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 先週は急に冷え込みがきつくなって
 大慌てで冬支度をした人も多かったのでは。
 気がつくと
 家から見える富士山も中腹まで雪で真っ白になっていて
 びっくりしました。

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 この季節、バラの花も見頃になっていて、
 春とはちがう風情を感じます。

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 近くのホームセンターに予約をしていた
 タマネギの苗が入荷して
 秋晴れの土曜日(10月29日)
 タマネギの苗の植え付けをしました。

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 苗は50本、
 穴あきマルチで覆った畝には36本植え付け、
 残りはそばの一角にペコロスにしようと密接植え付けしましたが
 果たしてうまくいくか。

 茎ブロッコリー頂花蕾が500円玉大になったので
 摘み取りました。

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 そうすることで
 わき芽が育っていきます。
 収穫はそのわき芽をとっていきます。

 秋野菜の収穫が始まりました。
 まずはミニキャベツ
 しっかり巻いているのですが
 採り頃の大きさがよくわかりません。
 八百屋さんなどで売っている半分ぐらいですが
 思い切って収穫しました。

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 切ってみると
 しっかり巻いていて、
 ミニキャベツの場合
 やはりこれくらいの大きさが収穫時期かもしれません。

 次に玉レタス

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 こちらはりっぱなものが
 収穫できました。
 レタスは虫もつかず
 育てやすい野菜のひとつです。

 うまく育たなかったニンジンですが
 菜園で親しくなった人から
 おすそわけを頂き、
 心もなんだか秋晴れになりました。

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 病気で視力を失った男性は、それでも働くことを選び、白い杖を持って歩くことを練習し、
 バスの乗降もなんとかこなし、少し離れた職場へと向かう。
 それでもやはり不自由で、時にはバスに乗れないことも。
 そんなある日、「バスが来ましたよ」と、一人の少女に声を掛けられる。
 少女は男性が降りるバス停の近くの学校に通う小学生でした。
 こうして、二人の交流ははじまりました。
 しかし、やがて少女は学校を卒業していきます。
 と、その子の妹がお姉ちゃんのあとを継いでくれたのです。
 そうして何人もの子供たちが善意のバトンをつないでくれて、男性は定年まで働き続けました。

    

 これは由美村嬉々さんが書いた『バスが来ましたよ』という絵本のあらすじ。
 でも、これはひとつの事実をもとに書かれた絵本でもあります。
 視力を失った男性自身が「あたたかな小さい手のリレー」という作文で「小さな助け合いの物語賞」に応募し、
 受賞したものがベースになっています。
 小さな記事を読み、いい話だと感じることはよくあります。
 でも、そこから誘発されて、実際の舞台である和歌山まで足を運ぶ人は少ないでしょう。
 由美村さんのこの絵本は、そういった一歩歩き出したところから始まっているといえます。
 その一歩は、絵本の中の少女も同じだったでしょう。
 「バスが来ましたよ」という一言は、少女にとって勇気の一歩だったのです。

 絵を描いたのは、松本春野さん。
 祖母はいわさきちひろさん。
 絵のタッチは違いますが、やさしい色づかいに、あのいわさきちひろさんの絵を彷彿させます。
 「バスが来ましたよ」、少女のかわいい声が聞こえてきそうな絵です。

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 今年の読書週間の標語、

  この一冊に、ありがとう

 って、いいな。
 とっても気持ちがこもってます。
 でも、本好きな人にとって、「この一冊」って
 なかなか決められないような気がします。
 一年に一度の「この一冊」だって、なかなか決められないのですから。
 映画にも「この一冊」ならぬ、「この一本」が
 きっと誰にもあるはず。
 今日は最近観返した映画の話をしましょう。
 私にとっての「この一本」ぐらいに好きな作品。
 「八月のクリスマス」の話です。

    

 映画「八月のクリスマス」は1998年に公開された
 韓国映画です。
 小さな町で写真館を営む青年とそこに現像依頼にやってきた
 交通係の若い女性との淡い恋愛を描いた作品です。
 青年は余命わずかで、自身はそのことに静かに向いあっています。
 そこに現れた彼女。
 ほのかな恋情が生まれても、彼女を抱きしめることさえできないことを
 青年はわかっています。

 死と向き合いながら、時に感情が高ぶることはあっても
 ほっと静かにほほ笑む青年。
 この青年を韓国の俳優ハン・ソッキュがたくみに演じています。
 そんな青年に好意を寄せながら、うまく表現できない純な女性を
 シナ・ウムが演じています。
 やがて、死期が近づいて、青年は写真館を休むしかありません。
 いつも閉まっている店の前に立つしかない彼女。
 担当地区が変わった彼女を追いかけ、
 喫茶店のガラス越しに彼女を見つめる青年。
 その姿を青年の手がなぞっていきます。
 うーん、切ないですよね。

 この映画は死という運命にあって
 それでも青年の心に灯る美しい恋を描いていて、
 私は何度も観て、そのたびにジーンとしています。
 先日もアマゾンプライムで観たばかり。
 私にとってはまさに
 
   この一本に、ありがとう

 の映画です。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今回のアガサ・クリスティーの作品は、戯曲です。
  『蜘蛛の巣』。
  タイトルは今ひとつですが、
  作品は楽しく仕上がっています。
  こういう作品を書いている時のアガサ・クリスティー
  きっと自身も楽しんで書いているのではないかな。
  いつもの霜月蒼さんの
  『アガサ・クリスティー完全攻略』でも
  ★★★★の高評価。
  解説の書き出しが、「キュートでファニーだ!」なんですから
  読まずにいられない作品のひとつです。
  私もこの評価には、大賛成です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  コミカルな死体隠し                   

 「ミステリーの女王」と称されるアガサ・クリスティーはミステリー作家であることはいうまでもないが、劇作家としても評価は高い。
 この『蜘蛛の巣』は、アガサが1957年に発表した戯曲で、原題も「Spider’s Web」となっている。
 ただこのタイトルはあまり気にすることはない。ちょっとしたオシャレな言い回し、夫の妻への愛情表現ほどのこと。
 もっともこの作品全体が、このタイトルのようなかわいくオシャレで、コミカルな出来といえる。

 戯曲だから、まず舞台配置図の説明がある。
 この作品の場合、見せどころは「消える死体」で、舞台もそれゆえに複雑な配置となっている。
 アガサはその点も手抜かりはない。
 ある日主人公の女主人の家に、夫の元妻の現在のやくざな男がやってくる。
 あやしい動きをする男だが、誰かに殺されてしまう。
 この死体をめぐって、登場する男三人のコミカルなやりとりが楽しい。
 死体の始末どうすんだ? 隠してよ! そこじゃだめだろ・・・、みたいな。
 そんな男たちを右往左往させるのが、この作品の主役といえる女主人。
 どんな時代であれ、どんな場所であれ、かわいい女性には男たちはやさしいというか、いいなりになってしまう。

