03/13/2009 書評の明日 第四回 続「書評って何だろう」

をテキストにして、「書評って何だろう」と考えますね。
今回はこの本の、bk1書店に投稿した書評がありますので、
それにサブテキストにして、書きます。

「書評は読む快楽の出発の合図」
かっこいいですよね。
もう少し分解すると、「書評は読む快楽のための出発の合図を担っている」
ということですよね。わかりやすいように、色つけちゃいましたが。
つまり、ここにもうひとりの読み手(この人はまだ読んでいません)になるだろう、
第三者が登場します。
書評とは、その第三者に、読みたいという気持ちを喚起させるものといっていいんでしょうね。
その第三者って、誰なのか。
まったく未知の人でもいいし、自分の子供さんや両親だって構わない。
学校の先生だって構わない。

それで、それを読んだ先生が、読みたくなったら、
これは間違いなく「書評」なんだろうと思います。

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書評の、あるいは書評に関する本である。
しかも丸谷才一大兄の著作である。それなのに、である。オンライン書店「bk1」の書評子が誰も投稿しないのは何故か(書評子注:この書評のあとでちゃんと投稿されています、念のため)これはかなりミステリアスな問題であるが、ここではそれを論議せずに、丸谷大兄に敬意を表して、まずは本書の書評を書こう。
気合をいれて書きますよ。
本書の冒頭の章『書評のある人生』で、丸谷大兄の書評についての考え方が理解できる。そして、書評を書く人には極めて参考になる論考である。
まず書評を載せる媒体の方からのアプローチとして、書評とは「買物案内」だと言い切る。
分かりやすいな、いい論考は。
数多くあるオンライン書店の中でこの「bk1」というのは、一般の(ということはごく普通の、ということでもあるが)人々から書評を集めることで、他のオンライン書店との差別化を行っているのは事実である。つまり、この本はこういう本で、という書評を集めることで「買物案内」を行っていることになる。しかも、他のオンライン書店のような「レビュー」でなく、「書評」ということで書き手(そして彼らの多くは読み手、つまり買い手である)の心理をくすぐっていることになる。
では、大兄は書評というものをどう捉えているか。このあたりは大切ですよ。書評子にまなこを開いて読んでもらいたいところだ。
そのまま書きますよ。
「紹介、つまりダイジェストを上手にやり、適切な批評を加へる。文章は読者を引きずりこんで、おしまひまで読ませる、わかりやすくてしやれた書き方にする」(54頁)
もう私なんぞはまなこ開きぱなしだし、反省しきりでしたね。
自分が書いてきたものは大兄のいう書評にあたらない。
なぜなら、本の紹介ができない。
紹介と簡単にいうが、これは名人芸を要します。
だって、何百ページもある本をたかだか100文字前後で披露するのですから。
そういう反省はあるのだが、やはり自身の書き方という型(スタイル)はしっかりもっていたい。
だから、先の文章に続く大兄のこんな言葉「書評は読む快楽の出発の合図」にもたれかかりながら、この人の書評は本当の書評ではないけれど、まあ許してあげるかぐらいのところにいたいと思います。
(2008/05/030 投稿)
まず書評を載せる媒体の方からのアプローチとして、書評とは「買物案内」だと言い切る。
分かりやすいな、いい論考は。
数多くあるオンライン書店の中でこの「bk1」というのは、一般の(ということはごく普通の、ということでもあるが)人々から書評を集めることで、他のオンライン書店との差別化を行っているのは事実である。つまり、この本はこういう本で、という書評を集めることで「買物案内」を行っていることになる。しかも、他のオンライン書店のような「レビュー」でなく、「書評」ということで書き手(そして彼らの多くは読み手、つまり買い手である)の心理をくすぐっていることになる。
では、大兄は書評というものをどう捉えているか。このあたりは大切ですよ。書評子にまなこを開いて読んでもらいたいところだ。
そのまま書きますよ。
「紹介、つまりダイジェストを上手にやり、適切な批評を加へる。文章は読者を引きずりこんで、おしまひまで読ませる、わかりやすくてしやれた書き方にする」(54頁)
もう私なんぞはまなこ開きぱなしだし、反省しきりでしたね。
自分が書いてきたものは大兄のいう書評にあたらない。
なぜなら、本の紹介ができない。
紹介と簡単にいうが、これは名人芸を要します。
だって、何百ページもある本をたかだか100文字前後で披露するのですから。
そういう反省はあるのだが、やはり自身の書き方という型(スタイル)はしっかりもっていたい。
だから、先の文章に続く大兄のこんな言葉「書評は読む快楽の出発の合図」にもたれかかりながら、この人の書評は本当の書評ではないけれど、まあ許してあげるかぐらいのところにいたいと思います。
(2008/05/030 投稿)
おはようございます。
ブログを楽しみに拝読しています。
夏の雨さんは 「書評とは、明日にかける橋である」と、おっしゃっていましたね。
その言葉が印象的で、ずっと心に残っていました。
「書評って何だろう」って、私、もやもやしていました。
そのもやもやした気持ちが 「書評の明日」第三回・第四回を読み、ふっきれました。
その答えは、丸谷才一さんの『蝶々は誰からの手紙』の書評 『真面目さは肩にくる』のなかにすべて書かれていたのですね。
それを「書評の明日」で丁寧に解説していただきましたので、理解できました。
「書評とは、第三者(読み手)に、読みたいという気持ちを喚起させるものといっていいんでしょうね。」
また、心に残ることばをいただきました。
ありがとうございました。
ブログを楽しみに拝読しています。
夏の雨さんは 「書評とは、明日にかける橋である」と、おっしゃっていましたね。
その言葉が印象的で、ずっと心に残っていました。
「書評って何だろう」って、私、もやもやしていました。
そのもやもやした気持ちが 「書評の明日」第三回・第四回を読み、ふっきれました。
その答えは、丸谷才一さんの『蝶々は誰からの手紙』の書評 『真面目さは肩にくる』のなかにすべて書かれていたのですね。
それを「書評の明日」で丁寧に解説していただきましたので、理解できました。
「書評とは、第三者(読み手)に、読みたいという気持ちを喚起させるものといっていいんでしょうね。」
また、心に残ることばをいただきました。
ありがとうございました。
2009/03/13 Fri URL [ Edit ]
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