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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  『昭和の子供だ君たちも』は
  まずこのタイトルに
  大いに惹かれた。
  昭和の子供
  この言葉がいい。
  著者は坪内祐三さん。
  書評にも書きましたが
  坪内祐三さんは
  昭和33年生まれ。
  私より3歳年下。
  けれど、どうも
  読んだ本とか見た映画の傾向が
  よく似ていて
  私の好きな書き手の一人です。
  やっぱり同世代ですよね。
  最近芸能界では
  年の離れた人の結婚や恋愛が
  ちょっとしたブームですが
  あれって
  話が合うのかな。
  なんて、
  つい余計な心配をしてしまいます。

  じゃあ、読もう。

昭和の子供だ君たちも昭和の子供だ君たちも
(2014/01/22)
坪内 祐三

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sai.wingpen  だから、人間は面白い                   

 本作の著者坪内祐三氏は昭和33年(1958年)生まれだ。
 私が昭和30年(1955年)生まれだから、ちょうど弟の世代になる。
 「世代論を語りたい」という言葉でこの本は始まるのだが、坪内氏と私はほぼ同世代といっていい。
 たとえば、「少しでもものを考えようという意志のある学生にはマストと言うべき三冊の本があった」という坪内氏が紹介しているのは、高野悦子の『二十歳の原点』、奥浩平の『青春の墓標』、柴田翔の『されど われら日々―』の三冊だ。
 高野、柴田の本はともかく、ここに奥の本を並べる世代というのが確かにあって、私もそうだ。
 私が「少しでもものを考えようという意志」があったかどうかはともかくとしても、この三冊の本は私たちの多感な青春時代に重い意味をもっていた。
 多分少し時代が変われば、この三冊の本の意味も変わってくるはずだ。
 それが「世代論」だといえる。

 この本では坪内氏の世代が描かれているわけではない。
 終戦後の若者世代の軌跡を追いかけたものだ。
 世代としては圧倒的な勢力をもつ「団塊の世代」といった代表される世代を追跡したものでもない。時代が進むにつれて、世代が次々といれかわっていくように、たとえば昭和39年(1964年)頃に青春期を迎えた世代は何に怒り、何から挫折したのか、あるいは昭和50年(1975年)頃に成人した世代は何にシラケていたのかといったように、世代をつなげることで昭和という時代を描いた作品になっている。
 やや残念なのは、昭和の終盤の世代の論考が薄くなっている点だ。
 それは坪内氏自身がもはや青春期を抜け出した時期だからかもしれない。
 おいてきたものは印象が薄い。やはり青春期はいつも前に前にと急かされている時期といえる。

 坪内氏は東京で生まれ育った、昔の言葉でいえばシティボーイだ。
 実は世代論には育った場所という空間論が交差する。
 有名な60年安保にしても、あたかも若者たちすべてがそれに関わったイメージがあるが、おそらくそれは事実と違う。
だから、世代論だけですべては語れない。
 さらにいえば、同じように生まれ育っても、どこかの地点でそれぞれに分岐していくということ。
 いうなれば、「昭和」という根っこは同じであるが、咲く花がちがうのだ。
 だから面白い。人間は。
  
(2014/03/13 投稿)

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