05/11/2009 「第3回大江健三郎賞」公開対談に行ってきました 【前編】

今回はそれを記念して行われた、
大江健三郎さんと受賞者の安藤礼二さんの「公開対談」に行ってきましたので
その報告です。

「大江健三郎賞」は講談社創業100周年、大江さんの作家生活50周年を
記念して。2006年に創設された賞なのですが、
この賞には他の賞にはない特徴があって、賞金がでません。
そのかわり、外国での刊行があるんですよね。
で、その第1回めの受賞者は、長嶋有さんの『夕子ちゃんの近道』。
第2回が岡田利規さんの『わたしたちに許された特別な時間の終わり』。
そして、今回、第3回めが安藤礼二さんの『光の曼荼羅 日本文学論』です。
そういえば、この賞はまだほかの賞にはない特徴があって、
それは選考者が大江健三郎さんひとりだということ、
それと選評として「公開対談」を行うこと、
ということなんです。
つまり、今回私がひょこひょこ出かけた「公開対談」は、
賞の規約に設けられた、正式なイベントなんですね。
うわぁー、責任重そう。(そうでもないか)
それに、私は安藤礼二さんの受賞作を読んでいない。
なにしろ、私の目的は、
生(なま)の大江健三郎さんを見ること、
この一点に絞られているのですから、かなりミーハー。
青年の頃から読み続けた作家である、
(このblogでも「私の好きな作家たち」の第一回にとりあげましたね)
大江健三郎さんを生(なま)で見れるのですから、
安藤礼二さん、ごめんなさいね。


さすが、100年にわたり日本の文化の担い手だった会社の
風格がありますよね。
今回の会場はこの中の講談社のホール。
このホールもりっぱでしたよ。
歴代の社長のみなさん(おそらく)の、大きな肖像画が
壁に並んでいます。
ちょうど国技館にある、横綱の写真みたいに。
この日は、安藤礼二さんの大学(多摩美)の生徒さんも
参加されていて、老若男女とりどり、400名ぐらいは
いたでしょうか。
いいですよね、若い人たちがこういう講演に参加されるのは。
日頃、そういう環境にいる安藤礼二さんがうらましい。

早速講演にはいりましょう。
というわけで、大江健三郎さんと安藤礼二さんが登壇。
キャーア、ケンちゃん、なんて、もちろん、いいませんよ。
でも、これが生(なま)大江健三郎さんだと、私の胸は
早鐘をうちました。ごんごんごん。
丸い黒ぶちの眼鏡、ちょっと下膨れの顔、と
いろんなメディアでみたまんまです。
まず、大江さんから話されていきます。
大江さんの話って、ちょっと聴きづらいところがあります。
まるで大江さんの文体のようですが、
本当は歯が悪くて、だから滑舌がよくないんですよね。
でも、そういうこと含めて、
これが生(なま)大江健三郎さんなんです。
大江さんは今回受賞されて安藤礼二さんが批評家であることで、
「僕は、いい批評家とはいい友人になるのだけど、
江藤淳さんの時にみたいに、すぐに破綻するんですよね」
と笑いをとったあと、今回の「公開対談」では
「小説を書こうという人にとって、大学の勉強が役に立たないわけだけど、
それをなんとか役に立たせるためには、独学で勉強するしかない。
そのための方法もさぐってみたい」
なことから話されて、でも実はその方法について、すぐに答えのように、
「独学をやるためにはモデルのような人がいることが望ましい」と話された。
これって茂木健一郎さんがよくいう「ミラーニューロン」の考え方と同じです。
そして、そのあとで、大江さんの個人的な話と安藤礼二さんの評論の
話をされたのですが、これがいい。
大江文学の一節を聴いているように。
それは、大江さんのお父さんのお話で、
大江さんはお父さんと10歳くらいまでほとんど話しをされなかった。
10回とか12回程度しか話したことがない。
ある日、父親はある文章から、あちら側の世界に行く表現として、
「森森(しんしん)と」という言葉を見つけて感心された。
ご存知のように大江さんが生まれ育ったのは四国の山奥。
大江さんの作品にもたくさんの「森」が出てきますが、
そのイメージのまま、父親は感心されたようである。
その時、少年であった大江さんが、
「お父さん、それはびょうびょうと、ではないか」と言った。
この「びょう」という漢字ですが変換ができないので、言葉で書くと、
「森」という字の「木」の部分を「水」に置き換えて下さい。
ぜひ漢和辞典で調べて下さい。
つまり、死とは森に入り込むのではなく、水を渡っていくイメージ。
その言葉が安藤礼二さんの評論、しいては折口信夫(おりくちしのぶ)の評論に
それがでている。
そういう個人的な話。
大江さんの文学でもそうですが、大江さんはこのようなささやかな体験と
大きな世界をさりげなくつなげてしまう方法がとてもうまい。
作家としてある意味難解でもありますが、ささやかな話でまず読み手の
気持ちをつかまえるのがたいへん巧いですね。
今回の対談の導入部としてもたいへんうまい。
それに応えるようにして、安藤礼二さんが、
なぜ折口信夫を研究対象に選んだのかを話していく。
今回「大江健三郎賞」を受賞した『光の曼荼羅』という評論集は、
折口信夫の『死者の書』というのがテキストになっています。
ちょっと長くなったので、今日はここまでにしておきます。
明日、折口信夫のことと、「公開対談」の後半のこと、
書きますね。
キャーア、ケンちゃん、なんて、もちろん、いいませんよ。
でも、これが生(なま)大江健三郎さんだと、私の胸は
早鐘をうちました。ごんごんごん。
丸い黒ぶちの眼鏡、ちょっと下膨れの顔、と
いろんなメディアでみたまんまです。
まず、大江さんから話されていきます。
大江さんの話って、ちょっと聴きづらいところがあります。
まるで大江さんの文体のようですが、
本当は歯が悪くて、だから滑舌がよくないんですよね。
でも、そういうこと含めて、
これが生(なま)大江健三郎さんなんです。