 単にコミカルというだけではない。
 犯人が狙っている高額なものとは何か、そういう謎解きも面白い。
 ただそもそもの犯人探しは案外早くから検討がつくかもしれないが、この作品でアガサがもくろんでいたのは犯人探しではなく、男のかわいさのような気がした。
  
(2022/10/28 投稿)

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レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  今日10月27日から
  読書週間が始まります。(~11月9日)

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  今年の標語は

    この一冊に、ありがとう

  この標語の作者天野耕平さんはこんな言葉を綴っています。

   読書で心が震える体験は、何物にも代え難い奇跡のようなものだと思います。
   そして、自分の未来にはそんな奇跡がまだまだたくさん待っているという妙な確信もあります。
   本に関わっているすべての人に感謝を伝えたいです。

  イラストは、たしまさとみさん。
  今年の標語はシンプルだけど、
  結局そういうことなんだと
  あらためて気づかさせてくれます。
  こういう時には読みたい人の本があります。
  長田弘さん。
  今日は読書週間にちなんで
  長田弘さんの『小さな本の大きな世界』を
  再録書評で紹介します。

     

sai.wingpen  ぬきさしならない言葉にあふれた本                   

 子どもにとって絵本や物語はどんな意味をもつのか。
 この本の中で長田弘さんは明確にこう記しています。「世界のつくり方の秘密を子どもたちに伝える、方法としての本」だと。
 「世界のつくり方」という獏とした言葉に強い意志を痛感します。
 この世界に生まれてきた子どもは、すでにある世界を生きるのではなく、自分の世界をつくっていく。それはいうならば個性です。
絵本や物語をそのことを伝えてくれている。
 では、おとなにとってはどうなのでしょう。やはり同じことかもしれません。常に新しい世界をつくっていく、その方法の一つとして、私たちは本を読んでいるのです。

 この本は2015年5月に亡くなった詩人の長田弘さんが絵本について綴ったエッセイをまとめたものです。それに酒井駒子さんがすてきな挿絵をつけています。
 日本の絵本も紹介されていますが、海外の絵本の方が多いかもしれません。読書ガイドとして読むのもいいと思います。
 それ以上に読書論あるいは絵本論として、長田さんの言葉の一つひとつが心に響いてきます。
 いくつか紹介します。
 「絵本は、本を読みたい大人にとっても最良の本」。
 「読書とはー本の空白のページに、言葉がまるで魔法のようにあらわれてくること」。
 「本というのは、場所なのです。あるとき、じぶんにとってのぬきさしならない言葉に、思わずでくわしてしまう場所のこと」。

 特に最後の文章はこの本にぴったりです。
 この本の中には「ぬきさしならない言葉」がたくさんひそんでいます。「思わずでくわす」どころか、ここにも、そこにも、あそこにも、と見つけることができる「場所」です。
 それには「ぬきさしならない」ものを持っていることが肝心かもしれません。
 何かを発見する時には、見つけたい何かを持っていることが大事だと思います。
 特に絵本については、おとなでもたくさんの発見があります。そのことを長田さんはこの本の中でたくさん教えてくれています。

 長田弘さんはもういません。
 けれど、長田さんが残してくれたさまざまな詩やエッセイ、そしてこの本のように絵本についての文章はこれからも残り続けると思います。
  
(2016/06/04 投稿)

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 須賀敦子さんの自身の読書体験を柔らかな文章で綴った随筆『遠い朝の本たち』の中に、
 サン=テグジュペリの『星の王子さま』が出てくる章がある。
 「1949年のころ、私は大学の三年生だったが、
 『ル・プチ・プリンス』はまだ日本語に訳されていなかったし、サンテグジュペリという人の名も知られていなかった」と、
 須賀さんは書いている。
 サン=テグジュペリがこの作品を書いたのが1943年。
 日本語訳として「岩波少年文庫」から刊行されたのが1953年というから、
 須賀さんにとても早い時期に、しかもそれほどまだおとなにもなっていない年代で、この作品に出会ったのだから、
 なんと仕合せだろう。

   

 『星の王子さま』といえば、最近では多くの出版社から新訳で出版されているが、
 有名なのはなんといっても最初の翻訳者となった内藤濯(あろう)のものだろう。
 須賀さんの文章にもあるように原題は『ル・プチ・プリンス』で「小さな王子」だが、
 これを『星の王子さま』と訳したのは内藤だ。
 その作品は世界での販売部数は2億冊を超えるともいわれ、日本でもさまざまな形で出版されている。

 今回久しぶりに本棚から出してきた私の『星の王子さま』は、
 「サン=テグジュペリ生誕100年記念」のオリジナル版で、挿絵の色調やタッチがオリジナルとなった単行本。
 2000年3月に岩波書店から刊行されたもの。

 『星の王子さま』といえば、「かんじんなことは、目には見えない」という有名な文章があって、
 私の本にも色あせた付箋紙が貼ってあった。
 久しぶりに読み返すと、人間が時間に縛られていることを風刺していたり、違った世界が見えてくる。
 何度読んでも新しい井戸が見つかる作品といえる。

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 向田邦子さんが台湾での飛行機事故で不慮の死にあったのは、1981年8月22日。
 すでに40年以上の時が経った。
 それでも、今だにエッセイや作品がいろんな編集で単行本化されている。
 言葉は悪いが、「手を替え品を替え」である。
 しかし、言い換えれば向田さんの作品がちっとも古びてこないということだと思う。
 生存中は多くの愛読者を集めた作家でも、亡くなればそのうち本屋さんの棚からも消えていく、
 そんな世の中にあって、向田さんはいつまでも愛される作家であり続ける。
 おそらく、向田さんが書いた家族なり男なり女なり、あるいは時代を視る目なりは、
 昭和から平成、令和と時代は変わっても、不変のものなのだろう。
 それこそ、庶民感覚だといえる。

  

 『向田邦子の遺言』と、少しドキッとするタイトルのこの本は、
 向田さんが亡くなって20年経った2001年12月に刊行されたもの。
 著者は、向田さんから「印税の代理人」と「遺言」に記された、9歳下の妹の向田和子さん。
 この本には、突然亡くなった向田さんの部屋に残されていた、「遺言」めいたもの2通と、
 それを書いた向田さんの思いを妹視点で読み解いたもの。
 旅行好きの向田さんは、おそらくもしかしたら旅で事故にあうかもしれないという、
 怖さもあったかもしれない。
 向田さんが生きた昭和という時代は
 まだ海外旅行は「もしかしたら」という一抹の不安もあったのも事実だ。
 旅から戻ってきたら、その「遺言」もゴミ箱に捨てられたかもしれないし、どこかに忘れ去られたかもしれない。
 2通のうちの1通もそのようにして残ったのだろう。
 そういう感覚こそ、向田さんらしい、庶民感覚のような気がする。

