03/21/2014 お母さんという女 (知恵の森文庫)(益田 ミリ):書評「息子という男が読むと」

今日は春分の日。
毎年この日になると
思い出すのは
この句。
毎年よ彼岸の入に寒いのは 正岡子規
この俳句は
正岡子規のお母さんの言葉を
そのまま句にしたということで
よく知られています。
なにげない暮しの場面で
正岡子規のお母さんは
こう口にしたのでしょうね。
この句には
母と息子の深いつながりを
感じます。
そして、
今日は私の母の命日でも
あります。
母が亡くなって4年経ちました。
たまたまその日に
益田ミリさんの『お母さんという女』の
紹介になりました。
そのせいか
書評はいささか感傷的すぎますね。
じゃあ、読もう。
![]() | お母さんという女 (知恵の森文庫) (2004/12/08) 益田 ミリ 商品詳細を見る |

母が亡くなって、4年になる。
私の母も、益田ミリさんのお母さんと同じ、典型的な大阪のお母さんだった。
カラオケが好きで、写真が好きで、チラシやタオルでアート? をつくったり。そういえば、我が家にも「タッパー」がたくさんあった。
まさか、大阪のお母さんがすべてそうだとは思わないが。
そんな「お母さん」との交流を描いた、益田ミリさんのコミックエッセイがこの本。
2004年に出た作品だから、漫画の方は今のような精錬さはまだない。
どことなく野暮ったい。
最近の作品と比べると、「ううっ(涙)、益田さんも苦労されたんだろう」と思ってしまう。
でも、そんな読者の思いは、有難迷惑だろうけど。
母と娘の関係はたぶん、母と息子の関係とは少しばかりちがう。
益田さんはお母さんの姿を貶しつつ、笑いつつ、すべて受け入れている。あるいは時に自分の中にもそんなお母さんの血が流れていることを受け止めている。
これが息子だとそう簡単ではない。(益田さんが簡単ということではなく)
若い頃は母のすべてがうっとうしかった。
「わたしのいる遠い東京の天気予報をテレビで見ている」益田さんのお母さんと同じように、私の母も「そっちは雨だね」なんて電話で話していた。
それが、嫌だった。
そんな母のことを、これがお母さんなんだと思えるようになったのは、ほとんど母の晩年の頃だ。
母にしてみれば、この子はいくつになってもアホやな、ということになるのだろうが。
母が亡くなって、もう私を余計なくらいに心配する人はいなくなった。
けれど、写真の中の母は笑いながらも、「大丈夫かい」と問うている。
いつまでも、アホな息子は、「オレ、大丈夫」なんて答えている。
ここまで書いてきたものを読み返すと、「読み終えた後。あたたかい気持ちになって」もらいたいという益田ミリさんの狙い? そのままではないか。
「ホンマ、あんたは単純やね」。
どこからか、母の声が聞こえる。
(2014/03/21 投稿)

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