fc2ブログ
 「面陳」というのは、本屋さんでよく見かける、
 背表紙でなく表紙面を見せて陳列する方法のこと。
 新刊書などは、なおかつ平台に積まれることがある。
 ただ、この陳列方法だとスペースもとるから、ほとんどの本が
 短時間で背表紙だけを見せる陳列方法に変わる。
 ただその本屋さんがこれはと思う本を「面陳」することがある。
 2017年に文庫本になった西條奈加さんのこの『まるまるの毬(いが)』を
 「面陳」してくれた本屋さんがあったおかげで
 この本に出会えた。
 だって、表紙の食べかけの「回転焼き」がなんともおいしいそうだったから。

  

 この作品は親子三代で菓子を商う
 江戸・麹町にある「南星屋」を舞台にした連作時代小説。
 その出生ゆえに武家から菓子職人になった治兵衛と
 夫の浮気で父治兵衛の元に戻った娘お永、そしてその娘お君の、
 文庫解説を書いた澤田瞳子さんによれば、「家族の物語」。
 もちろん、菓子屋が舞台だから、作品には必ず和菓子が登場するし、
 各作品のタイトルも和菓子の名前がついている。
 人情噺ともいえる内容に時に胸をうたれながらも、
 さてこのお菓子はどんなもの、その形、味はと
 甘党の読者を飽きさせることはない。

 で、表紙の「回転焼き」だが、
 この菓子にはさまざまな呼び名があって
 「大判焼き」とか「御座候」と呼ぶところもある。
 ただ残念なことにこの本には「回転焼き」は登場しない。
 でも、これは「回転焼き」ですよね、
 カバー装画を描いた「彦坂木版工房」に訊いてみたいところだ。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
 思い起こせば、1988年にシリーズ第1作となる『タコの丸かじり』以来、
 苦節35年、
 2022年にシリーズ45作めとなる『町中華の丸かじり』まで
 一体作者の東海林さだおさんはどれだけの食べ物を食してきたのか。
 そのヒントが、シリーズ40作めの『焼き鳥の丸かじり』の文春文庫の
 荻原浩さんの「解説」の中にある。
 荻原さんによれば、一冊だいたい36篇の食べ物エッセイが収められているから
 そこに刊行された巻数をかけるというもの。
 つまり、45×36。1620。
 これだけの食べ物が、口から入り、喉を通過し、
 胃で消化され、腸からお尻を経て、流れていくのが普通の人。
 でも、わが東海林さんはそれらを脳に蓄え、名エッセイとして
 読者を堪能させるだから、すごいというしかない。

  

 この『大盛り!さだおの丸かじり』は、これまで書いて、読まれて、
 読者を大笑いさせてきたエッセイから選りかじったものを集めた
 文庫傑作選だ。
 単行本時には味わえない文春文庫ならではの名解説も5篇再録されている。
 それになんといっても、
 この文庫の表紙にでんと書かれた東海林さだおさんのお顔。
 南伸坊さん、渾身の一枚に、
 本屋さんで見かけたら、つい手が出てしまうのではないだろうか。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
プレゼント 書評こぼれ話

  正直にいうと、
  やっと読めた直木賞受賞作です。
  それは図書館で借りる多数の順番待ちということでもあるし、
  自分の中では佐藤正午さんという作家が
  直木賞というのが
  どうもしっくりこなかったこととも関連する。
  佐藤正午さんが直木賞を受賞したと聞いて
  とても驚いたのは私で、
  デビュー当時何冊か佐藤正午さんの作品を読んだことがあって
  まさか直木賞作家になるとは
  信じられなかった。
  受賞作である『月の満ち欠け』も
  純文学といってもいい出来に仕上がっていたから
  読んだあともなんだかしっくりこなかった。
  直木賞は新人賞ではなかったのかとつい頭をひねる
  そんな作品だろう。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  直木賞の性格を揺るがす事件のような作品                   

 第157回直木賞受賞作。(2017年)
 佐藤正午さんが受賞されて、正直驚いた人も多かったのではないだろうか。
 何しろ佐藤さんといえば、『永遠の1/2』でデビューしたのが1983年。この作品で「すばる文学賞」を受賞した当時気鋭の新人作家だった。
 あれから30年以上経つ。その間も作品を書いてこなかった訳ではない作家だから、選考委員の一人浅田次郎委員のいう通り「熟練の作品」であり、「他の候補作とのちがいは相当に歴然」なのも、至極当然だろう。
 だからといって、何故この時に佐藤さんが受賞するのか、これは直木賞という文学賞の性格を余計に曖昧にした事件のように感じた。

 作品は「生まれかわり」をテーマにしているが、作品の長さを気にしなければ、内容的には芥川賞向きのような思えた。
 さらにいえば、これは多分一読者の偏りといっていいだろうが、村上春樹さんの初期の頃の文体にとてもよく似ていた。
 村上春樹さんが『風の歌を聴け』で「群像新人賞」を受賞したのが1979年だから、佐藤さんはほぼ同世代の作家といえる。
 時代の匂い、時代の風がよく似ているということだろう。

 選考委員の中には「後味が悪い」とか「不気味な作品」と選評に書く人もいたが、決してそんなことはなかった。
 ただ、2016年公開された新海誠監督の『君の名は。』に、あれは時空を超えた「入れ替り」だが、とてもよく似ていた。
 つまり、「生まれかわり」であろうが、「入れ替り」であろうが、愛する人とはどこかでつながっているということだろう。
  
(2023/03/29 投稿)

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  アガサ・クリスティーのベスト本といえば、
  おそらく『オリエント急行の殺人』とか『そして誰もいなくなった』を
  あげる人が多いだろうが、
  もしかした今日紹介する『終りなき夜に生れつく』をあげる人がいれば、
  きっとその人はアガサのファンといえるのではないかしらん。
  いつもお世話になっている
  霜月蒼さんの『アガサ・クリスティー完全攻略』では
  ★★★★★の満点評価。
  さらには、「是非ともすべてのひとに本作を読んでいただきたい」とまで
  書かれている大傑作。
  この作品読み方次第でいろんな表情に変わる作品で
  ある意味、
  大恋愛小説ともいえる。
  ただアガサ作品のとっかかりとしてこの作品を薦めるかと訊かれたら、
  うーむとなる作品でもあります。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  ここにはクリスティーのすべてがある                   

 アガサ・クリスティーの作品世界は、大きく6つに分類される。
 まずはなんといっても、エルキュール・ポアロの長編小説群、次にミス・マープル長編小説群、それとトミー&タペンス長編小説群、それから短編集と戯曲群、そしてノンシリーズ長編小説群である。
 どうしても、ポアロとミス・マープルに目がいくし、それはそれでアガサの読書体験としては正しいが、できれば他のジャンルにまで手を伸ばせば、アガサの世界がさらに豊かになる。

 この『終りなき夜に生れつく』はノンシリーズ長編小説のひとつ。
 原題が「Endless Night」で1967年に刊行された作品。
 ミステリだが、作品が醸し出す雰囲気は幻想的でもある。
 ミステリ評論家の霜月蒼さんは、この作品を評して、「ここにはクリスティーのすべてがある」とまで絶賛している。
 確かにとてもよく出来ている。
 ポアロもミス・マープルも出てこないし、文庫本330ページほどの作品で殺人事件が起こるのは240ページを過ぎたあたり。
 それまでは「ジプシーが丘」という曰くつきの土地に固執する青年(この物語は彼の一人称で描かれている)と美人で大富豪の女性との出会いや、彼女を取り巻く胡散臭い親戚の姿などが描かれていく。
 殺されるのは、この大富豪の女性。
 そこから犯人の正体まで一気に読ませてしまうのは、さすがアガサならでは。
 事件が起こるまでが随分長いし、雰囲気が決して明るくないから、投げ出してしまう読者もいるかもしれないが、それはなんとも勿体ない。

