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本 毎日こうして「書評」を書いていますが、
 時々、というか、割と頻繁に、
 「書評」って何だろう、って考えます。
 今日は、丸谷才一さんの『蝶々は誰からの手紙』という本をテキストにして
 少し真面目に「書評」とは何かを考えてみたいと思います。
 明日、この本の書評も蔵出ししますので、
 楽しみにして下さい。
蝶々は誰からの手紙蝶々は誰からの手紙
(2008/03/21)
丸谷 才一

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本 私は書評家としての丸谷さんを尊敬していまして、
 この人の書くエッセイも好きですが、書評に対する「読み」も
 深く敬愛しています。
 そんな丸谷さんですが、この本の「書評と「週刊朝日」」という文章の中で
 いくつか、それを考えるヒントが書かれています。
 「本を買ふためだけに書評を読むとは限らない。本のダイジェストとして
 書評を読むということもある
」(36頁)
 ここ大切なので、下線を勝手に引きました。
 「本のダイジェスト」が書評には必要だということです。
 丸谷さんは他の文章(「扇谷正造と斎藤明が作つたもの」)の中でこうも書いています。
 「紹介、つまりダイジェストを上手にやり、適切な批評を加へる。
 文章を引きずりこんで、おしまひまで読ませる、わかりやすくてしやれた書き方をする
」(54頁)
 ここで、うんと簡単に解釈しますよ。
 つまり、書評とは「紹介(ダイジェスト)+批評性」をもったジャンルだということです。

本 「紹介」というのもかなり難しい技術だと思いますが、
 もっと難しいのが「批評性」。
 丸谷さんはそのことについて、こう書いています。
 また、別の文章(「イギリス書評の藝と風格について」)からの引用です。
 「対象である新刊本をきつかけにして見識と趣味を披露し、
 知性を刺激し、あはよくば生きる力を更新することである
」(67頁)
 すごいな、丸谷さん。
 丸谷さんのいう「批評性」って、いいとかダメだといったことではないんですよね。
 なんてたって「知性を刺激」させないといけない。びーんと。
 さらに「生きる力を更新」させるぐらいの力がないといけないのです。
 書評を読んで、海に向かって「バカヤロー」ぐらい叫ばないと。

本 こうして書くと、「書評」と「感想文」の違いがわかってきますよね。
 「感想」はどうしても自分が主体になるけれど、「書評」はそうではない。
 もちろん、「批評」するためには確たる自分が必要ですが。
 その上で、
 「何と言つても大事なのは、その書評の書き方の感じだと思ふ。
 しつかりした文章、藝のある話術、該博な知識、バランスのとれた論理、
 才気煥発の冗談などを駆使する
」(37頁)
 となるわけです。

本 なんかすごく奥深いのです、「書評」って。

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