「僕は、いい批評家とはいい友人になるのだけど、
江藤淳さんの時にみたいに、すぐに破綻するんですよね」
と笑いをとったあと、今回の「公開対談」では
「小説を書こうという人にとって、大学の勉強が役に立たないわけだけど、
それをなんとか役に立たせるためには、独学で勉強するしかない。
そのための方法もさぐってみたい」
なことから話されて、でも実はその方法について、すぐに答えのように、
「独学をやるためにはモデルのような人がいることが望ましい」と話された。
これって茂木健一郎さんがよくいう「ミラーニューロン」の考え方と同じです。
そして、そのあとで、大江さんの個人的な話と安藤礼二さんの評論の
話をされたのですが、これがいい。
大江文学の一節を聴いているように。
それは、大江さんのお父さんのお話で、
大江さんはお父さんと10歳くらいまでほとんど話しをされなかった。
10回とか12回程度しか話したことがない。
ある日、父親はある文章から、あちら側の世界に行く表現として、
「森森(しんしん)と」という言葉を見つけて感心された。
ご存知のように大江さんが生まれ育ったのは四国の山奥。
大江さんの作品にもたくさんの「森」が出てきますが、
そのイメージのまま、父親は感心されたようである。
その時、少年であった大江さんが、
「お父さん、それはびょうびょうと、ではないか」と言った。
この「びょう」という漢字ですが変換ができないので、言葉で書くと、
「森」という字の「木」の部分を「水」に置き換えて下さい。
ぜひ漢和辞典で調べて下さい。
つまり、死とは森に入り込むのではなく、水を渡っていくイメージ。
その言葉が安藤礼二さんの評論、しいては折口信夫(おりくちしのぶ)の評論に
それがでている。
そういう個人的な話。
大江さんの文学でもそうですが、大江さんはこのようなささやかな体験と
大きな世界をさりげなくつなげてしまう方法がとてもうまい。
作家としてある意味難解でもありますが、ささやかな話でまず読み手の
気持ちをつかまえるのがたいへん巧いですね。
今回の対談の導入部としてもたいへんうまい。
それに応えるようにして、安藤礼二さんが、
なぜ折口信夫を研究対象に選んだのかを話していく。

折口信夫の『死者の書』というのがテキストになっています。
ちょっと長くなったので、今日はここまでにしておきます。
明日、折口信夫のことと、「公開対談」の後半のこと、
書きますね。
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