05/22/2009 死とは何か さて死んだのは誰なのか:書評

今日から三日間にわたって、
2007年2月に46歳という若さで亡くなった池田晶子さんの、
この春刊行された3冊の本を紹介していきます。
3冊の本というのは、今回紹介する『死とはなにか』(毎日新聞社)と、
『私とはなにか』(講談社)、『魂とはなにか』(トランスビュー)です。
この3冊はごらんのように出版社が違います。
それでいて、池田晶子さんが記した自身の墓碑銘、
さて死んだのは誰なのか
を共通のサブタイトルとし、
装丁も菊地信義さんの同じもので出来上がっています。
こういう出版は極めて稀有です。
しかも、「哲学書」なんですから。
これは、池田晶子さんの人柄や著作に感銘した編集者の皆さんや
たくさんの仲間の人たちが池田晶子さんからの
「精神のリレー」に応えて、出来上がった、
美しい本たちだといえます。
「哲学」の本の書評を書くのは難しいし、
私の中でこなれていないものもたくさん(ほとんど?)あります。
でも、こんな美しい本たちなのですから、
たくさんの人に読んでもらえたら、と願います。
さあ、「哲学」しましょう。
![]() | 死とは何か さて死んだのは誰なのか (2009/04/04) 池田 晶子 商品詳細を見る |


彼女は「考える人」であった。
本書は、2007年2月に亡くなった文筆家池田晶子さんの、未発表原稿や書籍未収録原稿を三つのテーマにして編まれた三冊のうちの一冊です。
日常の言葉で「哲学」を語り、「哲学エッセイ」という分野を確立した池田晶子さんですが、本書は同時刊行された他の二冊と比べてその色合いがもっともよく出ているといえます。
書かれている内容は「死とはなにか」「私とはなにか」といった、それぞれにたいへん重いテーマですが、それを読ませ、ともに考えるという池田さんの個性がよく出た文章が続きます。
「私は知らないことを知らないと思う」といったのはソクラテスでしたが、私たちが「哲学」というものをイメージした時、この言葉のようにわかったようなわからないような議論の繰り返しを浮かべます。
原語を理解しないものにとって、原文が理解不能のものなのか、日本語訳が混乱をきたしているのかわかりませんが、少なくともすっと理解できるものではありません。それでいて、この学問は人間の本質を解き明かそうという気配だけは持ち続けます。
池田さんは、「この国に、原語「愛智学」(フィロソフィー)が、「哲学」と訳され輸入されてまだ百年ちょっと、(中略)、わけもわからずに人々は、哲学とは、「人生とは何ぞや」ということを、難しい言葉で「悩む」ことなのだと思い為すに至った」(157頁・「いたって単純」)と見ています。それが「安心」であったと。しかし、「悩む」と「考える」は全く違うものと断言します。
では、「悩む」と「考える」とはどう違うのでしょう。
池田さんはこう書いています。「悩まずに考えるということが、いかほど人を自由に、強く、するものか」(同頁)。
今回池田さんの本を立て続けに読みましたが、私たちがいかに言葉に縛られているのかがよくわかります。確かに「考える」ということも、言葉の組み立てですが、もっと違った「言霊(ことだま)」がなす行為ではないでしょうか。
「言葉には、万物を創造する力がある。言葉は魔法の杖なのだ」(224頁・「言葉の力」)というのは、中学生の教科書に所載された池田さんの文章ですが、ここで使われている「言葉」は多分に「言霊(ことだま)」であったと思います。
池田さんが言い続けた「考える」とは、「言葉」に対応する「言霊(ことだま)」のようなもので、だからこそ、多くの人たちが彼女の「考える」を理解、共感できたのではないでしょうか。
そして、「当たり前の不思議に気がついて、それを考えながら生きる人生と、当たり前を当たり前と思って、それを考えることをせずに生きる人生とでは、人の人生はまったく違ったものになる」(219頁・「言葉の力」)といったような、池田さんの文章にどれほど勇気づけられたことかと思います。
(2009/05/22 投稿)
原語を理解しないものにとって、原文が理解不能のものなのか、日本語訳が混乱をきたしているのかわかりませんが、少なくともすっと理解できるものではありません。それでいて、この学問は人間の本質を解き明かそうという気配だけは持ち続けます。
池田さんは、「この国に、原語「愛智学」(フィロソフィー)が、「哲学」と訳され輸入されてまだ百年ちょっと、(中略)、わけもわからずに人々は、哲学とは、「人生とは何ぞや」ということを、難しい言葉で「悩む」ことなのだと思い為すに至った」(157頁・「いたって単純」)と見ています。それが「安心」であったと。しかし、「悩む」と「考える」は全く違うものと断言します。
では、「悩む」と「考える」とはどう違うのでしょう。
池田さんはこう書いています。「悩まずに考えるということが、いかほど人を自由に、強く、するものか」(同頁)。
今回池田さんの本を立て続けに読みましたが、私たちがいかに言葉に縛られているのかがよくわかります。確かに「考える」ということも、言葉の組み立てですが、もっと違った「言霊(ことだま)」がなす行為ではないでしょうか。
「言葉には、万物を創造する力がある。言葉は魔法の杖なのだ」(224頁・「言葉の力」)というのは、中学生の教科書に所載された池田さんの文章ですが、ここで使われている「言葉」は多分に「言霊(ことだま)」であったと思います。
池田さんが言い続けた「考える」とは、「言葉」に対応する「言霊(ことだま)」のようなもので、だからこそ、多くの人たちが彼女の「考える」を理解、共感できたのではないでしょうか。
そして、「当たり前の不思議に気がついて、それを考えながら生きる人生と、当たり前を当たり前と思って、それを考えることをせずに生きる人生とでは、人の人生はまったく違ったものになる」(219頁・「言葉の力」)といったような、池田さんの文章にどれほど勇気づけられたことかと思います。
(2009/05/22 投稿)
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