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プレゼント 書評こぼれ話

  二日間にわたって大江健三郎さんの「公開対談」の、
  きわめて個人的な記録を掲載しました。
  そんな中、とても感動的な「コメント」を頂きました。
  それで、できるならたくさんの人に読んでもらえるようにと、
  記事の中で紹介したいと思います。
  あわせて、私からの返信のようにして、2003年の蔵出しですが、
  大江健三郎さんの『「新しい人」の方へ』という作品の書評を
  掲載しておきます。

  sai.wingpen 夏の雨 様
     はじめまして。
     大江健三郎ファンクラブ掲示板からリンクをたどり、書評を拝読させて頂きました。

     以下、コメントとしては余りに長く…
     深いご見識の上、的確な言葉をお選びになる 夏の雨 様にお送り申し
     上げるのが、実に勝手なことと感じております。

     どうか、若輩者の
     ―「なんとか御礼を申し上げねば」と思っているのに、
     見識のなさゆえ、気持ちに言葉がついてゆかない― 
     そんな拙さゆえと、お見逃しを頂ければ幸いです。

     自身のことで恐縮なのですが…
     主人が城山三郎先生の大ファンで、何冊も御本を読み続けております。
     それゆえ、書評を拝読した途端、
     日々を共に過ごすがゆえに見えずにいた、主人の姿を見た気が致しました。
     泣かずにはいられませんでした…いえ、実際のところ、大泣きをしたのです。

     「生涯戦時中に負った心の傷を払拭できなかったように思える」
     「城山三郎は「気骨」のある作家だったといえるだろう」
     …書評の中のお言葉に、なぜか、郷里の母の言葉を想い出しました。

     「優しさは強さ」だと。

     沖縄に生まれ育ちました。

     戦争で夫を亡くした祖母、本土復帰の住民運動を通じて出会った両親と
     共に暮らし、生まれた時から広大な米軍基地を眼の前にした世代です。

     年の離れた末弟は、知的障害を持って生まれました。
     母は、大江健三郎氏の御本を支えに、母自身、細々と文を綴りながら、
     末弟の誕生後、10年以上家に戻らなかった父との結婚生活を続け、
     弟を育て、見守り続けていたように思います。

     最近、大江健三郎ファンクラブの皆様に励まして頂きながら、
     これまでどうしても読むことが出来なかった、大江健三郎氏の御本を
     何とか読了致しました。

     生まれて初めて読んだ大江健三郎氏の御本は「沖縄ノート」です。
     「本を読む」ということが、
     「自身の中で大きな波を描く」とでも表現すれば良いのか…。
     こんなにも打撃であったことは初めてであったように思います。

     正直に申し上げると、打撃になることが自身で何となく解っておりましたゆえ、
     これまで読む勇気を持てなかった、というのが本当のところです。

     ただ、弟達もそれぞれに成人し、主人に恵まれ、本州で幸せに暮らす今…
     「沖縄ノート」を読まずしては、どこか両親の娘でいられなくなるような気がして、
     本を手に取りました。

     書評を拝読し、母の言葉、故郷の家族のこと、友人のこと、恩師のこと…
  
     城山三郎先生の御本にご紹介があり、
     教えてくれた主人以上に自身が「猛烈ファン」になってしまい、
     図々しくもファンレターを差し上げ、個展に押しかけた際に、
     名乗ると同時に即座にハグを下さった加島祥造先生のこと。
     (お眼にかかった際、加島先生は、「沖縄出身」という言葉をキーワードにして、
     自身のことをご記憶されておられるように思えました。
     大戦の際に、自ら負傷の上、軍隊を除名されて終戦をご経験なさった加島先生が、
     一年前にただ一度、お手紙をやりとりしただけの自身のことを憶えておられた…
     そのことが、『「沖縄ノート」を読まなければ』と考えた、
     もう一つの大きな引き金になりました。)

     そして…大江先生のこと。
     大江先生のご家族の皆様のこと。
     本当にお優しくお心遣いを下さる大江健三郎ファンクラブの多くの皆様のこと。

     そして、誰よりも…主人のこと。

     様々なことが、書評を拝読させて頂いたことを中心に、輪を描くように思えました。
     更には、その輪を描く線上の点、一つ一つが幾重にも重なりいく輪の中心に
     思えました。
     そして、そこからまた、輪が描かれる…
     それは、どこまでもどこまでも終わらない、輪の重なりです。

     「自らは一人ではない」

     そんな、心からの感謝を捧げずにはいられない、
     しかしながら、時として見失いそうになる…とても大切なことに、
     ―自らは確かに、「優しさという強さ」の描く数えられぬほどの円に…ご縁に…
     抱かれている、そのことに―
     気付かせて頂いた想いです。

