはどうかと思いましたが、
この作品は前回読んだ『マギンティ夫人は死んだ』に登場した
スペンス警視がまた出ているというので
読んでみました。
今回の作品では彼は警察を引退していて
ポアロも実は確実に年齢を重ねているのが
よくわかります。
シリーズものの難しいところは
登場人物の年の変化かもしれません。
今回の作品は
いつもの霜月蒼さんの
『アガサ・クリスティー完全攻略』では
★★★でしたが
私ならもうひとつ★つけるかな。
じゃあ、読もう。

アガサ・クリスティーの「ポアロもの」といわれる長編小説は全部で33冊あるそうだ。
1969年に発表されたこの作品(原題も邦題と同じ『Hallowe’en Party』)はその31作目というから、後期の作品である。
後期の「ポアロもの」に欠かせなくなった女性の探偵作家(というだけで、アガサ自身の姿が投影されていると考えてしまうが)オリヴァ夫人が事件の導入部をスムーズに進めてくれる。ポアロも彼女のおかげで、うまく登場している。
それにしても、今回の事件は「ポアロもの」の中でも悲惨である。
ポアロが解決してきた事件は殺人事件がほとんどだから悲惨には違いないが、今回の被害者は13歳の少女で、水の入った樽に頭を押し込まれて水死させられるのだから、異常な殺人だ。
しかも、10歳になる彼女の弟も水死で殺される。
何故、彼女は殺されてしまうのか。
そのきっかけとなるのが「ハロウィーン・パーティ」。
少女はそこで昔人殺しを見たと嘘をつく。実際それを見たのは別のものなのだが。
それを耳にした犯人が口封じのために彼女を殺すのだ。
オリヴァ夫人に事件の解明を依頼られたポアロは、その時パーティ会場にいたものへの聞き取りを始める。
ポアロとともにその証言に立ち会う賢明な読者なら、もしかしたら犯人に見つけ出せるかもしれない。
そして、この事件の最後には思いがけない真実も明らかになるが、果たしてそれは必要だったのだろうか。
一気にメロドラマ風に仕上がってしまった感は否めない。
(2022/07/28 投稿)

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レビュープラス

紹介されている数や内容ではなく、読者に読みたいとか観たいといかに思わせるかどうかだろう。
それでも、ガイドの書き手と趣味嗜好が全く同じということはないから、
全部が全部読みたい観たいということにはならない。
野球選手の名バッターでも打率が3割を越えればすごいように、
まずは3割でも読みたい観たいと思ったら、その本は読者にとっては名ガイド本といっていい。

それ以外にもオススメ映画とか文章にちょこっと触れられたものも含めれば316本になる。
その3割だとした90本以上だが、
さすがにこの本を読んでたちまちTSUTAYAにDVDを借りに行こうと思ったのはそこまでには届かない。
本を読みながら、TSUTAYAのDVD在庫を確認したのは何本かあったのも事実だが。

ご自身の意向はどうあれ出版する側からすれば、「定年後」という看板をかけたくなるのはわかる。
それに、定年後は時間があると思われているから、映画はバンバン観れるはずというのもわかる。
でも、「定年後」の読者なら自分なりの観たい映画はきっとあるはず。
その参考のために読んでみるのが、おそらくこの本の一番の活用方法かもしれない。

どれだけ嗜好が合うか試してみるのも面白いだろう。
少なくとも私の場合、「冒険者たち」(1967年)のジョアンナ・シムカスが大好きなのは同じだった。

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07/26/2022 葉室麟版『坂の上の雲』を読みたかった - 読書の森で寝転んで(葉室 麟)

もうすぐ5年になる。
没後間もなくは未刊行だった作品がそれでも刊行されていたが、
さすがに5年も経てば新しい本も出なくなったと淋しく思っていたところに、
文春文庫からオリジナル作品として2022年6月に出たのが『読書の森で寝転んで』という一冊だ。
この中には、葉室さんが2016年頃新聞に書いていた書評や時々の随筆、
あるいは2014年に山形で行われた小説講座での講義録、
さらには未刊行の掌編と連載を始めようとしていた『大獄』第二部のための遺稿と、
葉室ファンにとっては貴重な内容が満載となっている。

『乾山晩愁』で歴史文学賞を受賞したのが2005年。
それから作家として活動したのは、わずか12年ばかり。
その間に葉室さんはなんと多くの作品を残してくれたことか。
この本に収載されている文学講座で作品が多いことを問われて、
「残り時間を考えるので、やれる仕事はやる、と決めていますから」と答えているのが、印象的だ。

その中で、葉室さんは西郷隆盛を書いたあとは「私なりの『坂の上の雲』を書いてみたい」と語っている。
尊敬してやまなかった司馬遼太郎さんを意識し、
また違った『坂の上の雲』を書きたいと願った葉室さんだが、
私たちがもうそれを読むことはないのが残念だし、悔しい。

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07/25/2022 メロンは難しかった - わたしの菜園日記

二十四節気のひとつ、大暑でした。

字のごとく、暑さがピークになる頃。
大暑を詠んだ俳句として有名なのが、これ。
兎も片耳垂るる大暑かな 芥川 龍之介
暑さのせいもあるのでしょうか、
先月の終わり頃蒔いたニンジンが全然発芽しません。
大暑の日にもう一度蒔き直ししましたが
どうでしょうか。
ニンジンは発芽がうまくいけば半分は成功といわれるほど。
うまく出てくれればいいのですが。

キュウリはびっくりするほど大きくなります。
それと気をつけないといけないのが
葉のかげになって見落としてしまうこと。

なので、横からだけでなく、
下からものぞいて
見落としのないようにします。

大きな枝葉を切り落としたのですが
びっくりしたのは
茎が空洞になっていて、
ちょっとしたホースみたい。

ここからポタポタと水が落ちてきます。
いやあ、自然界の面白さですよね。

メロンのコロタン。
出来た一個も大きくならないので収穫しました。

切ると、ちょっとはメロンらしくありましたが、
食べるまでにはいきませんでした。
メロンは難しいな。


そして、ミニパプリカもやっと赤くなったので
収穫しました。

左の方にあるのはクウシンサイ。

可憐なオクラの花で暑中お見舞いです。


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07/24/2022 幻の絵本を読む - このえほん(文 谷川 俊太郎/絵 和田 誠)