 もしかしたら、アガサ・クリスティーのベストかもしれない作品は、完読してこそ味わえる。
  
(2023/03/28 投稿)

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
 桜が満開となった東京ですが
 土曜日曜と本降りと雨となってしまいました。
 お花見は実に難しい。
 まず、満開になる時期がよめない。
 今年などは例年より1週間ばかり早いのじゃないかな。
 それと天気。
 この週末のような天気となれば
 三年ぶりに桜の下でのお花見を予定していて
 見送った人も多かったのではないでしょうか。

    花冷や柱しづかな親の家        正木 ゆう子

 菜園の横を流れる鴻沼川沿いの桜も
 ほぼ満開。

  20230326_105040_convert_20230326125912.jpg

 でも、さすがに昨日の雨では
 桜も映えません。

    花満ちてゆく鈴の音の湧くやうに       黒田 杏子

 この句の作者黒田杏子さんが亡くなったのが今月13日。
 最後の桜は間に合いませんでした。

 昨日のような雨では
 畑に来る人もいません。
 これは、雨の菜園と桜の全景。

  20230326_105445_convert_20230326125952.jpg

 雨では畑の作業もできないので、
 この春からはじまる夏野菜の栽培計画を
 今日は紹介しておきます。

  20230326_125031_convert_20230326130020.jpg

 菜園ではこのような施肥図も配布していて
 基本これにそって栽培をしていきます。
 入口に近い方が写真の上部になります。
 一番上が一番畝。
 ここには今ソラマメなどの冬越し野菜が植わっているので
 栽培はその収穫のあとになります。
 二番畝では、キュウリ中玉トマト
 三番畝ではナスピーマン、それとサンチュ
 そして、四番畝ではエダマメと。
 その横で独自にジャガイモを育てていきます。
 夏野菜の苗が届くのが4月下旬。
 それまでに畝づくりをしないといけません。

 今週の金曜日には
 菜園でお花見をする予定ですが、
 桜はもつかな。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
 文章が谷川俊太郎さんで、絵が樋勝朋巳さんの
 絵本『こっちとあっち』は
 クレヨンハウスから2023年2月に出たばかり。
 奥付を見ると、
 クレヨンハウスの住所が東京の吉祥寺となっています。
 青山にあったお店が老朽化のため昨年の暮れに閉店となり、
 その後吉祥寺に移転したためです。
 もしかしたら、そういうこともあったのかもと思えてしまえるタイトル、
 『こっちとあっち』。
 それはあまりに深読みし過ぎかな。

  

 この絵本は谷川俊太郎さんの「あかちゃんから絵本」シリーズの
 16冊めとなる作品です。
 このシリーズは谷川さんが現代のアーティストと組んで、
 言葉と絵の楽しさを赤ちゃんにも感じてもらおうと取り込んでいるものです。
 なので、言葉も絵もとてもシンプル。
 「こっち」にいるぼくと、「あっち」にいるともだち。
 時にけんかをしたり、仲直りしたり。
 ともだちが「こっち」に来たり、
 ぼくが「あっち」に行ったり。
 それだけのお話ですが、
 赤ちゃんの笑顔が浮かんでくるような絵本です。

 自分にとっての「あっち」とはどんな世界なのか、
 つい考えてしまいました。
 そうしたら、絵本のページが「あっち」に思えてきたので、
 私も「あっち」で遊んでみようと思いました。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
 卒業式シーズンです。
 卒業式といえば、「仰げば尊し」。

   ♪ 仰げば尊し わが師の恩
     教えの庭にも はや幾歳

 でも今でも歌っているのかな。
 私は結構好きだけど、この歌。
 名を成した人たちの評伝なんか読むと、
 先生との出会いが運命を変えたみたいなことがよくあって、
 まさに「わが師の恩」。
 そんな先生を持った人は幸福だと思います。
 今日はそんな先生を描いた
 「陽のあたる教室」という映画の話です。

  

 映画「陽のあたる教室」は1995年公開(日本は1996年)のアメリカ映画。
 原題が「Mr. Holland's Opus」で、
 直訳すると「ホランド先生の作品」ということになりますが、
 「Opus」はホランド先生が音楽教師なので、
 クラッシック音楽などの作品番号を指す言葉にあたります。
 主人公のホランド先生を演じているのは
 リチャード・ドレイファス
 映画「グッバイガール」(1977年)でアカデミー賞主演男優賞を受賞している
 名優です。
 この作品でも作曲家になりたいが
 生活のために高校の音楽教師とならざるをえない男を演じていて、
 さすがにうまい。
 そんな教師ながら、次第に生徒たちに近づいていきますが、
 初めての子が難聴だということに気付き、
 次第に荒れていく様など、
 学園ドラマというよりも家族を描いた作品ともいえる。

 最後に学校の予算が厳しくなり、
 音楽教師をやめざるをえなくなったホランド先生を待っていたのは、
 これまで先生に音楽の素晴らしさを教えてもらった
 たくさんの教え子たちというのも泣かせる。
 この教え子たち一人ひとりが
 ホランド先生の「Opus」(作品)。
 いい先生に教えたもらった子供たちは
 なんて幸せなんでしょう。

 やっぱり、「わが師の恩」ですよ。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


 以前紹介した猪谷千香さんの『小さなまちの奇跡の図書館』という本は、
 鹿児島県指宿市の公立図書館の活動を通して
 まちの人たちと図書館がどううまくつながっているのかを紹介した
 ノンフィクション作品でした。
 その中に市の指定管理者として図書館運営に携わった
 NPO法人本と人とをつなぐ「そらまめの会」の奮闘する姿が
 読者に勇気を与えてくれました。
 そこにもたびたび出てきたのが、
 その「そらまめの会」の皆さんが編著となった一冊の本、
 『私たち図書館やってます!』です。

  

 この本は2011年5月に出版されています。
 なので、最近出た猪野千香さんの本の方が、
 その後の活動まで書かれているのですが、
 この本は「そらまめの会」の人たち自身が実際やってきた活動のことが記された
 生の記録といっていいでしょう。
 セミの羽化観察会や高校生のおはなし会、
 高齢者向けのサービスや図書館での写真コンテストなど
 この人たちがいればこそ、ここが「奇跡の図書館」と呼ばれるようになったのが
 よくわかります。
 また、この本には以前書かれた「指宿図書館の歴史」や
 図書館員によるブログ記事なども紹介されています。

 猪谷千香さんの本がなければこの本にたどり着くことはなかったでしょう。
 猪谷千香さんの本は「ちくまプリマー新書」の一冊ですから
 本屋さんで購入するのも容易でしょうが、
 この本は鹿児島市の南方新社というところから出ているので、
 なかなか本屋さんでは見つけられないかもしれません。
 そういう時こそ、まちの図書館に訊いてみるといいでしょう。
 図書館ならこの本を並べていると思います。
 何故なら、この本は図書館のための本なのですから。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
プレゼント 書評こぼれ話

  野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での
  日本チーム(侍ジャパン)の優勝、おめでとうございます。
  一次ラウンドから昨日のアメリカとの決勝戦まで
  日本中に感動を与え続けてくれたメンバーに感謝します。
  日本中で「にわかファン」が増殖したと思いますし、
  私もそのうちの一人ですが、
  「にわか」であってもこれだけ感動するのですから
  「根っから」ファンはたまったものではなかったでしょうね。
  まさに、号泣!
  しからば、野球についての本の一冊ぐらいは
  読んだことあるのではないかと探してみました。
  ありました、ありました。
  絵本ですが、
  長谷川集平さんに素敵な一冊がありました。
  『ホームランを打ったことのない君に』。
  ドンピシャなタイトルでしょ。
  2014年6月に書いたものの、再録書評になります。

  野球の素晴らしさに、拍手!

