
東日本大震災から
今日で2年11ヶ月。
今日は池上正樹さんと加藤順子さんによる
『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』を
紹介します。
石巻市の大川小学校で起こった大惨事のことは
ほとんどの人が知っていると思います。
何故子どもたちの多くが犠牲となったのか
それは遺族だけでなく
多くの人が知りたいことだと思います。
あの時、どんな指示がでたのか
それすら判明しないことに
腹立ちさえ覚えます。
1月19日発表された事故検証委員会による
最終報告書案に対して
遺族側から「十分に検証されたとは言えない」という
不満が出たといいます。
月日がたてば
記憶もどんどん風化します。
ぜひ、真実を明らかにしてもらいたいと
思います。
犠牲となった子どもたちのためにも。
じゃあ、読もう。
![]() | あのとき、大川小学校で何が起きたのか (2012/10/24) 池上 正樹、加藤 順子 他 商品詳細を見る |

東日本大震災は多くの人たちに悲しみの傷あとを残した。
住む家を失った人、生まれた土地を捨てざるをえなくなった人、家族全員を津波にのみこまれた人、生まれたばかりの赤ん坊を亡くした人。
悲惨さに大きいも小さいもない。被災された人たちの悲しみに大小はない。
けれど、石巻市の大川小学校で起こった悲劇は、誰の胸にも痛みと、何故という疑問がつきまとう。
震災から3年近くなるが、犠牲になった子どもたちの遺族だけでなく、東日本大震災の大きな悲しみとして今でも私たちの記憶から消えることはない。
本書は、大川小学校で何故これほどまでに多くの児童が犠牲になったのか、その原因の解明に遺族たちが、学校関係者たちが、あるいは町の人々がどのようにそれと向き合ってきたのかレポートしたものだ。
この本自体は2012年11月の出版だが、それから1年以上経ってもまだ何も解決していないことも、書いておく。
宮城県石巻市にある大川小学校。震災のあった時の児童数は108人。そのうち、実に74人の児童が死亡または行方不明という痛ましい惨事となった。児童以外にも10名の教職員が犠牲となっている。
本書の中でしばしば使われているのが、「学校管理下」という言葉である。
地震の起こった2011年3月11日午後2時46分、大川小ではクラスの帰りの会が終わって下校寸前の時刻だった。そういう点では「学校管理下」である。
児童たちは校庭に集められた。それから51分の間、近くの裏山に逃げようという児童の声があったにもかかわらず、結果として校庭にとどまり、ほとんど避難することもなく津波の犠牲になった児童たち。
遺族たちが求めたのは、その51分の間に何があったのかという真実だ。
ちなみに、この時校長は年休で不在であった。
「本当に何で子どもたちが死ななければならなかったのか、真実を知りたいだけだ」と、遺族はいう。
ともに犠牲となった教職員たちを責めるのではないともいう。
誰かが真実を知っているはずなのに、(教職員では唯一一人の教師が生存)、説明すべき学校や市の教育委員会の説明は曖昧のままだ。
小さな町であるから色々なしがらみがあるのでもあろう。けれど、これだけの犠牲者を出した学校側の対応を明確にしない限り、「学校管理下」での安全神話は揺らいだままだ。
けっして「藪の中」にしてはいけない、これは事件なのである。
(2014/02/11 投稿)

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