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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  詩人の石垣りんさんのエッセイ集『朝のあかり』。
  中公文庫のオリジナルです。
  解説を書いているのは梯久美子さん。
  書評でこの文庫には年譜がないのが残念と書きましたが、
  その反対にとても感心したことがあります。
  それは巻末に
  それぞれのエッセイの「初出一覧」が載っていること。
  石垣りんさんのことは
  若い時にはあまり知りませんでしたが、
  私が十代の1970年代の時にも新聞にエッセイを載せていたりしています。
  知っている人には
  よく知られた存在だったのですね。
  今回の書評のタイトルは
  石垣りんさんの代表詩「表札」の最後の一行から。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  石垣りん/それでよい。                   

 詩人石垣りんのエッセイ集『朝のあかり』は、彼女の生前に刊行された3冊のエッセイ集の中から選ばれた71篇を収めた読むに値いする文庫オリジナルですが、唯一残念なのが、年譜がないことでしょう。
 仕方がないので、岩波文庫の『石垣りん詩集』に載っている「石垣りん自筆年譜」を参考にしながら、エッセイとともにその84年の人生をたどるのがいい。

 石垣りんは昭和9年(1934年)、14歳で日本興業銀行に事務見習いとして就職。
 その時の幼い姿や18円の初任給に喜ぶ姿など、たびたびエッセイに綴っています。
 現代の感覚でいえば、14歳で仕事に出るのは過酷な環境だったのかと思ってしまうが、そうではないと、石垣は書き残している。
 「家は、子供を働きに出さなければならないほど生活に困っておりませんでしたが、(中略)私は早く社会に出て、働き、そこで得たお金によって、自分のしたい、と思うことをしたいと、思いました。」
 石垣はその頃から書き溜めた文章を色々な雑誌に投稿する少女で、彼女は働くことで書く自由を求めたといえます。
 しかし、もちろん働くことは楽ではなく、まして当時の社会では女性の地位も低く、そこにやるせない感情もありました。
 彼女の代表作ともいえる「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」などの詩は、そういうところから生まれたといっていいでしょう。

 石垣が会社を定年退職するのは昭和50年(1975年)、55歳の時でした。
 その少し前、50歳の時に川辺の1DKのアパートで一人暮らしを始めます。
 そこから先、亡くなるまでの小さな生活ぶりの様子は、エッセイにもうかがうことができます。
 そんな石垣りんにとって、人生とは何であったのでしょう。
 少し長めのエッセイ「詩を書くことと、生きること」にこう記しています。
 「長いあいだ言葉の中で生きてきて、このごろ驚くのは、その素晴らしさです。」
 「私のふるさとは、戦争の道具になったり、利権の対象になる土地ではなく、日本の言葉だと、はっきり言うつもりです。」

 時代がどんなに変わろうが、石垣りんが問いかけたことは不変です。
 だからこそ、このエッセイ集は読むに値いする一冊なのです。
  
(2023/05/23 投稿)

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