たくさんの絵本の制作にも携わっています。
「絵本のある暮らし 月刊モエ」の7月号では
そんな谷川さんの絵本が特集されていました。
このブログでも紹介しましたね。
その中に
私の大好きなイラストレーター和田誠さんとコンビを組んだ
幻の絵本が紹介されていました。
それが、今日紹介する『このえほん』。


1974年11月号で
現在は品切れなのでなかなか手にすることはできません。
こんな時に便利なのが図書館。
さっそく所蔵を調べたら、ありました、ありました。
図書館なら幻にも出会えます、
なんてキャッチフレーズにできそう。

一冊の絵本が手元に届くまでの過程を逆にさかのぼっていきます。
倉庫、製本、印刷所、みたいに。
途中で作り手たちの取材の様子も描かれていて
そこでは谷川さんと和田さんのそっくりさんが登場します。
もちろん、お二人ともお若いですが。
さらには紙がどんなふうに作られていくかまで
描かれています。
最後に描かれているのは何だと思います?
それは、ひとつぶの種。

絵本には物としての絵本、いわば創造としての絵本、
いいかえれば絵本の外面と内面ともいうべきものがありますね。
その2つの大変異なった過程を結びつけるのに苦労しました。

品切れなんて、もったいない。

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07/23/2022 夏だ!海だ!深海だーあ!! - 映画「海底二万哩(マイル)」の話

巡回映画会みたいなものがありました。
講堂に大きなスクリーンが張られ、
児童が一同に集められて映画を鑑賞します。
椅子なんかありません。
みんな体育座りですね。
ここからは私の覚束ない記憶ですが
その時観たのは
ディズニー映画の「海底二万哩(マイル)」だったはず。
でも、今この映画を
ディズニープラスで観ると2時間強の
結構長い作品で
小学生がそんなに長い間
おとなしく観ていたのかな。
でも、大きなイカと戦っている場面
記憶の深海で眠っているのだけど。
今日は映画「海底二万哩(マイル)」の話です。

日本では1955年(昭和30年)に公開されています。
原作はあのジュール・ヴェルヌで、
1870年に発表したSF小説です。
ジュール・ヴェルヌはSFの父とも呼ばれた作家で
この作品のように深海を描いただけでなく
月旅行や地底まで想像してしまうのだから
すごいものです。
さらには夏休みの定番みたいな『十五少年漂流記』も
この人の作品。
近代文学や映画にすごく影響を与えた作家です。

リチャード・フライシャー
この監督はあの「ミクロの決死圏」(1966年)という
当時としてはすごい特撮の作品を撮ったように
この「海底二万哩(マイル)」でも
深海の大イカと闘う場面など
当時の子供にはハラハラドキドキものだったに違いありません。
荒々しいが勇敢な銛うちの男をカーク・ダグラスが演じています。
カーク・ダグラスといえば西部劇が似合う俳優で
ちょっと見は「あしたのジョー」の力石徹みたいな顔をしています。

主人公であるネモ船長によって作られたもので
アメリカが世界で初めて作った原子力潜水艦は
この物語からノーチラス号と命名されてほど。

なかなかうまく作られていると
「小さいわたし」(←益田ミリさん風)ならいうかな。

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直木賞候補は『じっと手を見る』『トリニティ』についで、すでに3回めで
『ミクマリ』で第8回女による女のためのR-18文学賞大賞を受賞したのが2009年だから、
窪さんの作家としての実績もすでに10年以上。
『ふがいない僕は空を見た』で第24回山本周五郎賞を受賞したのが2010年だから、
直木賞という新人賞は、窪さんには少し遠くなったかもしれないと、正直にいえば、
この『夜に星を放つ』での受賞はないかもと観念していたところ。
それがそれが、これまでずっと窪美澄さんの作品を読み続けて読者として
こんなにうれしいことはありません。

本のタイトルがしめすように、この短編集には星座をちりばめた作品5編が収められている。
発表年度もさまざまで、もっとも古いのが2015年に発表された「銀紙色のアンタレス」。
実はこの短編は2016年に刊行された『すみなれたからだ』に既に所載のもの。
一番新しいのが2021年に発表された「真夜中のアボカド」と「星の随(まにま)に」。
2つの作品にはコロナ禍でのマスク越しの恋愛や営業自粛でぎくしゃくした家族が描かれて、
ひと夏の純な少年の恋を描いた「銀紙色のアンタレス」とは随分違うところにきたと思わせられる。
それは窪さんがこれまで描いてきた作品の変化ともいえるし、
逆に窪さんがこれまでもずっと描き続けてきた、人と人との距離の取り方そのものといえる。
窪さんが変わってのではなく、私たちの世界がその距離の取り方を変えてきているような気がする。
そういう時代の変化をこの短編集で味わうのもいい。


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昨日発表された
第167回芥川賞直木賞の結果は
私としては大満足となりました。
芥川賞が高瀬隼子さんの『おいしいごはんが食べられますように』、
直木賞が窪美澄さんの『夜に星を放つ』。
高瀬隼子さんについては
このブログでも何度も書いていたように
今私の推しの作家ですし、
窪美澄さんはデビュー当時からずっと読み続けてきた作家でもあります。
しかも、今回の2つの作品については
すでに読了済みですから
受賞予感としては大当たり。
今日はまず
高瀬隼子さんの『おいしいごはんが食べられますように』を再録書評で
明日は窪美澄さんの『夜に星を放つ』を
紹介します。
何はともあれ
おめでとうございます。

