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 『コンビニ人間』で第155回芥川賞を受賞した村田沙耶香さんは
 中学生の頃に友人のグループから無視されるというイジメにあったことがあります。
 その頃の読書について、村田さんはこんなことを語っています。
 「とにかく生きづらくて、苦しくて、読書をすることで、
 本の中には自分と同じ痛みを抱えた人たちがたくさんいて落ち着く感覚がありました。」と。
 村田さんだけでなく、
 おそらく多くの人が、読書をすることで助けられているのではないでしょうか。
 これまでたくさんの自己啓発本を書いてきた中谷彰宏さんのいう『本に、オトナにしてもらった。』も、
 同じ世界感です。
 本を手にして、ページを開けば、もしかした、そこには今ある世界ではない、
 別の生き方が示されているかもしれません。

   

 この本では中谷さんが本と出会った小学時代から、本との縁を深める今までを、
 人生の区切りとともに綴られています。
 中谷さんは1959年生まれで、私とほぼ同じ世代ですから、
 東京で過ごした予備校時代に彼女が好きだという高橋和巳全集をそろえたというエピソードに、
 おもわずニンマリしてしまいました。
 今ではすっかり懐かしい名前となった高橋和巳ですが、あの当時はほとんどの学生が読んでいました。
 本がまるでアルバムみたいに、思い出を連れてくる。
 中谷さんのこの本で、そんなことも感じました。

 きっと本の世界はうんと複雑で多様です。
 慰めもしてくれるし、時には貶められることもあるでしょう。
 それでも、本があれば、人は成長できるのだと思います。

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 最近、かつて「あたし、~なんです」という女性の独白体による官能小説で多くの男性ファンを魅了した
 宇能鴻一郎さんの再評価が高まっているという。
 多分そのきっかけとなったのが、
 昨年新潮文庫に入ったこの『姫君を喰う話 宇能鴻一郎傑作短編集』だろう。
 池澤夏樹さん編の『あなたのなつかしい一冊』で、
 フリーアナウンサーの近藤サトさんがこの作品を
 「いまだ錆びない美しい言葉の旋律と、我を忘れるような傑作短編の数々」と絶賛している。

   

 この短編集には、宇能さんが第46回芥川賞を受賞(1961年)した『鯨神』も収録されている。
 この回の芥川賞はいわくつきで、
 吉村昭さんが一時受賞内定ということで発表会場に向かうが、土壇場で宇能さんの作品一本に決まったという。
 その後の吉村さんの活躍、宇能さんのエンタメ系への移行を考えると、
 選考というのがいかに酷なものかわかる。
 宇能さんの受賞作について、選考委員の丹羽文雄氏は
 「どんな風になっていくのか、私達とあんまり縁のないところへとび出していくような気がする」と
 予言めいた選評を残していたのが印象深い。
 ただこの作品にしろ、短編集に収録されている「西洋祈りの女」にしろ、
 土俗的である意味伝承文学風な装いの作品は、やはり巧いといえる。

 この短編集にはほかにも表題作である「姫君を喰う話」をはじめ
 「花魁小桜の足」「ズロース挽歌」「リソペディオンの呪い」といった6作が収められている。

 偶然にも、9月28日の朝日新聞夕刊に宇能さんの記事が載っていて、
 その中の宇能さんのこんな言葉が印象に残った。
 「官能は古くならないですからね
 名言である。

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プレゼント 書評こぼれ話

  ノンフィクション作家の佐野眞一さんが
  26日亡くなりました。
  75歳でした。
  一時期ノンフィクション作品にはまっていたことがあって
  佐野眞一さんの作品もたくさん読んできました。
  訃報を伝える記事には
  『東電OL殺人事件』『だれが『本』を殺すのか』などで知られる、と
  記されることが多いようですが、
  私にとっての佐野眞一さんは
  やはり『カリスマ 中内功とダイエーの『戦後』』です。
  私自身が多くの時間を過ごした会社とその周辺のことが描かれたということで
  夢中になって読んだものです。
  佐野眞一さんの多くの作品の中から
  哀悼の意味を込めて
  『だから、僕は、書く。』というノンフィクションの入門書の一冊を
  再録書評で紹介します。
  この本の書評を書いたのが2003年。
  20年近く前、佐野眞一さんも、
  そして読者の私も若かった。

  佐野眞一さんの
  ご冥福をお祈りします

  

sai.wingpen  追悼・佐野眞一さん - 一人ひとりの「だから、僕は、書く。」                   

 「一冊の本は、この広大無辺な宇宙への入り口なのです。」(本文より) 

 この本はノンフィクション作家の佐野真一さんが、《森の「聞き書き甲子園」》という高校生を対象とした研修会で話された講演をもとに構成されたノンフィクション入門書である。
 しかしながら、この本に書かれている内容はノンフィクション作家佐野真一という一人の書き手としてのメイキングドラマではない。
 佐野さんが十代の高校生に語ろうとしたのは、読むという行為の広さであり、書くという行為の重さである。それは、研修会に参加した高校生だけへの問いかけではない。多くの本を愛する人々への、重要な問いかけでもある。

 佐野さんは、この本についてこのように書いている。
 「この本は、いささか大仰に言えば、自分と他人、自分と世界の関係にどう折り合いをつけていくかについて、語ったもので」「十代のためのノンフィクション講座と銘打ってはいるが、世界の見取り図を自分なりにつくりたいと考えている多くの人びとに読んでほしい一冊」であると。
 佐野さんがいうように、私は多くの本を読み、読んだ本の話を書くことで、「世界の見取り図を自分なりにつくりたい」と考えている一人なのだろうか。
 そして、この書評を読んでいるあなたも、そんな一人なのでしょうか。

 私は何故書評を書く時「夏の雨」と署名するのか。
 私の名前の由来は、宮本輝さんの「朝の歓び」という小説の一節から拝借したものだ。
 「あなたが春の風のように微笑むならば、私は夏の雨になって訪れましょう」。
 せめて夏の雨のように、私の書評が、読む人を暖かく包めるような内容でありたいという願いをこめた。それが、私の「だから、僕は、書く。」である。

 本を読み、多くの人々がそれぞれの思いを書評として書く。
 本が喚起した喜びや悲しみ、笑いや怒り。それらが一人ひとりの言葉として紡ぎだされていく。
 きっと読む理由は様々だろうし、書くという理由も一人ひとり違うだろう。
 この本を読んで、あなた自身の「だから、僕は、書く。」を考えてみては。それが、佐野真一さんがこの本に仕掛けた、重要な問いかけだと思う。
  
 (2003/04/13 投稿)

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 本を読むきっかけはさまざまだ。
 夏川草介さんのこの『本を守ろうとする猫の話』の場合、
 2017年2月に単行本として刊行されていて
 その際にはまったく気づかなかったのだが、
 2022年9月に文庫化され、
 その宣伝惹句にひかれたことで読んでみようと思った一冊。

     

 宣伝惹句に「米国、英国をはじめ、世界35カ国以上で翻訳出版されているロングセラー、
 待ちに待たれた文庫化!」とある。
 さらに「21世紀版『銀河鉄道の夜』」とある。
 本好きにとって、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』というワードほど
 魅力的なものはない。
 ただ、この作品がそうなのかといわれたら、
 読後感としてはちょっと違うような気がしたが。

