03/21/2023 十八歳のぼくを探しに -ぼくを探しに(シルヴァスタイン/訳 倉橋 由美子)

今日は春分の日で、お休みの人も多いと思います。
それに彼岸の中日にもあたります。
お彼岸のきれいな顔の雀かな 勝又 一透
亡くなった人たちを思い出すのも
こんな日なのかもしれません。
この前の日曜(3月19日)に紹介した
シルヴァスタインの『ぼくを探しに』という絵本のこと、
実はずっと以前、
訳者である倉橋由美子さんが亡くなった2005年に
当時のbk1という書店サイトに
書評を投稿していたのを見つけました。
18年前の文章ですが、
ブログには初めて載せることになります。
50歳になったばかりの私が
18歳のことをこんなふうに思い出していたのか、
それが懐かしく、
お彼岸の今日、紹介してみることにしました。

作家倉橋由美子さんは、2005年6月10日に亡くなった。69歳だった。
かつて倉橋文学に夢中になったことがあるだけに、やや呆然となった。倉橋さんの死もそうだし、その年齢にも。
倉橋文学にはまっていた頃、私はまだ大学生だったし、倉橋由美子自身もまだ若い新進気鋭の女流作家だった。その時の印象が強かっただけにあまりに唐突とした訃報だった。
倉橋由美子の作品で最初に読んだのはやはりデビュー作『パルタイ』(60年)だった。
『パルタイ』は倉橋が明治大学在学中に書いた作品だが、この作品によって「女流文学賞」を受賞し、彼女は一躍当時の文学界において脚光を浴びることになる。
作品は難解だった。
あの頃の私がどこまでその作品を読みきれたか自信はないが、18歳前後の私はそういった難解なものに強く惹かれていた。
当時私が愛したのは、倉橋以外に安部公房、高橋和巳、大江健三郎、開高健、といった作家だったが、彼らはあまりにも生真面目に文学を捉えていた。
彼らの時代には文学は政治と同じ磁場にあったし、彼ら自身がそれを強く意識していた。
同様に、彼らは文学の主題としての性の問題に頑迷なくらい拘った。
そういう点で、私にとって倉橋は大江と同様に時代の旗手だった。
『パルタイ』に続く『婚約』『暗い旅』『聖少女』『スミヤキストQの冒険』。
このように倉橋の初期の作品名を書き記すだけで、甘酸っぱい思い出の果汁が滴ってくる。
18歳の私は倉橋の何に夢中になったのだろう。
それはあまりにも時代的な磁力のようなものだったと思う。
その証拠に私はある頃から倉橋の作品をまったく読まなくなる。
倉橋の初めての翻訳、そしてベストセラーになったこの『ぼくを探しに』も話題作の『大人のための残酷童話』も読んでいない。
私にとって、倉橋由美子は10代終わりから20代初めにかけての作家だった。
この『ぼくを探しに』はシルヴァスタインのイラストと詩のような文章で描かれた絵本のような作品である。
倉橋の翻訳とはいえ、私にとっては私が知っている倉橋由美子と直接に結びつかない。
もし倉橋らしさをこの本から探すとすれば、最後の数ページに書かれた倉橋による「あとがき」だろう。
絵本のあとがきにしてはあまりにも生真面目な文章はいかにも倉橋らしい硬質なものだ。
その文章の中でさりげなく置かれた言葉が印象に残った。
「この世界を言い表す言葉を探すこと」。
倉橋由美子にとって、それは終生変わらぬ文学の主題だったのかもしれない。
(2005/07/03 投稿)

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