第167回芥川賞受賞作。
第165回芥川賞候補作となった『水たまりで息をする』は受賞には至らなかったが、評価的には悪くなかったし、難しい題材ながら文学作品としてすっと心に届いた。
なので、高瀬隼子(じゅんこ)という作家は覚えておこうと思った。
それに続く作品が本作ということになる。
職場の中の微妙な人間関係を描いて、それはきっとどこの職場でもアルアルなのだが、高瀬さんが描くと独特なニュアンスの、人と人との息が届く距離感が巧みに浮かぶ上がってくる。
主人公の二谷という若い男は食べ物に関して、カップ麺で腹が満たされたらいい程度で、ほとんど興味をもっていない。
彼と同じ職場に芦川さんという若い女子社員がいる。体が弱いのか、仕事にさほど意欲を持っていないが、その態度がかわいくて、男の先輩社員らの受けがいい。
そんな芦川さんが苦手という、押尾さんという女子社員がいる。
彼女が二谷にこう声をかける。
「わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか」
ところが、二谷と芦川さんがいつの間にか関係を持ち、芦川さんは二谷のために手料理をつくる関係になっていく。
そればかりか、職場に手づくりのケーキやクッキーなんかも持ってくるようになり、職場での芦川さん人気はさらに高まる。
こういう関係って、ありそうだ。
押尾さんがそんな職場からはじかれていくのは仕方がないが、面白いのは食べ物に関心のない二谷だ。
芦川さんの好意を見えないところで拒絶している男。
多分日常の世界では覗きえない人との関係を、小説なら描けるんだと、高瀬さんは証明してくれている。
(2022/05/20 投稿)

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レビュープラス
07/20/2022 タイムマシンに乗って - 小さいわたし(益田 ミリ)

凡人にはとうていそんなことはない。
では、いつの頃の記憶からあるかといえば、
幼稚園に行ったあたりだとうっすらと覚えている。
小学生ともなれば、もう少しはっきりしてくる。
それは誰しもそうかもしれず、この本の著者益田ミリさんもそうみたいだ。
「全部は覚えていなくても、胸が熱くなるようなあの楽しかった感覚がずっと残り続けている」という益田さんが、
「短いこども時代の思い出をもとにした物語」を綴ったのが、
2022年6月に刊行されたばかりの『小さいわたし』だ。

本当の「小さな」益田さんは両親のことを
「お父さん、お母さん」と呼んでいたそうで、
「パパ、ママ」と呼ぶのが憧れで
この物語ではそう変えているということ。
子供の頃というのは、そういう呼び方ひとつ憧れがあって
ピアノなんかもそうだろう。
この本の中でも
「小さいわたし」がピアノに憧れ、ピアノ教室に通うエピソードが出てくる。
ところが、憧れで始めたピアノが続かない。
誰にもそんな経験はないだろうか。

大好きだった担任の先生のよその学校への異動で終わる。
そんな「小さいわたし」に
益田さんはこんなメッセージをおくっている。
「いっしょうけんめい遊んでくれてありがとう。キミのおかげで、おとなになってもときどき幸せな気持ちになれるんだよ。」

「ドラえもん」でのび太くんが優しかったおばあちゃんに会いにいくエピソード。
のび太くん、あの時「小さい」のび太くんに会っているんだ。

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07/19/2022 国際子ども図書館に行ってみませんか - 夢見る帝国図書館(中島 京子)

国立国会図書館の児童書専門図書館で、
絵本や児童書が愛する人にとっては一度は訪ねてみたい図書館のひとつです。
所蔵されている本や絵本もそうですが、
なんといってもこの図書館の魅力は「レンガ棟」と呼ばれる重厚な建物です。
明治39年に建てられた元の建物の雰囲気がそのまま生かされています。
当時の建物の名前が「帝国図書館」。
中島京子さんが2019年に上梓した『夢見る帝国図書館』は、
ここが舞台となった長編小説です。

ひとつは、もちろん「帝国図書館」そのもの。
建物あるいは施設にも物語があります。
明治維新後、西洋文明に追いつこうとした人々は
図書館の建設に夢と力を注ぎます。
しかし、国内国外の戦争で予算がとれず、ようやく明治39年に
上野の地に図書館はできます。
そして、そこを訊ねただろう近代文学を支えた若い人たちの姿。
「帝国図書館」の物語は
そんな図書館を愛する人たちとあります。

「わたし」が偶然上野で出会った喜和子という老嬢。
彼女が生きた戦後間もない上野の焼き跡、そして耐えるだけの結婚生活、
娘を残して再び舞い戻った上野。
戦後の女性史そのままのような喜和子の物語が
綴られていきます。
時代が昭和から平成、令和とつながり、
喜和子さんの孫娘の世代になって
ようやく時代の結びめがほどけていくところで
この長い物語はおわります。

「帝国図書館」が「国際子ども図書館」として
生まれ変われたのも
歴史の光明なのかもしれないと思えて仕方がありません。

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07/18/2022 戻り梅雨 - わたしの菜園日記

今頃になって雨が続きます。
梅雨明けのあと梅雨のような雨が続くことを
「戻り梅雨」といって、俳句の季語にもあります。
振つて確かむ電球の切れ戻り梅雨 岡本 眸
この雨に田んぼの稲の生育が一段と進んで気がします。


雨の水分を吸って
こらえきれなくなった実が写真のように
割れ始めました。

今年は梅雨が短くて
たくさん収穫できると楽しみにしていたのですが。

あまり大きくならないうちに
畑に行って収穫をします。

写真に写っているエダマメは今年最後の収穫。
エダマメのあとに
青ジソ赤ジソの苗をもらったので
植え付けました。

季節が進むと
育てる野菜も少しずつ変わってきます。

_convert_20220717090206.jpg)
すみっこに今年初めて採れたオクラがあります。
上のほうにミズナもあって
今年は葉物もまずまず育ちました。

ミニパプリカ。

でも、なんだか色がよくないですね。
これでパプリカ独特の
鮮やかな赤色になるのかな。

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07/17/2022 オオカミの足あとを追え - オオカミ王ロボ(あべ弘士のシートン動物記①)

あべさんの名前を一躍有名にしたのは、
オオカミとヤギとの交流を描いた木村裕一さんの『あらしのよるに』という作品の絵を描いた時で、
動物園の飼育員としての経験が生かされたといえます。
その後も、あべさんは動物たちが登場する絵本を、
別の人が文を書くこともありますし、自身で文も書くことがあります、多く出版してきました。

