02/26/2014 岸 (百年文庫)(中勘助、寺田寅彦 他):書評「「此岸」と「彼岸」」

久しぶりの「百年文庫」です。
どうも読みたい本が
次から次へとあって
「百年文庫」にまで至らずというのが
実情で、
それはそれでうれしいのですが
せっかくの100冊読破という目標も
先行きがあやしいばかり。
反省しきりの
第28巻は「岸」と題された一冊。
収められているのは
中勘助、寺田寅彦、永井荷風と
日本文学史でつとに有名な作家たち。
こういう三人を読めるのは
「百年文庫」の面白さ。
それをうっちゃっていたなんて
またまた反省しきり。
でも、今回の巻は
かなり難しい、
読みにくい巻ではありました。
じゃあ、読もう。
![]() | (028)岸 (百年文庫) (2010/10/13) 中勘助、寺田寅彦 他 商品詳細を見る |

「百年文庫」というシリーズの特長の一つに、漢字一文字の書名が付けられていることがあげられる。
第28巻めのこれには、「岸」とつけられている。
けれど、中勘助の「島守」、寺田寅彦の「団栗」他二篇、永井荷風の「雨蕭蕭」を収めたこの巻に何故「岸」という漢字がつけられたのかわからない。
どの作品も、水辺と接する「岸」が描かれているわけではない。
だとすれば、「此岸」「彼岸」の「岸」ではないか。
つまり、これらの作品は生と死のはざまにあるような作品群である。
特にその色が濃いのは、寺田寅彦の「団栗」だろう。
寺田寅彦といえば、夏目漱石を弟子として、文章も巧みな物理学者である。また漱石の『吾輩は猫である』の寒月のモデルと言われてもいる。
「団栗」は小説というより随筆になろうが、若くして亡くなった妻の生前の姿を描いて切ない。
植物園で無心に団栗を拾う妻の姿を描き、つと「団栗を拾って喜んだ妻も今はない」と文章を置く巧さ。
愛する者を喪う悲しみが、寺田の文章ではあまりにも簡に描かれて、それゆえに深さを知ることになる。
科学者であった寺田にとって、生きることと死ぬことは生命体が連続しないだけだったといえる。ただし、感情的にはいつまでも続いていく。
文学者寺田寅彦はそのことをはっきりとわかっていたのだろう。
同じく夏目漱石と縁のある中勘助。彼の代表作『銀の匙』が漱石の推薦を受け新聞に掲載され好評を博したのは有名だ。
しかし、中は人気作家の道を歩くことはなかった。
「島守」は野尻湖に浮かぶ弁天島で隠遁生活のように暮らした日々を描いた作品だ。
人と会うのもめったになく、ほとんど息だけをしているような生活は、生きながらにして「彼岸」にいるようでもある。
中が何故文壇を嫌ったのか不勉強でわからないが、当時の彼を突き動かしていたのは生きることと死ぬことの未分明でなかっただろうか。
もう一篇は永井荷風の「雨蕭蕭」。1921年(大正10年)に発表された作品である。
旧知のヨウさんという資産家が古式の芸を若き娘に託そうとするも叶わない顛末で、ここでは江戸から明治へと続いてきた芸事が消えていく一瞬が描かれている。
これも「此岸」から「彼岸」へとつづく短編といっていい。
(2014/02/26 投稿)

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