     そして…
     そんな想いが、「本を読む」という、
     表面上はたった独りのように見える行為の中で生まれてくる。
     なんだか逆説的で、不思議なことのようにも思えます。

     「本を読む」ということは、
     「強制も束縛もなく、ただ自らの心に沿って読む」
     そのことは、もしかしたら…
     自らこそを抱く円を振りかえり、おのずから再構成させることなのかもしれません。

     ならばそれは、
     優しさという強さ、眼には映らぬ骨――
     すなわち「気骨」の創造、それ以外の何ものでもない、と。

     そんな、様々なことを…
     本を読む母の背中や主人の横顔を想いながら、胸に抱きました。

     そして、「本を読む」ことは、時に辛いこともあるかもしれないけれど…
     やっぱり素晴らしいことなのだと、そう思います。

     お恥ずかしいまでに弱虫の自らゆえ、
     「沖縄ノート」の次に「個人的な体験」を読みたい…そう思いながら、
     またしても打撃になることが少し怖くもあり、二の足を踏んでいました。
     おかげさまで、迷わずに済みそうです。

     どのように読めばよいか…その指針を下さる、書評を、ようやく拝読出来た…
     そんな、とても幸せな気持ちです。

     「インターネットで読む」その喜びもまた、頂戴しております。
     重ねての御礼を申し上げます。

     最後になりまして恐縮ですが、
     湿度も気温も上がり続ける時節…
     どうぞ日々、お元気にお過ごし下さいませ。
                                         しおしお  
sai.wingpen

「新しい人」の方へ「新しい人」の方へ
(2003/09/19)
大江 健三郎

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sai.wingpen  娘に伝えたいもうひとつのこと            矢印 bk1書評ページへ

 この本の前作『「自分の木」の下で』は、著者の大江健三郎さんの言によれば「想像しなかった、多くの読み手にめぐまれ」た好著でした。
  お父さんは、大江さんの言葉に誘われるようにして「娘に伝えたいこと」というタイトルで書評を書きました。その書評の中で大江さんの言葉の一つひとつが現代の日本の最良の思想であり、美しい日本語なのだと書きました。そして、大江さんの言葉は、君たちの時代を照らすたいまつだと、最後に締めくくりました。

 お父さんの本棚にその『「自分の木」の下で』はちゃんと収まっています。君たちも知っているように、お父さんはここ何年か、今まで持っていた多くの本を処分してきました。その中には学生時代に無理をして購入した大江さんの「全作品」もありました。
 お父さんは最近自分が年老いた時のことを考えることがあります。
 その時には、自分がこれまでの日々の中でよかったと思える本を、もう一度ゆっくり読みたいと思っています。だから、そういう本だけを自分の本棚に残していこうと決めました。(もっともそれがまたどんどん増えていることに困ってもいますが)
 大江さんの『「自分の木」の下で』という本は、そんな本なのです。

 今回の本は「同じ読み手たちへ、つまり子供といってもいい人たち、若い人たちへ向けて書くこと、そしてそのお母さんたちへということをねがって、もうひとつの本を作りたい」、そして前作より「もう少し深め、もう少し役立つものとして書きなおしたい」(172頁)という大江さんの願いのようなものが託されています。
 だから、今回の内容は「ウソをつかない力」や「本をゆっくり読む法」などのように、より具体的な表現となっています。
 でも、この本はよくあるようなHOW TOものではありません。
 大江さんはあくまでも自分の考えを語っているにすぎません。強要したりしません。大江さんの真似をしたからといって、ノーベル賞がとれるはずもありません。
 君たちにわかってほしいのは、そういった方法をとってこられた人の、強い意志の力です。
 お父さんは、君たちにそういう力こそ学んでほしいと願っています。

 大江さんはこの本の中でこんなことを書いています。
 「あの時、ほんの少しだけでも、もっと勇気があったならば…、そう後悔することを、私はもう数えきれないほどしてきたのです」、そして「大切な自分への教育を後送りせず、性格を変えるためにがんばってみるべきだった」(63頁)と。
 お父さんも、まったく同じです。君たちにもすでにそう思うことがあるかもしれません。
 でも、君たちにはまだたくさんの時間があります。
 その時間をおろそかにしてはいけません。
 お父さんも、まだまだやれます。
 大江さんも、その文章の最後にこう書いています。「そうだ、いまからでも、遅くはないかも知れない、という気持ちになるのです」。
  
(2003/10/12 投稿)
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