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本 第3回の「大江健三郎賞」が先月決まりました。
 今回はそれを記念して行われた、
 大江健三郎さんと受賞者の安藤礼二さんの「公開対談」に行ってきましたので
 その報告です。

本 その前に「大江健三郎賞」について少々。
 「大江健三郎賞」は講談社創業100周年、大江さんの作家生活50周年を
 記念して。2006年に創設された賞なのですが、
 この賞には他の賞にはない特徴があって、賞金がでません。
 そのかわり、外国での刊行があるんですよね。
 で、その第1回めの受賞者は、長嶋有さんの『夕子ちゃんの近道』。
 第2回が岡田利規さんの『わたしたちに許された特別な時間の終わり』。
 そして、今回、第3回めが安藤礼二さんの『光の曼荼羅 日本文学論』です。
 そういえば、この賞はまだほかの賞にはない特徴があって、
 それは選考者が大江健三郎さんひとりだということ、
 それと選評として「公開対談」を行うこと、
 ということなんです。
 つまり、今回私がひょこひょこ出かけた「公開対談」は、
 賞の規約に設けられた、正式なイベントなんですね。
 うわぁー、責任重そう。(そうでもないか)

 それに、私は安藤礼二さんの受賞作を読んでいない。
 なにしろ、私の目的は、
 生(なま)の大江健三郎さんを見ること、
 この一点に絞られているのですから、かなりミーハー。
 青年の頃から読み続けた作家である、
 (このblogでも「私の好きな作家たち」の第一回にとりあげましたね)
 大江健三郎さんを生(なま)で見れるのですから、
 安藤礼二さん、ごめんなさいね。

本 ということで、5月9日、東京音羽にある講談社まで出かけました。
 大江講演1写真は講談社の表玄関。
 さすが、100年にわたり日本の文化の担い手だった会社の
 風格がありますよね。
 今回の会場はこの中の講談社のホール。
 このホールもりっぱでしたよ。
 歴代の社長のみなさん(おそらく)の、大きな肖像画が
 壁に並んでいます。
 ちょうど国技館にある、横綱の写真みたいに。
 この日は、安藤礼二さんの大学(多摩美)の生徒さんも
 参加されていて、老若男女とりどり、400名ぐらいは
 いたでしょうか。
 いいですよね、若い人たちがこういう講演に参加されるのは。
 日頃、そういう環境にいる安藤礼二さんがうらましい。

本 だいたい私の「講演記録」は前口上が長すぎますよね。
 早速講演にはいりましょう。
 というわけで、大江健三郎さんと安藤礼二さんが登壇。
 キャーア、ケンちゃん、なんて、もちろん、いいませんよ。
 でも、これが生(なま)大江健三郎さんだと、私の胸は
 早鐘をうちました。ごんごんごん。
 丸い黒ぶちの眼鏡、ちょっと下膨れの顔、と
 いろんなメディアでみたまんまです。
 まず、大江さんから話されていきます。
 大江さんの話って、ちょっと聴きづらいところがあります。
 まるで大江さんの文体のようですが、
 本当は歯が悪くて、だから滑舌がよくないんですよね。
 でも、そういうこと含めて、
 これが生(なま)大江健三郎さんなんです。

本 大江さんは今回受賞されて安藤礼二さんが批評家であることで、
 「僕は、いい批評家とはいい友人になるのだけど、
 江藤淳さんの時にみたいに、すぐに破綻するんですよね」
 と笑いをとったあと、今回の「公開対談」では
 「小説を書こうという人にとって、大学の勉強が役に立たないわけだけど、
 それをなんとか役に立たせるためには、独学で勉強するしかない。
 そのための方法もさぐってみたい」
 なことから話されて、でも実はその方法について、すぐに答えのように、
 「独学をやるためにはモデルのような人がいることが望ましい」と話された。
 これって茂木健一郎さんがよくいう「ミラーニューロン」の考え方と同じです。
 そして、そのあとで、大江さんの個人的な話と安藤礼二さんの評論の
 話をされたのですが、これがいい。
 大江文学の一節を聴いているように。
 それは、大江さんのお父さんのお話で、
 大江さんはお父さんと10歳くらいまでほとんど話しをされなかった。
 10回とか12回程度しか話したことがない。
 ある日、父親はある文章から、あちら側の世界に行く表現として、
 「森森(しんしん)と」という言葉を見つけて感心された。
 ご存知のように大江さんが生まれ育ったのは四国の山奥。
 大江さんの作品にもたくさんの「森」が出てきますが、
 そのイメージのまま、父親は感心されたようである。
 その時、少年であった大江さんが、
 「お父さん、それはびょうびょうと、ではないか」と言った。
 この「びょう」という漢字ですが変換ができないので、言葉で書くと、
 「森」という字の「木」の部分を「水」に置き換えて下さい。
 ぜひ漢和辞典で調べて下さい。
 つまり、死とは森に入り込むのではなく、水を渡っていくイメージ。
 その言葉が安藤礼二さんの評論、しいては折口信夫(おりくちしのぶ)の評論に
 それがでている。
 そういう個人的な話。
 大江さんの文学でもそうですが、大江さんはこのようなささやかな体験と
 大きな世界をさりげなくつなげてしまう方法がとてもうまい。
 作家としてある意味難解でもありますが、ささやかな話でまず読み手の
 気持ちをつかまえるのがたいへん巧いですね。
 今回の対談の導入部としてもたいへんうまい。
 それに応えるようにして、安藤礼二さんが、
 なぜ折口信夫を研究対象に選んだのかを話していく。

本 今回「大江健三郎賞」を受賞した『光の曼荼羅』という評論集は、
 折口信夫の『死者の書』というのがテキストになっています。
 ちょっと長くなったので、今日はここまでにしておきます。
 明日、折口信夫のことと、「公開対談」の後半のこと、
 書きますね。
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