  

sai.wingpen  ホームランを打てる人生なんてそうそうあるものではない                   

 ホームランを打ったことがない。
 たぶんホームランを打ったことのある人の方がうんと少ないのではないだろうか。
 ホームランを打てる人の条件、まず野球をやったことがある人、バッティングにセンスがある人、相手投手の調子がよくない時、あるいは風の強さ。
 だから、ホームランを打った人はとってもうれしいはずなのに、ちょっと照れくさい。笑いがこみあげてくるはずなのに、それを奥歯で噛みしめている。
 でも、そんなことどもも、あくまでも想像。
 だって、ホームランを打ったことがないのだから。
 それは人生でもそうかもしれない。
 ホームランを打てる人生なんてそうそうあるものではない。

 長谷川集平さんの絵本はいつも何かを考えさせる。
 大きなことのはずなのに、けっして声高に語るのでもない。絵も派手ではない。
 静かに、大切なことを話しかけてくれる。
 この絵本はホームランを打ったことのないルイ少年が町でかつて野球がうまかった仙吉にホームランの何事かを教えてもらう話だ。
 仙吉は交通事故にあって野球ができなくなって、今はリハビリ中。
 けれど、ルイにホームランの魅力をやさしく伝える。
 仙吉は野球ができなくなったことを愚痴ることもしない。ただ、野球の素晴らしさを話し、ホームランの美しさを語るだけだ。
 それでいて、静かに、だ。
 仙吉を別れたルイはそのあとでゆっくりとバットを振り続ける仙吉の姿を見る。

 仙吉がどうしてバットを振り続けるのかをルイは知っている。
 ホームランを打つために、だ。
 けれど、そのホームランは野球の世界だけのホームランだけではないことにルイは気づいたかもしれない。
 そんなことを長谷川集平さんは声高にはいわない。
 長谷川さんの文と絵で、読者である私たちがわかるだけだ。
 ホームランを打つことは難しい。
 でも、ホームランを打ったことのない悔しさとか寂しさとかはホームランを打ったことがない者だけがわかることではないだろうか。
 そのことを大事にしているなんていえば、負け惜しみに聞こえるだろうか。
  
(2014/06/29 投稿)

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
 私が東京に出てきてから、
 もう50年経つ。
 出てきた当初は地元大阪の学生たちばかり住む学生寮だったから
 そんなに違和感がなかったが、
 もちろんあの頃の東京と今の東京は随分違う。
 50年前の東京で自身がどんな気分で暮らしていたか
 あんまり覚えていないが、
 益田ミリさんの『東京あたふた族』というエッセイ集に収められている
 「上京物語」というエッセイのいくつかに
 なんだかふと自身が東京に出てきた頃の気分が浮かび上がるようであった。

  

 益田ミリさんは1969年の大阪生まれ。
 26歳で上京し、すでに人生の半分近くを東京で過ごしていることになる。
 「上京物語」というエッセイには
 まだ仕事さえ見つかっていない彼女が
 それでもめげることなく、実に豪快に東京での日々を過ごす様子が
 描かれている。
 益田ミリさんのコミックエッセイの原点がそこにあるように感じた。
 また別のエッセイ(「のび太と遊んだ空き地」)には
 こんな記述もある。
 「東京では標準語で生活しているが、わたしの中にはいつも関西弁のリズムが刻まれている。
 (略)とはいえ、わたしは東京も好きだった。
 なんだか、わかる。その気持ち。

 このエッセイ集にはそのほかにも
 朝日新聞に今でも連載中の「オトナになった女子たちへ」というエッセイの
 2019年から2022年5月にかけてのものも収められている。
 女子ではないが、
 私は益田ミリさんの作品が好きだ。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
プレゼント 書評こぼれ話

  今日は春分の日で、お休みの人も多いと思います。
  それに彼岸の中日にもあたります。

    お彼岸のきれいな顔の雀かな       勝又 一透

  亡くなった人たちを思い出すのも
  こんな日なのかもしれません。
  この前の日曜(3月19日)に紹介した
  シルヴァスタインの『ぼくを探しに』という絵本のこと、
  実はずっと以前、
  訳者である倉橋由美子さんが亡くなった2005年に
  当時のbk1という書店サイトに
  書評を投稿していたのを見つけました。
  18年前の文章ですが、
  ブログには初めて載せることになります。
  50歳になったばかりの私が
  18歳のことをこんなふうに思い出していたのか、
  それが懐かしく、
  お彼岸の今日、紹介してみることにしました。

  

sai.wingpen  十八歳のぼくを探しに                   

 作家倉橋由美子さんは、2005年6月10日に亡くなった。69歳だった。
 かつて倉橋文学に夢中になったことがあるだけに、やや呆然となった。倉橋さんの死もそうだし、その年齢にも。
 倉橋文学にはまっていた頃、私はまだ大学生だったし、倉橋由美子自身もまだ若い新進気鋭の女流作家だった。その時の印象が強かっただけにあまりに唐突とした訃報だった。

 倉橋由美子の作品で最初に読んだのはやはりデビュー作『パルタイ』(60年)だった。
 『パルタイ』は倉橋が明治大学在学中に書いた作品だが、この作品によって「女流文学賞」を受賞し、彼女は一躍当時の文学界において脚光を浴びることになる。
 作品は難解だった。
 あの頃の私がどこまでその作品を読みきれたか自信はないが、18歳前後の私はそういった難解なものに強く惹かれていた。
 当時私が愛したのは、倉橋以外に安部公房、高橋和巳、大江健三郎、開高健、といった作家だったが、彼らはあまりにも生真面目に文学を捉えていた。
 彼らの時代には文学は政治と同じ磁場にあったし、彼ら自身がそれを強く意識していた。
 
 同様に、彼らは文学の主題としての性の問題に頑迷なくらい拘った。
 そういう点で、私にとって倉橋は大江と同様に時代の旗手だった。
 『パルタイ』に続く『婚約』『暗い旅』『聖少女』『スミヤキストQの冒険』。
 このように倉橋の初期の作品名を書き記すだけで、甘酸っぱい思い出の果汁が滴ってくる。
 18歳の私は倉橋の何に夢中になったのだろう。 
 それはあまりにも時代的な磁力のようなものだったと思う。
 その証拠に私はある頃から倉橋の作品をまったく読まなくなる。
 倉橋の初めての翻訳、そしてベストセラーになったこの『ぼくを探しに』も話題作の『大人のための残酷童話』も読んでいない。
 私にとって、倉橋由美子は10代終わりから20代初めにかけての作家だった。

 この『ぼくを探しに』はシルヴァスタインのイラストと詩のような文章で描かれた絵本のような作品である。
 倉橋の翻訳とはいえ、私にとっては私が知っている倉橋由美子と直接に結びつかない。
 もし倉橋らしさをこの本から探すとすれば、最後の数ページに書かれた倉橋による「あとがき」だろう。
 絵本のあとがきにしてはあまりにも生真面目な文章はいかにも倉橋らしい硬質なものだ。
 その文章の中でさりげなく置かれた言葉が印象に残った。
 「この世界を言い表す言葉を探すこと」。
 倉橋由美子にとって、それは終生変わらぬ文学の主題だったのかもしれない。
  
(2005/07/03 投稿)

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
 卒業式の季節です。
 このあたりでは中学校が終わって、
 小学校が今週なかば。