 作家・脚本家・エッセイスト向田邦子さんのことをもっと知りたい人には欠かせない「遺言」だろう。

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 昨日10月23日は
 二十四節気のひとつ、霜降(そうこう)でした。
 この頃、霜が初めて降りるといわれていて
 実際北海道あたりでは初霜もあったそうです。
 街を歩いていて最近よく見かけるのが
 色づき始めた柿。

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    写真機をごつごつ構へ柿の秋        奥坂 まや

 関東では
 週末天候に恵まれて
 秋の空がきれいに広がりました。

    秋空へ大きな硝子窓一つ          星野 立子

 秋の空にすっくと立つネギという取り合わせも
 いいものです。

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 今は畑作業はあまりありません。
 虫とりの作業は続いていますが、
 早い人はそろそろ秋野菜の収穫も始まる頃。
 これはダイコンのふたつの品種。

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 左側の大きな葉の方は聖護院ダイコン
 右側の色の濃い葉は、ミニダイコン
 同じダイコンでも
 葉の形や色が全然ちがいます。

 これは成長著しいプチヴェール

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 もともとケール芽キャベツの交配でできているので
 葉はケールそっくりです。
 これって、お父さん似っていうのかな?
 それとも、お母さん似?
 その左側根本にあるのが
 玉レタス
 こちらはだいぶ大きくなってきました。
 ハクサイなどと違って
 あまり虫がつきません。

 今週はいよいよタマネギの苗が届く予定で
 植え付けを始めます。
 タマネギも冬越し野菜です。

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 やなせたかしさんが亡くなったのは、2013年10月13日で、
 もう9年の歳月が過ぎたことになります。
 やなせさんのことは「漫画家・絵本作家」というよりも、
 「アンパンマンの」という方がわかりやすいと思いますが、
 やはり「漫画家・絵本作家」の方がふさわしいように思います。
 そのわけは、1975年11月に刊行された『それいけ! アンパンマン』を読めばわかります。

  

 この頃の「アンパンマン」の絵のタッチはとても柔らかで、
 まるで幼い子どもの手の感触のようです。
 「アンパンマン」は1988年からテレビアニメ化されましたが、
 アニメ化でキャラクターを描く線がシャープになりました。
 そんなアニメのキャラクターがいけないということではありませんが、
 生まれてまもない頃の柔らかな個性を大事にしたいと思います。
 この頃の絵のタッチは、やなせさんの絵本の代表作『やさしいライオン』に
 似ています。
 この「アンパンマン」を読んだら、ぜひそちらの絵本にも手を伸ばしてみてください。
 きっと、やなせさんのやさしいこころが伝わってくるでしょう。

 ところで、今回そんな昔の「アンパンマン」の絵本を紹介したのは
 2022年9月に新装版として新しい絵本が出たからです。
 「ぼくも アンパンマンに まけずに おはなしを かきつづけるつもりです」
 なんていう、1975年当時のやなせさんの「あとがき」もそのまま載っています。

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 昨日紹介した
 吉村昭さんの『仮釈放』は
 無期刑の判決を受けた男が仮釈放で刑務所から出てきて
 社会の中で更生しようと苦悩する姿を描いた小説でした。
 そこに保護司が登場します。
 保護司のことを作品の中でこう書かれています。
 「保護司は、法務大臣の委嘱によってすぐれた人格をもつ
 社会的な信望を得た者が任じられている。
 非常勤の国家公務員という資格をあたえられてはいるが、
 給与は一切支給されず、全くの社会奉仕である。
 吉村昭さんの小説では
 75歳の保護司が登場するが、
 まだ若い女性の保護司を主人公にした映画を
 最近アマゾンプライムで観ました。
 今日はその映画
 「前科者」の話です。

    

 映画「前科者」(岸善幸監督)は
 2022年1月に公開された作品です。
 もともとは漫画雑誌「ビッグコミックオリジナル」に連載されている
 原作香川まさひとさん、作画月島冬二さんによる漫画が原作です。
 この漫画をもとに
 2021年にWOWOWでテレビドラマ化されて
 今回それがオリジナル作品で映画化されたもの。
 主人公の新米保護司阿川佳代を有村架純さんが演じています。
 彼女が罪を犯した「前科者」達の更生・社会復帰に向けて
 孤軍奮闘する物語です。

 映画版では
 主人公がなぜ保護司となったのか
 過去のエピソードが大きな核になっています。
 その一方で、
 彼女が担当している「前科者」に再び殺人の嫌疑がかかる
 つらい事件が描かれています。
 有村架純さんはいつもながらのうまい演技で
 熱血保護司を演じています。
 彼女以上にオーラを出していたのが
 かつて保護司阿川佳代に救済された元受刑者役で登場する
 石橋静河さん。
 派手なメイクでよく見ないと
 石橋さんだと気がつかないですが
 彼女の役どころが保護司阿川佳代の個性を縁取りしています。
 そして、もう一人。
 殺人の嫌疑のかかる元受刑者の男を演じた
 森田剛さん。
 まさに熱演といえる演技で
 感動のバロメータがあがりまくり。

 観てソンはしない作品。
 機会があれば、ぜひ。

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 吉村昭さんの『仮釈放』は1988年4月に
 新潮社の「純文学書下ろし特別作品」の一冊として刊行された。
 タイトル通り、
 物語は浮気をした妻とその相手の男を殺傷し、さらに男の母親を焼殺して無期刑を判決を受けた菊谷という男が
 16年後に「仮釈放」されるところから始まる。
 無期刑であっても「仮釈放」という制度が適用されることをこの物語で初めて知った。
 けれど、無期の場合、終身で「保護観察」を受けないといけないらしい。
 つまり、月に最低2度は保護司の面接をうけ、転居や旅行をする時も保護司の諒解を得るといったことだ。

  

 16年ぶりに刑務所を出た菊谷は50歳になっていた。
 すっかり変貌をとげた街の風景や物価の高騰に戸惑う菊谷の姿を
 吉村さんはまるでドキュメンタリー映画のレンズから見ているように克明に描いていく。
 菊谷は武林という75歳の温厚な保護司のもと、鶏卵場という仕事場を得て、
 徐々に日常生活を取り戻していく。
 しかし、彼は罪の悔悟という点では深層では決して自分を裏切った妻も相手の男も許していない。
 そんな自分を表に出すことなく、菊谷の生活は続いていくが、
 保護司たちはその姿を見て菊谷に新しい伴侶を引き合わせることになる。
 一見どこにでもいる夫婦でありながら、菊谷の心には漆黒がある。
 恩赦を願う妻に対して、菊谷は冷たく突き放す。
 それは、菊谷にあらたな罪を行わせてしまうことになるのだった。

