FC2ブログ
12/16/2008    書評の明日  第二回
本 このblogでは、自身の「書評」だけでなく、
 「書評」といわれるものが、自身の人生あるいは生き方にどのように有効であるのか、
 そのことも含めて考えていきたいと思っています。
 「書評」から本の紹介という側面をはずすことはできないでしょう。
 しかし、もしかしたら、私たちが従前から知っている「書評」とはまったくちがう形が
 あるかもしれません。
 それは「本」という光源から「書評」というものを通して、自身をみつめていく
 そういう方法です。
 ですから、本を読み終わった時、単にページを閉じるのではなく、書くという行為を
 もって、その時々の自身を書きとめておくことを、ぜひお薦めします。

新聞記事 本 今日(12月16日)の朝日新聞朝刊の文化面に興味ある
 記事がでていました。
 作家の大江健三郎さんの「定義集」という連載記事
 なのですが、
 今日は「評伝的に人を見る力-新しく批評を書き始める人に
 という題で書かれていました。
 少し長くなりますが、引用しますね。

  みぎいま純文学が(長い目で見れば、文学とは純文学のほかにないと私は信じますが)
     読者を失っている、というのはこの国の文化的常識です。私が新しい批評家に期待
     するのは、より広い場所で(つまり私ら旧世代の、純文学への頭の固い信条などは
     相対化する若々しい自由さで)文学と読者との関係を再建してくれることです。
     ほとんど常に、個人的なきっかけで自分としての「文学」に出会った読み手が、その
     詩人、作家、思想家を読み続ければ、かれは「読む人」になったのであり、さらに考
     える人、そして受けとめたものを自分で表現する人になります。
     (中略)
     かれは職業としての批評家にならなくても、「読む人」であり続けるでしょうし、文学
     あるいは文化についての確かな能力をやがて自覚することがあるはずです。(この
     能力は、考える力、書く力として蓄えられ成熟します。)


本 大江さんのいう「読む人」っていい言葉ですよね。
 力強くて、それでいて想像力が広がる言葉です。
 そして、大江さんが書いているように「読む人」は考える人にもなり、表現する人にも
 なりうるのです。
 なんて素晴らしいのでしょう。
Secret

TrackBackURL
→http://hontasu.blog49.fc2.com/tb.php/18-7576195a