男の子の読書体験に『シートン動物記』はとても重要な作品だったのではないでしょうか。
女の子が『赤毛のアン』にはまっていくように。
なので、あべさんが『シートン動物記』から自ら文と絵を描いた作品集が出たとして、ちっとも不思議ではないし、
あべさんの思いが叶えられたようで、読者としてもうれしいシリーズになっています。

表紙のオオカミを正面から描いた絵など、あべさんの渾身の一枚ではないでしょうか。
物語の中で、オオカミの足跡が狂暴で知恵の働くロボというオオカミを退治するキーになっていますが、
児童書として刊行されている本ではなかなか見ることができない、オオカミの足跡が描かれていて、
なるほどオオカミというのはこういう足跡なのかと納得がいくように描かれています。
もちろん、実際のシートンの物語はもっと長い作品ですから、
あべさんの本を読んで満足するのではなく、ぜひちゃんと訳された本を次には読むことを薦めます。

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07/16/2022 映画館でつかまえて - 映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」の話

私としてはかなり珍しい。
それは海外の作品で
二冊の本は書名も翻訳者も違う。
ひとつは野崎孝さんが訳した『ライ麦畑でつかまえて』、
もう一冊が村上春樹さん訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』。
作者はアメリカの作家J・D・サリンジャー。
原題は『The Catcher in the Rye』だから
村上春樹さん訳は直訳になるが
やはり馴染みがあるのは『ライ麦畑でつかまえて』だろう。
世界中で読まれた作品だが
作者のサリンジャー氏については謎が多く
ほとんど隠遁者のようだったそうだが。
そんなサリンジャー氏の半生を映画化した作品を
先日アマゾンプライムで観ました。
今日は
映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」の話です。

日本での公開は2019年ですが
アメリカでは2017年に公開されています。
原題が「Rebel in the Rye」で、「rebel」は「反逆者」という意味。
作家を目指すサリンジャー(ニコラス・ホルトがいい)が
第二次世界大戦での戦争体験で心のバランスを壊しながら
代表作ともいえる『ライ麦畑でつかまえて』を書き上げる姿を
描いている。
本が爆発的に売れる一方で
サリンジャーは再び心のバランスを崩していくのだが
その姿を見ていると
作家というのも大変だと思えてくる。

サリンジャー氏は若い時に
後にチャップリンの妻となるウーナ・オニールと交際をしていて
もしかしたら彼が兵役につかなかったら
ウーナとの結婚もあったかもしれないし、
そうなれば『ライ麦畑でつかまえて』は書かれなかったかもしれないし。
チャンプリンだって
後期の名作は生まれなかったかもしれない。
運命の奇妙な糸のもつれを感じた。

この映画はとてもわかりやすいだろう。
久しぶりに『ライ麦畑でつかまえて』を読みたくなった。
読むなら、野崎孝訳かな、やっぱり。

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07/15/2022 もっと吉村昭が読みたくなる一冊 - 吉村昭の人生作法(谷口 桂子))

よく目にするのが亡くなった人特有の言葉との組み合わせで
有名なのが太宰治の「桜桃忌」や芥川龍之介の「河童忌」で
すでに季語として『歳時記』にも載っている。
まだそこまでの認知はないが
作家吉村昭の忌日は「悠遠忌」と呼ばれている。
吉村昭が亡くなったのが、2006年7月31日。
もうすぐ16回めの「悠遠忌」がやってきます。

小説371作を残しました。
その他にも数多くのエッセイも書いていて
没後16年経っても、多くの読者を持つ稀有な作家の一人です。
その硬質な文体から
男性の読者からの支持が多いと思いますが、
この『吉村昭の人生作法』の著者である谷口桂子さんのように
女性の読者をも惹きつける作家だったといえます。
谷口さんの場合、
あまりにも吉村昭が好きすぎて
すでに『食と酒 吉村昭の流儀』という本があるぐらいです。

吉村昭という人の生きてきた姿勢が描かれています。
それを「日常」「仕事」「家庭」「余暇」「人生」の五つの場面ごとに
まとめられていて、
特に最後の「人生」についての章には
「幸せだなあ、と毎朝つぶやいて」という
吉村昭の晩年の思いが添えられている。
若い頃死病といわれた結核の病から手術により一命をとりとめたその命を
吉村昭は終生大事にしていたという。
誰もが年を老い、死と対峙する日々を迎える。
そういう時、吉村昭の過ごした晩年なり死生観は
私たちに勇気を与えるだろう。

もう一度吉村昭を読んでみようと思っている読者にも
吉村昭という人生を知る
道しるべのような一冊だ。

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07/14/2022 今こそもう一度読んでみてほしい一冊 - テロルの決算(沢木 耕太郎)

これは昭和35年(1960年)10月12日に起こった、
社会党党首浅沼稲次郎が17歳の少年山口二矢(おとや)によって刺殺されるという事件のあと、
その時の警備責任者だった丸の内署署長寺本への国家公安委員会からの訓告の一節である。
この訓告を記したあと、このノンフィクションの作者沢木耕太郎はこう続けた。
「しかし、この時、どのような「臨機の処置」が可能であったのか、後になって寺本はある口惜しさと共に思い起こすことになる。」

沢木耕太郎の『テロルの決算』。
昭和35年に起こった浅沼稲次郎社会党党首刺殺事件を描いたノンフィクションである。
刺殺犯である山口二矢について書いてみたいと、沢木は長く思っていたという。
この作品が書かれたのは、事件から18年後の、昭和53年(1978年)。
ニュージャーナリズムの旗手と呼ばれていても、沢木もまだ20代の若い書き手で、
彼にとっても初めての長編ノンフィクションとなる。
事件当日の山口少年の動向、そしてどのように事件が起こり、何故それが止められなかったか、
克明に描かれているのは、沢木の取材力もあるだろうが、
やはり歳月の大きさがあるだろう。
犯人の山口二矢が犯行後送られた少年鑑別所で自死しているが、
取り調べ調書の記録が残っていて、彼の動機なりが明らかになっている。
さらに、沢木は犯人の少年の育った家庭環境も描いていくが、
それ以上に殺された浅沼稲次郎を描き切ることで、作品に奥行きが出たことは間違いない。
17歳の少年と61歳の野党政治家の、
二つの人生はきっとこの事件の一瞬以外に交差することはなかったはずだ。

