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プレゼント 書評こぼれ話

  手塚治虫さんが亡くなったのは
  1989年の2月9日。
  平成の始まりの年だ
  亡くなって、もう25年になる。
  四半世紀になる。
  若い人は
  手塚治虫さんの現役時代を
  知らないんだ。
  それでいて、いまだに
  手塚漫画が古びることはない。
  今読んでもちっともおかしくはない。
  それが手塚治虫さんのすごいところだ。
  今日と明日は
  ずっと読み継いでいる
  『火の鳥』シリーズの第7巻と第8巻を
  紹介します。
  「乱世編」の上下巻ですから
  そうなりました。
  まず、今日は上巻。
  明日の下巻もお楽しみに。

  じゃあ、読もう。

火の鳥 (7) (角川文庫)火の鳥 (7) (角川文庫)
(1992/12)
手塚 治虫

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sai.wingpen  「鳳凰編」から続く物語として                   

 手塚治虫の『火の鳥』はさまざまな出版社から色々な判型で出ている。
 私は角川文庫版で読んでいるが、もちろん文庫本なりの良さはあるが、漫画はできれば大きな判型の方がいい。手塚のように群衆を描くのを得意とする漫画家の場合は特にそうかもしれない。
 その角川文庫版では、第7巻と第8巻は「乱世編」の上下巻になっている。
 『火の鳥』はそれぞれの篇により時代背景も登場人物も異なり、シリーズ全体として時間や生命という大掛かりな物語の設定になっている。
 「乱世編」では源平の戦いが取り上げられている。

 シリーズの中でいうと、第4巻の「鳳凰編」に続く物語となる。
 角川文庫版でプロローグとして猿のボスと犬のボスの、友達でありながら互いに敵としていがみ合う動物たちのエピソードが収められているが、そこに登場する両手のない老人こそ「鳳凰編」の主人公我王のその後の姿で、読者はこの「乱世編」が「鳳凰編」に続く物語であることに気づく仕掛けになっている。
 「鳳凰編」は『火の鳥』シリーズの中でも屈指の作品だが、残念ながら「乱世編」では我王は物語の半ばで死んでしまう。
 『火の鳥』の中で「猿田」と呼ばれる大きく醜い鼻をもった男が主人公もしくは狂言まわし的に描かれているのはよく知られているが、「鳳凰編」の我王の造形も「猿田」と同様である。
 「鳳凰編」は我王を描くことで『火の鳥』各篇との共鳴が生きているといえる。
 「乱世編」では早々にその姿を失ってしまい、大きな広がりを欠いたのは残念というしかない。

 「乱世編・上」にあたるこの巻では平家の治世が描かれているが、「驕れるもの」として都の治安は乱れている。
 節操のない兵士たちによって家を焼かれ、親を殺された主人公弁太は、兵士たちによって都へ連れ去られた恋人おぶうを追いかけ、都へと出ていく。
 おぶうはその美しさゆえに平清盛の側女に召し抱えられて、そのことを知らない弁太は五条大橋で通りゆく武士たちにおぶうの行方を問い、力でもって刀をまきあがる男になっていた。
 つまり、弁太は弁慶をもとにつくられた主人公である。
 やがて、弁太は鞍馬の山で義経と出会うことになる。
 清盛の死までを描いて、下巻へと続く。
  
(2014/02/07 投稿)

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