    卒業歌ぴたりと止みて後は風         岩田 由美

 三年間マスクでの学校生活を強いられていた子供たちに
 なんとかマスクから解放される卒業式になったのかな。
 このあたりの桜はまだ咲き始めたばかり。
 これは畑の横を流れる鴻沼川沿いの桜。

  20230319_125508_convert_20230319163137.jpg

  20230319_125538_convert_20230319163209.jpg

 満開までにはもう少し時間がかかるかな。

 でも、日差しの強さとともに暖かくなってきて
 昨日の日曜日(3月19日)には
 春の日差しのなか、「はたけdeかみしばい」のイベントがありました。
 子供たちも10人ほどが集まっていて、
 紙芝居や絵本のよみきかせを楽しんでいました。

  20230319_140855_convert_20230319163408.jpg

 絵本のよみきかせでは
 子供たちがぐんぐん絵本に吸い込まれていく様を見れて
 ちょっと感激しました。
 この子たちがこれからいろんな野菜を収穫して楽しめる、
 そんな菜園ライフもいいものです。

 この日、トウモロコシモロッコインゲンの種を蒔きました。

  20230319_131710_convert_20230319163237.jpg

 モロッコインゲンは初めての栽培。
 マメ科の野菜はこれまでにも何種類か育てていますが、
 どんな花をつけるのかも楽しみです。

 これはスナップエンドウの花。

  20230319_134351_convert_20230319163309.jpg

    豌豆の花の飛ばんと風の中         勝又 一透

 「豆の花」が春の季語です。
 そのスナップエンドウ(右側)の横で栽培しているのが
 ソラマメ(左側)。

  20230319_135047_convert_20230319163340.jpg

 ふたつとも背丈がぐんと伸びました。

 桜はまだですが
 春の陽光の下、
 たくさんの人が菜園にやってくる。
 子供たちの歓声そのものが
 春の芽吹きのように
 なんとも幸福な昼下がりでした。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
 大江健三郎さんが亡くなったあと、
 多くの追悼の記事がでました。
 大江さんの文学は難解な部類にはいるのでしょうが、
 みんな大江さんのことが好きだったのが
 それらの記事でよくわかります。
 その大江さんと同い年生まれ(1935年)で
 ともに大学生の時にデビューし、
 大江さんとしばしば比較された女性作家がいました。
 それが、この『ぼくを探しに』という絵本の翻訳者、
 倉橋由美子さん。
 倉橋さんのデビュー作は『パルタイ』(1960年)で、
 もしかしたら大江さん以上に難解だったかもしれません。

  

 この『ぼくを探しに』は
 1977年に日本で出版された絵本で
 もしかしたら倉橋さんの著作の中でも
 おおいに売れた一冊になったのではないかと思えるほど
 ロングセラーになりました。
 原作はシカゴ生まれの作家シルヴァスタインで、
 この作品のほか村上春樹さんが翻訳した『おおきな木』などで
 知られた人です。
 この『ぼくを探しに』はとてもシンプルな絵で
 丸い、けれど少し欠けている「ぼく」が
 足りないものを探していく世界を描いています。
 単純だけど、奥深い。
 そんな絵本の翻訳を倉橋由美子さんにお願いした
 編集者のセンスに拍手をおくりたい。

 単純な言葉なんて、倉橋さんでなくともと思われた人は
 ぜひこの絵本の最後にある、
 倉橋さんの「あとがき」を読んでみて下さい。
 きっと、難解な倉橋由美子さんの片鱗を見つけることができます。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
 昨日大野裕之さんの
 『ビジネスと人生に効く 教養としてのチャップリン』という本の紹介の中で
 1970年代にチャップリンの映画がリバイバル上映されてことを書きました。
 「ビバ!チャップリン」です。
 その第1回めが「モダン・タイムズ」で
 1936年のチャップリン映画でした。
 そして、「ビバ!チャップリン」の第2回めが「街の灯」。
 大野裕之さんはその著書の中で
 「笑いに涙、そして冷徹な社会批評を、残酷なまでに美しい愛の物語に盛り込んだ、
 まさにチャップリン映画の全ての要素が詰まった傑作」と
 書いています。
 今日はこの映画「街の灯」の話です。
 この映画、手元に昔録画したDVDがあったので
 今回久しぶりのチャップリンとの再会でした。

  

 映画「街の灯」は1931年に作られたチャップリンの無声映画です。
 ただ無声映画といっても音楽がはいった「サウンド版」です。
 物語は盲目の少女に恋した放浪者チャーリーが
 献身的に彼女をたすけ、自身は誤って刑務所にいれられてしまいます。
 出所して彼女と再会したチャーリー。
 彼女はチャーリーのおかげで目が見えるようになっていて
 触れあった手の感触で
 彼女は自分を援けてくれたのが放浪者のチャーリーだと気づくという
 愛の物語。
 ですが、これは純粋に喜劇として
 数分に一度は笑わせてくれるギャグが満載の映画です。

 なかでも有名なのはボクシングの試合の場面。
 少女のためにお金が必要なチャーリーは
 弱いのにボクシングの試合にかりだされます。
 相手はとても強そうな男。
 控え室から相手にこびるチャーリー。
 そして、試合が始まれば逃げまくるチャーリー。
 もう笑いの連続です。
 この時のチャップリンの動きは必見です。

 この映画は、ラストの花を片手にはにかむチャップリンの表情が
 あまりに印象的なので
 愛の部分が大きく取り上げられていますが
 喜劇としてこんなによく出来ている作品も
 あまりないのでは。
 チャップリンはまさに喜劇王でした。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
 私が映画にはまったのは高校生の頃だから
 ちょうど70年代になったあたりだろうか。
 この時期に映画に夢中になって運がよかったのといえるのは
 日本でチャンプリンの映画がまとめてリバイバル上映されたことだろう。
 1972年秋から1975年にかけてリバイバル上映された企画は
 「ビバ!チャンプリン」と題されて、
 その第1回めが「モダン・タイムズ」だった。
 その当時購読していた映画雑誌「キネマ旬報」では映画シナリオも掲載されていて
 特集されていたチャンプリンの映画のシナリオも載っていたし、
 この時映画館でチャップリン映画を観ることもできた。
 それから半世紀以上経つが、
 今ではもちろんDVDなどで鑑賞はできるが、
 やはりあの時の熱気はいい思い出だ。

  

 そのチャンプリン映画が今また注目を集めているのは
 ロシアによるウクライナ侵攻で
 チャップリンの代表作のひとつ「独裁者」が反戦をテーマにした作品だからだ。
 だから、大野裕之さん(日本チャップリン協会会長というすごい肩書も持っている)の
 『ビジネスと人生に効く 教養としてのチャップリン』を読むと
 映画人チャップリンがいかにすごい人であったかがよくわかる。
 それはヒトラーと対峙した「独裁者」だけでなく
 「モダン・タイムズ」「街の灯」「黄金狂時代」といった作品を観れば
 歴然だろう。

 この本はチャップリン映画が大好きという人だけでなく
 まだチャップリン映画を観たことのない人でも、
 チャップリンの生涯や作品講座、また現代に通じるテーマなど
 興味深い論考になっている。
 「論考」と書いたが、大野さんの文章は難しくはない。
 どちらかといえば、とても軽妙。それでも深いのは
 チャップリンの映画によく似ている。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
 私が参加している読書会のメンバーで
 ミステリ小説の面白さがわからないと悩む女性がいる。
 わからないでもない。
 私もこの読書会に参加するまでミステリ小説をほとんど読まなかったから。
 なので、まずは読んでみてと、
 アガサ・クリスティーの作品などを薦めるのだが、
 むしろ松本清張の初期のミステリ作品8編を収めた
 この『なぜ「星図」が開いていたか』を薦めて方がよかった。
 何故なら、戦後まもないにしても日本が舞台であること、
 それに短編だから気軽に読めること、
 そして何より面白い。