まさか、この時の事件のような、あるいはそれ以上の射殺事件が
昭和から平成、そして令和と時を経た今、起こるとは誰も思っていなかっただろう。
安倍晋三元首相射殺事件が何故起こり、どうして防げなかったか、解明されるまでには時間がかかるだろうが、
沢木がこの『テロルの決算』で描いたような、濃密なノンフィクションが生まれることを期待したい。

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ネット社会は私たちに
多大な恩恵をもたらせたのは事実です。
しかし、その一方で
ネット社会固有の闇を
私たちの社会ははらんでしまったかもしれません。
今日紹介する
文春オンライン特集班による
『娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件』の
イジメ事件のあらましを読むと
中学生たちの日常に
SNSが当たり前のようにしてはいっていて
それが学校や家族の知らない
イジメの温床になっているように
感じました。
地方の小さな事件ではなく
もっと大きな
社会的な問題をかかえた事件といえます。
じゃあ、読もう。

これはまだ終わっていない事件、すなわち現在進行形の事件の発端とその後の経緯を追跡取材したドキュメントだ。
2021年2月、北海道旭川の極寒の夜、14歳の一人の少女が家を出て行方不明となる。懸命の捜索でも少女は見つからず、春の気配が近づいた3月、彼女は変わり果てた姿で発見される。
発見時、彼女は凍っていたという。
文春オンライン特集班に寄せられた「少女は学校でイジメにあい、事件に巻き込まれた様子」という投書から、特集班は独自の取材をはじめる。
すると、あまりにも悲惨な事が次々と発覚する。
上級生男女数人によるわいせつ写真の要求、自慰行為の強要など、さらには少女はイジメの渦中で自殺未遂まで引き起こしている。
しかし、学校側が当初イジメを認定しなかったばかりか、母親の原因究明の訴えにも真摯に対応してこなかった。
文春により事件が大きく取り上げられたことで、学校側も市の教育委員会も重い腰をあげざるをえなくなったが、真実はどこまで解明されるのだろうか。
本書ではイジメ調査のための第三者調査委員会を立ち上げる前までが取材されているが、もちろん解明の調査は続いていて、6つの項目でイジメがあったという中間報告がこの春に行われたばかりだ。
真実はひとつであるのに、解明に時間がかかるのは、やはり誰もが自分がかわいい、自分が加害者ではないという認識だからだろう。
しかし、だからといって一人の命を粗末にしていいわけはない。
ぜひ、真実を明らかにしてもらいたい。
(2022/07/13 投稿)

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07/12/2022 ヰタ・セクスアリス(森 鷗外):再録書評「過ぎ去った甘酸っぱい記憶の追体験として」

7月9日は文豪・森鷗外の忌日、
鷗外忌でした。
復刻版限定五百鷗外忌 片山 由美子
森鷗外が亡くなったのが1922年(大正11年)。
つまり、今年没後100年にあたります。
忌日の土曜日の朝日新聞朝刊の書評欄では
直木賞作家の門井慶喜さんが
森鷗外の本を三冊紹介していて
そのうちの一冊に
今日再録書評で載せた
『ヰタ・セクスアリス』がありました。
門井慶喜さんはこの作品について
「他の作家では成立し得ない何かがここには確実に存在」と
書いています。
没後100年ということで
あらためて森鷗外を読んでみるのも
いいかもしれません。
じゃあ、読もう。

本のタイトルだけで胸がときめくということはあまりない。
その点ではこの小説は稀有といっていい。
何しろ日本語読みにすると、「性欲的生活」なのだから、発表された明治42年(1909年)当時発表誌が発禁処分となったのはわからないでもない。
ただし、21世紀の現代においてこの作品を淫らに性欲を高めるものと評する人はいないと思う。
もちろん、この作品をどのような年齢で読むか、それは関係するかもしれない。
森鴎外といえば夏目漱石と双璧をなす明治の文豪だし、彼が書いた作品の代表作のひとつともなれば早ければ中学生、遅くても高校生でこの作品を読むだろう。
若い読者にとってこの作品がどの程度刺激的であるか、今はそんな時代から遠く離れたしまったシニアの読者には想像すらできない。
シニア読者がこの作品を読んで刺激されたかと問われれば、明確に「否」である。
むしろ純な青春小説ではないかと思えてくる。
吉原に繰り出して相手の女性と腕角力をしていたなどといったエピソードは笑えるし、「世間の人は性欲の虎を放し飼にして、どうかすると、その背に騎って、滅亡の谷に堕ちる。自分は性欲の虎を馴らして抑えている。」と真面目に書かれると、鴎外の厳めしい顔を思い出してしまう。
読みようによってはシニアの読者こそこのような作品を必要としているかもしれない。
過ぎ去った甘酸っぱい記憶の追体験として。
(2020/11/26 投稿)

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07/11/2022 エダマメのおいしいことといったら - わたしの菜園日記

ヒマワリをみるたびに
戦地となったウクライナのことを思います。

ヒマワリはウクライナの国花。
早く平和が戻ることを
願わずにいられません。
向日葵の百人力の黄なりけり 加藤 静夫

トマトがよく出来ています。
きれいに並んだ、これはミニトマト。

そして、こちらが中玉トマト。

色づきがいいのから順番に収穫していきます。
この日はカブとコマツナも収穫できました。


エダマメも数株収穫しました。
今回は摘芯をして脇芽を増やして
莢の数を増やす栽培をやってみましたが
心持ち多く実っているような気がします。

写真の量でおよそ300g。
さっそく茹でて食べましたが
新鮮だからうまいのなんの。
食べ物はやはり新鮮が一番ですね。

コロタンという名前のメロン。

一個だけ拳ぐらいの大きさになっているのですが
これがうまく育っているのか
やや怪しい。
初めての栽培野菜は
育てる要領も過程もよくわからないので
やはり難しいな。

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07/10/2022 生きる(詩 谷川 俊太郎/絵 岡本 よしろう):再録書評「いのちって、何だろう?」