 もし妻が男を裏切らなかったら、
 「仮釈放」してきた男に改悛を強要しなかったら、
 あるいは男は罪を犯さなかったかもしれない。
 そのきわどい一線を、吉村さんは描いたといえる。
 その線はもしかしたら誰にでもある、あまりにも細い運命という線だ。

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 松本清張の『眼の壁』を書誌風に書いておく。
 この作品は昭和32年(1957年)4月からその年度いっぱいにわたって、
 雑誌「週刊読売」に連載され、その翌年単行本化されている。
 同時期に発表された作品に松本清張の代表作ともいえる『点と線』がある。
 『点と線』が社会派ミステリーの嚆矢のようにいわれることが多いし、
 今に至るまで作品の評価は高い。
 しかし、この『眼の壁』は『点と線』に負けないくらい面白い。
 久しぶりに読みおえるまで本をおけないという、
 読書の愉しみを味わった作品だった。

   

 事件の発端は、手形詐欺。
 これにひっかかった会社の会計課長が責任を感じ自殺してしまう。
 この課長の下で働いていた萩崎竜雄は何故この事件は起きたのか、その謎を追いかけることになる。
 竜雄は事件に美しい女性が関係しているのではないかと疑い始める。
 そして、事件を追いかけるうちに、一人が凶弾に倒れ、
 さらには、会社の顧問弁護士も誘拐される。
 一体誰が、何のために。
 警察の捜査によって、殺人犯が特定されていくが逃走先まではわからない。
 その一方で、竜雄の前にまたあの女が現れて。
 彼女は何者なのか、竜雄は次第に引き込まれていく自分に気づく。

 この作品が面白いのは、事件の解決にどこにでもいる会社員の男を設定したことだろう。
 彼の相棒には新聞記者の友人を配したとはいえ、
 相手は殺人さえ辞さない大きな組織。
 そういうあたりがこの作品が発表された当時、新しかったのではないだろうか。
 しかも、『点と線』と同じように、鉄道の時刻表で犯人の足取りが見えてくるあたり、
 清張の巧さを楽しめる作品といえる。

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 「咳をしてもひとり」や「いれものがない両手でうける」といった
 口語自由俳律で知られる尾崎放哉(1885年~1926)は漂泊の俳人とも呼ばれ、
 最晩年は小豆島の小さな庵で寺男のような貧しい暮らしを余儀なくした。
 しかし、現在では岩波文庫にも句集が収められているように、
 今でも人気のある俳人といっていい。

   

 尾崎放哉の名前は知ってはいたが、「漂泊」という言葉にロマンを感じていたが、
 実際は吉村昭さんの尾崎の伝記小説ともいえる『海も暮れきる』を読むまでは
 ほとんど知らなかった。
 帝大を出て一流会社の要職にまであった彼が身を持ち崩していくのは、
 「漂泊」というきれいな言葉ではなく、酒に溺れ、借金を重ねた故のこと。
 最晩年に小豆島に暮らしを求めたあとも、多くの人に顰蹙をかう。
 不思議なのは、そういう尾崎の姿であっても、吉村はそこに「孤独な息づかい」を感じ、
 同じ病を経験しながらも、尾崎に比べ自分の小説には「厳しさ」が欠けていたとみていたことだ。
 それゆえだろう、尾崎を描く吉村の筆は厳しい。
 けっして一愛読者として、尾崎を描こうとしたのではなく、
 骨ばかりとなったその身体さえ残酷に描写していく。
 尾崎はきっと死と向き合っていたにちがいない、というそれは吉村の視点でもある。
 ゆえに作品が尾崎が亡くなるまでの小豆島の八か月に絞った構成が生きている。

 この作品は1977年から79年にかけて雑誌に連載され、1980年に刊行された。
 吉村昭中期の労作といえる。

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 それがいくつの頃であったか覚えていないのだが、
 はっきり記憶しているのは、
 表紙のとれた漫画雑誌で石森章太郎さんの「怪傑ハリマオ」を読んだこと。
 調べると、この漫画が連載されていたのは「週刊少年マガジン」で
 連載は創刊間もない1960年(昭和35年)4月からだという。
 「週刊少年マガジン」が創刊されたのは、
 1959年3月17日。
 その後熾烈な販売部数を競うことになる「週刊少年サンデー」と
 同日日付の創刊日となった。
 それからほどなくして、私は「週刊少年マガジン」を体験したことになり、
 それは漫画との出会いでもあったはずだ。

   

 それから時を経て、「少年マガジン」は半世紀以上も漫画雑誌を牽引してきた。
 1967年生まれの伊藤和弘さんの
 『「週刊少年マガジン」はどのようにマンガの歴史を築き上げてきたのか?』という
 タイトルにあるように、
 「少年マガジン」の歴史をたどることは
 マンガの歴史を知ることでもある。
 同時に「少年サンデー」やのちに漫画雑誌のトップの座につく「少年ジャンプ」との
 編集方針の違いを知ることでもある。
 伊藤さんは「マガジン」のそれは「編集部主導方式」で、
 「サンデー」は「一流の作家に自由に書いてもらう」方式、
 「ジャップ」は「アンケート至上主義」と、記している。
 これらを知ることはあの漫画はどのようにして誕生していったかを知る面白さといっていい。

 この本は2022年7月に刊行されたが、タイトルにあるように2009年までのことで終わっているのは、
 あまりにももったいない。
 それが残念だ。

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 昨日いわさゆうこさんの『ごろんずっしり さつまいも』という
 やさい絵本を紹介しましたが、
 私が借りている菜園の一角でも
 サツマイモを栽培していて
 ちょうど掘り起こしが始まりました。

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    ほの赤く掘起しけり薩摩芋          村上 鬼城

 今回は金曜から始まった冬越し野菜の栽培の講習会の参加者に
 抽選で掘り起こしの権利があたるというもの。
 私も講習会に参加して
 運よく抽選に当たりましたが
 はずれた子供がいたので差し上げました。
 その子、おおきなサツマイモを掘り起こしたようで
 ニコニコしてました。
 その子の笑顔を見ていたら
 わたしもほっこりです。

 冬越し野菜の講習会では
 ソラマメイチゴの植え付けを教えてもらいます。
 この二つ、どちらを選択で
 私は今回もソラマメを栽培します。

  20221016_135707_convert_20221016171128.jpg

 写真のように
 一つの蒔き穴にひとつの種を植え付けます。
 穴の横に置いているのは
 植え付ける種です。
 あたまを少し出して植え付けます。

 こちらはミニハクサイ

  20221015_111211_convert_20221016081542.jpg

 いつものことながら
 今年も虫にかなりかじられてきました。
 ダイコンハムシという黒い小さな虫で
 ハクサイだけでなく
 ダイコンや葉物野菜にもひろがります。
 毎年のこととはいえ
 やはり大変です。

