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プレゼント 書評こぼれ話

  それは突然の訃報でした。
  作家の北杜夫さん、逝去。
  10月24日に亡くなられました。84歳でした。
  私はけっして北杜夫さんの優秀なファンではありませんでした。
  青春期には何冊か読んだばかりです。
  『幽霊』、芥川賞を受賞した『夜と霧の隅で』、
  『船乗りプクプクの冒険』、
  そして何冊かの「どくとるマンボウ」シリーズ。
  それでいて、北杜夫さんは
  どこかで私の青春期の読書の一ページに
  しるしをつけています。
  当時北杜夫さんを読まない大学生は
  いなかったのではないでしょうか。
  書評にも書きましたが、
  躁鬱病ということは、
  北杜夫さんの抱える有名な疾病として
  初めて耳にしました。
  多感な青春にその病の方が印象に
  残ったといってもいいかもしれません。
  
  ご冥福をお祈りします。
  合掌。

  じゃあ、読もう。

どくとるマンボウ航海記 (新潮文庫)どくとるマンボウ航海記 (新潮文庫)
(1965/02)
北 杜夫

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sai.wingpen  追悼・北杜夫 - ここからはじまる          矢印 bk1書評ページへ

 「どくとるマンボウ」こと、作家の北杜夫さんが10月24日に亡くなった。84歳だった。
 北杜夫さんをして初めて、私は躁鬱病という疾病があることを教えられた。陽気な自分と陰気な自分が変わるがわるにやってくるそうな、それは多分に自分にもあるような気分で、ひょっとして私もその疾病なのかしらんと思わないでもなかった。
 特に北さんに限っていえば、斎藤茂吉という文学界の巨匠の息子として、時に暗鬱になることはあったにちがいなく、父の母校である東京大学ではなく東北大学に進学したことも忸怩たる思いがあっただろう。
 北さんの逝去の報を受けて、多くの新聞がそんな北さんと父親である斎藤茂吉との関係に触れているが、時に青春期にあって目の前に頑とそびえる巨大な壁は北さんでなくとも実に重苦しい存在だっただろう。

 そういう存在と同居するには、時に軽妙にふるまわざるをえない。
 生涯数多く出版された「どくとるマンボウ」シリーズの初めとなったこの作品を書いて時、北さんはどんな思いであったのだろうか。そして、発表当時の昭和35年(1960年)以降、多くの読者を得たことに、何ほどかの戸惑いがなかったであろうか。
 あるいは、それは父親から離れた別の人格として生きのびる快感を北さんにもたらしたかもしれない。

 さて、おそらく何十年ぶりかで読み返した作品であるが、すこぶる面白かった。
 時代はまさに高度成長期の初め、それでもまだほとんどの日本人にとって海外旅行など夢のまた夢の頃、北さんはわずか600トンばかりの調査船の船医となって、はるかヨーロッパの地をめざすことになる。
 「どくとるマンボウ」の誕生である。
 そこに描かれた各地のスケッチは、あとがきによれば「くだらぬこと、取るに足らぬこと」ばかりを書いた航海記録となった。
 書かれていることのどこまでが事実でどこまでが創作なのかはわからないが、その軽妙なユーモアのある文体の奥に冷静な文明批判が秘められていて、敗戦からようやく自信を取り戻した日本人を勇気づけたといえるだろう。 まさにこの作品は、昭和の時代の「坂の上の雲」だったのだ。

 北杜夫という作家はこれからも評価されるだろうが、この作品はまちがいなく戦後の人々を勇気づけた傑作として、これからもたくさんの日本人に読まれつづけるにちがいない。
  
(2011/10/31 投稿)

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