05/13/2009 堺屋太一の青春と70年万博:書評

大阪万博が開催されたのは、1970年3月14日。
当時私は大阪府下にある小さな町に住む、
15歳の少年でした。
ところが、どうもあまり万博の記憶がありません。
開会日の模様はTVで観たようにも思うし、
当然会場まで足を運んだのですが、
どうもイマイチ明快な記憶ではないのはどうしてなのか、
自分でも不思議な気分です。
ちょうどこの時期でいえば高校に入学したてで、
そのことに夢中になっていたとも思えないのですが、
それはそれなりに、
新しい環境になれるのに必死だったのかもしれません。
また会場に行っても、あれだけたくさんの人であふれていましたし、
アメリカ館で「月の石」を見ることもできず、
小さなパビリオンをいくつかまわっただけのような気がします。
それゆえに自分にとっての「70年万博」もとても気になるのです。
今回の三田誠広さんの『堺屋太一の青春と70年万博』は、
そういうこともあって楽しく読めました。
![]() | 堺屋太一の青春と70年万博 (2009/03/24) 三田誠広 商品詳細を見る |


本作の主人公である堺屋太一が代表作となる『団塊の世代』を発表した1976年の翌年、著者である三田誠広は『僕って何』という小説で芥川賞を受賞している。
『団塊の世代』という小説は、戦後のベビーブームが生んだ人口の塊である1947年から1949年生まれの人々を中心とした未来予測小説であり、その中で堺屋は多人口が引き起こす様々な歪みに警鐘を鳴らしていたのであるが、「団塊の世代」当事者たる1948年生まれの三田誠広は当時「ここにいる僕とは何だろう」と迷い、まだ社会や人間関係にふりまわされて自己を確立できないでいる若者を描いていたというのは、今振り返れば、数奇な巡りあわせともみえる。
三田誠広は本書の「プロローグ なぜ堺屋太一を書くのか」の中で「わたしは何よりも自分の生きた時代というものに興味を持っている」としたうえで「その歴史や文化を知り、自分なりに解釈して、新しい物語を紡ぐことに、自分がこの国に生まれた意味を見いだしたい」と書いている。
それが、戦後の時代を牽引した経済であり、そして時代の象徴ともいえる70年大阪万博を通産省(当時)の一職員という立場で実現させ、同時に「経済小説」「近未来小説」をも描いた類まれな才能の人である堺屋太一だということになる。
もちろん堺屋太一の生涯はまだ完結していない。そのために本書では堺屋の前半生に焦点があてられているのだが、「小説を書く通産官僚であり、女子プロレスのファン」だった堺屋の前半生も十分に面白く、読むことを飽きさせない挿話に富んでいる。
特に、堺屋が19歳の時に出会ったドイツ人女性との交友はまるで一幕のドラマのようである。
三田が本書を閉じるにあたって、「堺屋太一の人生」を「一つの独創的な作品」と評価しているのもうなずける。
ただ、せっかく「団塊の世代」である三田誠広が描く堺屋太一であるならば、『僕って何』と問いかけた三田にとっての堺屋として、もう少し踏み込んでもらいたかった。
多分、三田誠広にとっての「僕って何」は、そしてあの時代に三田が提示した物語に感銘した同時代の「団塊の世代」の人たちもふくめて、まだ十分な結論を出していないのではないか。
その答えの一端が先行世代でもあり、『団塊の世代』を世に問うた堺屋太一にあるとすれば、もう右往左往するのではなく、しっかりと「堺屋太一とは何」を自身にシンクロナイズさせれば、作品はいっそう読みごたえのあるものになったのにと惜しまれる。
(2009/05/13 投稿)
それが、戦後の時代を牽引した経済であり、そして時代の象徴ともいえる70年大阪万博を通産省(当時)の一職員という立場で実現させ、同時に「経済小説」「近未来小説」をも描いた類まれな才能の人である堺屋太一だということになる。
もちろん堺屋太一の生涯はまだ完結していない。そのために本書では堺屋の前半生に焦点があてられているのだが、「小説を書く通産官僚であり、女子プロレスのファン」だった堺屋の前半生も十分に面白く、読むことを飽きさせない挿話に富んでいる。
特に、堺屋が19歳の時に出会ったドイツ人女性との交友はまるで一幕のドラマのようである。
三田が本書を閉じるにあたって、「堺屋太一の人生」を「一つの独創的な作品」と評価しているのもうなずける。
ただ、せっかく「団塊の世代」である三田誠広が描く堺屋太一であるならば、『僕って何』と問いかけた三田にとっての堺屋として、もう少し踏み込んでもらいたかった。
多分、三田誠広にとっての「僕って何」は、そしてあの時代に三田が提示した物語に感銘した同時代の「団塊の世代」の人たちもふくめて、まだ十分な結論を出していないのではないか。
その答えの一端が先行世代でもあり、『団塊の世代』を世に問うた堺屋太一にあるとすれば、もう右往左往するのではなく、しっかりと「堺屋太一とは何」を自身にシンクロナイズさせれば、作品はいっそう読みごたえのあるものになったのにと惜しまれる。
(2009/05/13 投稿)
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