03/22/2014 父の生きる(伊藤 比呂美):書評「親の介護は自分の成長の完了」

介護疲れで心中とか自殺といったニュースを
目にするたびに
私の母も父もえらかったなぁと
思います。
母は病気がわかってから半年ばかりの入院で
父も介護の生活も送りましたが
2年にも満ちませんでした。
二人とも残された子どものことを
考えてくれたのでしょうか。
できれば
私もそうしたいもの。
今日紹介する伊藤比呂美さんの
『父の生きる』は
親の介護の問題を
伊藤比呂美さん自身の体験から
描いています。
伊藤比呂美さんは両親の介護を通じて、
人生の最後に二人がそういうことをさせてくれたような
気がしてならない。
と、書いています。
私の父が亡くなった2年前の正月
兄とふたりで
父を抱えながら
お風呂にいれたことを
思い出します。
もし、今介護で悩んでいる人がいたら
ぜひこの本を
教えてあげてください。
じゃあ、読もう。
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母が亡くなって、2年後父が亡くなった。
母が亡くなったあとの父は、少し介護がいるようになった。兄が会社に申し出て、実家に戻って、そんな父の面倒をみてくれた。
弟である私は父と兄夫婦の暮らしぶりを、遠くの街で、電話で聞くばかりだった。
兄夫婦には感謝している。
父と兄夫婦の暮しが、わずか2年であったのは、父の最後の「子のため」だったと思う。
世の中には介護疲れで自ら倒れてしまう人さえいる。
両親がいないのは寂しいが、子どもの生活を脅かしてまでも生きてことなく、亡くなった両親はりっぱだった。
死ぬことまで、親に教えられたと思っている。
この本は詩人伊藤比呂美さんの父親介護日記だ。
伊藤さんの場合、生活の中心がカルフォルニアという海外の地でありながら、何度となく父親のいる熊本に帰っている。なかなかできることではない。それでも時に、父親に向かってののしりたくなることがある。
「それは、怒りでもむかつきでもなく。やるせなさとしか表現できないような感情だ」と、伊藤さんは書いている。
そんな伊藤さんだからこその、介護をしていた父親が亡くなったあとの言葉が、深い。
「親をこうして送り果てて、つらつら考えるに、親の介護とは、親を送るということは、自分の成長の完了じゃないかと。」
結論を急ぎ過ぎたかもしれない。
介護の途中での伊藤さんのさまざまな言葉が胸をうつ。
「人がひとり死ねずにいる。それを見守ろうとしている。いつか死ぬ。それまで生きる」人を見守るのは、「生きている人ひとり分の力がいるようだ」。
それでも、父親を介護し続けた伊藤さんに父親の死という現実が待っている。
遺体となった父親と二人きりになった伊藤さんの口から出たのは、「ありがとう」だったという。
その言葉の意味を伊藤さんは「これまでの父としての存在に」と書いている。
親と子の、美しい姿がそこにある。
父の死に顔をみて、涙を流す伊藤さんは、その涙の意味を「悲しくない。後悔もしてない」とし、「子どもだった頃の父が思い出されてきて、なつかしい」と書いた。
4年前に逝った母のことを、2年前に逝った父のことを思い出した。
母に、父に流した涙の意味がようやくわかったような気がした。
(2014/03/22 投稿)

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