  

 この短編集は新潮文庫のオリジナルだが、
 すでに多くの作品を文庫化してきた新潮文庫にあって
 2022年の秋に出たばかりというのもうれしいではないか。
 収録されているのは、
 表題作である「なぜ「星図」が開いていたか」(いいタイトルだ)を始め、
 清張の初期の代表作のひとつ「張込み」のほか
 「顔」「殺意」「反射」「市長死す」「声」「共犯者」である。
 表題作以外は実にそっけないタイトルだが、
 これは読者にあまり予見を与えたくない清張の工夫かもしれない。

 「市長死す」の突然市長が予定を変更してまで殺される場所に向かうきっかけが、
 こののち名作『砂の器』に使われていたり、
 清張ファンにはなんともうれしい一冊ではないだろうか。
 これなら、読書会のメンバーにもミステリ小説の面白さが
 わかってもらえるかもしれない。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
 13日の月曜から
 3年間付けつづけてきたマスクが
 個人の判断にゆだねられるようになりました。
 なんとか新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかかったようです。
 ただ一気にみんながマスクをはずすことはないようにも思います。
 夏になればはずす人も多くなるでしょうが。
 そんなマスク解禁の少し前、
 3月10日になんとあの有名人のトークショーに行ってきました。
 一度はそのお顔をリアルで見てみたい、
 一度はそのお声をじかに聞いてみたい、
 そう思っていたその人とは、
 あの吉永小百合さん! です。

 吉永さんのトークショーがあったのは
 朝日新聞主催の「Reライフフェスティバル」。
 これは人生後半の自分らしい生き方を応援する取り組みで、
 このフェスティバルのリアルでの開催は
 4年ぶりとか。
 いくつか講演があって、協賛企業の出展ブースなど
 かなりの数の参加者で会場はうまっていました。

  20230310_133044_convert_20230311091446.jpg

 そんな中、吉永小百合さんのトークショーが行われて
 「吉永小百合 今を生きる」という演題で45分話されました。
 まずは登場した瞬間、この日は和服ではなく
 この季節らしい桜色の洋服でしたが、
 会場の時間がとまったような感じがしました。
 「降臨」ってこういう時に使うのでしょうか。
 そして、静かに、語るように話が始まります。
 自身の健康管理のこと、
 秋に公開の123作めとなる「こんにちは、母さん」(山田洋次監督)のこと、
 映画作品で出会った人たちのこと、
 特に笠智衆さんの姿勢が素晴らしく、自身もそうありたいと思っていると
 話されていました。
 また歌手生活60年ということで
 歌の話もありました。
 さらには、戦争は絶対にしてはいけないや
 東日本大震災の被災地の子供たちを支援する活動など
 話は多岐にわたってとてもよかった。

 吉永小百合さんの魅力は
 もちろんその姿かたちの美しさもありますが
 私はなんといっても声の美しさに魅かれます。
 かわいい声というより
 おちついた穏やかさが心に染みてきます。

 話が終わって
 会場に拍手の音が鳴り響く。
 やはりこの感覚というのはオンラインでは味わえないものです。
 いやあ、よかったな。
 これからもリアルでの開催が続きますように。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
 ノーベル賞作家の大江健三郎さんが
 3月3日、88歳で亡くなった。
 人は誰でもいつか亡くなる。
 それはわかっているが、
 やはり自分の青春期にとても影響を受けた作家の一人である
 大江健三郎さんがいなくなるのは
 とても、とても寂しい。

 このブログを始めた2008年12月まもない頃、
 「わたしの好きな作家たち」として
 何人かの作家たちのことを書いたことがある。
 その最初の作家が大江健三郎さんだった。
 その時の記事をここで改めて紹介したい。

   大江健三郎さんを読み出したのは中学の終わりか高校の始め。
   新潮文庫の『芽むしり仔撃ち』だったと思います。
   そこからぐんぐん読みました。
   大学生の頃は、パチンコ屋さんの景品に「全作品」(新潮社)があって、それを揃える
   ために大学の授業にも行かず、そのパチンコ屋さんに日参したものです。
   高田馬場の駅前にあった遊戯場でした。

   私は大江さんの最高傑作は『個人的な体験』だと思います。
   あの作品は何度も読みました。
   その後有名になる息子の「光」さんの誕生という困難な状況をモチーフにしながら、
   若い父親の閉塞感と希望が描かれた作品です。

   その後の「光」さんを主人公とした一連の作品も好きです。

   大江さんの魅力はあのこなれない文体にあるというのも変な書き方ですが、
   物語を読み始めてもちっともおもしろくないのですが、いつの間にかどんどん
   ひきずりこまれているのが不思議な感じがします。

   でも、今はあまり「好き」ではありません。
   最近の作品は読んでいない方が多いと思います。
   なぜかというと、「最後の全集」と銘うった「大江健三郎小説 全十巻」を
   頑張って買い揃えたのに、その後も作品を発表しているから、という
   極めて「個人的な体験」からです。                (2008/12/22)

  

 最後に書いた「好き」ではないことも含め
 私にとっての大江健三郎さんに違いありません。
 実はあれだけ買い揃えた大江健三郎さんの本は
 数冊だけはありますが
 すべて売ってしまいました。
 いつだったか、古本屋さんに持っていった時、
 「今は大江の本は売れないんだよな」と店主がぼやいていたのが
 今でも耳に残っています。

 大江健三郎さん、
 今はあなたの本も数冊しか持っていない私ですが、
 それでも私にとって若い時にあなたの作品に出会えてことが
 やはり記憶から消えない邂逅であったと思います。

 ありがとうございました。

 ご冥福をお祈りします。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
 先週書いたミモザと同じように
 まだいつものところで楽しむ花木があります。
 この白木蓮もそう。

  20230311_104244_convert_20230311174712.jpg

 この白木蓮は毎朝通る道沿いにあるので
 日々観察が出来て、蕾が膨らんできたなとか
 あ、咲いたとか一番の見頃をはずすことはありません。

    木蓮のため無傷なる空となる         細見 綾子

 こちらの河津桜は少し奥まったところに咲いていて
 何年か前に見つけました。
 先日見かけたら、すっかり満開になっていました。

  20230310_091429_convert_20230311174608.jpg

  20230310_091547_convert_20230311174642.jpg

 りっぱなものです。

 今年はこの時期とはびっくりするくらい暖かで
 桜の開花も早いように思います。
 これは畑のソラマメの花。

  20230311_132447_convert_20230311174739.jpg

 本当ならもう少し成長してから咲き出すのですが
 やはりこの暖かさで花の開花が早まったのでしょう。

 畑のほうもいよいよ本格的な栽培シーズンが始まります。
 夏野菜の栽培に向けた講習会も始まって
 4月からの種まきや苗植えの心がまえの話がありました。
 私もさっそく第二区画の方でひとつ畝をつくりました。

  20230311_132559_convert_20230311174807.jpg

 元肥を入れれば、できたら2、3週間おく必要があるので
 スタートを早くしないといけません。
 最初つくったこの畝には
 トウモロコシモロッコインゲンを育てるつもりにしています。

