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プレゼント 書評こぼれ話

   いよいよロンドンオリンピック
  始まります。
  なでしこジャパン、男女の体操、
  競泳、やり投げ、そして陸上など
  皆さんが期待する競技、選手はさまざまでしょうが
  多くの人が活躍、笑顔、金メダルを
  楽しみにしていることだと思います。
  今回は時差の関係もあって
  ほとんど深夜での時間帯のようですから
  寝不足が続くかもしれません。
  私の楽しみの一つに
  今回どんなオリンピックレポートが届けられるのだろうと
  いうことがあります。
  4年前の北京オリンピック
  重松清さんのレポートを
  読みました。
  それが今日紹介する
  『加油(ジャアヨウ)……! 五輪の街から』です。
  4年前の蔵出し書評になります。
  けっこう重松清さんに批判的に書いていますが
  ファンからの熱い声援ということで
  お許し下さい。

  じゃあ、ロンドンオリンピックを楽しみましょう!

加油(ジャアヨウ)……! 五輪の街から (朝日新書 136)加油(ジャアヨウ)……! 五輪の街から (朝日新書 136)
(2008/10/10)
重松 清

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sai.wingpen  シゲマツさんの限界                   

 重松清という書き手は、嫌いではない。
 好きと嫌いを十度の目盛りでいえば、好きによった、六か七ぐらいだろうか。
 その重松がこの夏五輪に沸いた中国の街の表情をルポタージュしたのが、本書『加油(ジャアヨウ)…! 五輪の街から』である。
 重松自身が「これは旅行記でもなければ五輪観戦記でもない。オヤジの漫遊記である」と書いて(投げ出して?)いるが、「いまのオレは、ただの役立たずのダメオヤジである」という著者に付き合わされた読者の方が惨めになる。

 そもそも、そんなつもりだったはずはなかったにちがいない。
 「一党独裁国家が威信をかけて開催するオリンピックの―そして、それにまつわる報道の、隙間や塗り残しを探したいのだ」という気概で、さらにいえば開高健の名作『ずばり東京』(1964年)を意識しながら、朝日新聞という大新聞をバックに事前準備も重ね、勇躍北京に乗り込んだはずなのに、書かれた作品はちっとも面白くないのだ。
 北京入り直前の痛風の発症はお気の毒だが、むしろそれがあればこそまだ重松らしさが表現できたかと思えるくらいなのだ。
 要は、五輪は、北京は、重松の文体では表現できなかったということである。

 出版元の朝日新聞は重松に何を期待していたのだろうか。
 昭和39年の東京オリンピック当時の、日本の風景を意識しながら今の中国を描いてもらいたかったのだろうか。
 重松が得意とする親と子の原風景が残る街を描いてもらいたかったのだろうか。
 重松の数多くの作品は確かに感動をくれる。
 親と子、夫と妻、過ぎ去った日々、去った友。そういう関係性を巧みな文章力で装飾することで、読み手に忘れていた感情を喚起させてくれる。
 物語としてはそれでいい。
 しかし、重松の今回のルポタージュを読むかぎり、現在進行形で動いている街や人々を描くのは無理なのかもしれないと思えてしまう。
 あげくの果てに「好きにならせてくれよ、と思ったのだ。いまの中国で<勝ち組>候補になっている若者たちを少しでも好きになりたい。頼むぜ、と願ったのだ」とまで書かれると、重松好みの人にならないと書けないのだろうかとあ然とする。
 重松が好きになろうがケンカしようが、そんなことが今の北京に必要なのだろうか。
 つまり、重松清自身が自身の世界からはみ出せないでいる。これはどうしようもないことなのだ。
 重松の文体では<現在>は描けないのだ。
 人々の視線はいつも涙で潤っているわけではない。呆然と遠くを見ているわけではない。乾いていることもあるし、やけになっていることもある。
 日本的なものだけが正しいのでもない。
 「父ちゃん」と呼ぶことだけがいいのでもない。

 少なくとも、重松が本書の題名を『ずばり北京』にしなかったのは賢明であった。もっとも、安岡章太郎の、これも名作である『アメリカ感傷旅行』(1962年)にあやかるのもやめて欲しかったが。
 頑張らなければならないのは、著者自身だろう。
 加油! 重松清!
  
(2008/11/16 投稿)

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