03/21/2009 私の好きな作家たち 第八回 倉橋由美子

ちょっと唐突のような感じもしますが、「倉橋由美子」さんです。


今月号の「文学界」(4月号)で、その倉橋由美子さんの特集を
しているんですよね。
題して、「倉橋由美子の魔力」。
魅力、じゃあなくて、魔力。すごいですよね。
でも、本当に久しぶりに「文学界」を手にしたというか、開きました。
一時期毎月買っていたこともあるんですよね。
なんだか、私の性癖を語るようで恥ずかしいですが。
でも、仕事を始めて、やっぱり「文学界」じゃないよねって、
買うこともなくなりました。
別に「文藝春秋」に鞍替えした訳でもありませんが。
で、今回久しぶりに手にしたのは、倉橋さんの特集があったからなんですよね。
倉橋由美子さんの作品をずっと読み続けてきたのではないんですが、
いつまでも、気にかかる書き手であったことは事実です。

「大江と村上」の間を生きた孤高の作家
と題された、加藤典洋さん(文芸評論家)と関川夏央さん(作家)、
それに川上未映子さん(作家)による座談会です。
加藤さんがご自身の体験として「大江、安部(公房)、倉橋というのが
新しい小説家の御三家みたいなところがあった」と書かれていますが、
私もまったく同じですで。
地続きというか、必然的に、そういう流れにあったように思います。
私の場合でいうと、倉橋さんを初めて読んだのが、『パルタイ』でした。
多分、文春文庫の出始めの頃だと思います。
その前には、もう大江とか安部は読んでいたように思います。
でも、ほとんどよくわからなかったというか、
まったく理解できなかったですね。
今回の座談会で、川上未映子さんが「『パルタイ』はいわゆる「感動」というものが
まったくなかったんです。投影も共感もないし、面白かったのかと聞かれても、
よくわからない」と話されていますが、これは現代の読み手の感覚でしょうね。
当時読んだものからいえば、「わからない」からよかった。
安部公房も同じだと思います。
高校生程度でわかるはずもない。今でも自信はないですが。
今回の特集では、北杜夫さんがエッセイを書かれたりしています。
面白かったのは、元「文学界」の編集者だった豊田健次さんが「パルタイ」誕生という、
当時25歳だった倉橋由美子さんをゲットする話が面白い。
芥川賞落選の経緯とか、記録としても貴重じゃないでしょうか。

掲載しておきます。
私の「好きな」理由がおわかりになるかもしれません。
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作家倉橋由美子さんが六月十日亡くなった。六十九歳だった。
かつて倉橋文学に夢中になったことがあるだけに、やや呆然となった。倉橋さんの死もそうだし、その年齢にも。倉橋文学にはまっていた頃、私はまだ大学生だったし、倉橋由美子自身もまだ若い新進気鋭の女流作家だった。その時の印象が強かっただけにあまりに唐突とした訃報だった。
倉橋由美子の作品で最初に読んだのはやはりデビュー作『パルタイ』(60年)だった。『パルタイ』は倉橋が明治大学在学中に書いた作品だが、この作品によって「女流文学賞」を受賞し、彼女は一躍当時の文学界において脚光を浴びることになる。作品は難解だった。あの頃の私がどこまでその作品を読みきれたか自信はないが、十八歳前後の私はそういった難解なものに強く惹かれていた。当時私が愛したのは、倉橋以外に安部公房、高橋和巳、大江健三郎、開高健、といった作家だったが、彼らはあまりにも生真面目に文学を捉えていた。彼らの時代には文学は政治と同じ磁場にあったし、彼ら自身がそれを強く意識していた。
同様に、彼らは文学の主題としての性の問題に頑迷なくらい拘った。そういう点で、私にとって倉橋は大江と同様に時代の旗手だった。『パルタイ』に続く『婚約』『暗い旅』『聖少女』『スミヤキストQの冒険』。このように倉橋の初期の作品名を書き記すだけで、甘酸っぱい思い出の果汁が滴ってくる。十八歳の私は倉橋の何に夢中になったのだろう。それはあまりにも時代的な磁力のようなものだったと思う。その証拠に私はある頃から倉橋の作品をまったく読まなくなる。倉橋の初めての翻訳、そしてベストセラーになったこの『ぼくを探しに』も話題作の『大人のための残酷童話』も読んでいない。私にとって、倉橋由美子は十代終わりから二十代初めにかけての作家だった。
この『ぼくを探しに』はシルヴァスタインのイラストと詩のような文章で描かれた絵本のような作品である。倉橋の翻訳とはいえ、私にとっては私が知っている倉橋由美子と直接に結びつかない。もし倉橋らしさをこの本から探すとすれば、最後の数ページに書かれた倉橋による「あとがき」だろう。絵本のあとがきにしてはあまりにも生真面目な文章はいかにも倉橋らしい硬質なものだ。その文章の中でさりげなく置かれた言葉が印象に残った。「この世界を言い表す言葉を探すこと」。倉橋由美子にとって、それは終生変わらぬ文学の主題だったのかもしれない。
合掌。
(2005/07/03 投稿)
倉橋由美子の作品で最初に読んだのはやはりデビュー作『パルタイ』(60年)だった。『パルタイ』は倉橋が明治大学在学中に書いた作品だが、この作品によって「女流文学賞」を受賞し、彼女は一躍当時の文学界において脚光を浴びることになる。作品は難解だった。あの頃の私がどこまでその作品を読みきれたか自信はないが、十八歳前後の私はそういった難解なものに強く惹かれていた。当時私が愛したのは、倉橋以外に安部公房、高橋和巳、大江健三郎、開高健、といった作家だったが、彼らはあまりにも生真面目に文学を捉えていた。彼らの時代には文学は政治と同じ磁場にあったし、彼ら自身がそれを強く意識していた。
同様に、彼らは文学の主題としての性の問題に頑迷なくらい拘った。そういう点で、私にとって倉橋は大江と同様に時代の旗手だった。『パルタイ』に続く『婚約』『暗い旅』『聖少女』『スミヤキストQの冒険』。このように倉橋の初期の作品名を書き記すだけで、甘酸っぱい思い出の果汁が滴ってくる。十八歳の私は倉橋の何に夢中になったのだろう。それはあまりにも時代的な磁力のようなものだったと思う。その証拠に私はある頃から倉橋の作品をまったく読まなくなる。倉橋の初めての翻訳、そしてベストセラーになったこの『ぼくを探しに』も話題作の『大人のための残酷童話』も読んでいない。私にとって、倉橋由美子は十代終わりから二十代初めにかけての作家だった。
この『ぼくを探しに』はシルヴァスタインのイラストと詩のような文章で描かれた絵本のような作品である。倉橋の翻訳とはいえ、私にとっては私が知っている倉橋由美子と直接に結びつかない。もし倉橋らしさをこの本から探すとすれば、最後の数ページに書かれた倉橋による「あとがき」だろう。絵本のあとがきにしてはあまりにも生真面目な文章はいかにも倉橋らしい硬質なものだ。その文章の中でさりげなく置かれた言葉が印象に残った。「この世界を言い表す言葉を探すこと」。倉橋由美子にとって、それは終生変わらぬ文学の主題だったのかもしれない。
合掌。
(2005/07/03 投稿)
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