 今年は苗づくりにも挑戦しています。

  20230312_080725_convert_20230312083909.jpg

 なかなか苗では手にはいらない
 マクワウリネギの種を育てています。
 うまく芽が出た苗になれば4月のおわり頃に植え付けですが
 果たしてうまく発芽するかな。

 来週19日には畑でかみしばいのイベントがあります。

  20230304_101727_convert_20230312083943.jpg

 前回のおはなし会ではあまり集まらなかったので
 今回は講習会の開催に合わせておこないます。
 暖かくなって
 子供たちも出やすくなっているので
 たくさん集まればいいですね。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する絵本、
  松本猛さんと松本春野さんの
  『ふくしまからきた子』は
  3度めの紹介となる再録書評です。
  最初書いたのが2012年10月、
  原発事故から半年経った頃。
  その次が2017年の3月。
  そして、今回2023年。
  東日本大震災から昨日で12年。
  ということは福島の原発事故から12年ということです。
  事故が起こった頃は
  多くの人が原発に反対していました。
  それが最近、
  ウクライナの戦火によるエネルギー危機や
  地球温暖化へ危機感などで
  またぞろ原発の再稼働などが臆面もなく出てきています。
  私たちがこれからも安心して暮らせるように
  いろんな議論が必要でしょうが、
  どうか、ふたたびこの絵本の子のような
  悲しい思いだけはさせないで欲しいと思います。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  七代先の子どもたちへ                   

 自分の先祖を順番に並べたら、たかだか5人ぐらい前で江戸時代あたりの先祖になるのだろうか。
 私の前が父母で、その前には祖父祖母、その前が曾祖父母。このあたりになるとすでにどんな人だかわからない。
 人類の歴史などと大仰にいっても、その程度なのだ。
 本書の作者で、画家いさわきちひろの子どもである松本猛さんがこの絵本の終わりに、「七代先のことを考えて判断しなさい」というアメリカ先住民の言葉を紹介しているが、七代先とは言葉でいえば簡単だが、実は途方もないくらいの年数ということだ。

 ヒロシマやナガサキの原爆からでもせいぜい三世代前といえる。
 たったそれだけの年数なのに、この国は原子力発電を容認し、拡大していったわけである。そして、東日本大震災による東京電力福島原発での事故。
 それは、「まさか」であったのか、「やっぱり」であったのか。
 高度成長期のこの国は豊かさを国民にもたらしたが、その一方で「七代先のことを考える」ことはしなかったのだ。

 松本猛とその娘である松本春野の共作となったこの絵本は、原発事故によって福島から広島に避難してきた一人の少女と同級生となったサッカー好きの少年の物語だ。
 ひとり仲間にはいらない「ふくしまからきた子」、まや。
 彼女のことが気になるだいじゅ少年は家で彼女の事情をきいてみる。
 放射能、原爆、避難。ヒロシマとフクシマ。
 その夜、少年は母の背にしがみついて泣くまやの姿を見る。

 子どもたちに罪はない。
 「七代先のことを考え」なかった大人たちの責任だそのことをきちんと伝えていくことが、今の私たちの大きな課題といっていい。
 物語であれ、ノンフィクションであれ、本書のような絵本であれ、子どもたちに、「七代先」の子孫たちに、伝えていくことがどんな大事なことか。

 そういえば、この絵本で絵を担当した松本春野はいわさきちひろから二代めにあたる。祖母ちひろの柔らかなやさしさを受け継いでいるようなタッチの絵が、いい。
  
(2012/10/11 投稿)

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  あの日から12年めの3月11日を迎えました。

  東日本大震災
  2011年3月11日14時46分、
  東北地方の沿岸部を襲った大地震と大津波。
  多くの人が犠牲となりました。
  あれから12年。
  今度はトルコで大きな地震があり、
  ここでもたくさんの犠牲者が出ています。
  私たちが暮らすこの地球という星は
  大きな生命体としてあるということを
  世界規模で私たちに何かを教えようとしているのでしょうか。
  12年という歳月は
  起こった事実を記憶の向こう側に押しやることではないはずです。
  もう一度あの日のことを
  そして、それから続いた日々のことを思い起こす
  今日はそんな日であればと願います。
  今日は2015年のこの日に紹介した
  『あの日 生まれた命』という本の再録書評です。

  今日は静かに祈ります。

  

sai.wingpen  希望をつなごう                   

 2011年3月11日に発生した東日本大震災による死者・行方不明者は2万人を超える。
 それだけではない。もっと多くの人が津波で家を失った。さらに、福島原発事故による放射能汚染で、長年住んだ土地を追われた人もいる。
 そういった被災者の人たちにとって、あの日はどんなにつらい記憶であろう。
 しかし、その一方で、あの日に命を授かった子どもたちも、いる。
 東北の被災地で110人以上の子どもたちが、あの日に生まれている。
 この本は、あの日に生まれた子どもたち18人とその家族のその後を取材したNHKの番組を書籍化したものである。

 あの日に生まれた子どもを持つ親の多くが「大きな悲しみを前に、3月11日がわが子の誕生日だということを言えなくなっ」たという。
 普通であれば当たり前のようにして祝う誕生日会を前日にしたり、部屋のカーテンを閉め切って行ったりしたこともある家族もいる。
 あの日に生まれたことは、親のせいでもないし、ましてや子どもたちのせいでもない。
 そういう生に対する負い目のようなものを、あの日は感じさせる程、悲しみは大きかったということだ。
 けれど、どのような形にしろ人は死ぬことから逃れられない。と同時に、誕生があるからこそ人間として生きるということだ。
 誕生と死は、命あるものとして避けられない営みなのだ。
 だから、あの日を生まれた命は、それ以前やそれ以後生まれた命と何も変わることのない命だ。
 あの日生まれたことを責め続けた親たちも、成長する我が子の姿とともに、そのことを自覚していく。
 さらには、あの日生まれた意味を見つけていく姿は、あの日の震災で傷ついた被災者たちの姿を重なっているような気がする。
 あの日生き残った意味を多くの被災者たちは理解し、復興への思いにつなげているに違いない。

 「多くの命が失われた中で、そうした子どもたちは私たち社会の希望であり、未来だ」という、あの日誕生した一人の少女の出産に携わった医師の言葉が紹介されている。
 この子どもたちは特別ではない。
 生まれてくる新しい命そのものが特別であり、希望であり、未来なのだ。
 そのことは、等しくある。
  
(2015/03/11 投稿)

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
 今年(2023年)生誕100年を迎える人気作家が二人いる。
 一人は歴史小説を書いた司馬遼太郎
 もう一人が時代小説を書いた池波正太郎
 ともに映画化ドラマ化された作品も多い人気作家である。
 司馬さんの作品は歴史小説、紀行文、随筆などたくさん読んできたが、
 何故か池波さんとはご縁がないままこれまで来た。
 「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・梅安」と作品名だけは馴染みがあるのに、
 どうも食わず嫌いでいけない。
 いや、嫌いではない。
 本当にたまたま縁がなかっただけだ。

  

 せっかく生誕100年ということもあって、
 今さらながら池波正太郎を読んでみることにした。
 では何を読むか。
 原作は読んでいないが、テレビ時代劇としてはよく見ていた
 「仕掛人・藤枝梅安」シリーズを読んでみることにした。
 それが『仕掛人・藤枝梅安(一) 殺しの四人』。
 「おんなごろし」から始まる短編5篇が収められている。
 それぞれの話としては時系列につながっているから
 純粋に短編集とは言い難いから、できれば
 収録順に読むのがいい。