 これは畑のすみっこで栽培している
 ワケギ

  20221015_105521_convert_20221016081433.jpg

 漢字で書くと「分葱」。
 でも、調べるとネギよりもタマネギに近いようです。

 そして、この日の収穫。

  20221016_154317_convert_20221016171202.jpg

 肉まんではないですよ。
 コカブ
 秋野菜の最初の収穫です。

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 最近はスーパーの入り口付近で
 焼き芋を販売している機械を見かけることが多くなりました。
 昔は寒い季節になると
 「石焼きい~も」と売りに来ていた焼き芋屋さんが
 ありました。
 寒いなか、ほっかほかの焼き芋のおいしいことといったら。

  

 いわさゆうこさんの「どーんとやさい」シリーズの最新刊は
 2022年8月に出たばかりの
 『ごろんずっしり さつまいも』。
 いつもながらいわささんの写実的な絵に
 つい手が(もしかしたら、口が?)出そうになります。
 そして、その成長の様子も丁寧に描かれています。
 子どもたちが時々芋ほりでさつまいもを収穫することはありますが、
 いわささんは「真夏のさつまいも畑をおおいつくす、緑の海原」に
 感動するそうです。
 なので、この絵本では一面葉っぱの絵もはいっています。

 それと、なかなか目にすることのない
 地中の成長の様子も絵にしてくれているので、
 興味がわきます。
 さらには、今ではたくさんの品種を目にするようになったさつまいもも
 紹介されています。
 最近人気の「あんのういも」、よく見かける「べにあずま」、などなど。
 その形状の違いもよくわかります。

 この絵本を読んでいたら、
 焼き芋が食べたくなること間違いなし。
 「焼き芋やさ~ん!」と追いかけるのは、サザエさんだけではありません。

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 今年は鉄道開業150年
 昔の汽車や駅舎の風景は、
 昔なら錦絵、今なら写真ということになります。
 結構オススメなのが
 日本映画。
 戦後間もない頃から高度成長期を経て、
 鉄道も様変わりしていますが
 昔の日本映画には懐かしい汽車や列車、駅の風景が
 残っています。
 そこで今日の映画は、
 なかでも汽車の雄姿が見事に描かれていた
 「男はつらいよ 望郷篇」の話です。

    

 「男はつらいよ」シリーズは
 日本映画の中でも屈指の人気シリーズ。
 渥美清さん演じる車寅次郎が毎回笑わせ、
 そしてぐっと泣かせてくれます。
 寅さんは日本全国旅から旅の「フーテン」でもあったので、
 このシリーズでは昭和の日本の風景が今でも見れます。
 「男はつらいよ 望郷篇」はシリーズ5作めにあたり、
 昭和45年(1970年)8月に公開されています。
 監督はもちろん山田洋次さん。
 山田監督自身、この作品を会心作といっているくらい。
 何しろ、監督が大好きなSLがたくさん登場するのですから。

 昔寅さんがお世話になった親分が亡くなる間際、
 別れた息子に一目会いたいとの願いに寅さんが奮闘するお話。
 この息子(松山省二さんが演じています)が国鉄の機関士。
 彼がいる北海道小樽の築港機関区に寅さんはやってきます。
 そこで、寅さんを出迎えるのが汽車汽車汽車。
 父に会うのを嫌がる息子を乗せて汽車は走り出します。
 それをタクシーでおいかける寅さん。
 汽車が走る路線は函館本線
 昭和45年は、まだ汽車がりっぱに活躍していたんですね。
 当時の銀山駅や小沢駅の懐かしい駅舎も
 ちゃんとフィルムに収まっています。

 物語の後半は
 もちろん寅さんのいつもの失恋話。
 この回のマドンナは長山藍子さん。
 長山藍子さんはTV版の「男はつらいよ」で
 妹さくらを演じたくらいですから
 渥美清さんとの相性も抜群。
 地道に額に汗して働いても、
 寅さんはやっぱり失恋してしまいます。

 吐き出す汽車の煙にも哀愁漂う
 「男はつらいよ」シリーズでも屈指の一本です。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日、10月14日は鉄道の日
  明治5年(1872年)10月14日、新橋から横浜の
  日本で初めて鉄道が開業した日を記念して制定されました。
  そして、今年は鉄道開業150年ということで
  さまざまなイベントが開催されています。
  この機会に鉄道に関係する本を読もうと
  すぐさま頭に浮かんだのが
  宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』でした。
  久しぶりに読み返しました。
  主人公のジョバンニやカムパネルラを乗せて
  銀河の世界を走る列車。
  何度読んでも、美しく、切ない。
  この作品ではジョバンニたちのまなざしをとても感じます。
  はにかみ、恥ずかしさ、ためらい、勇気、ぬくもり。
  今日は2009年に書いたものも
  再録書評として載せておきます。
  また、いつか、ジョバンニたちと銀河鉄道に乗りたいものです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  ほんとうのさいわい                   

 何度銀河鉄道の旅にでただろう。
 少年期、青年期、そして壮年期。同じ風景を見ているはずなのに、読むたびに新鮮で、心うたれる。
 まさに名作である。
 なかでも「ルビーよりも赤くすきとおりリチウムよりもうつくしく酔ったよう」な「蝎の火」の挿話は感動が深い。
 それは生きていく意味を考えさせられる内容だからだろうか、どのように年を経ようと、何度銀河鉄道の旅にでようと、ジョバンニたちのように「蝎の火」に吸い寄せられてしまう。
 だからこそ、つづくカムパネルラの言葉は哀しく、涙のしずくになって心に沁みてくる。「ほんとうのさいわいは一体何だろう」。
 ほんとうのさいわい。
 お金でもなく名誉でもなく、生きてやがて死んでいく人間の永遠の哀しみを包みこむもの。
 それが見つかるまで、私の銀河鉄道の旅は何度でも続くだろう。
  
(2009/12/13 投稿)

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レビュープラス
 小説の作者自身が自分の作品のメガホンをとるというのは多くはないが、なかったわけではない。
 しかし、その作者が小説家というよりヒット映画のプロデューサーとしての方が有名だとしたら、どうだろう。
 川村元気さん。
 「電車男」や「君の名は。」の制作に携わってきた川村さんが
 2022年に原田美枝子さんや菅田将暉さん出演で監督した「百花」は、
 2017年から2018年にかけて「文藝春秋」に連載された長編小説である。(書籍としては2019年5月刊行)

   

 物語は68歳になったばかりの母百合子の言動がおかしくなっていくところから始まる。
 病院で診察を受けると認知症を発症していた。
 息子泉とは離れて暮らしていて、息子はその事実になかなか気づけなかった。
 百合子はシングルマザーとして泉を育ててきて、泉には父親の記憶はなかった。
 その泉は妻の出産を間近にして、父親になれるか不安でもある。
 記憶をなくしつつある母とそれに向き合う息子。
 父の存在を知らないまま自身が父になろうとしている息子。
 物語は、二重構造のようにして、親と子の関係をみつめている。
 その中心にいるのが、記憶をうしなっていく母親というのが、
 あまりにも切ない。
 そして、最後、
 「幼児にとって出会うひとすべてが未知で、誰であるのかわからないのと同じように、
 母にとってもすべてが見知らぬ人と」なってしまう。
 しかし、息子は気がつくのだ。
 記憶をうしなうのは認知症を患った母だけではない。
 肝心な思い出を自身忘れていたことに。

 泉に新たな命が誕生して物語は終わる。
 けれど、おそらくそれはまた新しい物語のはじまりでもある。

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 アントニオ猪木さんが10月1日亡くなった。
 79歳だった。
 近年は難病に冒され、ベッドで闘病生活をしている
 痩せた猪木の映像を見ることが多く、悲しかった。
 最盛期のアントニオ猪木はどんなに素晴らしかったことか。
 なんといっても、かっこよかった。
 スピード、闘志、技のきれ、どれをとってもかっこよかった。

 そして、あの伝説の一戦。
 ボクシング世界ヘビー級チャンピオンモハメド・アリとの
 異種格闘技戦
 1976年(昭和51年)6月26日。
 この試合を私はどこで見たのだったのか、
 思い出そうとするのだが、それがでてこない。
 しかし、この試合をテレビの実況中継で見たことは間違いない。
 マットに寝転んでキックを出す猪木。
 それを嫌がるアリ。
 なんとも無様な試合であったが、最後まで見続けたということは
 やはりそこに何か大きな期待があったからだろう。
 それは青春の夢によく似ていた。

   

 その試合が行われた1976年はアントニオ猪木にとっては、
 プロレスラーとして大きな曲がり角にあったといえる。
 その年のアントニオ猪木の試合を描いたのが、
 柳澤健さんの『1976年のアントニオ猪木』だ。
 けれど、この本にはその年の猪木だけでなく、
 それ以前のプロレスラーとして覚醒していく姿も
 その年のあとの猪木についての様々な毀誉褒貶も
 描かれている。

   美と強さを兼ね備えた男が快感に打ち震えつつ、
   怒りに身を任せたまま善悪の境界、
   倫理の境界を軽々と超えていく。
   そんな猪木のエロティックなプロレスに
   70年代のティーンエイジャーたちは強く反応した。

 柳澤さんが描いたそのまま、
 それが十代後半の私だった。

 アントニオ猪木が亡くなった今、
 アントニオ猪木とはどんなスターであったのか、
 どれほどかっこよかったのか
 本の向こう側の思い出の白いマットを
 縦横無尽に動き回るアントニオ猪木の姿が浮かんで仕方なかった。

 アントニオ猪木さん、
 あなたはかっこよかった。

 ご冥福をお祈りします。

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 最初の東京オリンピックが開催されたのは
 1964年(昭和39年)10月10日。
 その日、初めて家族と離れ、一人暮らしを始めた女性がいた。

  猫一匹だけを連れて移ったのだが、
  ちょうど東京オリンピックの初日で、明治通りの横丁から開会式を眺めた。

 その女性、向田邦子さんはのちに「隣りの匂い」(『父の詫び状』所載)というエッセイに
 そう書いた。
 向田さんにとって、
 昭和39年という年は忘れられない年であったと思う。
 家を出たことではない。
 向田さんの「秘め事」といわれる恋人をその年の冬に
 亡くした年なのだ。
 おそらくそういうことがあって
 秋に一人暮らしを始めたのではないだろうか。

   

 向田邦子さんは1981年航空機事故で急逝。
 それから20年の歳月を経て、
 彼女が30歳のあたりの「秘め事」が一冊の本となって刊行された。
 それがこの『向田邦子の恋文』。
 ここには向田さんと恋人だったN氏と呼ばれる人物との手紙数通と
 N氏の日記が収められている。
 その数はわずかといえばそうなのだが、
 そこには決して他人には測りしることのない
 二人だけの濃密な時間があったのだろう。

 それを埋めるべく、
 この本の後半第二部では、
 向田さんの9歳年下の向田和子さんが綴った「姉の秘め事」というエッセイが
 載っている。
 長女として生きた向田邦子さん。
 頑迷な父、気弱な母、そして弟と妹、
 そんな家族の長女として向田さんは懸命に生き、
 そして恋をした。
 N氏の死がなければ向田さんの一生もまたちがったものになっただろうが
 それでも向田邦子という女性は
 昭和の時代の長女でありつづけたかもしれない。

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 今日は「体育の日」と思いきや、
 カレンダーをよく見ると「スポーツの日」になっています。
 あれ? いつから?
 実は2020年から呼び方が変更されたようで
 東京オリンピックに合わせて祝日が変更になったりして
 気がつきませんでした。
 昭和世代からすれば、「体育の日」でいいじゃないといいたくはなりますが。

 先週の初めは10月というのに残暑が厳しかったのに
 週半ばから一気に気温が下がって
 関東では記録的な冷え込みとなりました。
 ようやく冷たい雨もあがった畑の周辺では
 秋の代表的な花コスモスが今が見頃。

  20221008_104821_convert_20221008174215.jpg

    コスモスのまだ触れ合はぬ花の数        石田 勝彦

 秋の花はコスモスだけではありません。
 こちらは街で見かけた鶏頭
 コスモスの可憐さと違い、ゴージャスな感じ。

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    鶏頭に日はさしながら雨の降る          臼田 亜浪

 畑の野菜は冷たい雨にうたれながらも
 着実に成長しています。

  20221008_110311_convert_20221008174318.jpg

 プチヴェールの根本、写真の左隅で芽を出しているのは
 シュンギク
 アブラナ科の野菜のコンパニオンプランツとして
 キク科のシュンギクを育てています。

 芽を出したといえば
 こちらはニンニク

  20221008_110157_convert_20221008174248.jpg

 今回ニンニクは有名なホワイト六片と
 無臭ニンニクを育てていて、
 スクッと芽を出したいるのは無臭ニンニクの方。
 同じ野菜でも
 品種が違うと成長の過程も違うようです。

 こちらはミニキャベツ

  20221009_100830_convert_20221009112145.jpg

 結球を始めたのが
 わかるようになってきました。

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 絵本『ぐりとぐら』の絵で知られる
 絵本画家の山脇百合子さんが
 9月29日に亡くなられました。
 80歳でした。
 『ぐりとぐら』が初めて刊行されたのは1963年。
 以来、今でも読み継がれているロングセラーの絵本です。

   

 文を書いたのは
 百合子さんの実姉の中川李枝子さん。
 『ぐりとぐら』の表紙には
 「なかがわりえこ と おおむらゆりこ」と
 子供でも読めるようにひらがな表記になっています。
 百合子さんはこの頃は旧姓の大村です。
 結婚して山脇百合子になりました。

 中川李枝子の作品には6歳年下の妹百合子さんの絵が
 多く使われています。
 『いやいやえん』の挿絵もそうで、
 その頃は百合子さんはまだ高校生だったそうです。
 美術部に所属していたとはいえ、
 大胆な起用です。
 挿絵のお礼がチョコレート一枚というのも
 ほほえましい。

   

 百合子さんの絵を初めて見た福音館書店の編集長だった松居直さんは
 「らくがきでしたが、きっと子どもはこの絵が好き」だと
 感じたといいます。
 『ぐりとぐら』がいつまでも愛されるのは
 百合子さんの絵の魅力も大きな要因なんでしょう。
 ちなみに
 ぐりとぐらは野ネズミの双子のきょうだいで
 青い服が「ぐり」、赤い服が「ぐら」です。

 山脇百合子さん、
 すてきな絵をありがとうございました。

 ご冥福をお祈りします

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 6日、ノーベル文学賞が発表されました。
 今回の受賞は
 フランスの作家アニー・エルノーさん。
 その受賞理由は
 「勇気と冷静な鋭さをもってして、
 個人の記憶における根源と離反、集団的な抑制を暴いている」と
 かなり高尚なものでした。
 彼女の代表作ともいえるのが
 1991年に発表した『シンプルな情熱』という
 年下の不倫相手との肉体関係を描いた作品で、
 発表の翌朝図書館の所蔵を調べると
 それまで貸し出しがなかった本に一気に予約が50人以上も。
 それならば、と
 この作品が2020年に映画化されたのを知って
 TSUTAYAでDVDをレンタルしてきました。
 今日はノーベル文学賞を祝して
 映画「シンプルな情熱」の話です。

    

 映画「シンプルな情熱」は2020年公開のフランス映画。
 2022年のノーベル文学賞を受賞した
 アニー・エルノーさんが自らの衝撃的な愛の体験を赤裸々に綴った
 話題の同名ベストセラー小説を映画化したもの。
 大学で文学を教えるシングルマザーのエレーヌ(レティシア・ドッシュ)の
 狂おしいまでの愛欲の姿を描いています。
 彼女が愛するのはロシア大使館に勤める若い既婚の男性アレクサンドル。
 彼を演じるのが
 セルゲイ・ポルーニンというバレーダンサー。
 この人の魅力が全開の映画といってもいいくらい。

 この映画は日本ではR15+指定になっていて
 セックスの場面がたくさんあります。
 それゆえに、彼女がどんどん彼にはまっていく姿が
 怖いくらいです。
 「溺れる」ということ。
 恋のそれは、狂気をはらんでいるようにすら感じます。

 原作では性描写はどのように表現されているのか
 わかりませんが、
 映像化されるとより過激になっているような気がします。
 原作がベストセラーになったといいますから
 多くの女性たちの共感を得たのだと思います。
 映画は
 かなりドキッとする
 おとなの作品でした。

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 山手線の30番目の駅として2020年に誕生した高輪ゲートウェイ駅
 その開設工事の途中で発見され、鉄道関係者を驚かしたのが「高輪築堤」。
 明治5(1872)年にわが国初の鉄道が開業した際に、
 海上に線路を敷設するために築かれたという。
 新橋から横浜間に日本で初めて鉄道が開業したのは、日本史の授業でも必ず習う。
 しかも、今年(2022年)は鉄道開業150年ということで、さまざまなイベントが開催されている。

   

 そんな中、梶よう子さんが発表した『我、鉄路を拓かん』は、
 その高輪築堤の工事に関わった平野弥市(のちに弥十郎に改名)を主人公に、
 明治の人びとが鉄道の開業にどれほど苦心したかを描いた、長編歴史小説である。
 弥市は土木請負人で、築堤の事業のように大掛かりな土木工事の土工の手配などを行っていた人物。
 勝海舟井上勝などの影響もあって、弥市は日本に鉄道が走ることを夢見るようになっていく。
 なかでも井上勝はのちに「日本の鉄道の父」とも呼ばれる人物で、
 この作品の中でも実に生き生きと描かれている。
 そんな井上のせりふがいい。
 「皆に鉄道を好きになってもらいたい、素晴らしいものなのだということを知ってもらいたい
 おそらく、これは作者の梶さんが生み出したせりふだろうが、井上の熱情が伝わってくる。
 そんな人たちによって、日本に鉄道が誕生していく。

 ここからは私の早すぎる予測だが、
 梶さんのこの作品は次の直木賞の候補にはなるのではないだろうか。
 そして、ひょっとしたら、これで受賞も、なんて考えてしまうほど、読み応えある作品だった。

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 古本屋の若い店主を主人公にした
 『愛についてのデッサン』は
 1974年に『草のつるぎ』で第70回芥川賞を受賞した野呂邦暢(のろくにのぶ)
 1979年に発表した、連作短編集だ。
 この作品の刊行後、まもない1980年5月、
 野呂は43歳で急逝する。
 その早すぎる死を今でも惜しむ、野呂の愛読者は多い。

   

 この作品は副題にあるように
 佐古啓介という若い古本屋店主が本にまつわる旅を通じて
 父親の過去であったり
 愛する人との邂逅といった旅する姿を描いた青春小説だ。
 旅といえば、
 私がこの本を読むまでの道程も旅に似ている。
 小さな出版社のことを伝える新聞記事が始まりだった。
 そこから島田潤一郎さんの『あしたから出版社』を読み、
 そこに書かれていた
 山王書房という古書店店主の『昔日の客』という本を知る。
 この『昔日の客』というタイトルは
 以前山王書房を利用していた野呂邦暢が店主に宛てた
 メッセージからとられたもの。
 そのあたりのことを沢木耕太郎さんが『バーボン・ストリート』という
 エッセイ集の中の一文で綴り、
 そこに沢木さんはこう書いた。
 「野呂邦暢は古本屋めぐりが好きで、若い古本屋を主人公にした
 『愛についてのデッサン』という長編小説まで書いた作家」と。
 こうして、私はこの本と出会うことになる。

 一冊の本と出会う。
 まして、一時代も前の本と出会うことは
 そう頻繁にあるわけではない。
 こういう出会いもあるということで書いてみた。
 それは、とても幸福な出会いだった。

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 昨日紹介した
 須賀敦子さんの記憶の中の本を綴ったエッセイ、
 『遠い朝の本たち』に
 「父の鷗外」という一篇があります。
 須賀さんが大学生になってまもなく
 文学好きでもあった父から
 「おい、おまえ、鷗外が読んだか」と声をかけられます。
 続いて、父親は
 「鷗外は史伝を読まなかったら、なんにもならない。」と言って
 その場を去っていったと、須賀さんは綴っています。
 それから、須賀さんの鷗外との悪戦苦闘が楽しく描かれていきます。
 おそらく、明治期に育った人にとって
 森鷗外という存在は知のシンボルでもあったのではないでしょうか。

 その森鷗外
 2022年の今年、生誕160年、没後100年にあたります。
 亡くなったのは1922年7月9日。
 まだ60歳でした。
 東京・文京区千駄木にはかつて鷗外が暮らした
 「観潮楼(かんちょうろう)」と呼ばれた家があって、
 今そこは森鷗外記念館になっています。

  20220930_124815_convert_20221002152558.jpg

 文京区では「鷗外100年の森へ」という一年間にわたるイベントを
 続けていて、
 記念館を訪れた9月最後の日には
 「鷗外の東京の住まい」という企画展が
 開催されていました。(~10月16日まで)

  20220930_132729_convert_20221002152734.jpg

 この記念館ができたのは2012年。
 建物の設計は陶器二三雄氏によるものだそうで
 かなり珍しい作りになっています。

  20220930_124913_convert_20221002152621.jpg

 入口をはいると、エントランスに鷗外の横顔のレリーフが
 飾ってあります。

  20220930_125240_convert_20221002152707.jpg

 写真の右に写っているのが、それ。
 地下が企画展の展示室になっています。

 ここは団子坂を登りきった高台にあって
 このあたりの地域は「汐見」と呼ぶそうですから
 明治の頃はここから東京湾が見えていたのでしょう。
 今はスカイツリーが見えます。

 館内には
 スタッフがおすすめする鷗外作品や
 鷗外に関連したブックリストもあって
 これから鷗外を読んでみようという人にはオススメ。
 須賀敦子さんのお父さんにならって
 鷗外の史伝ものを今度読んでみようかな。

 ちなみに
 森鷗外記念館の入館料は300円。
 1階にはカフェもあって
 大イチョウのある庭園を見ながら
 ドイツ製の紅茶も楽しめます。

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 先日中谷彰宏さんの『本に、オトナにしてもらった。』という自身の本にまつわるエッセイを読んで、
 私もそうだが、そんな人はきっとたくさんいるだろうと思った。
 そういえば、この人もそうであったと思い出したのが、須賀敦子さん。
 その早すぎる晩年、須賀さんが亡くなったのは1998年3月、69歳だった、に多くのエッセイを発表し、
 その静謐な文章で人気を得、その死後も全集が出版されるなどファンが多い。
 そんな須賀さんが、亡くなる直前まで書き続けたのが『遠い朝の本たち』で、
 亡くなった翌月単行本として刊行されている。

   

 この本は本を愛した須賀さんが幼い頃から青春期にいたる読書体験を綴ったエッセイだ。
 16篇のエッセイが収められていて、特にそれが年代順にならんでいるわけではない。
 共通しているのは、それらがすべて本にまつわる話ということ。
 圧巻なのは、冒頭に収められた「しげちゃんの昇天」という一篇。
 しげちゃんという小学校からの同級生の、とぎれとぎれではあるが、その交流を描きつつ、
 自身の幼い頃の読書体験を綴っている。
 後年、須賀さんは暮らしたイタリアで夫を亡くす。
 その彼女をなぐさめるように、修道院のシスターになっていたしげちゃんから長い手紙が届いたことを、
 このエッセイの終わりちかくに書き留めている。
 しげちゃんはその後病に倒れ、亡くなってしまう。
 しげちゃんが言った、「人生って、ただごとじゃないのよね」という言葉を残して。

 須賀さんを本好きにした要因のひとつに、父親の存在がある。
 父もまた本好きであって、「父ゆずり」という一篇も印象に残る。
 須賀さんの文章の魅力は、全体に漂う空気のたおやかさ(しなやかで優しいさま)だろう。
 もしかした、秋こそ須賀さんの作品にふれる一番の季節かもしれない。

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 季節の移ろいを感じるのは
 いろいろあるもの。
 この季節はなんといっても、金木犀の香りかな。
 ある日、ふとあのなんともいえない匂いに
 花の存在を探してみたりします。

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    見えさうな金木犀の香なりけり        津川 絵理子

 植物だけでなく
 昆虫でもそうで
 いつの間にか畑に群れて飛んでいるトンボは
 赤トンボに変わっていたりします。

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    赤とんぼ夕暮はまだ先のこと         星野 高士

 秋冬野菜の特長でいえば
 結球野菜が多いこと。
 ハクサイにしろキャベツにしろ
 きっちりと結球しないとおいしくありません。
 その一方で
 非結球の野菜も最近は結構出回っています。
 下の写真は
 左側が結球野菜の玉レタス
 右側が非結球野菜のプチヴェール

   20221002_100922_convert_20221002144853.jpg

 玉レタスはまだ結球しかかってるところまで
 育っていませんが。

 これは青首ダイコンの葉を
 上から撮った写真。

   20221002_104838_convert_20221002144924.jpg

 この時期、小さな害虫が柔らかい葉を食べてしまうことが多く、
 これはまだきれいなままですが
 菜園では虫駆除にみなさん手を焼いています。

 ナスミニパプリカを昨日(10月2日)伐採しました。
 今週には新しい畝をつくって
 次週のおわりにはソラマメスナップエンドウを蒔きます。
 今回苦労したニンジン
 とてもうまく育っている人がいる一方、
 私のところでは
 まだ写真のような状態。

   20221002_113005_convert_20221002144953.jpg

 りっぱなニンジンの収穫にはいたらないかも。
 その向こうに見えているのが
 九条ネギ
 昨日最初の土寄せをしました。

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 絵本を書く人は、絵本作家と呼ばれますが、
 最近ではそうではない、異業種の人の参入が多くあります。
 そういう人たちの絵本は、文のみの提供で、
 絵は専門の人が描いていることがほとんどです。
 この『あんまりすてきだったから』は、
 『氷柱の声』で第165回芥川賞候補になったくどうれいんさんが
 文を書いています。
 くどうさんは作家ですが、俳人でも歌人でもあったりしますから、
 言葉に対しての感性がとても高いのだと思います。

   

 この絵本でも、物語の途中とちゅうに、おもしろい言葉がはさまっています。
 例えば、テレビで見た歌手の歌声が「あんまりすてきだったから」、
 こんちゃんという女の子は歌手に手紙を書きます。
 ポストまで歩く女の子についた言葉が、
 「てってこてこ てってこてこ たててととっ!」です。
 意味があるような、ないような。
 そんな言葉が、物語の進行とともに、たくさん出てきます。
 物語は前へ前へ動いていくから、面白い。
 この絵本では、こんちゃんの手紙とともに、前に進みます。
 くどうさんは、そういう物語の面白さをよく心得ています。

 絵は、みやざきひろかずさんが描いています。
 絵のタッチから、あ、この人、『ワニくんのおおきなあし』を描いた人だと
 気がついた人は、
 かなり絵本通です。

 文のプロと絵のプロがあわさって、いい絵本ができました。

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