 物語は古書店を営む祖父が亡くなって、ひとりぼっちになった高校生の少年が、
 本の世界を深く知ることで生きることの力を取り戻していく話。
 タイトルにあるように
 店じまいが目前に迫る中、一匹のトラネコが少年の前に現れ、
 本の世界を助けるように求めてくる。
 このネコはある条件を持った人とは人間の言葉が話せるというから、
 作品は童話のような雰囲気も持っている。
 ネコが求める本の世界の困難さからの救済。
 ひとつは、本を飾るために読む人、二つめは数をこなすための過度な速読、三つは利益のみ追い求める出版。
 少年はこれらの迷宮から、どのように本を守るのか。

 本を守ったのは猫ではなく、少年。
 さらにいえば、少年を守ったのは本。
 つまりは、「孤独な少年を守ろうとする本の話」なのだ。

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 季節と植物の関係ほど不思議なものはありません。
 今が見頃となった曼珠沙華を見るたびにそう思います。

  20220923_130245_convert_20220924101035.jpg

 この花、別名彼岸花といわれるだけあって、
 毎年決まって彼岸の頃に見頃を迎えます。

    人の世を遠巻にして曼珠沙華        角川 源義

 野菜の植え付けでもそうです。
 ダイコンの種まきの時期でも
 適期ということがあって
 それより遅れると発芽がしにくくなったりします。
 それも先人からの知恵です。

 毎週のように週末になると天気が悪くなって
 野菜の生育が心配になります。
 特に今年初めて栽培するネギ
 水を嫌う傾向があるので
 台風が過ぎた週なかばに様子を見にいったくらい。

  20220921_084209_convert_20220924100854.jpg

 写真は台風のあとのネギのようす。

 秋冬野菜の植え付けが終わったばかりで
 そのあとの雨続きですから
 それが生育にいいのかよくないのか
 心配ですが、
 どのように植え付けたのか見ていきましょう。
 まずは第1区画。

  20220923_124811_convert_20220924100931.jpg

 右側のまだナスが見えている畝が一の畝。
 ここには10月の中旬にソラマメスナップエンドウという
 冬越し野菜を植えます。
 その次の二の畝にはダイコンと葉物野菜、
 つづく三の畝には茎ブロッコリーミニハクサイミニキャベツ
 そして一番左に写っている四の畝には
 ネギとやっと芽の出たばかりのニンジンが植わっています。

 第2区画の方は、
 モロヘイヤオクラが見えているのが二の畝。

  20220923_125144_convert_20220924101005.jpg

 その左側が一の畝でカラーニンジンニンニクを育てています。
 三の畝には玉レタスプチヴェールミニハクサイ
 そして右に見える四の畝には聖護院ダイコンミニダイコン
 モロヘイヤの二の畝もそろそろおしまい。
 そのあとには、ここも冬越し野菜タマネギ
 植えようと計画しています。

 秋の長雨といわれるように
 雨が多い季節でもあります。

     秋雨は無声映画のやうに降る       仁平 勝

 毎日の天気予報が気になってしかたがありません。

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 絵本が描く世界は、とても広い。
 メルヘンもあれば、コミックのような表現もある。
 怪談もあれば、神話の世界も、落語噺もある。
 赤ちゃんの視線で描かれることもあれば、老人問題だってある。
 そして、この絵本『ぼく』は、子どもたちの自殺を描いた作品だ。

    

 「ぼくは しんだ」という、一文から始まる。
 文を書いたのは、詩人の谷川俊太郎さん。
 「じぶんで しんだ/ひとりで しんだ」と、続く。
 男の子がひとりで夜空を見ている絵に、この文がついている。
 絵は合田里美さんが描いている。
 激しい絵ではない。むしろ、淡い色合いが男の子の感情のようで、切ない。

 この男の子「ぼく」にも、夢があったはずだけど、死を選んでしまう。
 絵本の巻末に「編集部より」という一文がついていて、そこにはこうある。
 「「ぼく」がなぜこのような選択をしてしまったのか。どうしたら、生きることができたのか。
 それを考えることが「ぼく」がどう生きたかを、そして、どう生きたかったかを考えることでもあります。

 子どもたちの自殺の問題は難しい。
 まして、それを絵本で表現するのは難しい。
 絵本を読む前に、まず巻末の「編集部より」で制作者の意図を理解し、本文を読み、
 そしてもう一度巻末の文を読む。
 ひとりでなく、みんなと読んで、意見を交換する読み方もいいかもしれない。

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 先日フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』(村上春樹 訳)を紹介した際に、
 最初に読んだ文庫カバーに
 ロバート・レッドフォードがギャツビーを演じた映画の一場面が
 使われたいたと書きました。
 それなら、その映画を観てみようと思って
 TSUTAYAでレンタルしました。
 その映画が1974年に封切られた「華麗なるギャツビー」。
 実はギャツビーの映画はもう一本あって、
 2013年に公開された同じタイトルの作品です。
 この時ギャツビーを演じたのは
 レオナルド・ディカプリオです。
 こちらもレンタルして
 今日は同じ「華麗なるギャツビー」の2本立てです。

           

 どちらがよりギャツビーらしかったかというと
 やはりロバート・レッドフォードでしょうか。
 この頃のレッドフォードはめちゃくちゃかっこいいんです。
 ただ、成りあがってきたギャツビーの本質を体現しているのは
 レオナルド・ディカプリオの方かもしれません。
 若い頃に愛し合ったデイジーという女性を8年間も思い続け、
 貧しさを嫌悪し、デイジーと対等に愛しあえるほどの富を手にいれようとしたギャツビー。
 そのためには裏社会も歩かなければならなかったはず。
 デイジーの夫トムにその正体を暴かれ、
 狂暴性をあらわにした時のディカプリオの演技は必見です。

 それでも、私は1974年版の作品を推します。
 その理由は、
 なんといってもデイジーを演じたミア・ファローの魅力です。
 おそらく、デイジーとはこんな女性だったと思わせてくれます。
 奇麗で、かわいくて、しかも身勝手で、贅沢を好む女性。
 1974年版では、ミア・ファローの瞳に星のきらめきまでいれてしまいます。
 
 そして、1974年版は作品としてもよく出来ています。
 今回観て、初めて気づいたのですが
 この時の脚本は
 「ゴッドファーザー」や「地獄の黙示録」を監督した
 あのフランシス・フォード・コッポラなんです。
 しかも、この時期のコッポラ
 「ゴッドファーザー」などを監督していた絶頂期。
 1974年版の「華麗なるギャツビー」の出来がいいのは
 仕方ないですね。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は二十四節気のひとつ、
  秋分
  昼と夜の時間がほぼ同じ日で、
  これから冬至に向けて
  昼が短くなってきます。

     落ちてゆく重さの見えて秋没日(あきいりひ)     児玉 輝代

  夜が長くなってくると
  ミステリー小説も面白くなってきます。
  今日はアガサ・クリスティー
  『バートラム・ホテルにて』という
  ミス・マープルものの作品を紹介します。
  いつもの霜月蒼さんの
  『アガサ・クリスティー完全攻略』の評価は
  ★★★☆ですが、 
  私はもう少しきつい評価で
  ★★かな。