 梅安とその仲間彦次郎たち仕掛人が殺すのは
 「世の中に生かしておいては、ためにならぬやつ」だから、
 彼らは殺人者でありながら、正義の者にも見えてくる。
 そのあたりが人気になった由縁だろう。
 それと随所にある食べ物の記述。
 これが池波さんのファンにはたまらないとか。
 その気持ちわかるような気になる。
 つい、もう一杯と茶碗を差し出したくなる。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
 村上春樹さんの6年ぶりとなる長編小説が4月13日に発売となる。
 最初発売日の告知だけで本のタイトルも出なかったが、3月にはいって、
 『街とその不確かな壁』というタイトルも公表された。
 順に気分を煽っていくやり方がいいかどうかはともかく、
 村上さんの場合、そうやってこれまでにも世界観を醸し出してきた。
 だからというわけではないが、
 『村上春樹 映画の旅』という2022年10月に出た本を読んでみた。

  

 実はこの本は、
 村上さんの母校である早稲田大学演劇博物館で開催された
 2022年度秋季企画展「村上春樹 映画の旅」の図録になる。
 ただ単に図録というよりは、
 数編の「論考」や村上作品を映画化したイ・チャンドン監督や
 濱口竜介監督のインタビューも掲載されているから
 村上春樹論の一冊としても十分価値がある。

 そもそも十代から二十代前半にかけての村上さんは
 映画に夢中になっていて、
 早稲田大学文学部に入学してシナリオ作家になりたかったそうだ。
 それで大学にある演劇博物館に通って
 映画のシナリオを読みまくったというから、
 映画との関係は切り離せられない。
 この図録を読めば、
 村上さんの作品に映画のタイトルや一場面の切りとったような文章が
 随所にあることがわかる。
 巻末にある「村上春樹著作登場映画リスト」を見ると、
 その数に圧倒される。
 「村上春樹作品年譜」とともに資料として
 手元に置いておきたくなる。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
 現在放送中(2022年度後期)のNHK連続テレビ小説(通称「朝ドラ」)舞いあがれ!」も
 残りわずかとなってきた。
 この作品が朝ドラ107作めで、作品の出来もよく毎日楽しく見ている。
 何しろ前作「ちむどんどん」の出来がひどく、
 よくあれで視聴率が落ちないものと妙な感心もしていた。
 一方、ネットの世界では「#ちむどんどん反省会」なるものが登場し、
 あの場面はおかしい、その人物に問題ありとかなり盛り上がっていたようだ。
 その点、今回の「舞いあがれ!」にそんな批判は少ないようだが、
 だからと言って言って視聴率がすごくあがったかというとそうでもない。
 ドラマの人気の不思議なところだ。

  

 フリーライターの木俣冬さんの『ネットと朝ドラ』は、
 木俣さんがネットの世界でその時々の朝ドラを批評してきた記録本で、
 この本で紹介されているのは、
 朝ドラ第96作めの「ひよっこ」(2017年前期)から、
 「わろてんか」「半分、青い。」「まんぷく」「なつぞら」「スカーレット」
 「エール」「おちょやん」「おかえりモネ」
 そして第105作めとなる「カムカムエヴリバディ」(2021年後期)までの
 10作品の批評が収められている。
 実際これらの作品はすべて見てきたが、
 さすがに場面の説明があってもさすがに覚えていないことも多く、
 実は朝ドラは半年にわたる長いドラマだが、
 いくら主要な場面であってもその全部を覚えていることはできない。
 そういう点では、朝ドラとネットとは
 とても相性がいいといえる。

 永遠に残るドラマではなく、その時々に観る者を感動させる
 それが朝ドラといえる。
 そのようなドラマを書き留めるとしたら、
 新聞でも雑誌でもなく、
 ネットがやはり有効のように感じる。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
 どんな人にも、当たり前だが、
 生まれた時には父も母もいる。
 しかも、その子にとっては唯一無二の父と母だ。
 そして、その親子の関係性もまた誰とも交換できないものといえる。
 梯久美子さんの『この父ありて 娘たちの歳月』は、
 9人の「書く女」たちの、父と娘の関係をひも解きながら、
 その時代もまた描いたノンフィクション作品である。

  

 9人の「書く女」。
 収録順に書き留めておくと、
 渡辺和子(随筆集『置かれた場所で咲きなさい』で知られる修道女で、彼女の父は二・二六事件で殺害された渡辺錠太郎)、
 齋藤史(歌人)、
 島尾ミホ(作家島尾敏雄の妻)、
 石垣りん(詩人)、
 茨木のり子(詩人)、
 田辺聖子(作家)、
 辺見じゅん(作家、角川書店創業者角川源義の娘)、
 萩原葉子(作家、詩人萩原朔太郎の娘)、
 石牟礼道子(作家)。
 9人の娘たちの父はさまざまだ。
 りっぱな人生を全うした父もいれば、なんとも悲惨な生活を送った父もいる。
 ましてや、彼女たちが生きた時代は戦争とその終わりの生きにくい時代であったから、
 父もまた思い通りには生きることがなかったと思える。
 そんな父のそばにいて、性の異なる娘たちはどう見ていたのか。
 梯さんはこの本の「あとがきにかえて」という文章に
 こう書いている。
 「この九人は、父という存在を通して、ひとつの時代精神を描き出した人たちだったといえるだろう。

 そして、この本の別の魅力は、
 9人の「書く女」たちが残した作品のブックガイドにもなっている点だ。
 この本を読めば、読みたい本が何冊も見つかるだろう。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
 普段近所を散歩するといっても
 せいぜい駅への道とか畑への行き来とか
 それほど歩くわけではありません。
 それでも、この時期になれば
 あそこの梅は咲いただろうか、
 公園の花はどうだろうといったように
 花の咲き時に気になるところがあります。
 今が盛りのミモザもそのひとつ。

  20230304_125750_convert_20230305091227.jpg

 毎年楽しませてもらっている近所のスポットです。

    すすり泣くやうな雨降り花ミモザ         後藤 比奈夫

 3月3日の金曜日、
 畑の利用者の有志の人が集まって
 「お茶会」と称する、懇親会がありました。
 毎月1回集まっていますが、
 寒い季節はお休みしていて、
 先日は久しぶりの集まりになりました。
 前日強風が吹いて
 金曜の朝畑に行ってみると、ごらんの状態。

  20230303_093324_convert_20230305090847.jpg

 いやはや。
 菜園は野菜を育てるだけでなく
 いろんな人とのコミュニケーションの場となっていて
 特に何か難しい話をするでもない
 ゆるい集まりがとても気持ちいい。

 春からの栽培予定を見ていて
 葉物栽培の箇所があるので
 そこは独自にジャガイモを栽培することにしました。
 ホームセンターで種イモを購入してきました。
 今回は男爵(左)ととうや(右)を栽培します。

  20230304_105745_convert_20230305090919.jpg

 とうやは漢字で「黄爵」と表記されています。
 これを育てるのは初めて。
 畝に溝を掘って種イモをいれて、間に置き肥する方法です。
 種イモが大きい時は半分に切って植え付けることが多いですが、
 今回はそんなに大きくないので
 丸ごと植え付けました。

  20230304_105811_convert_20230305091130.jpg

 溝を埋めたら、
 どのあたりに植えているかわかるように
 目印の紐を張っておきます。

  20230304_110846_convert_20230305091101.jpg

 こちらは冬越し野菜の
 スナップエンドウ(左)とソラマメ(右)。

  20230304_111640_convert_20230305091157.jpg

 ここにきて
 気温がだいぶ高くなってきたので
 成長もはやくなってきたように感じます。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


 絵本作家の飯野和好さんはここ数年、
 日本の神話をたびたび絵本化してきました。
 アマテラスやスサノオといった神々を
 子供を対象にした絵本で見事に表現しています。
 飯野さんの絵柄や作風が神話の世界に合っていたともいえます。
 それらの神々よりもっと前、
 『古事記』の最初に描かれているのが
 この絵本『国生みイザナギイザナミ』の物語です。
 男神イザナギと女神イザナミが協力し合って
 日本の島々を作ったというのは聞いたことがあるでしょう。
 なかなか難解な文章が続きますが、
 飯野さんの絵がその難解さを程よく溶かしてくれます。