7月8日の金曜日
安倍晋三元首相が凶弾に倒れたという衝撃的なニュースが
日本中を駆け巡った。
政治家が凶弾に倒れるということを
私たちは歴史の中でしか知らなかった。
それが現代の日本で起こるとは
恐らく多くの人は思っていなかったのではないだろうか。
しかし、社会的な予兆はすでにあったかもしれない。
多くの人が犠牲になったビル放火や
あとを絶たない児童虐待、
子供たちのいじめ問題にしても
いっこうにやむことがない。
私たちはいつの間にか
「いのち」ということとか「生きる」ということなどと
真剣に向き合ってこなかったのかもしれない。
知らぬ間に格差が生まれ、
そのことが如実にわかってしまう社会。
憎悪が生まれ、
いのちが粗末にされてしまう。
もう一度、私たちは「いのち」と
向き合うべきなのだろう。
今日はそんなことを考えながら
谷川俊太郎さん文、岡本よしろうさん絵の
絵本『生きる』を
再録書評で紹介したいと思います。
安倍晋三元首相のご冥福をお祈りします。
じゃあ、読もう。

谷川俊太郎さんの詩に岡本よしろうさんが絵をつけた、詩の絵本。
2013年に月刊「たくさんのふしぎ」に載ったものを2017年にハードカバー化された。
谷川俊太郎さんの詩は、実はもっと以前のもの。
絵本の巻末に載っている谷川さんの言葉によると、「まだミニスカートが新鮮に感じられたころ」だという。「若い女性の写真といっしょに雑誌に載った」らしいから、女性誌からの依頼だったのだろうか。
「言葉は力まずに自然に出てきたように記憶」していると谷川さんが書いているように、言葉は平易だし、声に出して読むのにちょうどいい。
けれど、やはりテーマは重い。
海外向けだろうか、英文のタイトルは「WHAT’S LIFE?」となっている。
つまり、いのちって何だろう?
この詩の中で、特に第二連が好きだ。
「生きているということ/いま生きているということ/それはミニスカート/それはプラネタリウム/それはヨハン・シュトラウス/それはピカソ/それはアルプス/すべての美しいものに出会うということ/そして/かくされた悪を注意深くこばむこと」
なにげないものをいくつも並べ、それを「美しい」という。
普段の生活の中で、私たちはそのことを忘れていないだろうか。
そのことは岡本さんの絵にもいえる。
重いテーマの詩だが、つけられた絵はある町のどこにでもいるような家族の日常。
そんな日常の中にこそ「生きる」意味があるのだと教えられているような気がした。
(2021/05/23 投稿)

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07/09/2022 夏だ!海だ!サメだーぁ!! - 映画「ジョーズ」の話

6月に記録的な猛暑が続いた今年の夏のはじまり、
このままいけばこの夏はどれだけ暑いことかと心配になります。
映画はいつ観ても楽しいという作品もあれば
やはり夏なら夏に観た方が絶対面白いという作品もあります。
そこで今日は
暑い夏だからこそ観てもらいたい作品を紹介します。
映画「ジョーズ」の話です。
昔テレビ放映されていたものを録画したDVDで
久しぶりに観返して、
海からぐわっと現れるサメに今でもビックリしました。

いわずと知れたスティーヴン・スピルバーグ監督の
出世作といわれる作品です。
今や大巨匠となったスピルバーグ監督のフィルモグラフィーを見ると
本格的な映画づくりをして間もない作品で、
この映画の大ヒットを受け、
1977年の「未知との遭遇」などの大作を撮るようになります。

小さな町は都会からやってくる海水浴客で潤っています。
そんな海に突然サメに襲われたとみられる女性が現れます。
市長はやっきになってそれを否定しますが、
ロイ・シャイダー演じる警察署長は心配でなりません。
若い海洋学者(リチャード・ドレイファス)を呼んで真相を探ろうとします。
しかし、町は海を解禁してしまいます。
砂浜にあふれる人、人、人。
映画を観ていた人はその海にサメがいることがわかっていますから
どうなるのかとハラハラドキドキのシーンです。
この映画の面白さは
こういうハラハラドキドキの連続性といえます。

警察署長、海洋学者とともに船を漕ぎだしたのは
サメ退治のプロの男(ロバート・ショウ)。
映画の後半はこの男三人組の個性のぶつかり、
そしてもちろん巨大サメとの格闘シーンの連続です。

スピルバーグ監督が映画の面白さをよく理解していたことが一番ですが
ジョン・ウィリアムズの音楽も印象的です。
ダン、ダン、ダン…(来るぞ、来るぞ、来るぞ…)のような
人の感情を煽る音楽があればこそ
サメの恐怖が倍増しています。
ジョン・ウィリアムズが手掛けた映画音楽は
ほかにも「スター・ウォーズ」とか「未知との遭遇」とか
スピルバーグ監督に負けない作品歴です。

その前にまずは「ジョーズ」を観てはどうですか。
ちょっと怖いかな。

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07/08/2022 バナの戦争(バナ・アベド):書評「戦争をやめてください。」

ロシアによるウクライナ侵攻が始まって
すでに4か月を過ぎました。
長引く戦火に
終わりが見えてきません。
そんな時、見つけたのが
シリアの少女バナ・アベドさんが書いた
『バナの戦争』です。
ウクライナの問題は大きかったから
世界の注目を集めていますが
実は世界で紛争は途切れたことがないことを
この本を読んで改めて教えられました。
そして、この本でこんなシリアのことわざを知りました。
祖国の雑草のほうが異国の小麦よりもいい
どんなに悲惨な土地であって
人がそこに住む思いというのはそういうことなのかと
思い知らされました。
じゃあ、読もう。

表紙に使われている、がれきの前に立つ少女。そして、タイトルにつけられて「戦争」という言葉。
この本のことを知ろうとすれば、副題が教えてくれる。
「ツイートで世界を変えた7歳少女の物語」だと。
もう少し詳しくいえば、激しい内戦のシリア・アレッポで、ごく普通に生活していた当時7歳のバナ・アベドがTwitterで世界に発信した悲惨な現実が世界中を揺るがせ、そこから彼女がどんな生活を送っていたかを綴った手記が、本書である。
彼女のことを「現代のアンネ・フランク」と呼ぶ人もいて、確かに彼女が家族とともに故郷アレッポから脱出するさまは、多くの人を感動させる。
本書には彼女がツイートしたものをいくつか載っている。
「戦争をやめてください。もう、つかれちゃった」
「わたしたちは武器を持っていません。なのに、なぜ殺されるの?」
「ただ、こわがらずにくらしたい」
「わたしは平和が欲しい」、・・・、・・・。
彼女のツイートは2016年になされたもので、この本は2017年に出版されている。
原題が「DEAR WORLD」。
出版された当時も話題になったと思うが、その時以上に今世界は7歳の少女が世界に向けて援けを求めた思いを、真剣に受け止めないといけない。
きっとウクライナでもこの時のバナのように住む家を破壊され、隣国に避難するしかない多くの子供たちがいるのだから。
この本の最後に8歳になった少女が願ったことが列記されている。
その中のひとつの願い、「シリアや、戦争が起こっている国がすべて平和になりますように。」が叶うように、祈るしかないのだろうか。
(2022/07/08 投稿)

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07/07/2022 女帝 小池百合子(石井 妙子):書評「山は動かない」

今日は二十四節気のひとつ、
小暑。
暑さがだんだん本格的になる頃だが、
今年はすでに最初の猛暑を体感してしまった。
塩壺の白きを磨く小暑かな 山西 雅子
そして、今週日曜の参議院選挙まで
候補者は休まることはない。
今日は
石井妙子さんの『女帝 小池百合子』を
紹介します。
この本はずっと気になっていたのですが
読んでみて驚いたのは
ほとんどすべて小池百合子さんって????
という感じで書かれていること。
なお、この作品は
第52回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しています。
じゃあ、読もう。

「山が動いた」という名言は、当時の社会党党首だった土井たか子が1989年の参議院選挙で与野党逆転の勝利を飾った時に口にしたもの。
その土井たか子の地盤である兵庫二区に1993年の衆議院選挙に立候補し、土井との対抗姿勢を鮮明に打ち出したのが、当時41歳の小池百合子だった。
ミニスカートをはき「女」を前面に出して戦った小池だったが、土井に勝つことなく、2位で当選することになる。
それから、25年近く経って、小池は「山が動く」ことを確信していたのではないだろうか。
2017年の衆議院選挙、すでに東京都知事の職にあった小池は熱狂的な支持に支えられ、「希望の党」を立ち上げ、混迷を深める民進党を吸収する勢いであった。
その時、小池は民進党議員を政策の違いで「排除する」といい、そのことで急速に支持を喪っていく。
小池の「山」は動くことはなかった。
それでも、小池の存在は圧倒的で、コロナ禍の東京をもしくは日本を率いている感さえあった。
ノンフィクション作家石井妙子による本書は、まだコロナ禍真っ最中の2020年5月に刊行され、多くの注目を集めた。
何故なら、そこには小池への疑惑が次から次へと書かれていたのだから。
特に小池の学歴詐称疑惑(小池はカイロ大学を日本人女性として初めて卒業したことになっている)は、当時小池と同居していた女性の証言によればほとんど大学には行かず、到底卒業に至っていないという。
ここまで書かれているが、小池はいまだ都知事の職にある。
真実はどうなのか解明されることはないかもしれないが、少なくとも本書がある限り、小池が山を動かすことはないだろう。
(2022/07/07 投稿)

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07/06/2022 みぎわに立って(田尻 久子):書評「いい本は人と人との出会いから生まれる」

田尻久子さんの文章に
すっかりはまってしまいました。
今年も半年を過ぎたばかりですが
今年のベストワンはきっと
田尻久子さんの本を選びそうで
こんなに早々に決めていいのかしら。
今日は田尻久子さんの
『みぎわに立って』という随筆集。
こういう人が本屋さんを営んでいるというのは
なんて素敵なんでしょう。
ほとんど面識のない人から
開店周年のお祝いケーキが届くのも
わかるような気がします。
いい本でした。
じゃあ、読もう。

熊本で「橙書店」という本屋さんを営む田尻久子さんには、多くはないが、素敵な随筆集が数冊ある。
そのうちの一冊『橙書店にて』という本を読んだあと、「いい文章は、水に似ている。」というのが最初の印象でしたが、田尻さんの文章に同じような感想が抱く人がいるようで、彼女の最初の随筆集となったこの本のなかに新聞連載の文章を読んで昔会社の同僚であった人から「水のような文章だとほめてくれた」という挿話が綴られている。
そのあとで、田尻さんはこう結ぶ。
「流れる水のような文章を書きたいのかもしれない。」と。
本書は2017年2月から4月まで西日本新聞に連載されていたもので、田尻さんの文才を見出した西日本新聞の編集者の眼力に感心する。
さらに新聞連載中に本にしないかと声をかけたのは里山社という出版社でしたが、熊本の出版社と思いきや発行所の住所は神奈川県川崎市となっている。
いい本というのは、こうして出来上がるのだという見本のような、人と人との出会いで生まれているのがよくわかる。
ひとつの話は2ページに収まる分量で、それでいてなんとも豊かな時間を共有できたと思える。
どの話から読んでもいい。田尻さんの文章は、何も強制しない。
どんなふうに思っていい。何故なら、田尻さんの文章は、水なのだから。さまざまに形をかえる。
幸福な時間を過ごせる一冊である。
(2022/07/06 投稿)

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07/05/2022 お気に入りの文庫本に出会えたらいいな - 夏の文庫フェア始まる

猛暑がつづいていて
早く夏休みにならないかと思っている
子供たちも多いでしょうね。
本屋さんに行くと
一足お先に
恒例の夏の文庫フェアが始まっています。


それにあわせて
「新潮文庫の100冊」の広告がでていました。
それは
この夏、100冊を読む100の理由。
と題されていて、
長文の「理由」をよく読むと
100冊の本の紹介になっていたりします。
例えば、
…美術ってミステリーなんだとハッとしたり、檸檬に見惚れたり、
心が疲れた時のお守りになったり、…
みたいに続いていきます。
本屋さんに行けば
無料の小冊子がおいてありますから、
どの文章がどんな本のことを書いたものなのか
調べてみるのも面白そう。
ちなみに、
上にあげた例でいうと、
最初が『楽園のカンヴァス』(原田マハ)、
次が『檸檬』(梶井基次郎)、最後が『こころの処方箋』(河合隼雄)だと
思います。

新潮文庫が「想像力の旅に出よう。」、
角川文庫が「新しい扉が、ここにあるよ。」、
集英社文庫が「夏の行き先は、本がきめる。」
あなたのお好みはどれでしょうか。
私はどれも個性があって気に入りました。

100冊を読むのはなかなか難しいでしょうが、
各文庫からそれぞれ一冊ずつでも
読んでみるのもいいかもしれません。

本屋さんで各文庫の小冊子をゲットしましょう!

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07/04/2022 水やり、ご苦労様 - わたしの菜園日記

紹介しましたが
畑のえだまめをだいぶふくらんできました。

もうすぐ、
ピュッ!
パクッ!
ゴクリ!(←これは絵本になかったビールを飲む音)
です。

これは私が借りている菜園に常備されているジョウロ。

このジョウロで6杯ぐらいは
水をあげます。
それとこの季節、草も茂ってきますから
草取りも大切な作業になります。
日の照れば帽子いただき草むしり 小沢 青柚子

朝7時に畑に出ました。
暑い日が続いているので
その時間でもたくさんの人がすでに畑にはいて
皆さん考えることは同じなんですね。

キュウリの生育はいいですね。

すでに収穫は40本近くになっていて
今年は久しぶりに100本以上の収穫もできるかと
楽しみにしています。


夏本番になれば
もっとわさわさしてくるでしょうね。
夏野菜といえば
オクラも楽しみ。

まだ花芽がつきだしたほどですから
まだまだこれからです。


少し混みあってきてるので
少し間引き収穫をしました。

収穫もこまめにします。

なので、大量に一気にというわけにはいきません。
それでもいつの間にか
毎日夏野菜を食することになります。

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07/03/2022 語りかけ絵本 えだまめ(こが ようこ):書評「なんともおいしいそうなえだまめです」

記録的に短い梅雨があけ、
夏が始まったばかりというのに
連日の猛暑。
これから三か月、思いやられる夏です。
こんな暑い日は
えだまめをつまみにぐいっとビールがいいですね。
ところが、そのえだまめ。
俳句の世界では秋の季語。
枝豆を押せば生るるやうに豆 鳥居 三朗
かなり違和感ありますね。
今日紹介するのは
こがようこさんの『えだまめ』。
しかも、赤ちゃん向けの語りかけ絵本。
誰ですか?
やっぱりビールが飲みたいといってるのは。
じゃあ、読もう。

えだまめといったら、ビールでしょ。というのは、おとなの発想で、ぷっくらとふくらんだ莢から飛び出すその様子は、赤ちゃんにとってはたまらない面白さ。
それに、一粒一粒がかわいくて、しかもおいしいですから、赤ちゃんも気にいってくれるはず。
そんなえだまめの魅力を絵本にしたのが、この本。
しかも、この絵本は「語りかけ絵本」となっていて、絵本を読むだけで自然と赤ちゃんに語りかけるようにできています。
作者のこがようこさんは25年以上様々な場所でお話を届ける活動をしてきた方です。
こがさんのところには赤ちゃんが生まれて絵本を読んであげたいんだけど、どんなふうに読んであげたらいいのかわからないというお父さんお母さんからの悩みが届くことがあって、それなら絵本を読むだけで、語りかけになる作品を作ろうと出来上がったのが、この絵本です。
ですが、この絵本には長い文章はありません。
ほとんど赤ちゃんと普段会話している、そんなレベルの文章ばかりです。
それと、動作が伴うような言葉も多く使われています。
莢にはいったえだまめを「だしてみる?」と動作で誘い、「ピュッ!」と言葉で遊びます。
そんな語りかけでできた絵本ですが、絵もとてもきれいなんです。
しかも、この絵本のえだまえは何よりもおいしそうなんです。
赤ちゃんじゃなくても、つい「パクッ!」と口にしたくなります。
(2022/07/03 投稿)

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07/02/2022 もっと燃えたらよかったのに - 映画「燃えよ剣」の話

映画館での上映が単行本で
DVD化は文庫本にあたるだろう。
本の世界でも文庫化は早まっていますが
最近の映画はその比ではありません。
ましてや
映画の場合オンライン配信まであって
うんと早い。
今日紹介する映画「燃えよ剣」もそうで
映画公開されたのが2021年10月で
もうオンライン配信されているのには
驚きました。
私が観たのはアマゾンプライム。
今日はそんな映画「燃えよ剣」の話です。

司馬遼太郎さんの代表作のひとつ。
昭和37年から昭和39年にかけて連載された長編小説。
2021年に公開された映画は
原田眞人監督によるもので
主人公の土方歳三を岡田准一さんが演じています。
実はこの作品の映画化はこれが初めてではなく
1966年に市村泰一監督で一度映画化されています。
この時の土方役は栗塚旭さん。
この頃、テレビでも栗塚旭さんは新選組のドラマをしていて
人気の高い俳優さんでした。

やはり司馬遼太郎さんの『関ケ原』も映画化していて
この時も石田三成役に岡田准一さんを起用しています。
原田眞人監督だけでなく
今や日本映画の時代劇に
岡田准一さんは欠かせない俳優です。
ただこの映画についていえば
あまりにも品行方正すぎるような気がしました。
司馬遼太郎さんの原作を読んだのは
もう随分以前のことですが
読み終わった時に
なんて素晴らしい青春小説だと思ったことを
今でも覚えています。
では、映画はどうだったかといえば
青春映画のはちゃめちゃ感がもっとあればと
思いました。

近藤勇役の鈴木亮平さん、
NHKの大河ドラマでは西郷隆盛役をやったり
今回はその敵役ともいえる近藤勇ですから
役者さんというのも
いろいろ大変です。

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