05/20/2009 新潮文庫20世紀の100冊:書評

今回の書評のタイトル「他人と違う何かを語りたかったら、他人と違う言葉で語りなさい」は、
スコット・フィッツジェラルト(ギャツビーを書いた人)が言った言葉だそうです。
この関川夏央さんの『新潮文庫20世紀の100冊』の、
村上春樹さんの『世界の終わりとハートボイルド・ワンダーランド』の解説文に
紹介されています。
本を読みたいんだけど、どんな本を読んでいいのかわからない。
そんなことをよく聞きます。
そういう人には、今回紹介したこの本なんかはうってつけかもしれません。
関川夏央さんの解説を読んで、面白そうだと思ったら読んでみる。
あるいは、自分の生まれた年で紹介されている本はなんだろう、
お父さんの生まれた年はどうだろうって、
そのようにして読書の幅を広げていくのも
いいかもしれません。
ちなみに私の生まれた年(1955年)で紹介されていた本は、
石原慎太郎さん(現東京都知事)の『太陽の季節』でした。
![]() | 新潮文庫20世紀の100冊 (新潮新書) (2009/04) 関川 夏央 商品詳細を見る |


私は、どうやら、本という「製品」が好きなようである。
その形状、手触り、ページから立ち上る芳香、といった諸々をふくめた、本としての「製品」のことである。
新潮文庫が2000年に既刊の文庫に「20世紀の100冊」という、関川夏央の解説のついた特別カバーの文庫を刊行し始めた時、そのカバーが読みたくて、つい何冊か購入したのも、本という「製品」に対する私の嗜好癖がくすぐられたからだ。
装いをちがえただけであっても、人は既読の本でも手にする。本という、不思議な魔力としかいいようがない。
さて、その際刊行された100冊の解説を一冊にまとめられたのが本書なのだが、もちろん新潮文庫として出版されている作品という制約があるものの、100冊の本たちは先の世紀が残してくれた贅沢な遺産として見事である。
関川はその100年を「日本文学にとっては、西洋文学と西洋思想を咀嚼・吸収し、さらには変容させて、江戸近世文学以来の日本独自の近代文学を完成させるまでに要した」(6頁)期間とみている。ちなみに、20世紀の初めの年(1901年)を日本の元号の呼び名でいえば明治34年である。夏目漱石はまだ小説を書いていない。
関川は先の文章に続けてこう書いている。「青年たちは誠実に貪欲だった。先人の営為は偉大であった」と。
私はこのような関川夏央の、少しばかりしめりけの多い文章が好きである。
100冊の解説文の中でも、特に20世紀後半の解説に多いが、そういう表現が時折顔をのぞかせる。
「「戦後」は若かった。若くて貧しかった。汚れてもいた。しかし、それにもかかわらず、またそうだからこそ、誰もが懸命に生き抜こうとし、ときにその懸命さが悲劇をもたらした」(138頁・『飢餓海峡』)、「いずれにしても70年代は、古いアルバムにはさみこまれた写真の束のように未整理のまま放置されている」(164頁・『戒厳令の夜』)といった文体は、「解説」文としては装飾が多すぎるかもしれないが、それが関川の文章の魅力であるにちがいない。
また解説文につけられたそれぞれのタイトルがいい。
例えば梶井基次郎の『檸檬』(1925年)には「彼によって、どれだけの青年が「檸檬」という漢字を覚えただろう」とある。なるほど、うまいことをいう。
また、開高健の『輝ける闇』(1968年)には「頬の削げたナイフのような青年は、熱帯雨林の「死」を通過して「太った」」とおどける。
この感性もまた本書の面白さといっていい。
(2009/05/20 投稿)
関川はその100年を「日本文学にとっては、西洋文学と西洋思想を咀嚼・吸収し、さらには変容させて、江戸近世文学以来の日本独自の近代文学を完成させるまでに要した」(6頁)期間とみている。ちなみに、20世紀の初めの年(1901年)を日本の元号の呼び名でいえば明治34年である。夏目漱石はまだ小説を書いていない。
関川は先の文章に続けてこう書いている。「青年たちは誠実に貪欲だった。先人の営為は偉大であった」と。
私はこのような関川夏央の、少しばかりしめりけの多い文章が好きである。
100冊の解説文の中でも、特に20世紀後半の解説に多いが、そういう表現が時折顔をのぞかせる。
「「戦後」は若かった。若くて貧しかった。汚れてもいた。しかし、それにもかかわらず、またそうだからこそ、誰もが懸命に生き抜こうとし、ときにその懸命さが悲劇をもたらした」(138頁・『飢餓海峡』)、「いずれにしても70年代は、古いアルバムにはさみこまれた写真の束のように未整理のまま放置されている」(164頁・『戒厳令の夜』)といった文体は、「解説」文としては装飾が多すぎるかもしれないが、それが関川の文章の魅力であるにちがいない。
また解説文につけられたそれぞれのタイトルがいい。
例えば梶井基次郎の『檸檬』(1925年)には「彼によって、どれだけの青年が「檸檬」という漢字を覚えただろう」とある。なるほど、うまいことをいう。
また、開高健の『輝ける闇』(1968年)には「頬の削げたナイフのような青年は、熱帯雨林の「死」を通過して「太った」」とおどける。
この感性もまた本書の面白さといっていい。
(2009/05/20 投稿)
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