
あの日から12年めの3月11日を迎えました。
東日本大震災。
2011年3月11日14時46分、
東北地方の沿岸部を襲った大地震と大津波。
多くの人が犠牲となりました。
あれから12年。
今度はトルコで大きな地震があり、
ここでもたくさんの犠牲者が出ています。
私たちが暮らすこの地球という星は
大きな生命体としてあるということを
世界規模で私たちに何かを教えようとしているのでしょうか。
12年という歳月は
起こった事実を記憶の向こう側に押しやることではないはずです。
もう一度あの日のことを
そして、それから続いた日々のことを思い起こす
今日はそんな日であればと願います。
今日は2015年のこの日に紹介した
『あの日 生まれた命』という本の再録書評です。
今日は静かに祈ります。

2011年3月11日に発生した東日本大震災による死者・行方不明者は2万人を超える。
それだけではない。もっと多くの人が津波で家を失った。さらに、福島原発事故による放射能汚染で、長年住んだ土地を追われた人もいる。
そういった被災者の人たちにとって、あの日はどんなにつらい記憶であろう。
しかし、その一方で、あの日に命を授かった子どもたちも、いる。
東北の被災地で110人以上の子どもたちが、あの日に生まれている。
この本は、あの日に生まれた子どもたち18人とその家族のその後を取材したNHKの番組を書籍化したものである。
あの日に生まれた子どもを持つ親の多くが「大きな悲しみを前に、3月11日がわが子の誕生日だということを言えなくなっ」たという。
普通であれば当たり前のようにして祝う誕生日会を前日にしたり、部屋のカーテンを閉め切って行ったりしたこともある家族もいる。
あの日に生まれたことは、親のせいでもないし、ましてや子どもたちのせいでもない。
そういう生に対する負い目のようなものを、あの日は感じさせる程、悲しみは大きかったということだ。
けれど、どのような形にしろ人は死ぬことから逃れられない。と同時に、誕生があるからこそ人間として生きるということだ。
誕生と死は、命あるものとして避けられない営みなのだ。
だから、あの日を生まれた命は、それ以前やそれ以後生まれた命と何も変わることのない命だ。
あの日生まれたことを責め続けた親たちも、成長する我が子の姿とともに、そのことを自覚していく。
さらには、あの日生まれた意味を見つけていく姿は、あの日の震災で傷ついた被災者たちの姿を重なっているような気がする。
あの日生き残った意味を多くの被災者たちは理解し、復興への思いにつなげているに違いない。
「多くの命が失われた中で、そうした子どもたちは私たち社会の希望であり、未来だ」という、あの日誕生した一人の少女の出産に携わった医師の言葉が紹介されている。
この子どもたちは特別ではない。
生まれてくる新しい命そのものが特別であり、希望であり、未来なのだ。
そのことは、等しくある。
(2015/03/11 投稿)

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