  じゃあ、読もう。

   

sai.wingpen  ミス・マープルものとしては異色の作品                   

 アガサ・クリスティーが1965年に発表した「ミス・マープルもの」で、ミス・マープルが活躍する長編小説としては終わりから三番目となる。
 原題は「At Bertram’s Hotel」で、邦題はそれを踏襲している。
 まず驚いたのは、この作品に「ビートルズ」の名前が出てくること。
 「例の髪を長くした」という形容詞までついている。
 アガサの時代とビートルズの時代が重なりあっていることに驚いたのだが、1965年の発表というと日本でいうなら昭和40年世代もまたアガサと重なりあう。
 つまり、アガサ・クリスティーは実に長い間、現役のミステリー作家として活躍していたことの証だろう。

 さて、この作品だが、ミス・マープルは確かに登場するが、彼女の推理が犯罪を暴くというより、たまたま犯罪の舞台となったバートラム・ホテルに彼女が投宿していて、事件の証言者となったぐらいで、彼女の活躍を期待する読者にとっては物足りないだろう。
 この作品では事件を解決するのは、「おやじさん」と呼ばれるロンドン警視庁のデイビー主任警部だ。
 日本の刑事ドラマで伊東四朗さんが演じる役どころと近い。
 しかも、今回の事件は古色蒼然としてホテルが舞台で、犯罪も大掛かりな組織によるもので、さすがにミス・マープルが扱うというには大きすぎたといえる。
 やはり、彼女にはセント・メアリ・ミード村に起こる小さな事件や人物からの類推で、殺人事件などを解決する、その手法が似合っているし、私は好きだ。
  
(2022/09/23 投稿)

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 9月10日(土曜)の朝日新聞朝刊の
 「多事奏論」という記者によるコラム欄に
 「ハァちゃんが残したもの 泣き虫だっていいんだよ」というタイトルの
 コラムが載っていました。
 書いたのは河合真美江さんという大阪編集局の記者。
 政治のことでも国際社会のことでも、
 ましてや経済のことでもない。
 ここに書かれていたのは。2007年7月に亡くなった臨床心理学者河合隼雄さんが最後に書いた
 自伝風の物語『泣き虫ハァちゃん』のこと。
 ハァちゃんというのは、河合隼雄さん自身のことです。

   

 この物語は兵庫県丹波篠山市に生まれた自身の思い出話が少年物語のようにして綴られています。
 六人兄弟の五番めとして生まれたハァちゃんは幼稚園児になっても、すぐ泣いてしまう泣き虫。
 兄弟たちにもからかわれ、自身も引け目を感じている。
 そんなある日、お母さんが「男の子も、泣いてもええんよ」と教えてくれる。
 やさしいお母さん、おもいやりのあるお父さん、ハァちゃんをからかっても面倒見のいい兄弟たち。
 そして、学校に行きだしたハァちゃんには信頼できる先生や心が通える友達もできる。
 河合さんの描く世界はいいことばかりではありません。
 先生に告げ口する同級生もいたり、なじめない先生もいる。
 きっと誰もが経験したことのある、子ども時代です。

 朝日新聞の記事はこう結ばれています。
 「今あらためて、隼雄さんの本を開いてみてはどうだろう。
 かちかちになった心がほどけていくような言葉に出会えるはずだ
 2007年に出た、決して新しいものではない本だが、
 それでも忘れないでこうして紹介してくれたおかげで、私もハァちゃんに出会えて、
 少しは心がほどけたような気がします。

 最後に、岡田知子さんの挿絵も素敵だったことを
 書き足しておきます。

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 私の本棚で一番古い本は
 昭和39年(1964年)9月に刊行された
 『少年少女世界の名作文学/第14巻/アメリカ編5』です。
 出版元は小学館で、当時の値段で480円。
 これは全50巻もので、この巻が最初の配本だったように思います。
 この巻に収録されているのが
 バーネット作の『小公子』『小公女』『秘密の花園』、
 そしてホーソンの『ワンダーブック』。
 訳者はそれぞれ違いますが、
 責任編集として村岡花子さん(NHK朝ドラ「花子とアン」のモデル)が
 「解説」を書いています。
 その中の『小公子』の「解説」にこうあります。

  日本でも明治の半ばごろには、若松賤子(しずこ)女史によって訳されています。 
  女史の訳筆には一種独特の口調があって、
  それがまた当時の人びとには魅力があったのでしょう。

 前段が長くなりました。
 梶よう子さんの『空を駆ける』は、
 日本で初めて『小公子』を紹介した若松賤子さんの生涯を描いた歴史小説です。

   

 若松賤子は筆名で、本名は巌本カシ
 1964年生まれの会津藩の出身。幕末の頃の会津の娘ですから、波乱の幼少期を過ごします。
 幼い彼女が身を寄せたのが、のちにフェリス女学院となる横浜の寄宿学校。
 そこで彼女は明治期の女性としては珍しいアメリカの教育を学びます。
 そして、女性の地位を高める意識に目覚め、
 夫となる巌本善治とともに女子教育の道を進んでいきます。
 その一方で、翻訳や創作活動にも勤しむようになります。
 アメリカの作家バーネットの『小公子』はそうして彼女によって翻訳されます。
 彼女が亡くなったのは、明治29年(1896年)2月。まだ31歳の若さでした。

 梶よう子さんの作品を読んだのは、これが初めてですが、
 主人公の女性のために生きる姿や創作者としての苦悩など決して難解にならず、
 読み応えある長編小説に仕上がっていました。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は彼岸の入り
  単に「彼岸」というと、春の彼岸をいいます。
  なので、秋の彼岸は「秋彼岸」。

    戻りたる家の暗さも秋彼岸       岡本 眸

  昨日正岡子規の忌日でしたので
  今日は再録書評
  伊集院静さんの『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』を
  紹介します。
  正岡子規が亡くなったのは
  明治35年(1902年)9月19日で
  今年没後120年になります。
  わずか34年の短い一生でしたが
  その功績が今にのこるほど
  多くのことを生み出した
  見事な一生でもありました。

    痰一斗糸瓜の水も間に合はず        正岡 子規

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  坂の上の<明るく、のびやかな>雲                   

 正岡子規、享年34歳。夏目漱石、享年49歳。
 いずれも今の感覚でいえば早逝である。
 それでもこの二人がいなければ日本の近代文学は今とはまったく違うものになっただろうほどに、二人が遺したものは大きい。
 天才ともいえる二人と自身を比べること自体無謀だが、彼らの年齢以上に生きながら一体自分は何をしてきたかと思わないでもない。
 人は、いくつまで生きたかどうかではない。どのように生きたか、だ。
 しかも、この二人が青春期深い交わりをしたことを思うと、なんという芳醇な日々であったろう。
 そんな二人の姿を描いて、伊集院静のこの小説は、なんとも明るく、のびやかだ。
 かつて司馬遼太郎が同じ時代を描いた名作『坂の上の雲』のように、生きる力を与えてくれる。
 もしかしたら、私たちもまだこんな明るさに満ちた生き方ができるかもしれない。
 
 「ノボさん」というのは正岡子規の本名升(のぼる)の愛称だ。
 この小説の導入部からしていい。「ノボさん、ノボさん」と声をかけられる若者の姿。「どこに」と問われて、「べーすぼーるの他流試合に出かけるんぞな」と答える若者こそ、21歳の子規の姿である。
 上野公園にある野球場は「正岡子規記念球場」と称されているが、子規は若い頃野球に熱中していた。べーすぼーるが野球と翻訳されたのは子規の本名升から、野(の)の球(ぼーる)とされたという説があるくらい。
 子規という人のことを思うと、この時代に野球というまだほとんどの日本人が知らなかったスポーツに熱中する若者の、溌剌とした命の息吹を、晩年「病床六尺」の生活を強いられたにもかかわらず生涯持ち続けたといえる。

 子規がその死後100年以上経ちながら、今でも多くのファンを持つのは、その明るさといっていい。
 伊集院の筆は子規と漱石のさまざまなエピソードをうまく散りばめてつつ、おそらくもっとも力を注いだのは、いかに明るく描くことかではなかったかしら。
 その明るさがあるから、子規も漱石も生き生きと動いている。
 小説は子規の死で終わる。
 その最後に伊集院は「ただ自分の信じるものに真っ直ぐと歩き続けていた正岡子規が何よりもまぶしい」と書いた。
 視線をあげれば「まぶしい」、そんな明るさを感じる青春小説だ。
  
(2014/01/03 投稿)

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 今日9月19日は
 俳人正岡子規の忌日、子規忌
 最後の句に糸瓜(ヘチマ)を詠んだ句もあり
 糸瓜忌とも呼ばれます。

    糸瓜忌の朝のきれいな目玉焼        森田 智子

 菜園の日よけ用のヘチマ棚にも
 大きな実がいくつかもさがってきました。

  20220917_094010_convert_20220918083035.jpg

 こんなに大きくなるヘチマを見ながら
 子規は自身の人生を見つめていたのでしょうか。

 畑で珍しい花をみつけました。
 わかりますか?
 ヒントは葉のかたち。

  20220917_095153_convert_20220918083216.jpg

 そう、これはモロヘイヤの花なんです。
 モロヘイヤの種には毒があるので気をつけないといけません。
 なので、花が咲き始めたら
 そろそろおしまい。

 今年もニンジンの発芽には苦労しましたが
 一方で発芽が容易な野菜もあります。
 それがダイコン
 種を蒔いてそんなに日数がたたなくても
 あっと言う間にここまで成長しました。

  20220917_104040_convert_20220918083314.jpg

 まわりに銀紙を貼っているのは
 アブラムシ対策。
 アブラムシはキラキラ光るものを嫌うそうです。

 この日(9月17日)
 ニンニクの種つけもしました。

  20220917_100022_convert_20220918083244.jpg

 種ニンニクを土の中に埋め込むような
 種つけ方法です。
 植え付けたら、上から2、3センチ土をかぶせます。

 サンドマメ(三度豆)とも呼ばれるインゲンですが
 二度めはまったくできなくて
 三度めに蒔いたものからわずか三本収穫できました。

  20220916_174537_convert_20220918083002.jpg

 でも、これ以上は採れそうもないので
 インゲンもおしまい。
 やはり春先に収穫するのがベストです。
 ナスもごらんのように
 お尻の方が石のようになってきました。
 こちらもそろそろおしまいのサイン。
 あと1,2週間かな。

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  明日9月19日は敬老の日

    敬老の日のわが周囲みな老ゆる        山口 青邨

  この山口青邨の俳句はしみじみ感じる年齢に
  私自身がなりました。
  やっぱり高齢者ともなれば
  敬老の日の対象なのでしょうか。
  穏やかな老人になりたいものですね。
  今日は、そんな高齢者の人にも読んでもらいたい絵本を
  紹介しましょう。
  ミーシャ・アーチャーさんの『いい一日ってなあに?』。
  私のいい一日は
  こんないい絵本を読めたり
  天気のいい日に畑で農作業をしたり
  そんな日でしょうか。

  じゃあ、今日もいい一日を。

   

sai.wingpen  素敵な絵本を読んだ日は、いい一日                   

 世界は同じではありません。
 国の大きさも違うし、肌の色、話す言葉も違います。
 年をとった人たちもいれば、生まれたばかりの赤ん坊もいます。
 男の人もいれば女の人もいます。そういう性にとらわれない人もいます。
 好みだって違います。
 犬を好きな人、猫が好きな人、小鳥が好きな人もいれば、とかげやへびが大好きだっていう人もいます。
 世界は、そんなふうにまったく違うなかで出来上がっているのです。

 アメリカのミーシャ・アーチャーさんという女性が書いた『いい一日ってなあに?』(原題は『Daniel’s Good Day』)を読んで、そんなことを思いました。
 近所の人たちの仲良しの小さな男の子ダニエル君は、おばあちゃんのおうちに向かう道すがら、みんなにこう声をかけて歩きます。
 「いい一日って、なあに?」
 屋根のペンキをぬっている人は、「はれわたった空」と答えます。
 凧あげをしている人は、「おだやかな風が吹いている日」といいました。
 お隣の老人夫婦は、「公園のこかげのベンチで休む時」と教えてくれます。
 訊く人みんな、どれひとつ同じ答えはありません。
 ダニエル君と一緒に街を歩くと、よくわかります。
 この世界は、みんな違ってもいいんだと。

 絵本のおしまい近く、おかあさんに「どんな一日だった?」と訊かれて、「すっごく いい一日だったよ!」と答えた時のダニエル君の、笑顔がとってもかわいかった。
  
(2022/09/18 投稿)

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 フランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダールさんが
 9月13日に亡くなりました。
 91歳でした。
 ゴダール監督といえば、
 1950年後半から60年前半にかけておこった
 映画史の中でも有名な「ヌーヴェルヴァーグ」の旗手といわれた人。
 その後のアメリカのニューシネマとか
 大島渚監督など日本映画にも大きな影響を与えました。
 私が映画を観始めた1970年代には
 ゴダール監督はすでにビッグネームになっていました。
 だからかもしれませんが、
 ゴダール監督の作品はほとんど観ていないんです。
 伝説のような語られることの多い「勝手にしやがれ」(1959年)も
 最近観たばかり。
 そして、もう一本代表作ともいえる
 「気狂いピエロ」は昨日TSUTAYAでレンタルして観たばかり。
 今日はゴダール監督を追悼して
 映画「気狂いピエロ」の話です。

   

 映画「気狂いピエロ」は1965年のフランス映画。
 ゴダール監督の代表作のひとつですが
 正直あまりその良さがわかりませんでした。
 というか、この頃の映画は
 作り手側の感情が入りすぎていて
 観る側を置き去りにしているように感じます。
 プロット風にいうと
 「犯罪を冒した男女の逃避行と女の裏切り」ということになるのでしょうが
 ストーリーを重視する映画とはいいがたい。

 主人公の青年をジャン=ポール・ベルモンドが演じています。
 「勝手にしやがれ」でもそうですが、
 ベルモンドの存在感は大きい。
 彼と逃避行する女性を
 ゴダール監督の奥さんでもあった(1965年に離婚)
 アンナ・カリーナさんが演じています。
 彼女はゴダール監督のミューズとも称される女優さん。
 そう考えれば、
 ベルモンドといいアンナ・カリーナといい
 ゴダール監督はその作風だけでなく
 俳優の個性をうまく引き出した監督だともいえます。

 私のとっては
 いささか難解な作品でしたが
 ジャン=リュック・ゴダール監督の名は
 映画史から消えることはないでしょう。

 ジャン=リュック・ゴダール監督の
 ご冥福をお祈りします

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 たまたま読んだ作品が気に入って、
 その作者の作品を読み続けるようになるというのは、
 おそらく多くの本好きの人なら経験しているだろう。
 私にとって、乗代(のりしろ)雄介という作家がそんな一人だ。
 きっかけは、芥川賞こそ獲れなかったが、
 第34回三島由紀夫賞を2021年に受賞した『旅する練習』だった。
 それから、乗代さんの作品を気にするようにしている。

   

 この『パパイヤ・ママイヤ』は、2022年5月に刊行された新刊である。
 これは二人の17歳の少女たちのひと夏の物語で、青春文学といっていい。
 奇妙なタイトルは二人のSNSでのハンドルネーム。
 パパイヤは、アル中ぎみの父親が嫌いな少女のネーム。つまり、パパ嫌(イヤ)。
 ママイヤは、自由奔放な母親が嫌いな少女のネーム。つまり、ママ嫌(イヤ)。
 そんな二人がお互いの素性も知らないまま千葉の木更津の川にある干潟で出会うことになる。
 意気投合する中で、見つけたものもあれば失くしたものもある。
 その過程で、二人は自分の将来を探し出していく。
 特に彼女たちが大きな旅をするわけではないが、不思議と、この二人が旅をしているように感じるのは、
 もしかしたら青春期そのものが旅のようであるからかもしれない。

 十代の読者なら、この物語をどう読むだろうか。

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 松本清張の名前を知ったのは、小学6年の頃でした。
 昭和40年頃でしょうか。
 何故、覚えているかというと、松本清張を読んでいる同級生がいたからで、
 え、それって大人の読み物なのにすごいなと圧倒されたものです。
 しかも、まだ文庫本にはなっていなくて、
 同級生はカッパノベルス版で読んでいたような気がします。

    

 この『ゼロの焦点』は雑誌連載のあと昭和34年(1959年)に刊行されていますから、
 松本清張の作品としても初期の推理小説です。
 新婚間もない夫が仕事先の金沢で消息とたつところから始まります。
 妻は行ったこともない金沢に向かいますが、結婚したといっても、夫のことをほとんど知りません。
 何故夫は失踪したのか?
 夫の過去を調べ始めた妻は、夫は終戦後間もない時期をアメリカの駐留軍がいたところで
 警官をしていたことを突きとめます。
 果たして、そのことと夫の失踪は関係しているのか。
 そもそも夫は生きているのか。
 そして、次々と起こる関連殺人。
 犯人が明らかになった時、
 読者は犯人は時代そのものではなかったかと思うことでしょう。

 昭和30年前半は、まだ終戦後の混乱の影が色濃く残っていたのでしょう。
 松本清張はその影の悲劇性を、推理小説として見事に結実させています。
 清張作品の中でも、傑作という評価の高い作品です。

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 沢木耕太郎さんが1984年に発表したエッセイ集『バーボン・ストリート』に
 この『昔日の客』を書いた古書店の店主関口良雄さんのことを書いたエッセイ、
 「ぼくと散歩と古本がすき」が載っている。
 そのエッセイで沢木さんは関口さんの古書店「山王書房」を時々利用していたことを明かし、
 その際に見かけた関口さんのことをこう綴っている。
 「親父は話し好きらしく、よく店先で客と談笑していた。痩身で眼鏡をかけた
 いかにも神経質そうな風貌のわりには、喋る声は大きく、笑い方が陽気だった」。
 そんな関口さんが亡くなったあと、古書店の組合報などに書いた随想をまとめた遺稿集が
 この『昔日の客』なのだ。
 沢木さんはその文章について、「これが驚くほど面白い」と書いている。
 「ユーモアに富みながら、それでいて程よく抑制がきいている」と。

 それから幾星霜。
 おそらく沢木さんが読んだだろう『昔日の客』(1978年刊行)は絶版になっていたはず。
 そんな時、2010年になって、一人の出版人が関口さんの遺族のもとを訪れた。
 彼こそひとり出版社夏葉社を立ち上げたばかりの島田潤一郎さん。
 そして、私たちはこうして再び関口良雄さんの『昔日の客』を読むことができるようになった。

  

 本を読むというのは、とても個人的な行為だが、
 本を媒介にして、実は人と人がつながっていることが、関口さんのエッセイから
 とてもよくわかる。
 「昔日の客」というタイトルのエッセイでは芥川賞作家野呂邦暢氏との心温まるふれあいが描かれていて、
 この文章を読めたことがなんだかとても温かい出会いであったように思えた。
 読書の秋にぴったりの一冊だ。

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 永井路子さんが1964年に初期の鎌倉時代を描いた短編集『炎環』で第52回直木賞を受賞した際、
 選考委員の今日出海氏は「鎌倉時代を知る作家には、折角の知識も、それほど高く評価されなかったが、
 少なくともその知識を気楽に扱えるだけ、消化し、自分のものにしていることは事実」と評価している。
 鎌倉時代というのは、それほどに地味な時代だったともいえる。
 2022年度のNHKの大河ドラマが「鎌倉殿の13人」と決まった時は、
 源頼朝はともかくとして13人の名前すらわからないのに、
 大河ドラマドラマとして成立するのか心配もしていたが、
 いざ始まると、これがとても面白い。
 脚本家の三谷幸喜氏の筆が冴えているのもあるし、俳優陣の巧さもあるだろう。
 私の中では、ここで一気に鎌倉時代が花開いた感じがする。

  

 そうなれば、もっとこの時代のことを知りたい。
 そうはいっても、やはりこの時代は地味なのか、あまり多くの関連本が見つからない。
 そういう時こそ、永井路子さんの出番である。
 この『源頼朝の世界』は、まさに鎌倉時代の人間ドラマを描いた歴史エッセイだ。
 いくつかの文章が「頼朝とその周辺の人びと」「逞しき東国武者」「西国の権謀家たち」という、
 三つの区分けで括られている。
 そのうち、「頼朝とその周辺の人びと」では、
 頼朝のほか、北条政子、比企尼と阿波局。頼家と実朝、
 そして大河ドラマで主人公となっている北条義時が描かれている。
 永井さんは義時のことを「日本史上稀な冷静な史眼と決断力の持主であった」と評価している。
 しかし、彼が大河ドラマの主人公になるとは、まさか思ってもいなかったにちがいない。

 いやあ、鎌倉時代って面白い。

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 土曜日(9月10日)の十五夜の月、
 とてもきれいでしたね。
 秋を感じる、そんなお月様でした。

    世の中は稲刈る頃か草の庵         松尾 芭蕉

  20220909_092723_convert_20220910171914.jpg

 芭蕉のこの句のように
 気がつけば、田んぼでは稲刈りも始まっていて
 季節の変化をこんなところにも感じます。

 この時期に畑で咲くのが
 ニラの花。

  20220910_080815_convert_20220910171946.jpg

 ニラの花を見られるのも菜園ならではの
 楽しみです。

 先週は秋冬野菜の苗の植え付けをしました。
 今回初めて栽培するのが、ネギ
 以前からネギの栽培をしたかったので
 楽しみにしていました。
 どうしてかというと
 栽培方法が少し変わっているからなんです。
 まず、畝に10㎝ほどの溝を掘ります。
 その側面にネギを並べます。

  20220906_165204_convert_20220910171806.jpg
  
 そこに少しの土とわらを敷き詰めます。

  20220906_165506_convert_20220910171839.jpg

 これから成長していくと盛り土をしていきます。
 今回のネギ九条ネギ
 さて、うまくいくか。

 苗での植え付けは
 おなじみの野菜。

  20220910_084656_convert_20220910172021.jpg

 写真の右から茎ブロッコリー
 まんなか二つがミニハクサイ
 左側二つがミニキャベツ

 苗で植え付ける野菜で
 今回初めてチャレンジするのが
 プチヴェール

  20220910_094300_convert_20220910172115.jpg

 非結球の芽キャベツともいわれる野菜です。
 この畝には
 ほかにもミニハクサイ玉レタスを植え付けました。

  20220911_094530_convert_20220911140015.jpg

 これで秋冬野菜の植え付けはおわり。
 次は春野菜の植え付けですが
 これはもう少し先になります。

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 「はだし」という言葉で思いだすのは
 1964年の東京オリンピックのマラソンで金メダルをとった、
 エチオピアのアベベ選手
 その前回大会のローマで「裸足のランナー」として有名になった。
 アベベをまねしたわけではないだろうが、
 昭和30年代の小学校では、
 運動会の徒競走になると、はだしで走る子が何人もいたものだ。

 さすがに今ではそういう子どもも見かけなくなったし、
 そもそも屋外ではだしになることも
 海水浴とか水遊びぐらいしかないのではないか。
 現代人は裸足で土を楽しむことを忘れてしまっている。

    

 村中李衣(りえ)さん文、石川えりこさん絵の
 絵本『はだしであるく』は、
 裸足で歩くことを忘れた私たちに
 裸足で歩くことの楽しさを思い出させてくれる。

 畑ですいかを盗み食いしていたカラスを追いかけているうちに
 はだしになった女の子。
 雨あがりの畑の土はぐにゃりとしている。
 はだしのまま、アスファルトの道へと追いかけて、
 ちがった地面の感じはおもしろい。
 公園の土や川のなかの感触、みなそれぞれちがう。
 やがて、女の子は風の気持ちになったようにもなる。
 大きく描かれた、女の子の顔の表情がいい。
 絵本の魅力を感じとれる瞬間といっていい。

 こんな絵本を読んだあとは、
 そっとはだしになって、地球にふれたい気分になる。

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 英国のエリザベス女王が9月8日
 お亡くなりになりました。
 96歳で、
 英国の君主として最長の70年余の在位でした。
 以下、昨日の朝日新聞の夕刊からの引用です。

   女王は1926年、のちにジョージ6世となるヨーク公と
   エリザベス妃の長女として、ロンドンに生まれた。
   36年、伯父エドワード8世が米国人女性との結婚を望み、
   即位から1年足らずで退位する。
   急きょヨーク公が国王になったことで、
   10歳で次期国王になることが決まった。

 ちょうどこの頃のかわいい少女時代の女王が
 登場する映画があります。
 今日はエリザベス女王への哀悼をこめて
 映画「英国王のスピーチ」の話です。

    

 映画「英国王のスピーチ」は2010年のイギリス映画です。
 (日本での公開は2011年)
 亡くなったエリザベス女王の父、
 ヨーク公(のちのジョージ6世)を描いた作品です。
 ヨーク公には吃音障害があったため、
 国王になれば嫌でもスピーチをしなければならない。
 そのために悩み、時には激怒し、涙を流す。
 ヨーク公の吃音を矯正するために
 一人のオーストラリア出身の男が選ばれます。
 映画はこの二人が対立からやがて友情を芽生えさせていく姿を
 描いています。
 時代は第二次世界大戦がまさに始まろうとする頃。
 ラストの、
 国民に向けたジョージ6世のスピーチが胸をうちます。

 この映画はなんといっても
 ジョージ6世を演じた
 コリン・ファースの熱演が光ります。
 彼はこの作品で
 第83回アカデミー賞男優賞を受賞。
 作品もアカデミー賞作品賞を受賞するなど
 高い評価を得ています。

 このたびのエリザベス女王の死去のニュースを見ていると、
 英国王室が国民にいかに愛されてきたか
 よくわかります。
 そして、この映画「英国王のスピーチ」を観ていると
 国民に愛されるよう、
 王室の皆さんもとても一生懸命だというのが
 わかります。

 エリザベス女王のご冥福をお祈り申し上げます

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 スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を
 初めて読んだのはいつだったろうか。
 たぶん新潮文庫版だったと思うが、
 ロバート・レッドフォードがギャツビーを演じた映画のシーンが
 表紙カバーになっていた。
 映画が封切られたのは1974年だから
 そのあとだろう。
 それにその時は映画に合わせて、
 『華麗なるギャツビー』というタイトルだったような。
 今、持っているのは
 2006年に村上春樹さんが翻訳した版で
 もちろん『グレート・ギャツビー』というタイトルになっている。

    

 久しぶりに読み返して、
 ギャツビーが長年思い続けた一人の女性のために
 彼女の住む対岸でばかみたいなパーティーを繰り返しているシーンは
 もちろん覚えていたが、
 結末はすっかり忘れていた。
 その結末はここでは書かないが。
 今回ギャツビーや彼の想い人であるデイジーやその夫トム以上に
 トムの愛人の夫で
 しがない修理工の男が気になって仕方がなかった。
 この修理工が結末に関係するが、
 ちっともグレートでない修理工がもしかしたら
 読者にもっとも近い人物像かもしれない。

 この本には村上春樹さんによる
 ちょっと長めの「訳者あとがき」がついていて、
 そこでフィッツジェラルドが死ぬまで
 「ヘミングウェイこそが現代文学の巨星」と考えていた挿話が
 書かれている。
 そう思ったのも頷けるが、
 村上春樹さんのようにずっと
 フィッツジェラルドを愛した読者もいることもまた
 真実だ。

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 「古典」の定義はなかなか難しい。
 「広辞苑」には「昔、書かれ、今も読み継がれる物語。
 転じて、いつの世にも読まれるべき、価値・評価の高い書物」とある。
 池澤夏樹さんは「ずっと前に書かれて今まで読み継がれてきた立派な本」と書いていたりする。
 やっかいなのは、「昔」や「ずっと前」だと思う。
 例えば、樋口一葉の文章など現代の読み手には少々読みにくいものになりつつあるが、
 古典と呼ぶ人は少ないのではないだろうか。
 夏目漱石もしかり。

 では、ヘミングウェイの『老人と海』はどうだろうか。
 1952年に発表された、ヘミングウェイの代表作ともいえる中編小説。
 彼はこの作品によってピューリッツァー賞ノーベル賞を受賞したぐらいだから、
 「価値・評価の高い」作品であることは間違いない。
 でも、1952年って、昭和27年だもの、「昔」ということはない。
 だけど、なんだか「古典」の風格もってるし、光文社古典新訳文庫に入っているし。

    

 新潮文庫版は令和二年に高見浩さんの新訳でリニューアルされ、読むやすいと評判がいい。
 本文はその新訳版でわずか135ページ。
 プロット風にいうと、「老人が海で巨大カジキと格闘する話」になるのだろうが、
 大きくは四つにわかれる。
 プロローグともいえる始まりで、老人と彼を慕う少年の交流、
 そして海に出た老人が巨大カジキをしとめるまでの戦い、
 三つめが仕留めたカジキをサメに食べられてしまう顛末、
 そして村に戻ってきた老人を癒す少年の姿を描いたおしまいはエピローグといえる。
 簡潔な文体、巧みな構成、息もつかせない漁の様子、そしてサメとの攻防。
 さすがに名作、傑作といわれるだけのことはある。

 これは「古典」であろうがなかろうが、読んでおきたい一冊には違いない。

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 毎日新聞の書評欄は、故・丸谷才一さんが力を注いだコーナーとして、
 本好きには定評のある読書ガイドとなっている。
 丸谷才一さんの精神を継いで、
 今は池澤夏樹さんが顧問みたいにして書評欄「今週の本棚」をこしらえているようだ。
 その池澤さんの提案で、昔の本を扱う欄ができたそうだ。
 昔の本といえば、「古典」となるが、
 ここではもっと身近な「本を読む人ひとりひとりの個人的な古典」ということで、
 決して世間でいわれているような評価の定まったものとは限らない。
 つまりは、「他の人の評価などどうでもいい自分だけの一冊」。
 そういうコーナーができて、50人分が集まったのでできたのが、
 この『あなたのなつかしい一冊』で、池澤夏樹さんの編纂となっている。

    

 こういう本の面白いところは、有名なあの人がこんな本をなつかしんでいるのかと知ることだろう。
 例えば、建築家の隈研吾さんの一冊は『ドリトル先生、アフリカゆき』だったり、
 音楽家の近田春夫さんがバージニア・リー・バートンの絵本『ちいさいおうち』だったり、
 直木賞作家桜木紫乃さんが沢木耕太郎さんが藤圭子さんのことを書いた『流星ひとつ』だったりする。
 こうして読んでいくと、読書というのは極めて独りきりの作業だとよくわかる。
 よく本屋さんは最近読まれている本を薦めたりしているが、
 実は自分の一冊はそこにはないのかもしれない。

 池澤さんは「まえがき」の中で、
 「この本はまた新しい読者を得るだろう。ぼくだってそれを知らなかったと欲望を感じる本が少なくない。みなさんご用心。」と書いているように、
 あの人のなつかしむ一冊を読んでみたいと、そう思える本が必ず見つかるだろう。
 それも、また愉し。

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 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。
 『平家物語』の冒頭の有名な一節。
 古典の授業で覚えさせられたという人も多いだろうし、
 何かにつけて「盛者必衰の理」と頷かされることが今もある。
 では、その『平家物語』は読んだ人ってどれくらいいるだろう。
 そもそもこの作品は、鎌倉時代に書かれたというが、作者はわかっていない。
 それでいて、今でも古典の名篇として評価されている。

 そうはいっても、
 まさか自分が『平家物語』をいくら現代語訳といえ、読むことになるとは
 思ってもいなかった。
 きっかけは、2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
 鎌倉時代にほとんど興味がなかったが、
 三谷幸喜氏の脚本のおかげで、あの時代がとても面白く、
 それなら平家が滅んでいく姿を描いた『平家物語』も読んでみるかということになった次第。
 それと、書いたのが吉村昭氏ということもある。
 もし、好きな作家の吉村昭氏が書いていなければ、読まなかったかもしれない。

   

 文庫本にして500ページほどもある長編ながら、これでも完訳ではないそうだ。
 もともとは「少年少女」のための古典文学の一冊として編まれたもので、
 そのせいかおそらく原文の半分ほどの原稿になったようだ。
 それでも、吉村氏は「原文の雰囲気を少しでも残そうとつとめた」そうで、
 全文でないとはいえ、ああ『平家物語』はこういう物語だったのかと、納得がいった。

 それにしても、歴史に「もしも」を論じてはいけないとわかっていても、
 もしも平清盛の長男重盛が早逝していなければ、時代の様相はかなり違っただろうなとか、
 いろんな挿話の美しさも見逃せない一冊だといえる。

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 台風が接近したり、
 天気予報で傘マークが続いたりすると
 やきもきする秋のはじめ、
 畑にはいつのまにか
 トンボが多く飛び交うようになりました。

  20220903_092629_convert_20220904152051.jpg

    空遠しとんぼが水輪つくるころ         高畑 浩平

 トンボは秋の季語です。

 やきもきする理由は
 秋冬野菜の栽培が始まる時期だからです。
 私が借りている畑では
 植え付けの講習会も始まりました。
 これは会場となる畑の敷地に建つ屋根のある場所。

  20220903_085217_convert_20220904151924.jpg

 ここで講習会が開催されます。
 屋根に這わせたヘチマがかなり伸びて
 昼の日差しを遮ってくれます。

 9月3日の土曜日、
 まずはダイコンの種まきからスタートです。

  20220903_102533_convert_20220904152119.jpg

 写真の右半分、穴が6つあるところに
 青首ダイコンの種を蒔きました。
 左半分、穴あきマルチのところには
 大和真菜といわれるツケナ
 奈良県の固定種となる葉物野菜。
 それと天王寺カブ
 これも伝統野菜です。
 それとコマツナと、欲張りました。
 収穫量は少ないですが
 珍しい野菜を育てるのは楽しみでもあります。
 種まきがおわれば、
 しっかりと防虫ネットを張っておきます。

  20220903_104337_convert_20220904152150.jpg

 先週大雨があったせいでしょうか、
 二度目に蒔いたインゲンがあっと言う間に
 枯れてしまいました。

  20220903_091521_convert_20220904152025.jpg

 こうなれば、もう撤収しかありません。
 三度豆と呼ばれるインゲンですが、
 やはり育てる時期がうまく合わないと
 収穫まで難しいのかもしれません。

 ナスオクラはまだ収穫が続いています。

  20220903_121557_convert_20220904152222.jpg

 横の万願寺トウガラシ
 お隣のエリアで栽培しているオトナリさんから頂いたもの。
 こういう交流も
 こういう貸し菜園の愉しみでもあります。

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日絵本作家の長谷川義史さんの展覧会の図録でもある
  『とびだせ!長谷川義史』という本を
  紹介しました。
  その中に「著作リスト」があって
  絵本だけでなく
  長谷川義史さんが翻訳された絵本も
  紹介されています。
  今日紹介する
  韓国の絵本作家ペク・ヒナさんの『ピヤキのママ』も
  長谷川義史さん訳の絵本ですが、
  2022年5月に出たばかりなので
  そこには出てきません。
  長谷川義史さんの一番新しい
  翻訳絵本ということになります。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  ペク・ヒナさんには珍しい手描き絵本                   

 絵本作家長谷川義史さんは、絵本だけでなく絵本の翻訳も多く手掛けています。
 しかも、長谷川さんの翻訳絵本は、大阪弁まるだしの翻訳になっていて、そんなことあらへんと思いながら、結構ハマります。
 ジョン・クラッセンさんの絵本のとぼけた味も、長谷川さんの大阪弁によく合います。
 韓国の絵本作家ペク・ヒナさんの、ちょっと驚くような展開も、長谷川さんならでは翻訳と相性抜群です。

 この『ピヤキのママ』は、2011年の韓国で出版されたペク・ヒナさんの絵本です。
 ペク・ヒナさんといえば、自称「人形いたずら作家」と呼んでいるように、人形のさまざまな表情の瞬間でとらえた奇抜な絵本作家として有名です。
 代表作に『あめだま』や『天女銭湯』などがあります。
 ただ、この『ピヤキのママ』はちょっと雰囲気がちがいます。
 この作品はちょんとした(もちろん、人形を使った絵本もちゃんとしていますよ)手書きの絵でできています。
 この絵本の作者紹介の中にも「本書は珍しく手描き作品。」と説明されています。

 でも、話の展開は、ペク・ヒナさんの世界。
 何しろ嫌われ者のふとっちょ猫「ニャンイ」がたまごを食べたら、ひよこになって生まれてきたという、とんでもないお話。
 そのひよこの名前は「ピヤキ」。
 いつの間にか「ニャンイ」は「ピヤキのママ」と呼ばれるようになる、いいお話なんです。
 なので、この作品の長谷川義史さんの訳は、とってもまじめ。
 それも、またいいんです。
  
(2022/09/04 投稿)

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 今日9月3日は
 ドラえもんの誕生日って知ってましたか。
 誕生日といっても
 ドラえもんが生まれるのはまだまだ先。
 2112年で、今年は生誕前90年になります。
 という夢の話から現実に戻ると、
 漫画「ドラえもん」の連載が始まったのは
 1970年のこと。
 つまり、もう半世紀も前には始まっている作品です。
 テレビアニメの開始が1973年、
 この時は日本テレビ系だったらしい。
 そして、一躍人気ものになるテレビ朝日系のアニメが始まるのが1979年で
 この時ドラえもんの声を演じたのは大山のぶ代さん。
 私たちの世代とその子どもたちであれば
 ドラえもんといえば、あの大山のぶ代さんの声しか浮かばない。
 そこで、今日は
 ドラえもんの誕生日をお祝いして
 「映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021」のお話です。

   

 「映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021」は
 2022年3月に公開された作品です。
 「映画ドラえもん」シリーズの41作めにあたります。
 3月公開されたばかりですが、
 もうアマゾンプライムで観ることができます。
 「映画ドラえもん」シリーズが始まったのは
 1980年の「のび太の恐竜」が最初。
 テレビ朝日系の「ドラえもん」が始まって間もない頃。
 さすがに映画版も長く続くと
 新しいストーリーが生まれないのでしょうか、
 原作者の藤子・F・不二雄さんも亡くなっているし、
 最近の作品はリメイク版が多い。
 この「映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021」も
 1985年に公開された「ドラえもん のび太の宇宙小戦争」のリメイク。
 それでも、作品として面白い。
 この作品ではスネ夫が重要な役を演じています。

 声優陣は今は一新されていて
 ドラえもんの声は水田わさびさん。
 大山のぶ代さんの声で親しまれていたから
 2005年に変わった時は大変だったのではないかしら。
 でも、今ではすっかりドラえもんになっています。

 それにしても驚くのは
 「ドラえもん」映画の動員数のすごさ。
 今だに公開時にはトップを独走しますからね。
 保護者の人も
 「ドラえもん」なら安心して子どもにも観せてやれるのでしょうね。
 なんと、来年春に公開される
 タイトルまで決まっているのですから、
 やっぱりドラえもんはすごいや。

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 以前は、展覧会の図録というとその展覧会の会場でしか手にはいらないものでしたが、
 最近は本屋さんにも広く流通したり、図書館にも所蔵されたりして、
 手にしやすくなっているのは、とてもありがたい。
 この『とびだせ! 長谷川義史 ぼくの歩いてきた道』も、
 同タイトルの展覧会の図録を兼ねて、出品作品をもとに書籍化されたもの。
 この展覧会は、2022年6月の姫路での開催のあと、
 京都、静岡、長野、奈良と巡回予定で、残念ながら東京での開催はないようだ。
 長谷川義史さんといえば、大阪弁の印象が強いせいということもないだろうが、
 ぜひこの本の販売実績なども見ながら、開催地の再考を期待したいところ。

    

 長谷川義史さんは、大阪・藤井寺出身の絵本作家だ。
 小さい頃から絵を描くことが好きで、
 特に小学5、6年生の時に担任だった大西先生の感化を受けて、
 (のちに長谷川さんは『おおにしせんせい』という素敵な絵本をつくることになる)
 絵の道に進み始める。
 絵本を描き始めたのは2000年、長谷川さんが40歳の頃のことだから、
 決して早いデビューではない。
 ただ、たまっていたマグマの勢いそのままに、
 そこから書いて描いて、これまでに150冊以上の絵本を手掛けている。

 なので、この展覧会(図録)でも
 残念ながら、長谷川さんの全体像とまではいかないが、
 長谷川さんが描いてきた家族や笑いなどの作品は
 ふんだんに紹介されている。
 巻末には「著作リスト」がついていて、
 もっと長谷川さんの作品を知りたい人は
 そこからさぐっていくこともできる。

 「絵本は子どもの生涯に通じるもの。
 商品ではなく「作品」にしなければならない。
 そのために、つくり手がしっかり考えてつくらなければ。」
 一見、むちゃぶりしているような長谷川さんの絵本だが、
 実はとっても真面目な絵本作家なのだ。

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 今年2022年は
 鉄道が開業されて150年ということで
 さまざまなイベントやキャンペーンがおこなわれています。
 鉄道が開業したのは
 明治5年(1872年)10月14日、
 新橋・横浜間でした。
 狭い日本という国ですが
 鉄道の発展は大きな成果を生んだといえます。

 鉄道を舞台にした文学作品も
 たくさんあります。
 たぶん、その中で欠かせない作品が
 松本清張の『点と線』ではないでしょうか。
 この作品は昭和32年2月から昭和33年1月まで
 雑誌「旅」に連載されたミステリーです。
 連載終了から間もない、昭和33年2月には
 単行本として刊行されています。

    

 このミステリーを有名にしたのは
 なんといっても東京駅でたった4分間だけ
 ホームに列車が入庫されず隣接のホームの様子が見えるという
 時刻表を利用したアリバイづくりの巧さです。
 さらに、松本清張はこの事件の背景に
 汚職事件をからませ、
 「社会派ミステリー」という大きなうねりを生み出しました。

 今回久しぶりに読み返して
 とても面白かったのは
 かなり意外でした。
 昭和30年代の作品ながら
 ちっとも古さを感じさせない。
 このあたりも松本清張の人気が衰えない要因でしょう。

 それとタイトルの『点と線』は
 列車の運行を表現したダイヤグラムからきているのかと思っていましたが、
 実際は
 二つの点が相寄った状態になっているのをみて、
 間違った線(仮定)を引いてしまうことを
 表していたことを知りました。

 新しい発見をすることも
 再読ならではの愉しみでしょう。

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