  

 日本の島々を作った二人はそのあと
 土の神や風の神といった私たちのまわりにあるものを
 次々と作っていきます。
 そして、火の神を作った時にイザナミはやけどで
 黄泉の国に行ってしまいます。
 そのあとイザナギの救出劇があるのですが、
 内容的には結構ハードですから、
 子供たちに読み聞かせる時は、怖がらせないようにする必要があります。
 でも、子供ってこういう怖い話が案外好きですから
 冒険ものを読むように話すといいかもしれません。

 こうしてイザナミと別れたイザナギは
 このあとアマテラスなどの三人の神をさずかることになります。
 飯野さんの神話ワールドはこうして
 先に刊行されていた絵本たちとつながっていきます。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
 先週、早川千絵監督の「PLAN75」という映画を紹介しました。
 あの映画では75歳以上になれば自分の生死を選択できるという
 近未来型の制度を映画化したものでしたが、
 実は日本には「棄老伝説」という民間伝承が昔からあって
 その頃では70歳になると棄てられていたという言い伝えがありました。
 その伝承を小説にしたのが
 深沢七郎の『楢山節考』です。
 この小説が発表されたのが1956年(昭和31年)。
 大きな話題となり、
 二度映画化されています。
 最初の映画化は1958年(昭和33年)、木下恵介監督作品です。
 この作品はオール・セットという斬新なもので
 この年のキネマ旬報ベストテン1位になっています。
 今日紹介するのはこれではなく、
 二度目の映画となった今村昌平監督作品の「楢山節考」です。

  

 今村昌平監督の映画「楢山節考」は1983年(昭和58年)公開。
 その年のカンヌ国際映画祭で最高賞であるパルム・ドール賞を受賞した
 日本映画の名作。
 主人公であるおりんを演じるのは坂本スミ子さん。
 おりんは69歳という役どころでだが、
 坂本さんはこの映画の時まだ50前。
 それでも見事に老け役を演じています。
 69歳になってもまだ歯がりっぱにあることにひけ目を感じて
 自ら石臼で歯を抜く場面など凄みを感じました。
 おりんが住む村では70歳になった年寄りは山に棄てる習俗があって
 おりんも自ら入山を望みます。
 貧しい農家にとって食い扶持がひとつなくなることは
 それだけ余裕が生まれることで
 おりんはそれゆえに入山を望みます。

 そのおりんを山に連れていく息子役を
 緒形拳さんが演じています。
 この当時の緒形さんは出る作品すべて重厚で
 とても安定感のある演技を見せています。
 なので、おりんを連れて山に入っていく姿は
 胸うたれます。
 その息子の後妻役に昨年(2022年)12月に亡くなった
 あき竹城さんが扮しています。
 今村昌平監督はあきさんにしろ坂本さんにしろ
 肉感的な女性が好みだったのでしょう。

 この映画でたびたび生き物たちの生死や交合の様子が描かれます。
 命そのものを問うという姿勢が
 そこにもよく出ていました。
 この映画の公開時のキャッチ・コピーは

   親を捨てるか、子を捨てられるか。

 どちらにしても切ないものです。
 この映画、40年前の作品ですが、
 ちっとも古さを感じないのはいい映画だからでしょう。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
 「コミカライズ」という言葉は
 「小説やドラマなどを漫画化すること」と定義されます。
 「月光仮面」や「七色仮面」といったテレビ創成期の子供向け番組の多くが
 当時の月刊漫画誌で漫画化されていましたから、
 歴史的にはテレビとともに生まれた文化といえます。
 石ノ森章太郎さんの「仮面ライダー」をはじめとした
 多くの「コミカライズ」漫画を描いてきたすがやみつるさんの
 この『コミカライズ魂』は、
 副題に「『仮面ライダー』に始める児童マンガ史」とあるように、
 自身の関わった「コミカライズ」史だけでなく、
 初期の「コミカライズ」の大御所であった一峰大二さんの業績まできちんと描く
 「児童マンガ史」でもあります。

  

 私の子供の頃、
 「まことちゃん」で有名な、あの楳図かずおさんの「ウルトラマン」を見て
 驚いたことをよく覚えていますが、
 この本でもすがやさんが同じような思いを持ったと書かれています。
 すがやさんは1950年生まれですから、ほぼ同世代。
 そのすがやさんが石ノ森漫画と出会い、夢中になり、
 そこで石ノ森漫画の「コミカライズ」を描いていく過程は、
 1970年代から80年代にかけての石ノ森漫画の隆盛をよく物語っています。
 その当時の子供たちが読んだ「仮面ライダー」作品の多くは
 すがやさんたちによる「コミカライズ」作品だったといえます。

 「コミカライズ」の仕事は、
 当時、一流の漫画家がやる仕事ではなかったという風潮が強かったと
 すがやさんは書いていますが、
 それでも多くの子供たちを夢中にしたその歴史を残すことは
 とても意義のあることです。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
プレゼント 書評こぼれ話

  漫画家の松本零士さんが2月23日亡くなられました。
  85歳でした。
  ここ何年か藤子不二雄Aさんやさいとう・たかをさんといった
  漫画の一大ブームを作ってきた巨匠たちが
  次々と他界されていって
  彼らの漫画とともに大きくなったものとして
  さみしくて仕方がありません。
  松本零士さんの訃報に接し、
  近くの図書館が所蔵している松本零士さんの本に
  どんなものがあるのか調べてみました。
  そして、見つけたのが
  この『遠く時の輪の接する処』という本でした。
  ご遺族のコメントにも出てくるこの言葉、
  松本零士さんにとって
  深い意味があったのだと思います。

  松本零士さん、
  長い間お疲れさまでした。
  そして、たくさんの素敵な漫画ありがとうございました。

  
ご冥福をお祈りします

  

sai.wingpen  追悼・松本零士さん - いつかまた星のかなたで                   

 『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』で多くのファンを魅了してきた、漫画家の松本零士さんが2月23日亡くなられました。85歳でした。
 訃報に松本さんの漫画制作だったスタジオがコメントを出していて、その中に「漫画家松本零士が星の海に旅立ちました(略)『遠く時の輪の接する処で、また巡り会える』と松本は常々申しておりました」という一節があります。
 この「遠く時の輪の接する処」という言葉そのものがタイトルになった、松本さんの著作にあります。
 それが、2002年に東京書籍から出ている、この『遠く時の輪の接する処』です。

 この本は1996年8月から10月にかけて「西日本新聞」に連載されたものに加筆した、松本さんの自伝です。
 昭和13年福岡に生まれた松本さんがどのような生い立ちであったか、軍のパイロットであった父のことや貧しい生活のことが綴られています。
 漫画家を目指し上京したものの作品が描けない日々、のちに松本さんの名を高めることになる漫画「男おいどん」そのままの悲惨な生活、そんな中でも夢見ていたアニメ制作のこと、そして大ヒットとなる「宇宙戦艦ヤマト」との出会い。
 漫画家松本零士さんのことを知るには欠かせない一冊です。

 この中に病気で亡くなった親友との別離の場面が綴られています。
 松本さんが亡き友に寄せた弔文にこう書いたそうです。
 「遠く時の輪の接する処で、また親友として巡り会おう。俺はそう信じている」
 そして、今、松本さんも旅立たれた。
 私たちもいつかまた、「時の輪の接する処」で松本さんと会えるにちがいない。
  
(2023/03/02 投稿)

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス